「歴史の父」239 「封禅書」140 前回我々は、カントと英国商人グリーンとの「天上の友情」誕生のいきさつについて見た。今回は、その続きである。同じく出典は…
「歴史の父」238 「封禅書」139 前回我々は、ケルナーらとの「友情」の喜びから、シラーの「歓喜の歌」が誕生するのを見た。今回から、2回にわたって、カント…
「歴史の父」237 「封禅書」138 前回我々は、ゲーテの代表作『ヘルマンとドロテーア』を見た。今回は、ゲーテの親友シラーの代表作「歓喜の歌」の誕生物語であ…
「歴史の父」236 「封禅書」137 我々は今、『大学』の言う、「誠」とは、「好色(美人)を好むがごとし」の例を見ている。今回は、1797年に完成した珠玉の…
「歴史の父」235 「封禅書」136 前回我々は、オードリ・ヘップバーン扮するアン王女の「ローマの休日」を少しばかり分析してみた。朝から夜にわたる、スリル満…
「歴史の父」234 「封禅書」135 前回我々は、「人の真に生きる道」として、『詩経』を始め、論語・孟子・大学・中庸が「誠」の一字を挙げているのを見た。『大学…
「歴史の父」233 「封禅書」134 前回我々は、対象にぞっこん惚れこむことが、物事の「天・真」に達する道であり、 「人の真に生きる道」 すなわち「誠…
「歴史の父」232 「封禅書」133 前回我々は、次のことを知った。ただ単に「知る」のみでなく、心の奥底から「好む」こと、これこそが物事の深奥、すなわち「天」…
前回我々は、たとえ善を行っていても、心から「楽しんで」、行っているかどうかで、本物か偽物かがわかれる、という孔子の言葉を見た。『礼記』楽記篇も宣言する。 …
「歴史の父」230 「封禅書」131 前回我々は、「永遠の人」孔子、永遠の書「論語」を産んだものは、『礼記』楽記篇に言う 「楽し」ければ 「安し」 …
「歴史の父」229 「封禅書」130 前回我々は、孔子の思想がなぜ「四海」(世界の果て)まで届き、今なお生き生きと、我々の胸を打つのかを探ってみた。 孟子は…
「歴史の父」228 「封禅書」129 前回我々は、「世界民主主義の父・孔子」の「源泉」が、学而篇第一章第一段落「学んでこれを習ふ。また説(よろこ)ばしからず…
「歴史の父」227 「封禅書」128 前回我々は、論語冒頭「学んで時にこれを習ふ」の解釈を終えた。「学ぶ」だけではダメ。「習ふ」が加わって、初めて「君子」が…
「歴史の父」226 「封禅書」127 前回我々は、論語冒頭の「学んで時にこれを習ふ」の後半「時にこれを習ふ」を解釈した。「時にこれを習ふ」とは、ベンゼン環を…
「歴史の父」226 「封禅書」127 前回我々は、論語冒頭の「学んで時にこれを習ふ」の「学んで」の解釈を終えた。今回は、「時にこれを習ふ」の解釈である。朱子…
「歴史の父」225 「封禅書」126 前回我々は、論語最初の文字「学」の対象が、「文王」であるのを見た。「文王」こそは、孔子がその後継者を以て任じた聖王であ…
「歴史の父」224 「封禅書」125 前回まで我々は、論語最初の文字「学」の原義が、「偉大な人」を「マネブ・真似る」ことであるのを見て来た。 では、孔子が…
「歴史の父」223 「封禅書」124 前回我々は、「孟母三遷の教え」を『列女伝』で見た。『列女伝』は、それに続けて、 孟母断機の教え を記している。 …
「歴史の父」222 「封禅書」123 前回我々は、論語最初の文字「学」の原義「マネブ・真似る」の意義をたずねて、ヨコミネ式教育法を一瞥した。今回は、もとにも…
「歴史の父」221 「封禅書」122 我々は今、『DVDでわかるヨコミネ式 子供が天才になる4つのスイッチ』(平成21年横峯吉文 日本文芸社p61)を見てい…
論語漫歩445 ヨコミネ式教育法 2 子供は みんな天才だ !
「歴史の父」220 「封禅書」121 我々は今、論語と孔子の出発点・学「マネビ」と、ニーチェの到達点「力への意志」がうまく組み合わさった、驚異の教育法を全…
「歴史の父」230 「封禅書」131 前回我々は、「永遠の人」孔子、永遠の書「論語」を産んだものは、『礼記』楽記篇に言う 「楽し」ければ 「安し」 …
「歴史の父」219 「封禅書」120 我々は今、論語最初の文字「学」の探究中である。「学・マナブ」の原義が、「マネブ・真似る」であることは、よく知られている…
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