2020年5月
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㊴
5月になり、大阪大学の入試成績が開示された。数学は50点をわずかに超える55点。国語75点、そして、英語がなんと88点!だった。最後の最後まで数学に苦しめられ、そして、英語に助けられた結果となった。結果、A方式での合格判定であったが、C方式でも合格最低点を上回る結果であった。中学3年の10月時点では偏差値47と言われたのに随分と成長したものだと思わざるを得ない。本当に頑張ってきたのだなあ。「まさか88点もとれてるなんて思わんかったわ。我ながら凄いな」「やっぱり俺の予想通り余裕で合格やったんやな。心配して損したわ」「いや~、ホンマにダメやと思ってたからなあ」チャットアプリでのやり取りだったので次男の表情は分からなかったが、きっといつものように、“ニヤッ”と笑っていたに違いない。本当に良かったな。早くコロナ騒動が収...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㊴
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結果発表まで落ち着かない日が続く。次男は気持ちを切り替えて「後期の横国大受験を頑張るわ」と言うがモチベーションが上がらないらしい。合格発表の前夜も暗い顔をしている。そして運命の合格発表。次男は結果を確認しようとすらしていない。私も平静を装うが緊張が高まる。発表15分前にいたたまれず、習慣になっている筋トレで気分を紛らす。8時58分。居間のパソコンから合格発表のサイトにアクセス。無事アクセス完了。9時ちょうど。経済学部の結果をクリック。心臓の鼓動が凄い。画面を凝視して次男の受験番号を探す。あった!!「うわ~、やった!!」私は思わずそう叫び、次男の部屋へ突入する。突然の私の侵入に驚いている次男。「おまえの受験番号は◎◎◎◎◎◎だな?」「えっ!確認するわ」次男の部屋を飛び出し、再び居間のパソコンへ向かう。受験票を持っ...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㊳
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2月に入って、M大、H大、D大のセンター利用合格と地方受験で受けたM大の一般入試合格が判明する。「センターでマークミスがなかったということやな。安心したわ」が次男の感想だった。運命の阪大受験。結果は。。。。。。。。。。。「最悪やわ。数学が1完しか出来んかった。全く手ごたえがないわ」と落ち込んでいる。さすがに掛ける言葉もなかった。「掲示板でも数学簡単やったって書かれてる。俺は44点位しか取れてないわ。終わりや。。。。。」実際、各予備校の講評を見ても阪大文系数学は明らかに易化だった。まさに最も恐れていたパターンである。次男が言う掲示板を見ると「数学3完!」「簡単すぎた!」「合格者平均点80点超えやろ」などの書き込みが並んでいる。しかし、本当にそうなのか。私は独自にA方式、C方式で試算してみた。次男の数学の自己採点と...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㊲
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高校では水泳部に所属し、部活や塾に休まず通った。模試も1年の頃から積極的に受けた。部活の試合も全てに出場した。もっとも水泳は幼稚園時代のスイミング教室以来なので全く成績は残せなかったようだが、部活により高校生活で大切な仲間を得ることが出来たようだ。次男の高校生活で私が手助け出来たのは学費と塾の費用位である。あとは次男が自分で考え実践した。その為、高校生活について私が記録すべきことはないが、センター試験から大阪大学合格までの顛末については少し記しておこう。大阪大学受験にあたっての次男の理想はセンターで高得点を得、そのまま逃げ切りであった。大阪大学経済学部の選抜方式は3つある。A方式(センター9割、2次1割)定員65名B方式(センター1割、2次9割)定員65名C方式(センター5割、2次5割)定員68名阪大経済のボー...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㊱
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K塾でも素晴らしい先生との出会いがあった。K教室長のN先生である。N先生にはこれから大変お世話になることとなる。初日にN先生と随分長い時間面接をした。そこで次男のこれまでの受験経緯を説明。N先生は非常に興味深そうに「そうですか。それは大変な経験をしましたねえ。柔道の近畿大会優勝から随分と違う方向に進んだのですねえ。なかなか珍しいパターンですねえ。」と興味深そうに頷きながら聞いている。最後に受験結果を伝えた時には「それだけの成績ならどこの高校でも合格でしたね。たった半年で凄いですよ!まさに文武両道ですね」と言った後、「それで、大学はどこを目指したいの?」と笑顔で尋ねる。「大阪大学に行きたいです」と答える次男。「大阪大学かあ、難しいよ。けど、凄く目指し甲斐のある大学やね。現役合格出来るように頑張ろう!」「はい!」こ...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉟
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こうして次男の高校受験は終了した。次男の次なる目標は大阪大学となった。私はこの時点では数学の必要ない早慶に行ければなあと考えていた。しかし、次男は敢えて数学が必須の大阪大学へ行きたいと言う。ならば必要なのは戦略である。数学を苦手とする次男にとって大阪大学合格は並大抵のことではない。それは大阪大学には届かなかった私自身が経験し良く理解している。しかも、次男が進学する高校は難関国立大学を目指すような高校ではない。関関同立クラスを目指す高校である。高校だけに頼っていてはとても大阪大学には届かない。次男に確認した。「本当に大阪大学を目指すのか?」「うん、お父さんを超えたいしな。それにかっこええやん、阪大!」「かっこええけど阪大は相当難しいぞ。今からしっかり勉強せんといかんわ。早速、塾の春期講習に行かな。進学校の生徒は高...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉞
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受験終了後も高校進学を見据えて何度かH先生の塾に通ったのだが、その時に大学生の先生から「大学はどこに行きたいの?」と聞かれたそうだ。次男は「取り敢えず、兄ちゃんとお父さんは超えたいと思います」「へ~、具体的にはどこ?」「お父さんを超えるために大阪大学に行きたいと思います」と答えたと笑顔で教えてくれた。「そうかあ。阪大に行けたらええなあ」私は涙を堪えるのに必死だった。半年間お世話になった個別指導塾についての後日談である。次男の高校生活が始まって1ヶ月あまりが経過した頃、次男から「俺が通ってた塾の別の教室に高校の友達が通ってるんやけど「入塾の時の偏差値が47だった生徒がたった半年で、高校入試本番で450点を超えるまでに実力を伸ばした」っていう内容で新しい生徒獲得に向けてPRしてるらしいわ。これって、俺のことやんなあ...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉝
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3月12日公立高校受験。体調が万全であれば合格は間違いないとは思っていてもやはり心配は尽きない。受験終了後に次男が発したのは「数学で少し分からない問題があったけど、あとは大丈夫やろう」だった。3月19日合格発表。ΣΣ高校に無事合格だった。本当に良かった!後で分かったことだが、452/500(国語92、社会94、数学79、理科91、英語96)の成績で校内トップ合格、県内でも100位相当だった。「1科目も100点取れんかったんか!」と言った次男は半年前とはまるで別人になっていた。続く柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉜
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2月に入り、私立高校の受験に突入する。2月10日私立高校受験2月13日合格発表まずは行き先を確保した。ひとまず安心。受験前1ヶ月となり、塾も最後の追い込みに入る。毎週土曜日に塾内で受験の予想問題を使った模試が実施された。第1回411/500(国語85、社会90、数学67、理科84、英語85)第2回434/500(国語92、社会88、数学74、理科91、英語89)第3回428/500(国語86、社会94、数学71、理科86、英語91)第4回451/500(国語96、社会98、数学76、理科90、英語91)第5回453/500(国語93、社会96、数学81、理科88、英語95)「偏差値70超えましたね。内申点なしなら県内でいけない公立高校はありません。地域トップ校へも上位合格出来ます」H先生も驚きを隠さない。「こん...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉛
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2017年1月11日あっという間に冬休みが終わり、すぐに校外模試。5教科376/500。偏差値63.8(国語96、社会85、数学48、理科65、英語82)数学はなかなか厳しい状況が続くが他の教科が伸びてくる。ここまでは完全に文系型やな~と改めて思う。次男は「まだ400点に届かんわ!嫌になるわ!」と不満たらたらであった。1月21日最後の校外模試5教科405/500。偏差値66.3(国語78、社会88、数学77、理科81、英語81)ついに400点を超えた。数学も飛躍的に伸びた。これで見かけ上は苦手科目がない状況になった。塾のH先生からも「これなら余程のアクシデントがない限り受験は大丈夫ですよ」との太鼓判をいただいた。続く柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉚
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉙
年末年始も大晦日の夕方から元日の1日を除き、勉強に集中した。また、この頃になると、私のマンツーマン指導もなくなった。次男も勉強のやり方を完全に覚えて私が付きっきりで教える必要がなくなってきたからだ。勉強のスケジュールは私が組んだがそれに従って一人で勉強し、必要な時に私を呼ぶというスタイルに変更した。夏休みは1秒も勉強もせず(宿題も未提出だったらしい)、柔道に明け暮れていた。近畿大会、全国大会にも出場した。柔道の推薦で高校進学することを疑わなかった。高校でも「インターハイ上位入賞を目標に頑張りたい」と言っていた。たった3ヶ月前までは。それが冬休みは勉強に明け暮れた。冬休みの期間にこれまで3ヶ月で積み上げた基礎に磨きをかけ、問題演習も多くこなした。本来は夏休みにやるべきことを冬休みに急ピッチでやったことになる。塾の...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉙
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉘
冬休みは塾の冬期講習である。それこそ、毎日のように塾へ通った。多い日は4コマ(1コマ90分)の集中講義もあった。この頃になると顔つきがすっかり受験生になっていた。「柔道辞めて太ると思ったけど、全く太らん。勉強を一生懸命やってるからかなあ」「脳で大量のエネルギーを消費してるからかもなあ」塾の送り迎えではそんな会話もあった。塾のH先生とは「受験前なのに案外、国語の授業を疎かにする生徒さんが多いんですよ。国語ってなかなか実力がつかないし、すぐに実力が下降しがちなんですけどねえ」「うちはそんな余裕がないので、英語も国語も数学も全力投球でいくしかないですよ」「英語も国語も随分伸びましたねえ。あとは数学だけですねえ」という会話があった。冬休み期間は多くの生徒が塾で勉強に励んでいた。その中に次男の姿があることを未だなんだか不...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉘
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉗
12月の校外模試の結果である。12月11日5教科304/500。偏差値62.7(国語60、社会68、数学30、理科77、英語69)12月28日5教科348/500。偏差値60.8(国語80、社会88、数学34、理科66、英語80)正直、12月は少し足踏み状態であった。改めて見ても数学はひどい。。。。。一方で英語はドンドン成績が向上し、もはや得意科目にまでなった。この成績でも私にとっては当初の想定を大きく上回るものであったが、次男は「くそ~、成績が伸びんわ!」と嘆いていた。その度に「おまえ、まだ勉強初めて2ヶ月ちょっとなんやぞ」と繰り返すのであった。続く柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉗
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉖
12月の中旬に中学校での面談で内申点の開示があり、なんとか地域3番手校受験の許可をいただけた。次はΣΣ高校と¶¶高校のどちらを第一志望とするかだ。偏差値は¶¶高校が少し上。担任の先生も「どちらでも良いですよ」とのこと。ΣΣ高校は自宅から近く徒歩通学となる。¶¶高校は電車か自転車通学。ΣΣ高校は国公立大学への進学は少ないが関関同立クラスへの合格実績はまずまず。¶¶高校はΣΣ高校よりも国公立大学への進学実績は多い。次男はあまり迷うことなく「ΣΣ高校にするわ」と決めた。やはり通学が楽なことが大きな理由であったようだ。同時に私立の受験校もほぼ確定する。これで後は迷わず志望校合格に向け突き進むのみとなった。続く柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉖
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自宅では私とのマンツーマン指導が続いた。指導で一番苦心したのは依然として数学だった。次男は中学2年時点で数学がほとんど分からなくなったらしく、簡単な計算問題すらミスを繰り返した。特に関数の問題はチンプンカンプンのようだった。今回の大阪大学受験でも「2次の数学が出来んかった」と頭を抱え、最後の最後まで数学に苦しめられることとなった。合格が決まった後は「俺は二度と数学の勉強はやらんわ」と言っていたので、相当な苦労があったことだろう。数学については、朝の登校前にも毎日15分の計算ドリルを課した。一方でグングン実力を伸ばしたのが英語だ。最初は現在、過去、未来、三単現さえ怪しかったことが嘘のように成績を伸ばしていった。大阪大学受験でも「数学の失敗を英語がカバーしてくれた」と言っていたので、次男にとって英語は相当思い入れの...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉕
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉔
次男が私に希望したのは、「受験までにもっと多くの校外模試を受けて会場の雰囲気や試験問題に慣れたい」ということだった。前回初めて校外模試を受験し会場の雰囲気に飲まれたことの反省だろう。私は塾のH先生にも相談し、12月以降の校外模試のスケジュールを確認した。12月11日12月28日1月11日1月22日今後、受験可能な模試は4つだった。H先生からは「2月の受験直前期にはうちの塾でも5回の対策模試を実施します」とのこと。次男に確認すると「全部、受験するわ」即答だった。続く柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉔
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉓
11月21日勉強開始から丁度1ヶ月半。期末試験が始まった。ここで成績を残せば中堅公立高校進学の目が出てくる。もしダメなら内申点の関係のない私立の中堅高校以上を目指そうと話していた。次男はこの時点で完全に中堅公立高校進学を目指していた。内申点は10月の中間試験と今回の期末試験の成績でほぼ決まる。10月の中間試験の成績では期末試験でどんなに好成績でも地域のトップ校には到底届かないし準トップ校も非常に難しい。次男が現実的に目指すのは地域3番手校(ΣΣ高校や¶¶高校)だった。地域3番手校なら関関同立クラスに多くの進学実績がある。しかし、4番手校になるとかなり厳しい状況になる。そのためにもかなりの高得点が必要である。また、X県は副教科の内申点が相当に重要になるため、これまでノーマークだった副教科の成績も残さないといけない...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉓
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉒
11月下旬校外模試の成績が返却された。5教科313/500。偏差値61.3。(国語60、社会87、数学37、理科64、英語65)塾のH先生も驚いていた。次男が希望する§§高校の可能性判定も専願でAだった。「やはり柔道で培った集中力の賜物ですかねえ」と驚くH先生。H先生が「一般で§§高校受験する?」と次男に聞くと「いや、§§高校には行きません。期末試験頑張ります」次男の頭にはもう完全に§§高校もなかった。続く柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉒
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉑
実はここまでのことを事前に予想していた人物がいた。私の尊敬する元上司である。元上司は私が10月上旬に相談に伺った際にこう言っていた。「いいか。これからどんな状況に変化するか俺の予想だぞ。おまえの息子はスポーツで全国レベルの非常に優秀な成績を収めている。また、おまえの息子なので頭は良いことを前提に考える。まず、勉強を始めると勉強の大切さに気付き、勉強に集中するため柔道の練習に行きたいなんて言わなくなる。その後、持ち前の頭の良さとスポーツで培った集中力を武器に爆発的に成績が伸びていく。そうすると勉強が面白くなって、高校で柔道部に入るなんて言わなくなる。最後、入試前にはどこの高校にでも入れる位の学力がついている。もし、夏休み前から勉強を始めていたら間違いなく地域トップ高校へ入れるレベルに達していたと思う」この話を聞い...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!㉑
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!⑳
11月中旬次男にオファーを出していただいている高校の先生から中学の先生へ正式に挨拶があったと連絡があった。次男が希望すればスポーツ推薦枠でなく一般枠として優先的に扱っていただけるそうだ。有難い話だ。それと合わせて次男が希望する§§高校についても柔道の実績と実力テストの成績から次男が希望すれば一般枠でも入学が可能とのことだった。塾のH先生に相談すると「それは非常に良い話ですね。§§高校を希望しているなら是非、この話を受けてはどうでしょうか」とのこと。次男はさぞ喜ぶかと思いきや、あまり興味を示さない。つい最近まで明確に「§§高校に行って柔道がしたい」と言っていたのに。勉強を始めて1ヶ月半で次男の思考は大きく変化していた。担任の先生から次男に上記2件の確認があり、家族会議を開いた。次男の言葉はまさに想定外の驚くべきも...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!⑳
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!⑲
11月13日校外模試。次男にとって初めての校外模試であった。試験が終わり迎えの車に乗り込むなり「くそ難しかった。初めての模試で頭が真っ白になった。全然ダメやわ」とかなり落ち込んだ様子であった。やはり、少し早すぎたかと後悔した。「気持ち切り替えて、帰って少し休んでまた勉強や」勉強を開始して約1ヶ月半になろうという頃、大きな変化を迎えようとしていた。続く柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!⑲
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!⑱
11月1日勉強開始して約1ヶ月。運命の実力テスト。ここである程度の結果を残さなければ志望校の受験が難しくなる。祈るような気持ちで結果を待った。次男の感触では数学以外はまずまずのようであった。結果は、381/500。これもまた私の想定以上の成績であった。担任の先生から「公立高校の受験も視野に入れませんか?期末試験の成績次第ではΣΣ高校や¶¶高校を目標に出来ますよ」という提案があった。「最近は☆☆高校ではなく、§§高校に行きたいと言っています。関関同立以上の大学に行きたいそうです」と伝えると「そうですか。色々と考えが変わってきているんですね。何かあれば相談してください」次男に伝えると「期末試験に向けて頑張るわ」とだけ言うのみだった。続く柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!⑱
柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!⑰
10月に入って以降、実はいくつかの柔道強豪校からオファーをいただいていた。やはり、柔道の世界は狭いようで事情を知った先生から「うちに来ないか」と連絡があったのだ。次男を柔道部に入れるな!というA先生からの圧力も実際にあったそうだ。全く呆れるしかないが、そういう世界なのだろう。「そんなの関係ないので。是非、うちで頑張ってください」と言ってくれる先生ばかりで本当に有難かった。東京で大学生活を送っている長男からも何度か連絡があり、次男の進路を心配していた。「俺は高校で空手を辞めたことを後悔したからそんな思いはして欲しくないわ」と言っていた。(長男は中学時代までフルコンタクト空手の大会で何度も優勝していた。極真時代の貴景勝とも対戦)次男にオファーのことを伝えると最初は嬉しそうにしていたが、徐々にそっけなくなっていった。...柔道近畿大会優勝からどん底へ。そして・・・大阪大学現役合格!⑰
2020年5月
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