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”朝吼夕嘆・晴走雨読”さんのプロフィール

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ブログタイトル
”朝吼夕嘆・晴走雨読”
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/shigeta-nas
ブログ紹介文
「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」
更新頻度(1年)

87回 / 365日(平均1.7回/週)

ブログ村参加:2016/07/19

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”朝吼夕嘆・晴走雨読”さん
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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

”朝吼夕嘆・晴走雨読”さんの新着記事

1件〜30件

  • 「久しぶりの横浜!CIJ株主総会に出席」

    9月16日、横浜ベイシェラトンホテルで開催された(株)CIJ第46回の株主総会に出席しました。当日出席の取締役役員や会場受付案内の社員はいつもの通り40人近い?メンバーでしたが、何とこの日出席は14,695名の株主中僅か10人前後が広い会場に転々でした。もちろん、これはコロナ蔓延の結果です。社長による決算報告の後、何か質問があった方が良いかと、ただ一人私が挙手し“対前年減収減益中の2%強の配当に御礼を述べ、福岡支社とオフイスの併設について質問しました。この拙い質問に会場、失笑があったか(´艸`)因みに今期の売上は203億、利益は9億2千万でした。1時間弱の総会終了後、社長、監査役等知友の役員様に挨拶の後、久しぶりのみなとみらい、桜木町と散策、中山(株)フィチャーミライ社長や宇田(株)フードリボン社長と会食懇親で...「久しぶりの横浜!CIJ株主総会に出席」

  • 「朝日新聞記者来訪!」

    先日、沖縄の復帰50周年を迎えるに当たりNHK、毎日新聞と取材を受けましたが、今日は朝日新聞の記者が来訪、在京沖縄出身者としての沖縄の日本復帰をどう受け止めた等々取材を受けました。この日の来訪記者は新垣関東沖縄経営者協会長に続くものでしたが、たまたま早稲田の後輩で、私が琉球新報を受験する前の朝日新聞受験失敗の話したら失笑買いました。こうした連日のマスコミ取材を受け、改めて米軍基地の永久提供を条件とした日本政府の沖縄復帰?対応を思います。「朝日新聞記者来訪!」

  • 木村「沖縄協会」東京事務所長激励会

    (祝・新「沖縄協会」東京事務所)沖縄の摩文仁で”平和祈念堂”を管理運営する「沖縄協会」東京事務所の神田小川町から日本橋小伝馬への移転に伴い、孤軍奮闘してい木村事務局長を神田事務所に招き、慰労会食をしました。参加者は弁護士の三宅さんに日本テレワーク協会の平良君3人。実は木村さんを囲むこの4人は“月一昼食会”メンバー(^○^)木村さん!本当にお疲れ様!木村「沖縄協会」東京事務所長激励会

  • 「沖縄フアンクラブ」常任理事会

    9月8日7時半から2時間以上、「沖縄フアンクラブ」の理事会に参加しました。参加者の半分近い方が本土出身の沖縄移住で、泡盛、三線を嗜む愛好の、文字通り”本土出身沖縄フアン“の歴々には沖縄出身乍沖縄文化に疎い我と我が身を痛感しました。因みに会長は元日銀沖縄支店長の大澤さん、事務局長は愛娘の大澤まりさん,ご苦労様でした。この日の参加者で沖縄出身は私を含め3人でした。「沖縄フアンクラブ」常任理事会

  • 「毎日記者、取材に来訪!」

    来年「沖縄の日本復帰50週年」を迎えるに当たり、NHK記者からも取材がありましたが、先日は毎日新聞の記者から取材を受けました。趣旨は沖縄復帰以前の沖縄出身者としての本土渡航パスポート保持や国民・厚生年金加入、受給等様々でした。沖縄復帰について私が語った思い出は72年の復帰数年後の裁監督による沖縄水産高校の甲子園での善戦や具志堅用高のチャンピオン獲得による沖縄出身としてのプライド感でした。その後は南沙織や宮里藍等の県出身芸能人やゴルファーの登場で沖縄のプレゼンスは飛躍的に向上したこと。「毎日記者、取材に来訪!」

  • 「埼玉奄美会」役員会

    令和7年で発足50周年を迎える「埼玉奄美会」の役員会が8月29日、浦和コミュニケーションセンターで開催されました。コロナ蔓延最中、流石にこの日の参加者は20人弱でしたが、“重田さん!BLOG拝見していますよ”米寿の先輩役員に声を掛けられビックリ!こうした先輩に出会い“そろそろ年か!”との思いが吹っ飛びました。会は2時間以上延々と“会則見直し”論議で閉会!「埼玉奄美会」とは言え、メンバーは都内公務員や大学講師、金融機関の履歴OB連々、出身は喜界、沖永良部、徳之島と南島出身者が多く、瀬戸内出身は私と2人でした。因みに私は相談役を拝命しています。「埼玉奄美会」役員会

  • 「恩師の思い出!」

    (2008年牧港の介護施設「ポート・ヒロック」に95歳の山元先生と高校先輩・教師のお嬢さんを訪問)先日、ご逝去された中学2年担任の新川初子先生を偲ぶ度に、小学校以降の恩師方々が思い浮かびます。後に校長に就任される奄美大島の古仁屋小学1年時の担任の祷義勝先生は“辰弥君!学芸会の開会挨拶をしなさい!”と言われたことだけが鮮明に覚えています。小学2年、3年の担任は林みつえ先生でしたが、毎週日曜、妹さんとお住まいの自宅に伺い、お食事を頂いた記憶があります。小学4年の時のクラス担任の森江美子先生のご自宅にもたびたび遊びにいきましたが、ある時クラス級長就任を辞退したところ激しく叱責され、以後お宅訪問が出来なくなくなりました。残念ながら古仁屋小学校時代の写真は無いのです(´Δ`;)沖縄の安里(後の安謝)小学6年に転校した時の...「恩師の思い出!」

  • 「伊良皆高吉先生!益々のご活躍を!」

    先日「沖縄音楽三線教室」を主宰する伊良皆高吉先生の事務所に伺いました。というのは神保町から日本橋に引っ越した「沖縄協会」の東京事務所を訪ねた処、何とこの新事務所と私の神田オフイスの中間に伊良皆さんの教室があり、お訪ねしたところ、ネットで三線教室実施の最中にも拘わらず、気さくに対応頂き、恐縮しました。伊良皆さんのお弟子は優に1000人を超すようですがその殆は沖縄出身ではなくヤマトンチュとのこと!5年前の私の神田事務所開設の節は、わざわざご来訪頂きましたが、たまたまこの日は首里城の再建を祈願し「首里の城」CDを作詞作曲し、県外県内はじめ世界に配る旺盛な活動には改めて感嘆です。この日、私も首里城再建に些少ながら貢献と購入させて頂きました。伊良皆先生!益々のご活躍を!「伊良皆高吉先生!益々のご活躍を!」

  • 奄美の「南海日日新聞」紙上に書評が掲載されました。

    先般、野入直美琉大准教授による記述出版された「沖縄―奄美の境界変動と人の移動」~“重田辰弥の生活史”(みずき書林)の書評が「沖縄タイムス」(南風原朝和・前東大副学長著)と「琉球新報」(前泊博盛・沖国大教授著)の沖縄県内2紙に掲載されましたが、先月11日、奄美大島の「南海日日新聞」(雪田倫代著)紙にも掲載されました。これは沖縄視点とは少し違う、奄美視点を感じました。著述の野入さん!掲載3紙と書評3氏に改めて感謝です。有難うございました。奄美の「南海日日新聞」紙上に書評が掲載されました。

  • 「御哀悼!恩師・新川初先生!」

    (2020年五反田事務所へ来訪の新川先生と愛娘の菅ちゃん)先月、恩師の新川初子先生が大阪豊中市の介護センターでご逝去されました。享年95歳、コロナ蔓延でお見送り参席叶わず、衷心より御哀悼申し上げます。先生は昭和18年沖縄県立第一高等女学校から沖縄師範学校に進み、「ひめゆり学徒」として悲惨な戦争体験をされます。戦後沖縄の西原中学で6年間務められた後、私がいた安謝中学二年の担当として来校されましたが1年後に京都に転居され、以来定年まで阪神で教職を務められました。定年退職後は阪神地方唯一の従軍ひめゆり同窓・平和の語り部”として延べ500回を超える講演をされています。その詳細は今でもNETで観ることができます。何故、京都に転居されたのか。それは京都府警勤務のご尊父の元、京都で生まれた先生は、同じ京都生まれの沖縄出身教職...「御哀悼!恩師・新川初先生!」

  • 「終の棲家、自宅リフォーム選択!」

    2012年に自宅のリフォームをしましたが,あれから20年近く年経過し、外壁の汚れや屋根の一部崩壊等があり、この度再リフォームに着手しました。今度も大和ハウス、ポラす等数社から相見積もりを頂いたが、東京RE社に依頼。前回は3カ月近くに引っ越し、転居の工事でしたが、今回は自宅生活中での施工。工事期間は2カ月弱の8月末まで(´Δ`;)。後期高齢、あと何年どう過ごすか女房と議論!自宅での終の棲家選択でした。「終の棲家、自宅リフォーム選択!」

  • 「コロナ蔓延圧しての関東沖縄経営者協会総会!」

    コロナ蔓延の最中、開催実施を迷いましたが、先月29日、神保町の「日本教育会館」で第55回の関東沖縄経営者協会総会を開催しました。流石にこの日の参加者は40弱でしたが、審議は無事終了しました。会場での恒例の懇親会は中止でしたが、高齢の幹部有志8人で神田の「琉の介」での2次会は盛り上がりました。総会参加者の写真を観ていると、県人会同様、メンバーの若返りと世代交代を実感します。「コロナ蔓延圧しての関東沖縄経営者協会総会!」

  • 「久々のジョギング?」

    かって、三田の慶応大学東門向いのアネックス三田ビルで㈱日本アドバンスシステム創業時、社員有志で「ジョギングクラブ」を立上げ、毎週末、東京タワー、芝公園から皇居外苑をジョギングしました。そんな懐かしい思い出もあり、先日久々に神田事務所から鎌倉橋を渡り竹橋通りの皇居周縁近くのジョギングとは言え、ヨチヨチのワーキングでした(´Δ`;)(40年?前社員と共に皇居外苑通りをジョギング)「久々のジョギング?」

  • 「幻の安謝中」

    私は小学6年、奄美大島から沖縄に移住し、転校入学した安里小学校は間もなく安謝小学に校名が変わります。当時、那覇北端僻地の安謝は小中学併校で、1961年に中学が岡野に“安岡中”として校名変更し移動するまで9年間、当時那覇地区では珍しい“安謝小中学校”でした。校長も生徒会長も小中同一で、私が3年の時、生徒会長を務めた安謝中学は今は無き“幻の母校”です。安謝中同期は3クラス、全校でも400人にも満たない弱小学校で、私達は上野山、真和志、那覇中等々当時の那覇のエリート?中学への劣等感に苛まれました。当時の安謝中は“アジャパー中”と揶揄われることがありましたが、当時の岡野地区への移転に伴い安岡中に改名したのでは?安謝中で忘れられない同期には後に「沖縄ジャズ協会」会長を務めるジャズピアニストの屋良文雄と「藤原歌劇団」のオペ...「幻の安謝中」

  • 「第35回武蔵野奄美フーラム」に行って来ました。

    コロナ蔓延の7月18日、武蔵小金井の商工会館で開催された第35回の「武蔵野奄美フオーラム」に行って来ました。この日の講師は元・奄美会副会町長・経営コンサルタントの平栄光氏。科“国際化時代の奄美振興”についHerlthy!Wealty!ResortIsland!と様々な視点から奄美振興の可能性と課題を語られた。後半は西田日東商船㈱社長が持ち前のユーモアーたっぷりの口調で自らの経営経験を語られた。この日の出席者笠利、大和、龍郷、名瀬、瀬戸内、徳之島、和泊、与論、伊仙、天城と奄美各島出身の在京官僚、大学教師、経営者等々40名弱の参加。年2回開催のこの会は講演、交流、懇親会ですが、この日はコロナの影響もあり、講演後の懇親は中止でした。「第35回武蔵野奄美フーラム」に行って来ました。

  • 「屋良朝博沖縄県・立憲民主代表」

    屋良朝博衆議員がさいたま市のギャラリー「南風」(山田しず子オーナー)に来られ、懇談しました。屋良さんは沖縄北谷高校からフリッピン大学に留学という異色の学歴、「沖縄タイムス」に入社し社会部長や論説委員長を経て、国会議員に立候補、当選、先日沖縄県の立憲民主代表に就任されたようです。沖縄タイムスでは現・平良東京支社長と同期とのこと!この日は辺野古基地を巡る補助金や沖縄県内鉄道軌道建設等について議論しましたが、県経済に関する詳細な数値情報の博学には感嘆!「屋良朝博沖縄県・立憲民主代表」

  • 「御哀悼!野村一成会長様」

    (平成18年、摩文仁の平和祈念堂前で)7月4日、同年の野村一成「沖縄協会」長急逝の報に衝撃を受けました。外務省沖縄担当大使として沖縄サミット開催に貢献された縁で清成忠雄(元法政大総長)前会長の後任として第6代目「沖縄協会」長に就任され、以来5年間に亘り会長を務められ、1年に何度か協会理事・協議会でお会いしました。東大法学から外務省、ドイツ、ロシア大使、宮内庁御用掛というエリート役職歴任にも拘わらず、偉ぶるところ些かも無く、たまたま同年の私は沖縄協会評議員として何度か気さくにお話した思い出があります。衷心より御哀悼申し上げます!「御哀悼!野村一成会長様」

  • 「川崎交流館」での上里隆史「江戸上がり」講演

    川崎の「東海道かわさき宿交流館」で開催された上里隆史氏による「琉球王国からの使者」~江戸上がり~講演を聞きに行きました。上里さんの講演は「早稲田大学琉球・沖縄研」や「とかしきなおみモーニングセミナー」等々何度か聞きましたがこの日は“江戸上り”最後の宿泊ルート地とも呼べる川崎での講演。100人程の出席者の殆どは地元在住のヤマトンチュ!それにしても川崎市の運営管理のこの「かわさき宿交流館」のユニークな展示と“街道歩きをもっと楽しくするために”の28回に及ぶ講演主催には感嘆です。会場の「交流館」1,2階には無料で観覧できる川崎市の産業・文化の歴史展示があり、先に川崎駅前に建立された川崎と宮古の絆・“石敢當”の写真も展示されおり、改めて川崎と沖縄の強い絆を感得しました。「川崎交流館」での上里隆史「江戸上がり」講演

  • 「タイムス」「新報」両紙による多角書評

    4月3日「沖縄タイムス」紙の読書欄冒頭で南風原元東大副学長に依って「沖縄―奄美の境界変動と人の移動」~“野入琉大准教授著”(みずき書林)の書評が掲載されましたが、7月11日「琉球新報」紙の読書欄では前泊博盛沖国大教授による書評が載りました。“標準文化媒介する移住”、“移民と移動の読ませる裏面史”とのタイトルに、改めて著者の野入教授の多角的視点を感じました。「タイムス」「新報」両紙による多角書評

  • 今井恒子著:「ウミンチュの娘」(英語版)出版トークライブ

    7月七夕、銀座「わした」で開催された今井恒子関東沖縄IT協議会長の著書「ウミンチュの娘」(英語版)出版のトークライブに参加しました。2012年霞ヶ関の「東海クラブ」で開催された「ウミンチュの娘」(日本語原版)の出版記念パーティでは祝辞の挨拶をしましたが、その後海外WUBメンバー等々からの要請もあり、かれこれ3年間に亘り、8人の内外翻訳メンバーの協力を得て、この度英語版を出版されたようです。この日は、山川夏子関東沖縄経営者協会事務局長(沖縄クラブ東京支局長)の司会で、こうした出版の経緯を今井さんがユーモア―豊かに語り、会場を沸かしました。私は日本語の原本も読みましたが、久々の英語学習を兼ねて今回の英語版を楽しく読んでいます。私は日本語の原本も読みましたが、久々の英語学習を兼ねて今回の英語版は愉快で、Ummaku,...今井恒子著:「ウミンチュの娘」(英語版)出版トークライブ

  • 久々の池袋「みやらび」

    先日、上板橋で開催された「琉球の綾音」公演の帰路、久々池袋の「みやらび」に寄ったら、何とコロナ蔓延にも敗けず?毎日開店、開業とのこと(´Δ`;)この日はたまたま、オーナー礼子師匠の経営する琉舞「冠船流」の懐かしの古参お弟子メンバーが揃っていました。数10年振りの会合にも拘わらず“重田さん!覚えていますよ!”と声を掛けられ、記念撮影!皆さん、優に還暦!古稀連々(^○^)久々の池袋「みやらび」

  • 赤嶺姉妹「琉球の綾音」

    7月3日、上板橋で開催された琉球古典音楽演奏会「琉球の綾音」に行ってきました。出演は赤嶺姉妹に沖縄県立芸大卒の親川遥(琉舞)と細川拓実(唄三線)の4人で、司会はこれまた県立芸大卒の仲里綾香さん。1時間の演奏、100弱の参観者殆どヤマトンチュでした。会場の安静院(瑠璃光堂)は浄土真宗の境内と異色の琉舞演奏会でした。出席の案内を頂いた赤嶺姉妹は私の幼友達の伝説のオペラ演出家・故・粟国安彦が教師を務めた昭和音大と青山短大卒で、オペラ歌唱と琉舞とこれまた異色のトリオです。実はご姉妹との誼はかって、お二人のご母堂がご主人と首里で「沖縄外語学院」を開設運営し、その1期生から何人かの卒業生を私が経営していた㈱日本アドバンスシステムで採用した縁でした。更に現在お二人が経営する琉舞教室が、何と私が創業から20年賃貸していた懐かし...赤嶺姉妹「琉球の綾音」

  • 「沖縄フアンクラブ25周年記念誌」

    今年設立25周年を迎えた「沖縄フアンクラブ」が記念誌を発行しました。25年前、亡・竹田定男元沖縄会長の熱心な勧誘で矢野弾、武原元、笠原光子さん達と立上げに思い出があります。現会長の大澤さんは4代目で事務局担い手も色々変わり、気が付けば設立以来のメンバーで沖縄出身の役員は私だけ?です。(25周年記念誌掲載の私の原稿)「沖縄フアンクラブ25周年記念誌」

  • 「人の逝き方を考える」~終末期医療と尊厳死~源河圭一郎著

    「さいたま赤十字病院」で治療中の私の母が人工呼吸、点滴装置を外され、必死で喘ぐ姿を見て、私は慌てて担当医師や看護婦の部屋に駆け付けたのですが、休日のこの日は全て不在でした。母は平成9年、82歳で逝去しましたが、この日の医師の処方に激しい怒りを覚えたのですが、病院から運ばれる母の遺体に黙祷する担当医師の姿を覚えています。本書を読み、不必要な延命治療辞退の意思表示をしていたこの母の死は尊厳死だったのか?もう少しや安らかな母の逝去方法はなかったのか?とはいえ、睡眠薬や鎮痛剤措置の安楽死は日本では殺人罪になることを本書で知りました!本書で知ったもう一つの衝撃はかって日本NO1の長寿県沖縄は今や全国20位以下に落ちっていること。ところが60歳以上の長寿率はいまも日本一で、沖縄の平均寿命低下は若者の死亡率という。出生率や若...「人の逝き方を考える」~終末期医療と尊厳死~源河圭一郎著

  • 「関東沖縄IT協議会」総会に参加しました。

    先月16日、市ヶ谷のITS「関東ITソフトウェア健保」会館で開催された第53回の「関東沖縄IT協議総会」に参加しました。今から15年前の2006年,㈱エルゴシステムの故・座安社長と今回を立ち上げた時は僅か10数社の参加メンバーでしたが、現在は会員数が70社近くになり、コロナ蔓延、物ともせず各社頑張っています。現会長は初代の私から4代目の今井恒子㈱フロッサ社長。気が付けばこの日参加のメンバーでは傘寿を超えた最高顧問の私が最年長でした。(´;ω;`)紛らわしいのですが首都圏にはこのITS健保協会とは別の東京都情報サービス産業健保組合(TJK)があります。「関東沖縄IT協議会」総会に参加しました。

  • 「源郷・奄美への郷愁!」

    私は朝日、日経、タイムス、新報、月刊奄美と新聞は5紙購読していますが、最も魅かれるのは月刊「奄美」ですね。我が80年の生涯中、奄美在住は小学時代の僅か6年ですが、出自・源郷への言い耐え難い郷愁か!奄美は人口は沖縄県の10分の一と僅か10万人弱ですが、島内には「南海日日」と「奄美新聞」と2紙がありますが、月刊「奄美」は「南海日日」の月刊版で、私の30年以上の愛読紙!「源郷・奄美への郷愁!」

  • 往時茫々!「久々の四水会」

    「四水会」とは20年程前に仲井眞元沖縄県知事の兄・仲井真格さんを囲む会として発足、私も時折参加しましたが、その後仲井眞さんの通産省時代の部下等のキャリアの参加者等が集い、彼らの沖縄への思いが昂じ、しばしば沖縄への痛烈な批判・罵倒が沸騰しましたが、私が赤坂見付のスナック「那覇」で猛烈に反発反論した忘れられ無い思い出があります。その後、「四水会」会長は何代か継承しましたが現在は亡・山城幸松・前会長の子息・真志君がお父さんの遺志を継ぎ、会長を務めています。この日、久々にお会いしたあの日の激論相手の船津さん(^○^)!那覇マラソンでもお会いしましたが、この日、78歳?ながら何と渋谷から会場の東池袋まで歩いて来られたとのこと!20,000歩?2時間以上か!いやはや往年の回顧・思い出話に尽きず湧きました(^○^)往時茫々!「久々の四水会」

  • 「第2回コロナ・ワクチン接種を終えました!」

    6月22日、さいたま市による後期高齢・基礎疾患保持者?接種クーポン券を受け、自宅最寄りの診療所で第2回目のコロナ・ワクチン接種を終えました。同時に予約受けた6人中男性は私一人で他は全て老齢のお婆さんでした。接種後15分、待機させられ後遺症やその対応の説明をうけました。第1回目に比べ第2回の接種跡は固く、多少の違和感が2,3日続きましたがさしたる影響は感じませんでした。接種後遺症事例の報道事例もあり、私の周りには接種を一切拒否している知人もいます。さいたま市のワクチンはファイザー社のようですがインド変異株にどの程度効くか?「第2回コロナ・ワクチン接種を終えました!」

  • 「沖縄映画研究会3周年記念誌」~女優・真喜志きさ子~

    2018年に設立された「沖縄映画研究会」(世良俊和代表)メンバー6人による報告と真喜志きさ子のエッセイ集ですが、中でも印象に残っているのは鈴木耕太氏による1952年の「安謝劇場」1周年記念の渡嘉敷守良による「大川敵打」講演レポート。この前年、奄美から沖縄に移住した懐かしの安謝!しかも、渡嘉敷守良の2代目襲名が私の安謝中後輩の花岡勝子さん。この襲名公演ムプログラムに祝辞を書いた縁です。本書のメインテーマーは女優・真喜志きさ子ですが、御母堂の乙姫劇団・伝説の女優・上間初枝さんとは生前、会食した思い出があります。何と初枝さんのお母様は私と同じ奄美・加計呂麻出身で大阪で沖縄・石川出身の上間さんと知り合い、初枝さんを出産されたようです。私は加計呂麻の訪ね、取材したことがあります。また、大宜味小太郎と並ぶ伝説の沖縄芝居きさ...「沖縄映画研究会3周年記念誌」~女優・真喜志きさ子~

  • 「自宅外壁塗装前の庭木伐採」

    改装から10年経過の我家、外壁に汚れが目立ち、外装塗装、玄関改装の見積もりを依頼したところ、なんと数百万とのこと(´Δ`;)共に高齢を迎え連れ合いへ老齢介護施設への移住等を提案したのですが、女房は断行拒否、最後まで自宅で逝くとの主張!誰が先に逝くか分からず乍ら、終の棲家、改装止む無しか!着工を前に壁際にも生える庭木の伐採を検討したところ“高齢で三脚梯子作業は危険”と知人業者に頼んだところ、1日3万円の格安で見事に伐採してくれました。「自宅外壁塗装前の庭木伐採」

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