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tomo's diary ・:・。*・私の向かう先にあるもの
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2014/11/16

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  • 心の老化

    「人を受け入れられない」と言うのは実年齢に関係なく心が老いている。人の言葉も考えも何も受け入れられない人。すでに凝り固まってしまって自分が凝り固まっていることに気づくことさえ出来ない。自分も日々を楽しめないし、人が言うことやることがくだらなく見える。厄介なことに、自分は孤独だと感じている。実年齢が上がっている人の中には若い人に対して「まだまだ分かっていない」と下に見る。対等に思っていないので彼らの発言や行動を認めない。逆もしかりで、「年寄りで分からない」と思う。どちらも、興味深く対応する事は一切なく頭から受け入れていないのだ。何も無理して同等になろうとしなくてもいいし、振りなんてわざとらしいこともしなくていい。無理して合わせるほど無駄な時間はない。少し受け入れるようにするだけで自分自身も新しい発見ができる...心の老化

  • トイレに入ってきた人

    アメリカの公共トイレは足元が結構あいているので靴などが見える。私がいっていたジムはシャワールームのドアを開けて左手に2列で左右3つづつトイレが並んでいる。私は何となく左側、特に奥にあるトイレは入りたくないので入った事はないのだけれどあるとき、右側の真ん中に入っているとドアから誰かが入ってきて奥の左手に入っていくのがわかった。大柄ではなさそうな普通の女性のスニーカーが見えてドアを閉める様子も聞こえた。でも、誰かが入ったわりに静かだとは思いながらトイレから出ると、向かいのドアは全部空いているので恐る恐る向かいの奥を見ても誰もいない。すぐに手洗いに行ったけれど誰もいない。考えてみれば、同じ場所に違う次元でいればたまに波長があってしまうだけで何か影響があるわけではないし怖がったりして自分の波動をそこに合わせる必要...トイレに入ってきた人

  • レンジのない生活

    引っ越しをしてきてからほとんどの電気製品を買わなくてはならなかったのだけれど未だに電子レンジはない。これは電磁波を避けるなどといったこだわりではなく単にタイミングがずれている間に今に至るといった感じ。だから約3ヶ月くらいは電子レンジのない生活になっていてそれはそれでできてしまうことに気づいたのだけれどやはりオーブンは欲しいので、オーブンレンジを買うつもり。お菓子などを作るときにオーブンは必要でレンジがあったらあったで使うのでオーブンレンジを買う。買おうと思っていたものの新商品が出るので旧型は安くなるのだけれどそれがもう少し安くなったら買おうと思いつつ値段が下がらないので今に至る。。。こうなったら、新型を買おうかと思い始めている。大きな電化製品がないと狭いキッチンの上はすっきりしていいけれど。。。どちらにし...レンジのない生活

  • 疲れるときは無理しない

    最近疲れやすい。最低限のやる事はこなすけれどそれ以上の事はしたくない。だから誰かに迷惑がかかる事でないならやらない。そんな時は、必要以上に自分に何かを課さなくてもいい。普段はお料理も苦じゃないけれどやりたくない時は程よく外食で楽をするのだけれど基本、健康オタクなので流石に毎日外食は嫌なのだ。こんな風にダラっとしたい気分の時は何かの栄養素が足りていない、必要としているときもあるので何となく「食べたいな」と思った食材や味、料理を食べることにしている。身体はちゃんと教えてくれると思っているので。。。野生の力を活かす、高める事は大事だ。疲れるときは無理しない

  • 自分の必要

    私が住んでいる近くではこの5年ほどの間に新築の一軒家が多くできて若い家族などが住んでいる。時々、空き家になった一軒家が草やシダに絡まってすすぼけてしまっているのを見かける。とても古いアパートでも住んでいる人がいるとまだ活気を感じられる。広い土地で、立派な家でも住む人がいなくなれば売られ、更地になり何軒も建売が立っているのをよく見る。空き家になって長い事そのままになっているのもあり何だかそれは悲しい光景だ。生きている間は、これが欲しい、こんな家に住みたいと色々な欲を持って少しでも多くの自分の欲を満たしたり人から見た立派さを求めて、大きなものや多くのものを持つ。いっときはそれが光り輝いて見えるかもしれないけれどそれは、使う人の「気」が輝かせるだけで同じものでも、「気」が入らなくなると途端に色褪せてしまうように...自分の必要

  • 依存している自分に気づく

    依存には自覚があるもの、ないものがある。どちらにしても何かの歯車が少しでもズレると苦しいものになってしまう。物と人人と人何に対しても起こる事なのだろう。あまりにも過剰に依存するどちらかの歯車が微妙にでも大きくなる、小さくなる少しでも歯車が噛み合わなくなると上手く回らなくなってしまう。。。噛み合わなくなってしまったものがあるのなら今は距離を置いて関係を見直す、自分を見直す時期にあると気づかせてくれているのかもしれない。自分がそれに依存していたと認識させてくれている。初めは責める気持ち、怒り、悲しみ、虚しさ、罪悪感そんな風な感情が現れてくるのかもしれないけれどそんな時は、ゆっくり時間を使う。たっぷり時間を使って依存する選択ではなく自分にとっての、いい距離を改めて考えてみよう。何事にも依存するのではなくてあって...依存している自分に気づく

  • 自堕落なときもある

    私は比較的健康オタクなのだけれど時々、普段食べないようなスナック菓子を無性に食べたくなり外国版の大きな袋に入っているものなどを食べることがある。スナック菓子はクセになり定期的に食べたくなる。そんな時は食べる。袋を開けても少しだけ。。。なんて事は私には不可能なので完食して翌日浮腫んでしまう。たまにはそんな日もある。。。そんな私も60歳になるまでにしたいことがある。それが叶わなかったとしても生かすことはできるので問題ないけど。ちょっと、ワクワクするような出来事を自分の未来に置いておくのも楽しいものだ。自堕落なときもある

  • 普通であること

    自分が経験したことしか自分の領域の中にない。当たり前だけれど。。。普通の家庭で普通に学校を卒業して出会って結婚して子供ができ真面目に子育てをする。子育てが一段落したら孫のお世話などに夢中になる。または、普通に学校を卒業して仕事をして真面目に定年まで働く。多くの日本人は真面目に普通と言われるレールに乗ってそのように考え、動く。お金があろうとなかろうと借金をしても内心興味がないことを分かっていてもそうするべきだと思うのは、それが皆している普通だから。なんとなく皆がしているとそれを外れるのは怖い。ずっと問題も起こらず、友達もそこそこいてお金もそこそこある中で育ち、自分もそうやって家庭を作るのが普通だと思う。多くの人はそうなのだろう。けれど、この枠はとても制限されたものだ。この世の中的な普通から外れた人たちとの交...普通であること

  • 見ていない

    驚くことの一つ。人が目の前にあるモノを驚くほど見ていないこと。ある時、電車に乗っていて綺麗な虹が出ていても誰も私の乗る車両の人は気づいていなかった。道を歩いていても綺麗な夕日に気づかず下を向いている。自分の目の前に何があるか、何が起こっているかも見ないし見ようとしない。現代はなおさらだ。見ていない

  • 心の穏やかさ

    家族がいたらいたで問題が起こりいなかったらいないで問題は起こる。どんな人間関係でも同じこと。結局、お金や人間関係など何を持っている持っていないなど関係なくどちらの側から見ても都合よく考える。何がいいとかの問題ではなく「自分自身に合った」状態をわかっている人が何より問題なく過ごせるのだろう。人も物も、外の状況は変化する。自分を含め、人は時と共に変化し、関係が近ければ近いほど我を出すので関係も変化するかもしれない。良かったものが悪くなる、悪かったものが良くなる。。。あったものが無くなる、無かったものがある。。。そんな風に、何を問題と捉えるのかで問題は起こるし、起こらないことになる。変化することに重きをおかずに受け入れたり流しながら自分に見合ったものを知っていれば動揺もせずいつも穏やかな心を保てる。心の穏やかさ

  • 学ぶ姿勢

    やたらため息をつく人がいる。近寄りたくないものだ。たまたま座った席の近くにそんな人がいた。。。何かを始める時に、まず「習いに行かないと」と思うことがある。今になって気づいたけれど何事にもおいてもそれは受け身で学べる事はない。学習人生全て、自分から取りに行く姿勢がないものには穴の空いたザルと同じで意味がない。学校はほとんどの人が受け身だ。何かを教えてくれるのだろうと待つだけ。興味も無いけどそこにいる場合もある。自分で行くことを決めた場所でさえ受け身で何か与えてくれることを待つ。人生も誰か、何かが起こるかもしれない、導いてくれるかもしれないとただそこにいる。ずいぶん前に英会話を習っていたことがある。全く上達しなかったけれどいい人だったので続けていただけだ。当時の私は、話せるように教えてくれると思っていたのだ。...学ぶ姿勢

  • 無駄な外食

    知り合いと久しぶりに会い渋谷でランチすることに。また駅周辺も変わってきているし美味しいお店も分からずおしゃべりしながらぶらぶら探していたけれど気に入ったお店もないので結局商業ビルへ行くことにした。すぐに軽めそうだし、ココにしようと最近すっかり食の細くなった友人とすぐにお店を決めた。この系統の味で不味いのもあまりないだろうとも思った。それが、残念すぎるお店でがっかり。。。全てにおいて美味しくない。場所もいいので家賃も高いはずなのにこの程度のお店が入っていることに驚いた。せっかくの外食なのに残念。普段は多少気をつけているので外食の時は美味しいものを食べたいのだ。外食を無駄な食に終わらせたくなかっただけに残念だ。場所を変えてお茶をしながら楽しい時間を過ごせたのでいいけれど。。。久しぶりにかなりがっかりなお店に当...無駄な外食

  • 利益を追った先の発言の中身

    本当にくだらなすぎて笑ってしまう映画を見た。日本語での題名は分からないけれど内容は、始まってすぐ高IQ,低IQの人たちの在り方の説明。ある日、1人の全てが標準的な軍人さんとある女性が軍の極秘プロジェクトでカプセルに中で一年間入るもの。案の定、諸々あり一年後には起こされないまま忘れ去られ500年近く経った頃にひょんなことから起きることになる。その頃には世の中は大きく変わってしまっている。。。これは、確か20年くらい前に作られていたと思うけれど本当に皮肉たっぷりな映画で日本だったら大問題になりそうな感じ。最近、動画に出ているような一般人さえ「これは言えない」とかやたら言うけれどスポンサーがついている公共テレビだと考慮して言えない場合もあるけれど一般の人の自分の動画でも大したことがないこともそんなことを言うのは...利益を追った先の発言の中身

  • 好きなこと

    ある人たちは「自分が好きなことをやって生きればいい」と言う。でも、その前段階で好きなことやりたいことすら分からない人も多い。また、さらにその前段階で自分自身さえのことも何だかよく分からないままに日々過ごしている人も多い。そんな風に前段階のことが分からないと「好きなこと」の意味さえ分からない。好きなこと

  • 自分をよく見せる必要はない

    悩み、苦しいことなどの本音を人に言えない人は多いと言うことを最近知った。相談するのに状況をありのまま話さず自分に都合が悪いことは言わないよう真実を曲げて話す人もいる。辛いのに、本に書いてあるようなポジティブな言葉やキレイ事で自分の本音を誤魔化そうとする人もいる。いつも自分の気持ちを押さえたり誤魔化そうとするから陰などでどこかもの凄く意地悪だったり酷いことが言える人もいる。故意に誰かを傷つける言動をするのはいつも自分自身を抑えている感情があるから陰湿になる。1人でも心の内を言える誰かがいてくれるといいけれど普段から自分らしく表現していなければそうできる相手を見つけるのも難しくなる。世の中に対してよく見せようとする必要はどこにあるのだろう?別に大勢の人に認めてもらう必要もなくましてや、身近な人にまでよく見せた...自分をよく見せる必要はない

  • 中年太り

    確か先月書いていたと思うのだけれどいつまでも結果が出ない減量に嫌気もさして4月から持続可能性かつ、結果を出したいと更なる研究をしている。そこで、運動などの動画を見るとまア、みなさん短期間で綺麗に痩せたりしている。。。でも、しばらく経って気づくのは彼らがとても若かったということで「この年になると。。。」と言いつつ30代。下手したら20代前半だったりする。まだ本格的な中年太りとの戦いではない。ある部分は参考になるけれど。。。元々、好きなものを好きなだけ食べていて太っていた人が食事量をやや減らして栄養に気をつけて運動を取り入れたら痩せた。下手したら普通の女性の食事にしたら痩せたりする。これも元の食事が酷すぎるのでちょっとお肉がついた理由が違う。少しづつ増えてきたから年頃から量や栄養をある程度は気をつけていて今の...中年太り

  • 孤独な気持ち

    ほとんどの人は孤独という恐怖を背負っている。その個人的な問題を避けようとして家族を巻き込んでいったり、形だけの孤独を避けるために自分を押し殺したりもしくは、子供の人生に深入りしたりする。身体が元気でなんでも自由にできるときはまだいいのだろうけれど老いることが見えてくるとさらに深刻になっていく。。。当然、老いることは全ての生まれてきたものに当てはまり避けることはできないしどんなに抗っても見た目も細胞も老化していく。老化で孤独が増すのは人生の期間を少しづつ意識し始めるからなのだと思うけれど早くから人生のサイクルを当然のこととして漠然とではなく受け入れている人はこの孤独に対して必要以上に深刻にならないのかもしれない。私はといえば、ちっともしっかりと生きていないのでとりあえずできることをやろうと動ける身体作りで運...孤独な気持ち

  • 辛い経験が与えるもの

    人生の中で起こる悲しい辛い経験を自分なりにしっかりとその感情に向き合ってきた人はとても素敵に深みが出て魅力が増している。誰だって悲しいことや辛いことは起きてほしくない。けれども、それにより自分の中の別の視点や感情が湧きしっかりそれらに向き合い対処していくということで自分自身が変化していくのだろう。自分が持つ感情の深みや幅が増していくのだけれどもちろん自分で気づきはしない。けれど、確実に変化している。これはどんなに本を読んだり人の話を聞いて字列的に、言葉的に分かったような気になったとしても感情という目に見えない、その人自身の内にある場所と同化して感じることはできない。経験でしか得られないものがある。欲しいと思って得られるものでもないし、悲しい辛いことを経験させない、しないようにする。生きる上ではいつも楽しく...辛い経験が与えるもの

  • 地に足をつける

    「生きる」ということはしっかり地に足をつけていないといけない。そうしながら、バランスを取ることが大事だと思う。どちらかに偏ってしまうことは多いのだけれど。。。少し前に、寝ようと思ってベッドに入ろうとしたとき一瞬視界に白い寝巻きを着た小柄な女性がスッと部屋を横切った。昔の西洋できるような綿のネグリジェのようなもので日本人ではないと感じたけれど誰かはわからない。前にもこのようなことがあった。それからしばらくして、ジムでシャワーを浴びていると途中から誰かがシャワーを浴び始める音が聞こえだした。私が体を拭いている時も聞こえていたのに服を着て外に出ると、全てのカーテンは空いていて誰もシャワー室にはいなかった。最近、このようなことが続いていた。先日、別のジムに行ってトイレに行くと誰かが用を足している音が聞こえている。...地に足をつける

  • 人生を通して体験する

    人はそれぞれ本来体験をするためにこの世にやってきたのだと私は思う。それは個人的なとても小さなことではなく人生を通し同じことを繰り返してきているような大きなこと。毎回違う状況、条件で物事は起こるのだけれどそれらを深掘りしていくととても深い深い課題を見つけるために体験することにあることに気づく。条件や状況などは物事が起こるためのきっかけを与えるのに必要なだけでそこにある。だからさまざまな繋がりも必要になるのだけれどそれも、単に体験するのに必要だから。。。けれど、いつもどこかに執着したり囚われたりして同じところに留まってしまう。そしてまた思う。。。「どうしてだろう?」今在る場所で、今持つものを活用して自分ができることを油断せずに集中して自分の人生を満喫すればいい。何をしたか?どれほどのことをしたか?いい人であっ...人生を通して体験する

  • 人の在り方

    時代によって人の在り方は違う。もちろん、人間自体が変わったわけではない。人の考え方が変わっただけ。昭和の前半の父親、母親の役割も考え方も表し方も今とは全く違う人が多い。会社の在り方、社会の在り方も当然人が作るものなので今とは全然違う。人間としての根本的なことが変わったののかと言えば違う。もっと表面的な善悪という考え方の違いがありその表し方が違うだけで人が本来持っているものは大差ない。ただ、無理に何かを抑える、隠すことはその分それを強める。それを理解した上で、内面に対して取り組みながら抑えたり隠そうとすることもできるけれどそうすることは難しく、自分自身を空虚にさせる。どちらにしても、自分自身が持つ性質を理解した上で自分の在り方としての表現をしないと矛盾や歪みが出ていく。理解しないまま自分の現実を作っていって...人の在り方

  • 暗い気持ちを変える

    先日から急にどんよりしていた気分が何故かスッと軽くなり始めた。重い気持ちを引きずっても何も解決なんてしないのにどんよりと暗い気持ちで日々を過ごしてしまう時もあるかもしれない。それは解決できることなのか?自分の対応を変えればいいことだけなら自分はどうしたいのか?過去、全ての思いは流す。この今という瞬間はその中にいない。それでも難しいからグルグル暗い思いや思考に支配される。でも、その暗い思いは自分を蝕んでいくことを忘れてはいけない。自分の心身は自分しか管理できないのにそれを意識せずに汚染させてしまうことを選択する。それに気づいたのなら、この一瞬から変えよう。「どうして自分ばかりこんなことに。。。」そんなことに目を向けず、自分の恵まれた部分に感謝するということに目を向けよう。必ず、今、恵まれているものがある。感...暗い気持ちを変える

  • 無意識に選択させない

    毎日、特に変化もなければ変わらずに続いているように思うこともある。けれども、本当は一瞬一瞬流れ変化している。その一瞬一瞬に変化を与えないのは自分自身なのではないか?一瞬一瞬の自分の在り方、無意識の中の自分の思考や感情。どうして、その流れを濁してしまうのだろう。一瞬一瞬がどのように影響を与えるのかあまりにも無頓着になっている。私たちの日常は常にさまざまなことが起こったりざわざわと多くの雑音の中にある。けれども、それは外側のこと。自分が選択しなければ自分の内面には何の影響もない。そんなことを忘れて過ごしている。大事な選択を無意識に任せ放棄している。今、この一瞬から始められること。気づいたこの時から。無意識に選択させない

  • やるべきこと、やりたいこと

    「自分の正しい」を押し付ける人はとても多い。それは正義から来ているのかもしれないし頭が良くて知識から来ているのかもしれないし自分の意見を主張したいだけかもしれないし色々な感情から来ているのだろう。真面目な人、エリートと言われる人もこうなりやすい。他人にはもちろんそうだけれど自分自身にも「正しい」を課していて正しいことだからと頭で考えるので苦にならずに真面目におこなう。でもこれは、感覚と思考のバランスが崩れていることに気づけなくなる。思考することは必要、けれど感覚に耳を傾けることも大事。自然からなるもの、人間も含め全て機械のようにはいかない。ましてや、自分にできる、考える正しいことが他人にも当然できる、同じように考えると思うこと自体違う。真面目な思考で自分にも他人にも「正しさを課す」行為はどこかで歪みが生ま...やるべきこと、やりたいこと

  • 本質に向かい合う

    本当の自分、自分自身を取り戻すためのきっかけになる痛みが起こることがある。根本の蓋を開けないままだとその蓋を開け放すようにする大きな出来事が幾度か起こってしまうことになる。けれども、そこに蓋をしたままにするという自分なりの大きな理由があったりその蓋を守り続けようとする自分がいることを自分自身が認めていることを別視点で認め、それを手放さなければならない。とても難しく、とても深い痛みになる。何も自分自身に言い訳をする必要もなくまたその蓋を開けることを躊躇し続ける必要もない。もう、何も考えることもなくただ解放すればいい。誰かが留めるようなことをしてくる。自分自身が留まろうともする。この機会が起こったことをどうするかは自分で選択できる。痛みが深いだけに自分自身でしか対応できない。本質に向かい合う

  • 縁。。。縁の考え方は違うと思う。縁とは何だろう?近年では縁を作ろうと思ったらいくらでもどこへでも作りに行ける。その上、会うこともなくなった縁でも切らずに続けることも、切れた物を掘り起こし復元することまでできる。出会いは偶然発生したり何となく切れたり時にはまた出会ったり切れたり。。。その中で深い縁というものになっていたりした。時代によって縁を意味するものも作り方も変わる。偶発的に神の采配というようなものを縁と呼んでいたのは昔のことなのかもしれない。人生の中で大きな転機を与えることになる縁に出会う人もいれば思い出しても全くそのような縁が見当たらない人もいるかもしれない。お互い続けようとしないようなもの対等に心地よく付き合えないもの私はそれらを留めておこうと思わないのでその縁は切れてしまう。神の采配とした縁を大...縁

  • 自分を大事にする

    愛、想いというのは人それぞれ。。。それは家族であろうと友達であろうとどんな関係でも当てはまる。それは時として、とても悲しいものになる。けれども、たとえ家族だとしても押し付けることもできなければ望むこともできない。何度も何度も繰り返してきた変な期待は虚しさを深めるだけ。。。逃げることもなく投げ出すこともなく自分を守るために必要な時期が来たら望むこともチャレンジすることもやめよう。もう、十分やったと思えるときが来る。そのときは、自分を愛し想うことを思い出そう。まずは自分を癒すことに時間がかかるけれど他人を愛し想ってきたことと同じように少しずつ自分に対し愛し想うことからやってみよう。もういい。十分にやってきた。自分の人生をしっかり見つめ、生きるときが来た。自分を大事にする

  • 他人の意見

    誰かが凄い、立派だと言うとだんだんみんなそのような見方をしだす。特に少しでも影響力があるような人が言えばその人の発言を意識している。でも、本当に何の色眼鏡もなく自分自身が凄い、立派だと感じたものなのだろうか?意外と自分が「感じた」と思っていることって「自分以外」のものの場合がある。それが無意識に影響されていることでもある。もっと自分の感情、思考の出どころを意識することは大事。他人の意見

  • 辛いことがあったとき

    辛いことがあったとき。。。自暴自棄になるひたすら引きこもる自分の正当性を周りの人に言いまくるそんな行動をとることもある。でも厄介にさせるのは辛い現実を隠そうとし自分を納得させようとすること。何やかんや綺麗ごとをあげつらげて納得させるためのことを言っている本を読み、人の話を聞きそれをそのまま自分から出た言葉かのように自分に言い聞かせる。辛い痛い苦しい納得いかない悔しいそんな自分の本当の感情を感じることをやめネガティブな出来事をまるで素晴らしかったことのように周りに言い始める。本当に自分自身で消化したことなのか?知識だけで消化もしないまま、単にネガティブな感情に蓋をしているだけの人も多くいる。これは、この課題を後々に引き伸ばしているだけになっていく。人の感情は綺麗ごとだけでは片付けられず湧き出てしまう。ネガテ...辛いことがあったとき

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