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男澤惠一・家系と先祖のBLOG https://blog.goo.ne.jp/keiichiozawa

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

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2015/05/09

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  • 家系譜新聞8月号 特集:依存からの脱出

    先日、テレビを視聴しているとき依存の恐さを感じました。過食による肥満で悩むアメリカ女性の話です。両親が薬物中毒でまともに愛情を受けられなかった反動ですね。依存症には様々あり、アルコール、タバコ等はよく聞きますが、その他、インターネット、万引き、ゲーム、ギャンブル、セックス、オナニー等きりもなくありますが、健康を害するものや犯罪に繋がる行為は問題です。恥ずかしい話し、親戚にもギャンブル依存が高じて離婚、一家離散になってしまった人がいたと聞きました。昔は優秀な人だったそうですが、何が原因で人生を台無しにしてしまったのかと考えてしまいます。本来は愛で満たされる家系学の観点から言いますと、家系繁栄のポイントは夫婦関係と親子関係です。夫婦は横の関係、親子は縦の関係で、横と縦の線でつながっているのが家系図です。それが崩れる...家系譜新聞8月号特集:依存からの脱出

  • 一円さん

    一円!細かい名字です。崩しようがありませんね。先日、滋賀県の多賀町一円付近を調査。同地に「一円」の名字が何軒も集住していました。(写真は多賀町一円付近)ルーツ土佐国安芸郡の国人。近江国犬上郡一円荘(滋賀県犬上郡多賀町一円)をルーツとする。宇多源氏京極氏の庶流で、一円荘の土豪だったが、のちに土佐国安芸郡に転じた。但馬守のときに長宗我部氏に従い、羽根城(高知県室戸市)に拠った。滋賀県犬上郡多賀町一円:多賀の北方、芹川(せりかわ)の形成する扇状地の扇頂に位置する。中世は京極一族の一円氏の居住地。「一巡り」の意味で支配をも意味する。一円さん

  • 新田一族から分かれた名字

    新田一族から分かれた名字は以下の通り様々です。群馬県や近隣県に多く見受けます。脇屋、大館、関岡、横田、福田、久保、清水、綿打、堀口、亀岡、尾島、高林、坂本、一井、反町、金谷、谷島〔矢島〕、細谷、外松、飯田、安養寺、西谷、新野、今井、吉崎、荒井〔新井、新居〕、世良田、沖、得川、寺尾、江田、前島、吉田、額田〔額戸〕、池永、長岡、庄田〔生田〕、松田、鶴田、里見、井関、竹林、中沢、太田、古山、田中、尾崎、西家、木原、小沢(男爵家)、仁田山、山本、大島、舩田、後閑、鍋田、豊岡、小林、鷹野、佐田、谷川等や、越後国魚沼郡等の大井田、鳥山、籠沢〔小森沢〕、上野、羽川〔羽根川、羽河〕、下条、中条、岩田、倉俣、河治(川治)、泉沢、羽黒、安藤、山名他。新田一族から分かれた名字

  • 家系譜新聞 特集 農業の神さま五郎兵衛

    農業の改革を行った歴史的人物としては、青木昆陽や二宮金次郎等がうかぶが、群馬県甘楽郡南牧村出身の市川五郎兵衞をご存じですか?五郎兵衞は戦国時代の武士であり、江戸初期の開発者、新田の開拓者です。最近、長野県の市川氏の調査を行っている中で佐久市五郎兵衞記念館(佐久市甲14-1)を訪れることができました。北佐久郡浅科村上原に、五郎兵衞新田(浅科村)開発者の市川家がある。先祖は甲州(山梨県)市川鄕に居住し、故あって上州(群馬県)南牧に土着し南牧七騎と目された市川右馬佐を祖とする。五郎兵衛は右馬佐御五世の孫にあたる。徳川家康から開発許可の朱印状をもらい元和元年(1615年)佐久郡に入ったとされる。市川五郎兵衛(諱は真親、幼名は市左衞門)は元亀3年(1572年)に生まれ寛文5年(1665年)に歿しています。同地に真親神社(...家系譜新聞特集農業の神さま五郎兵衛

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