ノリの悪い日記
読者になる
住所
大和市
出身
下関市
ハンドル名
ノリさん
ブログタイトル
ノリの悪い日記
ブログURL
http://port-k.com
ブログ紹介文
古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。
自由文
以下のキーワードで検索すると、このブログの記事が上位に出てくるようです。「ドロレス・デル・リオ」「突貫勘太」「猿飛勘太」「画角にまつわる話」「周セン」「わかりやすい話」「新橋喜代三」「ニューヨーク23番通りで何が起こったか」「ドリーの冒険」「ヘレン・モーガン」等。なお、「わかりやすい話」は、「わかりにくさ」を「わかりやすさ」によって顕揚しようとする馬鹿げた記事です。
更新頻度(1年)

260回 / 349日(平均5.2回/週)

ブログ村参加:2015/10/24

ノリさんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 10/16 10/15 10/14 10/13 10/12 10/11 全参加数
総合ランキング(IN) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 975,074サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
映画ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 10,599サイト
映画評論・レビュー 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 3,661サイト
おすすめ映画 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,161サイト
音楽ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 27,988サイト
音楽のある暮らし 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 668サイト
今日 10/16 10/15 10/14 10/13 10/12 10/11 全参加数
総合ランキング(OUT) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 975,074サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
映画ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 10,599サイト
映画評論・レビュー 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 3,661サイト
おすすめ映画 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,161サイト
音楽ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 27,988サイト
音楽のある暮らし 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 668サイト
今日 10/16 10/15 10/14 10/13 10/12 10/11 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 975,074サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
映画ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 10,599サイト
映画評論・レビュー 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 3,661サイト
おすすめ映画 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,161サイト
音楽ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 27,988サイト
音楽のある暮らし 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 668サイト

ノリさんのブログ記事

1件〜30件

新機能の「ブログリーダー」を活用して、ノリさんの読者になりませんか?

ハンドル名
ノリさん
ブログタイトル
ノリの悪い日記
更新頻度
260回 / 349日(平均5.2回/週)
読者になる
ノリの悪い日記
  • 変化に盲目

    前回の記事の意図は、バイアス自体は善でも悪でもなく、バイアスすらも適切にTPO で論理に組み込んで有効活用できるのが人間の柔軟性であり、創造性であるということである。よく、バイアスをまるで邪悪な罠であるかのように、その暗黒面しか言わない人がいるが、その教条的な硬直性にはしばしば辟易する。さて、YouTube 見ていたら、こんなのがあった。これって、自分が中心だと思って見ているところをマスクして、その周辺を見る訓練をすれば、正解率は上がるはずである。要するに、あたり前のところや、誰もが目にするところや、紋切り型イメージと一致しているところは敢えて見ないという心がけでモノを見る訓練を続ければ良い。…

  • 対称性バイアス

    前回の記事「古論理」を書いてから、この辺りのことを調べていたら、すごく奥が深いし拡がりもあることがわかった。だけど、いくらノリが悪いといっても、西田幾多郎とか、中村雄二郎の「述語的世界」とかの哲学をブログに書いてもなあ〜と思って、自粛していた。それから認知科学の「対称性バイアス」とかも調べた。これはなかなか面白くて、「対称性バイアス」とは、論理でいえば「p ならば q である」ときに「q ならば p である」も仮定してしまうバイアスのことだが、古論理も一般化してしまえばこの「対称性バイアス」がもとになっていると考えられる (論理的に正しい三段論法の前提条件のひとつを逆にしてしまえば古論理になる…

  • 古論理

    前回、シルヴァーノ・アリエティの『創造力 原初からの統合』を図書館で借りて拾い読みしたと書いたが、それは、彼が「古論理」とか「パレオ・ロジック」とか「フォン・ドレマスの原理」とか呼ぶものに少し興味があったからである。ちなみに、フォン・ドレマスは精神医学者で、スキゾフレニー (統合失調症) の患者にこの種の論理が特徴的にみられることを指摘した。「古論理」の例は、「私は処女である。」「聖母マリアは処女である。」という二つの前提から、「私は聖母マリアである。」と結論するような場合で、もちろん、通常の論理 (アリストテレス論理) の枠組では誤謬とされる。この「古論理」では述語がどれかひとつでも一致すれ…

  • いろいろ

    アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(1958) の次のシーンは見れば見るほど不思議で、蓮實重彦が「ルプレザンタシオン」(1992 年春 第三号) の「周到さからもれてくるもの ヒッチコック『めまい』の一シーンの分析」でとりあげているシーンでもある。その不思議さは、結局このシーンの中で、ブロンドのシニョンの髪型のキム・ノヴァックの横顔を大写しでキャメラが捉え、彼女が振り返るところの動作をわざわざ二つのショットに分割し、その分割したショットとショットの間にジェームズ・スチュワートが振り返るショット(この動作も二つのショットに分割されている) を挿入するという形式はいったい何のためだろうというこ…

  • プルーストとラスキン

    真屋和子という方による『プルーストの眼:ラスキンとホイットラーの間で』(1999) という論文をインターネットで読んで、これが境界線を逸脱する話でなんかとても清々しい気分になった。ジョン ・ラスキンがジェームズ・ホイッスラーの作品『黒と金色のノクターン』を酷評して、ホイッスラーがラスキンを名誉毀損で訴えた事件について、プルーストはマリー・ノードリンガー に宛てた手紙に以下のように書いているそうである。マンチェスター出身のノードリンガーは、井上究一郎の『ガリマールの家』(1980) にも登場するが、プルーストによるラスキン『胡麻とゆり』の仏訳の協力者で、プルーストに日本製水中花 (プチット・マド…

  • タイムマシン・モデル

    先進的なテクノロジーが社会的なインフラを形成することで一国が成長していくという 19 世紀型モデルに現在の日本を当てはめることは困難となってきている。ここで 19 世紀型モデルと言っているのは、テクノロジーが、蒸気機関であれ、ICT であれ、遺伝子であれ、構造的には同一の単調に繰り返されてきた、あの科学技術と産業についてのお馴染みの物語のことを指している。日本でスマートフォンの普及が他国に比べゆっくりだったのは、「ガラケー」と呼ばれるフィーチャー・フォンの機能で充分だと考える層が存在したためである。既存の規制や既存業界のために Uber は日本ではなかなか普及しない。「若者が保守化している」と…

  • 時をかける少女

    『未来からきた少年 スーパージェッター』は、1965 年 1 月から 1966 年 1 月までテレビ放映されたアニメーションだが、脚本の一人として筒井康隆が参加している。いっぽう、筒井のジュブナイル小説『時をかける少女』は、学研の学習雑誌「中三コース」の1965 年 11 月号から連載開始され、「高一コース」の 1966 年 5 月号まで連載された。つまりこの小説は「スーパージェッター」放映と同時期の作品である。『時をかける少女』には、「未来からきた少年」である「深町一夫 = ケン・ソゴル」が登場するが、ケン・ソゴルは、ジェッターの「タイム・ストッパー」よろしく、ポケットからトランジスタ・ラジ…

  • 60 年代後半の西海岸音楽

    60 年代後半の西海岸の音楽シーンの一つの側面をごく浅く紹介。1967: ワズント・ボーン・トゥ・フォロー (ザ・バーズ): イージー・ライダーのバラード (ザ・バーズ): ザ・ビート・ゴーズ・オン (ソニー・ボノ & シェール): 1969: ワイルドで行こう (ステッペンウルフ): シェイディ・グローブ (クイック・シルヴァー・メッセンジャー・サービス): アイ・ウォーク・オン・ギルデッド・スプリンターズ (シェール): ダーク・スター (グレイトフル・デッド): ライヴァー・ザン・ユール・エヴァー・ビー (ローリング・ストーンズ): ※ カリフォルニアでのライヴ

  • ロリーナ

    いろいろと見ても、最近はそのすべての作品について書く気がない。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019) も見たけれどあまり書きたいと思わない。そもそも、タランティーノの映画とは昔からごく曖昧な付き合い方で、最初にタランティーノの名前を知ったのでさえ、何の予備知識もなしに盛岡の映画館にぶらりと入って見た「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(1996) からに過ぎないのでかなり後になってのことである。そのときは、予定調和的なビッグ・ストーリーの作品 (脚本) でないところが救いだとは思った。自分は、タランティーノと同世代といえると思うが、60 年代のサブ・カルチュア的なものについ…

  • ペグ・ラセントラ

    ポール・スチュワートというと、ジョン・ハウズマンとオーソン・ウェルズが設立した「マーキュリー劇団」に初期から関与していた人物で、『市民ケーン』(1941) やロバート・オルドリッチ監督の『キッスで殺せ!』(1955) などに出演している。そのポール・スチュワートと結婚していたのが、ペグ・ラセントラである。彼女は 1930 年代後半には、アーティ・ショウ楽団の歌手だったことがある。最初のアーティ・ショウ楽団は 1936 年に結成され、1937 年には解散している。彼女とアーティ・ショウのレコーディングはこの期間に限られている。1936: There's Something in the Air:…

  • 若き日のリンカーン

    『若き日のリンカーン』(Young Mr. Lincoln, 1939) は、ジョン・フォード監督が『駅馬車』(1939) に続いて撮った作品で、この年はさらに『モホークの太鼓』(1939) まで演出しているのだから、この 1939 年は、世界大戦が始まった禍々しい思い出とともに、フォードの「奇跡の年」として 20 世紀が驚嘆しつつ記憶にとどめているものである。なお、ヘンリー・フォンダがフォード作品に出演するのは、この「リンカーン」が最初である 。フォンダが出演しているフォード作品は、「リンカーン」を含み 七本はすぐにでてくるが、それ以上は出てこないので多分七本だと思う。冒頭のポーリーン・ムー…

  • 虎鮫島脱獄

    作品の中でオープニング・タイトルを除けば、「虎鮫島 (Shark Island)」という単語が口にされることも、文字として表示されることも一切ない、ジョン・フォード監督の『虎鮫島脱獄』(The Prisoner of Shark Island, 1936) を見る。フロリダ半島キー・ウェストの西、およそ 100 Km の沖合に位置する珊瑚礁の諸島、「ドライ・トートゥガス」は、泉がなく海亀がいることでその名称をもつようになったそうだが、合衆国第三代大統領の名前にちなんだ「ジェファーソン砦」としても歴史的に知られている。南北戦争の時期には北軍の砦であり捕虜収容所でもあった。この砦にエイブラハム・リ…

  • 比喩

    『映像の修辞学』でロラン・バルトが本当にそのような純粋状態の「意味」が単独に存在しえるのだろうかと留保をおきながらも仮説として導入しているように、「比喩」とか「含意」とかといった「意味作用」を考えるうえでの入口は 、「字義通りの意味」という概念をまず想定し、それとは異なる「言外の意味」との間の戯れを律儀に追ってみることかもしれない。ごくつまらない例だが、電車の中で 私の足を踏んでいますよ。 という場合、その「字義的意味」は、相手が自分の足を踏んでいるという紛れもない事実であろうが、それ以外に相手に「その足をどけてくれ」という意図を伝える意味も含まれているだろう (含意)。次に、 あの男は狼です…

  • リバティ・バランスを射った男

    ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』(The Man Who Shot Liberty Valance, 1962)。蓮實重彦の初期評論で一番好きな箇所は、この映画で白いエプロンをつけてリバティ・バランス (リー・マーヴィン) と決闘するジェームズ・スチュワートについて書いた『映像の詩学』にある次のくだりである。学生時代、これを読んで痺れてしまった。 ジョン・ウェインは、エプロン姿で拳銃を握る男のイメージをその瞬間に永遠化しようとして引き金を引いたのだ。 今回、この作品を見直してとりとめなく思ったのは、まず、ジェームズ・スチュワートが左眼の上に斜めに貼る絆創膏の位置は微妙な違…

  • ジーン・ピットニー

    ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』(1962) を見直したので、この時期、ポール・アンカやニール・セダカほどではないにせよ人気があったジーン・ピットニーの曲を聞いていた。1962: よく言われることだが 1961 年の『ルイジアナ・ママ』は当時ロカビリーが流行していた日本のみでヒットした曲で、飯田久彦がこの曲をヒットさせたことが大きい。15 歳ぐらいの弘田三枝子もカバーしたし、他にも多くのカバーがある。 1961: 非常の町: 1962: Only Love Can Break a Heart: 恋のジューク・ボックス: 恋の 1/2: ※ フィル・スペクターがプロデュース…

  • ブヴァールとペキュシェ

    前の記事で、「主題」はネットワーク (「網目」とか「磁場」とかともいう) の非線形性である増幅作用を通じた類似や反復にもとづく意味作用によって、希薄で多様で移ろいやすい「意味」をようやく開示すると書いたが、その同じ仕掛け=装置へ「主題」のかわりに「わかりやすい紋切りイメージ」を流したら、どんな酷いことになるかという視点で書かれたのが、蓮實さんのもう一つの仕事である「物語批判」であり、現在のネット社会の帰結を見こしたような仕事になっていると勝手に整理している。もっとも、この分野については、すでに多くの人が日常嫌気をさされているので、著作を読んでも、ますます気が滅入るばかりかもしれない。こちらとし…

  • 主題論的批評について

    『リオ・グランデの砦』(1950) のクリップを再掲するが、もしこのクリップだけしか見ていないならば、モーリン・オハラがつけている「白いエプロン」が、白いエプロンである以上のものを参照していると考え、物語において明確に意味付けることは困難である。その「白いエプロン」の意味付けは、この場面からは距てられている作品の冒頭に現れる「白いエプロン」や、フォードの他の作品『わが谷は緑なりき』(1941)、『静かなる男』(1952) 等に現れる「白いエプロン」の場面と連携させることで、「白いエプロン」は白いエプロン以上のなにかを指した視覚表現ではないかと、ようやく考え始められるようなものである (その意味…

  • リオ・グランデの砦

    このジョン・フォードの美しい『リオ・グランデの砦』(Rio Grande, 1950) は、すでに簡単に取り上げているが、また性懲りもなく書いてしまうことにする。この作品は何十回見ても、見るたびに感動してしまう。メキシコと合衆国の国境となっているリオ・グランデ川の近くにある辺境の駐屯地の騎兵隊中佐であるカービー・ヨーク (ジョン・ウェイン) は、かつて南部出身のキャサリン (モーリン・オハラ) と結婚し子供ももうけていたが、南北戦争の折、北軍将校であったヨークは、軍の作戦に従い妻キャサリンの実家が所有する先祖代々の農園や屋敷に火を放ち焼き払ってしまう。キャサリンはそのことで夫であるヨークが許せ…

  • 太陽は光り輝く

    1859 年というから南北戦争前であるが、ダニエル・エメットによって作曲された "Dixie“ は、ジョン・フォードの作品でいったい何回使われているのだろうか?『リオ・グランデの砦』(1950) のフィナーレでは、ジョン・ウェインの傍でこの曲にあわせてモーリン・オハラが日傘をクルクル回して幸せそうにリズムをとっていたし、『若き日のリンカーン』(1939) では、リンカーンを演じた馬上のヘンリー・フォンダが口琴を奏でる次の場面もあった。『太陽は光り輝く』(The Sun Shines Bright, 1953) は、フォードのウィル・ロジャース三部作の最初の作品である『プリースト判事』(1934…

  • 静かなる男

    アーゴシー・ピクチャーズで製作され、リパプリックから配給されたジョン・フォード監督の『静かなる男』(The Quiet Man, 1952) は映画化の構想が実現されるまで、十数年の時を要した作品である。前の記事にも書いたけれど、蓮實さんの批評が好きなところは、映画の主題同士を思い切りのよいロングパスを通すように連携させていく点で、その的確さと鮮やかさは批評というより創造だと感じる。それからもうひとつ好きな点として、自分の感動した場面に対しては、作品全体の均衡などお構いなく、あられもない程、耽溺してしまう点である。微に入り細に入り語るのは耽溺した人の特徴である。たとえば、この作品のこの場面。こ…

  • 主題論的批評

    最近は、蓮實重彦の批評スタイルを「主題論的批評」と呼ぶことにする申し合わせがどこかでなされたのか、ネットでよく目にする。しかし、そこで語られる「主題論的批評」は昔よく使われていた「表層批評」とほとんど変わり映えしていない。 「主題論的批評」とはなにか。平たく言えば、画面に映るものだけを考察の対象とみなし、画面の細部へと、徹底的に目を凝らして発見を得る批評だ。 最近、この手のレッテル貼りをまたぞろ、目にする。肯定したり批判したりする前に、そもそも蓮實さんの批評はそういう「主題論的批評」なのだろうか。そうすると、最近記事で取り上げたバルトの『イメージの修辞学』も「主題論的批評」だし、ミッシェル・フ…

  • コリーン・ムーア

    ウィリアム・A・サイター監督の『踊る青春』(Why Be Good?, 1929) は、もちろんコリーン・ムーア嬢の主演映画だけれども、これを見たのは、前の記事でキング・ヴィダー の 『曠野に叫ぶ』(The Sky Pilot", 1921) に二十歳ちょっと過ぎぐらいのムーア嬢が出演しており、馬に乗るシーンがあったからである。彼女が髪を短くしたボブ・ヘアでフラッパーとして売り出すのは調べてみると、『青春に浴して 』(Flaming Youth , 1923) という映画かららしく、この頃はまだ豊かな髪をみせている。『曠野に叫ぶ』(The Sky Pilot, 1921) のコリーン・ムーアは…

  • キング・ヴィダー の若い頃

    植草甚一さんが映画監督であるキング・ヴィダーの生い立ちを書いている文章があって、以前それを要約したことがある。以下それを中心にまとめ直して再掲しておく。 キング・ヴィダー監督は、1894 年 2 月 8日に米国テキサス州のガルベストンで生まれた。彼の祖父は、1848 年の (オーストリア帝国からの) ハンガリー王国独立革命による亡命者である。映画はリュミエール兄弟によるシネマトグラフ・リュミエールの発明を起源とするという大方の見解に従えば、そのキャメラと映写機を兼ねた装置がパリで開催された科学振興会で公開されたのは 1895 年 3 月のことであり、有料の試写会がパリのグラン・カフェで初めて行…

  • 映像の修辞学

    この「パンザーニの広告」の画像は懐かしいので取り上げてみることにした。1980 年に朝日出版社から出た『映像の修辞学』(ロラン・バルト著、蓮實重彦・杉本紀子訳) に所収された論文「イメージの修辞学 パンザーニの広告について」で分析されている広告写真である。オリジナルの論文は、バルトによって 1964 年に発表されたものである。トマトの画像は「トマト」を指していて、網袋の画像は「網袋」を指していて、パスタの袋の画像は「パスタの袋」を指しているというのは四歳ぐらいになるとわかるもので、特別なコードの学習 や訓練 (たとえば漢字を覚えたり、英単語を覚えたりすること) をしなくても理解できるようになる…

  • 情報の貧困

    インターネットにはありとあらゆる情報があるというのは、もちろん嘘だと思う。「情報の洪水」などという言葉は幻想である。こと映画に限ってみても、作品の題名を検索すると往々にして一番上位にでてくる Wikipedia の記事をあまり気乗りはしないが読んで感じることは、まことしやかに何かを書いてはいるものの、結局は事態の検証に欠けた二次的なデータを大量にこれ見よがしに流通させているだけだということで、そのことに暗澹たる気持ちにさせられる。ネットの検索結果というものに多くの人が依存するようになってしまっているにもかかわらず、その優秀な検索アルゴリズムとやらが優先的に提示する括弧付きの情報は、いささかも本…

  • 幌馬車

    1950 年、ジョン・フォード監督。原題は、”Wagon Master"。この RKO 公開作品『幌馬車』は、『黄色いリボン』が大ヒットしたいわばボーナスとして、低予算ながらフォードが好きなように撮影することができた作品である。フォード自身も、自分でストーリーを書いたこの上映時間 86 分の作品をとりわけ気に入っており、彼が映画に対して抱いていた理想へ近づけた作品のひとつとされている。『幌馬車』が公開された 1950 年に、フォードは『ウィリーが凱旋するとき』『リオ・グランデの砦』を含む 3 本の映画を公開している。製作はフォードが、彼の盟友である RKO のメリアン・C・クーパーと1939 …

  • ブログのリニューアル

    すでにお気づきでしょうが、ブログリニューアルしました。なんでそんな気になったかというと、そもそも年金二千万円問題が話題になっていた頃、ふと「アフィリエイトに走る高齢者」という鮮やかなイメージが脳内をよぎり、それから冷静に考えて現在の銀行の定期預金の利子とアフィリエイトではどちらが儲かるのかという純粋な疑問が頭をもたげたからだ。自分の仮説はほぼ同等か、サイトの運営コストを考えれば定期預金の利子が優るというものだが、なにせアフィリエイトなるものを生まれて一度もやったことがない。それで試しにやってみることにして、Amazon と Google に申しこんだら受理された。正確にいうと、Amazon の…

  • バタフライ・ライティング

    マレーネ・デートリッヒへのライティングとして、彼女の出演作品のほとんどを撮影したリー・ガームスが採用したのは、鼻の下にできている黒い影が蝶々のように見えることから名付けられた「バタフライ・ライティング」である。もっとも、実際の撮影はほとんどジョセフ・フォン・スタンバーグ監督がやっていたという証言もあるから、このライティングは、スタンバーグ自身が採用をしたのかもしれない。ディートリッヒの最も有名な『上海特急』(Shanghai Express, 1932) の一場面における写真でもこのライティングが採用されている。この照明ではキー・ライトは鼻筋に沿って上から当てられている。このライティングの命は…

  • リオ・ブラボー

    1959 年のハワード・ホークス監督作品。原題は、”Rio Bravo"。クェンティン・タランティーノ監督が女性と付き合うにあたっては、まず『リオ・ブラボー』が好きであるかどうかをさりげなく確認し、もし相手が好きでなさそうだったらそれ以上の付き合いは遠慮するのだという話をどこかで聞いたことがある。それは、エリック・ロメールが「ホークスが理解できなければ、映画などわかるはずがない」というのと同じような趣旨の発言だろう。小学生のとき、土曜日の午後、誰もいない家に帰ってきてカラー・テレビをつけると映画をやっていて、それをなんとはなしに見ていたら、その面白さにぐんぐんひきこまれてしまったことがある。途…

  • ボー・ジェスト / 私の殺した男

    ※ 戦地で中国の少年と 「青空文庫」に山中貞雄監督の遺稿となった従軍記がある。彼の最後の作品となってしまった『人情紙風船』(1937) は、8 月 25 日が封切日にあたる。その当日に山中へ召集令状がきた。同じ年の 10 月 8 日、彼は神戸から中国大陸に向けて出港するが、日記はその出発前の 9 月 28 日から始まっている。中国への出発が 10 月 7 日と決定された 10 月 5 日に、彼はこんな映画のシナリオめいたものをそこに書き残している。 十・五 遂二十月「七日ノ旅立チ」ト決定スル ××ニ一泊シテ八日乗船トノ由。 MEMO セットは花園駅を後景ニシテ前景の宿ハ稲荷駅前ノ玉屋ヲモデルト…

カテゴリー一覧
商用