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2015/05/04

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  • 「股関節重心」矯正〜左半身特に肩から上に症状のある事例〜

    70代女性、左肩の痛みを訴えて受診。ドクターの診断は五十肩(=肩関節周囲炎)。望診では、骨盤後傾+膝重心の典型的な姿勢。問診で、半年くらい前から現在の症状があったが、特に治療はせずに来ている。徐々に痛みが強くなってきて、今回受診ということであった。ドクターからの施術オーダーが、頚肩、左肩のマッサージであったので、ともかく座位で両肩から始め、左上肢挙上を試す。上肢挙上時に上腕三頭筋・二頭筋に痛みがあるとのこと。肩のこりも左肩が強い。「左半分が悪い。肩だけでなく耳鳴り鼻づまりも左側にある。」とのことであったので、腹臥位で確認すると、左半身に強いハリ・コリがある。一通り症状を取るべく施術して、再度、座位で左上上肢挙上させると痛みもなく、特に問題なくできる。「上がるようになった!」と喜ぶものの「ほぐしてもらったか...「股関節重心」矯正〜左半身特に肩から上に症状のある事例〜

  • 「股関節重心」による施術(予告編)〜左肩関節周囲炎への〜

    喘息の東洋医学的病態とその東洋医学的治療について書くつもりで、レジメは出来上がった状態なのであるが、本日、「股関節重心」による施術で、劇的な効果上げること出来たので、先に、その事例紹介を、と思う。後ほど。「股関節重心」による施術(予告編)〜左肩関節周囲炎への〜

  • (加筆)「片手挿管」〜伝統的?修業法の持つ二つの意義〜

    (2015/5/5、入門時に、肝に銘じて欲しいこと)「片手挿管」学びました。伝統的?修行法の持つ二つの意義をしっかりと分かって取組むことの必要性感じます。待望の鍼灸実技の初日に「片手挿管」学びました。鍼灸が専門で無い方の為に簡単に解説しますと、「片手挿管」とは、鍼灸で使う鍼を鍼管に入れる手技のことで、その操作を片手で行なうところから「片手挿管」と呼ばれています。当然、両手で入れれば「両手挿管」と言うことになります。この「片手挿管」、簡単なようでやってみるとなかなか難しいもので、同級生でも数人の例外を除いては「難しい!」と自身の手指の不器用さに悪戦苦闘して、「ツボを覚えて、そこに鍼を打てばそれで治療が出来る。」位に思っていた鍼灸のイメージが大きく変えられて行った様に思われます。その鍼灸実技の授業の話を職場の...(加筆)「片手挿管」〜伝統的?修業法の持つ二つの意義〜

  • 喘息とは何か(予告編)〜その東洋医学的病態〜

    本日は、『「山鍛錬は頭脳活動を活性化する」(3/3)〜逍遥学派について〜』を書き上げて、アップする予定であった。しかしながら、今朝の急な冷え込みの中の「山鍛錬」で、喘息というものの病態(東洋医学的)が、自らの事実で見えてきた、教科書の知識ではなく自前の事実から上がってのものとして見えてきた、との思いがあるので、先ずはそれを、と思う。夕方までには、更新できると思う。喘息とは何か(予告編)〜その東洋医学的病態〜

  • (加筆)「経穴のうた」〜経穴暗記のための歌〜

    (2015/11/01)「経穴のうた」なるものがyoutubeにアップされている。早速に試し、有効性確認できた。「経穴のうた」とは、361個ある経穴を経脈ごとに替え歌にしたもので、14経脈について作られていてyoutubeで視聴することができる。作者のMAMIS.さんは、「東洋医学、鍼灸、経絡経穴、ツボの覚え方。14経脈を楽しく歌って暗記しょう。チャンネルのコンテンツはつぎの通り。(使用する音楽の権利は、youtubeの規定に沿って処理しています)」と書いておられる。実際に「任脈のうた」を試してみると、何度か歌って見るだけで簡単に覚えることができた。それだけではなく、時間が経って覚えずらい経穴名が続く部分も、例えば、膻中(だんちゅう)玉堂(ぎょくどう)紫宮(しきゅう)華蓋(かがい)、璇璣(せんき)天突(て...(加筆)「経穴のうた」〜経穴暗記のための歌〜

  • 山鍛錬は頭脳活動を活性化させる(2/3)〜生命の歴史に尋ねれば〜

    山を走って歩いてするとアタマの働きが活性化する、しっかり働くと言うと、そんなはずがない。運動とアタマの働きと何の関係があるというのか?アタマの働きを良くするのは、カラダの運動ではなしに数独とかのアタマの体操=運動じゃないのか、と。アタマの働きとカラダの運動は別。との反論が当然にあると思える。実際にボケ=アタマの働きの低下を防ぐものとして世間的に推奨されているのは数独であり、せいぜいが指回し等の手先の運動であるという現実がある、のは間違いない。しかし、である。頭脳活動の大元である脳というものが、何のために生まれてきたのかを考えてみれば、そこを「生命の歴史」に尋ねれば、それは魚類段階において運動のために、それも強烈な運動のために誕生した、させられたものである。ふわふわと海を漂うだけのクラゲ体の段階には脳は存在...山鍛錬は頭脳活動を活性化させる(2/3)〜生命の歴史に尋ねれば〜

  • 山鍛錬は頭の働きを活性化させる〜歩くということの意義〜

    5月の初めからほとんど毎日、少なくとも週に3日くらいは、朝、1時間余りの山鍛錬を行っている(具体的には山中を歩いたり、軽く走ったり、理想的イメージとしては山を駆け巡るであるが......)これは、当初は「股関節重心」の成否を試すという意味で始めたものである。(端的には、強度の高い運動で、膝に痛みが出るかどうかの試し)そして、それは今に至るも同じくなのではあるが、ブログを再開してから、より感じるようになったことがある。それは山からの帰り道、いろんな構想が次から次へと浮かんでくるということである。それは何故なのか?を何回かに分けてブログ記事としてアップしていきたい。内容としては、1)逍遥学派(プラトン、アリストテレス)について。2)「生命の歴史」に尋ねる脳の誕生の意義。を考えている。山鍛錬は頭の働きを活性化させる〜歩くということの意義〜

  • (加筆)夏の冷え対策〜油・脂の効用〜

    (2017/07/24)夏の冷えに対する油・脂の効用を実感している。今年はゴールデンウィークが終わる頃からあちこちで冷房の使用が始まり、通勤通学の電車でも職場、学校でもと冷房責めにあって、一時は体調を崩すくらいのところまでいってしまった。当初は、なるべく冷房に当たらないようにとの工夫で乗り切ろうとしたのであるが、下着を余分に身につけるとか靴下を履くとか長時間冷房の効いた場所に居続けないとかの工夫は今でも継続しているが、それだけではどうにもならないものであったので、夏の冷えに耐えられる身体へと創り変えることを自身を実験体として行った。具体的には、朝と昼の鍛練でしっかりと体温を上げてやること、加えて、油・脂の日々の摂取である。油・脂の摂取については、真冬の寒い時期に鯨汁を食べた時に翌日から2〜3日、寒さを大し...(加筆)夏の冷え対策〜油・脂の効用〜

  • 加筆したブログ記事について

    見出しの頭に(加筆)とつけて、記事冒頭に、元記事の日付を括弧付きで入れた。よろしくお願いいたします🙏加筆したブログ記事について

  • カレーについて〜日本人の食はいかにあるべきか?〜

    (2015/11/19の記事再録......コメント追加)カレーについて、改めて考えた。「すべては疑いうる」(マルクス)の言の大事性痛感する。このところ、薬膳という視点から、スパイスとココナッツミルクを使ったカレーを試している。調理についても慣れてきて、それなりに美味しいと思え、かつ薬膳的効果が感じられるものが安定して出来るようになってきた。「カレーな薬膳」(渡辺玲著晶文社刊)を読んで、メティカレーを試してみて、それなりの効果らしきものを実感できたこと、加えて、デッカオ(北新地のスリランカカレー店)でスリランカカレーを食べて体調が良くなる実感があったことが、カレー作りに取り組み始めたきっかけであったのだが・・・・・・。そもそも、人間にとって食とは何か?と言えば、本質的には生命体と地球との相互浸透の一形態で...カレーについて〜日本人の食はいかにあるべきか?〜

  • 下駄・雪駄の効用について〜足裏からの反映と脳の二重の働きの活性化・正常化〜

    (2017/07/23の記事の再録、加筆)下駄・雪駄を履いて歩くことの意義を考えると、日本の、伝統的に伝わり続けてきたものの素晴らしさ痛感される。これまで下駄・雪駄の効用として相互浸透する対象の違い、自然物と人工物の違いということを主として考えてきていた、かつブログにもそのような問題を持つものとして説いてきた。(それゆえ、靴であってもゴムやポリウレタンの底では無しに、昔ながらの革の底のものならばまだ良いのでは、と考えてもいた)しかしながら、今回の自身の父親の寝た状態と立った(歩いた)状態とでは、アタマの働きかたが180度といっていいほどに違ったことに、人間の昼間の生理と夜間の生理との違いということを併せて考えてみると、立つこと、立って歩くことが、その足裏からの反映が(おそらくは姿勢の問題等も絡んでくるのだ...下駄・雪駄の効用について〜足裏からの反映と脳の二重の働きの活性化・正常化〜

  • 形而上の学についての学び〜の基本書〜

    『哲学・論理学研究(1・2)』(悠季真理著現代社白鳳選書107・110)のアリストテレスの項を読み返している。この書に形而上学の問題はしっかり説かれている、と思える。例えば「.......ヘーゲルの「思弁」という言葉で表現されるところの本来の意味は、諸々の事実からそれらに共通する性質、すなわち論理を導き出していく、というような単純なことではない。......」「ヘーゲルは、対象的事物・事象に関わってその対象の持つ意味・意義などといったものについての、自らの無限的認識そのものを対象にして、それらがいかなるもの、いかなることなのかを、様々に捉え返す頭脳活動の始まりから終わりまでの、内なる論争の一つ一つの繰り返しの①多重性②多層性③構造性をふまえることによって誕生した思惟の能力を「思弁」と表現しているのである。...形而上の学についての学び〜の基本書〜

  • ブログ更新について

    少しの言訳ブログ再開以来、出来れば毎朝更新を、と心がけてきたのだが当初の短文レベルであれば、行きの電車内で更新出来たのであるがアタマも働き出して、少しづつ長文になりかつ次から次へと書くこと、書きたいことが浮かんでくるようになると、朝の時間では足りなくなって来ている今朝も一つ記事を書いて山での鍛錬後に更新の予定であったのだが、鍛錬の帰り途でまた書きたいことが浮かんできて、書いていたら更新する時間が無くなってしまった(そこの構造についても「逍遥学派について〜歩くことはアタマの働きを活性化する〜」としてブログ記事アップする予定です)今夜には、いくつかのブログ記事アップ出来ると思います毎朝読んでいただいている皆さんには申し訳無いですよろしくお願いいたします🙏ブログ更新について

  • 形而上の世界とは〜アリストテレスのレベル〜

    形而上の世界ということについてアバウトには、事実の世界では無くて、論理の世界では、その論理のレベルは現象論なのか構造論なのか本質論なのかアリストテレスは、人類史上初めて形而上の世界へと足を踏み入れた、とヘーゲルは評価していると言うまた、アリストテレスの論理のレベルは、本質論どころか構造論レベルにも程遠く、現象論レベル(の一般論)がようやくであったけれども、人類初の論理の世界へ足を踏み入れたのを、ヘーゲルは形而上学への一歩、と評価したのだと悠季先生はどこかで言われていた、ともそう考えると、形而上の世界とは論理の世界と言う捉え方で良いのかもしれない自身の実力の遥か上のことをこれ以上あれこれ考えても仕方が無い肝心なことは、自身が形而上の世界へ足を踏み入れられるように、研鑽を積むこと!形而上の世界とは〜アリストテレスのレベル〜

  • 大石あきこさん当選おめでとうございます。

    大石あきこさんの頑張りに、怒りというものの力の大事性を痛感する。今回の衆議院選挙、れいわ議席三倍増となり、大石あきこさんの国政への復帰もかなって一安心ではある。その大石あきこさん。当初は、女性ながら凄いなあ、とは思うものの......であった。ところがある時、彼女が橋本徹さんの大阪の改革?に対して、直接に反対の声を上げたのを、「自分で政治家になってやってください。」と冷たく切り捨てられて、という動画を見て(言葉は正確にでは無いかも知れません)、それに発奮しての、政治家を志しての現在である、ということを知った。そのことで、人間にとっての怒り、悔しさというものの力、の大いさ、大事性を再認識し、それとともに、その怒り、悔しさを、同僚との愚痴やボヤキで誤魔化すのでは無しに、政治家への道、政治活動の原動力となし得て...大石あきこさん当選おめでとうございます。

  • 学問とは形而上の世界の問題〜実践的理解を〜

    学問とは形而上の世界の問題である、ということ。物やその機能という形而下の、では無しに、その実体の問題例えば、コリがあってそれをほぐしてやるといった場合で考えるとコリをほぐしてやって柔らかくなる、これは大抵、またコッてくることになるこれはコルような生活をするからということがあるがそうでなくてもコることがあるこれはコリといっても、それには二重性があるから、コッた実体がコッているコリと解れた実体がコッているコリと逆からいえば、解れた状態にも二重性がある、解れた実体が解れているのと、コッた実体が解れているのと一般的に、手技施術では、コッたものを解すのであるけれども、そのコリが機能レベルなのか、実体レベルなのかで、違った経過を辿る......形而上の世界とは、この実体の世界の問題を論じる、思惟する、そういうことなの...学問とは形而上の世界の問題〜実践的理解を〜

  • 鍼灸東洋医学の科学化を!〜自身の学びの原点〜

    どうして鍼灸東洋医学は、観念論の立場から抜け出せないのか?端的には、不勉強の一言に尽きる。学問とは何か。理論とは何か。科学とは何か。哲学とは何か。科学的とは如何なることなのか。......等々。ということも分からずに、「鍼灸東洋医学と科学とは相容れないもの!」と断言的に「鍼灸東洋医学の科学化」ということを否定してしまう。これが、自身が鍼灸東洋医学の世界に一歩踏み入れようとした時の、鍼灸東洋医学の世界の先生方の態度であった。当時は、鍼灸東洋医学というものの入口に入ろうとしていた自身には、反論する術も無かったのであるが......。しかしながら、それこそが今に至るも、自身の鍼灸の科学化、学問化への志の原点である。鍼灸東洋医学の科学化を!〜自身の学びの原点〜

  • 股関節重心の二重性〜創ると使う〜

    「股関節重心」にも二重性がある。創ると使うの、形式と内容の、機能と実体の二重性。そのようにとらえ返すならば、「股関節重心」の最初のハードル、「カッコ悪い!」の問題は解決される。と思う。詳細は、後ほど。股関節重心の二重性〜創ると使う〜

  • 蜻蛉の構え〜一般教養の、あるいは背後の認識を知ることの大事性〜

    (19/08/0307:52のブログ再録、コメントあり)蜻蛉の構え(示現流)について考えた。人間に関わるものごとは、その背後にある目に見えないものを見ることが大切なのだ、と改めて痛感される。「蜻蛉の構え」とは、示現流の構えで、通常の刀術でいうところの「八相の構え」に良く似た構えである。昔々に、「蜻蛉の構え」というものを知った時には、「八相の構え」を示現流では「蜻蛉の構え」というのか、あるいは「受け無しの一撃必殺」を旨とするからの構えなのか、というくらいの認識しか持たなかった、持てなかった。しかしながら、現在あらためて「蜻蛉の構え」ということを考えてみると、「蜻蛉の構え」というものを、(観念的に)ゾッとする恐さとともに見ることとなる。その恐さの中身とは、一撃必殺的に斬りつけてくる刀術の恐さであり、それ以上に...蜻蛉の構え〜一般教養の、あるいは背後の認識を知ることの大事性〜

  • ライ麦パン作りに学ぶ伝統の重み〜物事は実践的に理解すべし〜

    ライ麦パンを焼いた。伝わるものの意味を実践的に知っていくことの大事性実感された。昨日は、衆議院選挙投票日ということで気分的に落ち着かず、(日本の現状、これからどうなってのだろうかとの大きな不安があっての、選挙結果はその行く末をわかるための一つの大きな鍵である。との思いから......)と言っても、それを自身ではどうすることもできず、(応援する政党、候補者への投票とXやブログで応援するくらいしか)であったので、モヤモヤした気持ちで何も手につかずで、そこで思い切ってブログ更新、ライ麦パン作り、ペンクリニックへ出かける等々、普段それほどに時間が取れないことに過ごした。さて、そのライ麦パン作り。出かけた時の食として、作らねば何もない時のための常備食としても、そんな時に添加物まみれのコンビニ食やファーストフードでは...ライ麦パン作りに学ぶ伝統の重み〜物事は実践的に理解すべし〜

  • 今朝の衆議院選挙結果〜れいわ議席三倍増〜

    今朝のNHKニュースれいわ9議席まだ、開票終わって無いとのこと石に齧りついても10議席に、と思う何故なら、山本太郎代表が選挙前に、10議席になれば政治を大きく変える力になる、とそれにしても、議席三倍増山本太郎代表、大石あきこ共同代表他、れいわの皆さんの健闘の結果である、と心からの拍手を送りたい👏👏👏今朝の衆議院選挙結果〜れいわ議席三倍増〜

  • 衆議院選挙結果に思う〜れいわ議席倍増〜

    未だ最終結果は出ていないようだけれど自公過半数割れ立憲民主党大きく躍進期待する、れいわ新選組は二桁とまでは行かなかったようだが、議席倍増山本太郎さんおつかれ様でした大石あきこさんは小選挙区残念でしたが、比例で当選されたようですまた国政の場でのお姿拝見するの楽しみにしています🙏衆議院選挙結果に思う〜れいわ議席倍増〜

  • 過去の自身との討論

    過去の地震のブログ記事にコメントを付すことにした。目的は、過去の自身との討論からの、いずれは闘論である。少し紛らわしいけれども、よろしくお願いいたします過去の自身との討論

  • 「書くことは考えること」の過程的構造〜を絶対精神の自己運動に学ぶ〜

    (2020/4/16の記事)「絶対精神の自己運動(ヘーゲル)」について知ることで、永年の悩みであった「如何に書くべきか」ということが具体性を持ってイメージ出来た、と思える。ヘーゲルに学ぶことの偉大性、必要性痛感する。「絶対精神の自己運動」とはアバウトには、世界の始まりには絶対精神があり、その絶対精神がまず自然に姿を変え、自然が発展する中で、社会が誕生し、社会が発展する中で、精神(文化)が誕生し、精神が発展する中で絶対精神へと至るという(素朴な)絶対精神→自然・社会・精神→(レベルアップされた)絶対精神という、絶対精神に始まり絶対精神へと帰る円環としての自己運動である。(詳細には(正確には?)、『南郷継正武道哲学著作・講義全集第三巻』(現代社刊)をお読みいただきたい。)これは別の観点からいえば、観念の世界→...「書くことは考えること」の過程的構造〜を絶対精神の自己運動に学ぶ〜

  • ペンクリニックでのペン先調整〜に学ぶプロの二重の実力〜

    先週に続けての2週連続のペンクリニック。さすが専門家(ペンドクター)は違うなあ、と感心させられた。先週、梅田のNAGASAWA文具店で万年筆の調整をしていただいて、これまで少しの引っかかりが気になっていた万年筆が、別物のごとくに書き味なめらかになった。それに味をしめて、他の万年筆もとなって本日、2週連続でペンクリニックのお世話になった。本日、調整いただいた万年筆はそれほどに不満はなかったのであるが(これは修正用の赤インクを入れていたので使用頻度が低かった)ということもあったのだが、前回の調整の効果に、もしやこの万年筆も調整いただけば、より良いものになっていくのでは?との思いでお願いした。結果として、これまでインクフローが少し良すぎて、原稿用紙を片付けるまでに乾かす手間、時間あったものが、多すぎず、少なすぎ...ペンクリニックでのペン先調整〜に学ぶプロの二重の実力〜

  • 大石あきこさん頑張れ

    選挙区が違うので、大石あきこさんへの投票は直接出来ませんが、当選されんことを心から祈っております。阪大卒のインテリ?女性にも関わらず、身体を張っての、国民のためにの議員活動、何時も尊敬と感謝の念で拝見させていただいております。今夜、良い結果が出ますように🙏大石あきこさん頑張れ

  • 鍼灸学生の皆さんへの学びの指針(2/2)〜「哲学の歴史を一新の上に繰り返す」(ディーツゲン)〜

    (承前)これは別言するならば、何事も完成的には存在せず、一からの積み重ねの上に、の現在であるのだから、それを学ぶにあたっても一からの積み重ねが求められる、ということでもある。「哲学の歴史を一身の上に繰り返す」(ディーツゲン)とはそういう学びである、と捉えている。さて、話は飛んで、その「発生は系統発生をくり返す」ということを理論レベルでわかっていく実践的に論理的事実を持っていくことで、それが自身にとっての信仰レベルの金言となっていって、何を為すにしても、そのまともな「習得から修得へ」を志す場合には、それを実践していく、ということになっていった。例えば、手技療法術であれば、指圧マッサージから鍼灸、そして整体指圧へ。武術であれば、空手から居合、棒術、そして柔術へ。書であれば、行書から楷書、そしてかなへ........鍼灸学生の皆さんへの学びの指針(2/2)〜「哲学の歴史を一新の上に繰り返す」(ディーツゲン)〜

  • 鍼灸学生の皆さんへの学びの指針(1)〜体発生は系統発生を繰り返すとはいかなることか〜

    今回は「個体発生は系統発生をくり返す」ということについて説いていきたい。長くなるので(400字詰め原稿用紙4枚ほど)2回に分けてアップしていく。「個体発生は系統発生をくり返す」。この論理ほどに、自身の人生にとって大切な、別の言い方をするならば、役に立ったものはないと思えている。もっと早くに、このことに気づけていれば自身の人生ももっと実りのあるものになっただろうになあ^^;というのが自身の現在の偽らざる思いである。それだけに、自身でそれなりの生き方を見つけて十分に生きていっている皆さんは置いておくとして(それらの方々は既に自身のものを持っておられるだろうから大きなお世話だろうから)これから人生を切り拓いていく、いかねばならない若い皆さんに、特に鍼灸学生や鍼灸を学び始めている皆さんに、この論理を知って、人生の...鍼灸学生の皆さんへの学びの指針(1)〜体発生は系統発生を繰り返すとはいかなることか〜

  • 間引き菜を食べる〜日本人にとっての日本の伝統的な食生活の大事性〜

    日本の伝統的な食生活について学び、かつ取り入れるべく取り組んでいる。昔日の日本人の知恵、食の豊かさに感心させられている。かつて、(本来の)人間の食というものは、サル類の食=植物性雑食に加えるに動物性雑食であるということを知り、それを実践しかつ学ぶ中で、それに加えるに、それとともに、その民族の伝統的な食を摂ることの大事性!ということに気付かされている。例えば、日本人と欧米人では、同じ植物性雑食+動物性雑食であっても違うのである。(アバウトには、日本人は米を主とした植物性雑食に加えるに魚介食。欧米人はライ麦や小麦を主とした植物性雑食に加えるに乳製品、肉食)例えば、日本人が欧米式の食生活をすれば、糖尿病等の生活習慣病の原因にもなっていきかねないとか。欧米人には日本人が常食する(していた?)海藻類は消化吸収ができ...間引き菜を食べる〜日本人にとっての日本の伝統的な食生活の大事性〜

  • 過去の自身との討論〜ブログへのコメントとして〜

    過去の自身のブログ『鍼灸如何に学ぶべきか』に対して(基本的にはアンチの立場で)コメントをするということ行ない始めた。やりだすとなかなか面白い。けれども、どうやら皆さんからは、ちゃんと見れてないような気がします。方法、形式をちょっと考えます🙏過去の自身との討論〜ブログへのコメントとして〜

  • 鍼灸学生の皆さんへ〜東洋医学の学びの一例〜

    東洋医学の学び方について東洋医学的生理学と西洋医学生理学の一般的なイメージを先ずは描くことおすすめは『よくわかる黄帝内経の基本としくみ』『看護の生理学(1〜3)』等その上で、東洋医学を学ぶ時には西洋医学で、西洋医学を学ぶ時には東洋医学で、をこれは、今に至るも自身で実践していること鍼灸学生の皆さんへ〜東洋医学の学びの一例〜

  • 氣とは何か〜観念論的と唯物論的〜

    氣とは何か?西洋医学的唯物論的には如何なるもの、ことを言うのか?東洋医学の概念規定として、(全身を巡って人間の身体を正常に保つ)氣の流れを整える、とした。では、全身を巡る氣とは何か、それが巡るとどうして病から回復していったり病になっていかないのだろうか?ということが次には問題となろう。東洋医学的観念論的には、人間の身体を働かせる大元の原動力が(それどころか世界の、森羅万象の大元が)氣なのであるから、それがしっかりと巡れば身体は正常に働く、というのは自明のこと、となるのであるが......。それでは循環論法であり、氣とは何かを説明してくれるものでは無い。西洋医学的唯物論的に端的には、氣とは全身を巡る血流と神経、ホルモンの働き=機能を一括して、実体としたもの、であると思う。氣とは何か〜観念論的と唯物論的〜

  • 明日は衆議院選挙投票日

    棄権が自民金権政治批判と思ってる皆さん棄権するくらいなら、れいわ、参政、日本保守等の新しく小さな党にいれたらどうでしょうか?棄権は自民党によっては痛くも痒くもありませんどうせ小さな党では大きく変わることはないですから何より投票に!明日は衆議院選挙投票日

  • バドミントンの学び〜試行錯誤の二重性

    バドミントンを始めて8ヶ月余、ようやくスマッシュ打てるようになって来た。長かったなあ、と。空手、ムエタイの準備運動という位置づけで、一から人間体の鍛錬をし直さないとこれ以上の発展は望めないだろう、との思いで始めたことの一つのバドミントン。数ヶ月で区切りをつけて、空手、ムエタイにとの当初の思いとは違って、最初は空振りばかりで、こんなはずではとの思いでの、であった。(大学時代に少しやったことがある)しかしながら、あれこれ工夫するものの一向に上達しない最初の数ヶ月(指導のあり方としては、やれば出来る!)その間、このまま続けても意味が無いのでは?何のためにバドミントン?それにしても出来ないままに止めるのはなんとも悔しい!との二つの思いを行ったり来たりの、であった。そのうちある出来事から、その指導者に違和感覚えるよ...バドミントンの学び〜試行錯誤の二重性

  • 『鍼灸如何に学ぶべきか』を読む〜過去の自身との闘論を!〜

    自身の過去のブログ、といっても数年前だけれども、を読むと二重の思いがある。一つは、よく頑張って書いてるなあ(自画自賛🙏)であり、もう一つは、隔靴掻痒の感である。過去のブログにコメントつけて、内容を深めていきたい。そこから、過去の自身との討論から闘論へと成していければ、と思う。『鍼灸如何に学ぶべきか』を読む〜過去の自身との闘論を!〜

  • 芍薬甘草湯〜の効果に、一般的治療の像が深まった〜

    バドミントン後、窓を開けて眠って居たら脚がつって目覚め、「芍薬甘草湯」を飲んだら、ものの数秒で治った。「芍薬甘草湯」は、『鍼灸如何に学ぶべきか』でも紹介したかと思うが、筋肉のつり(痙攣)に、本当によく効く。漢方薬というと長期間服用してはじめて効果がある、との先入観がある(自身では)のだが、「滋陰降火湯」(喘息に)といい「芍薬甘草湯」といい、飲んで直ぐ効果がある。(「滋陰降火湯」であれば、みるみる呼吸が楽になる)これは一つには、自身の食や運動の整えが有るのかもしれない。「芍薬甘草湯」であれば、通常は効くのに30分以内くらいかかる、と聞く。例えば、高血圧等があって複数の薬を常用する自身の弟は、自身の様に数秒でとはいかないようである。そう考えると、昔昔の人類(自然の食、強烈な運動である農作業、日が昇ると起き日が...芍薬甘草湯〜の効果に、一般的治療の像が深まった〜

  • 自身の施術のアバウトなイメージ〜自身を実験体としての、そこからの患者への施術〜

    自身の施術のイメージをアバウトにデッサンすると、本治として姿勢の矯正+それを可能とする為の解し。標治としては経絡を意識しての施術。(そこに加えて、生命の歴史を踏まえての食の整え)この大元は自身の鍼灸、指圧、整体の学びによる、自身の過去の武術修業等による古傷と再度のまともな武術修業を可能にするための日々の鍛錬の結果としての腰膝等の痛み、(加齢とともに出て来たと思える)耳鳴り、喘息等々の症状への治療実践。加えるに日々のクリニックと自宅での患者への治療実践と共に形づくられたもの。(そこにあえて加えるとすれば、武術修業を可能とする為の諸々の鍛錬、生活の整え)自身の施術のアバウトなイメージ〜自身を実験体としての、そこからの患者への施術〜

  • バドミントン教室

    今日はこれからバドミントン教室へ、なかなか道は険しいムエタイのための体力づくり準備運動、という目的で始めたバドミントン。単に走り回れる体力づくりとのイメージで始めたものが、やってみるとまともにスマッシュ一つ打てない状態で、2〜3ヶ月で終了の予定が既に8ヶ月余。新たな技の習得は楽しく、また様々な発見もあり、大変でもあるけれども当分続けそう。バドミントン教室

  • 世代交代は何のために〜新しい酒には新しい革袋を!〜

    世代交代は何のためにと考えると、『鍼灸如何に学ぶべきか』を新たなブログ『東洋医学の理論』として始めることの必要性、必然性を確信する。ブログの再開にあたって、名称を『鍼灸如何に学ぶべきか』から、『東洋医学の理論』へと変更した。理由は、ブログ休止の3年間にそれなりの進歩、深まりもあり、何よりもこれが自身の鍼灸治療、という形が確立されつつあること。そのことによって、治療とは何かの〈一般論〉が自身の事実として持てた。との思いがあったからの、それに見合った新たな形をとの思いからであった。別言すれば、元になる自身の実践の事実が大きく変わってきたからの、そこからの論ずる中身も大きく変わり、それゆえのブログ名称の変更であった。名称に恥無い内容となっていくべく頑張っていきたいと思う。よろしくお願いいたします。(画像はレッド...世代交代は何のために〜新しい酒には新しい革袋を!〜

  • 五臓と経絡〜根本を問うことの必要性〜

    本治とは、「病を五蔵の変動の結果としての経絡の虚実として捉えて」の施術との定義。「病を五臓の変動」(病論)と捉えることと「経絡の虚実を補瀉する」(治療術)というのは、全く別のものを繋ぎ合わせての定義、概念規定なのでは無いだろうか?鍼灸学校時代にここに関わって、「そもそも、五臓と経絡が関係がある、対応しているというのは、どう証明されているのか?対応していると言えるのか?言っていいのか?」との疑問があった。当時は、「それを疑っては、鍼灸治療(の理論)は成り立たない!」と教員に一喝され、引き下がるしか無かったのであるが......。歴史的に東洋医学、鍼灸術というものをとらえ返してみれば、答えが見えてくるのでは?と今は思えている。いずれ説きたいと思う。五臓と経絡〜根本を問うことの必要性〜

  • ブログの今後

    ブログを再開して、今週で2週間になる。そろそろアタマも働き出して来たように思うので、なるべく早い時期に準備運動を脱却して、本格再開といきたい。先ずは、一般的なこと、自身の東洋医学鍼灸の世界地図、世界図式を示せれば、と思う。自身の施術の全体像をアバウトにデッサンすることで、かと思う。ブログの今後

  • 首のコリ、ハリは万病の本〜骨盤後傾+膝重心はやがては気の流れを妨げる〜

    姿勢の崩れからの肩こりの多いことに驚かされる。人間、本来の姿勢をとっていくこと、とり続けるのことの大事性、痛感される。「股関節重心」ということを実践し、その意義を考え出してからというもの、人の姿勢、重心ということが、街を歩いていてとても気になる。目につく多くの人が骨盤後傾+膝重心になっていて、若く筋力のあるうちはまだ良いのだけれども、年齢とともに筋力が衰えてくると(これは高齢女性に多いのだけれども)、骨盤後傾+膝重心という土台からの体幹が後方に倒れた状態を上背部を前傾させることで補う。(そうでなければ後ろに倒れてしまう)より具体的には背中を丸めて前傾させることでバランスを取ってる。そこから首で頭を起こすという形でバランスをさらに取るということになっている、そのことによってどうにかこうにか立っている姿である...首のコリ、ハリは万病の本〜骨盤後傾+膝重心はやがては気の流れを妨げる〜

  • コロナパニックについて〜観念論的見解批判〜

    この数年間で日本中にコロナ恐怖症が蔓延してしまっていて、病原性が風邪レベルとなったと言われる現在に至るもコロナ怖い!の人は珍しく無い。のみならず、感染症一般に対しての恐怖症が日本人を蝕んでいる如くである。ここで、多くの日本人が誤解している(マスゴミの宣伝で誤解させられている)事がある。それは何かといえば、ウイルスや細菌は、人間を痛めつけたり、殺したりするために存在するものの如くに捉えられている、ということである。しかしながら、彼らは、自身が子孫を残し生き続けるためにこそ、人間の体内で自身の生きる環境を作り出すと共に、増殖しているのであって、決して悪のウイルスなどと言うものは存在しないのである。(生物兵器でもない限り)そこを誤解しているからの、ウイルス恐怖症、感染症恐怖症になっていっての、現在のコロナパニッ...コロナパニックについて〜観念論的見解批判〜

  • 日本の伝統食〜植物性雑食+魚介食の意義〜

    日本の伝統食は、植物性雑食+魚介食という構成になっている。これは、日本全国の伝統食をざっと眺めてみれば、誰もが納得する筈である。例えば、『日本の食生活全集聞き書大阪の食事』(農山漁村文化協会刊)を見よ。問題は、何故それが健康に資するのか、である。端的には、それが系統発生の食の繰り返しであるから。より構造的にいえば、サルは植物性雑食でサルへとなって行き、そこに動物性雑食を加えることでヒトへとなっていった。同時に、日本人の特殊性としての魚介食の大事性。日本の伝統食〜植物性雑食+魚介食の意義〜

  • 幼少期脊椎剥離骨折による側弯症の事例〜運動をしないことの弊害〜

    幼少期の脊椎剥離骨折の後遺症で、半身のコリ、痛み、手足の痺れが出て来ている。脊椎脇の硬結を探っていくと、ひときわ硬い部位がある。指圧を加えると半身のコリが随分と解れていく。これは、人間特有の病というよりも、動物にも共通の怪我の後遺症。しかしながら、コロナ以降それまで続けていた運動(ダンス)を止めたら症状がひどくなって受診という経過を考えると、運動しなきゃあいけないのを、コロナ怖いで止めてしまったがゆえの、であるから......広義の人間特有の病と言えなくも無い。患者にはリハビリの継続と運動の少しづつの再開を促した。幼少期脊椎剥離骨折による側弯症の事例〜運動をしないことの弊害〜

  • 人間の病は自分で作り出す病〜病の二重性〜

    やっちゃあいけない事をするからおかしくなって病んでいく、というのが人間特有の病その事例。骨盤後傾+膝重心による膝痛、腰痛、上背部から頚部の歪み(円背)による痛み。自分で病の原因を作っているだけに、作り続けているだけに、治り難い。解しても解しても、となる。人間の病は自分で作り出す病〜病の二重性〜

  • コロナ後遺症、喘息への漢方薬〜滋陰降火湯〜

    「滋陰降火湯」、喘息に、コロナ後遺症(のひつこい咳、痰)にコロナ後遺症で、一ヶ月近く咳と痰が続いていた時に、医者が出してくれる薬(漢方薬を含めて)に効果無く自分で、漢方を勉強し直して、選び使ってみたものの内一番効果のあったもの。理合としては、東洋医学的には、陰を補うことで気が火化して引き起こされていた咳やからむ痰を正常に復するということだろうか。西洋医学的には、炎症を抑えて、か。エキスや顆粒ではなく、自身で煎じたものが良いと思う。コロナ後遺症、喘息への漢方薬〜滋陰降火湯〜

  • 本能に代わる認識の働き〜自損事故に思う(2)〜

    端的には、人間はやっちゃいけないことをやるから病気になる。(認識の問題)それに対して動物は本能に導かれて、やっちゃいけないことはやらない。やらなきゃいけないことはやるから、人間で言えば怪我や衰えはあっても(そこからの人間の病気と同様の経過をたどることはあっても)人間のような病気にはならない、である。これに対して、うちの猫は腎臓病や肝炎、癌になった。うの犬は糖尿病になった。との反論があるかとも思うけれども、それはペットとしての動物であって、人間の認識が関わっている(人間の与える餌を食べ。人間の住居に住み。あろうことか手押し車で散歩?して等々)からの、である。それゆえに、ほとんど本能を失ってしまって認識に従って行動する我々人類は、何をなすにしても、対象の構造に分け入っていって、その把握した対象の構造に見合った...本能に代わる認識の働き〜自損事故に思う(2)〜

  • 古典研究について〜個体発生は系統発生を繰り返す〜

    現在の古典研究について。弁証法性の無さを感じる。これは古典=古代中国の時代のレベルを現代のレベルから実際以上に高く見てはならないのか?との問題でもある。現代においても、中国古代の古典と言われる『黄帝内経』等の書を研究している方はおられると思う。それらの方の思いは、「古代中国の神業のごとくの鍼灸を求めて」であると、以前に著名な古典研究の先生に伺ったことがある。しかしながら、古典の時代を現代の人類のレベルから、実際以上に高く見てしまっては(古代中国という時代は、人類のレベルとしては未だ幼いレベルであった筈)鍼灸というものの、歴史性が歪められてしまう。それは弁証法性というもののの否定でもあると思う。別言すれば、それでは現代の個体発生が系統発生を繰り返せないとい鍼灸の指導の問題でもあり、上達の問題でもある。ここは...古典研究について〜個体発生は系統発生を繰り返す〜

  • ブログへのコメント規制について

    いつからかコメントをgooブログユーザー限定にしていたが、コメントの規制を解除することにした。鍼灸、東洋医学、東洋医術等を学ぶ皆さん(特に鍼灸学生の皆さん)からコメント、質問いただけたら、と思う。コメント限定的にしたのは、多分、門外漢である方から、のからかい半分のコメントが続いて嫌気がさしたから、と記憶している。そういう状況になったらまた規制するかも知れませんが、ともかく今の気分は千客万来なので。よろしくお願いいたします。ブログへのコメント規制について

  • 過去の自身のブログを読んで

    いろいろ勉強して真面目に書いてるなあと感心させられる。誰か評価してやってもいいのにねえ^^;自身が自身のブログ記事の愛読者になりそうだ。過去の自身のブログを読んで

  • 治り難い病は治らないのか〜対症療法の限界〜

    実践的に治り難い病がある。例えば、肩コリ、腰痛、膝痛、喘息、高血圧、糖尿病......。自身の専門でいえば、肩コリ、腰痛、膝痛等は、その最たるものである。解しても解しても、である。患者自身も、治療者も、肩コリ性だから、とか持病だからとか言って諦めてしまう。しかしながら、その病の全過程を観るならば、凝るような、傷めるような過程を持っているのが常である。日々痛めつけているのだから、治らんよねえ。と、近頃思う。丁度、運動不足にグルメ三昧をしながら糖尿病や肥満、高血圧が治り難いと嘆くようなもの。治り難い病は治らないのか〜対症療法の限界〜

  • 概念の労苦について〜実践的な概念の理解を〜

    ヘーゲルは『精神現象学序論』で、学問においては「概念の労苦を!」とと説いている。では、「概念の労苦」とはいかなることなのか?自身の実践を振り返れば、「概念の労苦」とは、「概念」に見合う事実を持って概念を分かる、ということ。もっと言えば、その「概念」が観念的実体となるまで、というか自身の実践の積み重ねで「概念」の実体を創り出すというか......。例えば、料理のレシピを知っているだけではダメで、その料理を美味しく作れるようになるまでの積み重ねが、「概念の労苦」であるし、「概念」と言うものは、そのレベルに至ってはじめて知識から「概念」になっていくのだ、と実践的には理解している。概念の労苦について〜実践的な概念の理解を〜

  • 今後のブログの更新について

    なかなかにブログ原稿を書く時間も取れず、かつこれは書いておきたいなあと思うこと多々あるので、今後は、覚え書もブログ記事としてアップします。「覚え書」で分類して置きますので、興味の無い方は無視していただければ、と思います。よろしくお願いします。今後のブログの更新について

  • 治せる病治せない病

    病には様々な二重性がある。治るのと治らないの、人間のと動物の、精神のと身体の......等々。しかしながら、この十数年、クリニックに務めて見て思うことは、接骨院や鍼灸院に比べて治り難い病の患者が多いということである。それは何故なのか?と考えると、患者自らが選んだ結果の偏りがあるのだと思える。そういう意味で、病には治療者の問題として、治せるのと治せないの(これは決して治らないでは無い)二重性があって、患者もそれなりにそれを分かっての受診なのだろうなあ、と。治せる病治せない病

  • 自損事故に思うこと(1)〜人間だけがどうして(多くの)病気になるのか?〜

    自損事故を起こした。人間だけが病む(動物と違って多くの病を持つ)のは、こういうことなのか!?と思えた。昨夜、仕事から帰って買い物に出かけようと車を出す時に、門扉に擦ってしまった。キーッと大きな音がしたものの、「やっちゃった〜!」と思いながらも、とりあえず目的地に向かった。途中さまざまな思いが渦巻いて(しまった^^;大きな出費!何でいつもの出庫で擦ったんだろう?大きな傷がついていなければいいのに^^;もしかしたら擦り傷程度かも。等々)のドライブであったが、到着して確認したら、ほぼ無傷。「ラッキー!!」と大喜びして買い物から戻って、再度確認したら別の箇所に大きな傷と凹み。「やっちゃった〜^^;これ何十万円の出費だろうか?保険使おうか?)との思いとなって帰宅、食欲も失せていたが、何とか食べてシャワーを浴びて就寝...自損事故に思うこと(1)〜人間だけがどうして(多くの)病気になるのか?〜

  • 喘息と「股関節重心」の効用〜股関節重心は全身の気の流れを整える〜

    この数日ようやく涼しくなってきて、暑い暑い夏もそろそろ終わろうとしている。ほっとしてる人も多いのではと思う。しかしながら、夏の終わりから秋冬へ大きく気温の下がっていく、この時期は喘息を持った人にとっては1年のうちで一番大変な時期である。自身も喘息に苦しんだ過去があるだけに、そういう皆さんの大変さは我がこととしてわかっているつもりである。そこで、今回は自身の喘息を寛解状態にまでしてくれた、「股関節重心」について少し述べたいと思う。さて、自身にとっての「股関節重心」は、そもそもが下肢、特に膝の故障をくり返すということに対してのものであった。(「股関節重心」とは、アバウトには、体を膝で支えるのではなしに股関節で支えるというものであり、当然に、膝に良いに違いないとの思いから始めたものであった。)当初はわけもわから...喘息と「股関節重心」の効用〜股関節重心は全身の気の流れを整える〜

  • 鍼灸ブログ村のブログ名について

    鍼灸ブログ村では、ブログ名が『鍼灸如何に学ぶべきか』のままなのですが、それは端的には変更仕方が分からないからなのですが、以前からのブログ村の読者?の方もおられるだろうから、とりあえずそのままでも良いか、とも機会があれば、変更しようとは思っております🙏鍼灸ブログ村のブログ名について

  • 鍼灸ブログ村

    3年近く放置していたのに。鍼灸ブログ村9位に入ってます。これも一重に皆さんのおかげと。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。鍼灸ブログ村

  • 水槽のリセット〜対象療法のみには限界がある〜

    リビングに置いていた水槽をリセットした。全は一を実感した。1年ほど前に水の汚れがどうしようもなくなってリセットして、ドジョウ、メダカ、エビ等々を飼っていたのだけれど、この夏(暑い日が延々と続いたからだろうか)次から次へと死んでいって、残ったのは汚れの強いと思えるスネイルの類だけ(これは意図的に入れたのでは無く、水草についてきて繁殖してしまったもの)で、簡易な設備では定期的にリセットしてやらないと水質を保てないのかと思いつつも、水換えの頻度を上げたり、水質を安定させてくれるというレッドラムズホーンを導入してみたり、水草を新たに入れてみたりしてみたのだが、試験紙で試したところ硝酸塩の濃度が高く、思い切って水の全入れ替えをした。しかしながら、少しするとまた硝酸塩の濃度が上がってしまうので、これは底砂とフィルター...水槽のリセット〜対象療法のみには限界がある〜

  • 今後の予定

    思いつくままに「鍼灸学生の鍼灸東洋医学の学びかたについて」西洋医学と東洋医学を相対的独立かつ対立物の統一として出立時に学問体系の一般的な世界地図=一般論を持つ必要性「古典の学びについて」その時代の人類(の認識)のレベル、社会、自然を抜きに、現在の自然、社会、人間から視ることの不味さ鍼灸を歴史性あるものとして、その原点としての古典との把握「人間の病とは何か」動物と人間の区別と連関(食と運動に焦点をあてて)人間の病と健康(動物との対比で)具体的構造的に、いかなる運動をすれば病まないのか、いかなる食を摂れば病まないのかまた、病から回復していけるのか?その限界、上限?今後の予定

  • ブログ更新について

    先週、日曜日に急に思い立って再開したブログ。あれこれ不安要因はあったものの、とりあえず「トマス・アクィナスについて」をアップ出来た。読者?の皆さん、これからよろしくお願いいたします🙏ブログ更新について

  • トマス・アクィナス〜アリストテレスとヘーゲルを繋ぐもの〜

    トマス・アクィナス(1225〜1274)「......「スコラ哲学の王」と言われる中世最大の体系家。......その当時、アラビアユダヤ哲学を介して西欧に入り来ったアリストテレスに集約せられるギリシャ哲学の合理主義を、キリスト教会の伝統と総合し異境に優越する信仰を論理的に基礎づけとする。......」(哲学人名辞典アテネ文庫)トマス・アクィナスについて、現在の自身の思いを述べる。アリストテレスとヘーゲルをつなぐ存在。弁証法の発展において、アリストテレス弁証法を西洋文化に返り咲かせ、へーゲル弁証法への道を拓いた偉大な哲学者。と知識ではあるが、未だにイメージが描ききれていない。にもかかわらず、何故にトマス・アクィナスの学びを!となっているのか、といえば、自身の人間体鍛錬の実践に関わる。今回のテーマではないので...トマス・アクィナス〜アリストテレスとヘーゲルを繋ぐもの〜

  • 小竜先生

    小竜先生から幾つかコメントをいただいた。感謝の気持ちでいっぱいである。『鍼灸如何に学ぶべきか』を書いていた鍼灸学生当時、鍼灸、東洋医学に関わることを討論することで、鍼灸、東洋医学の学びを実りあるものとしたい、というのが自身の願望であったのだが、当時は、その相手に恵まれず......。それが、ブログ再開と共にの小竜先生の登場である。小竜先生との対話が討論に討論が闘論へとなっていくことを心から願ってやまない。それゆえ、当初の予定とは随分と違った展開になるかも知れません。小竜先生

  • 鍼灸·東洋医学の学びとトマス・アクィナスの問答法〜部分と全体あるいは事物の過程的構造〜

    鍼灸分野のブログで、トマス・アクィナスの問答法だとか、たった一人の二人問答(アリストテレス)だとかと言うと、「それが鍼灸にいったい何の関係があるのか?」「東洋医学や東洋思想ならばまだ分からなくも無いが、トマス・アクィナス?問答法??それが鍼灸に役立つ、関係があるとはどうしても思えない。」との反対、拒絶の声が当然にある、と思う。しかしながら、である。物事を事実レベルで云々しているばかりでは、そのものの正否は分からない。そのものの持つ意味を問うこと、あるいはどのように考えてそのような答を出したのか、とその結論だけではなしにその結論が出て来た所以を、どのように考えてそのような結論を出したのかという過程を知っていくことはとても大事なこと、思っていただければ。(これは例えば、五行論で腎には豆が良いと説いてあって、豆...鍼灸·東洋医学の学びとトマス・アクィナスの問答法〜部分と全体あるいは事物の過程的構造〜

  • トマス・アクィナス問答法の学び〜一人っきりでの二人問答〜

    ブログ再開後の予定としては、まずは『鍼灸如何に学ぶべきか』の総括をざっとすませて、『東洋医学の理論』を始めるつもりであった。しかしながら、自身の過去のブログ記事をいくつか読み返してみると、なかなかしっかり書いているなあ(自画自賛🙏)との思いへとなっていって......これは、少しばかりの準備運動が必要との思いとなった。そこで、まずはいくつかの短いものを書いてからとの思いになっている。しかしながら、随筆レベルの駄文を書くのではたいして自身の学びにならない、何よりもブログを読んでいただく皆さんにも失礼であると......。あれこれ考えて、思いついたのが「トマス・アクィナス問答法」あるいは、「一人っきりでの二人問答」の学びとして書いていこう、ということである。さて、いかなることになるのか....トマス・アクィナス問答法の学び〜一人っきりでの二人問答〜

  • 過去のブログ記事

    過去のブログ記事を読み返してみると、なかなか頑張って書いてるなあ(自画自賛)となった。これを超える記事を書かねば、と少々プレッシャー。まあ何事も最初は少しづつちょっとづつ、か。過去のブログ記事

  • 呉下の阿蒙に非ず。

    呉下の阿蒙にあらず。士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相待つべし。となりたいもの、と。呉下の阿蒙に非ず。

  • 今後の予定〜先ずは「鍼灸如何に学ぶべきか」の総括を〜

    ブログ再開、今後の予定先ずは一般的な事柄から、例えば、病とは、健康とは、治療とは、動物と人間の区別と連関.......あたりからと思う。その前に、「鍼灸如何に学ぶべきか」の総括が順序か、とも。内容としては、(私見としての)東洋医学の、病とは、健康とは、治療とは......それらを現代において如何に学ぶべきか、昔昔の古代の学びとはどう違うのか、それは何故なのか.....等々になるだろうか。現在、パソコン準備出来ておらずスマホからの更新となるので、アバウトに概要のみをと思う。週一くらいの更新になると思いますが、よろしくお願いいたします。今後の予定〜先ずは「鍼灸如何に学ぶべきか」の総括を〜

  • ブログの題名について

    自身の現在の課題、思いに相応しいブログ題名に、と思っています。まだ仮なので、また変更するかも知れません。あしからず🙏ブログの題名について

  • 2024/10/14

    先ずは近況報告から。現在、膝痛等諸々の不調から完全に、といってもいいほどに回復している。例えば、近くの山を約1時間、毎日のように、少なくとも週に数回は歩いている(部分的には走っている)のだが、あれほどひつこく再発を繰り返していた膝痛とは無縁のままに半年近くが経っている。加えて、バドミントン、棒術、ムエタイ等も問題無くおこなえている。また、コロナワクチン開始以来止まら無くなっていた喘息発作も、ステロイドや気管支拡張剤のお世話になること無しに来ている。(これは、この秋冬でその成否がと思っている)加えて、繰り返していた耳鳴りも止まっている。それらのことに役立ったのが「股関節重心」と食の見直し、具体的には「植物性雑食+魚介食」であると思えている。これらの整え(一般的治療、根本治療......)あってこその、鍼灸や...2024/10/14

  • ブログ再開について〜その理由〜

    数年振りのブログ更新です。(どこかで野垂れ死んでいると思われていたのでは......。)現在、ようやくにして人間が病むということ逆からいえば健康に生きるということの過程的像が具体性を持ってアバウトながらもそのイメージが描けるようになってきたと思える。そこから、これまで手に負えなかった膝痛、腰痛、頚部痛、喘息、耳鳴り等々(これらは全て自身の問題でもあった)を治すことの目処が立ってきた。(自身の問題としてはほぼ解決済みである。)それゆえに、本ブログを書いていた当時は、分かりようも無かった諸々の問題が解ける(説ける)ようになってきつつあるとも思えようになってきた。それが数年振りに本ブログを再開しようと思える理由である。近々、ブログの題名も変更する予定です。よろしくお願いします。ブログ再開について〜その理由〜

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ハンドル名
二天さん
ブログタイトル
MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究〜
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