《自己行動調整機能の発達》 はじめ他者への伝達手段であった談話が、子ども自身が自己の行動を統制し組織化するための手段を分化すること、および、まえには二人のひとに分かれていた“話すー聞く”という機能が、のちに個人行動の中へ統一的に内化されること。この発達過程を分析する方法が...
ふと、昔のことを思い出した。昭和43年(23歳)のことである。当時、私は小学校助教諭の初任時代、4年生の担任であった。学年は3クラスで、私の担当は1組。学年主任の話。「手のかかる子、問題のある子はみんな自分のクラスに入れたから、1組は《つぶよりのクラス》、安心して指導に当...
タブレット純は、知る人ぞ知る、女装のお笑い芸人である。かつて歌手・田渕純として「和田弘とマヒナスターズ」に属したこともあったが、解散後、浅草東洋館に出演する時にタブレット純と改名した。「ムード歌謡漫談」というジャンルを開発し、昭和世代根強い人気がある。語り口は女性的で、小...
「東京新聞」朝刊(4面・国際・総合)に《不安な世界 兵役手放せず ウクライナ侵攻受け 軍人求める》という見出しの記事が載っている。冷戦後、欧州を中心に徴兵制廃止の動きが加速したが、2014年、ロシアのウクライナ南部クリミア半島併合で流れが一転、リトアニア、スウェーデンなど...
「ブログリーダー」を活用して、梨野礫・エッセイ集さんをフォローしませんか?
《自己行動調整機能の発達》 はじめ他者への伝達手段であった談話が、子ども自身が自己の行動を統制し組織化するための手段を分化すること、および、まえには二人のひとに分かれていた“話すー聞く”という機能が、のちに個人行動の中へ統一的に内化されること。この発達過程を分析する方法が...
9 言語理解 【要約】 言語理解は子どもの知的発達に大きな寄与をする。そのような寄与がどのように発達変化するか、その発達を規定する要因は何かについて考えてみたい。 ■ 談話の自己行動調整機能 自己行動に対する談話の調整機能の発達過程についての実験的研究の成果を検討する...
《代表過程と条件づけ》 【要約】 二つの事項間の任意的な関係は、言語的代表過程に限らず、非言語的過程にも存在する。接近連合、あるいは条件づけによって、連合される二つの事項の間に有縁性があってもなくても、両者間に結びつきが生じる。 連合における結合は、一つ一つが孤立してい...
《代表過程の二つの発達水準》 【要約】 代表過程とは、“代表するもの”と“代表されるもの”との間の分化である。ピアジェ(Piaget,1945)に従って、“代表するもの”を“能記”、“代表されるもの”を“所記”とよぶ。この二つの用語は、フランスの言語学者ソシュール(Sau...
■範疇化 【要約】 代表過程の発生と発達を具体的に考えてみる。認知に対して作用する代表機能は、要するに、客観的事象を意味的なものへと変形することであり、範疇化することである。 特定の1匹の動物が特定の“そのもの”としてではなく、“イヌ”という範疇(カテゴリー)ないし級(...
《ピアジェの見解》 【要約】 ピアジェ(Piaget,1933,1934,1945)は、知覚が行為的経験を媒介としてはじめて発達すると考えている。前述したマッチ箱場面(父親が1歳4カ月の女児の目の前でマッチ箱をあけ、そのなかに鎖を入れ、箱の口を少しあけたまま彼女にさし出す...
■認知と行為 【要約】 代表機能の最も単純で直接な水準は知覚である。知覚が行為的な経験とどのように因果的に関係しているかについて、二つの対立する見解がある。その一つは、人間の知覚は代表機能によって支えられるが、この機能は、人間においては視覚や聴覚とならんで一つの基本的で生...
■非言語的な経験 《“内言語”の非言語性》 【要約】 言語的代表過程が形成されるための要件の一つとして、マイクルバスト(Myklebust,1960) は、“内言語”なるものを考えている。“内言語”はビゴツキーの“内言”とは異なる概念である。“内言”は談話の内面化ないし思...
東京のデパートで開かれていた「大黄金展」の会場から1040万円の純金製茶碗が盗まれた。犯人Aはこの茶碗を古物買い取り店Bに180万円で売却した。古物買い取り店Bは同じ日に古物買い取り店Cに約480万円で転売した。 したがって、Aは180万円、Bは約300万円、Cは約56...
8 認知世界の形成 【要約】 子どもは、まず言語を学び、つぎにそれを基礎として意味的経験をするようになっていくのではなく、はじめに意味的経験をし、その経験を深めていく途中から、それを基礎として言語の影響を徐々に受けるようになっていくのである。意味的経験がなければ、言語の経...
■聴力 【要約】 談話を聞く場合、談話の全体が必ずしも遺漏なく聞きとれるということはなく、また、つねにそうである必要もない。その理由の一つは、談話の行われる状況、談話そのものの置かれている文脈、あるいは広い知識・経験などが、聴取欠損部を補うのに役立つということにある。この...
■音声識別と発声 【要約】 音声識別力が、子どもの漸次発達変化していく音韻とその体系化にそって発達することは明らかである。低い発達段階では、一部の音声だけを識別し他の音を無視するとか、特定の音声を彼自身の音韻範疇に従ってまとめたり相互交換したりする、ということが考えられる...
■音声識別と場面 【要約】 “言語理解”が言語以外の条件(場面)によっている場合が多い。 カリツォーバは、成人が談話を与えるとき、その音調が一定であり、また身振りや場面も一定であるときだけ、要求している条件(“理解”)反応を示すことを実験的に確認している(Kogan,1...
■音声識別 【要約】 音声に基づく談話の識別は、子どもが音声そのものに積極的で分析的な関心をもつまでは生じてこない。ルイス(Lewis,1951)によると、音声に対する子どもの関心は、原初的な音声模倣(音調をおもな手がかりにする談話“理解”期に対応する時期に生じる)が減退...
7 談話の識別 【要約】 ここで“談話の識別”とは、子どもが聞いた談話が、その特徴に応じて、安定した特殊反応をおこさせるようになることである。子ども自身の生産する談話が発達するための基本的な条件の一つは、他者の談話の識別にあることはいうまでもない。 ■音調・音色の識別 ...
4 言語理解の発達 【要約】 発声行動の言語化が子どもの聞く談話の言語的理解を基礎として生じてくることは明白であり、使用に対する理解の時期的先行が1歳6ヶ月から3歳0ヶ月ごろまでではほぼ2~3ヶ月の間隔で、もっとも顕著に現れるといわれている。 最初に、非言語的な側面にお...
《象徴遊びにおける発声行為》 【要約】 象徴遊び(“ふりをすること”“見せかけること”)に発声行為が伴うとき、その象徴的な特性はいっそう明瞭になる。 ピアジェ(Piaget,1945)による観察事例をみる。 ⑴Jという子どもは、1歳6ヶ月に、石鹸も水もその場になく、それ...
■その他の音声的象徴行動 【要約】 身振りと音声模倣のほかに、重要な二、三の初期の音声的象徴行動がある。これらは、音声模倣と発達的に接続する関係にあり、本格的な言語習得過程の先行条件となるものである。 《半個人的な言語的表示》 それは形式的にだけ言語であり、機能的にはな...
■言語音声の習得(省略) ■オノパトペ 【要約】 “オノパトペ”は、人間の音声以外の音や声(物音や動物の声など)に対する模写的な音声を意味する。オノパトペはその機能において、音声模倣とはかなり違っており、言語獲得以前の子どもの場合には、とくにそうである。 幼い子どもは、...
《音声模倣と自発的使用》 【要約】 上述の問題は、模倣された音声が子ども自身の自発的で、ある程度その場に適合した(意味的な)談話の形成にどのように寄与していくのかという、言語発達問題の核心につながっている。ここには顕現的な音声模倣とその音声の意味的―自発的な使用との発達的...
小学校時代の男児の遊びといえば野球、焼け跡の原っぱで、時間を忘れて興じたものである。春・秋には、父に連れられて信濃町の神宮球場に通った。当時の東京六大学野球はプロ野球と肩を並べるほどの人気があった。外野席の芝生に座って観戦することが多かったが、私は極度の近視のため、ボール...
戦後の小学生は、昭和33年頃まで給食で「脱脂粉乳」を飲まされた。喜んで飲む子どもは少なく、ほとんどが目をつむり鼻をつまんで一気に飲み干す。中には隠れて流しに捨てる子どももいた。当時の小学生は毎日、給食袋にアルミの皿、コップ、椀を入れて登校した。給食の献立は三品、コッペパン...
小学校の一学級は50名を超えていた。いずれも敗戦の中で生まれた子どもたち、父が戦死した母子家庭4人、養父1人、父子家庭3人など戦禍の傷跡が残っていたが、時代は「新生日本」に向かって第一歩を踏み出す。その息吹の中で、大人も子どもも希望に満ち溢れていた。私たちの学年は6年間、...
私は母方の祖母をメエ婆と呼んでいた。メガネをかけていたからである。彼女は、戦前から「祖父に分家させられて」、娘一人とともに下宿屋を営んでいた。近くにある旧制高校の学生が多く利用したという。私の父もその一人、母は下宿屋の娘ということである。父は成人して満州に渡り、母もその後...
静岡市の浅間神社では恒例の廿日会祭が四月初旬に開催される。小学生の私は、毎年春休みになると、亡母の実家がある静岡の祖母宅に帰省して、そのお祭りを楽しんだ。満開の桜が散り始める神社の境内では、神楽舞台の他、大衆芸能の余興用舞台、オートバイサーカス、お化け屋敷、見世物小屋など...
小学校の国語教科書は「太郎花子国語の本」であった。一年から六年まで一貫して太郎、花子の兄妹が登場し、その生活が描かれる。今、私の手元には「おはよう」「あかいとりことり」「ゆうやけこやけ」(一年上中下))、「ひばりのうた」「青いお空」(二年上下)、「みどりの教室」(四年上)...
昭和26年、上京した父と祖母、私の三人は山の手の親類宅に「仮住まい」した。親類の家族は四人、合わせて七人が八畳、六畳、三畳、物置、台所の瀟洒な平屋住宅で雑居することになった。当時の娯楽はラジオ中心、一同は「のど自慢」「二十の扉」「とんち教室」「三つの歌」「今週の明星」等々...
昭和20年代後半、小学生男児の嗜好品はキャラメルであった。その魅力は何よりも強力な「甘味」だが、それ以上に箱の中のカードの一枚、一枚が射幸心を煽った。東京では「紅梅キャラメル」「カバヤキャラメル」が覇を競う。紅梅のカードは「ヒット」「二塁打」「ホームラン」などと記されて...
私が物心ついた昭和20年代半ばから30年代にかけて、白衣をまとい戦闘帽を被った男たちが、都心の街角、祭礼の境内、電車の通路など「人混み」の中に出没した。彼らは、たいてい二人一組となって、一人がアコーディオンを奏で、他の一人が軍歌を唄う。「さらばラバウルよ また来るまでは・...
毎年、春・秋にある小学校の遠足は、その日一日勉強をしなくてよいというだけで、楽しかった。一年・井の頭公園、二年・向丘遊園地、豊島園、三年・ユネスコ村、浜離宮、四年・相模湖、江の島、五年・稲毛海岸、高尾山、六年・城ヶ島、箱根と重ねられた楽しい思い出がアルバムに残されている。...
五月といえば端午の節句、鯉のぼりが空に舞い青葉の美しさが際立つ季節だが、私の心は曇っていた。恒例の「母の日」がやって来るからである。小学校2年の時、担任の先生は「お母さんのいない人は、天国のお母さんに感謝しましょう」と言って、私と、K君、H君に「白いカーネーション」を手渡...
小学校二年頃のことだったか、私は秋祭りの夜店で金魚すくいをした。収穫は和金一匹、ビニールの袋に入れて持ち帰ったが金魚鉢がない。やむなくコップに入れて玄関先に置いた。しかし翌日には和金の姿は消えてしまった。あまりの狭さに跳び出してしまったのだろう。消沈している私を見て、父は...
昭和28年1月4日、焼き場は順番を待つ棺でごった返していた。祖母の棺を窯に入れたが、その数分後、誰かが叫んだ。「違う!違う!お棺を間違えた」、一同「えええっ」と驚き、係員が窯の扉を開けて、「熱い!熱い!」と言いながら、再び、祖母の棺を取り出した。釘付けされた蓋を、大急ぎで...
昭和27年の大晦日、祖母は当時大流行したインフルエンザで病死した。焼き場は「三が日」が終わるまで休業、父と私は祖母の棺と、間借りの八畳一間で「空しい正月」を過ごさなければならなかった。「棺を見守りなさい。生き返るかもしれないから」などと言う父の言葉を信じて・・・。線香の煙...
昭和28年元旦、その日は快晴であったが、私の心は、どんよりと曇っていた。前日の大晦日、同居していた祖母が、当時大流行していたインフルエンザで、息を引き取ったからである。母はすでに亡く、父と祖母の三人で、八畳一間の「間借り生活」をしている時であった。祖母は72歳、10日間ほ...
物心ついた時から、私は両手の親指をしゃぶっていた。そうすると、気持ちが落ち着くからである。退屈なとき、淋しいとき、入眠するときは必ずしゃぶっていた。祖母は、親指に包帯を巻き付けたり、辛子を塗ったりして止めさせようとしたが、効果はなかった。父も気に病んでいたようだが、表情を...
昭和26年4月、小学校に入学した私はまもなく「登校拒否」状態になった。理由は単純、仲よしの友だちができなかったからである。近所には同級生もたくさんいたが、彼らは幼稚園時代からの知り合いで、その輪の中になかなか入れない。静岡弁まるだしの私は、その度に笑われた。登校時になると...
昭和26年4月、新しいランドセルに草履袋、革靴、学帽、よそゆきの洋服・・・、「ピカピカの一年生」の装いで、私は入学式に臨んだ。しかし、学校に対する恐怖心は増すばかりで、「泣き通し」の一日であった。セピア色になった記念写真には、当時の「泣き顔」が残されている。式が終わって、...
昭和26年2月、私は東京の小学校に入学するために上京させられた。まもなく、学校の身体検査(現在の就学時健診)があった。激しい雨の中、親類の女性に伴われて入学する小学校に向かったが、私はすべての検査を「泣いて」拒否した。薄汚れた校舎、厳しい表情で指示する教員、新入生を世話す...
父方の祖母を、私は「アンヨ婆」と呼んでいた。彼女は関東大震災で左足を負傷し、膝下を切断、義足を装着していた。松葉杖で歩行するので荷物が持てない。祖母が銭湯に赴くときは、小学校1年の私が随行する。脱衣所に入り、祖母が義足を外そうとするのを、子どもたちが取り囲み、こわごわと見...