歌に良し悪しはないと思う。各人がそのときの気分によって判断すれば良い。一般論で言えばメロデイが美しいもの、リズムの切れが良いもの、健康的なもの、そのときの気分に強く訴える、等の要素が満たされていれば良い歌と判断される。しかし最終的に決めるのは個人である。各人が持つ最大公約数的なものがヒットを決める。今はやりのサーカスまがいの振り付けのついた歌はエネルギーをもてあましている若人や、ストレスがたまって気分を発散したい人などにはうけるだろうが、当たり前の平穏な生活をしている人には雑音にしか聞こえない。ましてやそれを歌として覚えようなんて気分にはなれないからヒットするとは思えない。。歌は人々が持つ魂の部分に訴えかけるものが望ましい。歌は魂の古里に届くものなのか。時代の飢餓感という言葉を耳にするが、それは満たされない魂の...歌の良し悪し
「金が欲しいか?」「もちろん。ほしい」「じゃ拾えばいいじゃないか」「どこで拾う?」「よく考えて見ろ。どこにでも落ちてる。」「そんな馬鹿な。金なんて落ちて居っこないよ」「そうか。俺にはどうすれば拾えるかがわかる」「そんなことがわかれば、誰も苦労はしない」「じゃ3年以内に俺が拾ってみせる」^~~~~~~~~~~~~~~~~~「今銀行から引き出してきたのだけれど、この袋に現金3億円入っている。ちょっと重たくて持ちきれん。」現実にあった話である。この世で何をすれば儲かるというのがわかるという。どこをどうすれば金儲けが出来るという事を、ある程度確信を持って彼は事業を始めてそれが成功したのだ。僕は金は欲しいけれども、金と無縁の生活をしているから、儲かる事業なんて想像がつかない。金は拾うもの
川と海はつながっている。厳密に考えて海と川を区別することは出来るだろうか。河口は海だろうか川だろうか。同様に昼と夜の区別にも曖昧な点がある。どれが夜でどれが昼か。イエスかノーでは判別できないことがある。白と黒での判別は必ずしも正鵠を得ていない。すべて物事はイエスかノーでは正確に判ずることができない場合がある。白黒で決着をつける場合も多いが、常に灰色部分があることを頭の片隅に置いておく必要がある白黒灰色
人生で一番大切なことは与えられた命を楽しむことにある。人生は楽しむことをその目的とする.働くことや,金を儲けることや、立身出世などが最終目標ではない。僕はそう考えている。特別な人を除いて、自分や家族の命を守り、生きることの楽しみを楽しむ事、これこそは人生の最大目標であるその目標を達成するために、ある程度は働かなくてはならないが、働くことと、人生を楽しむことは、各々の生活に合わせて、程よくバランスをとることが大切だ。平凡なことではあるが、人生の最大目的を忘れないで、毎日を楽しみつつ生きましょうや。人生で一番大切なこと
「この世は美しく、もの皆喜びに光り輝いている」。こんなフレーズを見たことがある。確か華厳経の解説本だったと記憶している。このようなフレーズは学問や、芸術界、科学界でも耳にしたことはない。僕の小さい知見では唯一、宗教界においてのみである。現実生活に追われている身には遙か彼方の夢物語である。現実的には夢想することさえも難しい夢の中にでも現れて欲しい世界である。こう説かれた根元はお釈迦様である。お釈迦様に手を引かれて、ついて行った先に、こう言う世界があるというのなら、仏弟子にならないと損である仏弟子にならないと損
シャープスアンドフラッツの原信夫さんがなくなった。94才。年に不足はあるまいが。僕は昭和30年代に進駐軍のキャンプ、ワシントンハイツ・オフイサス・クラブで働いていた。クラブのメインバンドは小島正雄さん指揮のオールブルーコーツだったが、月によってはシャープスアンドフラッツがやってきて演奏をした。ブルーコーツとはアレンジが違ったのか、原さんの方が軽快だった。シャープスアンドフラッツを率いた原さんは、美しい音色を出すバンドで彼のサックスはすばらしかった。日が西に傾いて夜のとばりがおりるころ、バンド演奏は始まった。ムーンライトセレナーデがオープニング曲である。現代のサーカスまがいの振り付けなど、臭いもしない純粋に美しい音楽を奏でるジャズバンドだった。あれから60年の月日が流れたが、美しいメロデイは今もって耳を離れない。...シャープスアンドフラッツ
開催者は、人の命をなんと見ているのだろうか。大阪の場合医療逼迫じゃあなくて、実態は崩壊である毎日何百人かの人がコロナ患者になり、何十人の人が命を失っている。その事実は政府にとってはどういう意味を持つのだろうか。国民の安心安全が一番大切だと言いながら、人流を盛んにするオリンピックをやるというまともに医療を受けられずに、血を吐いてこの世を去った一万人以上の人びとの死の意味するところは開催責任者達は目も耳もふさいでいるのだろうか。耳目を国民に向けよ。その次がオリンピックだ国民の受難の死を横目にオリンピックを開催すると決めた連中には天誅が下ってもおかしくないと僕は思う。オリンピックの虹を見る前に、医療現場を直視して現場の声に耳を傾けよ何より優先すべきは国民1ひとり人の命を守ることだ。日本国の不幸は国難の時にこういう判断...オリンピック開催
今夕の新聞記事の9ページ、古い言葉で言えば、3面記事に死刑制度の記事が載った。賛成派は遺族感情を重視して、死をもって己のした悪行の結果を自分の命でもって償えという意見。廃止論者はえん罪の恐れを言う。両者の意見は交わることも衝突することもなく、一方通行の言いっ放しの意見である。死刑犯罪の罪は被害者意識だけではない。社会に与えた悪い影響や不快感はぬぐい去りようがない。多くの人に与えた不快感や犯人に対する憎しみを癒やす気持ちというのは社会的な制裁だけだろう。死刑執行を知って溜飲を下げる気持ちもある。やはり死刑は存続しておくのが現実的であろう死刑制度
TITLE:あらまほしき男(本当の男とは)あらまほしき男(本当の男とは)1,人間への限りない愛情を心に秘め熱い涙を流せる男2,大事においては無私しうる男3,人間の感情を重視しうる男4,別宅さんのおける男精神的な若さ、と肉体的な若さ5,常識の枠内に収まらない男6,前向きに決断出来る男7,計算が出来、円が描け、ブレーンの活用が出来る男8,詩人的な要素を持つ男9,現実とそうあらねばならないことの区別が出来る男あらまほしき男(本当の男とは
故小林亜星さんの師事した先生は服部正先生である。先生は「自分が音楽の神様だと思う事。だから自分のこの才能を広めないのは犯罪行為ある」といわれたそうな。先生はうぬぼれの大切さも教えられたのである。もちろん芸術家などとうぬぼれてはいけない。最高の職人になれとも言われた。僕は音楽を神様からいただいているという自信がある。だとすれば僕なんか神様の音楽を独り占めにして、外に出さないから、完全な犯罪者である犯罪行為
小林亜星さんが亡くなった。88才レナウンのわんさ娘や日立の宣伝音楽この木何の木など8000曲を作られたそうな。僕は「北の宿から」が一番好きだ。あの巨体にこんな叙情性をいつも隠し持っていた。いや彼の著書には叙情性の大切さがきわめて強く主張されている。極めつきは、真の作曲家になろうとすれば音楽に淫することだという主張だ。作曲だけなくどの世界でも通じる、コノフレーズは今も僕の胸にはたたんである。おそらく仏教用語では三昧というのだろう。僕は入我入我だととらえている。作曲家の中でコノレベルの話が出来るのはおそらく亜星さんくらいだろう。物事の本質をとらえて発言する、彼には尊敬の念を持っていた。僕から見れば自由奔放で型破りの性格で、よくもまあ、あんな美しいメロデイがかけるものだと驚きで彼を見ていた。彼は歌の本質を時どき単文で...淫する
自然の動きに昼と夜があるように、人間生活の営みにも昼と夜がある人は昼間は現実に生き、夜は夢の世界に入ることが多い。人によっては昼夜関係なく、現実に生きる人もいるし昼夜関係なく夢の世界にいる人もいる。バランスの取れた人間は昼という現実世界と,夢世界とわきまえている例えば結婚と恋愛を考えてみよう。結婚主に現実世界のことであり恋愛は夢世界の出来事でリアル恋愛して結婚するならば、夢世界から覚めて、現実世界に浸ることであるこれを混同すると失望が溜まってくる。恋愛の愛から夫婦の愛にうまく変換すれば、傷つくことが少ないこれは頭の中で考えることだ現実にはうまく行かなくて、別居したり、果ては離婚したりする人が多い苦労の多い現実により添いながら、夢を見ながら、うまく世渡りする人こそ賢い人である夢と現実の狭間で
国の最高責任者が国民に向かって安心安全を言葉にする。この中身はどういうものなのか、説明がないと国民は納得できない。どういう段階になれば安心であんぜんが保たれるのか、国民は訳がわからない。ツマリ実体的には意味不明なのだ。呪文のように繰り返される安心安全は、中身がわからないだけに、戸惑うことになる。何故一国の総理ともあろう者が説明が出来ないのか。言葉だけじゃなくて中身がわかってこそ国民は安心するというのに。総理の器でないのか。国民を言葉でごまかそうとしているのか。いずれにせよたちが悪い。やはり知性に欠けて居るのか。国民のためには早く交代するべきじゃないのか。常に疑問がつきまとう。安心安全安心安全
元総務相で経済学者の竹中平蔵氏(70)が「東京五輪中止すべき」という世論に対し、「世論はしょっちゅう間違えますから」と発言し波紋を広げている。東スポWeb「五輪利権」も報じられている竹中平蔵氏そこまで言って良かったの?元総務相で経済学者の竹中平蔵氏(70)が「東京五輪中止すべき」という世論に対し、「世論はしょっちゅう間違えますから」と発言し波紋を広げている。!6日放送の「そこまで言って委員会NP」(読売テレビ)に出演した竹中氏は、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長について「座長の発言なんかひどいじゃないですか。だって別に分科会がオリンピックのことを決めるわけじゃないのに、明らかに越権」と非難。さらに「やるか、やらないか、なんで議論するか私は分からない。だってオリンピックってのは、世界のイベント...軽い男が大臣だった
コロナ禍の中で、東京五輪パラリンピックのリスクを指摘する専門家の動きに、政権与党が警戒を強めている感染防止対策で専門家の知見に頼りつつ、五輪は例外とするかのような政権の姿勢に批判が出ている政府と二人三脚でコロナ対策を取り込んできた、尾身さんらの言動にあらかじめ枠をはめようとする。尾身さんは「今の状況でオリンピックをやるというのは普通はない」と語った感染者数や重傷者、死者数等を見ていると説得力のある、納得の出来る発言だ。また翌日には感染のリスクや医療逼迫への影響について評価するのがプロフェッショナルとしての責任だと述べた菅総理は安心安全の対策をしっかり講じるなどと繰り返すばかりで明確な説明を避けている。一体彼の言う安心安全の中身は何なのか。言葉は重要ではない。国民は中身を、具体策を知りたがっているのだ。科学的知見...ダブルスタンダードが過ぎる
50歳時点の未婚率は上昇を続ける.原因はいろいろあろうが、基本的にはこの国では生活が大変だからである。いかんせん収入が少ないこれで妻子を養っていけるかというと自信が無い。というところではないか。背景に低賃金の非正規雇用の広がりがある。政府や経団連がなんと言おうと非正規は家庭生活を不安定なものにする。労働者全体の4割近くに達した平均で正社員の7割程度の賃金がしかもらえない。人があっての会社である企業があっての人間ではない最低生活ができるだけの賃金を払わないと家庭生活が成り立たない当然子供の出生を抑制えるような力が働く。非正規の働き方は大多数の国民にとって有害で或る。企業は人件費を払えないからと言うが、従業員の生活も守れないような企業は果たして社会的な存在意義があるのか。どうか。今年の出生数の減少はさらに加速する可...未婚率は上昇
熱中症の季節がやってきた早速ある中学校で運動会の練習をしていたら,10人近くの生徒が体調を崩し、救急搬送されたという校長はマスク着用は生徒に任せ,水分補給も十分していたと言う当時気温は29°僕には29°の炎天下で運動をすることは体調不良者が予見できるから25°以下の日を選んで変更すべきだと思う学校行事の変更には抵抗があると思うが、第一優先は生徒の体調の安全である25°以下ではまず体調不良は発生しないだろう熱中症の季節
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