古来、年神様をお迎えするための目印として飾られた門松だが、近年、街中で見かけることがめっきり少なくなった。「門松は冥土の旅の一里塚」と詠み、「めでたくもあり、めでたくもなし」で結ぶと、戯れ歌のようだが、言い得て妙な真理だと思う。一里塚の起源は、平安時代に遡るようだが、全国的に整備されたのは、江戸時代で、日本橋を起点として、主要な街道に一里毎に塚をつくり、旅人の目印にしたのだとか。さて、人生は冥途への旅に違いないが、その道中で、いろんな出会いや経験をすれば、行き着く先が何処であろうと良いではないかと、思う年齢になった。冥途の旅の終わりは、ひとりで渡るしかない道であれば、道中は道ずれがいる方が良いが、忌まわしいコロナと決別して、新たな思いで2021年を迎えたい。次回更新は、1月4日の予定。★2021年に向けて
政府が、GoToトラベルを中断したために、年末始に賑わう温泉や観光地の当てが外れ、キャンセルが相次ぎ、悲鳴を上げ始めた。宿泊施設は、キャンセル料金を補償されても、周辺の土産店や飲食店などは対象外。繁忙期に備えて、事前に仕入れた物品の処分をどうするかで、頭が痛いところだ。政府の施策が、後手後手に回ったツケがここまで波及したもので、関係者にとっては、怒りのやり場がないだろう。日頃、政治に無関心でいられるのは、非常時に、リーダーシップを発揮出来る政治家の存在が前提になっている。日本の現実がどうかを見つめ直す好機としたいものだ。★年の瀬の感慨(後編)
今年ほど、健康と安全について、真剣に向き合ったことは無かったが、年の瀬が近づき、自分なりの覚悟が整った。政府が勧める年末始の過ごし方は、今の生活パターンそのものなので、何の抵抗もない。「手指消毒・検温・マスク着用」は、半年以上前から、フィットネス・クラブ入館時のルールなので、習慣化した。「密」は嫌いな性分だし、交友範囲も少ないので、5人以上で飲む機会もない。また、夫婦間の会話さえ、単語だけの日も珍しくなく、政府が、「勝負の3週間」から「真剣勝負の3週間」と語勢を強め、「慣れと気のゆるみ」を警告しても、これ以上、自己防衛する術が見つからない。唯一、私に慣れが生じているとしたら、東京の1日の新規感染者数が600人であろうと、700人であろうと驚かなくなったことだと思う。★年の瀬の感慨(前編)
ausでは、州政府が、連邦政府のコロナ対策の方針に従わない問題も出たが、結果として、パースでは、一足早く、普通の生活に戻り、マスク姿は消えた。娘家族は、長期クリスマス・ホリデイでも、夫君の実家(NZLのダニーデン)へ行けないが、対中関係の悪化で輸出が滞り、高いロブスターが安く出回るので、毎日、BBQを楽しんでいる。一方、日本政府のコロナ対策のじれったさは、自治体に大きな権限を与えて、責任を持たせるという、実に簡単なことをやろうとしないことだ。また、政府並みの権限を持つ東京都知事ですら、都庁舎やレインボーブリッジ等のライトアップを中止せず、消灯時間の繰り上げで逃げている。若者が、ライトアップやイルミネーションを見に行けば、飲みに行くのが自然の流れだ。中途半端な呼びかけで、従う人たちが減っても、不思議ではない。★日豪コロナ対策の違い(番外編)
両国政府の致命的な違いは、政策決定プロセスにおける透明性と論理性だと思う。日本の場合、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議やアドバイザリーボード等の組織を設置し、体裁が整っている。しかし、政府に不都合な意見や提言の採用には、極めて消極的で、議事録を作成しない。一方、オーストラリアの場合、専門家の意見を傾聴し、対策を政府が判断し、国民に対して、具体的・論理的に説明責任を果たす。そして、実行の局面では、少々の反対で妥協しない気概を併せ持っている。政治体制の違い(ausは連邦制)が最も大きいが、政治に対する国民の関心度や、政権交代可能な政党の存在と政治家の年齢の違いも大きい。オーストラリアでは、30~40歳代の議員が圧倒的に多く、日本のように70歳代の国会議員はいない。また、選挙権の行使が義務で、棄権すると罰金を科...★日豪コロナ対策の違い(完)政治体制
企業や国民に対する保障の仕方や金額は、財政事情によるのは当然だが、日本の場合、対策の不手際による支出が多く、実効性を疑うものが多すぎる。「マスク」の配布と「一人当たり10万円の給付金」を合わせて、約13兆円投入したが、マスクは、お荷物扱いされ、給付金は、世帯主が独り占めして遊興費に消えたりした。仮に、13兆円の一部をPCR検査費用に充当していれば、「隠れ陽性者」を見つけ出し、感染拡大阻止に役立ったはずだ。日本のPCR検査実施可能数は、3月末で、約4,400件(東京都で220件)に過ぎなかった。時を同じくして、オーストラリアでは、PCR検査を「無料・予約なし」で受ける体制を整備し、生活保障は所得制限を設ける一方で、買い物の高齢者専用時間帯を設ける等、弱者救済を重視した。また、特質すべきなのは、自分の年金基金から前...★日豪コロナ対策の違い⑤保障
日本政府が採った新型コロナ対策は、改めて説明を要しないが、基本的には、国民に「自粛要請」するもので、強制力を伴わなければ、ペナルティもない。日本の社会経済構造は、東京都を頂点としているので、政府と東京都が一丸となるべきところを反目しあっているために、全国各地へ拡散してしまった。菅総理は、昨日の内外情勢調査会の講演で、「コロナ特措法の改正」について、次期国会に提出して成立させたい意向を示唆した。「私権の制限」に反対する意見が根強いことは、承知しているが、「国民の生命を守る」ことは、何よりも重く、憲法の目的でもある。前政権時代から、なぜ国民的議論を避け続けたのか解せない。たとえ、成立しなくても、問題意識を広く共有できていたならば、自粛要請に対する反応も違っていたと思う。忌まわしい戦時中のトラウマと決別し、新時代に相...★日豪コロナ対策の違い④日本の規制
娘が住むパースは、西オーストラリア州の州都だが、4月時点での新型コロナ感染者数は、500人にも満たなかった。しかし、州政府は、娯楽施設、ジム、レストラン、ショッピングセンター、フードコート等を、すべて閉鎖し、州内での他都市への移動を禁止した。違反者には、その場で1,000ドルの罰金が科せられた。当時、私は、正直なところ、そこまでやるか!と思ったが、その後も、感染者が増えるたびに、規制が厳しくなっていった。一時期、外出は、家族以外2人までとし、結婚式や葬儀の出席者数も制限された。その成果は、半年後に表れたが、ボーダー閉鎖は続いた。12月に入り、一部のボーダー閉鎖が解除され、州をまたがる移動が認められるようになった。日本人より、人権を尊重する国民が、厳しい規制を甘受する背景には、両国政府の政治姿勢の違いが垣間見える...★日豪コロナ対策の違い③AUSの規制
日豪のコロナ感染者数を比べてみれば、一目瞭然で、対策の違いを能弁に語っている。3月末4月末12月20日日本約1,400人約12,400人約200,000人豪州約4,000人約6,300人約28,000人3月末、当時の厚労大臣(現官房長官)が、「WHOは、日本が新型コロナをよく抑え込んでいると、高く評価している」とコメントしたのをご記憶の人も多いと思う。確かに、オーストラリアよりも少なかった。その時点で、日本政府は、コロナをなめてかかり、緊張感を欠き、経済再生策に軸足を移してしまった。GoToトラベルの実施は、医療関係者から「時期尚早」と言われ、旅行業界からは「準備不足と制度設計の不備」を指摘されたにも関わらず、政府は、8月上旬の当初計画を7月に繰り上げて、強引に実施した。その頃、オーストラリアでは、外出禁止から...★日豪コロナ対策の違い②数字は能弁
日本の新型コロナ感染者数は、ついに20万人を超え、日本医師会等9団体が、12月21日、「医療緊急事態宣言」を発表した。翌22日、厚労省の「アドバイザリーボード」は、「大都市における感染を抑制しなければ、地方の感染を抑えることも困難になる」と、指摘した。いずれも、日本政府が、中途半端な感染拡大対策に終始し、経済再生を重視した結果が招いた事態だ。私は、3月末の小ブログで、「クラスターは東京」と予告し、東京都知事が、打つべき対策を提案したが、それは、パースに住む娘家族から得た情報にヒントを得たからだった。3月時点で、日本よりも感染者が多かったオーストラリアが、現在では、終息段階にあることを考えると、日豪政府の姿勢の違いが見えてくる。★日豪コロナ対策の違い①現状
2020年に出場した1月の「武豊町ゆめたろうマラソン」や2月の「浜松町シティマラソン」が早々に中止になり、3月の足羽川、4月の新潟も中止を決定した。ここへきて、新型コロナの感染拡大が深刻さを増してきたので、2021年上半期の大会出場は、ほとんど、絶望的になった。さて、12月20日、京都で開催された全国高校駅伝大会のTV中継を観ていたら、青空が覗き、沿道で応援する人たちが羨ましかった。母校の名誉を賭けて、必死に走るランナーの姿は感動的だ。刺激を受けて、ふつふつと走りたい気持ちが湧いてきたが、こちらは雪かきに精を出すしかない。季節が変わろうとも、展望が見えないロートル・ランナーにパースの娘からメールが届いた。★2020年ランニング総括(番外編)
私のようなスローランナーは、目標を失うとトレーニングする気力までなくし、今では、ウオーキングでお茶を濁してようになった。年が改まれば、新型コロナが収束に向かい、マラソン大会も再開出来ることを期待して、毎日のように、参加できそうな大会を検索している。しかし、距離や出場条件が厳しかったり、あっても、県内在住者限定などの条件付きで、これはという大会が見つからない。ましてや、一体感が感じられないバーチャル大会などは、興味が無いので、なおさら、選択肢が狭まる。来年は78歳。年齢的にみて、このままロードレースの機会が無くなるのではないかとの不安が先立つ。★2020年ランニング総括(後編)
昨日、足羽川マラソン事務局から「2021年3月21日に開催を予定していた大会を2022年以降に延期する」通知が届いた。今年に続き、2年連続で中止になる。2020年は、1月26日の「武豊町ゆめたろうマラソン」(3㎞)を皮切りに、2月15日の「浜松町シティマラソン」(5㎞)と、順調に調整が進み、足羽川で10㎞に距離を延ばす計画だった。4月5日の新潟ロードレース(10㎞)もエントリー済みで、張り切っていた矢先の中止でショックだったが、その後の大会が全国的に中止に追い込まれた。新型コロナの感染が拡大するにつれて、夫婦間の対話が少なくなっていたが、昨日ばかりは、恨みつらみを吐き出すように、会話が弾んだのも皮肉な話だ。★2020年ランニング総括(前編)
国民が、新型コロナに「慣れて気が緩んだ」と言うなら、政府は、「国民とコロナを舐めていた」と認めるべきだと思う。菅総理の8人会食は、氷山の一角で、連日連夜、会食で超多忙なスケジュールで埋まっていた。毎晩であろうと、ハシゴをしようと、「5人以下なら大丈夫」とするエビデンスを示してもらいたいものだ。また、総理が釈明に使った「国民の誤解を招くような、、、」迷言こそ、真摯に反省していないエビデンスだと言いたい。ウイキペディアによると、誤解の定義は、「事実や言葉などを、知識や能力が足りないために正しい解に至らず、誤って解釈してしまうこと」としている。菅総理は、国民が、『能力がないために、私の真意を理解できない』のだと、言っているのに等しい。何を「真摯に反省する」のかを知りたい。★総理の世迷い言
「勝負の3週間」の結果は、昨日の東京では、700台を飛び越して822人となったほか、宮城、神奈川、広島の3県でそれぞれ過去最多を更新した。新型コロナウイルスに対する国民の「慣れと気のゆるみ」を指摘する意見もあるが、それ以上に政府の「気のゆるみ」と「責任」を問いたい。さて、支援金・交付金・協力金等々、名称が違っても、正体は、すべて「税金」に行きつく。補助金の怖さは、権力者が、大衆を一定の方向に誘導する手段に使うところにある。施策の明確な目的と制度設計に加え、透明性と公平性を担保すべきだ。今の政府のやり方は、「ブレーキとアクセル」の使い分けではなく、アクセルを緩めたり踏み込んだりするだけで、ブレーキをかけたことは一度もない。GoToトラベルは、たびたび方針変更されたが、この際、一時中止ではなく、「終了」すべきだと思...★補助金行政の罠
菅総理が、銀座のステーキ店で、8人で会食した報道に、怒りを通り越して、呆気にとられた。GoToを一時中断し、国民に対して、「大人数での会食を控え」、「不要不急の外出を自粛」するよう要請した当の本人が、言葉と裏腹の行為を平気でする。参加者の一人は、「マスク会食」は実施していなかったと語り、「マスクして食事が出来ますか?」と、問い返す人もいたとか。総理が、「隗より始めよ」の意味をご存じないはずがない。これでは、若者が大人数で、どんちゃん騒ぎをしても、文句が言えないし、飲食店主が、良い見本が出来たと、内心、歓迎しても不思議ではない。★「隗より始めよ」は、死語か?
gotoトラベルの一時中断が発表されて、一夜あけると、予想通以上にキャンセルが殺到し、旅行業者やホテル、観光地などが対応に追われている。加賀の山代温泉では、午前中だけで、150件のキャンセルがあったそうなので、全国規模でみれば、その影響度は測り知れない。一方で、年末始の宿泊を12月27日以前に繰り上げる人が急増しているそうだ。元来、GWやお盆、正月の時期は、旅行業界のハイ・シーズンで、キャンペーンが無くても、交通機関や宿泊施設が混雑していた。仮に、gotoが、「あったから旅行する」=「なければ旅行しない」の図式が成り立つのなら、日本が抱える課題を垣間見るようで、虚しい。★goto中止の反応
昨日、菅総理が、重大な決断を下したことを歓迎している。むしろ、遅すぎた気がするが、関係者からの雑音や付随する手続きや事務処理を考えると、慎重にならざるを得なかったと同情する。そもそも、年末始は、gotoキャンペーンが無くても、交通機関や宿泊施設が混雑する。帰省や旅行を禁止するわけではないので、キャンペーンと関係なく、旅行すればよい。補助を当て込んで旅行する発想は、今年の漢字一文字「密」につながる。本来、「密」とは、親密さを表現する文字なので、私は、二位の「禍」の方が相応しいと思っている。★GOTO一時中止は朗報
新型コロナの分科会の尾身会長が、「個人の努力に頼るステージは過ぎた」との見解を示し、医療現場からは、「医療崩壊の危機に瀕している」と、悲痛な声が上がり、一般診療に支障を及ぼし始めた。感染者数は、全国ベースで3,000人台に上り、政府もようやく重い腰を上げたが、巷間では「遅すぎる」の声が多い。東京都では600人台になり、「決戦の3週間」の2週間が過ぎたが、「5つの小」(小人数、小一時間、小声、小皿、小まめ)+「心づかい」では、スローガンに過ぎない。私が通うフィットネス・クラブで、階段下にあった手指消毒台を廃止し、受付カウンターのサーマルカメラの手前に置いたら、励行する人が増えた。数を減らし、設置場所を変えることで、マンネリズムを打破できた身近な事例だと思う。手間が多少かかっても、ポスターの掲示場所や手指消毒の設置...★気づきのカギは「変化」
昨日、買い物に出た時、前方から歩いてきた若者が、顔をそむけて、足早に脇を通り抜けた。後姿を見ながら、「あなたは何故、顔をそむけるんですか?」と、独り言ちた。私は、マスクをしていたし、服装も見苦しくなかった(?)と思う。すれ違った場面を思い返すと、彼はマスクをしていなかった。もし、心理的な負い目で、顔をそむけたのだとしたら、わだかまりも消える。ついては、2017年に、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー教授提唱の「ナッジ理論」をコロナ対策に応用できないものか。「不要不急の外出を控えよう」とか、「gotoを一時中止すべき」と決めつければ、「用があるから」とか、「gotoは政策」と反発を招く。放置自転車対策として、「ここは自転車捨て場です。ご自由にお持ち帰り下さい。」のように、良識に訴え、共感を得る気付き策...★コロナ対策はナッジで!
昨日、東京都知事の記者会見で、感染状況に対する知事の見解を求めた記者の質問が小気味よかった。知事の冗長な説明に業を煮やした記者が、単刀直入に、「増加傾向か、高止まりか、それとも減少傾向か」について、知事の受け止め方を訊いた。返答は、三者択一で、10秒か20秒で足りるところを、またまた3分、4分とくだくだとしゃべり、最後は、「前回と同じ認識です」と結んだ。国と都で、数字の把握方法の違いがあっても、「ステージ3」に該当する事実に基づいて、発言する姿勢を求めたい。都知事選で、「東京から日本を変える」と豪語しておきながら、いつまでも、「国の責任」、「国がお決めになること」と言っているようでは、首長としての資格はない。★都知事の見識
12月3日、土庄港から岡山港まで、大型フェリーで渡ったら、トラックが多く、乗客はまばらだった。パノラマ・シートに座り、好天で凪いでいる海面を見ていたら、妻が、ワインを飲みたい気分だと言うので、ラウンジを覗いたら、早い時間帯なので、営業していなかった。小豆島でカプリ島を思い出した余韻が残り、リューデスハイムからのライン川クルーズと情景がダブったかのようだった。岡山港からJR岡山駅までバスを使い、新幹線で新大阪経由で金沢に戻ったが、琵琶湖を過ぎる頃から、空模様が怪しくなった。福井県に入ると、雨が降り始めた。毎年、小豆島からの帰路に感じる天候の違いに、冬場の寒さに弱くなった身を痛感した。私には、「旅の終わりは次の旅の出発地」で、不要不急ではない。★香川県漫遊記(完)
土庄町役場前をスタートし、約2㎞地点から続く上り坂の踏ん張りどころで、毎年、ホテルの従業員や宿泊客が、沿道に出て応援してくれたので、受付係の顔に見覚えがあった。元会員制のリゾート施設をホテルに転用しただけあって、ロビーや喫茶、ウッドデッキの調度品は、年代物で趣味の良さを感じさせた。決して近代的な豪華な造りではなく、部屋もシンプルだが、清潔で居心地が良い。瀬戸内海を眼下に見る露天風呂に身を沈め、朝夕で異なる景色が楽しめる。湯上りに、ウッドデッキで生ビールを飲んだり、カフェで寛げば、リゾート気分が高まるに違いない。夕げの席に、真鯛の姿作りや地魚、オリーブ牛の陶板焼き、鱧しゃぶ等々が並び、食べ残すと悪いので、食事とデザートを辞退した。妻は、「今度、泊まるときは、料理の品数が少ない方が良い」と、すっかり気に入ったようだ...★香川県漫遊記⑥小豆島(後編)
「瀬戸内海タートルマラソン」が中止になったので、連続出場記録が11回で途絶えたが、港が近づいて来ると、1年前の興奮と懐かしさがこみあげて来た。毎年、マラソン受付会場近くのホテルに泊まったが、今回は、港から5㎞程離れたホテルだった。予定より早く着いたのと、汗ばむような陽気に誘われて、歩くことにした。ホテルは、マラソン・コースの途中の高台にあるので、迷う心配はなかった。歩いてみると、レース中に気付かなかった景色に出会い、寄り道しながら、別のレース気分を味わった。長い上り坂を登りきる手前で、瀟洒な白い建物が見えた時、カプリ島で泊まったホテルが思い浮かんだ。★香川県漫遊記⑤小豆島(前編)
77番札所長尾寺の巡拝を終え、高松築港へ戻る電車の中で、妻が、唐突に、栗林公園に行きたいと言いだした。内心、何度も見物しているのにと思ったが、ヘマをした直後なので、従うしかなかった。紅葉の見頃を過ぎた栗林公園内は、人影もまばらで静寂さに包まれていたが、約1,000本の手入れ松の緑が、抜けるような青空に映えてまばゆかった。さて、香川県は、松の盆栽で全国約8割のシェアを占めるそうで、「手入れ松」に盆栽の技法を取り入れた樹形の美しさは素晴らしく、鶴亀松は、何度見ても飽きない。栗林公園は、紫雲山を借景とするが、むしろ公園の一部かと錯覚するほど、間近に迫り、庭園と一体となって広大なスケールを感じさせる。よく兼六園と比較されるが、私は、二つの庭園は、「美の趣」が異なり、兼六園を「陰の美」とすれば、栗林公園は「陽の美」に分か...★香川県漫遊記④栗林公園
12月2日、電車は、終点長尾駅に9:30に着いた。時刻表を見ると、私が調べた時間帯のバスは無く、次発は13:00で、3時間半待つことになる。長尾駅から大窪寺まで約16㎞を歩いて行く元気はない。かといって、代替案が思い浮かばなかった。不機嫌そうな妻を待たせておいて、駅に戻り、事情を説明すると、「以前は、4本あったバスが1本減った」のだと言う。11月28日に実施された電車ダイヤの改正に伴う減便と分かったが、事態は変わらない。妻にいきさつを説明し、詫びると、「今回は、長尾寺(87番札所)だけにして帰ろう」と言い、「また、来る楽しみが出来たから」と笑って、未練を断ち切ってくれたのが救いだった。(^^)/私の不注意を棚に上げて、コロナの祟りなんだと思いたくなった。"(-""-)"★香川県漫遊記③結願見送り
愛称「ことでん」で親しまれる高松琴平電鉄は、3路線から成り、「高松築港駅」を起点とする。栗林公園や屋島、金毘羅宮等の観光に欠かせない存在で、駅舎は、JR高松駅のすぐ近くで「玉藻公園」の隣りに位置する。お遍路の88番札所「大窪寺」へは、築港駅から長尾線の終点まで行き、バスに乗り換えて行くので、下見を兼ねて駅構内を覗いた。すると、荷物を預ける積りだったコイン・ロッカーが、新型コロナの感染防止のため、全て使用中止になっていた。加えて、事前に調べた電車の時間が大幅に違っており、嫌な予感が走った。しかし、ほかのアクセス手段が思い浮かばないので、翌朝、安全を期して予定を早めることにした。さいわい、ホテルは、徒歩3分の至近だった。ところが、「漫遊記」に相応しい展開が待ち受けていようとは、、、。"(-""-)"★香川県漫遊記②ことでん
二泊三日の香川県の旅は、JR高松駅前の旧高松城址の玉藻公園から始まった。高松城は、今治城・中津城と並んで、日本三大水城の一つに数えられ、周辺の海域が、玉藻の浦と呼ばれていたことから、「玉藻城」とも呼ばれた。築城は、豊臣秀吉の四国制圧後の1587年、生駒親正によるものだが、その後、松平賴重が東讃岐12万石の城主として入城し、松平家が11代228年間にわたり、高松の治世を預かった。最盛期には、約20万坪あった城の総面積は、現在、約1/8(約2万4千坪)にまで減少し、天守閣も解体され、台座だけが残る。しかし、園内のお濠には、海水が引き込まれ、鯉ではなく、鯛が泳いでいる。エサをやると、鯛の願いが叶うので、「大願成就」を文字って「鯛願成就」!松平頼重の弟は、人気時代劇「水戸黄門」の水戸光圀。「信じるかどうかは、あんた次第...★香川県漫遊記①玉藻公園
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