獅子舞を見た後、市内をさらに歩いてみます。提灯の飾りは町内によって違います。屋台に近寄って写真を撮ったり、説明を聞くことが出来ます。桜は満開でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(8)
<<今年も「ほしがき写真散歩」を見ていただいてありがとうございました来年もよろしくお願いいたします。>>カーフェリーを降りて向島を歩いてみます。映画「あした」のロケに使用されたバス乗り場。向島亀森八幡神社を参拝します。立派な能舞台がありました。SONYα7Ⅱ尾道の旅(13)
尾道水道を結ぶカーフェリーに乗って対岸の向島に行きます。カーフェリーがやって来ました。向島からの人達が下船します。郵便配達のバイクと一緒になりました。向島に接岸。バイク達が勢いよく発進します。SONYα7Ⅱ尾道の旅(12)
尾道は猫の数は多い。猫関連の店も多い。「猫の細道」と言う通りがあるくらいです。SONYα7Ⅱ尾道の旅(11)
千光寺公園から降りてきました。中腹にある天寧寺を参拝しました。千光寺公園から下ります。細い横道に入りました。天寧寺山門。1367年創建の古刹。創建当時は七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院だったという。五百羅漢が祀られています。天寧寺の三重塔は尾道を代表する景観の一つ。SONYα7Ⅱ尾道の旅(10)
千光寺から文学の小道を抜けると千光寺公園があります。今年出来たばかりの千光寺頂上展望台「PEAK」に上がります。先ず「尾道文学のこみち」を歩きます。岩に尾道にゆかりのある人の詩が刻まれています。頂上展望台です。尾道市街地、尾道水道から瀬戸内海まで望めます。SONYα7Ⅱ尾道の旅(9)
千光寺にやって来ました。千光寺は大きな岩山の周囲に建物が広がっています。階段を登っていくと正面に巨石が現れました。右が本堂です。本堂。玉の岩。鐘楼。SONYα7Ⅱ尾道の旅(8)
ロープウェイを諦めて、徒歩で千光寺に向かいます。艮神社の横の道を登り始めます。途中に天寧寺の三重塔が見えます。三重塔の上まで登りました。尾道水道が見えます。SONYα7Ⅱ尾道の旅(7)
千光寺山ロープウエー山麓駅にやって来ました。何と、点検整備中で休みでした。徒歩で千光寺に登ることにしました。その前に艮神社(うしとらじんじゃ)に参拝します。ロープウエイは運休。ロープウェイ乗り場の横の艮神社に参拝します。806年建立の尾道で一番古い神社です。巨大な楠は樹齢900年。艮を「丑寅=うしとら」と読むことを、落ち葉を掃いていた女性から聞きました。巨大な楠は境内に4本あります。SONYα7Ⅱ尾道の旅(6)
尾道の二日目。朝から千光寺方面に向かいます。その途中で気になったものは。金田正一。プロ野球に興味を持ったときに大活躍していたので印象深い人です。このガードをくぐると千光寺に登るロープウエーがあるのですが。SONYα7Ⅱ尾道の旅(5)
海に出ました。岸壁はウッドデッキになっています。尾道水道を渡るカーフェリーなどが忙しく行き来しています。尾道水道を隔てて向島が見えます。この辺りはウッドデッキとなっています。尾道水道を通る船が係留されています。SONYα7Ⅱ尾道の旅(4)
坂を下りてきて歩道橋を渡り本通り商店街を歩きます。山陽本線と国道を渡る歩道橋です。本通り商店街。旧林芙美子居宅。林芙美子は多感な青春時代、尾道で生活しています。2階の居間。海に通じる小路を歩きます。SONYα7Ⅱ尾道の旅(3)
尾道駅北口に近い坂を登ってみました。ここまで登ると尾道水道がよく見えます。SONYα7Ⅱ尾道の旅(2)
山陽新幹線から山陽本線に乗り換え尾道にやって来ました。今回は一人旅です。JR尾道駅。ここは海に面した大きな改札口で、周辺はとても賑やかです。駅の山側には北口があります。こちらはだいぶ小さい改札口です。先ずは北口周辺を歩いてみます。SONYα7Ⅱ尾道の旅(1)
巴波川沿いから大通りに出ました。明治・大正・昭和期の建物が沢山見られました。約200年前に造られた3棟の土蔵。改修されて蔵の街市民ギャラリーとなっています。山本有三ふるさと記念館。「路傍の石」などで知られる文豪山本有三は栃木市出身です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(11)
栃木の中心を流れる巴波川(うずまがわ)に沿って蔵が並びます。遊覧船も出ています。川に沿って黒塀や蔵が続きます。遊覧船は時間が足りなくて乗れませんでした。別の観光客が乗船しました。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(10)
日光の次は最後の訪問地の栃木市に向かいました。栃木市は蔵の街として有名です。駐車場から表通りに向かいます。表通りには昔懐かしい店が並びます。釣り道具屋さん。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(9)
日光の街並みの奥に浄光寺があります。浄光寺山門。沢山のお地蔵様が祀られています。お寺の近くには石升の簡易水道が見られます。大正4年(1915)に造られました。栓を抜くと冷水がほとばしります。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(8)
日光の寺院巡りの後は地域の人々の住む市街地を歩いてみます。この辺りは観光客はあまり来ません。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(7)
日光東照宮の陽明門をくぐって本殿前に行きます。陽明門の扁額周辺。沢山の細かな装飾です。陽明門をくぐりました。本社前の唐門。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(6)
輪王寺を出て、参道を進むと日光東照宮に入ります。境内に入ると左側には五重塔が。五重塔は1650年(慶安3年)創建。1818年(文政元年)再建されています。神厩舎の彫刻。三猿「見ざる、言わざる、聞かざる」陽明門です。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(5)
二日目は日光に回ります。先ずは輪王寺を参拝しました。輪王寺を参拝します。三仏堂に入ります。表参道に出ました。日光東照宮に入ります。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(4)
袋田の滝入口には食事処やお土産店が並んでいます。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(3)
龍神大吊橋の次はいよいよ袋田の滝です。実は、袋田の滝には50年ほど前に行ったことがあります。その当時は崖に刻まれた細い道を長時間歩きやっと滝の見えるところに行きました。その時はとても怖い思いをしたので今回は覚悟をして行きました。何と、滝まではトンネルとエレベーターで何の苦労もなしに行けたのです。トンネル内は楽しい装飾が並びます。トンネルの途中の展望台からは滝の下の部分が見られました。頂上の展望台にはエレベーターで上ります。頂上の展望台から滝の全体が見えます。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(2)
先日、一泊二日で袋田の滝から日光を回るバスツアーに参加しました。先ずは龍神大吊橋を見学。龍神大吊橋。奥久慈県立自然公園にあり、龍神川をせき止めた龍神ダムの上に造られた吊り橋。橋の長さは375メートル。龍神ダム湖。橋の中央にはバンジージャンプの設備がある。湖面までの高さ100メートルはスリル満点。SONYα7Ⅱ袋田の滝から日光の旅(1)
湖東三山の最後は金剛輪寺です。行基菩薩が天平13年(741年)に開山しました。参道には千余のお地蔵様が並んでいます。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ湖南三山・湖東三山(10)
湖東三山の二つ目は西明寺です。西明寺は平安時代の承和元年(834年)に創建されました。西明寺参道。長い石段が続きます。二天門の仁王。三重塔(国宝)。本堂(国宝)。湖南三山・湖東三山(9)
三日目は湖東三山を巡ります。最初は百済寺です。近江最古級の寺院。606年聖徳太子が「近江仏教拠点」の一つとして建立したと伝えられています。仁王門までは大変な階段の数です。仁王門。大きな草履が掛かっています。本堂本坊の回遊式庭園。県内最大クラスだそうです。SONYα7Ⅱ湖南三山・湖東三山(8)
湖南三山の最後は長寿寺です。創建は奈良時代天平年間(729年~749年)。山門。参道の両側には沢山のカエデが植えてあります。本堂。国宝です。境内には様々な彫刻が飾られていました。SONYα7Ⅱ湖南三山・湖東三山(7)
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獅子舞を見た後、市内をさらに歩いてみます。提灯の飾りは町内によって違います。屋台に近寄って写真を撮ったり、説明を聞くことが出来ます。桜は満開でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(8)
高山市内を見物して歩いていたら、賑やかな鐘や笛の音が聞こえてきた。音の方に向かうと獅子舞の一団だった。獅子舞の一団に出会いました。榊を先頭に、獅子、笛、鐘が続きます。保育園に入っていきました。園児の前で獅子舞が披露されました。獅子舞の一団は中学生くらいの少年・少女。よく練習しているようでとても上手でした。SONYα7Ⅱ春の高山祭(7)
からくり奉納鑑賞の後は、道路に並べられた屋台を見て回りました。高山祭の屋台は江戸時代に造られました。天保時代に彫刻師立川和四郎などが活躍し、屋台が豪華な彫刻で飾られるようになりました。屋台の屋根は屋根飾り、千木、勝男木などで飾られています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(6)
二日目は朝ホテルを出て、からくり奉納会場に急ぎます。3台の屋台がからくり奉納を行いました。奉納会場に急ぎます。会場は既にたくさんの人が集まっていました。からくり奉納のⅠ番目は少女が鬼夜叉に変身するからくりです。鬼夜叉の面を付けて、見事に変身成功。屋台の幕内に隠れている人の糸の操作で人形を動かします。二番目のからくりは箱の中の紙片を撒きます。SONYα7Ⅱ春の高山祭(5)
春の高山祭の夜祭は18時から21時。この間、商店街も店を開けています。店の様子を見てみましょう。住宅地の道も提灯などを灯しています。食べ物屋さんは人で賑わっています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(4)
高山にやって来ました。先ず夜祭りを見物しました。12台の屋台がそれぞれ約100個の提灯を灯して町を巡ります。賑やかな音楽とともに屋台がやって来ました。楽人達が屋台囃子を奏でます。道端はびっしりと観客が詰めかけています。道路を直角に曲がります。屋台は左の道に入っていきます。道路は人でいっぱいです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(3)
白川郷では内部が公開されている合掌造りの家を見学しました。このお宅を見学させていただきました。居間は囲炉裏を中心にした八畳ほどの部屋です。一階部分はがっしりした造りで、部屋もたくさんあります。二階・三階は養蚕をしたり倉庫として使われています。屋根裏もしっかりした材木で強固に組まれています。SONYα7Ⅱ春の高山祭(2)
4月14日(日)15日(月)と春の高山祭が行われ、見学ツアーに参加しました。先ずは白川郷荻町合掌造り集落を見学しました。であい橋を渡って集落に入ります。ちょうど桜が見頃の時期でした。明善寺鐘楼門。観光客の人数は多かったです。多くは高山祭に行く途中に寄ったようです。SONYα7Ⅱ春の高山祭(1)
英勝寺を見た後、今小路を鎌倉駅に向かいました。今小路には小さな商店が並んでいます。鎌倉駅西口前の交差点にやって来ました。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(9)
英勝寺に入りました。正門横の小さな出入り口から入ります。英勝寺境内。ミツマタはありませんでした。美しい竹林がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(8)
海蔵寺を出て英勝寺に向かいます。途中の住宅の庭でミツマタを見付けました。崖に掘られた洞穴が何カ所かありました。英勝寺は横須賀線の横にあります。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(7)
海蔵寺の左手に入ると十六ノ井があります。海蔵寺の左手に入ります。短いトンネルがあります。トンネルの裏側。十六ノ井の入口。内部に16の穴が見られます。この穴の意味は分かっていません。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(6)
亀ヶ谷坂切通を抜けて海蔵寺に向かいました。横須賀線ガードをくぐります。海蔵寺山門横に「底脱の井(そこぬけのい)」<鎌倉十井の一つ>があります。中央の板碑には「千代能がいただく桶の底抜けて水もたまらねば月もやどらじ」井戸の名前の由来となった歌が彫られています。海蔵寺山門海蔵寺は花の寺としても有名ですが、ミツマタは見つかりませんでした。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(5)
浄智寺を出て亀ヶ谷坂切通を通ります。元々は風呂桶屋さんだったようです。亀ヶ谷坂を登ります。右側の崖にはシダがびっしり生えていました。亀ヶ谷坂切通。鎌倉七切通の一つです。坂を下ると畑がありました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(4)
浄智寺にやって来ました。ミツマタはあちこちに植えてありました。浄智寺ミツマタは山門近くにありました。こちらにもミツマタが。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(3)
円覚寺を出て、バス通りを浄智寺に向かって歩きます。道の両側は商店や住宅が混在しています。浄智寺に近づきました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(2)
ミツマタを求めて鎌倉を歩きました。先ずは北鎌倉円覚寺へ。(3月13日に訪問)北鎌倉駅下車。円覚寺山門一番奥の黄梅院でミツマタを見付けました。SONYα7Ⅱミツマタを求めて鎌倉へ(1)
民家園を出て、登戸の街を通りJR登戸駅に向かいました。夕刻が近づいてきました。登戸市街地。JR登戸駅このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(8)
菅の船頭小屋は大水の時に移動できるようになっています。菅の船頭小屋。大水の時は柱の円い金具に丸太を通し、移動できるようになっています。屋根の葺き替え工事中。ミツマタが咲いていた。商家の建物。17世紀末~18世紀初期SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(7)
今度は旧船越の舞台を見ます。三重県志摩市から移築された安政4年(1857年)建築の歌舞伎舞台です。旧船越の舞台。三重県英虞郡船越村の船越神社境内に建てられた歌舞伎舞台。手前の平たい屋根が花道。かなり大がかりなもので、漁村で歌舞伎舞台を持つことは珍しい。縁の下には回り舞台の装置がある。SONYα7Ⅱ川崎市立日本民家園(6)
谷中霊園に入りました。先ず、天王寺を参拝します。天王寺山門。SONYα7Ⅱ谷中散歩(2)
日暮里駅下車。今回は谷中を歩きます。日暮里駅改札を出て線路に沿って歩きます。階段を登ると谷中霊園です。SONYα7Ⅱ谷中散歩(1)
大光寺を後にして、JR衣笠駅に向かいます。衣笠公園。メタセコイア並木に囲まれています。横須賀線のガードをくぐります。JR衣笠駅に到着です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園ふじ(4)
瘡守稲荷の後は大光寺を参拝しました。竹林はほとんど手入れがされていないようです。大光寺山門。境内は綺麗に清められ、フジも見事に咲いていました。「脚下照顧」。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園ふじ(3)
横須賀しょうぶ園の次は瘡守稲荷に参拝しました。途中には畑もありました。瘡守稲荷。江戸時代には病気平癒の神社として多くの参拝者が訪れました。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園のフジ(2)
横須賀しょうぶ園のフジが満開のようなので見に行きました。SONYα7Ⅱ横須賀しょうぶ園のフジ(1)
沿道のサクラを見ながら下流の橋を渡り、反対岸からサクラを眺めました。反対岸から対岸を見ています。京急弘明寺駅に戻りましょう。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(4)
大岡川に沿ってサクラを見ながら歩きます。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(3)
弘明寺を出て、参道の商店街を進むと大岡川の橋になります。弘明寺参道の花屋さん。大岡川に架かる橋。両岸の桜は満開でした。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(2)
少し前になりますが3月30日、満開とのことで大岡川のサクラ見物をしましたのでお知らせします。京急線弘明寺駅下車。先ずは弘明寺のサクラ見物から。SONYα7Ⅱ大岡川のサクラ(1)
しまなみ海道をさらに進み、大山祇神社や多々羅展望台に立ち寄りました。大山祇神社。乎知命(おちのみこと)お手植えの楠(樹齢2600年)。境内には楠の巨木が何本か見られました。多々羅展望台。正面は多々羅大橋。しあわせの鐘。さらに進むと尾道の街並みが見えてきました。しまなみ海道の終点は間近です。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(7)
道後温泉を出て、しまなみ海道に入りました。しまなみ海道は愛媛の今治と広島の尾道を結ぶ約60キロメートルの自動車専用道路です。橋梁部分には自転車や歩行者が通れる道が付いています。今治市からしまなみ海道に入ります。横には自転車道が付いています。途中にある、亀老山展望公園。隅研吾氏設計の展望台。半地下式で景観を壊さないように配慮されています。ここからの展望はしまなみ海道随一と言われています。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(6)
高松港から観光バスに乗り道後温泉に向かいました。温泉を少し散歩しました。道後温泉本館は外装工事中。温泉には入れるようでした。坊っちゃん列車からくり時計。ちょうど時を告げていました。時計の周りには沢山の見物人が。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(5)
岬の分教場の次は寒霞渓に登りました。山頂まではロープウエイで行きます。ロープウェイからは奇岩の作る渓谷美が見られます。山頂からの眺め。かわらけ投げ。丸い輪に向かって投げますがなかなか命中しません。山頂にある、平成2年完成の総工費一億円のトイレ。冷暖房完備、広い個室はウオシュレット付。小豆島を後にし、高松港に向かいます。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(4)
オリーブ園の次は映画「二十四の瞳」の撮影に使われた岬の分教場を見学しました。岬の分教場明治35年に建築、昭和46年まで実際に地域の学校として使用されました。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(3)
小豆島では最初にオリーブ園を見学しました。オリーブ園からの眺め。オリーブの原木。1919年に植えられ、現在も実を付けています。オリーブ油を作る圧搾機。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(2)
小豆島やしまなみ海道等を旅するツアーに参加しました。岡山から瀬戸大橋線で高松に向かいます。瀬戸大橋を渡ります。高松駅到着。高松港から小豆島(土庄港)行きのカーフェリーに乗船します。船は霧の中を航行しました。土庄港に接岸。SONYα7Ⅱ小豆島・しまなみ海道(1)
最後に見学したのは迎賓館赤坂離宮です。残念ながら本館内部は国宝で撮影禁止でした。迎賓館本館の正面。迎賓館主庭(本館の裏側)の噴水。本館前(前庭)の休憩スペース。正門。工事中でした。このシリーズを終わります。SONYα7Ⅱバス旅(4)
浜離宮の後は柴又に行きました。最初に柴又帝釈天に参拝。参道を駅に向かって歩きます。柴又駅前。「フーテンの寅」像SONYα7Ⅱバス旅(3)
場外市場の次は浜離宮を見学しました。浜離宮。大手門。鴨場。小のぞき。庭園の池は海水を引き入れている。FUJIFILMX100Vf=23mmバス旅(2)