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2015/11/20

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  • 今日一日が輝く生き方 ~日本の心「武士道」から考える

    朝命があったということは今日生かしてくださっているわけです今日生かしてくださるということは自分にそれだけの使命が何かあるということだと思うのです一日の出発点は朝起きたときです朝起きたときに今日命があったことを感謝する気持ちがある人はその一日を無駄にすることは決してないでしょう朝感謝で出発して一生懸命生きて夜寝る前にまた感謝を込めた反省をしたらよいでしょう今日の一日というものを本当に十分に生かさせていただいたかどうかを反省し感謝することですこれを習慣づけることによって毎日毎日が光に満ちてきます―――――一日を一生の枠として考えて出発していくときにではどうするかそれは毎日毎日に新しい工夫を怠らないことですこれが新しき生活を始めるための第一歩なのです一日の枠を一生だと思いそれを反省だけに費やすのではなくて“一日...今日一日が輝く生き方~日本の心「武士道」から考える

  • 潔く生きる ~発展をもたらす「日本の美徳」

    現代では潔い人をあまり見かけなくなりました弁解や言い訳が多くてなかなか反省ができず非常に理屈っぽくなっているのが現代人の特徴です知恵がつくといろいろと理由をつけたがる傾向が生じてきて心の素直さを失っていく面もあるのですしたがって“自分は弁解や言い訳をする傾向が少し強くなってきた”と感じた時には潔さということを思い出してください人間には失敗が付き物ですが失敗したときそれを潔く認めることは魂が前進するための方法です失敗したときに潔さがないと次のステップになかなか踏み出せないのです―――――――――潔く生きることを妨げる心の傾向性について学ぶことができますいくつかご紹介しましょう・妖怪の現代的特徴を指摘すると“ゴマカシ”にあるうわべを取りつくろうのが、ことのほか上手である・妖怪は“プライド”が第一である“プライ...潔く生きる~発展をもたらす「日本の美徳」

  • 「三つ子の魂」 ~「自己責任」と「縁起の理法」

    俗に“三つ子の魂百まで”と言う幼少時に形成された性格は老年期になっても変わらないことを示す言葉だ私自身は3歳児に出てくる魂の傾向は一生変わらないという魂の傾向性を意味していると考えている3歳前後の自己の姿をはっきりと思い出すことは難しいほめられたらほめられただけ逆に世間を恨む人もいるほめられたらほめられた以上に世間にお返ししようとする人もいる叱られて育って単純に不良になる子もいる叱られて育ったので良い子になろうと努力する子もいる衣食住にも困ったので犯罪者になっても当然と考える子もいる自分は結婚もせず5人の子供を次々に作っては全員孤児院に放り込む人もいる『エミール』に理想の教育論を書いた哲学者ルソーがその一人であるルソーを勉強した学者が次々と左翼になるのを故・渡部昇一先生は不思議がっていた私にはその理由がよ...「三つ子の魂」~「自己責任」と「縁起の理法」

  • 「貧乏神」を追い払い、「大宇宙の富」を手にする考え方 ~ 心の持ち方で豊かになれる

    貧乏神は現実にいます。あの世には、ほかの人を病気にさせたり事故に遭わせたりして、人々を苦しめることを“職業”にしている霊が現実にいるのです。あの世の霊と、この世の人とは、“波長同通の法則”によって同類同士がつながります。地上の人が、貧乏神を呼び込むような心の波長を持っていると、それが感応してくるのです。ほとんどの人は、知らずに同通しているのです。―――――豊かになるための最初の関門は、“心の持ち方によって、自分の収入は変化する”ということを受け入れることです。それを、まず述べておきたいと思います。要するに、富を“悪だ”と考えたならば、収入は上がらないのです。みなさんのなかにも、“自分は富を拒否しているつもりはない”と言う人は多いでしょうが、実際は富を拒否しています。つまり、潜在意識下では、“豊かになりたく...「貧乏神」を追い払い、「大宇宙の富」を手にする考え方~心の持ち方で豊かになれる

  • 「開かれた社会」 ~ ”現代の知識人”が見落としている大切なもの

    現代の知識人には、霊魂や霊界の存在を伝える、哲学者プラトンが、人間を迷信の殻に閉じ込める暴君に、見えてしかたないらしい。また、プラトンとともに、神への体系を築こうとする哲学者ヘーゲルも、全体主義者に見えるらしい。それで、ドイツのヒットラーが、プラトンやヘーゲルの思想に踊らされて、全体主義ファシズムを唱えて、破滅への暴走をしたことになる。だから、サイコロの山を崩して、偶然に、バラバラに、まき散らかされた社会こそ、実存主義的民主主義の社会となると考えるのだ。ゆえに、愚かな民主主義社会には、神もいらず、霊界もいらず、ましてや、霊魂など、あってたまるか、ということになる。私も、四次元以降の高次元世界に包まれて、この三次元世界が卵のように存在していると主張している。私は“開かれた社会”を説いているつもりだが、それを...「開かれた社会」~”現代の知識人”が見落としている大切なもの

  • 「悟りの奥義」~仏陀が得た悟りの“深遠さ”と向き合う~

    ある人が、“悟りの奥義”を教えて欲しいと、夢の中で訊ねてきた。それが判らないから、仏教学も、哲学も、二千五百年間、ガラクタの山を築いてきたのに。かのヘルマン・ヘッセは、二十年間仏教の勉強をした。彼は、“ゴータマ”を仏陀とし、年若い自分を投影した“シッダールタ”という。もう一つの人格を小説に書いた。前半は速く書くことができた。ただ、自分の人生を投影した『シッダールタ』を第二の仏陀に書き上げるには、長年を費やしても届かなかった。当然といえば当然過ぎることだろう。仏教の知識は学べても、自分に悟りの体験がなければ、仏陀になった自分は描けない。生活スタイルの形だけまねても、すぐに他人には見破られる。恐るべきである。自分では悟りの中身が判らなくても、他人には、悟ってないことだけは見破れるのだ。愛しても、執着してはなら...「悟りの奥義」~仏陀が得た悟りの“深遠さ”と向き合う~

  • 「霊的人生観」によって自分の仕事を見つめ直す

    仕事そのものは、人間の本質に極めて近いところにあると考えられます。つまり、“仏が、自分と同じような創造の喜びを人間に与えようとして、仕事というものを与えたのだ”と考えてよいのです。―――仕事能力を上げていくためには、常日ごろ、自分の仕事の仕方をよく振り返り、“この点を改めればよいのではないか”と思う部分を改良していく精神が必要です。それは、“知の原理”であると同時に“反省の原理”でもあり、また、“発展の原理”にもつながっていきます。このように、本当に相手のためになることをいつも考えていれば、仕事と宗教精神とは両立するのです。忙しく働き、いつも誰かと話をしている人の場合は、若干、心が波立ったり、ザラザラしたりするのは、やむを得ない面もあります。そういう人は、家に帰ってから、精神統一の時間を取るとよいでしょう...「霊的人生観」によって自分の仕事を見つめ直す

  • 「怒り」の感情を「愛」に変える真理の力 ―怒りが可視化されやすい現代社会に必要な教え―

    他人がすべて理解できる人であれば、すべての人を許してしまいます。すべてを知ることは、すべてを許すことにつながっていきます。理解できないからこそ、敵と思えるのです。理解できないからこそ、その人を責めるようになるのです。―――――“他人を愛する”ということは、“他人のなかにある神聖なる輝きを愛する”ということです。“他人のなかにある、神の子としての本質を愛する”ということです。そして、他人のなかにある神の子の本質は、すなわち、自分の内にある神の子の本質でもあるということです。これが“自他は一体である”ということなのです。“まず、自らの内なる神を発見するということです。自らの内なる神を発見しえた人のみが、他の人々の心のなかにある内なる神をまた、発見することができるのです。―――――やっぱり大事なことはもし幸福に...「怒り」の感情を「愛」に変える真理の力―怒りが可視化されやすい現代社会に必要な教え―

  • 放伐の思想に基づく信長の天下取り

    中国の儒学に照らしても、信長の天下取り行動は、明らかに、「放伐(ほうばつ)の思想」(放伐:暴君や暗君を討伐して都から追放するという行為)に依拠していたことは間違いない。だからこそ、信長は、明智光秀にも討たれた。明智光秀もまた教養人であり、当然、放伐の思想を知っていた。彼から見た信長は、「悪徳王」であって、決して徳のある王とは思えなかった。だから、天命に従って、信長を討つことこそ、この国のためになり、またこの国の人民のためになると信じたのである。明智光秀も、また単なる天下取りではなかった。彼の行動には、はっきり思想的根拠があったのである。ちなみに、明智光秀は、自分の拠点であった、京都の北にある亀岡地帯を周山と呼んだ。この名残りは、今も京北の町七周山街道として残っている。戦国武将達は、自分達の権力闘争が血まみ...放伐の思想に基づく信長の天下取り

  • 信長はハードな価値観を、文化というソフトな価値観に切り換えたい

    「利休を中心として、おまえたちと、織部(おりべ)(古田織部:武将、茶人)に知恵を出してもらいたい。そして、藤孝(細川藤孝:戦国時代きっての文武両道のエリート)は、これを政治の面でどう生かしていくかをいろいろ考えてほしい。藤孝は、朝廷や大名の間の事情に詳しいので頼む。氏郷(うじさと:蒲生氏郷は戦国武将で、豪商のまち「松阪」を作った人)は、これを商業の面でどう生かせるかを考え出してもらいたい。氏郷は子供のころからわしといっしょにいたから、わしの考えがよくわかるはずだ。わしは商人に注目しつづけてきた。おまえにもそういう素質がある。とくにおまえの居城のあった、日野を拠点に活躍する近江商人たちの動向に詳しかろう。近江商人が、いかにすぐれた根性を持っているかは、わしといっしょにいた岐阜や安土で十分経験したはずだ。あの...信長はハードな価値観を、文化というソフトな価値観に切り換えたい

  • 信長の府体制と日本府の多賀城構想

    「府というお考えは、大変興味を持って伺いました。どうせのことに、信長殿がお考になっている各府の長官について、ご腹案があれば伺いたい」この言葉をきくと、一座の騒ぎはピタリとおさまった。みんなが関心を持っていることを、義久(島津義久:しまづよしひさ)がズバリときいたからである。信長は頷(うなず)き、一座を見渡した。子供に、お楽しみのおもちゃか菓子でも与えるような態度だった。「腹案を申しあげる」信長はそう口を切った。「京都府の長官には、細川藤孝と蒲生氏郷、近畿府の長官には、羽柴秀吉、江戸府の長官には徳川家康と北条氏直、それに佐竹義重、奥羽府の長官には、伊達政宗と最上義光、それに芦名盛氏、北国府の長官には上杉景勝と前田利家、山陽府長官には毛利輝元と小早川隆景、それに吉川元春、山陰府長官には、尼子氏の遺児と佐々成政...信長の府体制と日本府の多賀城構想

  • 織田信長は終始一貫して禅に学んでいた

    織田信長といえば、いつも自ら舞った例の『敦盛の舞い』が有名だ。敦盛は「幸若舞(こうわかま)い(語りを伴う曲舞の一種)」の一つで、信長が好んで口にした歌だ。「人間五十年下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」読んで字のごとく、まさに、「人間の儚さ、無常感」を歌ったものである。下天というのは、限りなく広がる空間のことだ。「それに比べれば、人間の一生など何と短く惨いものだろうか」という意味だ。信長はほぼそのとおり四十九歳で死んでしまう。そんな予感をしていたわけではなかろうが、いずれにしても、「人間の一生は短い泊だから、毎日を遺憾なく生命を燃焼させて生きるのだ」という充実感と緊張感を持っていたことは確かだろう。信長は、岐阜城や安土城にヨーロッパから来たキリシタン宣教師を招いた。そして海の向こうの文明の在り方を聞き...織田信長は終始一貫して禅に学んでいた

  • 信長は茶会の開催権は一手に掌握した

    信長はさらに工夫した。それは、「茶会の開催権は、自分が一手に掌握する」と宣言したことである。つまり茶の会も簡単には開けなくなった。開く時は信長の許可を得なければならない。言ってみれば、茶会の開催をパテント制にし、その権限の一切を信長が一手に握ってしまったということである。こういう独占と制約は、信長が意図した効果を生んだ。それは彼の部下大名たちが、給与としての土地よりも、むしろ茶道具の名器を欲しがるようになったことである。「誰々よ。今度の手柄は見事だ。どこどこの土地をやろうか?」と言っても、その部下大名は首を横に撮る。「それよりも、貴方様がお持ちになっているあのお茶碗をいただけませんか」と言う。あるいは、「せめて茶の会を一度だけ開かせてはいただけませんか。それによって、私の勢威が高まります」と告げる。信長は...信長は茶会の開催権は一手に掌握した

  • 茶の道は給与にもなると閃いた信長

    堺のまちの商人から茶の道を教えられた信長は、「これは政治に活用できる」と考えた。信長は天下への道をまっしぐらに走り上っていたが、部下に対する給与面で行き詰まっていた。その頃の給与はいうまでもなく土地で与えられる。だから武士たちには、「一所懸命」という考えが洗っている。一所懸命というのは、「ひとつ所に命を懸ける」という意味だ。ひとつ所というのは土地のことである。したがって中世から続いてきた荘園制の名残が強く、武士に限らず戦国時代の日本人の価値観は、「土地」を至上に考えていた。一所懸命というのは、「一坪でも土地を多く持ちたい。自分の土地を奪おうとする奴は、命懸けでこれと戦う」ということである。が、日本の国土はそれ程広くはない。信長は外国人の宣教師から、世界地図を見せられ、あるいは地球儀を見せられて、そのことを...茶の道は給与にもなると閃いた信長

  • 信長は土地の代わりに茶の道を考えた

    「つまり、土地の代わりになるものを考え出そうということだ」「土地の代わりになるもの?」「そうだ」「銭でございますか?」「ちがう」「ほかに土地の代わりになるものがございましょうか?」「ある」そういって信長は笑った。五人は顔を見合わせた。依然として信長のいっていることがわからない。信長はいった。「なぜ、このことをおまえたち五人に頼むのか考えろ」「なぜでございましょう?」「おまえたちは、他の者のように土地を欲しがらない」「はい」「代わりに大切にしているのは何だ?」「心、風流の道でございます」「それだ」「は?」「わしが新しい考え方にしたいというのは、その風流の心だ」「...」「まだわからぬか?わしが土地の代わりにしたいのは、茶の道だ」「茶の道?」長益(ながます)が驚いて口を開いた。長益は、信長の弟だ。父信秀の入男...信長は土地の代わりに茶の道を考えた

  • 信長に、にじり口から入った以上は、あなたも私と同じただの人間だ、と告げた

    信長は大きく笑った。そして、「千宗易、考えたな」と上機嫌になった。利休はほっとした。実を言えば利休にとって、これは乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負だった。信長が凡庸な権力者であり、にじり口から身を屈めて入らせたことに腹を立てれば、その場で体を反転させ怒って出て行ってしまうだろう。そして、「あの無礼な宗易を処分せよ」と、罰を与えるに違いない。ところが信長はそんなことはしなかった。にじり口から身を屈めて入って来たし、利休の、「にじり口から入った以上は、あなたも私と同じただの人間だ」と言われても、腹を立てない。逆に上機嫌になってニコニコ笑っている。千利休は信長の態度に感嘆した。そして、(こういう武士が、日本にもいたのか)と一驚した。あの日、利休が点てた茶を信長はうまそうに喫(の)んだ。もちろん、その頃の信長...信長に、にじり口から入った以上は、あなたも私と同じただの人間だ、と告げた

  • 誠実派の利家は出世競争の中和剤

    先の分類におけるBグループは、「いえばすぐわかる部下」である。このグループは、いつ、いかなる時代でも主君に忠節の限りを尽くす。「君、君たらずとも、臣は臣たるべし」という古風な武士道をつらぬく部下だ。その中で前田利家は信長の古い家臣である。しかも秀吉の大先輩である。したがって、「いえばすぐわかる」という、そのわかり方は、単に信長の、「黙って、おれについて来い!」という、いわば〝説明不足″の部分を補足してもらえば、(ああ、そういうことか。よし、わかった、やろう)と意気込む、ということではない。いや、そういう理解のしかたもあるが、それ以上の意味がある。信長は、秀吉という農民の子と、光秀という浪人を左右両翼に据えて重用した。信長の指示・命令のかなりの部分は、この二人の意見によって出てくる。柴田勝家や滝川一益などの...誠実派の利家は出世競争の中和剤

  • ねねの手紙にみる戦国大名としては異色の女性観

    「藤吉郎がそなたに不足を申すなど、言語道断である。けしからん。どこを探しても、あのハゲネズミがそなたほどの女性を求めることができるものか」ここまでは、実は前置きである。いよいよ本論に入る。本論に入るために、論理的に、しかも説得力をもった褒め方をしてきている。「だから、今後は、気持を陽快にして、奥方らしく重々しく振舞い、やきもちなどやかぬようにしなさい。ただし、女の役目はちゃんと果たしなさい」これを言いたかったのである。安土で信長に会ったとき、ねねが愚痴の一つもこぼしたのかも知れない。「お前ほどの女がヤキモチなどやくな」というのがこの手紙の主旨である。最後に、「この手紙は藤吉郎にも見せなさい」と添えている。「そして、仲直りしなさい」という意味である。天下泰平の現代でさえ、夫婦喧嘩は犬も食わないという。それを...ねねの手紙にみる戦国大名としては異色の女性観

  • 信長と秀吉は高度成長経済をもたらした

    天下人となった織田信長は、その後、「芸術の産業化」を自分の政策とした。すなわち、当時流行しはじめていた、「茶道」を軸として、経済政策に重きを置いた。つまり自ら茶道に関わりを持つ産品を珍重することによって、それをひとつの、「日本人の価値観の転換」に利用した。彼が茶にまつわるいろいろな芸術品を大事にしたことが、経済政策を大きく変えていった。彼の部下大名たちも、土地を欲しがらなくなった。むしろ茶碗や茶釜や茶会の開催権を欲しがるようになった。そのため、住宅、庭、服装、食事、植樹、花斉栽培、書画骨董など諸芸術の発達など、思いもしなかった文化面に諸々の現象を生じた。一連の彼のかもし出したこの状況を、「安土文化」といっている。信長の跡を継いだ秀吉も、「桃山文化」の実現によって、さらに絢爛(けんらん)豪華(ごうか)たる文...信長と秀吉は高度成長経済をもたらした

  • 信長と秀吉のちがい 芸術と政治のあり方

    織田信長の事業を継続した豊臣秀吉は、天下人になると芸術家を虐待した。虐待したというよりも、「芸術家も政治権力のもとに屈服すべきである」と考え実行した。千利休が殺されたのはそのためだ。利休は、「織田信長様は、茶人という芸術家を尊敬した。つまり芸術の分野は、政治の分野と両立するものであって、上下関係はないとお考えになっていた。いってみれば芸術の分野はサンクチュアリ(他のカのまったく及ばない聖域)とお考えになっていた。それなりにわたしたち茶人にも尊敬してくださった。ところが豊臣秀吉様は違う。秀吉様はすべての分野が政治権力に屈服しなければ気がすまなかった。わたしに対しても、家臣として仕えることを求めた。それはわたしにはできない。わたしは茶の世界における王者だからである」といった。この千利休の考え方にもよくあらわれ...信長と秀吉のちがい芸術と政治のあり方

  • 信長は秀吉に不安を感じ、岐阜という地名に変え天下布武の印章を使う

    そのような芽を出す、時代の空気を変えつつあるのは、ものいわぬおびただしい戦国の民衆であった。その存在を、家臣の方がより早く気づき、信長は、まだ高い雲の上にいたということである。山の頂を極めようとあせる信長は、籐吉郎がふもとの方でシコシコと、こういう戦国民衆のニーズを組織していることに気づかなかった。もちろん、籐吉郎自身も、それに気づいていたかどうかはわからない。しかし、持ち前のカンのよさで、籐吉郎はそういう空気の変化を、肌で感じた。そして、その空気が、かれの潜在していた適応能力を掘り起こした。墨俣(すのまた)城を築くために、尾張国北西部の土豪たちと接触したとき、この感じは確かな手ごたえになった。あの大湿地帯に城を築くということは、並大抵のことではない。しかし、籐吉郎は、(おれにはできる)という確信をもった...信長は秀吉に不安を感じ、岐阜という地名に変え天下布武の印章を使う

  • 【2025年】魂の羅針盤がない人の特徴3選【プレアデスからの使者】:第9話(2025/1/25)

    プレアデスから来たという宇宙人宇宙人HaLu(ハル)との交流記録です。この交流記録はユーチューブ動画から転載したものです。今回は死後の世界について徹底的に掘り下げた話になりました。特にハルさんのリアルな経験談にはスピリチュアルの真理に迫るヒントが盛りだくさんです。次回以降の動画にもつながる重要回となっています。今回は「魂の羅針盤」「旅立ちのとき」「孤独のなかのハルティア」「エピローグ~夢で逢いましょう」について、お伝えします。宇宙人HaLu(ハル)さんは日本の都(京都)の貴族に生まれた前世があります。和歌を詠み、詩をつくり、風流に暮らす生活をしていたとのことです(ハルさんは赤字で記載)。質問者は日本人男性です(青字で記載)。―――――――――――――――――――――――――――――――――「魂の羅針盤」―...【2025年】魂の羅針盤がない人の特徴3選【プレアデスからの使者】:第9話(2025/1/25)

  • 「三種の神器」が示す「和の国」ぶり(2019年08月18日)

    我が国の「和の国」ぶりは、すでに神話の中で示されている。(遠い神代につながる三種の神器の由来)本年5月1日午前10時30分、新帝陛下が皇位の証(あかし)として三種の神器を引き継がれる「剣璽(けんじ:つるぎとまがたま)等承継の儀」が執り行われた。完全な沈黙の中で、三種の神器のうち草薙太刀(くさなぎのたち)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、および、国璽(国家の印章)と御璽(天皇の印章)が御前の白木の台に置かれ、その後、陛下の御退出と共に、それらも運び出される、という5分程度の簡素な儀式である。勾玉を璽とも呼び、国璽・御璽を含めて、「剣璽等」と呼ばれる。三種の神器のもう一つは八咫鏡(やたのかがみ)だが、これは宮中三殿の賢所の御神体であるため、動かされない。いずれにせよ、剣璽とも箱に収められ、布に包まれていて、...「三種の神器」が示す「和の国」ぶり(2019年08月18日)

  • 『この国の希望のかたち 新日本文明の可能性』(2021年04月11日)

    「自分の将来が明るい」という青年が、日本では先進国の間ではダントツに少ないのは、なぜか?(希望を持てない若者たち)「とにかく、この国には希望がない」とは、今回の新著のきっかけとなった言葉でした。グッドブックス社の代表取締役が、企画の打合せをしている際に言われた言葉です。この言葉には私もまことに同感でした。私自身の若い頃は、同僚たちも「こんな仕事をやってみたい」「こんな車を買いたい」「結婚して、郊外に家を建てて、子供は3人欲しい」などと、いろいろな希望を持っていました。それが、昨今の若者と接していると、どうもそういう若々しい希望を持ってるようには見えないのです。生活のために就職はしましたが、「こんな仕事をやってみたい」と熱く語る姿は見かけません。家庭を持つ事に対しても、いずれ良い出会いでもあれば、と冷めた態...『この国の希望のかたち新日本文明の可能性』(2021年04月11日)

  • 4つの奇跡が造りあげた日本列島(2021年01月24日)

    日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった。(日本列島が産んだ日本料理)日本列島は山が多く、水蒸気を含んだ風がぶつかって雨や雪を降らせます。年間降水量1700ミリは、温帯では世界トップクラス。水が豊かなため、動物や植物の種類も世界のほかの温帯地域と比べればダントツに多く、動植物の固有種は3000種類、淡水魚だけでも500種に及びます。縄文時代には狩猟・採集中心で、農耕や牧畜をしないまま定住に入ったという、世界の他の古代文明とはまったく違った生活様式を生み出しましたが、それもこの豊かな自然があったからです。多くの種類の食材を、旬を考えて調理するという日本料理の特徴も、この自然の豊かさからきています。また雨水が岩石の間を通る際にカルシウムやマグネシウムなどのミネラルが溶け込みます...4つの奇跡が造りあげた日本列島(2021年01月24日)

  • 脅迫メールに屈せずに出版された「トランスジェンダー」本が訴えていること(2024年04月07日)

    少女たちが「自分は本当は男性かも」と迷うと、すぐに男性ホルモン注射や乳房切除を勧められるアメリカ社会の実態。(出版中止を要求する脅迫を受けた本がベストセラーに)出版中止を要求する脅迫メールを受けていた本が、産経新聞出版から4月3日に発売され、即座にAmazonの総合で1位となりました。『トランスジェンダーになりたい少女たちSNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』です。この本はKADOKAWAが発行しようとしましたが、「差別を助長する」という批判や本社前で抗議集会をするという脅迫を受けて発行を中止し、「結果的に当事者の方を傷つけることとなり、誠に申し訳ございません」と謝罪までしました。監訳者の岩波明・昭和大特任教授は「海外9カ国で普通に出版されている本の出版をめぐり、なぜ謝罪までしなければならないのか。出版社の...脅迫メールに屈せずに出版された「トランスジェンダー」本が訴えていること(2024年04月07日)

  • 「ゴリゴリ左翼」と戦うハーバード大教授 ~『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』を読む(2024年02月18日)

    「口汚い悪意に満ちた反日メール」は、「日に何十通にも及ぶことがあった」(「ヘイト・メールの洪水が始まっていた」)「アメリカの学界はこれほど左傾していたのか?」という驚きが、マーク・ラムザイヤー・ハーバード大学教授の『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』を読んでの最初の感想でした。教授自身が次のように書いています。__________2月1日(月曜日)、私は起床するとすぐにeメールをチェツクした。ヘイト・メールの洪水が始まっていた。韓国のメディアが日本の新聞に載った私の論文を紹介したのだった。日付が変わる頃には、ヘイト・メールの数は77に達していた。大半は口汚い悪意に満ちた反日メールだった。その後2か月にわたって、ヘイト・メールは続いた。日に何十通にも及ぶことがあった。[ラムザイヤー] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄...「ゴリゴリ左翼」と戦うハーバード大教授~『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』を読む(2024年02月18日)

  • 制脳権との戦い ~ 我々の脳を支配されないために(2024年01月21日)

    デマ情報を盛んに発信して、相手国民の現状認識をねじ曲げ、自国の思うように操る制脳権。(「志賀原発で3500リットルの油が漏れて火災」?)元日早々に起きた能登半島地震に関して、次のような発信をX(旧ツイッター)で行った人がいました。__________元旦の能登半島地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、寒さの中被災された方々にお見舞いを申し上げます。気になるのは志賀原発で、爆発音がして変圧器の配管が破損して3500リットルの油が漏れて火災が起きた。それでも大きな異常なしと言えるのか。被害を過小に言うのは原発を再稼働させたいからだろう。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄これに対して、北陸電力から次のような発信がなされました。__________■お知らせ■1月1日に発生した能登半島地震の影響で、「志賀原子力発電所代2号機...制脳権との戦い~我々の脳を支配されないために(2024年01月21日)

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