人生の半分を共に過ごしてきたパートナーとの離別。悲しみと絶望、グリーフ・複雑性悲嘆の世界。
自分自身の悲嘆と向き合うため、同じ苦しみにある人どうし支えあうため、また、お互いの生き方から学ぶため、グリーフ・ピア・サポート小平を立ち上げました。講演会や勉強会、ピアグループの開催などを開催しています。ブログでは、喪失の悲しみと絶望について、書き綴っています。
あの喪失体験のあと僕は、グリーフを冠した様々な講座を受けた。思い返すと、それらは十色だった。講座の内容やカリキュラムのみだけではなく、受講する側も様々だった。自らの体験を「グリーフ」と呼ぶのかは主観によるところが多いので十把一絡げに「当事者」と呼
コロナ禍も一年を超え、完全に元の生活に戻るのには未だ長い期間がかかるだろう。社会のありようが変わってしまった部分もあり、完全に元の景色に戻ることはないだろう。10年前に東日本大震災が起き、何かが根本的に変化してしまったように、10年も経てば社会のありよう
人はそれぞれ、何とたたかっているのだろう?皆それぞれ、生きるためにたたかっている。そのたたかいは、その人にしか分からない。何が敵で、何のために、何とたたかっているのか、それはその人にしか分からない。いや、その人にも分からない。家族や子供やパー
正しくはないとしても、ああいいな、って思う瞬間はある。職業上、コロナ禍で人が多い都心は通りたくなくて、最近は下り方面の温泉宿に行くことが多くなった。この週末もまた、どこかに出掛けよう。一人で、誰とも交わらず・・・そこに留まるのか、先に進むのか
自分は、いつ死ぬんだろう・・・ずっと先かもしれないし、明日かもしれない。いや、今かもしれない。それは誰にも分からない・・・責任とは何だろう?今この瞬間、明日死ぬかも知れないし、ずっと生きるかもしれないし、この世との関係は生きる期限を前提とし
人間にとって10年は長い時間だろうけど、地球にとっては一瞬。守るものがある人と、何にもない人の違いはあるけど、何にないから、何にないからこそできる、何も守るものがない人間だからこそできることをしたい・・・僕は、なぜ生き延びた?、グリーフを超えられた?
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