急がなくちゃあ09/07/04そんなに急いでどこへ行くのですか。仏の心が見えますか。仏の話が聞こえますか。心がいとしくて、胸が熱くなる。その瞬間こそ入我我入の時いつまで生きているつもりですか時は確実に1分を60秒にきざんでいる、御仏と、話をなさい。御仏と、喧嘩をなさい。その瞬間こそ入我我入の時、清水寺展を見て急がなくちゃあ
書きも書いたり、積み重ねは恐ろしいほどの量になった。総ページは9000ページを超えいてる編集して6000ページにしたが、これを本の冊数に直すと、一冊250ページの本とすれば25冊以上になるかもしれない段ボール一杯の冊数である。4700日分というのは我ながら驚く数字である。子供や孫達は荷物になるから不要と素っ気ない。まあCDに焼いて一族郎党にばらまくか。それしか処分の方法が見つからない。4700日分の書きため
古関裕而の自作[鐘よ鳴り響け]をよんだ古関先生も僕も音楽に関しては山田先生の弟子であるそこで山田先生と古関先生の違いを考えてみた山田先生の作品は庶民性はあるものの芸術性が高くポピュラー感は古関先生の方が勝る古関先生は基礎を山田先生から学んだが、それは自分の持つ天性の才能を発揮するための手段に過ぎない作品から受ける印象を書いてみると山田先生の作品は芸術性の中に庶民を見いだした感じ古関先生の作品は庶民がベースにあり、歌いやすく美しい。また覚えやすく、その中にキラリと光る才能があるすごく光るものとは、メロディーの美しさと、品格に現れている。お二人とも間違いなく天才である特に古関先生とはお互に弟子であっても、方向が全く違う。僕は鎮魂曲とか仏教歌に重きを置いた。庶民を無視したわけではないけれど、なんとなく鎮魂曲を書きたく...「鐘よ鳴り響け」をよんだ
思いつくままに書き連ねた文章が2007年から2020年までに延べ40万人の人々に読まれた。その編数は300万回になろうとしている。思いつくままに私の心に去来した思い、を文章に綴ってみたから、あっちやっこちへ飛んで一貫性がない。その時々の心情だから、バックしたり前進したり、矛盾だらけである。しかし一本筋の通ったところは、守ってきたつもりである。世間常識を大きく逸脱することは出来ないたちなので、小さくまとまってしまったが市井の1市民の声と受け止めていただければ幸いだつたない思いや、文章を読むことによってフオーローしていただいた皆様に感謝しますありがとう。ありがとうございます。読者の皆様ありがとうございます
殺人犯は無期懲役になることを希望していたそのためには一人殺せば良い、二人だと死刑になる可能性があるそう計算して無差別殺人事件を起こし一人を殺した。裁判では彼の希望通りの無期懲役になった。おかしな話であるこんなやつに殺された人はたまったもんじゃない。犯人の計画を法律が後押しした形だ。しかも殺人罪という重大犯罪において。この犯人が計画したように、一人殺しても死刑にはならないという判例がどうもおかしい人を殺すということは必ず、その対極には死刑があると言うことを知らしめる必要がある殺人犯希望通りの判決
日向宮崎県の高千穂にある夜神楽を見に行く途中で、二人の年配の女性と知り合った。偶然だが、明日の朝、阿蘇山に上り、それから車で、山鹿の灯籠を見に行くという。私が神仏の歌を作っては奉納するという話をしたことから、彼女たちは、自身の信仰の話をしてくれた。親鸞の教えを堅く信じていて、金粉は何回も経験したという。仏壇にまいっていると、金粉が降り、経机の足の部分だけが、金粉のないまま足跡として残ったという。彼女は学校へやってもらえなかったことが未だに残念で、結婚するまでは恨んでいたという。今は、離婚して、一人働きながら、生活をして、今回久しぶりに車で、友人と二人の旅に出たという。阿蘇駅近くのレストランで、3人で、カレーライスを食べコーヒーを飲んでさようならをした。若い人のが代金を払ってくれた。高千穂から、高森高森から、阿蘇...女二人
奈ー良の大仏っつあん071212クリーム色の横長の紙に、墨で縦書きにされた。4行詩がどうして私の手元にあったのか。今もって分からない。それはともかくとして、目に飛び込んできた奈良東大寺長老、清水公照師作の「奈ー良の大仏っつあんー、心象五景をひと目見たとき、これはいける、ものになる、と直感した。案の定、いつもの調子ですらすらと出来上がった。詩の中にリズムがあり、テンポがある。猊下と尊称される天下の東大寺の大僧正という厳しい肩書とは裏腹に、なんとユーモラスな詩なんだろう。師の絵が、墨跡が、エッセイが引っ張りだこになる秘密がここにあるのだろう。まさに師そのものがそこに浮かび出ている。おおらかさ。春風駘蕩ののびやかさ、童心なじみやすさ、庶民性、それでいて博識で、威厳があり、人を引きつける。「奈ー良の大仏っつあん」は「奈...だいぶっつあん
「わが恋が、終わることのないがごとく、この曲が終わることなし」1X2=22X2=4から黒板に、2/4が生まれ、質屋の娘が投げてよこしたゲーテの詩「野バラ」が算数の授業の真っ最中に、黒板の上で作曲されていく。作曲は、作曲家のハートによってなされるもので、楽器によってなされるものではないことの証明である。、ピアノは、音の確認のために補助的に使われるものであって、ピアノによって作曲されたというのは、本末転倒の話である。私にも、教壇に立って、授業をしている真っ最中にメロデイーが湧いてきて、あわてて胸のポケットに忍ばせてある5線紙に書きとめた経験がある。神は、洋の東西を問わず、特定の人に、時間空間を超越して、メロディーをお与えになる。そこで私は神にお願いしたい。シューベルトに与えたもうた美しいメロディーを私にも与えたまえ...未完成交響楽
基本的に女と男の関係は平行線である。不思議にも、その平行線が交わるときがある。だから矛盾が露呈する。男女間にある、どろどろした汚いものが噴出する。平行線が交わるのは、男にとっても女にとっても、恋心の高まりの時である。平行線
テストテスト、テストの世の中である。その結果によって、色付けしたり、輪切りにしたり。受ける側、する側もたいへんである。そりや誰だって、自分の持っているある面の能力を測定され順位別に、評価されるのは、いやに決まっている。私も、個人的には、テストがない世というものは大歓迎だ。必要悪だと分かっていても、人の能力を測定しなくてはならない。それは人の生存は、究極において、生存競争の上に、成り立っているという現実の必要性から出ている、ようだ。競争がある限り、それには必ず評価が伴う。つまり、人間の生存、には必ず評価がつきまとう。ところで、人間が下した評価によって人間の値打ちを、真実に測定し、断定することが果たして可能かどうかは、ともかくも、人類の進歩前進を導く原動力が、必然的に競争を、伴うものである。つまり、人類が続い限り競...テスト
童謡私の感覚で判断すると、以前うたわれていたような、価値の高い童謡が、幼稚園では、歌われるなくなった。したがって、幼児は、芸術的童謡に、触れることがなくなった。そして、それは無理もない話である。近ごろの幼稚園の先生は、芸術的童謡、を知らないからである。加えて、先生に、音楽性がない。そこで私は、ひとこと言いたい。教師となったからには、いろんな子供の心に、音楽いう色を塗るのなら、何色が、この子の生涯にとって良いものか研究してほしい。つまり、童謡の研究をしてほしい。そして自分が、芸術的な質の高さを持つ童謡と、流行歌、その他の歌謡との、差をはっきり認識して、歌を会得して欲しい。童謡
ネオン街私は、色と、音の喧噪の満ち溢れる、ネオン街を歩くのが好きだ。なぜなら、そこには、私の体内に眠る、生命に共振を与える、何ものかがあるからだ。他人の命、そこから発せられるエネルギーを、私の命が受け止めたり、連鎖反応を起こしたりする。それが何とも言えないのだ。ぞくぞくする。命の躍動感。それがたまらないのだ。私は、命の探求を求めて、ネオン街をよく、うろつく。ネオン街
全国均一化テレビが全国に普及するにつれて、地方と都会の差がなくなったようだ。どこに行っても、同じような車が走っているし、若い娘の服装も、化粧も、都会と田舎での差はない。家の作りも、マスプロダクションのおかげで、ほとんど似たような家になり、娘の持つ携帯電話は都会も田舎も全く違いはない。さてこうなると地方に旅をして、どこに地方色があるのか探すのが難しい。話し言葉の訛だけは、確かに違うが、それも同じ所に住む者同士の話しであって,こちらが標準語を使えば、標準語で答えが返ってくる。全国均一化
病身の旅いつ気分が悪くなるか、非常に不安である。熱が出る前の、この不快感は何とも言えないものである。下痢しているときにトイレがない、あの不安。何かをしようという気が起こらない。ただ体を横たえて神経を使わないようにすることだけ。浮かんでくるアイディアが何もない。生みだそうとする気力や、考えだそうという元気もない薬のせいであろうか、頭の機能が鮮明にならずにもあーっとしている。いわゆる体の中から、なにかをおしだそうという気力がない。それが失われているのか、それとも鈍っているのか。病身の旅
ディズニーワールドはものすごい人出である。夜12時だというのに、いもの子を洗うような混雑だ。全世界の人々、子供も大人も全ての人に楽しみを与え、夢を与えている。これを作った人は菩薩道を歩む人、。といいたくなる。パレードを見るのに六時半から9時まで待った。大勢の人でこうして席を取っておかなければ、どうにも成らない。苦しいことの多い人の世で人々に喜びを与える商売ほどよい商売はない。音楽、美術、絵画、彫刻、工芸などは言葉の壁を一瞬にして乗り越えて心を結びつける。芸術の持つ力は偉大である。ディズニーワールド
老化現象1.ものぐさ、何事も面倒になる。2.忘れっぽい。3.短気になり怒鳴る。4.新しいことに抵抗を感じる。5.頭になかなか入らない。6.難しいこと、ややこしいことを、とばして取り組むことはしない。7.体力のなさが実感できる。8.気力が萎える。9.格好付けはしなくなる。老化現象
人となりを見るためには、腰をかがめて、背をすくめて、見ると、その人の値打ちが分かる。低姿勢でいくと、彼は油断するから、本音に近い部分が見えやすい。高い立場に立って、人を見下している限り、見られるほうは、肩ひじを張って格好をつけるだろうから本当の姿は見えにくい。人となりを見るためには
10/27食べるために生きるな生きるために食べよイギリスの諺9/27幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待することである。フォントネル8/27成功は結果であって、目的ではない。フローベル7/27人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない坂口安吾6/27富、眠り、健康はそれを取り戻した時になって、初めてその味わいを満喫できるジャン・パウル5/27世間というのは鏡なので、覗けば自分が映っているイギリスの作家W・M/サッカレー4/27人生でいちばん大切なのは、自分にとって心地よさをかんじること。チェリストヨー・ヨー・マ3/271日1回感謝すること。それが長生きの秘訣です。加藤シズエ2/27悲観主義は弱さを招き、楽観主義はパワーをもたらす。ウイリアム・ジェイムス1/27人生とは今日一日のことであるDカーネギー1...名言
今から思いなおしてみると、20代前半の私には今以上に霊界通信があった。霊界と言っても、神のお告げ的な通信ではなく、ものを考えたり調べたりする際のヒントみたいなものである。それは主として人生論とか、哲学とか、宗教とか、芸術などに関するものが多かった。ひらめきが一瞬頭をよぎって、遥か彼方へ去っていく。当時は、それを一つも捕まえて記憶しておかなかったから、今は手元には何も残っていない。ごく最近になって、ひらめくものをメモするようになった。今から考えてみると、頭脳の鋭敏さが、今より優れていたのであろうか。つまり、受信機の感度が良かったのか。それとも通信量が多かったのか。今思えば勿体ないことをしたものだ。霊界通信
物事というのは結果を出して初めて、成就するものである。そのためには、まず考える。それを完成させるための行動計画を練る。其の行動計画に基づいて実行する。そして結果を出す。考えることと、それを実行して結果を出すと言うことは別物で、頭の作業では出来ない。行動に移すことが大切だが、行動すれば、所期の結果が得られるとは限らない。だから考えることに始まって実行し、目的を果たすと言うことには、いくつもの山や谷がある。それをうまくパスして、ようやく所期の目的に達するのだ。こういうことを考えると、他人のことを批判することは必ずしも、図星をつているとは思えない。僕が評論家の言動に、賛成できないのはこの点にある。結果を出すことが大切だ
三途川後から思えばアレは三途の川のことであるこの川は、小川でもなければ大川でもない。堤防から河川敷かあって中程には水が流れている。河川敷はススキなどの雑草が生い茂ったているが、人が通るところには自然と道がついていて、それを歩いていくと、川面に出た。川幅から見ると中央部は深いかもしれないが渡って歩けそうでもある。僕が川岸について時は向こう側へ渡るために多くの人が待っていた。人をかき分けて船に近づいてみるとそこではに要領の悪そうな、小役人が人の群れをさばいていた。人々は彼の指示に従って、舟に乗り込んでいく。その様子を見ていてこの小役人の人さばきかいかにも要領が悪いので、僕はイライラして早くしろととなった。彼はきっとなってこちらを振り向きながら「自分の一存では渡すことはできないのだ。すべては閻魔さまの、指示に従って一...三途川物語り
人は美しいものに憧れる。汚いものにも憧れる尊いものにも憧れる。卑しいものにも目が届く人は正反対の両極端に憧れるということは、両極端まで受け入れる許容範囲の動物。それが人間なのであるただし、人間らしく、安穏に暮らそうと思えば、一定のルールを守る必要がある。そのッルールを与えるのが宗教なのである。お釈迦様は中道をといた。中道
極楽、それは、地獄の中に生まれる。あわのようなものであり、生まれたかと思うとたちまちにして消えてしまう。地獄に吹く1陣の快適な風とも言えるだろう。この世は地獄であると思う人は多いのではなかろうか。この世に生まれて、人生の荒波を乗り越えて、無事に此岸に渡りきることが、どれほど大変なことか。ある年齢まで生きてきた人間には、骨身にしみる。辛苦があるから、多分そう思うことだろう。地獄極楽の話が常識的には、えんまさんがいて、人々の生前の行いから判断して、地獄・極楽行きが決められると、子供の時から聞かされてきた。が、地獄へ行って帰ってきたものも、極楽兵って帰ってきたものもいない。初の花の上に座ってきたものもいない。それは地獄極楽が、死後の世界に、あるものだという先入観によるものだが、現在住んでいるこの世にあることは実感でき...地獄・極楽はどこに
極楽、それは、地獄の中に生まれる。あわのようなものであり、生まれたかと思うとたちまちにして消えてしまう。地獄に吹く1陣の快適な風とも言えるだろう。この世は地獄であると思う人は多いのではなかろうか。この世に生まれて、人生の荒波を乗り越えて、無事に此岸に渡りきることが、どれほど大変なことか。ある年齢まで生きてきた人間には、骨身にしみる。辛苦があるから、多分そう思うことだろう。地獄極楽の話が常識的には、えんまさんがいて、人々の生前の行いから判断して、地獄・極楽行きが決められると、子供の時から聞かされてきた。が、地獄へ行って帰ってきたものも、極楽兵って帰ってきたものもいない。初の花の上に座ってきたものもいない。それは地獄極楽が、死後の世界に、あるものだという先入観によるものだが、現在住んでいるこの世にあることは実感でき...地獄・極楽はどこに
都会のど真ん中に、キリンみたいに高くそびえる鉄塔がある。大阪人はそれを、通天閣と呼ぶ。ただ、背丈があるというだけなのに。大阪、特にミナミの人は、これに夢を託す。それは、下町の希望の象徴であり、フアイトをかき立ててくれるものである。さらに空に灯がつく、通天閣に、俺の闘志がまた燃える。とは歌の文句だが、それがナニワの住人の根性を、かきたてるのだから不思議だ。底辺を這いずり回っているさなかにも、やがて時節到来すればと、闘志を燃やしている人が幾人もいる。それが通天閣を心のよりどころとして、フアイトを燃やすのだ。ナニワ名物、通天閣は摩訶不思議な代物だ。通天閣
こんなことを言うと、バチが当たるかしげもないが、この世を作りなったかみさん。ちょっと殺生じゃありませんか。またいつものように思えは余計なことばかり考えて、生きて居る。ただひたすらに、生きて寿命を全うすれば、それでよいのだ。かみさんの言い分はそうかもしえませんが、この不自由な属性に、身を置いている身になってみてくださいよ。第1出発点がそもそも不自由じゃないですか。このように生まれるか生まれないが、選択の自由がないじゃないですか。人間は問答無用で、この世に生まれさせられただけじゃないですかそれが不満が?お前はこの宇宙の原理原則をまったく理解しておらん。お前をこの世に人間として送り出したのは確かに神だが、人間に、生まれることがいかに難しいことか。そこの辺が分かっておらん。人身受け難し。今すでに受く。とお経に、書いてあ...八百万の神様
地平線に太陽が沈むように、自分の命も生から死に向かってひた走りに走っている。近頃は命についてよく考えることがある。そして生命現象の不思議に突き当たる。そこでまた考える。生きていることを全てが、歓喜に満ち溢れ、明るい明日しかないと思うのも人生で、その逆もまた人生である。そして確たるプラス思考があっても、それが現実の場面で貫けるかと言えば、弱いもので、挫けては立ち上がり、立ち上がってはくじける日々である。日常生活がどのように波うとうとも、信念を大切にしたい。なぜなら信念は未来について大きく影響するからだ。生きることの終わりが見えてきた
ある一つのテーマなり、課題なり、意味からどこまで空想を広げ、連想するかこれは詩を書くときも、エッセーを書くときも非常に大切なことである。どこまで飛べるかがテーマである。叙事的に事実の羅列だけでは詞には成らない。心の中に入っているもやもやを引き出してそれを昇華させるところに作家の使命がある。どこまで飛べるか
抵抗を感じる年のせいか・何かをするに抵抗を感じるようになった。1.ややこしい計算2.新聞を読みながらテレビを見ること3.説明書を読みながら、機械の操作をすること4.からだを動かすこと5.考えを煮詰めること抵抗を感じる
いろいろのタイプ1.権力の座につこうと、もがく権力志向型2.芸術作品の追及、制作に心血を注ぐタイプ3.人を宗教的に教化しようと黙々と活動をするタイプ4,金以外には目もくれず、金もうけに生きがいを感じるタイプ。いろいろのタイプ
いろいろのタイプ1.権力の座につこうと、もがく権力志向型2.芸術作品の追及、制作に心血を注ぐタイプ3.人を宗教的に教化しようと黙々と活動をするタイプ4,金以外には目もくれず、金もうけに生きがいを感じるタイプ。いろいろのタイプ
楽しまなくちゃ私は、作曲するために、作詞をするために、エッセイを書くために、この世に、生まれてきたのでない。よりよく生きるために、生まれてきたのである。出来る限り苦痛を少なくして、より多くの快楽を、より多くの嬉しい事、楽しいこと、気分の良いこと、心地の良いことを楽しむために生きているのだ。よりよく生きること。与えられた命を楽しむこと。それが私がこの世に生まれ出たことの目標である。百年の命を持つ芸術作品を残すために、人生のあらゆる楽しみを犠牲にするなんて。まったくばかげている。そう言えば誰か言ってたな。地位や名誉何するものぞ、今飲んでいるうま酒に勝るものがあろうかと。楽しまなくちゃ
1,花も実もある青春を軍隊にとられ殺し合い。殺し殺されるのもイヤだけど、お国のためと強いられて、運良く、助かって帰国したら、家も肉親も焼きはらわれて、瓦礫の山に呆然と立ち尽くす。2,食うや食わずの日を過ごし、闇市で、カストリ飲んで、我が身を慰めれば、朝鮮動乱特需景気で、祖国復興は軌道に乗り、続く高度経済成長では、産業戦士とおだてられ、馬車馬のごとく働きバチ。オイルショックの低成長では、情け容赦なく、窓際族。家では住宅ローンの重圧に加えて、核家族。子供は親の老後の世話をしないという。3,男女同権民主主義自由平等の名の下に、女房からは粗大ごみ扱いをされる。広い天下に、わずか5尺の身の置き所なし。迫り来る人生の夕暮れ我が過しかたをながむれば、怒りのみぞこみ上げて、悲哀の嘆き声もなし。4,鳥なら、とんで逃げる手段あるが...昭和1桁悲哀節
バイアグラが俄然、脚光を浴びている。報道によると、この3カ月間に360億円の売り上げが有ったそうな。月になおしてみると、1カ月に120億円の売上高である。新薬にしては類希なヒット商品である。愛用者は恐らく1000万人単位だろう。ところが副作用でアメリカでは30人近くが死亡している。にもかかわらず、売れ行きはまだまだ伸びそうな気配。バイアグラは男性の性機能をもとに戻して、若い時代の活力を取り戻す薬効があるので、インポテンツに悩む男性がこれっとばかりに、飛びついたようである。潜在した男の悩みがこの薬のお陰で、解消の方向に向かう訳だから、正常な男でも体力の弱ったときなど、服用して元気を付けたい気分になる。ところがこの薬は強壮剤ではなくて、あくまで治療薬なのであるから、強壮剤の代わりに使うというのは、薬の使い方としては...バイアグラ考
姫御寮夜の街に咲くあだ花だとしても、花はないよりあった方がよい。旅情ををそこはかとなく、感じさすさせてくれ、旅の解放感を1層味わはしてくれるのは夜の花があってこそだ。姫御寮
赤い靴コツコツコツ、、、赤い靴が私を追い越して行った。私は慌てて赤い靴を追いかけ、追い越して、振り返りざまに、赤い靴の女をチラッと盗見した。彼女はべ一ジュのコートに身を包み、白のブラウスをのぞかせている。髪はポ二一テ一ルに束ねて、黒いリボンで結んであった。胸ときめかせて追いかけたのに、何の変哲もない女である。私はがっかりした。夢は打ち砕かれたが、世の中こんなもんだと自分に言い聞かせた。赤い靴
還暦を迎えると価値観も変わるのだろうか。今の私の価値観からすると、金儲けに血道を上げるなんてナンセンス。金儲けに奔走しているご仁を見ると、クレージで哀れさは感じる。金の力に物を言わせて、好き放題する人はそれはそれで楽しいのであろうが、人間性まで無くして、金の亡者になるのは醜い。人生観にもよるが、今更金を追い回して一体どうなるのか。油断していると、金のもつ力に追い回されて、身の破滅を導くことになる。金は両刃の刃で使い用によっては毒にも薬にもなる。クレージー
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