イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 今日の福音(ル
宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。 今日の第一朗読(出エジプト記32.15-24,30-34)にはこのように書かれています。モーセがシナイ山で神から十戒を授
「また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」 今日の福音(マタイ13.44-52)で、イエスは弟子たちにこのように言います。養殖真
マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 今日の福音(ヨハネ11.19-27)
「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」 今日の福音(マタイ13.18-23)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスの教えを聞いて、納得し
わたしたちの先祖の神である主よ、あなたに賛美。あなたは代々にたたえられ、あがめられる。あなたの栄光の聖なる名に賛美。その名は代々にたたえられ、あがめられる。 今日の詩編(ダニエル補遺.アザルヤ29,30+32)はこのように歌われます。「先祖
「ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」 今日の福音(マタイ13.1-9)で、イエスは人々にこのように言います。芽吹かない種、芽を出してもす
種を手に涙を流して出て行く人は、束をかかえ、喜びにあふれて帰ってくる。 今日の詩編(詩編126.1+2,6+3)はこのように歌われます。涙が止まらないほどの悲しみの中にいる時は、出かけていくことさえつらいものです。まして、芽吹くかも分からな
そのとき、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」 今日の
「�霊�は弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、�霊�自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」 今日の第二朗読(ローマ8.26-27)で、パウロはこのように書いています。私たち
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだと
神が与えてくださったすべての恵みにどのようにこたえようか。わたしは救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。 今日の詩編(詩編116.12+13,17+18)はこのように歌われます。神から与えられた恵みに応えるためには、何が恵みなのかを識別で
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」 今日の福音(マタイ11.28-30)で、イエスは人
「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」 今日の福音(マタイ11.25-27)で、イエスは人々にこのように言います。もちろん、父とは神であり、子
アレルヤ、アレルヤ。神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。どんなに神に祈り、願っても、全く神の声が心に響かない。そんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。 も
「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。」 今日の福音(マタイ10.34-11.1)で、イエスは使徒たちにこのように言います。二千年前であれば、使徒たちではなく、イエ
雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。 今日の第一朗読(イザヤ55.10-11)にはこのように書かれています。私たちが蒔く種は、自分
「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」 今日の福音(マタイ10.24-33)で、イエスは使徒たちにこのように言います。なぜイエスは、暗闇で使徒たちだけにささやいたり、耳打ち
喜びに心をはずませ、救いの泉から水をくむ きょうの答唱詩編はこのように歌われます。神は全ての人に救いの手を差し伸べています。神は私たち人間を渇いたままにはしておかれません。全ての人の目の前に、救いの泉は湧いています。 しかし神は、私たちの口
そのとき、イエスは使徒たちに言われた。「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」 今日の福音(マタイ10.7-15)にはこのように書かれています。「天の国は近づいた」とはどのような意味だったのでしょうか。そして、今を生きる私たちにとっ
天は神のことばによってつくられ、星座はそのいぶきによってすえられた。 今日の詩編(詩編33.6+11,14+15)はこのように歌われます。創世記の冒頭、天地創造の場面では、神はその名を呼ぶことによってあらゆるものを生み出していきます。最後に
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 今日の福音(マタイ9.32-38)にはこのよう
イエスが話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」 今日の福音(マタイ9.18-26)にはこのように書かれて
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」 今日の福音(マタイ11.25-30)でイエスは、人々にこのように言います。この言葉は、イエスの言葉の中でもよく知られているものの一つでしょう。まだキリスト者では
そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。 今日の福音(マタイ9.14-17)にはこのように書かれています。洗礼者ヨハネの
そのとき、イエスは通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 今日の福音(マタイ9.9-13)にはこのように書かれています。この場面に関わらず、聖書の中の
そのとき、イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。 今日の福音(マタイ9.1-8)にはこのように書かれています。この後、イエスはこの中風の人を癒しますが、こ
二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか」 今日の福音(マタイ8.28-34)には、異邦人であるガダラ人の土地で、イ
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。 今日の福音(マタイ
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.24-29)には、復活したイエスが使徒たちの前に姿を現す場面が描かれています。最初にイエスが現れた時にはその場におらず、「
「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである」 今日の福音(マタイ10.37-42)で、イエスは使徒たちにこのように言います。つまり、この言葉の中の「あなたがた」は使徒たち
そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」
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イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 今日の福音(ル
神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。 今日の詩編(イザヤ12.2,4,5)はこのように歌われます。信頼することと恐れないことは切り離せないのだと思います。あらゆる恐れは、信頼を欠くことから生
「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」 今日の福音(マルコ12.28b-34)で、イエスと出会った律法学者はこのように言います。当
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでく
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。 今日の詩編(詩編90.1+2+14,16+17)はこのように歌われます。たとえ昨日がつらく、苦しい日だったとしても、今日はまた新しい日です。 昨日までにはなか
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
神が与えてくださったすべての恵みにどのようにこたえようか。わたしは救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。 今日の詩編(詩編116.12+13,15+16b,17+18)はこのように歌われます。私たちは、神が与えてくださった恵みにふさわしい
神よ、わたしの神よ、わたしはあなたを慕う。水のない荒れ果てた土地のように、わたしの心はあなたを慕い、からだはあなたをかわき求める。 今日の詩編(詩編63.2,3+4)はこのように歌われます。「からだはあなたをかわき求める」とあるように、信仰
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」 今日の福音(ルカ1.39-56)で、親戚のエリザベトの下を訪れたマリアはこのように神を讃えます。もちろん「偉大なこと」とは、マリア
神こそ主であると悟れ。神はわたしたちを造られた。 今日の詩編(詩編100.1+2,3ab)はこのように歌われます。ほとんどのキリスト者は、日頃、「神」と「主」を意識することなく同じ意味で読み、用いていると思います。 しかし私たちは、本当に
神は地に向かって仰せになり、そのことばは、すばやく走る。 今日の詩編(詩編147.12+13,14+15)はこのように歌われます。今の世の中で、神の言葉が音声として地上に響き渡り、世界中の人がその言葉を一斉に理解するという奇跡が起こることは
「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです」 今日の第一朗読(�ペトロ1.10-16)にはこのように書かれ
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立
皆さん、神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 今日の第二朗読(ローマ8.14-17)で
「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」 今日の第一朗読(ヤコブ5.13-20)にはこのように書かれています。この文脈での「正しい人」とは、自分のた
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、受けた恵みのうち、どれほどを自覚し、感謝することができているでしょうか。 とても嬉しいことがあった時や、誰かに助けの手を差し伸べられた時、
神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。 今日の詩編(詩編103.3+4,6+7)はこのように歌われます。この歌を聞く人、歌う人は、自分が虐げられる時に神が守ってくださることを願うのではないでしょうか。 もちろん、そのように願
「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」 今日の第一朗読(ヤコブ4.13-17)にはこのように書かれています。実際、すべきことをしなかったり、正すべきことを見て見ぬ振りをしたりするのが罪であると思わない人は少
「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」 今日の第一朗読(ヤコブ4.1-10)にはこのように書かれています。神を信じる人であれば、自ら
祈りを聞いてくださる神、罪に苦しむ人はみな、あなたのもとをたずねる。罪の重荷にうちひしがれても、あなたはすべてをゆるしてくださる。 今日の詩編(詩編65.3+4
「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この
神はあわれみ深く正義に満ち、罪びとに道を示される。 今日の詩編(詩編25.4+5a,8+9)はこのように歌われます。この歌は「正しい人にはわざわざ道を示す必要はない」と歌っているわけではないのだと思います。 そもそも、神の前で完全に正しい人
アレルヤ、アレルヤ。主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神が招く、望まれる道は厳しく、険しいものであると考え
光はやみの中に輝き、神に従う人を照らす。 今日の詩編(詩編112.1,4)はこのように歌われます。神の愛は、どんな時も変わらず、私たちを照らし続けています。 真夏の昼間の太陽のように、夜空に輝く満月や星のように、そしてほのかに光る灯火のよう
「兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。」 今日の第二朗読(�コリント13.11-13)で、パウロはこのように書いて
主よ、あなたはわたしを滅びから救い、苦難の時に助け出してくださいました。それゆえ、わたしはあなたに感謝をささげ、あなたを賛美し、主の御名をほめたたえます。 今日の第一朗読(シラ51.12-20)にはこのように書かれています。神を信じている人
栄光をあびて神の民は喜び、神に仕え、高らかにうたう。 今日の詩編(詩編149.1+2,5+6a+9b)はこのように歌われます。「栄光をあびる」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。成功や勝利といった言葉と結びつけて考える人が多い
イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 今日の福音(マルコ10.46-52)には、盲人のバルティマイがイエスと出会い、視力を回復する奇跡が描かれていま
アレルヤ、アレルヤ。おとめマリア、信じたあなたは幸い。神からあなたに言われたことは成就される。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。普通、私たちが何かを信じるのは、信じるに値する証拠があるからです。それが事実である確
律法を守ることは、多くの供え物に匹敵し、掟に心を留めることは、和解の献げ物に、他人の親切に報いることは、穀物の献げ物に、施しをすることは、感謝の献げ物に匹敵する。 今日の第一朗読(シラ35.1-12)にはこのように書かれています。ここでは四
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 今日の福音(ヨハネ20.19-23)にはこのように書かれて
イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。 今日の福音(ヨハネ21.20-25)にはこのように書かれています。この箇所はヨハネ福音書の結び、
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。
わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしは決してゆるがない。 今日の詩編(詩編16.5,8)はこのように歌われます。絶えず神を思うとはどのようなことでしょうか。他の物事には目もくれず、いつも神のことしか考えないということでし
神の声を聞け、力みなぎる声を。 今日の詩編(詩編68.29+33,34b+35a+36b)はこのように歌われます。ここで私たちは、「力みなぎる」という言葉に気をつけなければならないと思います。 神の価値観における「力」は、人間が考える力とは
神よ、あなたは豊かに雨を降らせ、荒れ果てたあなたの国を新たにされた。 今日の詩編(詩編68.10+11,20+27)はこのように歌われます。朝起きて、空がどんよりと曇っていたり、雨模様だったりすると、心まで重苦しくなります。しかし、一切雨が
神に従う人は喜びおどり、神の前で喜びたのしむ。神に向かって歌い、その名をたたえて歌え。 今日の詩編(詩編68.4+5ab,6+7bc)はこのように歌われます。私たちは、神に従うことをどのようにとらえているでしょうか。もちろん、尊い、大切なこ
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」 今日の福音(マタイ28.16-20)で、イエスは天に帰る直前に、使徒たちにこのように言います。もちろんこの言葉は、使徒たちだけ
パウロはしばらくアンティオキアで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。 今日の第一朗読(使徒言行録18.23-28)にはこのように書かれています。聖書によれば、パウロや他の使徒たちは、