chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
「円空の冒険」追跡ノート https://shiryoushitsu.jugem.jp/

「円空仏」で知られる山岳修行僧円空は、冒険家・登山家としてもヒーローだった! 山馬鹿岐阜県民ぼっちがその足跡を5年計画で追跡する記録

ぼっち
フォロー
住所
大垣市
出身
未設定
ブログ村参加

2015/12/14

arrow_drop_down
  • 『白川町の円空』展

    11月17日(金)〜19日(日)の3日間限定で「白川町の円空」展が開催されるとの情報をキャッチ。時系列に踏査しようという方針には合わないけれど、なかなか拝観困難な個人蔵の像も含め17体もの円空の像が展示されるという。これは見逃すわけにはいか

  • 大峯・小篠ノ宿・笙ノ窟・鷲ノ窟踏査行

    5年計画で進めている「円空の冒険」追跡のうち、前半最大の難関、蝦夷地往復の踏査は今年無事終了。しかし、次なる難関が控えている。それは、円空の大峯山における修行はどのようなものだったのかの追体験的調査。 大峯山(大峰山)は、奈良県の

  • 狐穴薬師堂訪問記

    ぼっちの目が、どれほどのものか自信ないですが—岐阜・愛知両県の円空像をほぼ網羅した『岐阜県の円空仏』『愛知県の円空仏』の画像をじっくり見たところ、蝦夷からの帰還後、もっとも早い像は、羽島市竹鼻町狐穴の狐穴薬師堂の薬師如来坐像ではないかとおも

  • 美濃瑞巌寺訪問記

    11月6日(月)、松島瑞巌寺を訪れた週末11日(土)は、美濃の同名の寺、瑞巌寺へ。 円空は、松島瑞巌寺を訪れた後、経路は不明ながら美濃・尾張地方に戻っている。この時期の像とされるものに、「寛文八丁未 圓空造」の刻字がある愛知県大治

  • 【総まとめ】円空の蝦夷への大冒険

    昨年の9月から今年11月までに及ぶ、円空の蝦夷への往復追跡踏査も無事終了。江戸前期の寛文年間という時代背景を考えれば、円空の蝦夷往復は、想像を絶する大冒険だったはず。ここで、その記録をリンク付きで列挙し踏査の全容をご紹介し、➀

  • 第2回蝦夷帰還ルート踏査(5)ー松島瑞巌寺まで

    院内は、東は陸前の仙台藩、南は羽前の新庄藩に接する。Y師匠は、院内から仙台領の松島に向かうルートを何度も探索されたそうだが、円空の形跡は見つからなかったとのこと。院内から瑞巌寺まで、東に向け山越えの道が幾筋かあり、徒歩だといずれも140�内

  • 第2回蝦夷帰還ルート踏査(4)ー太子堂〜愛宕神社

    11月5日(日)秋田市のホテルを後に、同市以南の調査に。土崎湊周辺から先の円空の帰還ルートの明確な手がかりは、湯沢市院内の愛宕神社に十一面観音立像、宮城県松島瑞巌寺に釈迦如来坐像が残されていることのみ。直線距離でも、土崎から院内は80�ほど

  • 第2回蝦夷帰還ルート踏査(3)ー延寿院等日本海側

    11月4日(日)は、青森県の西海岸唯一の円空像、鰺ヶ沢町延寿院の観音菩薩坐像を拝観させていただく予定。それに合わせて、秋田県能代〜青森県鰺ヶ沢までの日本海側の調査も行う計画。 まずは、秋田県北端の八峰町の白瀑神社へ。事前調査で、円

  • 第2回蝦夷帰還ルート踏査(2)ー増川八幡神社

    赤神神社五社堂を後に、徒歩だと東に10�ほどとなる増川集落(男鹿市船川港増川)の増川八幡神社へ。円空は、ここに薬師如来坐像を残している。文化元(1804)年8月25日に訪れた菅江真澄は、『男鹿の秋風』に以下のような記録を残している(現代語訳

  • 第2回蝦夷帰還ルート踏査(1)ー赤神神社五社堂

    第2回蝦夷帰還ルート踏査は、男鹿半島の赤神神社五社堂から。自宅から約800�、道の駅の巨大なまはげ像がお出迎え。実は、男鹿半島は遠い昔、「法社会ゼミ」で、地域と法の関りについて泊りがけでフィールドワークを行ったご縁のある土地。懐かしい、船越

  • 第2回蝦夷帰還ルート踏査:事前調査報告

    「円空蝦夷からの帰還ルート「再」考察」を踏まえ、9月7日〜18日、第1回の踏査を津軽半島から本荘まで実施。そして、11月3日〜6日は、第2回目の踏査に向かう予定。踏査計画を立てるための事前調査の結果をご報告のうえ、計画をご紹介。 

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ぼっちさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ぼっちさん
ブログタイトル
「円空の冒険」追跡ノート
フォロー
「円空の冒険」追跡ノート

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用