神道、仏教、スピリチュアルな経験や知識、仕事や武道を通じた気づき、心をラクにするヒントを伝えます。
過去も今も未来もすでに今ここに存在しているという説明をしてきました。続いて、未来がすでに存在しているのなら運命は変わりようがないのか、という話に触れたいと思います。再び、一瞬一瞬というものを、無限に広がるアザラシの頭に喩えます。その一つ一つが、一瞬という一枚絵に顔を覗かせる私たちでした。それらを繋いでいくと、それは一直線ではなく無限に分岐した網の目になっていきます。あらゆるバージョンの過去や未来が、すでに今、存在しており、その全てのバージョンの全ての瞬間に私たちは存在しています。それらは分離して存在しているのではなく、水面下で一つに繋がっています。それを感覚的に分かろうとするなら、私たちの指が無限に突き出している状態とも言えますし、腸壁の細胞がビッシリ並んでいる光景に喩えることもできます。そして時間の経過という...『これでいいのダ』(つづき)
年が明けて早3ヶ月が経ちました。嵐の前の静けさと言われるように、物事というものは或るとき突然にして変わるものではなく、すでに目に見えない形で始まっているものです。そういう意味で、私たちは激動の真っただ中にいると言えるかもしれません。水面下には大きなうねりがあります。しかし表の顔はいたって静かです。ほんのわずか、変化とも言えないような変化があるだけです。それが気がついてみればダイナミックな変化と成ります。地球の姿こそは、まさにそれそのものです。穏やかな地殻の下ではマントルがパワフルにうねり、時とともに海は山に、山は海に変化し、大地が海を渡っていきます。大地が大きく変化していくのが自然の姿ならば、私たちの世界が大きく変化していくのも自然の姿と言えるでしょう。さて今日は、年明け一発目の再出発として今一度原点に立ち返り...『これでいいのダ』
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