怜和が始まるが,,,平成は最後の日。平成31年4月30日。明日から怜和になる。元号で数えるとぐちゃぐちゃになって、頭はこんがらかり、訳がわからなくなってくる。やはり西暦一本でいくほうがわかりやすい。今日は西暦で言うと2019年。元号で読むと平成31年明日は2019年であり怜和元年である。怜和11年は2030年?ややこしいなー。今から5年前ということを平成で言うと26年、西暦では2019-5=2014年こうなると平成で数えることは殆ど無く西暦一本になる。こういう考えが強いのだろう、平成は使うことがなくなるので遠ざかる。ところで平成時代には戦争が一回もなかった。是は明治以降、大正、昭和に比べて特筆すべき事である。怜和もその次の時代も、戦争のない時代であって欲しい。怜和が始まるが,,,
聖徳太子讃歌聖徳太子讃歌
聖徳太子讃歌聖徳太子讃歌
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久しぶりにNHKの歌番組を見た。ウタを楽しみたいのに、いつも歌番組でもスウッチをきる。ウタがなく雑音ばかりでうるさい。今夜は腰を落ち着けて番組を見た。なぜ拒否感が出てきたのか、考えて見るとやはり歌詞や曲や振り付けなどに抵抗感がある。歌の効果を一層深めようとして、音を奪ってしまう様な激しい動作や、ひやひやするアクロバット、派手な演出が目に飛び込んできて、歌を聴いてる集中力がそがれて、歌に没頭出来ない。それがいやなのだ。歌は歌詞に盛られた諸々の思いを、思い浮かべながら、メロデイで一層深い味わいにより、歌の世界に引き込まれていく。そのプロセスが自分にとって、いわゆる歌の世界に没入する心地よい部分なのである。とはいえ単なる歌詞、曲、歌、演奏だけに絞っているわけではなく、少しくらいは落ち着いて歌を聴くのに差し支えない程度...平成の紅白
寝る前にもう20年ほど前から寝つきが悪い.それこそ几帳面に睡眠導入剤を飲んで床につく.そして30分ほど音楽を聴くことにしている。昼間の雑念から、心を鎮めて穏やかにして、神経を休めたら寝入りも早くなろうという算段である。まず始めには「初恋」を聞くこれは啄木の初恋の切ない思いを、美しい歌に乗せて、ほろ苦い、わが青春・初恋につれ戻してくれる、上浪先生の抜群の歌唱力の歌である。ついつい歌に引き込まれる。これが5分ぐらいで終わると、次は普久原さん作曲の「芭蕉布」である。歌手は誰か知らないが、歌を聴いていると、沖縄の七色の海が目に浮かぶ。たった2回しか行ったことがないが、沖縄には思い出すことがたくさんある。あとは自分が作曲した作品の中から、気持ちを鎮めて安らぐ曲を、10曲ほどピックアップしてそのうちの5・6曲で、オートスイ...寝る前に
桜前線は東北から北海道に北上した。春とはいえ天候は不順で雪の中で花見という寒い日もある。関西では、緑の葉桜になっている。白く淡いピンクから緑が混ざってきたのが、4月20日過ぎ。これが自然といっても、やはり薄ピンクのしろい花が満開というのが花見の最高のものだろう。女性に例えれば17,8歳から25,6歳ごろの美しさに例えられるだろう。この時期に美しさは、満開。25を境にして過ぎると肌の艶色が衰えを見せ始め、40代になると艶や輝きが減って白、ピンク、緑の3色桜に似てくる。このころになると、表面的な美しさよりも内面的な美しさが輝きを増す。おおむねそれ以後は年齢を重ねるごとに、肉体は衰えを見せ、姥桜となって散っていく。その間桜は1週間、女性は20年を少し足りないくらいで肉体美は散ってしまう。桜でも女性でも、見ごろには派手...桜花と女性
東洋のモナリザガイドブックに紹介された東洋のモナリザといわれる、デバターはシエムリアプの市街地から北東の方に向かって、40キロくらいの所にある、バンデアイ・スレイ寺院にあるという。僕はバイタクの後ろにまたがって悪路をひた走りに走った。普通なら時間と時速を掛け合わせて、大体の距離を出すのだが、なにせこの道は、土の上ににぎりこぶしの5倍はあろうかと思われる石を、敷き詰めてというより、土の上に幾重にも転がして、今からブルドウザーで平らな道にしようという工事を始めたばかりの道である。たいていのことは我慢するが、がたがたと揺れる後ろの座席に2時間もすわってると、もういい加減にしてくれと悲鳴を上げたくなった。それは僕だけではない。ここ2,3日バンデアイ・スレイの遺跡を訪れる人はみな同じ思いをするはずだ。バイクだけにとどまら...東洋のモナリザ
清水観音とバイヨン2000年10月15日。三十三年に一度の、清水寺観音のご開帳に合わせて、京都・清水寺の、国宝のヒノキ舞台で、自作の4曲を奉納演奏した。そういえば、今回だけでなく、以前にも観音様には自作の曲を、よくお供えして、聴いてもらっている。壷阪観音、中宮寺の国宝、半加思惟像の観音様、泉光寺の慈母観音、東大寺二月堂の十一面観音、京都三十三間堂の千一体の観音様などに曲を聞いて頂いた。そしてその折々に、観音様のご利益をちょうだいした。ところが今回は又観音様から、特別のご利益をいただいた。それは大きな大きなご褒美だった。演奏舞台が第一級の人しか使えない、国宝の舞台であると言うこと、関係ない人にとっては、何の意味もないが、作曲家としてあの場所で演奏できたことは、作曲家としての自信をつけるには十分であった。何故ならば...清水観音とバイヨン
徹底人世の中のはいろいろな人がいるが、自分の信念を徹底的に追求する人には頭が下がる。僕が知っている徹底人の一人に常盤勝憲師がいる。師から直接聞いたことと、僕が見た徹底ぶりについて紹介してみよう。師は壺阪寺の住職である。ご存じのように壺阪寺は目の病気に御利益のある観音さんでお里沢一の夫婦愛の物語で、つとに有名なお寺で、盲老人をケアーする慈母園を初め同様の施設も国内にはいくつもある。しかし特筆すべきは、インドにおけるハンセン氏病救済活動ではなかろうか。師の計画はインドの患者1000万人を救済するという目標である。金策から、治療、授産施設など。それがそれは多忙で身ひとつでは、とても回りかねる仕事があり、そのため師から聞いた話では、睡眠は3時間しかとれないといわれた。それが何十年もつづけるわけだから、疲労で困憊の日々で...徹底人
さらばインド旅1999年4月9日。いよいよ旅も終わりも近づいた。今日深夜・1時25分にバンコクを出発して、明日の朝8時にソウル、11時半には関西空港につく。3月12日に大阪を出て、約一カ月間のインドの旅だった。美しい景色を見て、おいしいものを食べて、涼しいところでいう、といういわゆる観光旅行ではなくて、まったくこの逆の旅が、インドの旅だった。暑い、汚い、強烈な売り込みをかけるリキシャマン、タクシー、代理店、ダメモト丸出しで押し寄せるてくる小商人、それにうるさく付きまとう乞食。言葉が通じないだけでも、イライラが募るのに、こんな連中と付き合うのは、ほとほと疲れる。それに比べてバンコクにつくと、ホッとする。インドにいるのとはまるで違う。東京や大阪の感覚で暮らせるからだ。日本に着いたような気分になる。もうインドにくるこ...さらばインド旅
アジャンタエローラを見学した翌日、バスを利用してアジャンタに行った。アジャンタはデカン高原の北西、アウランガバードから北へ100キロほどのところにある、仏教の石窟寺院である。馬蹄形をえがいて流れるワゴーラー川に沿って、600メートルにわたる岩の断崖をくりぬいて、塔院窟5つと25の僧院・ビハーラからなっている。サルナートの根本香積寺の壁画を描いた野生司香雪も、大正時代にここを見学したとか、日本とは、古くから付き合いの有る遺跡だなと感慨深かった。バスの発着所前から少し階段を上って入り口に到着。入り口には、入場料のオフィスがあって、ビデオカメラの使用料は大した額ではないが、また別に徴収される。エローラに比べると、穏やかで静的である。最初から最後まで、すべて仏教に関するものであった。作りは大きく分けて前期、紀元前1世紀...アジャンタ
バーべーキューができる大きな公園が家の近くにある。直径30cmもあろうかと思われる大きな木が倒れたままになっている。この前に吹いた台風の風でなぎたおされたものだ。。シャキッ、シャキッ、シャキッと音のする落ち葉をふみわけながら、バーべーキューができる広場へ行った。枯葉の上にビニールシートを敷いてその上に寝っ転がって空を見上げると、春霞のせいか、空は灰色を通して青空が見える。風は枯葉を動かして、かさかさと音をたてながら通り過ぎていく。木々の先端から見える黄緑色の若葉は空、風と一体になって春真っただ中に、春のすべての雰囲気を醸し出し、風はほほを撫でながら通り過ぎていく。のどかである。新芽を出す春の息吹がすべてを覆う。心はいやされ、平安である。さあ何を求めよう、考えようとしたとき、現在の時間というのはまさに至福の時であ...春霞
100年前に死んだ祖父が詠み、残した短歌に曲をつけた。作詞祖父・作曲孫。珍しい組み合わせである。親子2代にわたって同じ分野、例えば作詞なら作詞家、作曲なら作曲家でというのは、よく聞くが、作詞と作曲が、祖父と孫、別々になっているのは珍しい。祖父の詠んだ詩「朝日さし青葉の色や生きにけり。恵みに生きよ人も草木も。」を作曲してみた。仏教に帰依して、感謝とか、仏の教えを杖にして人生を生きれば安心(あんじん)がある自然の恵み、世の恵み。その恩恵に感謝する気持ち、そして感謝して生きようという祖父の心情や主張は自分も全く同感である。幾多の試練を真面目に生き、誠実を旨として生きたような堅物居士だから、孫が歌舞音曲に親しむのを嫌がったかもしれない。これは他にほこるべきことではないことを重々承知しながら。それでも、僕はレアケースとし...自慢法悦作詞祖父・作曲孫
東京池袋で87歳の車が暴走し,母子が死亡、歩行者が6人が怪我をした。いくら元気だと言っても、認知機能が悪くなったり身体機能の低下などを考えると、80歳を過ぎれば免許は返納すべきものだと考える。自分は事故を起こさないという自信があっても、それは自分本意のもので、客観的には諸々の機能が劣っていると自覚すべきである。事故を起こしてから、考えてみたところでどうにもならない。本人の自覚が大切なことは言うまでもないが、、、、。ただし地方の交通不便なところで80歳以上の運転というのも納得できる。が、交通の便が良い、都会のど真ん中で87歳がどうして運転するのか?本人はもちろん、周りの人も強く免許返納をアドバイスすべきだった。もう事故は起こってしまっている。これから辛い日々が続くだろうと考えると免許返納をしておけば、よかったと悔...87歳の車が暴走
中央日報日本語版「天皇謝罪」発言の文喜相氏が日本に特使派遣?「戦争犯罪の主犯の息子である天皇が慰安婦おばあさんに謝るべきだ」という要旨の発言が論争を呼んだ韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が韓日関係回復のための特使派遣の意向を日本側に伝えたと産経新聞が18日、報じた。文氏はこのような考えを韓日議員連盟の日本側カウンターパートである日韓議員連盟側に伝えたという。連盟関係者を引用した報道で、産経は「文氏は周囲に日本への訪問の意向を示していたが、発言をめぐる日本側の反発を考慮して特使を派遣する方向で調整している」とし「特使の派遣とは別に、韓国の国会議員らの訪日も検討されている」とした。以上インターネットより引用生のむき出しの感想だ。どこまで馬鹿にされるのか。こんな連中と手を組んで何が面白いのか。隣国だから仲よく。誰...日本に特使派遣?
ある芸術家の断片彼女は20才を待たずして、熱烈な恋愛を経験する。そして結婚して人妻になった。彼女は彼の下にやって来て、日々甘い夫婦生活を送る。が、天は二人の甘い夫婦生活が続くことを許さなかった。彼女は病に倒れたのである。20年ばかりの熱愛生活は5年ほどで病魔によって引き裂かれた。彼女は長い闘病生活のすえ、不帰の人となった。普通は共白髪が理想で、夫婦の契りをむすめば、4,50年は続くのが世間一般だ。芸術家は熱愛する彼女がいて、その支えで創作も進むというものだが、それは人間の都合というものである。必ずしも天は味方するとは限らない。愛に燃える日々が人生の中でどれほど貴重なものか。何時もその他大勢の側にいる僕はうらやましい限りである。現代は未婚のままで一生を送る男女が増えている。僕の身の回りを見渡してもごろごろいる。勿...ある芸術家の断片
ブログは小さい言葉を並べて、それを見ながら、言いたいこと、書きたい事をフレーズにする。さらにそれをまとまった文章に仕上げる。文章になったものを、コピーしてブログ画面に貼り付ける。ワードではない日本語ソフトを使うので、それを貼り付け画面に貼り付けた場合、変な変換が起こる。そしてそれがいつも必ず起きるのか、というとそうではない。時たまだから、こちらもうまく変換できているものと誤解して、そのまま画面を閉じてしまう。本来だったら、即座に訂正すべきだが、面倒くさくなって、そのまま放置して、恥をかく。校正能力が不足しているうえに、誤動作が加わるので、なんとも見苦しい文章になってしまう。これからどうすれば良いか。貼り付けた文章の校正は荷が重い。このままでいくか。恥をかきつづける。それもまた良しか。言い訳の独り言。言い訳
勤め人をやっている頃、お前足下を見よ、とよく言われた。自分では着実に物事を進めているつもりだけど、他人には浮き足だって、地に足がついていないように見えたのだろう。今でもこの言葉を振り返って、考えて見るのだが、いまいち腑に落ちない。そこで歩くときに足下を見下ろして、歩こうとしたら、目が回るようで歩けない。歩くときはまっすぐ首をあげて歩く前方を見ないと、まともな歩きは出来ない。だから腑に落ちないのである。きっと社風が足下ばかりを見つめる風になっていたのだ。足下ばかりを見つめて、会社の将来の発展はどうなるのか。会社の存続には10年先、あるいは20年先を見据えて舵を取らないといけないのではないか。元いた会社は僕が居た当時250億円の資本金だったが、現在は減資されて1億円の会社になっている。是は足下ばかりを見つめた会社の...足下を見よ
先ほどNHKでいじめ問題を討論していた。いじめの認知対応とか、いじめ現象とか対策法について、いろんな立場から人々は意見を述べていた。ここで感じるのだが、どの人もいじめられる側や、いじめ現象について話が集中している。いじめは加害者と被害者からできている。議論は何故かいじめられる側に集中している。何故加害者側に話を集中して検討しないのか。?加害者を含めていじめの重大性を具体的に知らせる。例えば、いじめをすると自分にも心に傷がつく。親と子に賠償金が課せられる。いじめは犯罪である。など加害をすれば、どういうデメリットが発生するかということを理解させることも大切である。もちろんこれは警察力を借りての話である。警察との連携を密にして警官による毎月1回の講演会を実施する。こうして有形無形の圧力を加えることによって、加害者が加...NHKいじめ討論会
cリタイアリング・ルームインド大陸の中心から見ると、カルカッタは北東にあたる。日本では北東を鬼門といって人は避ける。インドの鬼門にあたるのがカルカッタである。この鬼門は私がいつもインドへ入国するときに利用する、インドの入り口である。バンコク空港を経由してインドに行く時には、僕にとっては、最も入りやすいインドの入り口である。ところが僕が初めてインドへ行った時の最初の玄関口になったカルカッタは、すこぶる印象の悪いものであった。前回の経験では、このカルカッタだけは、ろくなことがなかった。両替ではだまされいるは、タクシーに乗れば途中でほっぽりに出されるは、カルカッタではろくなことがなかった。インドにたいして持っていた尊敬の念は一辺に吹っ飛んだ。お釈迦さまの出た、立派な国民からなる国だと尊敬の念すら抱いていたのに。僕の持...リタイアリング・ルーム
貧乏金持ちは自分を中心に考えたらよい.実際に生活費以外に法外な金を持つ必要もない。金があると欲望を満たすために贅沢な飲食をしたり、贅沢な旅をしたりして、無駄遣いがおおい。子供の時から現在に至るまで、貧乏な生活をしてきたから、貧乏癖がついてしまっておかげであまり大きな不足はない。年金をもらって細々と最低生活が出来、他人様に迷惑をかけなければ、それで満足である。人間だから、時には不満がないわけではないが,少々不足があっても不平口は叩かない.住まいは静かなところで,便利が良く雨風などが防げたら,それで良い.食べ物も3度の食事にこと欠かなければ、質はあまり問題としない。食の質に対する特段の欲望もないから現状で満足をしている。貧乏に慣れてしまうと、それはそれでいいものだ。幸せ感がある大きな望みを持っているわけではないから...貧乏生活
飢えている人を見ると芸術とはなんぞやと考え込んでしまう。芸術にかかる費用で,飢えている人を一人でも助けたら、それは芸術以上の値打ちのあることではないか、と思うが、芸術作品はその場で飢えてる人を救わなくても、幾世代にもわたって、人を慰め、励まし、勇気づけることがある。芸術作品はそのような力を持つ。とはいえ飢えている人を前にして、僕は芸術作品制作に没頭することはできない。飢えている人を横目に芸術を考えるほど、僕は芸術には惚れ込んでいない。芥川龍之介の地獄変の絵仏師良秀の真似は出来ない。地獄変
経団連が電力政策について提言をまとめた。読んでみたが、腑に落ちないことが多い。まず第1に現在の人間の力では原子力がコントロールができないということ。これが大前提にある。放射性廃棄物の処理機がまだ決まっていないこと。それに提言に対して解決策を示さないで、推進をしているところ。これらは無責任の極みである。よくものを、うのうといえたものだ。結局事故が起これば、すべて国民にツケを回す。これ以外に解決法はない。そんな提言がまともな意見として受け入れることができるだろうか。彼はいう。議論が不足していると。しかし反対意見を言うと、それはエモーショナルな反対だという。これでは話にならない。愚かしい発言だ。これでは聞く耳を持たないのと同じことである。どこに議論が必要なんだ。議論を深めれば賛成者が多くなるとでも思っているのか。結論...経団連が電力政策について提言
中国の聖人はいった。「女と子供はやしないがたし」。これは一体どういうことだ。女性と、子供が自己中心的存在であることは一つの特徴として、認めても、それだからと言って、男性に比べて能力が劣るとか、人間的に、劣るとかいうことにはならない。例外的な例ではなく、一般論として、男より忍耐心や包容力があり、無条件なる愛が、女性には備わっている。それが本能的に、備わっていて、発揮できるのは,なんとすばらしいことだ。我々は、無批判に、聖人の言うことを受け入れがちだが、時代背景は別にして、自分たちが生きている時代の諸般の事情を考慮しても酒をくらい、博打をやり、大量殺人のリードを取り、本来平等ではあるはずの男女を、いろいろな意味で差別した男こそが、愚かな存在として、位置付けられて、しかるべきだ。間違っても、「女と子供はやしないがたし...女と子供はやしないがたし
6歳の子供がほっぺにチューして性犯罪と判断された.。.アメリカでの話。小学校1年生の男の子が同級生の女の子のほっぺにキスをした。校長の判断ではセクハラだという。セクハラ意識がない行為はセクハラではないと思うが、こういう判断ができたということはやはり社会が病んでいるとしか思えない。日本式の判断では行き過ぎで常識外れの判断だ。アメリカではお互いに話すことができるようなことでも、すぐ訴訟に持ち込むという。先ほどの話の関連としてみると、やはり日本常識とはかけ離れている。こんな社会だと住みにくかろう。、でもすぐ訴訟に持ち込むというアメリカでの話
漢字の用法はわかるが書く場合、どんな漢字を書けばよいのか、近頃わからなくなってきた.ワープロを使うようになって、字を書かないから、うろ覚えになってしまったり、記憶がぼやけたりしてきた。漢字がペンでは描けない。困ったことだ。漢字は体で覚えるところもあるのに、コンピューター画面に表示された漢字の中から適語を選ぶ、ワープロ方式だと指先で覚えるという作業はない。その結果として、コンピューターを使う時代の流れとともに、老化現象と相まって、僕の場合最近特に漢字が書けない傾向が著しい。嘆かわしいことだ漢字の用法
気になる存在25,6の美女が一人沈んだ表情をして水割りを飲んでいる.女は車窓に目を向けて、考えるともなく、考えているようである.僕の想像は膨らむ.苦しい恋が実らず,休暇を取ってセンチメンタルジャーニーに出かけたOLかもしれない。.今流行のオフィスラブに破れ、会社を辞めて、一人旅する女だろう。パトロンが眠っているすきに抜け出してきて幸せ薄い女に違いない。ひょっとすると不倫の主婦?。夫と子供の日常生活から逃げ出した、主婦かもしれない。僕の想像はまだまだ膨らむ。気になる存在
春の夢明け方に夢を見た。平安朝の作家の名前がどうしても思い出せない。清少納言の春はあけぼのまでは思い出すが,もっと有名な作家とか本の名前がどうしても出てこない。なぜだと力を入れたら目が覚めた。夢の続きを追いかけたらそれが源氏物語で作者は紫式部だとわかった。読み始めたわけでもないのに,どうして平安朝の作家の名前など夢に出てきたのだろうか。夢って本当に、不思議なものなんだなー。春の夢
王宮夜景タイをはじめとして、東南アジアをバックパッカーする日本人が、バンコクで定宿としているのは、カオサン通り周辺に集まった宿だ。そのカオサン通りは日本人よりも、ヨーロッパ系の人が多い。だからここはタイ・バンコクでありながら、租界みたいな感じがする。夜も昼も無く大音響でジャズや欧米で今流行りの音楽がかかっている。この通りには、これらの人々を相手にするタイ人の商人がいるくらいのもので、普通のタイ人はあまり見かけないが、多分異質なものとして、寄り付かないのだろう。よく見かけるのは、かっこいい制服をきた警官ぐらいのものだ。格安旅行代理店が集まっているし、旅の情報が得られるので、僕はバンコクにくると、ここカオサン通りによく顔を出しているが、この喧騒の町に宿をとろうとは思わない。でも2,3日おきには顔を出していないと何か...watArun王宮夜景
本はたまる一方なので、置き場に困り売りに行った。100冊まとめて売って100円もらってきた。ばからしくなって売るのはやめた。以後、本は図書館にで借りることにした。だから最近本を買わなくなり、またあまり読まなくなった。いまやっているのだが、一冊の本は青年期と老年期の2回読むといいと思う。青年期に読んだ時に受けた感銘と、40年ぐらいの時を経て、老年期に読んだ本のポイントは同じこともあるけれども、大抵は変わっている。赤線を引いたところの感想と違ったものになっている事も多い。やはり人生で経験を積むと見方が変わるのであろう。そのために、もう一度、青年期に読んだ本を、読んでみる。本は書き込みや、赤線を引いたものが、面白い。関心が全く違っていたり感激が違っていたり、何も知らないそのままでストレートにうけとめたものが、4,50...本は2度読みすると良い
ジャックソン広場にて人が大勢集まってきて,散策したり,食事をしたり,コーヒーを飲んだりしている.スニーカーや、ジーンズ、ジャンパー姿の人が多い。大道芸人、サックスを吹く人、風船を作る人、パフォーマンスをする人、絵描き、曲芸をする黒人の大人と子供。ここは激しい戦闘のあったところで、反逆者処刑の場でもあり、つまり死者が多くの生者を呼び集めて行くところは、千日前と同じか。ニューオリンズジャクソン広場にて。ジャックソン広場にて
(深い川より)チャムンダーインドから帰国して、僕はインドに関する本を何冊か読んだ。本の中に描写されているインドの風景だの、インド人の人情や物の考え方なりを、自分がインドで経験したものと、比較検証したかったのである。中でも狐狸庵先生の、『深い川』にはホテル・ド・パリの描写が、僕が見たとおり、実に正確に描かれており、これには驚いたというより、懐かしかった。ふんふん、そうだそうだ、僕は本の中に引き込まれて行った。なかでもこの中に描かれているチャームンダという名の女神には深く心奪われた。日本では女神と言うものは、どんな神でも、美人で柔和に描かれいて、その表情には苦悩の跡がない。すくなくとも僕が知っている女神はそうである。ところがチャームンダは違う。全身創痍の苦しみを背負い、その苦しみに耐えてはいるが、表情には苦悩がまざ...チャムンダー
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