友人たちとの忘年会で大変うまかったので、奮発して(それほどでもないか)獺祭(だっさい)の大吟醸を買った。本当は正月に開けるつもりだったが、待ちきれず年越しそばと一緒にいただくことにした。「なかなかである」で、正岡子規に『獺祭書屋俳話』という評論集がある。獺祭とはカワウソが捕獲した魚を食べる前に並べておく習慣を言ったものだが、獺祭書屋とは執筆中に調べもののために引っぱりだした参考資料が、まるで獺祭のように足の踏み場もないほど散らばっていることを言う。正岡子規は散らかった自分の書斎を獺祭書屋と表現したのである。中央大学のY教授の研究室などはまさにそれ。ドアを開けたとたん、目の前に書棚がそびえ立つ。訪問者はその脇をカニの横ばいのごとく堆く積まれた書物の間にできた畦道を辿って行かねば、奥のデスクに鎮座するY教授のもとに...獺祭で年越し
エスペランティスト、由比忠之進さん抗議の焼身自殺から50年1967年11月11日の夕刻、テレビは衝撃的なニュースを伝えた。「(佐藤栄作)首相訪米の11日夕、エスペランティストの老人が沖縄返還、ベトナム和平問題に対し佐藤首相に抗議、焼身自殺を計った。午後5時50分ごろ、東京都千代田区永田町1の6、首相官邸正面と道路をへだてた反対側の歩道で男が立ったまま胸にガソリンをかけマッチで火をつけ、あおむけに倒れた。炎は高くあがり、1分近く燃え続けた……」このエスペランティストの老人が由比忠之進さん73歳である。このニュースを知った全国のエスペランティストたちは大きな衝撃を受けた。この前日、エスペラントの定例会に参加していて、「来週は来られないから……」ともらしていたのを、仲間たちは聞き逃してしまっていたという。やさしい、エ...たった一人の叛乱
19日は「山﨑博昭プロジェクト」の忘年会だった。今年10月には「かつて10.8羽田闘争があった」(寄稿編)を合同フォレストから出版し、その編集者として招かれた。元東大全共闘議長山本義隆(左の帽子)、山﨑と同期で中原中也研究で知られる詩人の佐々木幹郎をはじめ、発起人を中心に18人ほどが集まり、近況や昔話に花を咲かせた。それにしても、よくぞ集まったものと驚くほどのすごいメンバーだ。来年10月には、「かつて10.8羽田闘争があった」の資料編が刊行される予定で、「寄稿編」以上に編集が難航すrことが目に見えている。はてどうなることか。「山﨑博昭プロジェクト」忘年会
法政大学に、崎山多美さんの講演を聞きにいく。平日の昼間でゼミの講義の一環だから参加者のほとんどは学生。それに一般の参加者も少なくはないが、多くは年配者。崎山多美さんは「水上往還」で芥川賞の候補にもなった沖縄の作家である。作品の多くが沖縄方言で書かれているためか、本土で知る人は少ない。参加した学生の多くは、名前すら聞いたことがなかったのではなかろうか。沖縄方言の中で宮古の言葉は「はひふへほ」が「ぱぴぷぺぽ」になると聞いた。離れ小島のことを「パナリ」というのはそれだったのかと納得。離れ→はなり→ぱなり「小学校の校庭に米軍ヘリから落下物がありました。そんな事件の話を聞いて、早く普天間基地を辺野古に移した方がいいと思っている人、手を挙げてください」学生の中からちらほら手が挙がる。「それじゃあ困るのよね。普天間の基地をな...崎山多美さん
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