ひとつ、長々とたとえ話をしようと思う。 「死にたい」・・・と人はよく思う。「なんか食いたい」・・・と人はよく思う。 「人は」って書いたけど、実のところ、自分が一番よく考える二大思考がこれだ。 特に眠る前、疲労している場合にこういった思考が増える。今回は、この思考が意味するところについての考察をする。 「死」・・・完全に物理的に考えるとするならば、例えば縊死といった方法がある。まあ詳しいことはwikipediaにいっぱいかいてある。ようするに、縊頸、頚椎損傷、頚動脈洞反射による意識の喪失などによって死に至る方法とある。 そして、死ぬことによって、その後どうなるかということは諸説ある。宗教的な意見…
根性論は有意義との一説がある。 ひたすらきびしい根性論をぶつけることによって、相手はそれをしたたかに躱し、うまいこと生きていく術を学ぶからである・・・というのがその説の根拠だ。 ふむ、一理はある。自己を高められるのは、結局己自身しかいない。だから、なに言われたって、自分自身との戦いなのである。 しかし、こうした根性論肯定論をみるにつけ、なにかいつもひっかかることがあるのである。 根性論をぶつ輩というのが、果たしてそこまで見越してやっているのか?ということだ。 だいたい、なにか教育したいというときには、「根性論をぶつけるのは、私はこういうネライがあるからです。」ということまで説明する必要があるの…
失敗に必要なものは転移より後悔、そして後悔よりは転化なのである。
多くの人は記憶違いを起こすから、「記憶違い」などという単語が生まれたのである。 嗚呼、先にいわせてもらえば、剣道の構えなんて、何十回、何百回も勉強したし、もういやというほど頭に刷り込んであるよ!!!しかし、何故?!?! 「竹刀をもつときは右手が下!」 なぜ記憶違いが引き起こされた。本当のことをいうならば、下に来るべき手は左手なのだ。もしかしたら、間違った描写が他にも・・・。ウワアアアッ この世で一番理不尽なことというのは、人体の不思議に他ならない。不思議とかいわれている時点で、何にも解明されていないということを意味している。 もし、なんかしらの理不尽な出来事が、我が人体に自発的に引き起こされ、…
昔きいていた、B'○の、「今夜月の見える丘に」は、ようするに「ヤリたいです!!」という気持ちを、巧みな暗喩で女に切々と訴える歌であると解釈してしまったのだが、聞けば聞くほどあのロンゲのイナバが女を必死に口説いている姿が浮かび、正直まあ、あれですね。(超失礼) 一方、一時期よく聞いていたj-popのひとつに、スキマスイッチの「ガラナ」があり、これは聞いてて「おっピュアでいいねえ・・・^^」とニヤけてしまう。 とある男が、女の子に告りたいという気持ちの歌だ。その途中で、卑屈になったり、自分に言い聞かせたりする。等身大の男の気持ちを感じさせるし、微笑ましいというかキュンとくる一曲ですね。 なんで両者…
技術というのは、持っていても持て余していてはイミがないものなのである。先ず、「気分」を習得しなければならない。 高度になると、自らトランス状態に入っていくことができる的な話を聞いたな。(曖昧)沖縄のカミダーリは、拳で膝を叩き、リズミカルに神の言葉を発しながら脳の状態を移行させる・・・というのをテレビで昔みました。 「酔う」っていうのは、大抵はエタノールで脳がマヒした状態をいうのだが、それ以外には、何らかのものに対して「酔いしれる」などといった意味がある。それは即ち、対象物に対する「没入」を意味する。 それが、エタノールで酔うのと似たように用いられるのは、両者ともに「恐怖心」の喪失によって、対象…
そもそもとして、自著「兄さんと僕」は、読者自体が少ねえんだよッッ
兄さんと僕「抱きつき魔」に於いては、作者はBL好き女性のウケを大いに狙ったつもりです。あらすじとしては、快人が酔っ払って亜辺留やママに絡む話である。 快人は酔っ払うと、イイお兄さんになる。この世の因果から解き放たれて、一気に親しみ深くなるのである。これぞ、ギャップ萌えだ。(説明がないから読者に伝わってないかも)羽交い絞め、なんか耳元で囁くやつ、(名前あったよね?)、顎クイ、口移し、ママに抱きつくシーンなんか、本当は壁ドンにする予定だった。(しかしマンマの背後に壁はなかった) これだけテンコモリにしたのに、こみことかで反応が芳しくなかった。不発・・・いっそ殺してください。 マンガボックスはコメン…
コミュニケーションの究極型、それは「本音を上手に発露することである。」
人は、会話するとき、その言葉に魂を込めるものである。だから、それが否定されればムキになることだってあるし、肯定されれば嬉しいのである。 人は、議論をよくすると思う。相手を懐柔させたいがための議論というものもあろう。(はい論破~みたいな) 論破という言葉を使う時点でその人はまあお察しなのだが、たとえ、相手が表面上納得したかのように見えたとして、その人は本当に納得したのであろうか。心のそこで「やっぱり納得がいかない」とか、「一見正しいことを言っていても、机上の空論にしか聞こえない」とか思うのではないだろうか。 人が本当に納得するもの、それは「経験に則したこと」なのである。だから本当に議論するとあっ…
そもそも、なにかを勉強するという時には、「言語」によって書かれた書物を読み解いて勉強するという方法が一般的なのである。 しかし、そもそもとして、「言語」とは一体なんなのか。というか、「言語」っていう定義自体、先人が作ったものだ。 人は、自分の認識によってしかモノが見えない。限りなく客観的に近いものの味方などもあるが、やはりそれは、近いというだけである。 客観的なものの見方というのは、ありとあらゆる場面で求められる。 しかし、私は考える。「そもそもとして、自分自身による認識しか行えないんだから、それ自体を高めていく必要があると。」 主観的な物の見方でよいのだ。しかしどのような主観的な物の見方がよ…
作家だって生きてんだ!!!!人間なんだ!!!!!!!!人間だもの!!!!!!みつお
・・・ということを主張する是非についてここで問うつもりはナイ。ただ、限りなく無意味なのである。 作家と読者に血のつながりはナイ 読者は、読みに来ただけなんである、漫画を。(倒置法)作家の人生なぞ、sgふぇrげrっげrgなのである。 しかし耐えろとは 一 言 も言っていない。 弱みを曝け出す相手を間違っている、ただそれだけだ。恋人、家族、犬のチロ・・・身近にオマエの気持ちを分かってくれる者がおる。灯台下暗し、だよ。 読者に構ってもらうためのマインドコントロール方法 ・作家の私生活についてイヤミのない程度に漫画に織り込む。・共感させる。・ヨワミをサラケダス(ウソデモイイヨ)・このワタシを救ってくだ…
人の考えていることなんて、わからない。発言ひとつとってみても如何様にも解釈できる。 もし人の考えていることが完全にわかってしまう方法なぞがあったら、人狼ゲームはこの世から消滅します。 ただ、人と通じてみてわかることがある。人には「自我」がある。(当ブログ頻出ワード)皆、己が可愛いし、誰よりも自分の幸せが一番だ。 心をとろけさせる甘い言葉は気をつけたほうがいい。その深奥には他人の血肉を貪る餓鬼がいる。 鏡を見つめ続けるもの。 ナルキッソスは水面に映る自分のみ愛するという呪いをかけられた。やがて水に沈んで水仙になった。(衰弱死との説もある) 自分を愛するということは大切なこと、いや人として必然だ。…
不老不死というのは錬金術でいうすべての到達点。それは、不老不死の妙薬エリクサーであり黄金であり終止点である。ありとあらゆる錬金術師たちが不老不死を追い求め、何億個、何兆個ともいえる精子を腐らせた・・・(そういう作業が錬金術にはある。汚え) ここでいいたいのは、不老不死の意味を履き違えてはならぬということである。錬金術というのは、卑金属を黄金に変えることでも、永遠にトシを取らなくなることでも、ましてや精子からホムンクルスを製造することでもない。 とてつもなく観念的なことなのである。それは、物理的になし得ることでは、決してない。錬金術師たちの悲劇とはソコにある。 で、女の子が不老不死になりたがった…
兄さんと僕の最新話を上げたら、良かれ、悪かれ、その 1 0 0 % が最後のPの感想だった。だれか風玲善にもコメを・・・(´-ω-`) しかし、人とは反抗に反抗を重ねて、やっと一人前の大人になるというのが我が持論である。自分にとって良い子であってほしいからと、押さえつけ、支配関係を育むのはあまりよくない傾向であると考える。 そんなに読者はいないかもしれないが、気づいてる人は気づいてる。兄さんは弟の甘い甘い言葉に絡め取られ、抜け出せない男なのである。 弟が、「兄さんは完璧」みたいな言葉を発せばすぐさま縋り付いてくる。瀬戸快人という存在とは、「弟」によって規定されているものであり、両者は共依存にも…
作者は、漫画のテーマをなんかしら決めて書くとき、具体的なことよりも抽象的なことが大いに関心がある。たとえば、 「人を尊びなさい」みたいなテーマ自体を決めたとして、それはまだまだ抽象的といえる。 これが、 「いつ、どこで、だれが、どういった人を尊ぶという話になるのか」 ということを決めることによって、具体的なものとして浮かび上がってくる。 この両者は、漫画を作る際、外せないもので、そのどちらかが欠けてもハッキリとしたものが書けないんだ。 抽象的に、ただ「人を尊べ」などと言っていても、「具体的にどういうこと?」ということにもなるし、説得力がない。 ただただ具体的に、ある事象を羅列していくだけでは、…
このブログに頻出するワードというものがある。 それは、「抑圧」である。 抑圧っていうのは、行動ひとつに、多大な影響と彩を加えると私自身は思っています。 たとえば、怒るときだって、 ぎゃいぎゃいぎゃいきいきいきい!!!!!となんの抑圧もせずただ素直に怒りの感情を発露するのと、 抑圧から、ただ静かにじっと相手の目を見据え、怒りに打ち震えるのとではまるで大違いなのだ。 むら自身は、抑圧は現実世界ではあんまり心によい影響を齎さないのでは?というスタンスなのだが、 これがマンガ表現となると、表現の幅が広がる、すばらしいものなのではと思っている。 抑圧っていうのは、すればするほど、その抑圧された感情が蓄積…
性行為といったものについて最近まじめに考察するが、(何言ってんだこいつ!?) 性行為は、ほとんどの場合、本番だけでは成り立ってはいないね。 よく、スキンシップするでしょ?いちゃいちゃ~って。 みんな、行為を除いたいちゃいちゃ描写すき? むらは大好きですね。 兄弟間だろうが、親子間だろうが、恋人間だろうが、ペットだろうが、スキンシップ描写はそれだけで自分自身は描いてて癒されます。そこに性的なにほひが付与されると、たんなる親密以上のものになるんだろう。 腐女子向けイラストをたまに拝見させていただくことがあるが、(むらが勝手に見に行ってる)その中身は単なる男同士のスキンシップで、なにがどう腐ってんの…
「描かされている」「描いてやっている」という意識はどこからやってくるのか
気になるフレーズを最近聞いた。 「誰かの為になにかをするということ自体、何者かに対する冒涜である」と・・・。 なんかよくわからないが、共感するところもある。 むらは、超短気な性格をしておりまして、誰かの為に「やらされる」と、頭ぶっこわれそうになるんだ。 自発的にしかうごけないから、どうやったらその気になるか?ということの研究に余念がないんですよ。 で、よく聞くのが、漫画を「描いてやっている」意識の書き手達のことだ。 この「描いてやっている」人たちの中身というのがどういったものかしらんが、まあ想像してみた。 ・はいはいこういうのが好きなんでしょ?こういう展開にするから文句いわないでね!!・おめえ…
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