三軒屋(広島県福山市千田町)の雨傘
小学生の時は、”笠”といえば番傘、竹と油紙で作った傘。手に持つと重いことと、豪快な雨音がしていた。洋傘は”コウモリ”と呼んでいた。学校の備品として生徒全員に雨傘が備えてあったが、その傘は千田(せんだ)で作っていたとは知らなかった。・・・・・・・「千田学区地域誌」千田学区町内会連合会2008年発行三軒家の雨傘三軒屋の雨傘製造は、今を去る二百数十年くらい前からあり、その後、次第に増え、大正から昭和にかけては住み込み職人を置いている店もあり、下請けを入れると実に14~15軒にも及んでいました。販路も広く、県外にも広げて年間の生産量は三万数千本にも達していました。各地から見習いに来て、三軒屋で修業し地方に帰り、独立営業する人も数多く見られました。裏山や田んぼの小溝などに傘を干し、遠くから見ると一面に花が咲いているようで...三軒屋(広島県福山市千田町)の雨傘
2021/07/25 15:59