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つばた徒然@つれづれ津幡 https://blog.goo.ne.jp/romaniaramochan

ここは北陸の豊かな田舎・津幡町。愛犬との散歩を通じて見つめた季節と風景を画像と言葉でつづる日々。

散歩と酒と読書と競艇好きです。石川県の津幡町在住。週末を基本に更新しています。よろしかったら読んでやって下さいm(_ _)m

りくすけ
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津幡町
出身
津幡町
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2015/06/16

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  • 女傑たちの夜宴。<追記>

    競艇女子レーサーの祭典GⅡ競争「第7回レディースオールスター」。今夜(2023/02/26)、愛知県・蒲郡市にある「蒲郡競艇場」に於いて優勝戦を迎える。(※照明が灯った蒲郡競艇場水面/2015年秋:りくすけ撮影)「ファン投票」による獲得票数の上位者と、選考委員会による推薦による計52名が集結。僕もご近所の場外舟券売場「ミニボートピア津幡」で投票した。きのう5日目は予選道中を生き残った18名による、3つの「準優勝戦」が行われた。それぞれ1着と2着だけが次のステージに進めるサバイバルレースは、やはり激しい争いになり、ドラマが生まれた。1つ目9Rは、2号艇に乗る「守屋美穂」がレースを作った。2年連続ファン投票1位でディフェンディングチャンプの彼女は、本人曰く「それまで続いた不甲斐ない戦い」を払拭しようと、果敢に...女傑たちの夜宴。<追記>

  • 我、レイジの子。

    2023年2月13日。漫画家「松本零士(まつもと・れいじ)」(本名/晟(あきら))さんが、急性心不全のため東京都内の病院で死去した。85年と19日の生涯だった。発表は死後一週間が経った20日。小さくない喪失感を味わう。この機会に拙ブログ過去記事を読み直してみたところ、故人の作品ついて掲載数が多いことに感慨を抱く。戦場まんがシリーズ/鉄の竜騎兵2010/09/06零士式美人2016/12/02銀河鉄道999(※平尾昌晃氏追悼)2017/12/05宇宙戦艦ヤマト(※著作権所有は別人)2019/05/18クイーン・エメラルダス2021/01/30---他の文中にも幾つか散見できた。改めて「松本零士」氏のペンが、自分の人格形成にとって小さくない影響を与えているのだと実感。少年時代を振り返れば、いつも傍らに「零士漫...我、レイジの子。

  • 花はどこへ行った?

    ♪夕空晴れて秋風ふき月影落ちて鈴虫なくおもえば遠し故郷のそらああわが父母いかにおわすクラス担任「松尾佐知(まつお・さち)」が弾くオルガンに合わせ、児童たちが「故郷の空」を歌う教室には、しんみりとした空気が満ちていた。前任者「小賀武志(こが・たけし)」戦死の報が届いたのだ。対照的に学校の外---金沢の街はお祭り騒ぎ。“バルチック艦隊撃滅!”対馬海峡での大勝利を受け「バンザイ!」「バンザイ!」の大合唱が木霊していた。♪すみゆく水に秋萩たれ玉なす露はすすきに満つ遺影に捧げる唱歌が2番に差し掛かかったところで、俄に「佐知」の表情が曇る。大きな瞳が潤み、眉根に深い皺が刻まれたとみるや意を決したように身を翻し、背後の黒板の前に立つ。手にした白いチョークに力を込めた。美しい日本美しい---手が止まった。呼吸が苦しい。心...花はどこへ行った?

  • 梅もほころぶ雨水(うすい)かな。

    明日(2023/02/19)は、二十四節気の「雨水(うすい)」。立春に続く2番目の節気で「降る雪が雨に変わり、雪解けが始まる時期」。3日前、10センチほど積もった春の雪はあらかた融けた。季節の移り変わりを実感する。そろそろ近隣でも梅が観賞できるかなと思い「加賀神社」へ足を運んだ。以下「津幡町観光ガイド」より抜粋して引用。<津幡町中条地区の潟端(かたばた)区にある加賀神社は、加賀藩5代藩主前田綱紀(まえだ・つなのり)を祀った神社で、かつては津幡町内における最高社格(県社)を有していました。綱紀公によって、1673(延宝元)年から河北潟縁の干拓が着手され、潟端新村が立村された時、干拓事業の成功を祈願して諏訪神社が建立されました。1909(明治42)年に加賀神社と名前を変え、1915(大正4)年に県社となりまし...梅もほころぶ雨水(うすい)かな。

  • 津幡短信vol.112. ~ 令和五年 如月。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回の投稿は、以下の2本。【路上にて。】立春を過ぎ、わが津幡町の気候は実に穏やか。久しぶりに愛犬「りくすけ」を伴い、小一時間の散策に出発した。上掲画像のように所々雪溜まりは残っているものの、それは然したる問題ではない。路上は歩きやすいのだが、白内障を患って以来、相方は長時間・長距離行を好まなくなった。少々老け込んだように思える。最近は「安近短遅」が散歩の基本スタイルだ。津幡中心部「四ツ角」のワンコディスプレイは「雛段飾り」。来月の行事「桃の節句」まで1か月を切り、春本番接近に思いを致す。最上段に坐(おわす)お内裏様とお雛様の横に垂れ下がる造花の桃の花を見て、辺りで梅花を探し回るも出会いはなかった。春遠からじ、されど花の季節まで今少し---と言った...津幡短信vol.112.~令和五年如月。

  • 熟成した記録は「思い出」という。

    「photograph」が発明されたのは今から200年前、19世紀と言われる。photoは「光の」、graphは「書く、描く」。日本語では「光画」とも訳されるが、一般的に普及しているのは「写真」だろう。真(まこと)を写すとは、言い得て妙。確かに写真は「記録」と「伝達」と「表現」を兼ね備えたものだ。しかし、物事は常に多面的であり、被写体の真実が1つとは限らない。故に、写真の解釈は、観覧者によって異なる場合がある。また、撮影から時を経た写真は、熟成し「思い出」になると思う。「時を切り取った記録」は、観覧者が当事者ではなかったとしても、「あの頃の記憶」を想い起こす触媒になり得るのではないだろうか。2023年2月現在「津幡ふるさと歴史館れきしる」では、企画展「思い出の津幡町~1枚の写真から想う~」を開催中。今回は...熟成した記録は「思い出」という。

  • 立春、上越にて③~番外篇 喰ったり買ったり。

    過去2回、新潟県・上越への旅について投稿した。おとといは「盲(めしい)の女旅芸人・瞽女(ごぜ)さんと、国内最古の映画館がある雁木(がんぎ)の街並み」。きのうは「上越が生んだ文豪・小川未明」特集。今回はその続篇にして番外篇、極めて個人的な旅の記録である。【喰ったもの】旅初日、映画館「高田世界館」を見学した後、空腹を覚えた僕は飲食店を探し歩き始めた。雁木が連なる通りを彷徨ううち、どうやら「夜の街」に迷い込んだらしい。キレイなお姐さんや居酒屋料理の看板で腹が満たされるはずもなし。まさに“絵に描いた餅”である。どこも扉は固く閉じられたまま。途中で見かけたコンビニにでも行くしかないかと諦めかけた時、赤い外観の店構えが目に入った。「中国料理北京菜館」。営業中の掛札が下がるガラス戸を開け、席に座り、しばしメニューを広げ...立春、上越にて③~番外篇喰ったり買ったり。

  • 立春、上越にて②~仄暗き淵に佇む文学~

    きのう投稿の続篇、新潟県・上越市の旅その2。その施設は、上越市街地の中心部「高田城址公園」の一角にある。市立「高田図書館」に併設した「小川未明(おがわ・みめい)文学館」が、旅2日目のハイライトだ。残念ながら内部は撮影禁止のため、展示物の画像はない。「小川未明」は、上越市高田出身の小説家・童話作家。明治15年(1882年)旧・高田藩士の家に生まれた。高校(当時は尋常中学校)までを郷里で過ごし、上京。早稲田大学在学中に、文筆の師「坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)」から「未明」の号をもらい、小説家としてデビューした。卒業後、雑誌『少年文庫』の編集にたずさわり、童話も書くようになる。大正15年/昭和元年(1926年)、小説の筆を折り童話に専念。79歳で死去するまで、生涯に1200点以上の童話を創作した。僕が作家の...立春、上越にて②~仄暗き淵に佇む文学~

  • 立春、上越にて①。

    僕は今、津幡町にはいない。新潟県・上越市のビジネスホテルにいる。大浴場で汗を流し、買い込んだ惣菜を肴に酒盛り。朝早くから巡った行程を反芻しながらキーボードを叩く。しかも、場外舟券売り場で投票したレースをスマホで観戦。---これは、個人的に「至福」の時間なのだ。さて、上越の積雪は多い。立春ながら、ご覧の様相。昨年のクリスマス~先日の大寒波の折は、さぞ忍従・苦労を強いられたことと察する。所々積雪を踏みしめ、僕はまず「高田世界館」へ向かった。(※以下、太字は高田世界館HPより引用/抜粋)<歴史的な文化遺産として>高田世界館は1911年(明治44年)に芝居小屋「高田座」として開業しました。5年後の1916年(大正5年)に「世界館」と改称、常設映画館となりました。その後「高田東宝映画劇場」「高田セントラルシネマ」「...立春、上越にて①。

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