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2016/07/19

  • 「思い出の事務所内の掲示書」

    先日事務所に来た友人から事務所に掲げられた書を見て「重田さん!あれ何方の作品?」と聞かれ、この作品の由来を思い出しました。実はこの書との縁は日本アドバンスシステム社を創業した22年期の1990年、通産省の助成金を受け、中国からIT研修生を受け入れたのが縁です。私は締結先の北京の「中国端達装備系統公司信息系統研究所」を訪ねた時、ハルピンで生まれ、6歳まで大連で育った私の閲歴もありと懇親後の研究所スッタフの皆さんから熱烈歓迎を受けました。その時、私が書いた拙い御礼の漢文詩を先方幹部が“これはこうですよ”と修正添削し後に送って来られたのは感激しました。それがこの掲示書で、私の創業の思い出もあり、三田、五反田、神田と40年の事務所移転に伴い、移動掲示しています(´艸`)私は1990年8月この締結の中国紀行を「北京...「思い出の事務所内の掲示書」

  • 「さいたま中央区に変貌した我が町・与野!」

    私はボケ防止に毎日、京浜東北線の与野から神田の事務所に通っています。与野から神田はほぼ50分!社内座席で新聞(日経)読みつつ居眠りの連日(´;ω;`)旧与野は埼玉県の浦和と大宮に挟まれた狭隘な町。3市合併に伴い旧与野市はさいたま市”中央区”となりました。旧与野市の市民には中央区ではなく“よのし”呼称への愛着があり、駅名は与野駅となり、最近は埼玉新都心近く高層マンションが林立し県内随一の開発発展街?になり、悩ましくも我家地価も上昇しています。写真は与野駅ホームから撮った沿路の風景!「さいたま中央区に変貌した我が町・与野!」

  • 新富町「仲宮里」開催ので「ニライ会」

    4月11日、築地で開催された「JK友の会」参加後、新富町の沖縄居酒屋「仲宮里」で開催された「ニライ会」(島袋徹会)参加ました。「ニライ会」とは発足年30年以上続く月1回の交流会。事務局の後藤さんはじめ沖縄出身外の沖縄フアン?も多数参加します。この日も20人超す参加者で盛り上がりました。新富町「仲宮里」開催ので「ニライ会」

  • 「JJK友の会に参加」

    4月11日、銀座「歌舞伎座」に隣接するJJK会館で開催された「第36回JJK友の会」総会に参加しました。JJKとは「全国情報サービス産業企業年金基金」で「友の会」とは加入IT会社を退社した年金受給者の会。加入社は881社でメンバーは122,165人。その内我々年金受給者は全国で26,221人。この日の参加者は0,5%弱の50人?年金受給者だから参加者の殆どは古希以上か?「友の会」ではゴルフ、囲碁、旅行、パソコンスクール等様々な交流会紹介がありました。「JJK友の会に参加」

  • 「町田市で開催された諸見嘉子独演会」観劇

    4月9日、町田市民ホールで開催された(玉城琉敏風喜翔の会)「諸見嘉子独演会」を観劇しました。琉舞には疎い私ですが今回主演の諸見嘉子師匠が副会長を務める東京琉球舞踊協会の“新舞踊『春舞の集い』では”開演乾杯“の音頭を拝命した縁と今回の実行委員長を務める㈱あすなろ報創社長の伊豆味社長による招聘です。諸見会主と伊豆見さんは共に沖縄県・伊平屋村出身で、改めて皆さんの愛郷心を感じました。改めて沖縄出身者が集うJR・小田急線の交差する町田市を知りました。また、諸見会主の琉舞会称”敏風喜翔“には感嘆!「町田市で開催された諸見嘉子独演会」観劇

  • 「上野公園で在京那覇高同期花見会!」

    桜満開4月2日、上野公園で在京那覇高校12期同期が集いました。参加者は女性二人に男性8人の10人!何と高良君は毎年沖縄から参加!参加者の中に毎朝70回の腕立や田町から上野までの10キロ?歩行通勤には驚嘆‼とは言え参加の数名はヨチヨチ歩行(´;ω;`)。久々、和気藹々、悲喜交々の同期集いでした。公園での花見後が上野最寄りの居酒屋で2次会。流石に女性お二人は不参加(´;ω;`)「上野公園で在京那覇高同期花見会!」

  • 「埼玉~尼崎!を一日で往復」

    先日、尼崎で開催された関西須子茂会に行ってきました。須子茂とは我が両親の出身地奄美大島の瀬戸内の村。私達は母方(奥家)のいとこ会は3年に一度開催していましたが、コロナ蔓延と高齢化に伴い“これは最後か”(´;ω;`)と私は埼玉から会場の尼崎・大物(ダイモツ)町まで日帰りで行って来ました。朝6時過ぎ、さいたま自宅を出て乗り継ぎ5回、4時間近く、11時過ぎに会場の「大物会館」に着きました。40人近い参加者、“東京から参加の辰弥さん“と紹介されました。10人近い従弟妹”辰弥兄さん!久しぶり“と賑いました。私より3歳年長の徳子姉さん以外は全て後輩!それにしても私以外は全てが関西在住。過疎、高齢の進む我が故郷・須子茂の人口は何と今13世帯・18人とのこと。この日の島居住者の3倍近い参加に改めて奄美島人の関西への移住を...「埼玉~尼崎!を一日で往復」

  • 「島尻あい子と明日の沖縄を語る会」

    3月28日、千代田区平河町の「ルポール麹町」で開催された「島尻あい子と明日の沖縄を語る会」に出席しました。この日は菅元総理はじめ、歴々の沖縄担当国会議員が登壇挨拶、沖縄からも県議員や村長連が上京出席、会場300人超え満席でした。島尻あい子さんの選挙区は名護、沖縄市等の沖縄北部の3区で、この日は在京の伊平屋、伊是名島郷友会のメンバーも参加していました。島尻さんとは以前四谷「沖縄倶楽部」でカラオケ楽しんだ思い出があります(´艸`)私は島尻さんと沖縄第3区で島尻さんとライバル候補者・屋良朝博さんとも交流があり、悩ましい(´;ω;`)「島尻あい子と明日の沖縄を語る会」

  • 「関東伊平屋会のつどい」に参加して思ったこと!

    3月19日、神保町「喜山倶楽部」で開催された「関東伊平屋会のつどい」の招待を受け参加しました。東京で開催されるこの会は3年振りですが今回は18回目。伊平屋島は奄美の与論島とほぼ同緯の沖縄最北部の離島で人口1400人のようですがこの日は島人口一割近い参加者。改めて在京の島出身者の故郷への愛執を感じました。島からも村長はじめ10名近い役職歴々の上京参加!酒等々島特産品、唄、踊りと華麗豊富な披露に我が故郷奄美の人口減と劣化を思い溜息でした。ほぼ全ての参加者に島特産品の抽選贈与があり私も島特産の泡盛を頂きました。それにしてもこの島の近くには伊是名、伊江島等々の島々があり、改めて上間信久著書「消された南の島の物語―伊の地名は古代神々の道」を思い出しました。「関東伊平屋会のつどい」に参加して思ったこと!

  • 「東京那覇会運営委員会に参加しました」

    3月25日、神宮前の「瑞木工房」社で開催された東京那覇会運営委員会に参加しました。「東京那覇会」とは今年で発足75年になる在京の旧那覇市(那覇・真和志村)出身者による交流・懇親会。会員は200人前後。他の沖縄関係団体と少し違うのは毎回アカデミックな講演がある特異な会です。初代会長は外間守善法大沖縄文化研究所長で現会長は城岳同窓会の庄司マサエ先輩。今回のテーマーは5月21日例会での川平朝清さんへの講演依頼。「東京那覇会運営委員会に参加しました」

  • 「銀座”沖縄台所“「ぱいかじ」でのビジネス交流会」

    3月15日、関東沖縄経営者協会主催のビジネスナイトミーティング(第6回)に参加しました。50人近い沖縄関係の異業種経営関係者の自己・製品紹介と交流交換は盛り上がりました。開催場所の銀座”沖縄台所“「ぱいかじ」オナーは沖縄出身で経営協メンバーですが、料金さほど高くなく、沖縄料理メニュー豊かで、近隣の銀座で働くホステスさん達がクラブ終了後、朝5時頃まで会食で集う有名な繁盛店のようです。「銀座”沖縄台所“「ぱいかじ」でのビジネス交流会」

  • 「紀尾井ホール開催の早大OB合唱団演奏会拝聴」

    3月21日、四谷の伊尾井ホールで開催された「早稲田大学OB合唱団」第2回演奏会の招待を受け拝聴?参加しました。案内頂いのは大浜多恵子関東城岳同窓会長。「え?大浜さんはお茶大卒では?」と問い合わせたところ、この「早大OB合奏団」の女性団員は早稲田以外も多いとのこと!演奏は50人のさながらボケ防止の高齢メンバーによる1,2,3部と12曲の合唱!私はオープニングの「365日の紙飛行機」「春よ、来い」の2曲以外はチンプンカンプン(´;ω;`)演奏後は大浜さんから招待頂いた同窓会メンバー8人で懇親会でした。大浜さん、招待有難う御座いました(´艸`)「紀尾井ホール開催の早大OB合唱団演奏会拝聴」

  • 「久々、名門すき焼割烹・人形町「白山」でIT/SP例会」

    3月17日人形町で久々のIT/SP例会。IT/SP会とは首都圏でのIT創業企業経営者OB懇親会。メンバーは大半東証一部上場の創業者等々歴々ですが私は最小企業の創業者。参加者全て80歳以上で、話題はいつもながらゴルフと病歴体験談(´艸`)場所の「白山」は4代目・100年?近い歴史のすき焼割烹の名門店!お昼食ながら代金は一万円(´;ω;`)「久々、名門すき焼割烹・人形町「白山」でIT/SP例会」

  • 「琉舞協会・新舞集いで開会乾杯拝命に恐縮」

    3月12日、神保町の日本教育会館「喜山倶楽部」で開催された東京琉球舞踊協会(瑞慶山和子会長)の『春舞の集い』の招待を受け、仲松県人会等長、新垣経営協会長と共に参加しました。恐縮なことに開会の乾杯音頭の指名を受け、シドロモドロ(´艸`)でした!華麗な琉装メンバーの集い舞には感嘆でしたが、最もビックリしたのは来賓の96歳の川平清朝元県人会長の矍鑠たる歩みと得意の朗々たる“ベートーヴェン第9”詠唱には仰天でした!「琉舞協会・新舞集いで開会乾杯拝命に恐縮」

  • 「東京ニライ会」例会に参加

    コラナ蔓延でここ数年休会していた「ニライ会」(島袋徹会長)例会が3月14日、池袋「みやらび」で開催され、参加しました。“海の彼方の楽土”ニライカナイ“から名ぞったこの「ニライ会」とは琉舞・冠船流の川田功子師匠の亡・ご主人達有志が数10年前に立ち上げた在京沖縄関係者の懇親会ですがヤマトンチュの参加者が多いのが他と違った特色です。長きに亘り、事務局長として会を支えて頂いているのは元岩波書店編集員の後藤さん、本当に有難う御座います。「東京ニライ会」例会に参加

  • e-Taxで確定申告完了!

    確定申告の期限は15日ですが、先週何とか申請完了(´;ω;`)ボケ防止と昨年に続きマイナンバーカードで試みたのですが、なかなか上手く行かずe-Taxで医療機関、薬局毎の領収証分別と入力に1週間近く奮闘!後期高齢、医療費、寄付金等々に10万円を超し“申請受理!還付金3800円”との返信にヤレヤレと達成感(笑)でした。e-Taxで確定申告完了!

  • 「久々、沖縄で旧NAS社員と皆合!」

    先週、那覇のパシフックホテルで開催された沖縄協会(公益財団法人)の評議員会出席のため3ヵ月の沖縄訪問。会議の後、久々に旧NAS(日本アドバンスシステム・現CIJネクストス社)の社員と会合。静岡出身・津田塾卒の松田さんは沖縄の海洋文化に魅せられ、NAS入社以来40年以上の沖縄移住勤務。沖縄初のIT専門校CSC学院卒、NAS入社以来今年で還暦を迎えるまでNASで勤続の仲宗根君。皆NAS入社以来30年以上勤続!よく頑張ったね!還暦超える松田さんは40年か(´艸`)往時茫々、夢の如し!(´;ω;`)沖国大、浦添工業高校卒の両君、入社以来40年以上の沖縄事業所勤続!「久々、沖縄で旧NAS社員と皆合!」

  • 「白金台の沖縄フェアー」

    3月8日、白金台プラチナ通りの「MuSuBu」で開催された“沖縄食フェアー”新垣進会長と参加!沖縄ライフスタイルアドバイザー玉城久美子さんも!ここは毎年”沖縄黒糖フエアー“等が開催されています。「白金台の沖縄フェアー」

  • 「沖縄協会・評議会に出席しました。」

    (摩文仁・平和祈念堂前で!)先週、那覇のパシフックホテルで開催された沖縄協会(公益財団法人)の評議員会出席のため3ヵ月振りの沖縄訪問。沖縄協会とは南方同胞援護会を起点に糸満市摩文仁の平和祈念堂の運営管理はじめ沖縄研究奨励、青少年勉学支援等様々な沖縄振興、平和活動組織です。元・早稲田大学長の大濱信泉初代会長から現在は第7代の清水治会長(早大教授)です。協会には理事会と評議会があり、理事会メンバーには総務省、県庁役員OB歴々や歴代東京沖縄県人会長が選任されますが、現仲松東京沖縄県人会長も就任しています。私は2006年協会での講演を切つ掛けに当時の小玉正任会長より、就任依頼を受け、以来今年まで17年に亘り評議員を拝命しています。今は協会の東京事務所を獅子奮迅一人で管理仕切っている木村さん支援?に週1回ほど訪問し...「沖縄協会・評議会に出席しました。」

  • 上地哲さん、上京講演有難う御座いました!

    3月2日、エッサム神田ホールで、関東沖縄経営者協会の第14回経営セミナーが開催されました。この日の講師は沖縄から上京の上地哲さん!上地さんは法政大学を卒業後、東京沖縄県人会の青年部活動、銀座の沖縄県アンテナ―ショップ「わした」の初代店長を務め、沖縄に帰京後は空手活動(9段教師)をしつつ、株式会社デジタルあじまぁを設立する等多彩な活動をしつつ「沖縄県よろず援拠点」チーフコデネターに着任します。「よろず支援拠点」とは10年前に中小企業庁が全国に展開する地元中小企業への経営相談コンサルタント組織。実は私は上地さんとは東京在住時代から親交があり、デジタルあじまぁ社の設立にも協力しました。この日50余名の参加者は上地さんの大学卒以降の様々な閲歴経験や「よろず支援拠点」の加活動報告には感嘆でした。上地さん、ご多忙な最...上地哲さん、上京講演有難う御座いました!

  • 「御目出度う!仲村巌さん!」

    2月28日、那覇市のパシフックホテルで開催された(公)沖縄協会の評議員会参加のため3か月振りの沖縄。たまたま、この日の午後、琉球新報ホールで開催された「第45回琉球新報活動賞」贈呈式に、仲松健雄東京沖縄県人会長とこの日の受賞の仲村巌元日産ディーゼル社長の祝賀のため参加しました。仲村さんは毎年”外界志向“の沖縄出身の若手を表彰、賞金を贈与する「ロッキーチャレンジ賞」主宰が表彰されました。仲村さんには20006年、新橋第一ホテルで開催された関東沖縄経営者協会40周年大会で記念講演頂く等大変お世話になりました。表彰式後、新報ホールで開催された祝賀会には普久原現社長以下歴代の新報社長、東京支社長歴々懐かしい皆さんにお会いできましまた。仲村巌さん、受賞おめでとうございます!「御目出度う!仲村巌さん!」

  • 「同窓会参加の僥倖( ´艸`)

    昨日、大崎で開催された「関東城岳同窓会」役員会に参加しました。関東城岳同窓会とは、首都圏に暮らす、沖縄県那覇高校卒の同窓会。最近は若手?会員が増えて以前より多少若返ったか?大崎ゲートシティウエストタワー地下の北海道店での二次会で盛り上がりました。このビル22階のCIJネクスト社の旧(株)日本アドバンスシステム社員との面談を試みましたが、日曜のこの日は会えず、残念(´;ω;`)この会に参加していつも感ずるのは私より4歳上の8期(86歳裁)先輩連の元気。活気です。ともすれば“そろそろ年か!”と思う我と吾が身、叱責、激励されます。これこそ、同期会参加のメリット僥倖か(´艸`)「同窓会参加の僥倖(´艸`)

  • 有楽町「電気ビル」で奄美IT懇話会

    コロナ蔓延で暫く休止していた「関東奄美IT懇話会」の新年会に参加しました。この日の参加者は6人、Zoom4人。会場の有楽町「電気ビル」は原会長のアブストラク社が五反田TOCビルから引っ越して来た縁。「奄美IT懇話会」とは今から14年前私達が立ち上げた在京奄美出身IT企業者の交流会。今回の主要議題は故郷奄美の貧困児童の支援サポートと10年振りの故郷・奄美での総会開催でした。有楽町「電気ビル」で奄美IT懇話会

  • 「神田会での奇縁・遭遇にビックリ」

    毎月、神田「琉の介」で開催される「神田会」、今回は文京区湯島のイタリアンレストラン「ビストログラッソ」で開催。このお店イタリアレストランと言いつつ素材は高知県産品とユニークなお店。神田会とは在京高知・土佐出身と沖縄出身有志の懇話会。発足の切っ掛けは私が創業した日本アドバンスシステムとM&A合併した㈱CIJの会長を務められた高知出身の中野会長との縁。今回ビックリしたのはこのお店を経営する神田会メンバーの高知出身の山下さんと私の早大西洋史クラス同期の堀美智子さんの御子息とお付き合いがあり、堀さんも度々このお店に来られとのこと。高知・沖縄・早稲田(西洋史)の奇縁・遭遇には堀さんと共にビックリ、語り合いました。因みに厚木稲門会の女性部長を務める堀さんの依頼で、かって厚木稲門総会で「早稲田と沖縄」テーマーで講演した...「神田会での奇縁・遭遇にビックリ」

  • 「奄美出身・大相撲力士 明生」応援パーティに参加

    先日、芝公園の「東京プリンスホテル」で開催された大相撲力士小結明生(立浪部屋)の応援会に参加しました。明生力士は我が故郷、奄美大島瀬戸内出身。奄美出身大相撲三役は朝潮以来か?私が後援会に入会しているのは奄美IT懇話会長を務める後援会長原君による再三の勧誘(´;ω;`)この日、2万円と高い会費にも関わらず100人を超える参加者。改めて在京奄美出身者の郷土愛を感じました。「奄美出身・大相撲力士明生」応援パーティに参加

  • 「歓々迎〃!烈女!]

    先日、養秀(首里高)、早稲田(商学部)の後輩女性が来訪!大学卒業後、人材育成セミナーコンサルタント会社に幹部として勤務、赤門卒ながら農耕異色の製品会社経営の旦那と成婚、お二人にお子さん育てながら並業主婦、人材育成セミナー会社を再度創設活躍、我らが誇りの脅威の在京沖縄出身女性!お名前は“豊、益々増え加わる代〃宮々城〃!!「歓々迎〃!烈女!]

  • 渋谷で開催の「沖縄フアンクラブ」例会

    先日、渋谷の「アシビナー」で開催された「沖縄フアンクラブ」で開催された忘年会に参加しました。「沖縄フアンクラブ」とは元々沖縄に駐在した政府OB職員や本土企業の沖縄支社勤務経験の本土出身者の会で、発足時の沖縄出身者は私一人で“沖縄出身者が自分のフアンクラブを作り入会するのは”と躊躇しましたが、創設者の竹田会長の強い勧めもあり、入会しました。現在会長は元日銀支店長の大澤さんが務め、事務局も息子さんやお嬢さんが務め、HPの維持管理は沖縄出身の平良君が務めています。この日の参加には平良君、玉城さんと沖縄メンバー(´艸`)久し振りの渋谷の沖縄居酒屋でしたが、回路多い渋谷縷々ウロウロ迷いました。渋谷で開催の「沖縄フアンクラブ」例会

  • 「後期高齢クラス交友会」

    2月8日、吉祥寺「梅の花」で久々の早大一文「西洋史」同期クラス。参加者は1,2,3浪の傘寿過ぎの5人。昭和41年卒の50人近い我々早大一文西洋史専攻クラスは男女半々(´;ω;`)ビックリしたのはクラスの女性は殆ど現役に対し、男子は現役数名で殆ど浪人。それも1r浪から何と浪まで!3浪の私は男子クラスメートの平均年?この日参加の5人にも現役入学が0で一浪、2浪に私を含め3浪2人!私以外は皆中高教師、出版記者OB。流石文学部西洋史専攻共々(´艸`)私だけが異色か??この日の話題は病療歴、夜間頻尿、歩行難と後期高齢共有談に盛り上がりました”乾杯”!「後期高齢クラス交友会」

  • 「沖縄のことを聞かせてください」;宮沢和史著(双葉社出版)

    具志堅用高(ボクサー)、山城知佳子(現代美術家)、大工哲弘(八重山民謡家)、又吉直樹(芸人、作家)、中江裕司(映画監督)、野田隆司(桜坂劇場プロデューサー)島袋淑子(元ひめゆり学徒員)、普天間朝佳(ひめゆり平和祈念資料館長)、平田大一(演出家)西由良(コラムプロジェクト家」等10人の沖縄著名人インタビュー記。私はこのインタビュー記載の10人中、具志堅さんと平田さん二人とは面談したことがあり、他の方々の活動領域は側聞していますが、野田、西さんお二人の活動は初めて知りました。「島唄」作詞作曲歌手の宮沢和史さんが芸能に限らず、文学、歴史、スポーツと幅広い沖縄への関心、思い入とその著作活動には感嘆です。「沖縄のことを聞かせてください」;宮沢和史著(双葉社出版)

  • 「板橋区沖縄県人新年会に出席」

    (坂本区長に握手挨拶の花城板橋区県人会長・仲松東京沖縄県人会長)2月5日、板橋の大山「グリーンホール」で開催された板橋区沖縄県人会(花城昇宏会長)の新年会に参加しました。この県人会の特色は毎年大勢の本土出身沖縄フアンが参加することです。この日も200人参加者中半数近い参加者が県外本土出身の沖縄フアンか?これもあれも花城会長ご夫妻、大城朝夫名誉会長他役員歴々の旺盛な琉球舞踊、三味線教室のメンバーの皆様か!この板橋県人会は練馬県人会と並ぶ都内双璧の沖縄県人会!もう一つの特色は毎年板橋区に車椅子を寄付する等の社会奉仕活動。その為もあり、毎回、主賓として板橋区長が出席、祝辞挨拶をします。この日も花城会長と大城名誉会長が坂本板橋区長に車椅子目録を寄贈しました。会の終わりには抽選会があり、私も黒砂糖の抽選品が当たりま...「板橋区沖縄県人新年会に出席」

  • 新「銀座わした・ショップ」グランドオープン!

    銀座1丁目の沖縄県のアンテナショップ「銀座わした」がJR有楽町駅東口向かいの「東京交通会館」へ移転、2月1日、新垣関東沖縄経営者協長とグランドオープンに行ってきました。この交通会館には北海道はじめ全国13県のアンテナショップがあるようです。店舗面積は以前より少し狭隘でしたが駅前のせいもあり来客は満杯でした。店舗前では伊良皆高吉師匠グループの琉歌演奏があり、その司会役のシーサー玉城さんと記念撮影。新「銀座わした・ショップ」グランドオープン!

  • 「OSI研究会」新年会に参加

    2月3日、川崎の「煌蘭」店で開催された【OSI勉強会・新年会】に参加しました。「OSI研究会」とは20年前、百瀬明大名誉教授によって設立された沖縄の観光産業振興支援の勉強会です。設立当初は新橋の㈱沖縄ツーリスト支社で講演会が開催され、私もしばしば参加しましたが、最近は菅原さん以外沖縄出身者の参加は少なく、殆どヤマトンチュ会の様相になりました(´;ω;`)今回の講演はURリンケージ社の藤島役員による「UR都市機構における集合住宅の変遷」。講演後のQ&Aで私は“沖縄の都市開発についてと”拙い質問をしました(´艸`)「OSI研究会」新年会に参加

  • 「ないしょ話」~當山護美容整形医師著

    本書は那覇市久茂地川に壮麗な美容整形医院を経営する當山護医師が開業70周年記念誌として沖縄タイムス社が毎週発行するフリーマガジン『ほ~むぷらざ』誌に10年近く投稿掲載したコラム・エッセイ集。内容は九九様々ですが、印象深いのは時に旦那(著者)の睫毛を刈る等々情愛深いカミさん(奥様)への愛唱記か(´艸`)。実は著書の當山医師は私の高校同期で、沖縄に出張時に何度か医院最寄りのスナック「淡々」で飲み合いました。忘れられないのは彩色兼備と言わずものながら文武両道の著者・當山君の高校時代、グランドを走る彼の姿にワーワー!と奇声・歓声を挙げる後輩女性達の姿が忘れられません。また、際立った美麗な妹さんの姿も覚えています。こんな一家揃っての美麗一家ながら、尊父の医院を継いだ彼が同じ東京医科大卒のご子息に院長を譲る見事な医業...「ないしょ話」~當山護美容整形医師著

  • 「那覇会の運営委員会に出席しました」

    1月28日、三軒茶屋の「銀座アスター賓館」で開催された「東京那覇会」(庄司マサエ会長)運営委員会に参加しました。「東京那覇会」とは在京の旧那覇市(那覇・真和志村)出身者による懇親会。懇親会とは言え、他の沖縄関係団体と少し違うのは単なる飲み懇親ではなく、毎回アカデミックな講演がある特異な会です。これは長きに亘り、会長を務めたて故・外間守善法大沖縄文化研究所長の運営意向があったのか。前回(2019年)開催された講師は祝嶺恭子沖縄県立芸大名誉教授(県指定無形文化財保持者)でした。今回のテーマーは5月開催予定の講師をどなたにするかの論議でした。岩崎りり子運営事務局長!いつも本当に御苦労様。「那覇会の運営委員会に出席しました」

  • “重田さん!ようこそ!”と玉城デニー知事挨拶仰天!~ 「沖縄観光感謝の集い」

    1月26日、渋谷の「センチュリタワー東急ホテル」で開催された沖縄県主催の“沖縄観光感謝の集い”の招待を受け参加しましたが、会場入口で参加者を迎える玉城デニー知事から“重田さん、ようこそ!と声を掛けられビックリ!衆議員時代パーティでお会いしたのが切っ掛けで名前を覚えられたのは本当に驚きでした。益々のご活躍を!これは沖縄県が観光振興への感謝と宣伝を兼ねて毎年東京、大阪、那覇で開催のイベントですが、今回はコロナの影響もあり3年振り!かつては国仲蓉子や知花くらら等沖縄を代表するやタレントが登場しましたが、近年は出演コストが高いのかタレントの登場は見えませんが今回はミス沖縄の司会でした。今回の「伊是名の会」による”かぎやで風”オープニングには、主催の沖縄県・OTBのタイムス、新報派と首都圏に並立する琉舞会派への懊悩...“重田さん!ようこそ!”と玉城デニー知事挨拶仰天!~「沖縄観光感謝の集い」

  • 「ニューオータニホテルで開催の“新春の集い”」

    (来賓・国会議員の挨拶)1月月23日、紀尾井町ニューオオタニホテルで開催された恒例の関東沖縄関係団体協議会主催の「新春の集い」に参加しました。この会は東京沖縄県人会、関東沖縄経営者協会はじめ江東、板橋、川崎、練馬、宮古、八重山、伊江島郷友会等々在京沖縄関係団体の合同集い。この日は沖縄県選出の国会議員5人はじめ200人近い参加者で盛り上がりました。(高良参議員と柳井琉舞家~城岳同窓(´艸`)(県人会女性スッタフと(´艸`)「ニューオータニホテルで開催の“新春の集い”」

  • 「おきでん“対話旬間”来訪」

    沖縄電力支社長・副支社長お二人が関東沖縄経営者協会神田事務所に来訪されました。これは毎年ある沖電の社会活動「対話旬間」の活動です。「対話旬間」とは毎年1月16日から25日の10日間、地域との懇談活動という沖縄電力社の社会活動の一つです。今年で第45回目です。支社長、副支社長わざわざの来訪有難う御座いました。「おきでん“対話旬間”来訪」

  • 「コロナ押しての関沖IT協役員懇親会」

    コロナものともせずとは言わずながら、先日新富町の沖縄居酒屋「仲宮里」で開催された関東沖縄IT協議会役員による新年会に参加しました。いつもながらヤマト出身の若手女性幹事の元気さには圧倒されました(笑)。二次会は最寄りのカラオケ居酒屋「純」で今年初のカラオケ満喫でした。私は関東沖縄IT協議会は二次会懇親会が一番楽しく恐縮の極みです!「コロナ押しての関沖IT協役員懇親会」

  • 「沖縄女性の旺盛エネルギーに感嘆!」

    昨日那覇高、琉大、早稲田(琉球・沖縄研)と全ての同窓後輩の奇縁のYさんが来訪されました。Yさんは琉大卒業後、東南アジア諸国でインターンショナルボランテイアー活動で知り合った彼と知り合い結婚、息子さん二人を育てました。琉大卒業後、早稲田大学アジア研究機構の事務局として長く勤務時代の彼女と那覇高校同窓が縁で知り合いましたが、数年振りの来訪でした。今は上場会社の㈱シャルルの代理店として活躍,改めて沖縄出身女性の旺盛なパワーに感嘆!「沖縄女性の旺盛エネルギーに感嘆!」

  • 「浦和稲門会の新年懇親会に参加」

    1月14日、浦和ロイヤルパインズホテルで開催された浦和在住の早稲田大学OBによる新年会に参加しました。今期はコロナ蔓延の影響か、参加者は50余名(´;ω;`)ジャズバンドシンガーによる余興と新春福引。私は福引でコーヒが当たりました。なんと3月に20人近い旅行クラブメンバーが2泊3日の沖縄旅行とのこと!沖縄出身の私は参加するかどうか悩ましく。〆は恒例の“都の西北、早稲田の森に!と”校歌斉唱!(ワセダ!ワセダ!斉唱で閉め!)「浦和稲門会の新年懇親会に参加」

  • 「経営協新年理事会」

    2023年1月12日、神田事務所で関東沖縄経営者協会の新年理事会が開催されました。今回のメインテーマーは経営セミナー、ビジネスナイトミーティング、ゴルフコンペ等の活動予定審議でした。当会メンバー構成も関東生まれの沖縄二世と年々若返り、世代交代が進んでいます。「経営協新年理事会」

  • 「OB社員、ようこそ来訪!」

    私は創業30年間に沖縄から300人近い社員を採用しました。その中心メンバーが琉球大学(工学部)と浦添工業高校(情報技術科)でした。国立の琉大工学部卒は多く日立や富士通の上場大企業就職が殆どで零細IT企業の当社が何故この両校から採用できたのか?それは当時の琉大工学部長が私の高校同期で、浦添工業高校の情報処理科担当教師が那覇高校同窓という縁でした。両校からそれぞれ30余名の採用でしたが、浦添工業高校は1期生から20期まで採用していました。こうした縁もあり、両校からは毎年就職セミナーの講師を依頼されました。この日来社したT君は浦添工業高の3期生で生徒会長も務め、入社した当社に26年勤続、会社合併を契機に退社し今はテクノロジーコンサルタント会社で営業担当として活躍しています。T君、ようこそ来訪!益々の活躍を!「OB社員、ようこそ来訪!」

  • 「北本寿命院に両親墓参」

    先週の日曜日、墓清掃のため妻と埼玉県北本の寿命院に行きました。私は大学進学のため沖縄から上京、就職5年目両親を埼玉に呼び、その後逝去した父をこの埼玉県北本の寿命院境内の墓地に埋葬しました。その後、82歳で逝去した母の埋葬墓でもあります。今沖縄から上京、本土で就職する沖縄県出身若者の多くはUターン!と故郷・親元に帰るのが普通ですが、奄美出身の私達の世代は“親は帰るところではなく、呼び寄せるもの!”が当時のセオリー?でした。私の両親の祖母祖父の墓は故郷奄美の加計呂麻・須子茂にありますが、親族の殆どが関西に移住し、墓参清掃がなかなか難しく(´;ω;`)私と女房、妹・弟は共にこの寿命院重田墓地に埋葬か!(境内で女房と)「北本寿命院に両親墓参」

  • 「神田事務所での那覇会・幹事会」

    関東沖縄経営者協会事務局と併存の神田事務所は関東城岳(那覇高・二中)同窓会の役員会等にも利用されましたが、先々月は那覇会の役員会。「那覇会」とは元法政大学教授で沖縄文化研究所を設立した那覇市出身の亡・外間守善さんが初代会長を務めた在京の旧「沖縄那覇」出身者の講演懇親会で、メンバーによる会報も発行され、私も一度講演、会報執筆したこともあります。コロナ蔓延でここ数年、活動停止ですが、この日の役員会では今後の活動開始についての論議でした。「神田事務所での那覇会・幹事会」

  • 「パセラリゾーツ銀座」で関東沖縄IT協議会忘年会

    (沖縄県東京事務所長はじめ来賓の歴々)コロナ蔓延の最中、連日「忘年会」ですが12月14日は「銀座」で開催された関東沖縄IT協議会の忘年会に参加しました。参加者は70余名!首都圏でIT業界他様々活躍する沖縄出身若者の参加で大いに盛り上がりました。(締め‼乾杯!)「パセラリゾーツ銀座」で関東沖縄IT協議会忘年会

  • 「川崎市鶴見区で比嘉孝さん県功労祝賀会」

    先月末、神奈川県鶴見市の沖縄居酒屋で比嘉孝(前川崎沖縄県人会長)さんの「沖縄県功労受賞」の祝賀会に参加しました。参加者か金城川崎沖縄県人会長はじめ、琉球新報、沖縄タイムス両東京支社長等々有志。川崎市鶴見には沖縄出身者が多く活動しています。川崎沖縄県人会は大阪沖縄(大正区)県人会と並び共に「県人会館」を保有する国内沖縄県人会の双璧と言えます。「川崎市鶴見区で比嘉孝さん県功労祝賀会」

  • 「ニライ会」望年会

    忘年会・連日ですが13日、池袋の「みやらび」で開催された「ニライ会」の忘年会に新垣関東沖縄経営者協会長と共に参加しました。“海の彼方の楽土”ニライカナイ“から名ぞったこの「ニライ会」とは琉舞・冠船流の川田功子師匠の亡・ご主人達有志が数10年前に立ち上げた在京沖縄関係者の懇親会。現在の会長は島袋徹(元凸版印刷専務)さんですが、事務局長として長く会を支えて頂いているのは元岩波書店・編集員の後藤さんの尽力には感謝に堪えません。この会の忘年会はいつも「望年会」と称します(´艸`)85歳とは思えぬオーナー・功子師匠の何時ながらの元気さには感嘆です。「ニライ会」望年会

  • 「久々の大宮・氷川神社訪礼」

    先週日曜、久々に大宮「氷川神社」に行って来ました。この神社はさいたま市大宮区高鼻町にありますが、東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本社で他と区別するため「武蔵・氷川神社」と呼ばれています。埼玉の大宮市はこの神社を「大いなる宮居」と称えたことに由来するとのことです。私の住むさいたま中央区(旧与野市)の自宅から徒歩30分余で、時折ジョギング?訪問しています。正門隣接?には那覇高後輩・山田さんの別邸ジャラリ―「南風」があります。(氷川神社正殿近くのギャラリー「南風」「久々の大宮・氷川神社訪礼」

  • 「久々の箱根合宿」

    3か月1回のIT/SP会、コロナ蔓延でここ数年停滞でしたが、先日久々にTJK(東京都情報サービス協会)保養施設「箱根の森」で1泊合宿開催。浦和発東海道本線小田原で箱根湯本線に乗り換え、箱根登山鉄道の「彫刻の森」で下車、徒歩2分の保養施設。ITSP会とはIT企業経営者のOB会で今回の参加者は8人、平均年齢は80歳。相変わらずのゴルフ談義と病状経験談。ゴルフ談義不加入は私一人(´;ω;`)に病歴交換談義不加入は他の一人(´艸`)でした。参加者には東証一部上場企業創業者等歴々ながら、弱小零細企業創業は私一人(´;ω;`)翌日、隣接の「彫刻の森美術館」散策帰宅でした。「彫刻の森美術館」一景「久々の箱根合宿」

  • 「関東沖縄経営協忘年会」

    コロナ蔓延で懸念されましたが12月8日、神保町の「喜山倶楽部」(日本教育会館)で関東沖縄経営者協会(新垣進会長)の第56回忘年会を開催しました。出席者が80余名!今回のメインイベントは沖縄県功労受賞の比嘉孝(元川崎沖縄県人会長)さんの祝賀。赤嶺姉妹の華麗な開会琉舞・カギヤデフーで場内賑わいました。(開演舞の赤嶺姉妹)「関東沖縄経営協忘年会」

  • 「久々の会合・会食」有難う!

    (かって東京での出会い!今や沖縄で大活躍の3女)先日開催された「世界のウチナワンチュ大会」での沖縄訪問、久々のガールフレンド??に会いました(´艸`)かつて東京での出会いの皆さん、沖縄に帰省し今や地元マスコミ社の管理職、県議会事務所の要職、県庁や総合事務所(中央官庁沖縄支部)等々の課長、飲食店経営と活躍の皆さん、ご多忙な最中よくお時間頂き僥倖至福の時でした。さながら”重田を送る会“か(´艸`)久しぶりにお会い出来て良かった!美らカーギ皆さん、益々のご活躍を!(沖縄県部長・課長として活躍)(沖縄総合事務所・県庁の要職両課長)「久々の会合・会食」有難う!

  • 「懐かしの沖縄事業所訪問」

    先日の「世界のウチナワンチュ大会」参加の沖縄訪問で“懐かし”のCIJネクスト社(旧日本アドバンストシステム社)の那覇事業所を訪ねました。事務所には私が沖縄国際大学から採用した仲村君が所長を務め、浦添工業高校一期?採用の宮城君に久々会いました。何かと退職・離職の高い沖縄県ながら二人は入社以来、間もなく定年を迎えるまでの永年勤続!本当にお疲れ様!二人以外にも日本アドバンストシステム創業時採用した永年勤続の松田さんや仲宗根君とも会いました。皆さんご苦労様!「懐かしの沖縄事業所訪問」

  • 「世界のウチナワンチュ大会」に参加しました。

    10月30日から11月3日、沖縄で開催された5年に一度の「世界のウチナワンチュ大会」に参加しました。ハワイ、南米、アジア等海外13国から沖縄系2世、3世の1600以上に国内から3000人以上の参加でした。私は玉城デーニ沖縄県知事から「美ら島沖縄大使」「WUB東京」「東京沖縄県人会」「沖縄フアンクラブ」等々のメンバーとして招待を受けた各クラブ団体イベントの重複に往生しました。(東京沖縄県人会として国際通りパレードに参加)「世界のウチナワンチュ大会」に参加しました。

  • (数年振りの関東城岳同窓会)

    数年ぶりに関東城岳同窓会(沖縄県立二中・那覇高)が開催されました。この日の山城雄一郎順天堂大学名誉教授(13期)の講演には衝撃を受けました。かつて全国一の長寿県沖縄は今や全校最低の短命県?になり、子供の肥満性も高いこと!これは車社会で歩行少ない県生活や脂肪高いアメリカ食文化?の浸透等々。関東城岳同窓会は大浜多慧子会長はじめ、事務局担うメンバーに若手女性が増える世代交代を感じました。それと共にこれまでは参加の見えた旧制二中の先輩メンバーの参加が今回は全く見られなかったことです。今回の参加者は50余名でしたが、我が12期参加者は私を含め3人(´;ω;`)でした。(数年振りの関東城岳同窓会)

  • 関東沖縄IT協議会総会

    (関東沖縄IT協議会HPより)新大久保の健保会館で開催された関東沖縄IT協議会の総会に参加しました。本日のセミナーは関東沖縄経営者協会理事の㈱沖縄物産センターの下里社長による講演。テーマーはNHKで放映された朝ドラ「ちむどんどん」と横浜鶴見の関りに改めて”沖縄タウン鶴見”を認識しました。私が関東沖縄経営者協会長を務めていた時、下里君のお父さんには副会長として大変サポート頂きました。下里君の活動を聴き、改めて関東沖縄経営者協会が沖縄出身二世による継承を感得しました。また、この日の多くの経営協若手メンバーの参加に、改めてIT協の協調連携を感じました。関東沖縄IT協議会総会

  • 「翁長前沖縄知事との思い出」

    (平成28年・翁長知事より県功労章拝受)先日「沖縄県知事」野添文彬著を読み、歴代沖縄県知事との出会・懇談?を思い出しました。今回は2018年67歳、すい臓がんで“逝去した”イデオロギーよりアイデンティティー”フレーズで有名な翁長前沖縄県知事との出会!翁長さんの御尊父は私が小中学を過ごした当時の沖縄県真和志村長、安謝の自宅前を通られるのを何度か拝見しました。翁長さんは那覇高の同窓?ですが知事前の那覇市長時代何度かお会いし歓談した記憶があります。(那覇市長時代~2000年・甲子園で母校那覇高応援)(那覇で仲本淳英さんを囲む会)「翁長前沖縄知事との思い出」

  • 「早大スポーツアリーナ―で我名を発見!恐縮の極み(´;ω;`)」

    先日、「大濱総長・沖縄展示」観覧に久し振りに早稲田大学に行き、懐かしの文学部「戸田キャンパス」と隣接のスポーツアリーナを訪ねたところ、地下階の“早稲田大学への寄付者一覧”我と吾が身の名前刻印を発見!少額ながら恐縮の極み(´艸`)「早大スポーツアリーナ―で我名を発見!恐縮の極み(´;ω;`)」

  • 「我が町・与野市の大正時代祭り」

    私の住むさいたま市の与野駅は大正元年に開設されたようですがこれを記念し、20年前から毎年10月に"見事な”「大正時代祭り」が開催されますが、今年はコロナ蔓延のため3年振り。大正時代の衣装を着たボランティア連連が与野駅西口から国道17号線までの「与野西口通り」を往復します。“大正時代の衣装はこんなに!”と溜息が出るほどの景色です。それにしてもこの参加漫歩の人々、皆さん!自ら衣装注文制作されるのだろうか!我が町・与野の誇りのカルチャ―です。かつての与野は大宮と浦和に挟まれた過小の町で、与野駅名はあるものの、3市合併で今や「与野市」は無く“さいたま市”になっています(´;ω;)`「我が町・与野市の大正時代祭り」

  • 「沖縄県知事」(その人生と思想)~野添文彬著(新潮選書)

    屋良朝苗、平良幸市、西銘順治、太田昌秀、稲嶺恵一、仲井真弘多、翁長雄志、玉城デニーと52年、歴代8人の沖縄県知事の履歴と詳細な政治活動記、屋良知事が就任した1968年、私は28歳。以来現在の玉城デニー知事まで、さながら我と我が履歴を追うように一気に読みました。それにしても滋賀県出身、一ツ橋大卒の沖縄国際大准教授の38歳の著者、よくまあ此処まで詳細に追及記述、その学術には感嘆です。本書を読んでいると戦後沖縄に一方ならぬ貢献?をした政治家、山中貞則、橋本龍太郎、小淵恵三、野中弘務、小沢一郎等々の政治家を思います。山中は台北第一師範学校教師を務めた屋良朝苗の教え子。大蔵省や外務省等日本の官僚の懸念反対を押し切って、沖縄でのサミット開催を押し切った小渕恵三総理は早稲田大学中に度々沖縄を訪れ、元沖縄県知事稲嶺惠一の...「沖縄県知事」(その人生と思想)~野添文彬著(新潮選書)

  • 「久々!OSI百瀬先生にお会いしました!」

    10月5日、川崎の中国料理「煌蘭」で開催されたOSI研究会に菅原理事の案内を受け、新垣関沖経営協会長と久々に参加しました。今回の基調講演は元「東洋経済」記者の福永宏氏による“SNS的ネット情報の功罪”。OSI(OkinawaSightseeingIndustry)は百瀬恵夫教授が立ち上げた”沖縄観光産業研究会。私も会の創業時、沖縄ツーリスト東京支社(当時は有楽町)での例会は時折参加しましたが、今回は数年振り?最近のOSIは菅原理事以外大半はヤマトンチュ(´;ω;`)百瀬先生には「紺碧会」による泡盛産業支援や富川元県副知事(沖縄国際大学長)、前泊沖縄国際大教授(琉球新報記者出身)育成等々一方ならぬ沖縄支援サポートを受けました。久しぶりにお会いした87歳の矍鑠した百瀬先生から、”重田君、少し太ったなあ“と言わ...「久々!OSI百瀬先生にお会いしました!」

  • 「危機の外交」(岡本行夫自伝)~新潮社

    2020年逝去された外務省官僚出身の岡本行夫さんは橋本龍太郎総理・梶山官房長官の下、沖縄担当補佐官として60回以上沖縄に行き、普天間返還問題や沖縄振興策に一方ならぬ尽力されました。実は、私がかつて会長を務めた「三月会」で外務省退職後、コンサルタント会社「岡本アソシエイツ」経営の岡本さんをお招きし、講演頂きましたが、沖縄への一方ならぬ思いを感じました。高校時代サッカーに熱中する等、体躯粒々の彼が74歳でコロナに感染し逝去されたのには驚きました。改めてご哀悼申し上げます。「危機の外交」(岡本行夫自伝)~新潮社

  • 「ちむどんどん」お疲れ様!

    沖縄の日本復帰50周年を記念してNHK朝ドラ放映の「ちむどんどん」が終わりました。私も毎日見ていましたが沖縄生まれながら流暢な語り部のジョン・川平さん!ご苦労様でした。また、沖縄のオバーとして活躍したきゃんひとみさんもお疲れ様!きゃんさんがRBC現役のキャスター司会として活躍の若き頃、私もシンポジウム番組に出た思い出があります。「ちむどんどん」には沖縄現地から様々な反響批判があったようですが、私が苦笑?したのは沖縄辺境やんばるで中国冊封使接遇?の琉球王朝料理が振舞われていたことです。まあ、いいか(´艸`)(若き頃のきゃんひとみさん)「ちむどんどん」お疲れ様!

  • 「久しぶりの早稲田で驚嘆!」

    沖縄の復帰50周年を記念し、母校早稲田で展示開催の「早稲田のなかの沖縄」~第7代総長・大浜信泉と学生たち~企画展を訪ねました。会場は本部「歴史館」の一号館。会場には八重山石垣の大浜総長の生家、ロバート・ケネディ、屋良朝苗、佐藤栄作、松岡政保、学園闘争、海洋博等々の映像資料がありましたが、ビックリしたのは2008年、勝方(稲福)恵子教授の企画・司会の「オキナワからワセダへのシンポジウムに出ている私の映像と名前が掲示されていたことです。これは女性とした元の沖縄タイムス紙の編集長になる由井昌子先輩と同期の大城将保氏の3人の映像です。それ以外にも池宮城秀意元琉球新報社長の資料もありました。会館の隣は村上春樹記念館でした。(左からパネリスト由井さん、大城、私と司会の勝方さん)「久しぶりの早稲田で驚嘆!」

  • 「哀悼!佐野真一さん」

    (2009年7月日比谷プレスセンターで!)「誰も書かなかった沖縄」など沢山のノンフィクション作家の佐野真一さんが9月26日、肺がんのため千葉県流山市の病院で亡くなられたとの事!佐野さんは私がかつて会長を務めた異業種交流の「三月会」にお招きして、講演をして貰った縁もあります。「誰も書かなかった沖縄」では私の沖縄の同期友人を何人か紹介しインタビューもされました。実は佐野さんは早稲田大学文学部西洋史クラスの後輩で「先輩!」と呼ばれたのには恐縮でした。75歳での逝去、改めて哀悼申し上げます。「哀悼!佐野真一さん」

  • 「日本を変えた男」(名護親方のいろは山に登る):上間信久著~琉球いろはアイランズ社

    琉球王朝の進貢使として5回清国へ赴いた名護親方(程順則)は清王朝の道徳書「六諭衍義」を琉球国の持ち帰り、薩摩藩に贈り、こでが徳川吉宗にも献上され、全国の寺子屋の道徳本とした教育に活用されたことで有名。本書は「f復帰50周年」と5年に一度の「世界ウチナワンチュ大会」を目前に世界に誇る沖縄が誇るこの名護親方(程順則)の紹介という異色の著書。内容は親方がいろは順に謡った20首以上の琉歌を全て著者“信久(ノブヒサ)・信久(シンキュウ)”という質疑応答・対話の独特の手法解説。ハキシャミヨ!奇妙奇天烈な書(´艸`)ウチナワ口に疎い私はフーフー飛ばし読みでしたが、この琉唄をすべて翻訳解説。ページ掲載挿入のイラストには思わず笑み!筆者の知友・編集協力パートナーの吉行万喜子さんとグレスアカデミーの仲田俊一2氏を思い出し、思...「日本を変えた男」(名護親方のいろは山に登る):上間信久著~琉球いろはアイランズ社

  • 「おめでとう!玉城デニー知事当選!」

    コロナ感染で1週間以上、自宅籠りで新聞とパソコンに埋没の日々、往時茫々!歴代沖縄県知事との出会い等回顧縷々紹介したいと思います。今回は玉城デニー知事との出会い!先の沖縄知事選で玉城デニー(本名・玉城康裕)氏が辺野古基地建設の徹底反対を訴え、8代目の沖縄県知事に再選されました。デニーさんは沖縄生まれのアメラジアンですが、実は伊江島出身のお母様もハーフですから、コーター(´艸`)気さくな人柄で、この写真は知事立候補以前の衆議員時代、東京のホテルで開催された激励会での乾杯!この頃はまだ知事立候補は決めていなかったのでは?50年前、まさか合いの子が県知事なろうとは!台湾を巡るアメリカ・日中の紛争・衝突!中国・アメラジアン・和の血を引く琉球・沖縄が和解仲介をするのでは!コロナ感染・基礎疾患・後期高齢の妄想でした。「おめでとう!玉城デニー知事当選!」

  • 「ご哀悼!平良敏子様」

    ((2016年、大宜味村・喜如嘉で95歳の平良敏子さんと!)今月14日,芭蕉布の復興と発展に尽くされた人間国宝の平良敏子さんが101歳で逝去されました。私は6年前、大宜味村・喜如嘉で芭蕉布を縫われる敏子さんにお会いしたことがあります。95歳とは思えない笑みを称えにこやかにお話するお姿が忘れられません。衷心よりお悔やみ申し上げます。「ご哀悼!平良敏子様」

  • 「まさか!私がコロナ感染!」

    9月19日、咳、痰等咽喉に違和感を覚え「大宮駅前まめクリニック」で“鼻咽頭ぬぐい”検索でコロナ陽性が見つかり、早速さいたま市保険所の疾病予防対策課の女性職員から詳細な治療説明の電話がありました。受信病院から保健所へ私の感染情報があったようです。翌日「自宅療養の手引き」が届き、毎日2回、携帯に“体温値を3桁で入力との”自動音声メッセージがあります。翌日4“血液酸素飽和度”と“脈拍数”を計測する“パルスオキシメーター”が送付され、その計測数値を日に2回、携帯で送付するよう指示頂きました。感染から4日目の現在、熱は無いものの咳と痰があり、1週間から10日程の外出禁止の指示があります。コロナ蔓延で医療機関への訪問は抑制されているものの、Net活用によるこのさいたま市の詳細な自宅療養サポート体制には改めて感謝です。「まさか!私がコロナ感染!」

  • 「東京沖縄県人会・役員懇親会」

    先日、神田の(株)メディアワンで開催された東京沖縄県人会(仲松会長)役員会の後近くの居酒屋で懇親会。コロナ蔓延懸念される中、先島出身と元気な若手女性の加入、元気さに県人会の様変わりを感じました(´艸`)「東京沖縄県人会・役員懇親会」

  • 「徳洲会 コロナと闘った800日」;笹井恵里子著(飛鳥新社)

    コロナ蔓延で各地方病院がなかなか患者を受け入れない現状にあって、患者を断ることなく積極的に受け入れる全国の徳洲会病院の状況を訪問インタビューしたフリーランス・ジャナアリスト笹井恵里子のレポート。この徳洲会病院のレポートを読みつつ創業者の徳田虎雄を想いました。阪大医学部を卒業した彼は農協と並ぶ岩盤双璧?の日本医師会に果敢に対抗し、それまで病院施設の無かった奄美の古仁屋、沖永良部、喜界、与論島の離島にはじめ北海道から沖縄まで全国に71病院を次々開設し、病設貧困に苦しんだ離島の奄美諸島にとっては神の如き偉人では!息子3人、娘一人の4人の子供を全て医者に育て、病院経営承継も感嘆です。私より2歳先輩の彼は84歳で筋萎縮性側索硬化症で逝去しますが、現役衆議員の頃、激励会で言葉を交わしたことがあります。虎雄とは柔道名人...「徳洲会コロナと闘った800日」;笹井恵里子著(飛鳥新社)

  • 「久々の関東城岳同窓幹事会開催」

    先週の日曜日、関東城岳(旧制沖縄県立二中・那覇高)同窓会(大濱多慧子会長)幹事会に参加しました。城岳同窓会の幹事会はこれまで大崎の「崎浜会館」?で開催されていましたが、今回は諸般の事情から、久々に私の神田事務所での開催となりました。この日の参加者は10名。コロナ蔓延でここ2,3年延期の最中、総会開催について様々論議がありましたが、来る10月23日開催を予定しました。同窓会役員も大浜会長、伊佐事務局長就任と刷新しましたが、この日の幹事会も若手女性?の参加と組織の若返り予兆でした。特にこの日の若手メンバーからのWEB活用の「ハイブリッド方式」の総会開催との斬新な提案には次世代担い手による会の躍進を感じました。「久々の関東城岳同窓幹事会開催」

  • 「わった―世界のウチナーンチュ」(海外県系人若者たちの軌跡); 野入直美・藤浪海・眞壁由香 編著(琉球新報社)

    来る10月31日、沖縄で「第7回世界のウチナーンチュ大会」が開催されますがこのタイミングで出版された本書。10人近い南米・ブラジル出身の沖縄2世、3世若者のルーツ・故郷沖縄への思いと自らの軌跡、沖縄渡航研修等々の体験集。それも日本語、英語、スペイン語、ポルトガル語と語られているが、勿論、私は日本語と英語の飛ばし読み以外は読めず(´;ω;`)こうした沖縄系海外育ちの若者のエッセイを編集・記述の野入、藤浪、眞壁の三女は沖縄住いながらいずれもヤマト出身。本土からの沖縄移住者だからこそ、よく見える沖縄カルチャア視点では!玉城デニー知事に見るように米軍の沖縄侵攻という負の歴史軌跡が今や海外移住ウチナーンチュや沖縄アメラジアンスクールの若者と達は多言語、広い視野で、いずれ滅びゆく日本の救済・アジアへの橋頭堡担い手とし...「わった―世界のウチナーンチュ」(海外県系人若者たちの軌跡);野入直美・藤浪海・眞壁由香編著(琉球新報社)

  • 「IT協有志による暑気払い懇親会」

    8月19日、曙橋の「健保会館」で開催された関東沖縄IT協議会(今井恒子会長)の有志役員による暑気払い懇親会に参加しました。コロナ蔓延?の最中、流石に参加者は10人余。ゲスト参加の今井さん知友の映画プロデュサーの西さんとは数年振り!古典芸能振興会の松島さんと今回は異色のゲスト参加でした。「IT協有志による暑気払い懇親会」

  • 「靖国神社でガマフヤー・具志堅さんに!」

    (ガマフヤーの具志堅さんと)8月15日「終戦記念日」に久々、九段下の「靖国神社」に参拝。もう一つの目的は“ガマフヤー”の具志堅さんが神社で“辺野古反対”のアッピール運動をしており、それを取材する「オキナワ・グラフ」編集の山川夏子さんに同行でした。会場には日章旗を掲げ軍歌を歌うグループが三々と結構おり「靖国神社はやっぱりそうか!」の印象でした。「靖国神社でガマフヤー・具志堅さんに!」

  • 「北本・寿命院の両親墓参」

    8月15日お盆、埼玉の北本寿命院に両墓参してきました。私は那覇高校から本土大学を卒業し、新聞記者、公務員、ビジネスコンサルタントを歴任、沖縄から両親を招き、埼玉で一緒に暮らしましたが、父母共に埼玉赤十字病院で逝去し、墓は埼玉北本の真言宗・寿命院敷地内の墓地に埋葬しました。我が一家、ここに埋葬、永代供養となるか(´;ω;`)「北本・寿命院の両親墓参」

  • 「725(ナツコ)の会」でイタリア・ベルカント感嘆!

    7月25日、高輪プリンセスガルデン大ホールで開催された第7回目の“725の会”を観劇、感嘆でした。725の会とは赤嶺奈津子さんと山本夏子さんの定期公演会。お二人は共にオペラ歌唱。この日はピアノ演奏の藤井麻理に藤原歌劇団員の竹内利樹バリトンに二期会の後藤春馬ベース・バリトン4人による詠唱、合唱。これは全てイタリア・ベルカントながらバックスクーリンに、私達観劇聴衆者が分かる日本語翻訳語が表示されていました。この翻訳表示、縦書きより出来れば横書きの方が(´艸`)この日出演の赤嶺奈津子さんのお母ががわざわざ沖縄から上京観劇し、久しぶりにお会い出来ました。実はこのお母様とは40年以上前からの縁?と言うのは私は日本アドバンスシステム社創業時に沖縄のIT専門校から何人か採用しましたが、この学校を立ち上げ経営、卒業生の就...「725(ナツコ)の会」でイタリア・ベルカント感嘆!

  • 「大倉集古館」開催の「芭蕉布・平良敏子」展に行って来ました。

    沖縄本土復帰50周年記念事業として「大倉集古館」で開催された「芭蕉布~人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事」特別展に行って来ました。虎ノ門「ホテル・オークラ」敷地内の「大倉集古館」は大倉喜八郎が開館した美術館です。この日、同行した山川夏子さんが御尊母が平良敏子さんから頂いた芭蕉布を持参し、この特別展を企画実行した「大倉集古館」の高橋裕次学芸部長と佐々木智子学芸員お二人の説明、開示されました。学芸委員のお二人はこの企画開催のため大宜味村・喜如嘉にも行き、平良敏子さんにもお会いしたとのこと。今年1002歳になられる平良敏子さんは驚嘆ながら今なお芭蕉布制作に携わっておられるとのこと。まさに日本一長寿県大宜味村のシンボルです。私も10年前、敏子さんにお会いし、blogにアップしたことがあります。こんな縁もあり私は「...「大倉集古館」開催の「芭蕉布・平良敏子」展に行って来ました。

  • 「大宜味村のパイナップル」

    沖縄随一の長寿村の大宜味村は石垣島と並ぶパイナップル産地としても有名です。先日、その大宜味村の宮城村長がわざわざ上京来社し「大宜味村・観光物産親善大使」を委嘱拝命しましたが、この度、大宜見村産出のパイナップルをお送り頂き、恐縮の極みです。御礼と大宜味村の物産PRを兼ねてBLOGアッピールさせて頂きます。宮城村長様!重ね重ね有難う御座います。「大宜味村のパイナップル」

  • 「久々のニライ会」

    先週、池袋の「みやらび」で開催された「ニライ会」に参加しました。コロナ蔓延の影響で長く開催延期されて本会は久し振り!参加者は「沖縄タイムス」「琉球新報」両東京支社長はじめいつもながらのメンバー!余興は伊良皆高吉メンバーによる琉球民謡。85歳のご高齢ものともせず、いつもながらの伊良皆師匠の活躍パワーには又も感嘆!「久々のニライ会」

  • 「久々の関東城岳同窓会幹事会に出席しました」

    久々に大崎で開催された関東城岳(沖縄県立二中・那覇高校)同窓会(大浜多慧子会長)の幹事会に参加しました。この日の参加者は14名。この同窓会、古希過ぎの“老人会”と思いきや、今回はITスキル豊かな54期卒の若手女性メンバー等々が参加、同窓会の若返り・活性化を堪能しました。コロナ蔓延の時節、返期続きの総会開催には議論沸騰しましたが、とりあえず10月開催を目指し、検討することになりました。居酒屋での2次会も盛り上げり、4期先輩(86歳)の真栄田、長嶺両先輩のいつもながらの元気さには圧倒されました。ヤッパ、同窓会はイイナ!と満喫。「久々の関東城岳同窓会幹事会に出席しました」

  • 「大宜味村長来往!観光・物産親善大使拝命!」

    恐縮ながら、宮城大宜味村長がわざわざ神田事務所に来訪され、2024年までの”大宜味村、観光・物産大使“の委嘱状を頂きました。ご存知の方も多いと思いますが、沖縄島の北部にある大宜味村は県内一の長寿村です。単に長寿に留まらず、大勢の高齢者が健康に暮らす“健康寿命村”です。その代表例が101歳ながら今なお現役の芭蕉布を編む人間国宝の平良敏子さんです。実は10年前、この平良敏子さんにお会いしたことなどBLOGにアップしたのが一縁?ですが、これ以外に大宜味村出身の沖縄財界四天王の一人と言われる宮城仁四郎さんの銅像を紹介アップしたのも縁か?私は安謝中卒業の時、当時勢理客に住まわれ、安謝中のPTA会長を務められていた??宮城仁四郎さんから賞状を頂いた空覚えがあります。宮城村長様!ボケ記憶で申し訳ありません。大宜味村PR...「大宜味村長来往!観光・物産親善大使拝命!」

  • 「関東沖縄経営者協会総会で故・仲田、矢野、新里、御三方の追悼!」

    7月7日、神保町の「喜山倶楽部」で第56回関東沖縄経営者協会(新垣進会長)の総会が開催されました。今回は経営者協会が多大なお世話になった故・仲田清祐第5代会長、矢野弾顧問、新里和英さん御三方の追悼会でした。御三方99歳、89歳、90歳とご長寿ご逝去でした。会場には仲田会長の美智子奥様さんと矢野弾様の三智千奥様もご出席頂き、それぞれ思い出・追悼のご挨拶を頂きました。恐縮ながら会を代表して新垣会長と私が御三方の追悼ご挨拶をさせて頂きました。仲田会長、矢野顧問、新里様、本当にお世話になりました。改めてお悔やみ申し上げます。「関東沖縄経営者協会総会で故・仲田、矢野、新里、御三方の追悼!」

  • 「上智大でのJOHOシンポジウムにビックリ!」

    6月25日、上智大学で開催されたJOHA(日本オーラルヒストリー学会)シンポジウムにスピーカとしてはじめ参加しました。オーラルヒストリーとは文献調査と並ぶ口述聞き取りの調査学術方法であることを初めて知りました。この学会は毎年開催され、研究誌も発行されているようですが、今回の出席者は大和、亜細亜、慶応、阪大、松山等各大学等々の教授、研究者のReal参加とされ、70人以上のZOOM参加によるハイブリッド開催でした。何と野入さんがこの学会の広報委員長を務めておられるようです。今回のテーマーは「語りから⼀冊の本を編む」という研究実践報告事例としての野入直美琉大準教授の『沖縄―奄美の境界変動と人の移動』。野入教授、出版編集の岡田みずき書林社長、調査記述対象の私3人のスピーチ、有末亜細亜大学、根本松本大学教授のコメン...「上智大でのJOHOシンポジウムにビックリ!」

  • 「竹富島と共に歩む」~阿佐伊孫良遺稿集;阿佐伊イチ子発行(あけぼの印刷)

    本書は竹富郷友会活動や東京沖縄県人会の第4代目の山口国男会長、5代目の竹田定男会長の下、6年に亘り東京沖縄県人会の事務局長を務められた八重山・竹富島出身の阿佐伊孫良さんの600メージ近い膨大な遺稿と思い出アルバム集。私は阿佐伊さんの下事務局次長としてサポートされた入沢紀さんの依頼を受け”東京沖縄県人会50周年記念事業としての「県人会名簿」作成に2か月以上5人のアルバイトを採用し、入力作業に携わった思い出があります。当時の県人会財政逼迫のため100万円の入力経費が納付されず、山口会長と阿佐伊孫良事務局長、入沢次長から再三相談、懇請を受け、県人会への寄付として税務申請したところ、何と税務署から社長交際費として30万の追徴税を請求された忘れられない思い出(´;ω;`)があります。当時の県人会は阿佐伊さん、入沢さ...「竹富島と共に歩む」~阿佐伊孫良遺稿集;阿佐伊イチ子発行(あけぼの印刷)

  • 6月25日上智大学で開催されるJOHA(日本オーラルヒストリー学会)にスピーカとして参加します。

    テーマーは、野入直美・琉球大学准教授の最近作『沖縄-奄美の境界変動と人の移動』(みずき書林、2021年)を手掛かりに、野入会員、語り手の重田辰弥、編集者の岡田林太郎氏が、本書完成までのプロセスと想いを語ります。220625JOHAシンポジウム「語りを一冊に編みあげるまで」(1)日時:2022年6月25日午前10時~12時半(最長13時)(2)開催方式:ハイブリッド方式、会場:上智大学2号館5階FGS会議室➡上智大学2号館6階630a会議室*会場参加の場合は、正門から入場ください。守衛さんに「2号館5階でのJOHAシンポ参加」とお伝えください。(3)プログラム(午前10時~12時半)・「趣旨説明」蘭信三(大和大学)・「語りを紡ぐ」野入直美(琉球大学)・「人生を語る」重田辰弥(関東沖縄経営者協会・顧問...6月25日上智大学で開催されるJOHA(日本オーラルヒストリー学会)にスピーカとして参加します。

  • 奄美・沖縄混合の「伊是名の会」“琉美創舞”に感嘆!

    ]5月28日練馬文化センターで開催された「伊是名の会」(原口このみ会主)の第32回定期公演「琉美創舞」に行って来ました。私は数十年前にも観舞したことがありますが、今回は沖縄本土復帰50周年と奄美世界自然遺産登録の記念講演。首都圏には多くの琉舞団体がありますが「伊是名の会」は奄美と沖縄混沌の異色の集団です。この日も第1部は朝花、ネリア、ワイド、おぼくり等々、第2部はキジムナー、安里やユウタ、国頭サバクイ、エイサーとこの日の”裏声・ブルース”の奄美と”表声・ラテン”の沖縄のコンセプト・カルチャ演目と他の琉舞団体で奄美出身・沖縄育ちの私にとって目くるめく感嘆の演舞でした。琉舞、奄美民謡には全く疎い私ながら40人以上の出演者の内10名前後は幼稚園・小学児の集団舞にはさながら奄美・沖縄風のダイナミック宝塚舞を感じま...奄美・沖縄混合の「伊是名の会」“琉美創舞”に感嘆!

  • 「1966年早大学費闘争の記録」

    私は早大4年の時、学費闘争で逮捕された忘れ難い思い出があります。本書は1966年150日以上行われたこの早大学費闘争に携わった18人の早大同窓の証言です。私は第一文学部西洋史クラスの委員としてこの闘争に加わり、当時の早大本部に泊込みストをしていましたが、大学当局は警視庁と協議、2500人の機動隊を動員、この泊り込みストの203人の学生が逮捕され、私もその一人でした。私と同じく泊り込んでいたクラス級友3人も逮捕されます。本書には何故かこの逮捕留置の経験談は著述されていない。逮捕された私は刑事の出身名前等の詰問に黙秘した結果、”城東4号”として江東区の城東警察署に送致され、顔写真、指紋採取されます。何故、城東警察署かというと203人の逮捕学生は都内61個所の警察署に3、4人毎に留置されたようです。3泊4日の留...「1966年早大学費闘争の記録」

  • 「高橋東大名誉教授によるウクライナ侵略の背景講演に驚愕!」

    6月4日与野本町「ギャラリー南風」(山田しづ子さん経営)で開催された“沖縄に応答する会」(2022年第一回学習会)での高橋哲也東大名誉教授による「ウクライナから侵攻」テーマーの講演会に参加しました。当日の参加者は30人前後。2008年以降のウクライナに関するロシヤ、欧米の対応やウクライナをめぐるプーチンの侵略動機原因に関する多角的視点、資料に基づく高橋教授の講演には文字通り“眼から鱗”でした。プーチンの侵略を決して是とする訳ではないが、今回の侵略行動についてこれまで知らなかった様々な視点、背景を知りました。例えば、副大統領時代のバイデンのウクライナ訪問によるNATO加盟勧誘活動とこれを抑制したオバマ前大統領の抑制やNATO加入反対のウクライナ国内運動に対するゼレンスキー大統領の荒まずしい弾圧政策等々最近の...「高橋東大名誉教授によるウクライナ侵略の背景講演に驚愕!」

  • 「第37回武蔵野奄美フォーラム」へ参加しました。

    5月28日、武蔵小金井の商工会館で開催された恒例の「武蔵奄美フォーラム」に参加しました。今回の講師は駐日コートジボワール共和国大使館の中島亜津子財務官秘書。以前「象牙海岸共和国」と呼ばれた長くフランス植民地だったこの西アフリカの共和国のコーヒ、ココア等の農産主要産業国の実情を初めて知りました。中嶋さんは上智大卒業後フランスに留学し、この駐日大使館に勤務されたとのこと。祖父が八重山石垣出身、祖母が奄美出身の奄美・沖縄三世というのもビックリでした。私の“高出生、低就学率のアフリカ“についての質問についても明確にお答え頂きました。この日の参加者は40名前後。徳之島から高岡秀規町長が上京、重信竜昇奄美市東京事務所長も参加されていました。「武蔵奄美ファーラム」とは在京の奄美出身者による年2回前後の講演交流会で、私も8年前...「第37回武蔵野奄美フォーラム」へ参加しました。

  • 「世界一孤独な日本のオジサン」:岡本純子(角川新書)

    変なお本だけど、高校同期から推奨紹介されて読んでみました。著者は早稲田・政経卒で読売記者、ケンブリッジ大修士、MIT客員研究を経て日本と欧米社会を比較し、その視点からコミュニケーション不足の日本中高年の孤独仕様?を書いています。それによると名刺(キャリヤ)、孤高、沈黙、以心伝心、“言わず語らず”等々の日本のカルチャーが“世界一孤独、寂しい日本のオジサン“生み出しているとの本書の記述に必ずしも同意はしないが、我と我がライフスタイルを顧みる貴重な機会です。地方から上京移住の“お上りさん”の私が所属関わる沖縄、奄美、早稲田、那覇高関連の交流グループは関東沖縄経営者協会、関東沖縄IT協議会、東京奄美IT懇話会、WUB東京、東京沖縄県人会、那覇会、沖縄協会、沖縄フアンクラブ、沖縄クラブ、四水会、埼玉奄美会、浦和稲門会、東...「世界一孤独な日本のオジサン」:岡本純子(角川新書)

  • 「関東城岳役員会」に参加しました。

    山手線「大崎」で開催された関東城岳同窓会(沖縄県二中・那覇高校)の役員会に出席しました。参加者10名(女性3人)の平均年齢は80歳(´艸`)傘寿過ぎ物ともしない久々にお会いした先輩連々の元気さに“そろそろ年か!”と思う我と吾が身の老いらくマインドを吹っ飛ばされました。これこそ同窓会のメリットか(´艸`)いつもながらメインテーマーは会員の若年活性化でした。「関東城岳役員会」に参加しました。

  • 「土佐幡多の会・創設10周年記念交流会」へ参加しました。

    (中野会長と!)5月21日錦糸町「東武ホテル」で開催された高知県「土佐幡多の会」創設10周年記念高交流会の招待を受け参加しました。黒潮文化の沖縄と高知県はジョン万次郎の繋がりもあり、何かと交流がありますが、東京沖縄県人会との交流繋がりは高知出身の(株)CIJ中野元社長と私の創業(株)日本アドバンスシステムの合併が切っ掛けで、仲松東京沖縄県人会長を紹介、以来「神田会」や両県人会への参加等で絆を深めました。この日は仲松県人会長、新垣関東沖縄経営者協会長にタイムス、新報両支社長に神田会メンバーと10人近い沖縄関係参加者が参加しました。閉会のよさこい踊りには沖縄カチャシーとの親近を感じましたが印象深かったのは詳細なプログラムとテーブル毎の座席表と参加者着席名簿、さらにスッタフ名簿等々の事前配布でした。(参加の琉球新報・...「土佐幡多の会・創設10周年記念交流会」へ参加しました。

  • 「県出身・3美女オペラ歌手来訪!」

    来る6月25日、浦安音楽ホールで日本人女性として初めて交響曲を作成した沖縄(宮古)出身として伝説的な著名作曲家・金井喜久子編曲の“沖縄わらべ歌”コンサートが開催されます。先日、そのコンサートに出演する沖縄出身の二期会所属のソプラノ歌手・友利あつ子さんと藤原歌劇団員の知念利津子さんが、琉舞・オペラ歌手の赤嶺奈津子さんの案内で神田事務所に来られました。この3方、武蔵音大、沖縄県立芸大、昭和音大と共にオペラ歌手。私の小中同期、幼馴染の伝説のオペラ演出家・故粟国安彦君の思い出で盛り上がりました。伝説の金井喜久子さん、私が那覇高校在学中に講演に来られた記憶がありますが、その思い出の沖縄わらべ歌は初めて!武蔵野線・新浦安駅と少し遠いけど聴きに行きますよ!「県出身・3美女オペラ歌手来訪!」

  • 「沖縄復帰50周年式典」に参加

    沖縄県から招待を受けて5月15日、高輪のグランドプリンスホテルで開催された「沖縄復帰50周年記念式典」に参加しました。天皇陛下や岸田総理や玉城デニー知事、衆参議長、最高裁番長、米国大使、全国知事代表の挨拶に続き沖縄県民代表として、対馬丸記念館長の高良正勝君の登場挨拶には驚きました。と言うのは彼は那覇高同期の友人!誇らしく感嘆でした。那覇高後輩合唱部による「芭蕉布・じんじん・てぃんさぐぬ花」の閉式合唱にも驚きでした。この日の東京会場には閣僚、国会議員、国家公務員等々500人以上の参加でしたが、我が那覇高同期は北海道から「美ら島沖縄大使」の八木君、大阪から琉球舞踊・康舞会の金城康子宗家と私の3人、久々の出会いに歓喜でした。閉式後品川南にWUB東京メンバーが集い大阪から参加の鉢嶺WUB開催会長歓迎・慰労会をしました。「沖縄復帰50周年式典」に参加

  • 「国立劇場・復帰50周年記念・沖縄芸能フエシティバル」に喝采!

    5月8日、沖縄の日本復帰50周年記念として半蔵門の「国立大劇場」で開催された「沖縄芸能フェステバル」を観劇しました。コロナ蔓延の最中、出席者人数を懸念したのですが、実行委員メンバーの尽力もあり、会場ほぼ満席。出演は沖縄から来訪の琉球音歌人間国宝の西江喜春に舞踊の宮城幸子師匠の諸鈍舞と100人を超す東京琉舞協会師匠メンバーの華麗な演舞。圧巻は子供・若手メンバーにちるダイナミックな”現代版組踊スペシャル“舞踊。北海道から八重山まで「現代版組踊推進協議会」17団体を立ち上げ、当日の司会演出した南島詩人・平田太一のパワーに満場喝采!この全国を席捲する琉舞とエイサーを観ると22世紀日本の活性化とリーダーを担う沖縄の未来を思いました(笑)各琉舞プログラムへの明解爽やか佐々木仁子さんの解説司会にも改めて感慨!仁子さん相変わら...「国立劇場・復帰50周年記念・沖縄芸能フエシティバル」に喝采!

  • 「沖縄戦―ある母の記録」講談

    沖縄復帰50周年イベントの一環か5月4日「さいたま市産業文化センター」で開催された「沖縄戦―ある母の記録」講談に行きました。講師はジャラリ-「南風」オーナーの山田しづ子さんから何度か紹介された福島出身の神田香織さん。神田さんは沖縄戦でお子さん、夫親族11人を亡くし、2020年99歳で亡くなった安里要江さんの伝記を読み、衝撃を受けその体験を講談として何度か語っています。この日は会場ほぼ満席。照明や音響を取り入れた手振り羽振りの戦火被害の神田さんの講演には思わず、“止めて!”と耳を覆い叫びたくなるほどのリアルさでした。講演に先立ち「南風三線教室」メンバーによる沖縄民謡演奏には聞きりました。主催、司会の山田しづ子さん!本当にご苦労様!「沖縄戦―ある母の記録」講談

  • 「内幸町プレスセンターでの“沖縄復帰50年シンポジウム」

    (右は出席参加の川平朝清様)4月28日、内幸町のプレスセンターで開催された毎日新聞・琉球新報・アジア調査会主催の「沖縄復帰50年」シンポジウムに新垣進関東沖縄経営協会長と行って来ました。内幸町プレスセンターはかって10年近く私が会長を務めた「三月会」で2か月に1回、講演会を開催訪問した思い出の場所。この日の基調講演は沖縄日帰りの玉城デニー知事に松元新報編集局長とTBSキャスターの松原耕二氏。興味惹かれたのは講演後のデニー知事に沖縄出身の宮城大蔵上智大教授、真喜屋美樹沖縄持続的発展に五百旗頭アジア調査会長の4人のパネリストによるデスカッション。共に1968年生まれと復帰前の沖縄体験の無い宮城教授と真喜屋所長の復帰論を聴きましたが、私が最も興味を引かれたのはアメリカによる沖縄施政権の背景と歴史を淡々と語る五百旗会長...「内幸町プレスセンターでの“沖縄復帰50年シンポジウム」

  • 「弁護士CASE FILE 1」;早稲田リーガルコモンズ法律事務所著;(株)朝陽会発行

    本書は早稲田大学出身弁護士グループ(事務所)14人による”これほど人間臭い仕事もない“との生々しい弁護経験奮戦記。14篇全て読むのは難渋ながら印象に残っているのは「事業承継」案件と本書を送ってくれた沖縄出身の早稲田後輩女性弁護士の携わった「セックスワーカーにも給付金を」訴訟案件。読み通すのもシンドイ内容ながら”職業スティグマ“に立ち向かう著者のスピリッツに改めて感嘆!私も早稲田卒業後、琉球新報東京支社記者を1年で退社、行政管理庁埼玉行政監察局に務めながら中央大第二法学部に通い司法試験に挑戦したが不合格断念の苦い経験がありますが、本書を送ってくれたこの後輩女性の早大法学4年次の司法試験現役一発合格にもホトホト感嘆!因みにこの女性弁護士のご尊父も沖縄で辺野古基地反対運動家の弁護士さんです。「弁護士CASEFILE1」;早稲田リーガルコモンズ法律事務所著;(株)朝陽会発行

  • 「四水会で仲井真元知事と今井参議員に!」

    先週、東池袋の「越後屋」で開催された恒例の「四水会」で仲井真元県知事と今井絵理子参議員(元speedo))にお会いしました。この最も驚いたのはこの日同席の今井議員の秘書の吉川夏貴さんが今井さんと同じ糸満高同期でSPEED以来の秘書とのこと!「ちむどんどん」主役の糸満高出身の黒島結菜といい、改めて糸満ウナグ(女性)のパワー?を思いました。「四水会」とは全国に様々ありますが、この「四水会」は今から30年?前、仲井真元県知事のお兄様・格さんが池袋で立ち上げた「交流会」。その後山城幸松(株)空気清浄機サービス社長が会長を務めましたが今は息子の山城真志社長が継承しています。長く会の運営サポートしているのは仲井真さんの東大工学部・通産省同僚の船津さんで、沖縄出身以外のこの日の参加者も船津さんの知友人でした。「四水会で仲井真元知事と今井参議員に!」

  • 「奇遇に仰天!」

    先週、大久保の「関東ITソフトウェア健保会館」で開催された「関東沖縄IT協議会(今井恒子会長)のビジネス交流会に参加しましたが、セミナー後の懇親会で「私はCSC学院の2期卒ですが、重田さんが社長を務められていた日本アドバンスシステム社を受験しましたが不合格で落ちました」という参加メンバーの挨拶を聴き仰天しました。CSC学院とは沖縄初のコンピュータ専門学校で、私は創業時この学院から10人を超える採用し、60歳の定年間近の現在も勤務している社員もいます。沖縄事業所開設の際は琉大卒のこの学院の教師をスタップとして採用等数々の思い出の学院です。CSC、日本アドバンスシステム等々の懐かしい言辞を聴き、往時茫々の回顧でした。日本アドバンスシステム不合格の彼はその後独立創業し、現在東京でIT会社を経営しているとのこと。“場所...「奇遇に仰天!」

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