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ノリの悪い日記 http://port-k.com

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

以下のキーワードで検索すると、このブログの記事が上位に出てくるようです。「ドロレス・デル・リオ」「突貫勘太」「猿飛勘太」「画角にまつわる話」「周セン」「わかりやすい話」「新橋喜代三」「ニューヨーク23番通りで何が起こったか」「ドリーの冒険」「ヘレン・モーガン」等。なお、「わかりやすい話」は、「わかりにくさ」を「わかりやすさ」によって顕揚しようとする馬鹿げた記事です。

ノリ
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大和市
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下関市
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2015/10/24

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  • 一葉の習作

    武蔵國(武州) 江戸は、明治維新のとき江戸府になりすぐに東京府になった。そこに東京市が制定されたのは、明治十一年のことであり、一葉の生きた時代、東京市は十五区からなっている。一葉の作品は言うまでもなく、ほとんどが東京市を舞台にしている。東京市の中でも、ものごごろついてから、住んだことがある本郷区、下谷区、芝区(『うもれ木』や『大つごもり』の舞台)、神田区、萩の舎があった小石川区の周辺が舞台になることが多い。一葉の小説の中で地名が小説的効果をあげているのはすでに紹介した『別れ霜』の人力車が彷徨する場面かもしれない。この心中小説は、『心中天の網島』の「橋づくし」のように、「萬世橋」「日本橋」「京橋…

  • ほとゝぎす

    明治二十九年七月十二日の一葉の日記にこの随筆を短期間で書いたことが記されている。発表されたのは、六月十五日の明治三陸地震による津波被害義捐のための文芸倶楽部の臨時増刊(七月二十五日)であった。なお、一葉の日記は同年の七月二十二日で途絶えている。熱は七月初旬より大抵九度位あったという。 『すゞろごと』の「ほとゝぎす」は、博文館の改訂版に従うと、二回出てくる「子規」の表記がすべて「杜鵑」になっている。一葉が原稿をどう書いたかわからないので、随筆中のほととぎすの表記をすべて変えて、「ほとゝぎす」「杜鵑」「郭公」「子規」にしてみた。 『すゞろごと』は随筆ぐらいの意味だろうが、「すずろなり」には「無性に…

  • 小鍛冶 ー 『たけくらべ』の引用

    『たけくらべ』は一葉の作品であるから数々の引用がそのテクストに含まれていることはいうまでもない。たとえば、 (前略)いよいよ先方が売りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郎位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都みやげに貰ひたる、小鍛冶の小刀を取出して見すれば、よく利れそうだねへと覗き込む長吉が顔、あぶなし此物を振廻してなる事か。 に出てくる「京都みやげに貰ひたる、小鍛冶の小刀」は、能楽の『小鍛冶』が引用されていると思う。一条天皇の命で刀匠三條小鍛冶宗近が剣を打つよう命じられる。宗近は相鎚を打つ者がいないために打ち切れないと答えるが、聞き入れられない。宗近は、氏神…

  • 洋傘

    京マチ子の『濡れ髪牡丹』や梶芽衣子の『修羅雪姫』に出てくる刀が仕込まれた傘とまではいかなくとも、和装の女性は和傘を携えるという凡庸な思い込みがあったので、一葉が日記に「風にきをひて吹きいるゝ雪のいとたえがたければ、傘にて前をおほひ行く」と書いたその傘を『別れ霜』の「車上の人は肩掛深く引あげて人目に見ゆるは頭巾の色と肩掛の派手模樣のみ、車は如法(によほふ)の破(や)れ車なり母衣(ほろ)は雪を防ぐに足らねば、洋傘(かうもり)に辛く前面を掩ひて行くこと幾町」という絵になる場面で「洋傘(かうもり)」に変えて使っていることが不思議な気がした。『たけくらべ』でもそうで、「美登利は障子の中ながら硝子ごしに遠…

  • 一葉の作品は、ときどき出来すぎていて笑ってしまうことがある。『にごりえ』のここもそうである。 ついと立つて椽がはへ出るに、雲なき空の月かげ凉しく、見おろす町にからころと駒下駄の音さして行かふ人のかげ分明なり、結城さんと呼ぶに、何だとて傍へゆけば、まあ此處へお座りなさいと手を取りて、あの水菓子屋で桃を買ふ子がござんしよ、可愛らしき四つ計の、彼子が先刻の人のでござんす、あの小さな子心にもよく/\憎くいと思ふと見えて私の事をば鬼々といひまする、まあ其樣な惡者に見えまするかとて、空を見あげてホツと息をつくさま、堪へかねたる樣子は五音の調子にあらはれぬ。 水菓子屋で桃を買っている子の名前は「太吉」なのだ…

  • 「暗夜」と「にごりえ」

    「家は本郷の丸山福山町とて、阿部邸の山にそひて、さゝやかなる池の上にたてたるが有けり。守喜といひしうなぎやのはなれ坐敷成しとて、さのみふるくもあらず、家賃は月三円也。たかけれどもこゝとさだむ。」と日記に書いた貸家へ、樋口一家は 1894年5月1日、龍泉寺町から移転する。西方町の山から滲み出して来る清水が流れこむ三坪位の池を六畳二間の縁側から眺めることができたという、その丸山福山町の貸家は様々な文学者が訪問した家でもある。斎藤緑雨、平田禿木、馬場孤蝶、戸川秋骨、島崎藤村、川上眉山、幸田露伴、徳田秋声、上田敏、泉鏡花、半井桃水、戸川残花、文学者ではないが横山源之助(二葉亭四迷や松原岩五郎と知己であ…

  • 新開

    『魅せられて 作家論集』の冒頭に収められている、蓮實重彦の樋口一葉論『恩寵の時間と歴史の時間』は、蓮實が大学行政に携わって多忙だった時期に発表されたものを改稿しているので、やや中途半端な感も受け、『にごりえ』を論じたその文章は、800ページを超える『「ボヴァリー夫人」論』に較べれば圧倒的に短いものである。もちろん、蓮實が半井桃水を題材に煉瓦のような厚みの「凡庸な芸術家の肖像」を書き、それと同じくらい厚い「樋口一葉論」を書かなければいけない理由などどこにも存在しないのだから、それはそれでよい。ここで言いたいのは、にもかかわらず、その『恩寵の時間と歴史の時間』という論説は、樋口一葉という作家を考え…

  • お茶の水橋

    明治二十四年十月の一葉の日記。後藤明生の『挾み撃ち』の主人公が「ある日のことである。わたしはとつぜん一羽の鳥を思い出した。しかし、鳥とはいっても早起き鳥のことだ。ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム。早起き鳥は虫をつかまえる。早起きは三文の得。わたしは、お茶の水の橋の上に立っていた。夕方だった。たぶん六時ちょっと前だろう。」と語ったお茶の水橋は1932 年に改架されたもので、一葉が日記で書いている橋は関東大震災で焼失する前の橋である。日記を読む限り、一葉が心を動かされているのは、橋というよりも随筆『月の夜』と同じような情景である。 今宵は旧菊月十五日なり。空はたゞみ渡す限り雲もなくて…

  • 文久店

    松原岩五郎の『最暗黒の東京』(1893) に「文久店」とあるのは、一葉が竜泉寺で開いていた駄菓子屋とおなじものと考えてよいのだろうか。当時の1銭は現在の200円ぐらいに考えれば、当たらずも遠からずということらしい。寛永通寳真鍮四文銭は、明治5年9月24日太政官布告第283号で2厘の価値とされている。つまり、現在の40 円ぐらいの価値である。なお、法的に、江戸時代の貨幣が完全通用停止になるのは、昭和28年(1953年)のことである。 文久店(ぶんきゅうてん)の御客は多く下等社会の児供にあり。彼ら都会に育ちし因果には、生れながらにして広野の追放を容(ゆる)されず。馬車、人力車、荷車、電信柱の往来す…

  • 一葉の墓

    一葉の『暗夜』を読んで、なぜか泉鏡花の『貧民倶楽部』を読んだ。もちろん一葉の『暗夜』には、鏡花の『貧民倶楽部』のように人間が動物に生成し、跳梁するようなところはない。以下は鹿鳴館を思わせる六六館を貧民が占拠するところの『貧民倶楽部』の描写である。 三十余人の貧民等、暴言を並べ、気焔を吐き、嵐、凩(こがらし)、一斉に哄(どっ)と荒れて吹捲くれば、花も、もみじも、ちりぢりばらばら。 興を覚まして客は遁出し、貴婦人方は持余して、皆休息所に一縮。 貧民城を乗取りて、「さあ、これからだよ。売溜の金子(かね)はいくらあろうと鐚一銭(びたいちもん)でも手出をしめえぜ。金子で買って凌ぐような優長な次第(わけ)…

  • たま襷

    この作品は、もともと『萬葉集』の高橋虫麻呂の歌にある蘆屋の菟原処女(うなひおとめ)伝説を思い出させる。この菟原処女伝説は平安時代には『大和物語』で舞台を生田川に移して語られ、明治時代に入っても森鷗外が伝説をもとに戯曲『生田川』を書いたことはよく知られている。しかし、この伝承を身近に感じるのは、夏目漱石が『草枕』に翻案して書いているからである。採り上げたのは鷗外よりも漱石の方が早いと思う。 「ささだ男に靡(なび)こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩(わずら)ったが、どちらへも靡きかねて、とうとうあきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと云う歌を咏(よ)んで、淵川…

  • 五月雨

    リュミエール兄弟の『工場の出口』がパリのグラン・カフェで上映されたのは、1895 年 12 月 28 日であるが、その頃、一葉は傑作『十三夜』を発表したばかりである。一葉の作品をちょっと思い出してみれば、一葉が「出入り口」にことの他執着した作家であることがわかる。『たけくらべ』の名高い書き出しは、「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」だし、美登利と信如の名場面として記憶されている雨の場面は、大黒屋の門前での出来事であり、その格子門には霜の朝、水仙の作り花がさし入れられるだろう。『にごりえ』の冒頭、「おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか」は、いうまでもなく銘酒屋菊…

  • 闇桜

    いまの年齢の数え方だと十九歳のときに、一葉が書いた小説が『闇桜』というメロドラマである。メロドラマはこの作品中に引用されている『生写朝顔話』からもわかるように距離の演出だが、この作品ではお千代が自ら心の中で距離を作りだし、その距離をお千代の病による死により決定的づけている。作品の「上」「中」「下」の間には三段跳びの飛躍があって、その間にもっともらしさをまったく導入しないところが一葉であるが、通俗的な作品を作ろうとしたのなら明らかに失敗している。しかし、失敗して本当によかったと思う。YouTube に一葉記念館の動画があって藤井直子さんという方の朗読があって、しかも、画面には初めて掲載された「武…

  • われから

    『われから』を読んで、あるときから、一葉はもしかしたら黙示録を書いたのではないかという愚にもつかない想像が頭から離れない。まず、『軒もる月』でお袖が櫻町の殿の艶書を裂いて燃やす場面の描写に較べて、美尾が家出したときの與四郎のそれはなんとつまらないんだろうと正直思ったりした。もちろん、與四郎の妻である美尾が家出した経緯がそっくり省略されていることは、一葉作品の語り手に「説明責任」の意識などないことはわかっているので当然だし、『うつせみ』がそうであったように薄々のことは断片をつなぎあわせてみればちゃんとわかるようになっているのであるから、そこにまったく文句はない。ただ、いかんせん『軒もる月』に較べ…

  • うつせみ

    蓮實重彦が黒沢清の映画について書いた時評に次のような文章がある。 活劇やホラーが「説明責任」の無視に終始するなら、ラヴストーリーは「説明責任」だけで成立している。 この「説明責任」という言葉を使わせてもらうと、一葉の作品『軒もる月』の話者は、そのような「説明責任」を果たしているようにはとても見えず、それを果たそうとしているのは袖の独白ばかりである。袖が櫻町の殿からの十二通の恋文を開封して次から次へと読むところを、話者は「心は大瀧にあたりて濁世の垢を流さんとせし、某の上人がためしにも同じく、戀人が涙の文字は幾筋の瀧の迸りにも似て、失はん心弱き女子ならば。」と言っているが、恋文を次々と読む行為を文…

  • わかれ道

    紀貫之の「糸による物ならなくにわかれ路の心ぼそくも思ほゆる哉」は、この一葉の作品『わかれ道』だけにとどまらず、「おぬひ」または「お縫」が登場する『ゆく雲』にも関係していると思われる。一葉の作品ぐらい手に筆をとって書いた文章であることを感じさせるものはないと思うのだが、『わかれ道』は作中にも手で生きている二人の男女、吉とお京が登場する。吉は傘の油引き、お京は針仕事で生計をなんとかたてている。この作品はその二人の登場人物の手の動きの寡黙なる雄弁さのようなものが感じられる作品である。「上」では、長屋住まいしているお京のもとを吉が尋ねて「こと〳〵と羽目を敲(たた)」き、お京が「仕立かけの縫物に針どめし…

  • 曉月夜

    『たけくらべ』のヒロインは「美登利」という名だが、「みどり」とは本来、色を指す語でなく、草木の新芽や若葉から連想されるような新鮮でつややかな感じを表した語であるといわれている。実際、乳幼児を「みどりこ」というのは、その本来の意味で使っているのだと思う。藤村の『千曲川旅情の歌』に出てくる「緑」はどういう使われ方なのだろうか。 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし 色の名称としての「みどり」「あを」の色相は現在のものとは違っており、両者はかなり重なっていると思う。実際、信号機の「青」は緑色である。すでにあげた幸田露伴の『五重塔』の例文では、「少しは淋し…

  • この子

    藤原定家の「梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ」という歌が袖の涙に月が映り光が散乱している様を想起させるからだろうか、一葉作『軒もる月』の主人公の「袖」という名はちょっと作りすぎた感がなくもない。だが、この小品の語り手は主要登場人物をあくまで「女」または「女子(をなご)」として示すだけであり「袖」とは呼ばない。「袖」が出てくるのは「女」の独白の中に限られ、しかもその固有名詞は、主人公のモノローグ中に登場する「我が良人」と「櫻町の殿」という二人の人物がそれぞれ「女」へ呼びかける独立語、「袖よ」「袖、」に留まっている。それは、たとえば、『にごりえ』のナレーターが「誰しも新開へ這入る…

  • 軒もる月

    青空文庫の旧字旧仮名で読んだのだが、下に挙げた範囲だけでも、意味が通らないところがある。確認したらかなり怪しい。「孤燈」は「蘭燈」でランタンのことではないだろうか。「何ものぞ俄(にわ)かに」のところは、「何ものぞ佛(ほとけ)に」となっていて全く意味が通じなかった。「微笑の面(おもて)に手もふるへで」は「微笑の面の手もふるへで」になっている。この短い作品、ただ一葉の文章の素晴らしさを一字一句味わえばよいと思うので残念である。 女は暫時恍惚(しばしうつとり)として其すゝけたる天井を見上げしが、蘭燈の火(ほ)かげ薄き光を遠く投げて、おぼろなる胸にてりかへすやうなるもうら淋しく、四隣(あたり)に物おと…

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