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備後あこう浪士 釣り場の周辺 https://akouroushix.hatenablog.jp/

筏釣りで「あこう」を釣っています 釣り場の周辺の人間模様を書いています。他に本・逸話・心理など

 筏釣りで「あこう」専門に狙っています。住んでいる所が「備後」なので備後あこう浪士です。  こちらの釣り場の情報はありませんが、釣り場周辺で起こった人間模様を書いています。  魚の写真・釣り方・釣り場の情報は他の方の仕事、もっぱら釣り場周辺で釣り師を取り巻く人間模様のブログです。

備後あこう浪士
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住所
福山市
出身
三次市
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2015/07/15

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  • 石田配達営業マンは目にパンダマークの黒いふちが・・・

    春めいた頃より春が本番ともなりますと、釣り師は、がぜん活発にうごめきだしますもので、これがあの体たらくをかこった同じ人物かと見まがうばかりの働きぶりですから、死に体だとばかり思って棒切れで無造作につつくと、がぜんかみつきますから注意が必要でございます。 春と言いますのは、釣り師のみならず生きとし生けるものみな活動的になり、なおかつ繁殖活動にも精を出すこととなってまいります。 人様というのは様々なところですが、どちらさんも恋の病で上の空、心ここにあらずということは経験するところでございます。 発情期とでも申しましょうか、心ここにあらずの石田配達営業マンというのも人生二度目の発情期を迎えて、今日も…

  • アイムソーリー・ヒゲソーリー

    「アイムソーリー・ ヒゲソーリー・あべそーりー」 「あははは・・・・」 「まだ言えるんで、なんぼでも言えるんで」 「アーメン・ソーメン・・冷やソーメン」 よしゃあいいのに面白くもなんともない駄洒落を、爺さんは吐き続けた。 そんな安土桃山時代に流行ったような駄洒落を後生大事そうに抱え込んで、隙あらば吐いてやろうと待ち構えていたような吐き方するのは、点滴中に看護婦さんの歓心を買おうと必死になっている爺だ。 周りは悪い薬を飲み間違えた爺さんが駄洒落を吐き終わるのを、嵐が過ぎるのを待っている。 これは入院公害の新手の品種に違いない。 相手は年寄りのことで、いくばくかの尊敬の念を持たねばなるまいから、逃…

  • ココ壱番屋のカレーの食べ方

    いえいえ、この期に及んで食べ物の報告に方針転換してやろうなどとは思っておりません。食べ物の報告など数多くの人がなさっておいでの所でして、割り込もうなぞ大それたことは致しませぬ。 何しろ、しがない釣り師の出っ張ることではございません。 釣りを終えて数人で小腹がすいたところで、さてどうするか。 ここは手っ取り早く、腹を朽ちさせる、おまけにその日の釣りの反省を、釣果の良かった人は自慢したいだろうし、その上釣れなかった奴を肴に思い切りあざけりたいだろうし、会話の中で次の釣りのヒントの一つも探ろうなどと人さまざま算段の有るところです。 釣りは現実の生活とはかけ離れた浮世離れの所がございますもので、そのま…

  • 「御船の織」さんは今二つのことで悩んでいる

    「御船の織」さんといやあ、昔はその界隈では知らぬ者などいない、ちったあ知られた遊び人で、お城からすこしばかり離れた所にあった結構な屋敷が人出に渡るくらいは遊んだ人だ。 「御船の織」の御船は、在所が御船町だから 織は苗字の一文字から由来している。 遊び人といってもその筋の構成員などではなく、根っからの放蕩が生まれつき装備されていて、家業の建築業には目もくれずオートバイに凝りあげる、賭け事が続いて車に繋がる、ひとしきりランチュウに熱を上げる。それから御婦人に至ったところで無残にも大邸宅は鍵を渡すはめに。 普通の趣味人の域は片足も両の足もはみ出す遊び様ですから、賄は膨大なものになって 「なに、家が形…

  • 「明けがらす」に取り付かれた釣り師の春は遠い

    以前の記事で「十一」(といち)と「まばたき一」などと申します街場の金融についてた書いたところです。 お初の方にはわかりますまい、「といち」というのは十日で一割の利子が入用だということで、「まばたきいち」というのは瞬きを一回する間に一割の利子が、付くというのですから開いた口がふさがらず、挙句には口中に飛び込んだ雀が巣を作るんでございます。 以前、このことについては書いたことがあるのですが。どなたかカラスが「カアー」と泣いたら一割の利子がつくと聞いたことがあると指摘されました。 こいつは「あけがらす」といって、朝 カラスが鳴くと同時、一晩で一割の利子という、誠に乱暴な常人では伺い知れぬ街場の金融の…

  • こんな私に誰がした・・! 新福山百景 その3

    奇怪なるものこの世に様々存在するもので、自然のままに出来上がったものから、人様の手によるものまでこれはまた仰山のことだ。 今回は人の手にかかって奇怪な形にされた、世にも哀れな街路樹が存在するので世間様に、お目通り願うということでございます。 街路樹は様々あるのですが、この道路の両側に林立するするプラタナス、葉を付けている分にはどうということはなく潤いなのですが、葉が落ちるころになると人の手によって刈り取られる。 その挙句がおどろおどろしい形となって、これは疑獄の門に違いないと身構えるのです。 さぞかし地獄の門はこのようなものかと、日頃罰当たりに心当たりがある釣り師は身構えるのです。殺生を繰り返…

  • 釣り場に「浪曲子守唄」と「みつばちハッチ」が流れるとき

    「おめでとうございます」 「見事大物を釣り上げられた吉田屋さんの栄誉をたたえ家紋の掲揚と家歌の斉唱を行います」 一同起立! 吉田屋さん張り切ってどうぞ! 「有難う御座います、我が家の家紋は誤算の切ではなく、(伍三の桐)であります。家歌は(浪曲子守歌)です。お耳汚しのところ誠に僭越ながら心を込めて歌わせていただきます」 逃げた女房にゃ未練はないが お乳欲しがる この子が可愛い・・と・・ 「それにしても今日はしけとるのお、全体でこれ一匹かい・・!」 この地方、燧灘は海水が下関と大阪両面から流れ込む地とあって、水温が上がるのが遅いところです。 黒鯛の乗っ込みが始まる頃なのですがまだ姿が見えず、明石さ…

  • ハズキルーペを掛けた釣り師はかく語りき

    わかりやすいお話ということでございます。 人間年を取りますと体のあちこち不都合が出てまいりまして、こんな筈ではなかったにと思ってはみるものの、如何せん世間様の見えぬところでその醜態を悟られまいと、悪あがきをするものでございます。 年取って目が悪くなったのでハズキルーペを使用したという単純なお話。これが悪あがきかどうかはさておいて、その周辺のことを少々。 全く分かりやすいところで、「目」など年齢を重ねるごとに、確実に衰えてメガネなどで修正を図ってまいるのですが、最近そこに現れ出でたる新兵器「ハズキルーペ」なるものが出てまいりました。 寄る年波にやせ我慢を重ねてメガネを着用するのを引き延ばしていた…

  • 波止場の忠兵衛の死

    さて 釣春 と申しますが果たしてそんな言葉が有るのか無いのか、聞いたことが有るような無いような、誠にもって釣り師ごときのたわごと、お聞き流しの上、お笑いいただければ幸いです。 今年も誰が頼んだわけもなく春というのはやってまいりまして、一人 釣師だけではなくて世間様も浮かれ出してまいりました。 浮かれたのは世間が先だ、釣り師が先だというのはわきに置きまして、釣り師が先に決まっておりますが、そんなことはおくびにも出さず釣り場にやってまいりました。 なに一寸病んだりいたしましたところ、わずかの間にもその取扱いは変わってきておりまして、休んでおる間にその座をちゃっかりせしめる奴や、名人面をして何やらお…

  • 当てが外れた釣り師の「標準木」

    梅が終わって桜、誠に春の到来ということでございまして、桜の開花があちこちで聞かれるようになってまいります。 ブログの中でも桜が満開、全国各地の写真が掲載されることとなってまいります。開花はずれがありますから随分長いあいだ桜を愛でることができますので、ぜいたくな花見ということでございます。 ひとつ花だけでなく、ご婦人方も活躍されておりますのでブログの中は、今や盛りの奇麗どころ、ちょっと年増の伯母桜、枯れ木に花をと踏ん張る方々で誠に百花繚乱、華やかなことこの上ないのです。 枯れ木に花は、少々無理筋とは言いませんが・・・ さてさて、写真の花 おそらく梅であろうと思われるのですが、釣り師にとっては特に…

  • 「こいみばし」をめぐる人民解放軍と南ベトナム民族解放戦線の攻防

    人が多く住みます街の川は、本来の流れではなく用が済んで脇に追いやられ、川の流れが変えられたり 、生活排水などで汚れたままになり、なかなか顧みられないものでございます。 福山でも一時そのような流れは汚れ放題で、見るのも入るのもいや、人様の厄介者になり果てておりました。 さてお役所や民間の方がこれは何とかしようなどと思うところ、いろいろ手だてを打ってまいります。 民間では流れの掃除と振り返ってもらおうと、見た目きれいに改造を施すところも出てまいります。そこできれいになったところで、蛍を捕まえてきて放つ、一見街の中にも蛍が舞うという、いかにも「なんだかなあ・・!」というようなところも現れてまいります…

  • 「さんかべえとお」の横山君のことだ 筍をめぐるイノシシとの闘い

    さて季節の到来ということでございます。 何がと申されるところですが、地中より筍が恐る恐る顔を覗かせるんでございます。 筍にしてみれば顔を覗かせたが最後、いつ人間やらイノシシに襲い掛かられて食われてしまうかもしれません、顔を覗かせるのは命がけのこととなってまいります。 *これは本文と関係ありません。 同居する犬です。 モカといいます。 この度はそんな筍に襲い掛かる「さんかべえとお」の横山君とイノシシが骨肉の争いを繰り広げてまいります。 「さんかべえとお」と皆様方にはあまり聞きなれない言葉だと思います。 この言葉を解説いたしますと、これは方言なのか通常用語で一般に知られているものかは定かではないの…

  • 福山自動車時計博物館(新館)が出来たのだが・・・・新福山百景 その2

    新しく出来上がる‥のは、様々どこでも何時でもあちこちあるものですが、ここ福山にも新しいものが春のつくしの如く立ち上がったのでございます。 新しく立ち上がったと申しましても、これまた古いものが忽然と立ち上がった‥のが福山自動車時計博物館(新館)ということなのです。 館長の能宗孝氏については、過去記事でその癖をお伝えし暇つぶしを願ったところ、このたびはまたささやかに呆れていただこうという嗜好でお時間を頂戴いたします。 この館長という御仁、思い起こしていただければ少々、思い込みやこだわりが強いところで、すし屋に赴けば「たこ」を10貫ばかり腹に入れたところで・・ 「今日いいネタはなんかある?・・・」 …

  • 新 福山百景 その1

    さて 「新福山百景」 ということで世間様に多く知られているところは他人さまで能力のある方に紹介いただくとして、釣り師から目に映る福山の日頃あまり日の当たらぬ情景をお知らせします。 さて早速に写真をご覧いただきたい。 自分にすれば日頃見ている風景で、これはと思うもの、いつも定点観測をしてたよりにしているもの、ある日「おっ・・!」と目に留まったところを切り取ったもの、どちら様にも僅かばかりの潤いになればと思うところですが・・さて写真だ・・ 何の変哲もない民家ということで、なんだくそ面白くもない、などと浪士の野郎これで「潤え」など、ついに焼きが回ったと思われてもしょうがないところですが ま もう一度…

  • 将棋で浪士様に挑もうなんぞ100年早いわ !!

    「近頃の若いもんは」 などという台詞をまきちらすのは、いい加減新しい才能を認めて収まるところに収まるべきなのに、枯れすすきになりそこねたじじいの台詞でございます。 何も心配せんでも新しい才能は湧き出てきているものでして・・、というわけで今脚光を浴びている藤井聡太君に触発されて、にわか将棋にうつつを抜かす話ではございません。 森川君は隠しきれないほくそ笑みを必死に押し殺して、さも「将棋の勝負など眼中にございません」、釣りを覚えて酒の肴もほしいが釣りの教えを乞うには浪士の野郎の前で少しばかりは卑屈にならねばならん、つまり愛想の一つもせねばならんが、ここはひとつ我慢のしどころで釣りで卑屈になっても将…

  • 仕事師の大塚君は鬼びっくり饅頭の鬼を作ったんだが

    数々戯言を書き連ねたところで、はて あのことは書いたかどうか自分でも分らぬ事と成って参ります。 これはいかぬということで一念発起読み返すこととしたので御座いますが、これがいけません。 何しろ最初から読み進めようとしたのですが、恥ずかしき事の数々とてもじゃあございませんが読めるもんじゃあありません。 五つばっかり読み進めたところでお手上げでございます。 以降重複した事などありましても、どうかお見逃しの御慈悲を請うということになって参ります。 はて御題の仕事師、大塚君のことでございます。最近ではなにやら金曜日は仕事をせずに早く帰って消費に励めなどと、仕事師にとってはいかにも住みにくいこととなってま…

  • 「なんの・・これ・しき・・」

    「なんのこれ・・し・・き・・むむ・・・・」と思ってはみるものの・・・。 それは50センチばっかりの真鯛が針がかりしたときのことです、大方これは真鯛のそこそこサイズだろうと見当をつけたところで、さていつもの手はずどうり取り込むか、と思ってはみるものの・・・。 昨年の9月のことでしたか、1年と半年ばかり中断していた釣りに出かけた時のことでございますよ。 件の真鯛ごとき、日ごろでしたら鼻歌交じりのその上鼻くそほじったところで、天皇賞の予想など二つ三つこなしたところで手もなく釣り上げたところなんですがね。 何しろ釣り師が一年半も釣りから遠ざかるんですから、人間落ち目にはくれぐれもなるもんじゃあありませ…

  • 三百代言と「あこう浪士偽弁護士事務所」

    世に様々仕事などあるところで、真っ当なのからかなり如何わしいのまでそれは多様に取り揃えてございます。 釣り師といいますのは職業ではございませんで、魚を獲る事で生業をなすのはこれは職漁師の領分、釣り師といいますと魚を釣る事に他人様よりよほど固執したところの蕩尽者のことですから、くれぐれも漁師の方とお間違いなきよう取り計らいをお願いするところです。 「師」と名の付くもの、詐欺師・山師・地面師などとあまり褒められた扱いは受けぬものでして、いずれもひと山当たるか当たらぬかの瀬戸際で成り立つものでございます。 これが同じ「し」でありましても「士」と成りますと、公的な資格となって権威がございますし、世間の…

  • 「勝馬」の爺さんの競馬予想

    同じ釣りをするにいたしましても、そこは上手と下手ということでございまして、衆目の納得するところで、容赦なく分けられるのです。 これは釣りに限った事ではありませんで、何事も上手、下手の仕分けが行き届いております。 上手と言いますと最初からそうであったかと言いますと、どうしようもない天才を除いて、どちらもやはり駆け出しと言うのはあるものでございまして、浪士の野朗がまだ釣りを始めて間が無いころのことでございました。 「土手の柳は風任せ、可愛あの子は口任せ」などと、いい加減なパチンコ屋さんの店内放送が二時間おき位にはまだ有った頃、ここ福山にはまだ福山競馬が存続しておりました。 馬主別当の君さんの手引き…

  • はみ出す漁師と細める横ちゃん

    魚を獲る獲りたいというのは、大古から人間様々苦心に苦労を重ねたところで色々手段を編み出して参ります。 川を堰って水をかい出す、泳ぐ術無い魚を捕まえる、潮の干満を利用してくぼみから逃げ遅れたのを捕まえる、この辺りが魚を捕まえた最初の手段であったでしょうが、その後はこれでもかというぐらい編み出すものでして、硬軟取り混ぜ姑息なのから乱暴なものまで取り揃えるのでございます。 魚を獲る手段には大まかに分けて、網で獲る・罠を仕掛ける・釣ると言うのに分けられるでしょうか。今ではこれに育てるという養殖の手段まであるところで、養殖はいかに言いましても獲るとはかなりかけ離れたところの手段です。 これら正当な手段の…

  • お山は逃げんでのう、惑うのは人間ばかりじゃ

    ここ福山は瀬戸内海の真ん中辺り、大阪と九州方面から満ちの潮がぶつかるところで、これが引きの潮とも成りますと正反対にそれぞれの方向に逆戻りするのですから、ここはまさに真ん中近辺なのでございます。 この真ん中近辺といいますのは案外厄介なもので、海水の循環が上手くありません。 つまり暖かな海水があまり入ってこないのですから、海水温が上がらない。それに連れて魚の活性も上がらないと成るのですから、釣り師は頭を抱えることとなるのです。 魚の食いが悪い季節の釣り師はさぞかし陸に上がった河童だろうと思われるのでしょうが、これがどうしてこと釣りに関してはめげるものではございません。 ある者は道具の手入れや仕掛け…

  • 木俣さんの釣場の弁当

    釣り師の朝は早いと言うのは相場が決まっております。 世の中ではそんなに役にも立たぬのが年甲斐も無いところで浮かれているんだろうと、お思いの向きもあるところ、確かに浮かれていないとははっきり言えない所が情けない有様なのですが・・・ 魚を釣ります時、「朝まずめ・夕まずめ」などと朝晩魚が良く釣れる時間帯が有るところで、釣り師はこれを狙うと言う事も有り、朝早くから朝駆けするのでもございます。 今は24時間営業の店などふんだんに有って不都合は無いのですが、昔は朝早く弁当などを売るところが御座いませんでした。 前の晩 昼に使う弁当と、なにぶん腹が減っては戦が出来ぬ、朝に腹に入れるものを段取りいたします。 …

  • スーパーカブと亀の子たわし 小母さんそれは幾らなんでも・・

    なんとも驚くと言うのはあちこち転がっておりますもので、己が体験しておりませんでも人様が見聞きした中にも大層驚くことがあるものです。 年明け、どうにも髪の毛を始末せんことには後ろ髪が五月蝿くてかなわない、髪の毛の始末ばかりのところに足を引っ張る爺は出る、竹の伐り出しから若い衆の面倒とめまぐるしい中、ようやくの事で飛び込んだのは安原さんの店です。 安原さんは親子2代の散髪屋さん、釣り好きの親父さんは散髪に行くたびにすぐには帰してくれません。 最初の頃は散髪の後、あそこが釣れる 何の餌で、だれそれは大物をなどと さして代わり栄のしない話で足止めを喰らいます。 そりゃあそうです、昔から散髪屋さんと言え…

  • 牢名主と若頭、ふんどし担ぎで成り立つ釣場

    いま少しの辛抱をと言う季節になってまいりまして、魚も人間も活性が上がるまでにはあとわずかの日数を数えればと言う季節になってまいりました。 世の中そりゃぁ活気が有るに越したことは御座いませんで、しょぼくれた湿っぽいところではいかにも貧相でいけません。 賑やかで元気そうに繁盛するところにはそれは人も金も集まるものでして、その賑やかさにもちゃんとした裏づけが有るもので御座います。 結構賑やかな店など参りますと、番頭格の人が睨みを効かし、手代格が的確に指示を飛ばし、後は淀みなく仕事をこなすと、無駄なく一連の流れが出来ておるもので御座います。 釣場にも活性のある釣場と、貧乏神の寄り付かぬであろうと思われ…

  • 釣りをじゃま立てする「三匹の爺」

    日常と申しますのは、有る物が有るところに収まって波風が立たぬことをいうのでありまして、これに何かが無くなったとか突然何かが現れたりいたしますと、風雲急を告げたところで違和感に世間が騒ぐので御座います。 冬場の手慰みに竹竿を作ろうと手下共と伐り出した竹を乾燥させるために、束ねたところで林立させます。寒風に程よく晒すのが具合のいいところで、頭などはもうすっかり完成したところで回っておりますので、製作途中を省く誠に都合のいいところで心地よくなっております。 自分勝手に心持ちの良いところで油断の一つもしておりますと、この林立した竹が波風を立てることとなって参りますので用心しなければなりません。 日常の…

  • 「侘助」の釣り師

    「寒椿」と言うのは白い雪の中で凛としたたたずまいが健気で、好きな花の一つだ。 どうした訳か子供の頃寒い中でも清楚というよりも存在感の有るその花の前まで行くと、がさつな身でも思わず足を止めて見入るぐらいの力は持ち合わせているので、それは不思議な気を引く花で御座いました。 年端の行かぬ時分でそうであったので、その頃刷り込まれた鮮やかな印象は大人になっても消えるものではなく、賢覧豪華な花や清楚な花など数あるところですが、何が好きかといわれれば、やはりおろそかにできない位置に寒椿を持ってくるのですから、明らかな根拠は無いのですがやはり好きな、人の気を引く花いうことになって参ります。 「ミタ」さんという…

  • もう勘弁してやってはどうかい!

    さてお立会い、何の変哲もない一枚の写真此れがどうしたと怪訝な顔をされるところですが、此れがどうこうするのですから世の中退屈はしないように出来ておるところで御座います。 さてこの車、何処にでも転がっていそうな古い物ですが、これがそんじょそこらにある古いものと一緒にされたのではかなわない、何しろ丁度50年目を迎えたところで大往生、ここ20年来夏には強力な暖房がよく効いて、冬には凍死体の製造機などとも呼ばれる冷房がこれまた容赦なく効くという、誠に不都合を絵に描いたような代物なのです。 そうあの携帯電話をたびたび海中に落とした高下君の車です。サニーの50年前式という代物で、この度あえなくご臨終と相成っ…

  • 猫寄せの久良やんはかく語りき! 墓暴きの顛末と言い訳 (2)

    (後編)日本史が変わる!飛鳥時代の吉備の中枢は福山(猪ノ子古墳・吉備国守墓説)。 考古学の権威であった岡山大学の故近藤義郎名誉教授が、新市町の尾市古墳を見学されたとき「おかしい・・・」と言われたことを、案内した知人に聞きました。 福山北部地域の「列島に例を見ない後期・終末期の古墳集積」に対しては、専門家は「おかしい」「異常」「わからない」と言うばかりで、今日まで「あいまいのままでよし」としてきました。このおかしな通説(常識)」の主因は、「吉備の中枢は、岡山県総社市周辺である、なければならない」とする、学者・研究者自らの呪縛によるものではなかったのか?と思うのは、私一人のみでございましょうか? …

  • 猫寄せの久良やんはかく語りき! 墓暴きの顛末と言い訳 (1)

    (前編)吉備の歴史が変わる!中国地方最大の飛鳥時代の王墓墳「猪ノ子古墳」。 はじめてお目にかかります、久良(くら)でございます。このブログを楽しみに読まれている方々に、あこう浪士さまのブログジャックをしましたことを、心より深くお詫びする次第でございます。 浪士さまの強力なご推奨をいただき、私が主張しております「飛鳥時代・吉備福山中枢説」を掲載させていただくことになりました。そのようなことには興味がない、とおっしゃるかたも多いのではないかと存じますが、ご容赦頂きますようお願いする次第でございます。 浪士さまに墓暴きと揶揄された私が、福山市教育委員会に古墳調査を働きかけた目的は「壊れかけている広島…

  • 感想文・反省文に起請文、懺悔せよと釣り師に迫ったのだが!

    寒さも厳しくなったところで釣場も閑散といたします。釣り師などといいますのは粋がって釣り場に赴く者と、だんまりを決め込んでもっぱら頃合を計り気候がよくなるのをひたすら待つという奴に分かれて参ります。 どちらも今釣るか後ほど釣るかの違いで御座いまして釣り師はやはり釣る事しか考えておりません。 さても積み重なったものなり、先日ブログの記事数が250記事を越えておりました。 釣場のあれこれ、戯言ばかりでお笑いいただいたところですが、最近ではあの事は書いたか書かなかったか、とんと定かではありません。 ここは一番、全部読み返して生き恥ををさらえる事をしなければどうにも具合が悪い。 それには少々時間稼ぎをし…

  • 猫寄せの術を使う久良さんはマタタビで出来ている

    墓暴きなどとかなり物騒な事でお騒がせしたところです。 片肺の墓暴きの言うところによりますと、猫と申しますのは良く観察しているもので、さすらいの忠兵衛の記事はまさにその通りだろうと言うのである。 猫にしてみれば釣場で釣り師の腕の良し悪しを見極めるのはたやすいことで、かえってそんな能力を退化させた人間のほうがその能力を驚いてしまうと。久良さんは魚は釣らないが、人間がもしそのような能力に立ち返ることが出来たら、釣り師はもっと魚の釣れることに成るだろうと言うのである。 はたして人間が観察眼を取り戻すことが出来たらそれは進化したと言う事なのか、それとも原始に帰る退化なのかは定かではないところだが、いずれ…

  • 巻き上げられる波止場の釣り師と「菜っ葉の小母さん」の釣り !

    波止場と申しますのは文字通りの事で、波を止める用向きで作られたものでして、決して釣り師がたむろする為に作られたものでは御座いません。 船を舫で船だまりにしますのと、もしもの大波や高潮のために備えるもので、そのもしもなどめったにあるものでは御座いませんで、大半は釣り師の手慰みの場と成るのです。 こちらの波止場は我々筏釣りの出船場とも成っておりますところ、いきおい筏の釣り師と波止場の釣り師が混在するということに成ります。 釣る魚と釣り方が違う為に分かれるのですが、話しと趣向が違ってきますから日頃あまり行き来はありません。波止場でも挨拶を交わす程度ということで折り合いは付いております。 どの集団にも…

  • 「といち」 じゃあないよ 「まばたきいち」だよ前川くん!

    世の中には誠に奇妙奇天烈、その上複雑怪奇なことが有りますもので、よほど注意を払わねば、けつの毛まで抜かれる羽目となって参ります。 先日もなにやら耳障りのいい事を申しますので携帯屋に出向いて参りますと、ああだこうだと能書きに責任回避の言い訳をまぶして、挙句巧妙に小銭を巻き上げる算段を凝らしているのですからいけません。 やたら複雑な仕掛けを親切で覆い隠しているのですから、油断した日にはあっという間の丸裸、とても米の飯にはありつけなくなります。 世の中は様々な決まり事や掟でがんじがらめのところ、おおよその常識の範疇に入っておりまして、何の疑いもなく日常は過ぎて参ります。 ところが中には驚くような約束…

  • 「庄屋の娘もゆうてみにゃあわからん」それで駄目なら「二度三度」

    寒い時期と成りますと魚の活性は落ちてきます。ただこの季節をここぞとばかりに動き回る魚もありますから、釣り師は退屈いたしません。 寒いということに成りますといきおい人間の活性も落ちる事と成りまして、釣り人の数も減って参ります。 この時期は余程の好き者か、世間知らずの下手糞の登場と成るわけで御座いまして、前回に続いてまた下手糞が現れる事と成って、世間様のひそやかな笑いを誘うのです。 「石川や浜の真砂は尽来るとも世に盗人の種は尽くまじ」と かの石川五右衛門先輩が仰るところですが、種が尽きないのは盗人ばかりでは御座いませんで、ひとつ釣り師も例外では御座いません。 水の中の魚を得たいと願うのは大古から人…

  • 「あんたの子供は隣の畳屋の親父に似ていないか?」

    どちら様も初春のお喜びを申し上げるところです。 随分と遅い間の抜けた挨拶ということで御座いますが、ほとんど哀れな置かれようの釣り師で御座いますから、哀れな野朗の精一杯の気の効いた挨拶などとお笑いいただければ、事は波風の立たぬところと成って参ります。 釣り師の正月などといいますのは、喰って飲んで寝て釣るという面白くもなんともない事の繰り返しなのですが、当の本人はこれさえ邪魔立てされなければ至って機嫌がよいのですから、かなり単純に出来ております。 さてここは穏やかな日和の新春の釣場と言う事で御座いまして、いつもの年季の入って少しばかりくたびれの出た釣り師に混ざって、何度か顔を見せた事のある大層下手…

  • 今年の最終記事ですどちら様にもお世話に成りました

    師走といいましてどちら様もさも忙しそうに立ち回るのですから、それは適当にあおられる事に成って参ります。 さも忙しそうに振る舞いませんと相手を傷つけてもいけません「ああ忙しい」などと申しまして胡坐をかいたりしておりますと、まだ片付けが手付かずだったりしますから油断して世間様と適当に遊んでいる暇など無くなっております。 「大家さん、先日は勝手に記事にさせてもらったで、今後も無慈悲に書く積りなんで覚悟の一つや二つはしてもらう始末、よしなに」 「ああ 何ぼ書いてもえで」 と歯牙にもかけぬ自動車博物館の館長に事後報告です。 ああだこうだがあって 「金に詰まったところでマンションの一つもくれ」と申しますと…

  • 自動車時計博物館の館長とタコ

    どうした弾みである事か、おのおの方それぞれ趣向などある事で御座いまして、好みの程も違ってくるので御座います。 好みなどと申しますのは、自分が好きだから相手も好きだろうと思い込みましても擦れ違うだけですから、交わりません。 それが分かりましても、何でこれがいいのかと成って参りますから、他人様の好みなど怪訝な顔つきで眺める事となるので御座います。 福山時計自動車博物館と言うのがありまして、字面通り古い時計や車を展示しております。博物館などと申しますのは役目を終わって今は希少なものと成った、いわば死骸を展示するようなもので御座いまして、その道が大層お好きな方にとっては正に 宝の山、垂唾物と言う事にな…

  • 福山に御出での節は 郷土料理「うずみ寿司」 を是非にも食していただきたいものです。

    日本全国それは広いもので御座いまして、所々におきまして上手い酒だの名物だのと言うのが御座います。 どちらのお兄さんお姉さんも自慢なさるところで、これが無いなどといいますのはそれこそ無いので御座いまして、なさそうなところでは無理にでもでっち上げて繕っておるところで御座います。 なかには美人の産地などといいますものもあるところで、じゃあ全て美人なのかと言いますと、なかには個性的な方もいらっしゃるようでして、なかなか触書どおりには参りません。 地方の色を濃く表しているものの中に「郷土の料理」と言うものが御座います。 どちらもその土地で取れたものを時間をかけて工夫進化させておりますから、地方色をこれ程…

  • 細工用の竹を算段しに参りました。

    暫く更新を休んだところですが、体調などの事ではなくこの冬仕込む竹などを算段しに藪に籠もっておりました。 竹などは活性の高い時は勢良く水分を吸い上げるものでして、寒くなりますとこの量が少なくなって参ります。 この頃合で竹は切るものでして、虫など付かないこの時節が実に都合のよろしい事と成って参ります。 竹を切ると申しましてもそこはおのおの個性の出るところで、後先考えずにとりあえずなぎ倒すのから、余分目にひたすら長く切り出すもの、はたまた人の切り出した竹に目移りがしてくれくれと「物貰い」に徹する者など、頭の数だけ切り方が違うのですから面白う御座います。 労働者階級の森川君など切り口の竹の皮がめくれ上…

  • 墓暴きの久良さんは 「このブログは新手のプロレタリア文学の匂いがする」と言うのだ!

    のっけから墓を暴くなどと、およそ世間様では怪訝な顔つきでみられる、それこそ神をも恐れぬ、その上天に唾する傍若無人な事で御座いまして、これに手を付ける者などといいますのは、いかに好き物といえどもめったに出会えるものでは御座いません。 久良さんは長くデザイン関係に携わった人で、こちら福山では結構知る人が多い。 広告代理店を経営して、早くからタウン誌を発行するなど社会の先取りをしたし、行政に働きかけて福山を「ばらの街」にしようと企てたのも彼の仕業という事になる。 中肉中背でやや小柄な彼は片方の肺がない。癌で摘出したのでいまは文字通りの片肺飛行ということである。 この久良さんがひょんなことから「墓暴き…

  • お巡りさんと養命酒と釣り師

    酒は百薬の長と申しまして、どちら様も身体にいいなどと言い訳をしつつ、思わず頬が緩んで参るところで嗜まれております。 何ですな、この酒と申しますのが大層な種類のあるところで、甘酒から猿の苔酒まで様々工夫されておるところで御座います。 国によっても各種民族様それぞれに準備されるところと成って、それぞれ頬を緩めておるのですから、人様と酒と申しますのは切っても切れない悪妻の縁のようなものなので御座います。 若い衆が有って、やんちゃなのですが大層釣りが好きと来ております。 何でも運送業とやらで、暇に飽かしては釣場に顔を出して参ります。 遠方にでも運送の仕事で赴くのでしょうか、しばらく顔を見ないと思ったら…

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