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あめつちの詩 https://blog.goo.ne.jp/niiya-mari

「あめつち」に響く歌声の持ち主、シンガー・ソングライター「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る

41才からの遅咲きのシンガーながら、オリジナルは100曲越え、手がけたアルバムも15枚。精力的に活動した時期を経て60代に突入。「朗らかに生きる」を模索の日常を赤裸々に綴る。

にいや
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2015/01/09

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  • キーワードは「ハート」

    先週のこと。胸から喉に掛けて妙な圧迫感が続いた。トクトクとやや早くて脈打つような動悸も感じた。体感は胸の中心よりちょっとだけ左寄りだ。時間に関係なく動いたからでもない。1日1回だけだが、そのほかに軽い動悸が数分間やって来ることもあった。5日続いて不安になった。ネット検索したらすぐに収まるので見過ごしがちな症状だが狭心症や、最悪は心筋梗塞に移行することも。それは命に関わることなので、早めに検査を受けるべきとある。私の場合は40分くらい続いた日もある。月曜日を待って朝一番で広島市内の病院へ。ネット検索をして循環器系の個人病院に行った。診察した医師から詳しい検査を受けた方が良いので、すぐ近くのハートセンターを紹介された。初診料はいらない、うちの紹介と言っても良い、これからすぐに行きなさいと、親切に対応してもらっ...キーワードは「ハート」

  • なんちゃって紅白歌合戦 inぞうさんカフェ

    25日「ぞうさんカフェ」で第1回「ヤリヤリ歌合戦」に参戦。団長?の名にちなんで良治組と汗組に分かれて勝敗ありのオープンマイクだった。「ヤリヤリ歌合戦」という名称は改善を求めたいけれど・・熱き弾き語りが展開された。私はエントリーが早かったわりに選曲が決まらず。1曲だけというのは色々と考えるもので難しい。「女坂」でエントリーしたが練習していたら飽きた。で、直前にカバー曲に変更。「FirstLove」にチャレンジした。玉砕しました。まさか私の後に宇多田ヒカルが続くなんてね。。本番中に知ったのだけれどかぶせてきたそうです。負けた気がする。ステージに上がるには時には闘志も必要と思いだす。にいや活動歴は20年超。当初は私も闘志がみなぎっていた。それでたぶん色々な人に嫌われた。で、関係ないけれどこの頃音響を通すとギター...なんちゃって紅白歌合戦inぞうさんカフェ

  • 生き急いでいるのかも

    いつも時間に追われている。常に「やるべき事がある」という気がしていてせわしない。生き方の身近なサンプルである母はどうかというと「物事を片づける」とか「やっつける」という視点だ。母の人生全般がそうだと私は思う。母にその考え方を改めてもらいたいと娘は思う。が、それって大きなお世話だし絶対に意識転換なんてしない人。それなのに私は何十回も「お母さんは何でもかんでも片づけるとかとか終わらせるだけなんだからっ!」「ひとつ片づけても次から次にやるべきことをみつけるっ。それじゃあいつまで経っても片づかないって!」「片づけてばっかりで、はい一生終わりっだよっ!」「楽しむってことがないよねっ」などといくら私が言葉をつくしても母には何のことかさっぱりだろう。こっちがイライラしてくるだけだ。他人の生き方に私がイライラするってまっ...生き急いでいるのかも

  • 麻呂の余命問題

    麻呂はもらって来た。あれから丸14年。狆(ちん)は凄く珍しい。我が家にはいつも犬か猫が居たが、室内で飼うのは初めてだった。お菓子を野放図に与えて内臓を悪くさせた。いつショック死してもおかしくないという状態から奇跡的に復活。頸椎も悪いし副腎に良性の腫瘍があるとも言われた。会陰ヘルニアで酷い便秘にも苦しんでいた。老体なので余命1年半くらいでしょうかと言われたがまあまあな状態で体調を保持してきた。あれから数年は軽く経過した。が、初期に悪くした内臓は戻らない。薬を飲ませなかった間に、心臓は悪くなっていた。ついに肥大になった。薬を飲ませなかった私のせいだ。永遠には生きられないとは分かっているが麻呂はいつもこたつの中に寝ている。その間隔が長くなったが起きて来るのが当たり前になっている。土日共、私はお稽古事で自宅にいな...麻呂の余命問題

  • 生きることは食べる事

    山野には食べ物がある。先月、竹の子を数本掘り出して煮たら柔らかくて凄くおいしかった。最低あともう1回は掘って食べるつもりだったので、母から邪魔者扱いされた巨大な鍋。「また使うからしまわないで」と言った。が、バタバタしている間に竹の子は竹の青年に育った。私の背丈をゆうに超えた。ある日、それが倒されていた。食べたかったな。相当残念だった。で、そうこうするうちに「フキ」の葉っぱが青々と広がり茂った。母に包丁をバケツを持たせてフキ取りを頼んだ。しばら~くして帰って来た母はバケツ一杯のフキの繊維の部分を手で取っていた。楽しんでいるのかと思ったが、消耗激しかったようでくたびれ果てていた。膝が曲げられないのでちょっとした作業も苦痛のようだ。ねばらなないと頑張ったようだが途中でやめても良かったのに。早速フキを濃い目の味に...生きることは食べる事

  • 農家の長女に農繁期がやって来た

    このあたりゴールデンウィークは田植えの最盛期。父と私は母校が同じ。存命中の父がクラス会の案内はがきを見て「くそ忙しい時期に」とつぶやいていたっけ。クラス会は大抵、春か秋で農家にとっては田植えか稲刈りの繁忙期だ。「都会のモノは知らんよの~」と言っていた。行く気満々だからその感想がもれるってことだ。先だってクラス会の日にちを数人と相談して5月3日に決めた。「連休中かぁ。父は迷惑がっていたな」と思った。ゴールデンウィ―ク中にライブをしたりイベントに出たりして家人の不評を買ったこと度々。今は機械が良くなったので田植えは2,3人で十分だ。むしろ4人目以上はあぜ道を賑わしている程度で傍からみたら「大げさじゃね?」ってくらいな時代になった。しかしながら母にしてみれば田植えと稲刈りは大事な稼業で、もはや人生の「メインイベ...農家の長女に農繁期がやって来た

  • 「緋き山河に」ミュージックビデオ完成

    緋(あか)き山河に/新屋まり高知県越知町にある横倉山は深い森に囲まれている。安徳帝の墓陵参考地があることは前回書いた。杉原神社からさらに上にある帝を祀った横倉宮で撮影した。安徳帝を歌にしている。安徳帝は清盛の孫にあたる方で平家一門にとって再興への「一筋の希望の光」だったと思う。鳥居をくぐるあたりから一層、空気感が違うといつも思う。当日の4月30日は早朝雨だったがいつのまにやら霧が晴れて横倉宮では快晴だった。水野さんは機材を担いでの撮影で大変お世話になった。北広島町から同行してくれた大崎氏は慣れない山道を汗だくで上がってくれた。越知平家会の片岡氏には初めて横倉山をご案内頂いてから実に17,8年になる。当時から変わらずお元気だった。それが何より嬉しかった。あれからバタバタした。2週間近くになる。苦心惨憺した動...「緋き山河に」ミュージックビデオ完成

  • 横倉の風

    4月30日、高知県横倉山での動画撮影を敢行。編集に苦心惨憺した。10時間くらい費やして何とか完成。衣装のしわと目の下のくまが痛々しくて笑えますが私の精一杯を見てやって下さい。2009年発表のミニ・アルバム「横倉の風」挿入歌。撮影協力頂いた水野氏、大崎氏、越知平家会の片岡氏には感謝です。越知町観光協会から提供頂いた2枚目の写真を使用しています。横倉の風

  • クラスメイトからのメッセージ

    ゴールデンウィークは高知まで往復運転して2泊した。高知入りする直前からなぜか眠気が来なかった。折悪く突発性難聴も発症していた。その薬と入眠剤を併用して大丈夫かなとは思ったが眠る方を優先した。高知は楽しかった。たくさんの人と会って美味しいものを食べて良く笑った。その分、帰宅してから疲れがどっと押し寄せて来た。近年にない疲労感。「振り切れた」と思った。始終船に乗っている感じで揺れる。高校2年で初めて発症した。自立神経のスイッチが壊れた。あの時は2年かけてジワジワと来たが就職直後にもなった。リラックスと「対戦モード」がうまく切り替わらないせいだろう。かなりまずい状態だと自覚した。しかしながら起きたらクラス会。幹事なりの責任がある。フラフラしながらでもこの日を乗り切らなくてはと思った。クラクラ&ぼ~~っとした状態...クラスメイトからのメッセージ

  • 農繁期になると母不調問題

    ゴールデンウィークに田植えをするのが我が町では一般的。我が屋でも妹の家族が来て田んぼに繰り出した。晴れ渡った青空の下、畔道で飲むビールは最高だった。夜は倉庫でBBQ。今では懐かしい「おもひで」の一コマだ。我が家の田植えは平日らしい。田植え機が進化したので私が不在でも家人2人でできなくない。我が家の周辺の田植えは終わった。母は他所の田植えが気になりひがな外を眺めていた。私は不在だったので何日もその状態だったはずだ。〇〇さんは今から田植えじゃの。あれは誰だろう?あれは何をしおってんかの?どこの耕運機かとか聞いてくる。知らないって。面倒なので「行って聞いてみて」と言い捨てる娘=私。延々と同じ質問を浴びせて来る。回答はないが浴びせて来る。私は連休前からバタバタで人生にこれほど疲れたことはないというくらい凄く疲れて...農繁期になると母不調問題

  • 「横倉の風」動画撮影

    平家会総会を無事に終えた翌朝、小雨模様の中を横倉山へ。越知平家会のメンバー片岡さんが同行して下さった。撮影は地元在住の水野さん。縁あって映像畑の方に撮影を協力して頂けてラッキーだった。北広島町から音響担当で同行してくれた大崎さんはどうやら山道に悪戦苦闘。いざとなれば二人だけで撮影する覚悟はしていたが、息切れしながら山道を上がり素人で撮影するとは無謀過ぎと思い知った。横倉山は牧野富太郎博士の研究フィールドで有名になり麓の駐車場にも遠方からという若いカップルがいたし観光バスが来るほどの人気。つくづく「横倉の追い風」だ。前日、平家会に参加されていた二人のガイドさんとばったり。お忙しいようだ。そうそう山道で「あら、まりさんだ」という方に遭遇した。麓の横倉宮の宮司さんだった。以前ご神事で歌わせて頂いたが私だと良く分...「横倉の風」動画撮影

  • 横倉の(追い)風~越知平家会の熱

    浅い眠りから一夜明けたら霧雨だった。平家会総会の前に前会長の墓参へ。安徳帝が崩御されて節目の年に、越知町あげてのお祭りは大いににぎわった。折よく「横倉の風」が生まれた頃で中学生のブラスバンドが「横倉の風」を演奏してくれる中、「なんちゃって」ながら烏帽子の装束で会長さんと練り歩いたのは良い思い出だ。今思えばどこから人が湧いて来た?と思うほど大きな催しだった。会長さんは「夢のようやな~」と涙ぐまれた。会長さんと初対面の日にお別れするのが切ないと感じたの思い出す。そして総会会場へ。懐かしい面々と再会した。広島でのコンサートに度々駆けつけて下さったし、牧野富太郎博士が我が町(北広島町)に自生するかきつばたをいたく愛でられたことで両町は以前から繋がりがあったと後に知った。その縁で我が町の「かきつばた祭り」で再会した...横倉の(追い)風~越知平家会の熱

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