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  • 高等教育経験者50%、高度情報社会が言われつつ 女性の“生きづらさ”解決策=「<100年先>への積み重ね」240615

    高等教育経験者50%、高度情報社会が言われつつ女性の“生きづらさ”解決策=「<100年先>への積み重ね」240615職業を離れて40か月。社会には「女性特有の身体の変化や”女性らしさ”の押し付けによる生きづらさ」が、と。24年6月15日掲載の「『虎に翼』で考える”生きづらさ”の解決策、鍵を握るのは<100年先>への積み重ね」は指摘する。”生きづらさ”の招待。「適齢期の女性が結婚をしないのは地獄行き」から始まり、「結婚・出産でキャリアを諦めなければならない理不尽」。「仕事に励めば視聴者に「子どものことは?」と突っ込まれる矛盾」。いずれも「ドラマに詰め込まれている」主人公が当面した課題。それが21世紀も四半世紀を過ぎようとしている今、現代を生きる女性たちにも当面。投稿者はそう、書いている。「自分が日頃友人と共...高等教育経験者50%、高度情報社会が言われつつ女性の“生きづらさ”解決策=「<100年先>への積み重ね」240615

  • 津波口承伝説7話、避難地名2所、被災モニュメント2所 アイヌ民族伝承と津波被災 in 釧路国

    津波口承伝説7話、避難地名2所、被災モニュメント2所アイヌ民族伝承と津波被災in釧路国22年春のことだが「アイヌ民族社会で語り伝えられた津波伝説」という内容で、原稿を記載した。釧路国にはアイヌ民族社会でこれまで長期にわたり語り伝えられてきた津波来襲を語る口承伝説が7話、津波来襲に備えて二か所の<避難地名>が残されている。口承伝承は戦前に更級源蔵、佐藤直太郎、渡辺茂氏らの採話によって記録されたものである。それぞれ『北海道アイヌ伝説集』『北海道伝説集〈アイヌ篇〉』『釧路叢書第九巻』などに収録、もしくは採録されていた。2005年になって地質学者の高清水康博氏が「北海道における津波に関するアイヌの口碑伝説と記録」を発表し、「実際に津波が起きていた」とする内容が示された。そこらあたりを念頭に北海道東部釧路国の津波伝...津波口承伝説7話、避難地名2所、被災モニュメント2所アイヌ民族伝承と津波被災in釧路国

  • 近代120年の地域開発理念&鮪利益=地域の開発質量に投資 武四郎像・嵯峨久像に寄せて240724

    近代120年の地域開発理念&鮪利益=地域の開発質量に投資武四郎像・嵯峨久像に寄せて240724北海道東部の中核都市・釧路市の幣舞界わいに位置する二つの像。幣舞公園の「松浦武四郎蝦夷地探検像」と冨士見坂西沿いに位置する「嵯峨久寿像」。「松浦武四郎蝦夷地探検像」に「阿寒国立公園生みの親」、「嵯峨久寿像」には「釧路漁業の父」と高評価が寄せられる。その意味を考えて見ることにした。「松浦武四郎蝦夷地探検像」の主=松浦武四郎の佐賀家家臣に贈った書簡。そこには「資源豊富&水系輸送で海陸輸送最適地」と記載。明治初頭に佐賀藩が厚岸・川上二郡に農業移民と炭鉱技術者を送り込む積極的な要因となった。故に、武四郎の主唱を「1858~1975年=官民釧根投資誘因論理」と意味づけた。「嵯峨久寿像」の体現する点を考察してみる。碑文記載は...近代120年の地域開発理念&鮪利益=地域の開発質量に投資武四郎像・嵯峨久像に寄せて240724

  • 川面&河岸のオブジェクト、、高名アーティスト、パリモードまがいのファッションショー 芸術の都・パリのエコミュージアム240726

    川面&河岸のオブジェクト、、高名アーティスト、パリモードまがいのファッションショー芸術の都・パリのエコミュージアム240726日本時間27日深暁の33th近代五輪`PARIS2024開会式を録画でチェック。川面&河岸のオブジェクト、高名アーティスト、パリモードまがいのファッションショーの表現芸術、エッフェル塔・ノートルダム寺院・凱旋門の歴史的建造物。セーヌ河の川面を200隻かの船で行進の各国選手団。夏の五輪で初。野外での<マチ中開会式>。聖火台は固定施設ではなく、浮揚性の気球で会期を輝かせる。芸術性の高さ。伝統的価値の蓄積。芸術の都・パリならではのエコミュージアム。理念、既存施設の再利用、そこに高いセンスの芸術性。他の体感を圧する迫力、表現力が問歳ではないか。フランス国民の<底力>が存分に発揮されて。3年...川面&河岸のオブジェクト、、高名アーティスト、パリモードまがいのファッションショー芸術の都・パリのエコミュージアム240726

  • 「今は目に見えないサルウシナイ川」流域には高等教育機関がある文教風致の地 城山モシリヤ学の定義210315

    「今は目に見えないサルウシナイ川」流域には高等教育機関がある文教風致の地城山モシリヤ学の定義2103152023年夏あたりから、「城山モシリヤ学コミッション」って<なにに取り組んでいる>のと、聞かれるようになった。「城山モシリヤ学の定義」城山モシリヤ学は旧サルウシナイ川水系の集水域に形成されている生活、生業、文化及び文化財を対象に、調査し、考察し、付加価値を創造し、その形と意味を体系化のうえに、記録し、情報発信を積み重ねる、総合的、市民参加型の生涯学習体系21年3月15日、地域コミュニティ放送<FMくしろ>の「くしろ歴史探訪」で紹介した。音源は現在も残されており、以下のURLでたどりつくことができる。https://fm946.com/broadcast/podcast05/2021/03/post-65...「今は目に見えないサルウシナイ川」流域には高等教育機関がある文教風致の地城山モシリヤ学の定義210315

  • なんとも考えさせられる「やるせない」気持ち 自身にも不明=老後の一人暮らし240725

    なんとも考えさせられる「やるせない」気持ち自身にも不明=老後の一人暮らし2407254月初旬に届けられた一葉のハガキ。記載があった。ボランティアしてもう三年以上。近所の人たちは、認知症のヒトにはやさしさのカケラモもない。市も支援センターもです。長生きも考えものだと思う、今日、このごろ。返して一筆。少子高齢化と申しますがねー。高齢者介護福祉サービスを企画するお役人。中間で地域に定着を担当する地方役人。現場を預かる支援センターの職員。担当する人、従事するする人、それを見守る人。その多くは、「自身が高齢にはなっていない居ない人、自身が<高齢だと>とは思っていない人」が従事する。近々、暑中見舞いを兼ねて一葉を頂く。冒頭に記載があって。五月にとなりの要介護の奥さんの命を救うことはできたものの、そのまま、ビニールシー...なんとも考えさせられる「やるせない」気持ち自身にも不明=老後の一人暮らし240725

  • 「独自の技術で需要を掘り起こそう」 紙の本をつくる=形ある文化 新旧技術が守る240721『北海道新聞』(日曜版)

    「独自の技術で需要を掘り起こそう」紙の本をつくる=形ある文化新旧技術が守る240721『北海道新聞』(日曜版)「独自の技術で需要を掘り起こそうとする動きがある」。かく伝えるのは、紙に<箔押し>や<凸凹をつけるエンボス加工>ら本の表紙&箱の加工に取り組む印刷会社のプリプレス・センター。「プリプレス」とは「印刷前工程とよばれ、広告や出版の企画から、印刷用刷版(さっぱん)の作成までの工程」と、いうことだ。電子出版。その市場拡大に対して紙の本は不振にあえぐ。そう、言われている。本の表紙や箱の加工に加えて、目下、商品券などの偽造防止に箔押しや凹凸は不可欠な技術。積極的には、<手にできるリアルな形で文化を伝える紙の本作り>。<紙の本>には、「長期にわたり語り伝え、記憶されるべき重要なメッセージ>が満載だ。24年7月2...「独自の技術で需要を掘り起こそう」紙の本をつくる=形ある文化新旧技術が守る240721『北海道新聞』(日曜版)

  • ごみ拾い&コーヒー 生まれる新たな地域コミュニティ=東京・板橋240721

    ごみ拾い&コーヒー生まれる新たな地域コミュニティ=東京・板橋240721朝7時のnhkGニュース。特集で「ごみ拾い&コーヒー生まれる新たな地域コミュニティ東京・板橋」。途中から視聴。慶応義塾大学教員のコメントが二点。述べられていた。「子育てや緊急事態のときに助け合える」「参加者同士の新しいコミュニティが出来ることで住みやすいマチづくりにつながる」。そうした趣旨であったと思う。舞台は東京都板橋区。呼びかけは30歳前後の母親が<子育て>のさなかに、「必要性を感じた」こと。「東京板橋ごみ拾い&コーヒー新しい地域コミュニティnhkG」のキーワードで調べても、直接の記載にはヒットしなかった。しかし、類似の記載は多く、ある!!。●https://www.city.toshima.lg.jp/suzuran/20221...ごみ拾い&コーヒー生まれる新たな地域コミュニティ=東京・板橋240721

  • 「手先が器用、そこが見込まれて」 その道50年 女性職人85歳「ゆったり 土と歩んで ~栃木県 益子町~」nhkBS4K240714

    「手先が器用、そこが見込まれて」その道50年女性職人85歳「ゆったり土と歩んで~栃木県益子町~」nhkBS4K240714タイトルからすぐに茨城・笠間焼と栃木・益子焼の関係を思い浮かべて、即、録画。冒頭は「素朴な風合いの益子焼で知られる焼き物の里」。「90年以上続く窯元には85歳の女性職人が。益子の粘土にこだわって静かに土と向き合い続けている」と。益子町の観光協会。冒頭には益子焼の記事。「江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まる」と。老技芸師の思い入れは、なんといっても「土」。「優れた陶土を産出すること、大市場東京に近いことから、鉢、水がめ、土瓶など日用の道具の産地として発展をとげ」と、観光協会は紹介。伝統工芸。ニーズが蒸発。その懸念があるも、そこは本州。「育てる力」&「支える力」の...「手先が器用、そこが見込まれて」その道50年女性職人85歳「ゆったり土と歩んで~栃木県益子町~」nhkBS4K240714

  • うつ病要因「過度・度重なる・持続するのストレス」 うつ病要因=フリージャーナリストの13年間240704 12:00配信

    うつ病要因「過度・度重なる・持続するのストレス」うつ病要因=フリージャーナリストの13年間24070412:00配信医師うつ病は「過度なストレス」「度重なるストレス」「持続するストレス」が原因。「人は、ストレスが溜まると自律神経系と内分泌系、免疫系のバランスが崩れ」「全身倦怠感や頭痛、肩こり、動悸、腹痛・下痢などの消化器症状」「湿疹などの皮膚症状などが出てきます」これらを総称して「自律神経失調症」と呼び、この「自律神経失調症」が<うつ病の前段階>。罹患者女性「うつ病は心の病」と思っていましたが、全く違いましたね。「脳の病気」だと実感。医師男性辛いことがあって憂うつになった経験は誰にでもあると思いますが、うつ病は、そういった状態とは全く違います。(診断基準)「一日中、ひどく憂うつな気分を感じる」「一日中、何...うつ病要因「過度・度重なる・持続するのストレス」うつ病要因=フリージャーナリストの13年間24070412:00配信

  • 「良い贈り物を残してくれた」 津軽平野・弘前市「特集 小さな旅nhk 彩りの四季40th」240715

    「良い贈り物を残してくれた」津軽平野・弘前市「特集小さな旅nhk彩りの四季40th」240715「リンゴが採れるまでは出稼ぎに出ていた」「(リンゴが)採れるようになり、一家で育てることに専念でした」「思えば良い贈り物を残してくれた」。リンゴ農家の家付き娘さんに入り沿った男性は、ポツリと。「秋は津軽平野を彩る真っ赤なりんご」。放送開始から40年を迎えた「小さな旅」。「海の日」の朝は、「特集小さな旅彩りの四季40th」の放送。1955年前後、「貧窮」が伝えられ、「金の卵」と称された新卒中学生を、「就職集団列車で送り出す」を余儀なくされた東北地方。番組で「春は福島県浪江町の人たちの心のよりどころになっている桜並木」。「夏は北陸の名峰・白山に咲き誇る小さな花々」「冬は長野市の山あいで続く伝統の炭焼き」。<モノを創...「良い贈り物を残してくれた」津軽平野・弘前市「特集小さな旅nhk彩りの四季40th」240715

  • 3月=コブシ、4月=チシマサクラ、5月=モクレン&エゾヤエサクラ、樹木の花暦240713

    3月=コブシ、4月=チシマサクラ、5月=モクレン&エゾヤエサクラ、樹木の花暦2407136月=スモモ&フジ、7月=ハシドイ、開花期7~8月=シャラノキ(ナツツバキ)。「シャラノキ(ナツツバキ)」は釧路であまりみかけないが。「花の咲く木」で検索。花をつける樹木の花暦。「人気」というより需要低迷の軌道輸送の沿線。なかには「沿線に桜並木」の血の滲=にじむような蓄積も。東海道線に接続する大垣駅から樽見駅までの19駅、34.5㌔を約1時間。「大正12年に観音堂建立記念植樹として植えられ」「三木市制50周年記念事業の一環として植樹されたのが最初で、今年、三木市は70周年を迎えることから、植樹して20年」。多様な記念の節目が起点となって、「沿線の桜」の形と意味が顕在化している。3月=コブシ、4月=チシマサクラ、5月=モクレン&エゾヤエサクラ、樹木の花暦240713

  • 味噌・醤油・麹・酢 釧路駅北口「三共酒造」余聞録240624

    味噌・醤油・麹・酢釧路駅北口「三共酒造」余聞録240624大正元年10月に来釧した坂本原永(さかもとげんえい)のもと、山サ共盛の佐々木松三郎、福井邦雄、名西惣吉らの共同出資で、三共株式会社が創られた。所在地は現在の共栄大通四丁目2番から、春日町4番に至る一帯。所在地の南を通過する釧路市道に「三共通さんきょうどおり」の路線名。共栄大通を通過する路線バス停に「三共」が残る。今回注目は、現在の共栄大通二丁目2番の地点に二点。一はその角地に醸造工場があったこと、二は隣接して市橋豆腐店が開設していた。豆腐店は今も現存する。「釧路の酒造と水で三題」240624の釧路駅北口編ということになる。昭和45年3月発行、『わが町の人物地図第二集』の記載から紹介する。新潟県西蒲原郡生まれ、根っからの〝醸造屋″と評の高かった創業者...味噌・醤油・麹・酢釧路駅北口「三共酒造」余聞録240624

  • 壇ノ浦=安徳天皇入水 檀ノ浦=屋島合戦 探してみたい「壇」と「檀」の<違い定着>由来を240708

    壇ノ浦=安徳天皇入水檀ノ浦=屋島合戦探してみたい「壇」と「檀」の<違い定着>由来を240708●「壇ノ浦合戦場」=山口県下関市みもすそ川町11185年(寿永4年/元暦2年)3月「治承・永寿の乱」(「源平合戦」における最後の戦い」)●「檀ノ浦の戦い」=香川県高松市屋島西町(香川県高松市屋島の東側にかつて存在した浦)元暦2(1185)年の源平合戦の主戦場=屋島の戦いがあった屋島東麓の低所●掲載の国土地理院図で「赤●印=壇ノ浦」&「緑●印=檀ノ浦」であって、源平合戦の意味は異なるのだが。『源平盛衰記』を読んだのは小学校5年生。学部2年の時にどっちが、どっち?。混乱した。「二つある!!」。確かに「土」と「木」の「偏ヘン=漢字を構成する左側の部分」に違いがあるのだが。その命名期、発生時期があったはずながら、いつ、ど...壇ノ浦=安徳天皇入水檀ノ浦=屋島合戦探してみたい「壇」と「檀」の<違い定着>由来を240708

  • 「はずせないキーワード、あとは<語り部の思い>」 質深く量で圧する知里幸恵の口述記録

    「はずせないキーワード、あとは<語り部の思い>」質深く量で圧する知里幸恵の口述記録24年7月1日、市内を中心に釧路国、根室国に配布されている紙面の月曜文化欄には次の一文を載せた。「被災では碑文・記録を残すことも。他面、アイヌ民族は重要事項を口承こうしょうで伝えて来た。供え物を施し祈り重ね、伝承を途切れさせず。碑文内容は碑設置世代で忘れられるも、アイヌ民族の口承伝承は百年単位で継承済み。素直に注目せねば」。(「橋南春採湖プロムナード33ー40市道ある丘越え春採湖の津波ー再来の備え大木司稲荷大神」佐藤宥紹)。読んでくださった方から、次のメッセージをいただいた。「口承えで、伝え続けるのは、大変そうです」。そこに、実は「知恵」がある。根室国の出身で本市に在住された北道邦彦氏は、知里幸恵著『アイヌの叙事詩』の解説で...「はずせないキーワード、あとは<語り部の思い>」質深く量で圧する知里幸恵の口述記録

  • 「文字では言葉が正確に伝わらぬ」891004 文字文化をもたぬ社会240701

    「文字では言葉が正確に伝わらぬ」891004文字文化をもたぬ社会2407011989年の秋、根室市で開かれた「クナシリ・メナシの戦い100年」のレセプションで、隣り合わせのエカシが、つぶやいた。そこで、「なぜ」など聞き返すことはしなかったが、口で伝える口承伝説が、百年単位の時間的スパーんで持続する場面をみて、受け止めた。見えてきた点。そこを3点にまとめると。1)たいせつなコトは相手の目をみつめながら語りで伝える、2)「語り」には言葉の温度、感性、強弱、抑揚がある、3)つまり「伝えるべき思い入れ」が、文字ではそがれてしまう。市内を中心に釧路国、根室国で配信される『釧路新聞』に投稿した。「オンネ・パラ・コツ(onne-para-kot大きく・ひろい・凹み)は掲載左図の赤色○印の地点」。「富士見と鶴ヶ岱・春湖台...「文字では言葉が正確に伝わらぬ」891004文字文化をもたぬ社会240701

  • 「事実上の公共事業」 時代と政権=北海道経済、日本経済に占める位置240629

    「事実上の公共事業」時代と政権=北海道経済、日本経済に占める位置240629催事の事例報告で自治体関係者が明らかにした、と。「かつて北海道の一次産業は、本州に資源や食糧を供給するための事実上の公共事業であったという見解を示したうえで」(『釧路新聞』2024年6月30日13面)24年6月29日開催「北前船寄港地フォーラム」に先立ち開催。パネルデスカッション「北陸復興支援について」内の各種報告で「あらたなまちづくり」と題する報告のなかで。1980年代初頭(北海道経済)「本州経済を補完する役割」今はなき北海道総合調査室の報告1970年代初頭(北海道経済)「北海道は沖縄と共に本州の内国植民地」当時の北海道近代史研究者の見解。1960年代(北海道の教育)「北海道と沖縄では本州とは違う独自の教科書が採用された」明治・...「事実上の公共事業」時代と政権=北海道経済、日本経済に占める位置240629

  • 坂本ほか

    坂本ほか三者出資=「三共酒造」を語源通称地名「三共」に「三共八千代寿司」&バス停「三共」240624釧路駅北口は昭和初期に商家・民家が集まり始めた。「三共さんきょう」「大曲おおまがり」「治水ちす」の通称地名と路線バス停留所が設けられている。いずれも「鳥取街道とっとりかいどう」の路線に沿っている。通称地名「三共」の語源。それは大正から昭和初期にかけ現在の共栄大通四丁目から春日町4番にかけての一帯に三共酒造の蔵と倉庫が設けられていたことによる。三共酒造の社屋写真は『鳥取町六十年誌』に掲載されている。古川忠一郎『釧路発達史』の「付録事業及人物」51ページによると、大正元年10月に来釧した坂本原永(さかもとげんえい)という人の来釧がコトの始まり(44頁)。山サ共盛の佐々木松三郎、福井邦雄、名西惣吉らの共同出資で、...坂本ほか

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