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癌と共に生きる 手術→放射線治療→化学治療 https://fanblogs.jp/satorutosiko/

母の肺癌ステージⅣ闘病記・遺された左半身麻痺の父も癌に・・・誤嚥性肺炎の原因は食道癌だった。

母の闘病する姿からたくさんの勇気をもらいました。生きることが辛い・・・死ぬのは怖くないが、夫を残して先には逝けない・・・と母。 毎日のように涙を流している、強そうでも弱い母親の闘病生活を記すことで、闘病で苦しみもがいている方々と気持ちを共有させていただきたい。「生」への執着を「生」のパワーに変えていく諸先輩方の心のたくましさに感心する毎日です。

satorich
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函南町
出身
長泉町
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2015/05/02

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  • やっぱりそこにいる<br />

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  • 桑野さんリンパ転移宣告

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  • 両親へ報告

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  • サンド伊達さんの膀胱癌

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  • 胸焼けと喉から込み上げる熱さ

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  • 中途半端な健康管理

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  • 最後の通院

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  • 咳こみ

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  • 胸に線を画かれた少年が

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  • リズムの崩壊

    家族の誰かが入院をすると 日常生活のリズムは崩壊する。 崩壊という表現はネガティブかもしれない けれども、それほどに一変する。 すべてが入院した家族を中心に動く。 二日に一度ないしは毎日病気に通う。 洗濯物の引取、着替えを持って行く、 持込み品や必需品の内容は 病院施設や病状により変わる。 例えば、食事制限はストレスが増幅する。 色々要求される中、 差し入れが可能な範囲で持…

  • 手術一年後の不具合は右腕の不自由

    術後一年経ち 妻は元気に生きている。 後遺症はある一定の所から 一向に回復する兆しは見えず 何とかごまかしながら生活している。 患部周辺は激しい動きをすると痛む。 笑ったり、くしゃみで痛む。 その光景は日常化し、当たり前の事に なりつつある。 切開した右脇の痛みは 腕の痛みとしても発生する。 一時は右腕を挙げられなくなるほど 激痛が走ったり、それが恐怖だった。 独自のリ…

  • 入院から一年経過

    あれから一年 今年私はこの言葉を何度口にするだろうか。 私はそうやって懐かしむ癖がある。 ただ、妻の入院の記憶に あまり良い記憶はない。

  • お彼岸入り

    早朝からお墓に行った いつも通り、誰もいない朝7時半のお墓 近くの国道から聴こえる車の音が 淋しさを紛らわしてくれるけど、 今日は少し違った。 お彼岸入りだからと思うけど 次々と人がやってきた。 皆、私よりもご年配の方々で 「朝から早いね」 と声かけしてくれる人もいた。 人っていいな、と感じた。 そう言えば、母もにぎやかな雰囲気が 好きだったなぁ。 いつもと違う早朝のお…

  • O-157の感染予防策3ヶ条

    O-157の感染予防策について 以下の3つを習慣付けることが 推奨されます。

  • 腸管出血大腸菌とはO-157

    病原性大腸菌の一種で ベロ毒素を作り出し、下痢、腹痛、血便 等を引き起こす。 また、このベロ毒素が腎臓に作用すると 溶血性尿毒症症候群(HUS)を引き起こし、 脳に作用すれば脳症など生命に関わるなど 合併症を引き起こすこともある。 O-157といえば食中毒ですが、 O-157の場合、普通の食中毒菌よりも 毒性が強く、少量の菌でも 病気を引き起こします。 時期についても、初夏から初秋の …

  • 啓蟄と病気

    冬籠りの虫たちが這い出る時季 二十四節気の一つ「啓蟄」 この言葉と意味を初めて教えてくれたのは 我が母だった。 母は言った、 この頃になると植物たちも芽吹き始める。 同時に、人それぞれが持つ悪い所が 出てきやすい頃なのだと、 母は言った。 母は病気のことを言っているのだと感じた。 母の肺がんが自身に芽吹いたのが いつなのかを辿ることはできない。 ただ覚えているのは 母が…

  • 背中

    懐かしんでも 哀しんでも 何かを取り戻すことが出来ない歯痒さ。 あの温もりは戻らない。 おんぶしてもらった頃の母の背中、 自転車の後ろに乗った頃の母の背中、 肩叩きしてあげていた頃の母の背中、 肩もみマッサージをしてあげていた頃の 母の背中、 直接温もりを感じることが出来た 母の背中の記憶は 意外なほどに限定的だと気づかされた。 そして、その時間がどれ程に貴重で どれ程…

  • 整形外科病院

    何年前のことだろう 母が通院していた町医者に 送り迎えしたことを思い出した。 整形外科病院 なぜその病院に通っていたのか 当時は聞いていたであろうことが 今は思い出せない。 親身になって聞いていなかった証拠だ。 私は母のことを何も知らない。 誰よりも近い所にいて 誰よりも理解している気になっていた。 子供の頃の私の方が よっぽど母のことを知っていた。 歳を重ねるごとに …

  • 結果を知っているから言えること

    母は抗癌剤治療を嫌がっていた。 それでも私は治療を受けて欲しいと 抗癌剤治療を受けることを促した。 更には、 最終的には自分自身が決めることだけどね、 という卑怯な捨て台詞も使用した。 母は覚悟を決めて 抗癌剤治療を受けることにした。 抗癌剤治療は約半年間続いた後 母はその後の抗癌剤治療を受けることを 止めた。 それから4ヶ月後に他界した。 抗癌剤治療を受けたから、その結…

  • 寝起き歯磨き始めました

    口臭が気になっていたことをきっかけに 寝起き歯磨きを始めました。 やってみると、スッキリ爽快で 朝食の味わいにも影響はなく 癖になり止められなくなった。 寝る前は当然だったけど 寝起きの歯磨きをプラスしたことで 口臭か改善したことも去ることながら 意外に、顔洗い以上に 目覚めに効果があることを実感している。 朝起きる時間も早くなり 一石二鳥以上の効果を得ています。

  • 脚を引き摺っていた父

    脳梗塞を発症する数年前 父が脚を引き摺っていたことを思い出す。 どうしたのか?と聞くと 糖尿病の影響だ、と言った父。 あれは恐らく脳梗塞が発症していた。 私は今でもそう思っている。 病院が大嫌いだった父は自身の勝手な解釈で 自分の身体に起きている異変を気にしていた のだと思う。 それ以上深入りしなかった私と その異変に気づいていなかった?母は 大きなミスを犯していた。 結…

  • わすれない

    あの日のことを わすれない わすれることがない なにがなんだかわからないまま 時間が過ぎていた わすれない あの日の揺れを わすれない あの日の光景を 十年経って前進したことと 十年経っても何も変わらないことと 十年かけて後退したこと わすれない

  • 孤独な闘病

    肺がんという病気の結末を 母は知っていただろうか。 死ぬことは怖くない そう言っていた母の本心はわからない。 今となってはわからないことだらけ。 母はどれ程泣いただろう どれ程の痛みを感じていたのか、 生活スタイルが激変した母。 50年近く人生を共に過ごしてきた父は 施設に入所してしまい 独りぼっちの部屋空間で より一層の孤独を味わっていただろうか。 闘病のストレスは 闘…

  • その土地の病魔

    あくまでも偶然の一致だということを 前提にご拝読願いたいのですが、 私の生まれた地域、ごく狭い地域に 絞った話です。 我が家の北側には線路 そこから南北に道路が走り 突き当たりの道路にぶつかる その距離は直線で100メートル程 その間で相次いで脳疾患が発生した。 一番線路側のお宅のご主人を皮切りに その南東のお宅、その南西、その南隣 その東隣、その南隣、そして当時の我が家、 …

  • 肩凝り

    肩が凝ると 母を思い出す。 物心ついた時から母は肩凝りに 悩んでいた。 よく肩叩きしてあげた。 中学生くらいになると 肩叩きは自然と肩もみになり いつしかオリジナルのマッサージへと 変化していた。 肩凝り一つに多くの想い出がある。 自分が肩に凝りを覚える度に 母のことを思い出す。

  • 134の78

    我が血圧に大きな変化はない。 最高血圧134 最低血圧78 毎月一度、通院時に測定してもらう。 前回通院時は気持ち高めの数値だった。 血圧は一日の中で変化するので 病院での数値がすべてではないですけど、 やはり医師に測定された数値というのは 印象に残る。 それにしても、 何年も横ばいが続いている。

  • 毎朝スルリと出る

    食習慣の改善を始めて一年 一部を除いて ずっと変わらず続けることが出来ている。 それは夕飯のメニュー。 たっぷり温野菜と鳥のむね肉 このメニューを食べ続けることで 得られた効果の一つ それは快便 毎朝スルリと出る。 野菜に含まれる食物繊維が 腸内の蠕動運動を促進させることで 腸内環境を整えることに繋がります。 あとは、小まめな水分補給と 発酵食品の摂取がポイントとなる。…

  • 慢性腎臓病CKDの怖さ

    慢性腎臓病患者は日本国内に1千万人以上 いるといわれる新たな国民病となっている のだそうです。 腎臓が血液をろ過できず 血液中の老廃物を排出できなくなり 更には必要なたんぱく質までもが 尿と一緒に排出されてしまうそうです。 放置すると、人工透析が必要になったり 脳卒中や心筋梗塞を発症しやすくなる 怖い病気です。 予防としては、糖尿病や高血圧の治療を 怠らないことと、定期的に…

  • 大腸癌を疑っていた母の病名は予想外だった

    自分自身の体調に異変を感じていた母は 脳腫瘍が発覚する四年前に 大腸癌を疑っていた。 異変についての詳細はわからない。 ただ、その大腸検査直前に発生した 東日本大震災の影響で 母の大腸癌検査は中止となり そのまま病院に行くことはなかった。 父の介護で時間が作り難かったことも 理由の一つだったと思う。 母の脳腫瘍は転移性のもので 母の癌の原発巣は肺がんだった。 この過程で、…

  • 父親の香り

    歳を増すごとに 体臭がきつくなる。 俗にいう、加齢臭。 私自身、それは感じる。 初めて自分に感じた「親父臭」は 中学生の頃だったと記憶している。 あれから三十数年、 しっかりと親父化し 現在進行形で進化しています。 父親から感じた体臭、口臭は 今でも思い出せる。 特に口臭は思わず顔を背けたくなる程 私にはきつい臭いだった。 入れ歯の影もあったのだと推測するが いずれ…

  • 退院と卒業式

    三ヶ月の入院を経て 退院となった母 その退院日が息子の小学校卒業式と 重なった。 私は息子を選んだ。 退院のお迎えは私の姉に委託した。 その九ヶ月後に母は他界した。 あれから六年、 私の選択は正しかったのか、 今でも答えがわからない。 人生には常に選択がつきまとう。

  • 自分自身の整備手帳替わりだった母がいない

    子供の頃の予防接種の有無、 どんな病気をしたのか、から始まり 幼少期の記憶は乏しい。 私の記憶に残されていない情報は 常に母に確認してきた。 確認してきたものは大体覚えているけど それ以外は常に確認が必要。 兄姉が保有している記憶は限定的で 無駄に下らない記憶ばかり持っている。 日常生活の中で不意に知りたくなることは 常についてまわり、 いつもそのたびに歯痒い思いをしてる。…

  • 兜と遺影

    雛人形を片付けて 兜を飾る 毎年恒例の行事 共に、子供がそれぞれ二十歳を迎えたとき 以降はどうするか考えようと思っています。 今は亡き母が、孫の為に買ってくれた兜は 遺影と対面する形で飾ってある。 兜を買いに行った時のことを 昨日のことのようには覚えておらず うっすらとした記憶しかない。 母は覚えているだろうか。

  • 煩わしいと思っていたのは事実

    日々の煩わしかった手間も 長く続けているうちに もはや習慣となっていて 生活のリズムとなっていた。 それが途絶えた時、 解放された喜びよりも 喪失感が残り それらが生き甲斐であったことに気づく。 その時、それは無くなっていて、 それが生き甲斐だと感じられぬままに 過ごしてしまった日々は、記憶の中で 繰り返し再生される。 煩わしいと思っていた日々が 今では愛おしいと感じる…

  • 病院を探していた三年前

    食道癌が見つかり しかも末期で手がつけられない状況の父に 残された時間はなかった。 施設から入院して二ヶ月、 そろそろ転院という流れの中 促されるままに病院を探していた。 ようやく病院が決まり 後は転院手続き待ちとなった頃 父は誤嚥性肺炎を併発し そのまま数日で他界した。 あの時も、私は母の時と同様に 父がまだ生きると考えていた。 だけに、最期の時間の過ごし方を 間違え…

  • 癌がなくなる日

    人体の謎について 徐々にではあるが 解明されてきている近年、 病気の予防から治療まで 目まぐるしい進化を遂げている。 中には、昔の常識は現代の非常識である というものも多くある。 癌は細胞の変化によって発症する。 となれば、細胞のコントロールが出来れば 癌の消滅は容易に可能となる所か、 癌発症しない細胞にコントロールできる。 そんな未来が待ち遠しい。

  • ピロリ菌と母と私と

    母はピロリ菌に感染していた。 母は薬の投与で解決したけど まだ問題は残っている。 ピロリ菌が確認され人に子供がいる場合 その子供まで検査することが望ましい とのことです。 親から子へ感染している可能性が高い のだそうです。 なので、母がピロリ菌の治療をしたという 事実がある以上、私も検査するべきで その結果次第では私の子供たちも… ということになります。

  • 介護の理想と現実

    母は父の主介護者として 十数年間頑張った。 ただ頑張るだけでは 長期間に及ぶ介護は続かない。 必死だったと、今更ながら感じる。 父は身体の不自由を奪われ 言葉もほとんど奪われた。 そんな父の楽しみは「食」だった。 食材に贅沢は求めない人で 出されたものはすべて平らげる人。 多くのストレスを抱えて生きていた父に せめて「食」くらいは、と今でも思う。 が、しかし 現実はそう…

  • 靴が履けないほどまで浮腫んでいたのに

    履きやすい靴はいくらでもあった。 外出するとき 靴が履けない自分自身に どれ程の苛立ちを感じていただろう。 母が他界する1ヶ月程前になると 足の浮腫が進行していた。 毎日のリンパマッサージ程度では 浮腫の改善につながることはなかった。 そんな状況でも 母は笑顔を見せた。 父の居る施設にも通った。 靴が履けないほどまでに 母の足は浮腫んでいたのに。

  • 入れ歯が合わなくなって

    突然痩せ始めた父の体調を なんらお疑うことなく 元気だと思い込んでいた4年前。 父の入れ歯が合わなくなって イライラしている父を思い出している。 入れ歯を装着したことのない私に 入れ歯が合わないというストレスは、 想像もつかない。 歯科医に調整を依頼したけど、 調整期間中も少しずつ痩せていく父と 思うようにならない入れ歯のサイズ感は いたちごっこのようだった。 私はそれを…

  • 車椅子は痛いらしい

    父は約十年間 車椅子生活だった ずっと車椅子に座っていると お尻と腰が辛い ずっと同じ姿勢でいることも辛い お尻が痛くてイライラしていた父も 何年か経つとあまり云わなくなった だから 時々、車椅子から立ち上がらせてあげた。 ついでに、介助しながら歩行させてあげると 気持ちが良いのか、父は笑った。 でも、そんなことをしてあげられたのは 週に一度…にも満たなかった。 お尻が…

  • 狭心症の不安

    歌手であり俳優である吉川晃司さんが 狭心症の手術を受けたらしい。 手術は無事終了し、仕事にも復帰済み ということで、ひと安心しています。 私が服用している降圧剤は 狭心症を予防する薬でもある。 説明書に記載されていることを知ってから ずっと気になっている。 狭心症が何か、調べたことはない。 ただ漠然と不安を感じている。 今回、歌手であり俳優である吉川晃司さんが 狭心症の手術…

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