宮坂宥勝『空海 生涯と思想』(ちくま学芸文庫、2003年) 密教の悟りの境位というものがわかってから、1年以上経って、ようやっと空海の思想に触れることができた。 本書を読んだだけでは空海の思想の内奥に入りきれなかったため、その後にも複数読んでいるのだが、ひとま
「ニューオーダー」(メキシコ・フランス、2020年) 〝新たな秩序〟の対岸に見晴らされる現行の秩序、あるいは旧套の秩序とは、何を礎石として成立するものなのか。それは民主主義的な意思決定にもとづき運営される社会である。あるいは法により治められた国家といってもよ
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宮坂宥勝『空海 生涯と思想』(ちくま学芸文庫、2003年) 密教の悟りの境位というものがわかってから、1年以上経って、ようやっと空海の思想に触れることができた。 本書を読んだだけでは空海の思想の内奥に入りきれなかったため、その後にも複数読んでいるのだが、ひとま
「ぼくたちは見た ─ガザ・サムニ家の子どもたち」(日本、2011年)【あらすじ】1400人という多くの犠牲を出した、2008年から2009年にかけてのイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への攻撃。ガザ南部の農業地帯ゼイトゥーンに住むサムニ家の子どもたちは、一族が一度に29
都築政昭『土門拳と室生寺 四十年詣でのはてに見えたもの』(ベスト新書、2001年)──────・序章「数えきれない室生寺行」(7) 古寺巡礼は、みずからの出自を再確認するためのものだった。 しかし「抹香臭い」という表現を用いているところに、当時の文人の仏教認識
(古すぎて画像なし)田村圓澄『古代史選書2 飛鳥・白鳳仏教論』(雄山閣出版、1975年) これも片づけをしながら発掘した本。 ガチの学術書である。 5月に読んだ『古代朝鮮と日本仏教』の底本みたいなものだろうか。 12年前に読んだらしい(もちろん覚えていない)。
濱田武士「日本漁業の真実」(ちくま新書、2014年)──────・「はじめに」(3)・第1章「日本漁業の視座」(15) ちょうど10年前の本なので、直近のデータも調べてみたが、漁獲量がどんどん下落している。 2010年が531万トン、ピークだった80年代は1200万トンもあった
挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」(東京国立博物館、会期 2024/10/16 - 12/08) 会期末が近い平日に見にいった。 平日でこれほどか、ってくらい人がいるわけだが。 さかのぼれば2017年、ミュシャ「スラヴ叙事詩」の展覧会でも同じことを書いたものだが、
「孤立からつながりへ ~ローズマリーの流儀~」(原題:Rosemary’s Way、オーストラリア、2020年)【あらすじ】オーストラリアに定住した難民や移民の中には、社会とのつながりをもてずに孤立した人生を過ごしている女性たちがいる。警察とコミュニティの橋渡し役を務める
「ピース・バイ・チョコレート」(原題:Peace by Chocolate、カナダ、2021年)【あらすじ】シリア内戦により難民となったテレクは家族と共にカナダへ移住。一家の受け入れ先は、故郷のダマスカスに比べてはるかに小さな街だったが、内戦で宙ぶらりんになった医学部卒業を目
「永遠の故郷ウクライナを逃れて」(原題:In the Rearview、ポーランド・フランス・ウクライナ、2023年)【あらすじ】ウクライナの市民が恐怖の紛争から逃れる避難の旅路を追った観察記録である。監督は自ら車を運転し、地雷原や軍事検問所を通過しながら、人々の移動を手助
「ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~」(原題:The Walk、イギリス、2023年)【あらすじ】アマルと呼ばれる高さ3.5メートルの人形が、同伴者のいない難民の子どもの苦境を知ってもらおうと、ヨーロッパを横断する旅にでる。道中でアマルは、同じような境遇にある難
「学校をつくる、難民の挑戦」(原題:The Staging Post、オーストラリア・インドネシア、2017年)【あらすじ】オーストラリア政府がボートで到着したすべての庇護希望者を強制収容する事態となり、インドネシアのチサルア村で数年を過ごすことになったハザラ系アフガニスタ
加藤典洋『日本の無思想』(平凡社新書、1999年) 部屋の掃除をしていたら発掘したが、以前に読んだのが社会人1年目の終わりごろで。 内容はまったく記憶していなかったが(だから読み返そうと思ったのだけど)、当時の自分が「愚論の連続」なんて書き込みを残していて、最
「ミュージアム コレクションⅡ かわりゆくもの、かわらないもの ―TRANSITION」(世田谷美術館、2024/10/26 - 2025/01/13) 「北川民次」と同時開催されていた、抽象画に移った三人の画家を取り上げた所蔵品展。 全体的な感想になる。 抽象画ってつまり、なんだろうか
「生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ」(世田谷美術館、2024/09/21 - 11/17) 結構大規模な回顧展だったのだが、正直なところ、よくわからないままだった。 個展を見れば、その人が何を目指したのか、どうしてこのような表現になったのか、といった、作家にと
中村光世『哲学に御用心 認識の謎を探る』(ナカニシヤ出版、1997年)──────・第1章「知覚と存在の関係」(3)・第2章「知覚の本性」(73)・第3章「意識、思考、自由」(155) 部屋を片づけていたら出てきたので、なんとなく眺めていたら、どうもこれ、大学の講義テ
西澤哲『子ども虐待』(講談社現代新書、2010年)──────・「プロローグ」(9) 「トラウマ」という言葉は、日本では1995年の阪神大震災を契機に認知されるようになったらしい。 トラウマ概念のルーツは、西洋では19世紀半ばまで遡ることができるそうだが、当時の西洋
創建1200年記念 特別展「神護寺 ―空海と真言密教のはじまり」(東京国立博物館、会期 2024/07/17 - 09/08) 十数年来、展覧会を経巡っていると、この程度の内容はもはや見飽きた、というのが正直なところ。 値上げもやむをえない情勢であることは理解しているが、以前で
・当初の社会主義思想が空想的であることに終始したのは、つまりは、それを具体的に論ずるための社会的要素が成熟していなかったため。 その前提は、資本主義的な大工業生産の成立。 大工業と呼ばれるものは、ようやく1800年ごろにイギリスで姿を現した。 フランスはそれ
・経済学とは、生産と交換に関する諸法則を研究する科学、と定義されている。 今はそこまでシンプルなものでもなさそうだし、「経済学なんて意味がない」と話す経済学者もいるくらいなので、学問としての定義が曖昧なままなのだろうか。 マルクスの場合は、経済学といいな
・剰余価値の発見はマルクスの成果だったと述べられる。 (剰余価値って今となっては常識的だと思うのだが、調べたところ、体系的に論じたところにマルクスの成果があったそうで、それ以前から古典経済学では言及されていたらしい)・剰余価値が資本に還元されて、さらに再
宮本輝『草花たちの静かな誓い』(集英社文庫、2020年)・1990年代以降の著者の作品に顕著な傾向だが、ミステリーというか、謎をちりばめないとストーリーを組めないんですかねえ……、ってことを思ってしまう(読んでてつまらないということではない)。 とはいえ、ミステ
倉田百三『法然と親鸞の信仰(上・下)』(講談社学術文庫、1977年)・法然の「一枚起請文」と、親鸞の「歎異抄」について、彼らの伝記をまじえながら著者がその思想を論じていく、という内容。 総括的なことはあとで書くとして、「一枚起請文」は短いのでそのまま転記する
宮本輝『星宿海への道』(幻冬舎文庫、2005年)・戦後の貧しかった日本の情景が頭に思い浮かばないと、物乞いの母と一緒に暮らしていた雅人の姿も感じ取りにくいかもしれない。 その貧しさが、どれくらい貧しかったのかということも。 悲惨であっても、不思議と明るい親子
田村圓澄『古代朝鮮と日本仏教』(講談社学術文庫、1985年)・古代朝鮮の仏教が日本に及ぼした影響、という観点での研究が少ないのはその通りだと感じる。 とはいっても40年前の本なので、その後の研究は進んでいると思うが。 別の本で読んだ話になるが、古代日本で半跏思
佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文春文庫、1999年)・極左の人間を殉教者にしないように(安保闘争の樺美智子さんみたいに祀り上げられることになるので)、警察には火器の使用を禁じていたのがおかしい。 犯人は銃砲店から略奪した火器を撃ちまくっているのに、
髙橋義夫『沖縄の殿様 最後の米沢藩主・上杉茂憲の県令奮闘記』(中公新書、2015年)・上杉の殿様の話はどうでもよく(集めた資料を整理した、というくらいの内容なので)、明治初期の沖縄の民情に興味があった。・当時の沖縄はとんでもなく貧しい。 それぞれの間切が個別
広瀬和雄『前方後円墳の世界』(岩波新書、2010年)・殯とはつまるところ、死というものを確定させるための儀式であったのではないか。 (儀式と呼べるほどに仰々しいものでもなかったかも) 南西諸島の遺習である風葬・洗骨の印象を重ねてしまっていたが、殯は風葬から洗
横山紘一『十牛図・自己発見への旅』(春秋社、1991年)・まず前提として、「十牛図」の各段階。 01.尋牛 02.見跡 03.見牛 04.得牛 05.牧牛 06.騎牛帰家 07.忘牛存人 08.人牛倶忘 09.返本還源 10.入鄽垂手 参考:Wikipedia「十牛図」 (なお、「解釈」