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  • 高千穂「秋元神楽」へ【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<16>】

    本日、京都大学と中国精華大学からのご一行がお越し下さり、神楽と仮面談議で盛り上がりました。明日は高千穂・秋元神楽へ。神々のいます里でひと晩中舞い続けられる神楽を見ます。神楽を見て育った子どもたちが、立派な舞人=ほしゃどんとなって舞います。次の世代を背負う凛々しく、逞しい少年たちに会うのも楽しみ。秋元は諸塚山の東麓に位置し、諸塚山信仰を反映した演目もあり、高千穂神楽の古形を残す神楽ともいわれます。神面は江戸期のものがそのまま使われます。コロナ過の中断期を挟んで久しぶりの訪問。高千穂「秋元神楽」へ【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<16>】

  • 栂尾神楽スケッチ【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<15>】

    昨日長々と書いたので、今日は「ことば」を省略。画面に演目名、神名など記述してあります。いずれも10センチ×14センチ、17センチ×37センチ程度の小品。栂尾神楽スケッチ【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<15>】

  • 夜神楽連続二夜探訪の収穫【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<14>】

    神楽の絵を描き始めておよそ30年、15年ほどの中断期間を挟んで、近年の10年ほどは、ひと晩に100枚のスケッチをこなすことを自分に課た。それを1シーズンに10週から15週という鍛錬を重ねる旅を続けたのは、己の力量が神楽の神秘世界、伝えてきた歴史時間や芸の奥深さなどに到底太刀打ちではないと観念したからだった。今季、椎葉・栂尾神楽と東米良・尾八重神楽の二座の夜神楽を二夜続けて訪れ、絵を描き終えて帰る途中、米良山系から椎葉の山脈へと連なる山岳を照らす朝日を見ながら、なんとなく――ああ、これほどの練習を重ねても思うような作品は出来ないなあ、今後努力を続けても中世の絵巻などに描かれた無名の画人の絵のような境地には至らないのかなあ、絵の才能とか資質などは天与のものでしかないのだろうか・・・・と、ため息が思わず出た。星...夜神楽連続二夜探訪の収穫【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<14>】

  • 女性の舞人が参加して神楽に活気が戻った/椎葉・栂尾神楽の一夜【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<13>】

     *本文は作業中。女性の舞人が参加して神楽に活気が戻った/椎葉・栂尾神楽の一夜【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<13>】

  • 二日連続で夜神楽を見て、無事帰ってきたこと【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<12>】

    米良山脈に上る朝日に全身を照射されながら帰って来た。一昨日(22日)の夕方7時から翌朝の9時まで椎葉・栂尾神楽を見て、昨日(23日)のお昼に一度家に帰り、11時間ぶっ続けに眠って、目覚めたのは深夜の10時だった。それから食事を温めて食べ、尾八重に行き、朝の7時まで見て帰って来た。二晩連続の夜神楽紀行。このような強行スケジュールで神楽を見るのは初めての経験だったので、少し心配もし、用心をしながらの取材だったが、栂尾で画帖様式(25センチ×150センチ程度)のデッサンを7冊、尾八重で半切サイズ(35センチ×180センチなど)のデッサンを11枚。そのうち失敗作はそれぞれ3枚程度だったので、まずまずの収穫だった。生きて帰ってきた、というほど大げさではないが、年齢を考慮すれば無事でなにより、というところだろう。一日...二日連続で夜神楽を見て、無事帰ってきたこと【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<12>】

  • 中世の絵物語の世界へ【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<11>】

    本日(22日)、椎葉「栂尾(つがお)神楽」(写真1枚目)へ。夕方5時頃から神事があり、神楽は午後7時頃開始。明日(23日)の午前9時頃終了。その後山を下って南郷温泉「山霧」で疲れをとり、夕刻から東米良「尾八重(おはえ)神楽」(写真2枚目)へ。連夜の徹夜となるので、生きて帰れるかどうかわからんではないか、と心配してくれる人もあるけれど、車に寝袋・毛布などを積み込んであるのでどこかで休みながら行動。*今季の本格的な神楽取材開始です。現地合流歓迎です。栂尾神楽は神楽の古風を残す貴重な儀礼があり、尾八重は星宿神「宿神」が出ます。中世の絵物語が展開される神秘空間へ。出発。中世の絵物語の世界へ【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<11>】

  • 筑後画壇の先駆者ー松田諦晶「婦人像」/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    この絵に出合ったのは、45年ほども前のことになる。郷里のアマチュア絵画教室で絵の勉強を始めて間もない頃のことだった。古い町の、開店して間もない古美術商に立ち寄り、何気なく店内を見渡した視線の先に壁に立てかけられた一群の油絵があり、その一番前にこの絵があったのだ。それゆえ、初見は斜めにこの絵を見たのだったが、それでも、つよく惹きつけられるものがあり、有り金をはたいて買ったのだ。店主は、――青木繁関連の家からの出物ですよ。と言っていたが、それを信じるとか信じないとかいう次元のことではなく、例えば山奥の道で予期せぬ稲光りと雷鳴に遭ったときのような、衝撃が身体の中を走ったのだった。後から考えると、それは高校3年の夏、約40キロの道を自転車を漕いで久留米市の石橋美術館に行き、観た青木繫の傑作「海の幸」の中央で一人だ...筑後画壇の先駆者ー松田諦晶「婦人像」/会場:由布院空想の森美術館[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 筑後川の川辺の香りがする:坂宗一《夕景》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    油絵F8号の小品だが、一目見た時に画面に「筑後の空気」が漂っていると感じた。そしてその直感は当たっていた。古い建物の向こうの空が真っ赤に夕焼けており、画面手前には倒木が横たわっている。そして道の両脇には櫨(はぜ)並木と思われる木立がある。筑後の風景である。坂宗一は1902年福岡県三潴郡(久留米市)生まれ。坂本繁二郎に師事し、川端画学校で学んだ後、戦前の二科展に出品。特待賞を受賞するなど活躍。昭和22年二紀会の創立に参加し、旺盛な創作活動を続けた画家である。こちらはF6号の油絵小品。築後に育った人や筑後地方になじみの深い人ならば、この変哲もない風景画が、大河・筑後川の春先の岸辺であることがすぐにわかる。枯草は温かみを帯び、悠々と流れ下る川の水音を包含し、やがて一帯を黄色で埋め尽くす菜の花の種子を地中に抱いて...筑後川の川辺の香りがする:坂宗一《夕景》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 悠久の大地の歌が聞こえる―坂宗一《想う》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    坂宗一は1902年福岡県三潴郡(久留米市)生まれ。坂本繁二郎に師事し、川端画学校で学んだ後二科展に出品し、昭和2年の二科展で特待賞を受賞するなど活躍。その後、昭和22年二紀会の創立に参加し、旺盛な創作活動を続けた画家である。100号の本作は二紀展出品作。小品には、築後の風土の香りを纏った作があるが、この作品は、画面中央に牛、手前に横向きに寝た人物、その左横に優し気な表情の犬、左奥に膝を抱えて座った少年、そして右側には不思議な衣装を纏った女性と思われる人物などが配置され、悠久のアジアの旅で出会う一場面を想起させる。メルヘンの世界とも宗教画とも違う、不思議な絵画空間は、題名の「想う」にふさわしい。作者は何を想い、観る者に何を想わせようとするのか。*詳細は悠久の大地の歌が聞こえる―坂宗一《想う》/由布院空想の森美術館:会場[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 第二期*空想の森アートコレクティブ展/由布院空想の森美術館会場・始まっています[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    第二期*空想の森アートコレクティブ展/由布院空想の森美術館会場・始まっています[第二期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 八幡神と諸塚山の山岳信仰の残光【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<10>】

    古記録をもとに復元された英彦山山伏峰入り修行に同行し、豊前・香春岳の麓から英彦山神宮までを辿る山岳の道を歩いたことがある。香春岳こそ古代精銅の拠点であり、それに連なる山脈の道は、古代の精銅・製鉄の拠点を繋ぐ古道であった。英彦山山系の道は、さらに宇佐へと続いていた。全国に分布する八幡神社の総鎮守は宇佐八幡である。そのことと、英彦山山系を結ぶ精銅・製鉄の道は連関している。時代が下って、奈良の大仏建立の折、困難を極めた大仏鋳造の技術を携えた宇佐の工人たちは「神」として迎えられ、見事大仏は完成した。以後、宇佐の神は国家の祭祀に関わり全国に勧請されて分布したのである。諸塚村の深奥部に位置する桂正八幡神社もその系譜をひくものだが、桂神楽には「諸塚様」という古面が伝わり、諸塚山をめぐる古代山岳信仰がその基底をなすことを...八幡神と諸塚山の山岳信仰の残光【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<10>】

  • 錦秋の九重高原から阿蘇・高千穂を経て椎葉へ――晩秋の山旅(2)【空想の森から<187>】

    由布院盆地の中心部は、標高450メートル。由布院空想の森美術館のある辺りはおよそ標高500メートル。この地点まで、深い霧に包まれることは稀だが、この朝は、窓の外は真っ白で、何も見えないほどの濃霧だった。雲海の中で一夜を眠り、目覚めて、ゆっくりと珈琲を淹れ、次第に晴れあがってゆく景色を観る。至福の時間がながれてゆく。この美術館のある地点の近くからは縄文時代の遺跡(かわじ池遺跡)が発掘され、埋め戻されている。その遺跡には、ある意志に基づいて並べられたと思われる集石遺稿があり、その石群の配置は、由布岳の山頂を望む方角を向いていた。太古の人々は由布岳の山頂から昇る朝日に向かって敬虔な祈りを捧げ、「まつり」を行なったものであろう。そしてその生活跡は、霧の中で一万年の眠りを続けていることであろう。霧が上がると、由布岳...錦秋の九重高原から阿蘇・高千穂を経て椎葉へ――晩秋の山旅(2)【空想の森から<187>】

  • 晩秋の山旅(1)【空想の森から<185>】

    塩負うて山人遠く行く秋ぞ江戸中期の俳人・加藤暁台(1732〜1792)に上掲の句がある。この俳人のことはまったく知識の外だったが、ふと開いた歳時記にこの句が載っており、九州脊梁山地の峠道を歩いていたら、記憶が重複したのである。山道は、北は高千穂・阿蘇・九重山系を結ぶ古道の一つである。南は米良山系へ連なり、西は椎葉、東は日向へと通じている。往昔、この道を、塩を背負った山人や行商人などが行き来したものであろう。暁台は尾張藩の武士から俳諧師となった人で、松尾芭蕉の句風を慕い、「蕉風」の復興運動に努めたらしい。奥山は霰雲なりはふの月みの虫を撃つことなかれ落葉かきなどという、高千穂神楽歌に通じる一句や、小さな虫に寄せる優しいまなざしなしを思わせる作がある。紅葉した落葉に埋もれた小道を歩いていたら、千本しめじ(シャカ...晩秋の山旅(1)【空想の森から<185>】

  • 諸塚・桂正八幡神社の八幡様【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<9>】

    八幡神とは、弓矢で狩りをした古<いにしへ>の神。古代、精銅と製鉄の技術を持ち、北部九州に渡来し宇佐八幡を本拠とし、全国の八幡神社の総鎮守として歴史の舞台を彩ったが、各地に点在する八幡神社はそれぞれに地方色を加えながら、村の鎮守神として勧請され、信仰された。中世以降、武神として信仰されて各地に勧請され、分布した。豪壮な仮面をつけ、弓と矢を採り物に降臨する。神楽「八幡」はこれを基底とする。桂正八幡神社の八幡様はこれらの歴史的背景を持つ。高千穂神楽として伝わったという記録を持ち古形を残しながら伝承された稀有の神楽である。戸数9戸の村で舞い継がれ、7年に1度の大神楽では24時間をかけて開催される。2024年11月9日の霜月祭りは、霧に諸塚山の紅葉が包まれ、山岳が夢幻のかなたに霞む中で開催された。午前中に三番、午後...諸塚・桂正八幡神社の八幡様【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<9>】

  • 「山神の仮面」が語るもの【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<8>】

    九州脊梁山地の険しい山道を辿ると、別れ道や大樹の根方、巨岩の下方などに座す小さな祠に出会う。狩人たちが祀る山の神「カクラ様」である。カクラ様とは、鹿倉様、狩倉様などと表す、狩りの神は険しい山岳に抱かれて生涯を暮らす山人<やまびと>たちが祀る山と森の精霊神。神楽の「森の本地」では――水が三尺流れれば滝となり水神が現れ――木が三本繁れば森となり山神が座すと唱教が唱えられる。椎葉山の深奥部、不土野、向山、尾前などの地域の神楽には巨大な鼻がぐいと曲がり、縦皺の走った怪異な相貌の仮面神が出る。それが「山の神」の仮面である。不土野では「山の神」といい、他の地区では「一人神楽」などと呼ばれるがその造形に共通項があり、神楽そのものの根本原理が山の神祭祀であることを物語る。本来、秘祭であった祭儀が具現化され、具象形態を獲得...「山神の仮面」が語るもの【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<8>】

  • 狩人たちの祝祭【神楽と仮面の民俗誌 2024-2025<8>】

    深い峡谷に沿った山道の途中で厳冬の山岳から下ってきた一群の男たちに出会った。彼らは、猟銃を肩に担ぎ、精悍な猟犬を引き連れていた。集合した場所には一台の軽トラックがあり、荷台には巨大な猪が積まれていた。少し前に――ダーン。と山谷に響いた銃声は、この大猪を仕留めたことを仲間と山神に知らせるための空砲だったのだ。皆が集まったと思われる頃、荷台の獲物がビクリと動いた。まだ息の根が止められてはいなかったのだ。間髪を入れず、一人の若者が腰の山刀を抜いて飛び乗り、グサリ、と、とどめを刺した。鍛え抜かれた山人<やまびと>の峻烈な技量であった。それから一団は山を下った。猟師宿へ帰り、獲物を解体し、集まってきた村人や猟犬たちにも狩りの幸を分け与え、山神に感謝の祈りを捧げる「狩倉舞」が舞われて、盛大な狩人たちの祝祭が始まるのだ...狩人たちの祝祭【神楽と仮面の民俗誌2024-2025<8>】

  • 「鬼神」神楽スケッチ(1)【神楽と仮面2024-2025<7>】

    【鬼神】「鬼」に会うことは祖先に会うことと土地の人は言う。「鬼とは制圧された先住民が山に入り、山霊を身に付けた縄文人の末裔」と、民俗学者は分類する。「まつろわぬ民の象徴である」と支配者は見下す。「道化荒神」という鬼は、祭りの場に乱入し子どもたちを追いかけたり若い女性に抱き着いたりして場を騒乱の渦に巻き込み、偉い神たちの権威を失墜させるが最後は子どもたちとも村人とも仲良くなって、森へと帰って行く少し怖いけれど優しくて気のいい神さまである。「鬼神」神楽スケッチ(1)【神楽と仮面2024-2025<7>】

  • 今季の神楽スケジュール【神楽と仮面2024-2025<6>】

    神楽の季節が巡ってきました。今季の高見乾司の取材スケジュールをお知らせします。私も後期高齢者の仲間入りをし、老化を自覚する局面も出てきたので、これまでに実施してきた「九州民俗仮面美術館」主催の神楽取材フィールドワークは終了とします。ただし、例年通り、週末にはどこかの神楽に出かけ、終夜、絵を描き続けます。画業としては、ようやく出発点に立てたと思える地点に到達したという実感があるので、年齢云々よりも絵を描く時間を多く確保することが目的です。これからは残された持ち時間をこのためにだけ使いたいと思っています。現地の事情は、コロナ過の中断期間を挟んで、激変の様相が現れ始めています。恒例の伝承者が高齢化によって少しずつ減り、神楽の伝承と集落の消滅とが並行して進んでいるのです。半面、若い伝承者が入り、活気づいている例も...今季の神楽スケジュール【神楽と仮面2024-2025<6>】

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