郡上八幡城へ行ってきました。 郡上八幡城の麓です。 山内一豊の妻千代には、郡上出身説があるらしく、それに基づいてこうした銅像が あるようです。 山内一豊像があった、山の中腹を越えるとこのような蛇行した道が続きます。 ここまで来るとほぼ城に到着です。麓から寄り道せずに来れば、20~30分といった ところでしょうか。基本的にほとんど上りです。 お城に到着です。ここがお勧めの撮影スポットになっていました。 入り口です。大人400円です。 正面です。城に入って1階にスタンプがあります。 天主閣最上階からの風景です。 天主閣をひとしきり見学した後、ゲリラ豪雨に見舞われ、チケット売り場あたりの ベンチで1時間半ぐらい雨宿りしていました。 城の入り口の裏にある凌霜隊の碑です。戊辰戦争の際、藩としては新政府軍に ついたようですが、幕府軍に..
大学のOB会の後、名古屋で一泊し、岐阜県は郡上八幡へ向かいました。 名古屋駅から名鉄(特急)で新鵜沼、新鵜沼からJR高山本線で美濃太田、 美濃太田から長良川鉄道で郡上八幡まで向かいます。 長良川鉄道は、ローカル線あるあるですが、ダイヤが薄めです。 長良川鉄道の美濃太田駅です。長良川からインスパイアされたペイントのようです。 車内も長良川からインスパイアされた内装になっていました。 郡上八幡駅です。私鉄だとこうしたペイント・車両が可能なんですね。 駅から城へ向かう途中、ところどころ古い町並み風のところがあります。 郡上八幡といえば、子どもが川に飛び込むイメージがありましたが、ここが その現場のようです。けっこう高いですね。 長良川の支流、吉田川のせせらぎです。 たぶん鮎の友釣りをしているんだと思います。 郡上八幡駅から郡上八幡城..
多気北畠氏城館、霧山城を見てから、大学のOB会出席のため、名古屋へ向かいます。 少し時間があったので、道の駅に行くことにしました。途中の伊勢本街道です。 美杉の道の駅です。 恒例ソフトクリームです。 伊勢奥津駅へ戻って来て、ここで自転車を返却。 さようなら伊勢奥津駅。 松阪駅を経由。 行きは近鉄だったんですが、帰りはJR。 わが青春の街、名古屋へ到着。 大学のOB会。 結婚から脳卒中で倒れたなんていう話までいろいろありました。 時の流れを感じました。
多気北畠氏城館のすぐ隣にある霧山城に行ってきました。 実質、多気北畠氏城館と一体と考えた方がいいかもしれません。 北畠氏城館入口の鳥居をくぐってすぐのこの分かれ道を左に行くと 霧山城への登城スタートです。 城址までたいした距離ではないのですが、こういう道が続くので、登城される方は 適切な服装・靴を準備されていくことをお勧めします。 北畠氏館詰城跡付近です。 北畠氏館詰城跡からの眺望です。 ところどころにこうした標識があるので、モチベーション維持に助かります。 ここまで来るとほぼ頂上です。ここの分岐の表示をもう少しなんとかして欲しかったなと 思いました。ここの分岐を右にいくと鐘突堂跡の丘を通りこして、霧山城址に行くことが できます。鐘突堂跡の丘にあがると堀切をいったん下って、また城址の丘をあがることに なります。看板を見ると、さもつながっている..
続百名城の一つ「多気北畠氏城館」とすぐ隣の霧山城へ行ってきました。 北畠氏というと、若い頃にゲーム「信長の野望」で織田信長でプレイすると すぐに滅ぼす大名、ぐらいのイメージしかありませんでした。 今回登城するにあたって、適当なネットの記事を読んで勉強しました。 松阪駅です。約15年ぶりです。 旅行前後の予定の関係で、珍しく前入りし、宿泊したホテルです。 駅から近くて、リーズナブルな価格が決め手となりました。 JR名松線です。朝だからか2両編成です。日中は1両編成でした。 ダイヤが薄いこともあり、前後の旅程を考えると、7:32発一択でした。 最近のこうしたローカル線にはありがちですが、乗客数の減少で廃線の危機が ささやかれているようです。静岡の天浜線や大井川鉄道みたいにペイントや車体を もう少し工夫すればいいのになぁ、なんて思いましたがJRだ..
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