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昭和考古学の旅へ https://parupuntenobu.hatenablog.jp/

昭和の遺物を訪ねる「昭和考古学」を続けています。懐かしい、今まで知らなかった昭和をお楽しみ下さい。

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2016/03/01

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  • 二・二六事件秘話 渡辺錠太郎-一兵卒が大将になった話

    一兵卒が将軍にまでなった人物として、三国志が誇る知勇兼備の武将、呂蒙がいます。 三国志の故事成語『呉下の阿蒙にあらず』 - 昭和考古学とブログエッセイの旅 が、中国史を紐解くと、皇帝にまでなった男だけでも、漢の劉邦や明の朱元璋など、自称皇帝(太平天国とか)や短命王朝も入れると何人いるのやら。 日本では、立身出世の象徴として 豊臣秀吉がすぐに思いつきます。幼少期がボカされ不明な部分も多いのですが(たぶん農民出身でしょう)、秀吉だけでなく、当時の戦国大名は3代さかのぼれば経歴が怪しい人ばかり。狸親父も暴れん坊将軍も、先祖を辿れば住所不定のルンペ…おっと、徳 美術館から抗議のメールが来たようだ。…

  • 消えた遊廓・赤線跡をゆく-丹波篠山(京口新地)編

    ※注意※ このブログ記事は、2009年に前ブログにて書いた記事をやっつけ仕事で編集したものです。情報が古いのと、文章が拙い場合があるのであしからず。また、予告なしに文章が変わることもあります。 今回は、丹波篠山にあったという遊郭跡を書いてみようと思います。丹波篠山というと今の篠山市、江戸時代は譜代の青山氏の城下町として栄えました。今回の話題とは関係ないですが、東京にある地名の「青山」(←青山学院大学の「青山」ね)は、この青山氏の江戸屋敷があったことから名付けられました。篠山の青山氏は分家筋だった記憶がありますが、まあそんなわけです…どんなわけや。 篠山の遊廓の歴史 今の篠山市は、武家屋敷が現在…

  • 大阪の「中華街」 前編ー川口華商の興亡

    大阪にある中華学校 大阪市浪速区大国町。ここにある学校があります。 中華学校です。 中華料理専門学校ではありません。在阪華僑のための学校です。 大阪に中華学校…関西で「中華」だと神戸が真っ先に連想されるせいか、大阪となると少し違和感があるかもしれません。事実、そこには有名な中華街と中華学校が存在するのだから。 しかし、大阪に中華学校がある以上、一定の需要と歴史があるはず。そんなことを考えながら周囲を散策してみたのですが、チャイナタウンのような雰囲気は微塵も感じません。 では、何故ここに…というかなぜ大阪に中華学校が存在しているのか。歴史を掘ってみると、戦禍に消えそのまま忘れられたある地域の歴史…

  • 三国志と三国演義

    日本人は、いや、日本人男性は三国志が大好き。私もご多分に漏れない三国志好きです。中国留学時も三国志好きな男が多く、日夜三国志トークに花を咲かせていました。 三国志は中国の英雄伝。本場の中国人男性もみんな好きだろう。いや、嫌いなわけがないじゃない。そんなwktkな気持ちを抱いて、中国人の友達(男)に告白しました。「俺、おまえのこと…じゃなかった、三国志が好きなんだ」さあいくらでも食いついてこい!期待値は最高潮。が、彼の返事は、意外なものでした。 「ええ!あんなの好きなの?」 がっつり食いついてくるかと思っていた私は大ずっこけ。「あんなの」扱いかいな~! 当時(1994年)、中国の中央電視台で長編…

  • 妹尾知之-ある海軍軍人の一生

    半年前、岸和田市にある「きしわだ自然資料館」という場所に行ってきました。島流しの前は岸和田市民だった私にとっては、数年ぶりの岸和田の地でした。ここは自然科学の展示が中心の岸和田市立の施設ですが、この時の用事は自然科学にあらず。あるご縁で施設の方と出会い、戦前の阪和電鉄や南海電鉄の資料を、業務半分でコレクションしてらっしゃると聞き、ご好意でそれを見せていただくことになりました。 こんなのや、 (戦前の南海鉄道浜寺海水浴場のパンフ。昭和11or12年) こんなの、 そして、幻の阪和電鉄ミッキー(オレンジバージョン)まで。見たこともない貴重なコレクションの山盛り。私のブログを見て訪問者の予習をしたら…

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