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  • 金龍山 天徳院(石川県金沢市小立野4-4-4)

    訪問日令和4年5月17日金龍山天徳院(珠姫の寺)曹洞宗の寺院元和9年(1623年)加賀藩主前田利常が、24歳で亡くなった正室珠姫の菩提を弔うために創建した山門(石川県指定文化財)元禄6年(1693年)建立の二重門明和5年(1768年)の火災で主要伽藍を焼失したが山門は難を逃れた仁王像正面に見えるのが本堂本尊:釈迦牟尼仏珠姫について珠姫は慶長4年(1599年)江戸幕府第二代将軍徳川秀忠の次女として生まれた。名前は珠子母は浅井三姉妹三女のお江であり、家康の孫にあたる前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長が加賀の国へ戻り藩政を治めていたその間に、前田が徳川を討つという噂が流れ、家康は軍勢を集めて前田を攻めようとした利長はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に刃向かう計画は一切無いことを説明その証として利...金龍山天徳院(石川県金沢市小立野4-4-4)

  • 芹谷山 千光寺(富山県砺波市芹谷1111)

    訪問日令和4年5月17日芹谷山千光寺真言宗の寺院(浄土真宗の多い富山県にあって真言宗の寺院は珍しい)大宝3年(703年)天竺の僧法道上人の開基といわれ、彌勒山安居寺とともに砺波地方でもっとも古い寺とされる戦国時代には上杉謙信が戦勝祈願をし、江戸時代には加賀藩の保護を受けたと伝えられている地蔵堂案内図や参拝順路が各所に置かれ、迷うことなく歩くことができるこの参道を見ただけで期待できる寺院だと確信山門(砺波市指定文化財)寛政9年(1797年)の建立間口6.9m、奥行4.2m、本瓦葺き、総欅造り富山県内最古の禅宗様形式の三間一戸二階二重門江戸時代後期の代表的建築鐘楼堂側から仁王像解体修理の結果、この像はスギとヒノキが混用されており、非常に細かい部材で造られていることが判明した山門から鐘楼堂と観音堂が見える鐘楼堂...芹谷山千光寺(富山県砺波市芹谷1111)

  • 高瀬神社(富山県南砺市高瀬291)

    訪問日令和4年5月17日越中国一宮高瀬神社社伝によると祭神(大己貴命)が北国開拓の折、この地に守り神を祀り国成りおえて後、自らの魂をも鎮め祀り、出雲へ帰ったと伝えられている鳥居初めての神社なので境内の様子を眺める50mほど正面に社殿らしきものが目に入ってくる「藤井秀直翁之像」藤井秀直名誉宮司は、平成14年3月(享年97歳)に帰幽長寿と功績を称えて平成8年「藤井秀直翁顕彰会」が設立され、銅像建立と記念誌「神のまにまに」を作製する事となった手水舎昭和45年に伊勢神宮外宮から移築されたもの竹筒から水が流れる手水舎は初めてだ水鉢は、新潟県只見川上流から運ばれた自然石でつくられた「洗心」の禊場水鉢内には高瀬遺跡から発掘された柱を水中で保護している狛犬鳥居(拝殿前)神馬拝殿戦国時代の戦乱により荒廃したが、江戸時代に加...高瀬神社(富山県南砺市高瀬291)

  • 世界遺産 白川郷 その2(岐阜県大野郡白川村荻町)

    訪問日令和4年5月16日世界遺産白川郷白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定平成7年(1995年)白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された初めて訪れた時は民家が多く配慮をするよう求められた記憶があった現在はすっかり観光地化し土産物店などが多くなった気がする子供の頃、よく目にした懐かしい光景長瀬家(有料見学施設)この家の葺き替えの様子をテレビで視たことがあった以前訪れた時には、茶をご馳走になりお話を聞かせてもらった茅葺きの屋根の構造歩を進めると大きな家が見えてくる神田家(有料見学施設)集落内は保存地区のため道路や水路に柵がない横から見ると建物の3分の2を屋根が占めている残雪がより景観を高め...世界遺産白川郷その2(岐阜県大野郡白川村荻町)

  • 世界遺産 白川郷 その1<松原山 明善寺>(岐阜県大野郡白川村荻町)

    訪問日令和4年5月16日世界遺産白川郷その1初めて訪れから何年経つのだろう、2・3度近くを走ったが立ち寄ることもなく通過していた年齢的にもこれが最後の白川郷になると思う駐車場は満車に近い状況でナンバーをみると全国各地から訪れている感じだであい橋荘川に架かる約100m程の橋渡り終えて振り返る松原山明善寺真宗大谷派の寺院本堂、庫裏、鐘楼が合掌造り初めて訪れた時、急に強い雨が降り鐘楼門で雨宿りをしたことを覚えている鐘楼門(岐阜県指定文化財)茅葺の鐘楼門は享和2年(1801年)の建立延べ人足1,425名で建てられたという茅葺きの鐘楼門は全国でも珍しい本堂(白川村指定文化財)文政10年(1827年)の建築間口8間、奥行7間、入母屋造、向拝1間、茅葺延べ人足9,191人を要して建築された庫裏(岐阜県指定文化財)文化1...世界遺産白川郷その1<松原山明善寺>(岐阜県大野郡白川村荻町)

  • 白豹山 本光寺(岐阜県飛騨市古川町弐之町)

    訪問日令和4年5月16日白豹山本光寺浄土真宗本願寺派の寺院天文年間に照蓮寺11世了教の法嗣、教了が結んだ草庵が起源慶長8年(1603年)3世住持、了賢の代に現在の寺号を定める山門飛騨で人気の観光・お出かけスポット30選の1位ということで訪れた明治37年(1904年)の古川大火で焼失し、山門は平成7年(1995年)に再建された親鸞聖人像小説『あゝ野麦峠』文学碑明治から大正にかけて、岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代)たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た吹雪の中を危険な峠雪道を越え、懸命に就業した富国強兵の国策において、有力な輸出貿易品であった生糸の生産を支えた日本の貧しく苦しい時代を懸命に生き抜いた人々を、その時代背景と共に浮き彫りにするように描かれている鐘楼本堂現在の本堂は大...白豹山本光寺(岐阜県飛騨市古川町弐之町)

  • 太平山 安国寺<別称・飛騨安国寺>(岐阜県高山市国府町西門前)

    訪問日令和4年5月16日太平山安国寺<別称・飛騨安国寺>臨済宗妙心寺派の寺院足利尊氏・直義が、後醍醐天皇や南北朝の動乱で戦死者の慰霊の為、国毎(66ヶ国2島)に一寺一塔を建立させたのが始まり貞和3年(1347年)瑞巌和尚によって創建された山門扁額には山号の「太平山」石仏本堂戦国時代、上杉派の三木氏と、武田派の広瀬氏との抗争に巻き込まれ、天正年間と永禄年間に二度に兵火を被った経蔵、開山堂、および鎮守社の熊野神社以外の堂宇が焼失した現在の本堂は江戸時代初期の寛永元年(1624年)、飛騨高山藩第三代藩主の金森重頼により再建されたもの木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、花頭窓付本尊:釈迦牟尼仏(岐阜県指定文化財)薬師堂開山堂重要文化財の「塑造瑞巌和尚坐像(頭部木造)」が安置さ...太平山安国寺<別称・飛騨安国寺>(岐阜県高山市国府町西門前)

  • 荒城神社(岐阜県高山市国府町宮地)

    訪問日令和5年5月16日荒城神社(あらきじんじゃ)日本三代実録に「清和天皇貞観9年(867年)10月5日庚午、授飛騨国五位下荒城神従五位」と記されている室町時代以降は「河伯大明神」と称されていたが、江戸時代の文化年間に荒城神社であることが調査で判明した境内入口の鳥居手水舎社殿前の鳥居樹齢約400年の荒城神社「前立杉」拝殿拝殿内の様子拝殿と本殿本殿(重要文化財)現在の本殿は明徳元年年(1390年)の再建三間社流造杮葺案内板祭神:大荒木之命(おおあらきのみこと)『古事記』において、天と地が分かれた開闢の時、高天原に最初に生まれた三柱の神々の一つ「高皇産霊尊」の13世の孫末社秋葉神社・津島神社・荒神社・稲荷大明神・金毘羅大明神忠魂社前の鳥居拝殿内部荒城神社遺跡(岐阜県指定史跡)境内からは4基の縄文時代住居跡、縄...荒城神社(岐阜県高山市国府町宮地)

  • 阿多由太神社(岐阜県高山市国府町木曽垣内)

    訪問日令和4年5月16日阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)創祀年代は不詳貞観9年(867年)に従五位上を授けられており、古くから位の高い神社であった江戸時代には「権現宮」と称していた鳥居境内入口の鳥居狛犬拝殿拝殿と本殿本殿(重要文化財)室町時代後期の建立。三間社流見世棚造、柿板葺よく観ると覆屋で保護されている本殿説明文祭神:大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)撮影日令和4年5月16日阿多由太神社(岐阜県高山市国府町木曽垣内)

  • 醫王山 飛騨国分寺(岐阜県高山市総和町1-83)

    訪問日令和4年5月15日醫王山飛騨国分寺高野山真言宗の寺院天平13年(741年)、聖武天皇は国分寺建立の詔勅を下し、諸国に国分寺と尼寺を造立した飛騨国分寺は、開基を行基菩薩とし、天平18年(746年)に草建されたという表門<山門>(高山市指定文化財)室町時代の建立(上層は江戸時代)猿ぼぼ人形の供養「さるぼぼ」は、飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」の意味貴族の間で”産屋のお守り”として正絹で作られたものが流行しその後民間に広がっていく中で「安産」や「良縁」・「子供の成長」・「無病息災」などを願うお守りとされていった平成19年(2007年)庚申堂の横に「なでさるぼぼ堂」が建てられた六地蔵国分寺の概要悲母観世音菩薩像祠のなかに石...醫王山飛騨国分寺(岐阜県高山市総和町1-83)

  • 大悲山 円教寺<白谷観音>(岐阜県関市板取)

    訪問日令和4年5月15日大悲山円教寺<白谷観音>「モネの池」を見終えて駐車場に戻る途中に、参拝してくださいといった内容の案内板があった天台宗の寺院で、旧美濃三十三観音霊場1番札所手水舎正面に本堂がある由緒鐘楼本堂伝説では奈良時代に泰澄が当地を訪れて行基作の十一面観音菩薩を本尊として開いたとされる文政11年(1828年)の再建人の気配が感じられず無住の寺かも知れない享保年間に八事興正寺の温泉良円上人により中興された本堂には三十三観音が祀られている堂内を撮っていたら仏像らしきものが見えたので場所を変え撮ってみた今、写真を整理していて気付いたのだが仏像ではなく自分の姿だった(笑)本尊は平安末期作の「十一面観音菩薩」(開帳は7年もしくは15年毎)十王堂中興開山温泉大師寛保庵駐車場横にある板取川の清流撮影日令和4年...大悲山円教寺<白谷観音>(岐阜県関市板取)

  • モネの池・根道神社(岐阜県関市板取448番地)

    訪問日令和4年5月15日名もなき池(通称:モネの池)「モネの池駐車場」の住所をナビに入力すると目的地に着いているのに違った場所を案内する岐阜の旅ガイドによると、池の前にある施設の「フラワーパーク板取」をナビに登録するようにと書いているのを後で知った混むと予想されたので、早めに道の駅を出て8時過ぎに到達した駐車場から池までは100m程の距離普段の私ならこのような景勝地は選択しないのだが、大学の後輩から勧められたので訪れてみた池の中を優雅に錦鯉が泳ぐ姿は、まるでモネの代表作「睡蓮」のようだと名もなき池が「モネの池」と呼ばれるようになった太陽の当たり方によって池の色が変化する場所によっては普通の名もなき池になる小さな池で周囲を歩いて水の透明度が高く綺麗に写る場所を探してみたやはり、人の集まっているところが、この...モネの池・根道神社(岐阜県関市板取448番地)

  • 大矢田神社(岐阜県美濃市大矢田)

    訪問日令和4年5月14日大矢田神社社伝によると、創建は孝霊天皇の時代深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があったその通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てた養老2年(716年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯を開基天王山禅定寺号した。祠はその一部となり、牛頭天王として習合される禅定寺は7坊を有したが、弘治2年(1556年)に戦火で焼失明治3年(1870年)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀、大矢田神社に改称した鳥居楼門(美濃市指定文化財)神仏分離・廃仏毀釈により、護摩堂・鐘楼・観音堂など仏教施設は廃されたが、唯一、楼門(仁王門...大矢田神社(岐阜県美濃市大矢田)

  • 大日山 日龍峰寺(岐阜県関市下之保)

    訪問日令和4年5月14日大日山日龍峰寺(別称:高澤観音)高野山真言宗の寺院海抜283m高沢山の中腹に位置している寺伝によると仁徳天皇の時代、飛騨の国に両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がいた『高沢の山脈に池あり、神龍住みて近郷の村人に危害を及ぼす』と聞き、神龍を退散させこの峰に寺を開創したという仁王門亨保3年(1718年)の建立*実際には仁王門は最後に回ったのだが、脚に自信の無い人は門の前に駐車スペースがあるので仁王門と像、天井画を観た後に第1駐車場に向かうことを勧める金剛力士像典型的な江戸様式阿吽の金剛力士像だという江戸時代の天井画鐘楼昭和11年(1936年)の再建参拝者は、いつでも鐘を撞くことができる薬師堂貞亨5年(1688年)の建立薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩が安置されている金比羅堂文政3年...大日山日龍峰寺(岐阜県関市下之保)

  • 吉田山 新長谷寺(岐阜県関市長谷寺町)

    訪問日令和4年5月14日吉田山新長谷寺(しんちょうこくじ)通称「吉田観音(きったかんのん)」真言宗智山派の寺院貞応元年(1222年)、後堀河天皇の勅命により、空海の四世護認上人の開山本尊は十一面観世音菩薩。三重塔、本堂など、重要文化財が多く、美濃の法隆寺といわれている仁王門(関市指定文化財)宝暦3年に徳川家により再建されたここまでは普通であるが、仁王像の撮影は禁止と書かれている事前にネットの口コミなどを読んでいたが本当の話だった総門総門前には「境内全域撮影禁止」と「境内全域、カメラ・ビデオ等の撮影は固くお断りいたします。源氏一族ゆかりの八百年以上の歴史を持つ寺です、公園ではありません。」の札が立っていた。境内に入ると「境内全域撮影禁止観光地ではありません。信仰の場であり仏さまの聖地です。お守りください。N...吉田山新長谷寺(岐阜県関市長谷寺町)

  • 吉田山 新長谷寺(岐阜県関市長谷寺町)

    訪問日令和4年5月14日吉田山新長谷寺(しんちょうこくじ)通称「吉田観音(きったかんのん)」真言宗智山派の寺院貞応元年(1222年)、後堀河天皇の勅命により、空海の四世護認上人の開山本尊は十一面観世音菩薩。三重塔、本堂など、重要文化財が多く、美濃の法隆寺といわれている仁王門(関市指定文化財)宝暦3年に徳川家により再建されたここまでは普通であるが、仁王像の撮影は禁止と書かれている事前にネットの口コミなどを読んでいたが本当の話だった総門総門前には「境内全域撮影禁止」と「境内全域、カメラ・ビデオ等の撮影は固くお断りいたします。源氏一族ゆかりの八百年以上の歴史を持つ寺です、公園ではありません。」の札が立っていた。境内に入ると「境内全域撮影禁止観光地ではありません。信仰の場であり仏さまの聖地です。お守りください。N...吉田山新長谷寺(岐阜県関市長谷寺町)

  • 日吉神社(岐阜県安八郡神戸町大字神戸)

    訪問日令和4年5月14日日吉神社弘仁8年(817年)伝教大師(最澄)が天台宗の布教に東山道を通った折、神戸(ごうど)の地に立ち寄った郡司・安八太夫安次は大師の教えに帰依し、大師は安次の懇請に応じて影向山神護寺善学院を建てた近江坂本・日吉神の四柱の神を勧請、日吉信仰の社を創建したその後、大師の弟子の慈覚大師(円仁)が伝教大師の足跡を慕って神戸の地に寄り、日吉神社へ三柱の神を勧請した惣門伝教大師が四柱、慈覚大師が三柱、合わせて七柱の神々が勧請されて祀られ、今日まで山王七社として奉幣されてきた当時は神仏は一体であるという神仏習合説がとられたこの考え方により明治時代を迎え神仏分離令が出されるまで、善学院が神社の別当寺として運営に携わってきた木々に囲まれた参道を歩く国旗が掲揚されている正面に見えるのは神輿殿御手洗カ...日吉神社(岐阜県安八郡神戸町大字神戸)

  • 金銀山 瑠璃光院 国分寺(岐阜県大垣市青野町)

    訪問日令和4年5月13日金銀山瑠璃光院国分寺(美濃国分寺)高野山真言宗準別格本山天平13年(741年)「聖武天皇」が鎮護国家を願い、諸国に国分寺建立の詔を出し建立された美濃国国分寺の後継寺院開祖は「行基」自ら薬師如来像を彫り、本尊とするとともに七堂伽藍を建て寺を開いたとされている山門雨が上がるのを車内で待っていたが、止む気配がなかったので傘とカメラを持って駐車場から移動した扁額には山号の「金銀山」門の奥に仁王像の姿があった仁王像文化財の指定等の記載はなかったが、迫力ある姿は素晴らしい鐘楼観音像水子地蔵尊手水舎縁起階段奥に本堂が見える当山第44世了雄大和尚胸像修行大師像弘法大師が全国を御修行されている姿「弘法大師(空海)」が三代目住職を務めている本堂現在の美濃国分寺は、焼失後江戸時代の元和元年(1615年)...金銀山瑠璃光院国分寺(岐阜県大垣市青野町)

  • 中島山 西順寺(岐阜県本巣郡北方町清水)

    訪問日令和4年5月13日中島山西順寺(時の太鼓)浄土真宗本願寺派の寺院創建は文応元年(1260年)明海が開山したのが始まりと伝えられる「時の太鼓」も観光スポットになっていることを現地で知り訪れた本堂歴史のある寺ではあるが建物は新しい鐘楼鐘楼周辺にある石仏「閻魔」と読めるこちらは「奪衣婆(だつえば)」か「時の太鼓」の案内板(北方町重要文化財)時の太鼓は、元禄10年(1699年)北方の領主旗本戸田光賢(5千石)が将軍綱吉に見事な馬術を披露その恩賞として冠木門・鮫鞘の三間槍とともに将軍家より特に許された太鼓は、直径90cm・胴回り3.3m・胴長1.6mと大きなもので、この「時を告げる太鼓」は大名にしか許されなかった特に打ち上げの打法は御三家にしか許されない貴重なものであった明治維新までの170年間、太鼓の音で刻...中島山西順寺(岐阜県本巣郡北方町清水)

  • 池鏡山 圓鏡寺(岐阜県本巣郡北方町北方)

    訪問日令和4年5月13日高野山真言宗別格本山池鏡山圓鏡寺弘法大師が弘仁2年(811)に嵯峨天皇の勅命により創建したという名刹永延年間(987~988)に、一条天皇の勅願寺となる楼門(重要文化財)鎌倉後期永仁4年(1296年)建立三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺勾配の緩やかな屋根と腰の均衡が優美で、明治神宮南楼門建造のモデルとなった木造金剛力士像(重要文化財)像高218cm、鎌倉初期「雲慶作」*運慶と雲慶は同一人物?重要文化財の像だけに金網で保護されているそこでスマホを取り出し隙間から撮影する次にコンデジで特殊撮影(最近使用していなかった)薬師堂参道の奥に観音堂(本堂)が見える池の中央に渡された橋楼門と観音堂は直線で結ばれている弁財天堂美濃七福神の一つ永延2年(988年)中興の祖良祐上人が境内に弁才天女の祠を...池鏡山圓鏡寺(岐阜県本巣郡北方町北方)

  • 笠松競馬場(岐阜県羽島郡笠松町)

    訪問日令和4年5月12日笠松競馬場競馬を始めた頃に、この笠松競馬場からオグリキャップが中央競馬(1988年)に移籍移籍直後は重賞6連勝と怪物ぶりを発揮した天皇賞でタマモクロスに敗れたが、競馬界の盛り上がりは売り上げを含め最高潮に達したところが、馬主に脱税容疑がかかり、総額5億5000万円で売却獲得のために動いた高額なトレードマネーを回収するためか、3ヵ月半の間に6つのレースに出走したその後、不調が続いたが、引退レースとして武豊が騎乗して有馬記念へ出走「奇跡の復活」「感動のラストラン」と呼ばれ有馬記念を制覇した引退後、札幌競馬場でその姿を間近でみた。愛らしい仕草とそれを見守る観客の様子は、今でも記憶に残っている40年近い競馬歴を持つ私にとってオグリキャップがデビューした笠松競馬場は訪れてみたい場所だった何と...笠松競馬場(岐阜県羽島郡笠松町)

  • 2022春 放浪の旅(25日目)福井県

    2022春放浪の旅(25日目)道の駅シーサイド高浜全国の道の駅で一番多く利用させてもらっている場所で何故か落ち着く入浴施設が併設されていて、車中泊車が多い常高寺(福井県小浜市)浅井三姉妹の次女「お初」の眠る寺である本堂は火災により焼失し、再建されたもの堂内にはお初に関する資料が展示されているNHK大河ドラマ「江」のポスター自然光をとりいれた本堂別室の彫刻常高院墓塔この塔を護る形で七院の尼たちの墓四十八基が周りに建てられている空印寺(福井県小浜市)小浜藩酒井家の菩提寺である興味をもったのはこちらの方境内に八百比丘尼入定の洞穴がある洞穴内の様子若狭姫神社(福井県小浜市)若狭国一宮二度目の参拝になるが以前よりも整備されているような感じがした本殿(福井県指定文化財)諦應寺(福井県若狭町)車載ナビの案内では寺らしき...2022春放浪の旅(25日目)福井県

  • 2022春 放浪の旅(24日目)兵庫県・京都府

    2022春放浪の旅(24日目)道の駅あさご予定ではなかったが急遽この道の駅を選択した到着したときも1台も車が駐車しておらず、朝起きても無人であった6時過ぎくらいからは車の動きもでてきた誰もいないのは静かでもあるが、少し不安になる竹田城跡<立雲峡>(兵庫県朝来市)昨夜の道の駅もそうだが車載のナビの調子が悪いのか、何もない場所に案内されるスマホのナビでやっと駐車場に着いた「天空の城」竹田城だ初めて訪れた時は未舗装だった道路も2車線の立派な道路になっていた環境整備協力金300円を払い展望台へ移動する岩を見たりしながら呼吸を整える第1から第3展望台まであり30分要するという第3展望台は下から眺める場所にある第2展望台は目線と同じ高さで第1展望台は見下ろす場所にありここから15分ほど上る今はシーズンオフで、下のよう...2022春放浪の旅(24日目)兵庫県・京都府

  • 2022春 放浪の旅(23日目)兵庫県

    2022春放浪の旅(23日目)道の駅しんぐう駐車スペースが20台という小さな道の駅隣接する入浴施設、懐かしい銭湯の感じがとてもいいここまでは良かった道の駅を出て5km程の所で、前を走っていた車が急に右折の合図を出したため左に寄った際に縁石の角にタイヤが当たり左側2本がバーストしてしまい走行不能に(汗)パトカー3台で交通整理をしてくれ安全な場所に退避することができた親切な警官でレッカー車の対応ができるまで寄り添ってくれた近くのトヨタに運んだが迅速に対応してくれ、昼には運転をすることができた(感謝)斑鳩寺(兵庫県太子町)この寺は4度目だったと思う近くに寄ったら必ず立ち寄るのだが、いつも何らかのイベントが行われている今日の仁王堂は事故のこともあり、哀れんでくれているように感じる不幸中の幸いか、今日は誰もいない重...2022春放浪の旅(23日目)兵庫県

  • 2022春 放浪の旅(22日目)岡山県

    2022春放浪の旅(22日目)道の駅くめなん山の中にある道の駅で過去に利用したことがある連日の暑さと疲れでバテ気味である、到着後ぐったりしていた夜には、側に駐まっているトラックのエンジン音より、田んぼの蛙のゲロゲーロの声の方が大きい(笑)トイレが改装されていて綺麗で使いやすくなっていた誕生寺(岡山県久米南町)道の駅の近くにある寺で今回が二度目の訪問になる山門は重要文化財に指定されている浄土宗開祖法然上人の生れた所である山門の正面に本堂(御影堂)本堂は重要文化財に指定されている本堂の彫刻観音堂内部の様子前回訪れた時に閉まっていた宝物館が開いていた(拝観料は200円)源平合戦一の谷の戦いで、平敦盛を切った熊谷直実が仏門に入ったことは平家物語で知っていたが法然の弟子になり、この誕生寺の初代住職になっていたとは驚...2022春放浪の旅(22日目)岡山県

  • 2022春 放浪の旅(21日目)岡山県

    2022春放浪の旅(21日目)道の駅山陽道やかげ宿昨年3月にオープンした新しい道の駅売店や食堂を設けずに隣接する矢掛商店街の利用を促すという考え方をしているトイレなども他の道の駅ではみられないような工夫がされている大型車と小型車の駐車場所も道路を挟んで分けている備中国分寺(岡山県総社市)毎月1日の早朝に色鉛筆画を仲間のラインに投稿してくれる朋友がいる今日、6月1日がその日で白川郷の絵だったそれを観て先月投稿されていた「国分寺五重塔」を思い出した(偶然近い場所にいる)国分寺は二度目で今日も天気と光に恵まれたこの五重塔は重要文化財に指定されている勅使門大師堂本堂経堂(岡山県指定文化財)不洗観音寺(岡山県倉敷市)道の駅のパンフで気になった寺である不洗(あらわず)観音寺は1200年前から女性の支えとなってきた寺だという...2022春放浪の旅(21日目)岡山県

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