いやあ、参っちまいました。「6月に誕生日を迎えられたので、身体検査をしますなんて、月一回の定期検診でいわれました。「体重は……。あらあ、大台ですねえ、80.5kgです」「身長は……。あらあ、縮んじゃいましたねえ、171.3cmです」「あらあ」が、口ぐせの看護師さん。すこし、ショックが和らぎましたけど……。でもほんとに、「あらあ」でした、ものの見事に。じつは、もういっちよ!「あらあ……。お腹周り、81cmですねえ。メタボの更新ですねえ……」身体検査
「なんだと、こら!60台だからアダルトは観ないだと。糖尿病で、お〇〇チンが勃たないだと。寝ぼけたことを言うな、こら!だからこそ、観たんだよ。ほんとに勃たないかどうか、確認したんだろ?しのごの言わずに、だまって払えばいいんだよ。それとも、これから家まで押しかけようか。奥さんにバレても良いのかよ!子供らに知られても良いのかよ!それとも、『アダルトに狂ったエロジジイです!』って、近所に触れまわってやろうか。ええ、どうなんだよ、こら!」「あたし、ひとりぐらしなんで。妻とは、もうなん年も前に離婚してますし。子どもたちは、いちにん前になってまして、独立しています」じつのところ、パソコンは古いながらもなんとか動いている。ほこりをかぶっているのは事実なのだが、2年ほど前まではつかっていた。そう、彼の言うアダルトサイトの動...奇天烈~赤児と銃弾の併存する街~(十一)
四つ角のビル前に所在なく立ちすくむ、まだあどけなさの残る少女に、赤いほほ紅と真っ赤な口紅を無造作に塗りたくった唇に郷愁を覚え、思わず声をかけていた。連れだって喫茶店のドアを押した。BGMに耳を傾けつつ、男はとりとめもなく話している少女にときおり相づちを打った。なにか楽しいことを喋っているらしく、ときおりコロコロと笑い転げている。男には心地よいリズムのように感じられるそのお喋りも、きのうに再就職の件で連絡を取った友人からの情報が気になり、いまは耳に入らない。BGMをさえぎって男の耳に飛びこんできたのは、絹だとか糸だとかそういった単語だった。そしてBGMがテンポの早い曲に変わると、男ははじめて口を開いた。「で、どうなんだい?」少女は、やっと男が口を開いたことが余ほど嬉しかったらしく、自分の話を聞いていなかった...[淫(あふれる想い)]舟のない港(二)娘
[ライフ!] ボク、みつけたよ! (十三)横道にそれてしまいました。
横道にそれてしまいました。これからも話の途中であちこちと寄り道するかもしれません、どうぞ辛抱づよくおつきあいくださいな。どこまででしたっけ?フェリーの乗船前でしたね。16:30ごろでしたか、車が動きはじめました。シートを倒してのんびりしていましたので、慌ててエンジンをかけました。フェリーの乗船口にむかって出発です。大きくゲートを開いた様は、さながら鯨でした。その鯨のくちに向かって、ゆっくりとスタートです。はじめてのフェリーです、どんな感じなんでしょうか。ワクワク感と不安な思いとが入りまじっての、フシギな感覚です。ああ、ひどい目にあった!プン、プン!です。もうにどとフェリーは利用しません、もしするとしたら、個室にします。なにを怒っているのか、ですって。結局は、わたしの期待が大きすぎたせいかもしれませんがね。...[ライフ!]ボク、みつけたよ!(十三)横道にそれてしまいました。
愛の横顔 ~RE:地獄変~ (十七)この間、見つからないようにと
「この間、見つからないようにとここに置いたんだった。それを忘れていたよ。うん、大丈夫だ。すべて揃っている。ひとつでもなくしていたら同志たちに顔むけができないところだった。まあしかし俗人がこれを見たとしても、なんのことやらちんぷんかんぷんだろうが。これを理解できるのは、同志のなかでもかぎられたエリートだけだがね」一子さんをとなりに座らせて、わら半紙をさも愛おしげに撫でられています。「幹部連にかわいがられている河合くんなんぞには、天地がひっくり返っても理解できまい。あの幹部連にしても、わざわざぼくの所にレクチャーを受けにくるしまつなんだから。でね、父さんに一子から頼んでくれないか。すこしまとまったお金がほしいんだ。参考書代だとかなんとか、うまく話してくれよ。一子にはあまい父さんだから」すこし考えこまれた一子さ...愛の横顔~RE:地獄変~(十七)この間、見つからないようにと
朝の10時に出社し、夕方は4時に退社する。朝の出勤時には「おはよう!きょうもがんばりましょうね」と、明るく声をかけている。社長室にはいると、徳子が「昨日の売り上げは、荷の入荷は、」と説明にくる。うんうんと頷きつつも、特段なことのない毎日で、「ありがとう」のひと言で終わる。その後は、来客があれば社長室で応対し、なければ閉じこもっている。余ほどのことがなければ、外回りすることはなくなっている。新規開拓も一段落し――というより、「これ以上販売先を増やすな」と、耳を疑うような指示がでた。「弱肉強食です」と言いはる服部にたいし、竹田が冷厳な事実をしめした。「これ以上の商品配達はムリだ」。前日に荷物を積みこみ、翌朝に交通渋滞のはげしいなかを、複数台のトラックが出発する。しかし夜の七時をまわっても届けきれない。「もう店...水たまりの中の青空~第三部~(四百五十一)
青い空俺は憎かっただからだからこそ白いペンキを投げつけたパァーッと広がったその白に青い空は驚いていただのにいつの間にか雲になっていた白い雲俺は憎かっただからだからこそ黒いペンキを投げつけたバサーッと覆いかぶさった黒に白い雲は驚いていただのにいつの間にか雨になっていた強い雨俺は憎かっただからだからこそ赤いペンキを投げつけたペチャッと居座った赤に強い雨は驚いていただのにいつの間にか太陽になっていた赤い太陽俺は憎かっただからだからこそ心臓に斧をふるったサァーッと飛び散る真紅の血赤い太陽は驚いていただのにいつの間にか意識が途絶えていた=背景と解説=何に対する怒りなのか、嘆きなのか、涙なのか……突然にあふれ出す涙に対し、どうしていいのか分からずにいたわたしでした。最近「死」というものが、ベッドに入る度に頭を過るよう...ポエム~黄昏編~(jisatsu)
きょうは、いい日だ。It'sniceday!チコからの手紙がとどいた。24日のイブの日、仕事がキャンセルになったから、こっちに来てくれるってさ。いっしょにイブを過ごしましょう、だって。素晴らしい!のひと言だ。ドアを開けると、まず半畳ほどの土間。左手に三畳かな?台所があって右がトイレ。ひとり用の小っちゃなテーブルに丸イス。その上に、コップとしょうゆ差し。ガラス戸を開けると、六畳のへや。そして小さいながらも、ベランダ付き。そのベランダに、これまた小っちゃな洗濯機。洗濯ものはロープを張って、そこに干しっぱなしだ。清水の舞台からとびおりたつもりで買った、2ヶ月分の給料にあたる30'000円弱のコンポーネントステレオがある。気のいい電気屋のおじさんが、安物だけどヘッドホンをおまけしてくれた。アパートの壁がうすくてさ...小説・二十歳の日記十二月十五日(曇り)
受話器をおいて離れたところ、電話をきられると思ったのか、またぞんざいな言葉に変わった。「こら、田中!かってなことするな!聞いてるのか、こら!返事しろよ、こら!」がなり立てる声が、玄関でひびいている。外にまで聞こえはしないかと、あわてて受話器をとった。「ごめんなさい、どうも。この歳になると、すぐに腰にきちゃうものですから」「あ、そう。腰がわるいんだ。つらいよね、それって。うちのおやじもね、椎間板ヘルニアってのに、なっちゃってさ。知ってる?椎間板ヘルニアってね、大変なのよ。ま、いいや。でね、毎日でんわはできないけど、メールを送ってるのよ。おやじはうまくメールできないからね、『うん』とか『ああ』とか、返させてるの。あんた。メール、やってるよね。息子さんから、返事くるのかな?」親孝行な息子さんじゃないか、あんがい...奇天烈~赤児と銃弾の併存する街~(十)
二十代前半に構想して書き上げた作品です。アダルト系だったものを、抑え気味に書き直してみました。時代は、昭和の…そうですねえ。四十年代の中頃、いざなぎ景気が終わりとなった頃のお話です。同期の先陣を走っていた男が、ひとつのミスで転落していく様と、交際中だった女性との別れがおとずれ、新たな恋に走りはしたものの…麗子とミドリ…頭を空っぽにして、どうぞふたりの女性をみてくださいな。----------------まだ明けやらぬ朝もやの中、プライドの高さをその薄汚れた白っぽいトレンチコートにほのめかせ、三十路の旅も半ばの男が足早に歩いている。街灯の下でタバコに火を点けた。険しかった表情もタバコを吸い込む度にほぐれてきた。ひとつひとつのビルを確かめ、頷きながら歩いている。ビル街には、カツーン・カツーンとひびく男の靴音以...[淫(あふれる想い)]舟のない港(一)男
[ライフ!] ボク、みつけたよ! (十二)入院時は、正直のところ
入院時は、正直のところ「どうでもいいや」といった自暴自棄な気持ちでしたねえ。離婚してまだ半年も経っていない、たしか五十三歳だったと思います。娘が高一のときだったはずですから。でその部屋に、わたしに遅れることふつか後でしたか、視覚・聴覚障害者の入院がありました。大変でしたよ、それが。気の毒だとは思うのですが、とにかく大声を発せられるわけです。病室って静かでしょ?テレビにしてもイヤホン使用ですからねえ。会話にしても他人に聞こえないようにと小声じゃないですか。家族の方は手のひらに文字を書いての会話をされているのですが、その返事が大声になってしまうのです。ご当人はその認識がないらしく――まあねえ、聞こえが悪いのですからそれも当然と言えばとうぜんなことですが。すぐさま家族の方が大声を出さないようにと手のひらに書き込...[ライフ!]ボク、みつけたよ!(十二)入院時は、正直のところ
失礼しました。わたしのことはさておきまして、小夜子さんのおはなしを聞くことに。ああまた善三さんが吠えてらっしゃいます。こんどは立ちあがって威圧されます。「小夜子!あの国賊がおまえの一生をだいなしにしたんだろうが。それがあんな男を最後までかばいよって。どうだ。いまからでもいいから、ほんとのことを話してみんか」「だから善三さん。その話をこれから聞かせてくださるんですから」思わず言ってしまいました。わたしのお仲人さんである善三さんをたしなめてしまいました。「まあまあ、まだそんな無粋なことを。これから可憐なしょうじょの恋物語りを、そして正夫とのことをお話しするのですから」「まあいいさ。いまさらのことか。職も辞していることだし。もう口をはさむことはない。存分に話をすればいい」善三さんは仏頂づらでどっかとすわりこまれ...愛の横顔~RE:地獄変~(十六)失礼しました。
[青春群像]にあんちゃん ((大みそかのことだ。)) (一)
大みそかのことだ。年越しじゅんびで忙しくたちまわる職員のなかに、次男のすがたがあった。施設にたいする強引な孝男のはたらきかけで、ほのかの復職とともに次男の就職がきまった。「次男の面倒をみていただければ、今後のことはわたしが責任を持って…」暗に施設へのえんじょをもうしでる孝男に、施設側としてはありがたい話ではあった。慢性的な人手不足になやむ介護業界で、とくに若い男性はのどから手がでるほどにほしい人材だ。「はあ…。あの息子さんですか」としぶる施設長にたいし「素行が心配でしょうが、なあに、ほのかが居ますから。ツグオも、ほのかの言うことはスナオに聞くやつですよ」入居ちゅうの坂本を殴打したことがネックになると考えた孝男の、切り札ともいうことばだった。次男の殴打じけんは聞いた孝男だが、その理由まではきかされていない。...[青春群像]にあんちゃん((大みそかのことだ。))(一)
ひととおり回りきってしまうと、小夜子の日常に空いたじかんが増えはじめた。毎回まいかい小夜子が同伴するわけにもかない。ときに新規開拓のためのお供を、とたのまれることはあった。服部から全営業にたいして「新規営業開拓においては、社長を同伴するように」と指示がだされていた。社員に否はない。ありがたい話なのだ。商談がスムーズにいきやすい。小夜子に気を取られた相手が、当の営業との話を上の空で聞いていたということが多々あった。ただ、契約後に「すこし値引きしてくれ」という依頼があったりはする。初回はやむをえぬこととして、「次回からは値を下げますから」で、シャンシャンとする。苦笑いをしつつも、「もうかったな、そいつは」と服部も苦わらいだ。トラブル処理についても然りだった。「どうしてくれるんだ!」と怒鳴りつける客も、小夜子に...水たまりの中の青空~第三部~(四百五十)
沖に見える漁り火の彼方夜光虫が波の背に揺れる暗い浜辺の二つの足跡寄せる波が少しずつ消してゆく雲に陰る月一瞬の光の途絶えの下(もと)触れ合う唇長い夜ならではのこと蒼い月の囁きを耳にする時その瞳は青い炎を燃やすその時その瞳はやはり青い炎をフラメンコの命に変えて燃やし続ける=背景と解説=分かりにくいですよね単語ごとの意味は明瞭だと思いますが文になると途端に分かりにくいわたしの、ひょっとして悪い癖(?)揺れ動く思いを夜光虫と呼び変えて消される足跡が二人の別れを暗示している触れあう唇を求め合う唇としようかとも考えていたようですが別れという暗示を示唆するためにもふれあうと言う単語にした蒼い月が青い炎そしてフラメンコへここが一番のキモなんですけどね漢字を変えることによるどんな効果を狙ったのか……蒼い=心象青い=現象のつ...ポエム~黄昏編~(漁り火)
[再会]寒いあさだとは思っていたけど、まさか雨が雪にかわるなんて。初雪だ。しかしおどろいた。これが偶然というものだろうか。でも、ステキなぐうぜんだった。なんとはなしに通りかった、あの市民会館。ベトベトの雪道のせいで、いつもとちがう帰り道だった。裏道をやめて、大通りをあるいた。その通用門で、たったひとときにせよ、ぼくにバラ色の夢を見せてくれたあの女性歌手に会えるとは。降りしきる雪の中、傘がないらしく肩をふるわせていた。目が合ってしまったとき、「良かったら、はいりませんか?」と、声をかけていた。自分でも信じられないほど、自然に。ぼくにとっては、革命的なことだ。おそらく、耳たぶまで真っ赤になっていたろう。その女性歌手は、ぼくのことを知るはずがない。あの、長文の手紙を書いた偏執狂だとは。[着物姿]だれも彼女が歌手...小説・二十歳の日記十二月三日(雪)
「ほら、みろ。持ってるだろうが、田中さんよ。嘘はいけないよ。ひとつうそをつくとね、際限なくつきつづけなくちゃならないんだよ。そんなこと、出来るわけないよね」猫なで声で、優しくさとすように言ってきた。「ほんとなんです、インターネットはやってないんです」ひっしの思いで、反論した。よわよわしい声ではだめだ。もっとはっきりと説明して、キチンと分かってもらわねばと、おのれに言いきかせた。しかしそう思えども、ふるえ気味のこえが出るだけだった。「分かった、わかったよ。信用してやるよ、田中さん。パソコンは使ってないんだね。けどさ、ケータイ持ってるでしょ?」「携帯電話ですか?はい、持ってます」「じゃさ、たとえば、お子さんとは電話ではなしてる?正直に言ってよ、ウソはだめだよ」あいての静かなこえに、わたしの興奮状態もすこしおさ...奇天烈~赤児と銃弾の併存する街~(九)
スピンオフ作品 ~ 名水館女将、光子! ~ (三十一)(そして、いま……:二)
背筋をピンと伸ばした光子の姿は、凜としていた。老舗旅館である明水館の女将としての風格を十分に感じさせる。本人の口からこぼれた、自分自身を貶めるようなことばですら、光子という女将の品格を落とすものには、武蔵には感じられなかった。「地獄を見ました」ということばの中に、その壮絶な日々を乗り越えきった光子という女性の度量を感じた。「武蔵さま、ありがとう存じます。そのおことば、胸にひびきました。これまでにも似たようなお話は、多々いただきました。ですがそれらすべてが『ふたりで儲けましょう』であり、また男と女の関係を期待されてのことでございます。それはそれで光栄なことなのですが。わたくしの分は、ここまででございましょう。これ以上は無理というものでございます」。武蔵にしっかりと視線をとどけながら、なおも続けた。「若いころ...スピンオフ作品~名水館女将、光子!~(三十一)(そして、いま……:二)
翌日にさっそくクリニックを受診しましたが、すぐに入院設備のある民間病院を紹介されました。そこで入院となりもろもろの検査を受けました。ふつか、いや三日後でしたか、狭心症と診断されて大学病院へうつりました。そこでもまた検査けんさの日をおくり――まえの病院とおなじ検査のようですが、どうしてにど手間をかけるんでしょうかね。お金がもったいないと思うんですよね。結局のところほぼ2週間あまり後にステント手術ということになりました。こんな大ごとになるとは想像もしていなかったので、ビックリです。このころはと言えば離婚後でして、ひとり暮らしなんですよね。世話をしてくれる人間がいないということで、少々気まずくてばつの悪い思いをしました。6人の大部屋でして、患者さん全員につきそいの方がいました。いろいろと世話をしてみえます。けれ...[ライフ!]ボク、みつけたよ!(十一)翌日にさっそく
「気の強いお嬢さんだな。驚いたよ、これは」手ぬぐいで拭かれながら笑っていらっしゃいます。そしてわたくしたち3人の輪の中にお入りになり、すこしのあいだ談笑しました。三郎さまは無類の映画好きでして、中でもチャップリンの[街の灯]と[モダンタイムス]がお好きなようで。それらの解説を身振り手ぶりを交えて、汗だくになりながらしてくださいました。[街の灯]は、めしいの娘と貧乏な男との恋愛物語りだったのですが、三郎さまときたら情感たっぷりにお話してくださいました。そして最後に資本家の横暴さを説かれます。[モダンタイムス]では、精神を患った労働者と、薄幸の少女とのお話を、涙なみだの物語りとして聞かせていただき、社会の冷酷さを力説されます。そしてそのためには「あなたたち婦女子もしっかりと勉強をして社会に立ち向かうべきだ」と...愛の横顔~RE:地獄変~(十五)気の強いお嬢さんだな
「幸いですねえ。徳子の機転で銀行への連絡がはやかったんで、小切手の現金化はまぬがれました。といって喜ぶようなことじゃないんです!」さらに怒気の入った五平の声が、社長室にひびいた。1階の事務室にまでとどく有様だった。「専務。すこし声を抑えてください。階下(した)にまできこえます」あわてて竹田が五平を落ち着かせようとすると、徳子が社長室のドアを閉めた。ここ日本橋に移ってから、いや富士商会が起ち上がってはじめてのことだった。いつも開けっぴろげだった武蔵の部屋がとじられた。そのことで、いかに五平の怒りが大きいことかと全社員が知ることになった。金額の多寡ではなく、社長が詐欺まがいの与太話にひっかかってしまった、そのことがどれほどに大きな問題点であるかを、当の小夜子はもちろん全社員にもかくにんさせておきたかったのだ。...水たまりの中の青空~第三部~(四百四十九)
それは雨のふる日曜日のこと人気のない浜辺でわたしは夏の落しものを探して歩いたの肩を冷たく濡らしていく雨でさえわたしの心を知っているのに夏のあなたは今どこに……もしもあなたに逢えたらことばなんかいらないたゞもう一度あなたの口づけが……=背景と解説=すみませんねえかっこつけすぎですね自分をね、多分慰めているのだと思いますよ映画のワンシーンみたいな設定でしょ?「ことばなんかいらない」なんてね「もう一度あなたの口づけが」アホか!もう恥ずかしくて穴にでも入りたい気分ですですがあの若いころの自分がとても愛おしく感じるんですよねひたすらに自分を愛そうとしているそんな努力を続けている自分がポエム~黄昏編~(雨の日曜日)
[理性]晴れ・曇り・雨・雪、ほかにいの?ないよなあ。おゝ、神よ!人を愛するとき……、なぜ理性をうしなう?……しばらく、休もう。小説・二十歳の日記九月十八日(晴れ)
「ああ。だったら、やっぱりまちがいだ。わたし、きのうは仕事で留守でしたから。それじゃ忙しいので」受話器を置こうとすると「ちょ、ちょ、ちょっと、待てって。あんたがそういう態度にでるのなら、けっこうだ。こっちもね、それなりの対応を取らせてもらうから」と、口調がすこしぞんざいになってきた。「それなりと言われてもですね、わたし田中じゃないですから。それじゃこれで」「待てって、言ってんだよ、こら!じゃ、なんて名前だよ、こら!」とつぜん、ことばがやくざ調になった。「ま、いいや。あんたが田中じゃないって言いはるんなら、それでもいい。とにかく、料金をはらってくれや」やわらかく落ちついた声が、とつぜんに低くドスのきいた声に変わった。「聞こえてるんかい!返事せんかい!」豹変したそのこえが耳にはいると、たかびしゃな口の利き方を...奇天烈~赤児と銃弾の併存する街~(八)
スピンオフ作品 ~ 名水館女将、光子! ~ (三十)(そして、いま……)
差しつさされつ飲む、このひとときは、たがいにとって至福の時間だった。ときおり、ふすまの外から「女将さん、申し訳ありません」と遠慮がちに声がかかる。しかしすこしの時間を離れるだけで、すぐにまた戻ってくる。武蔵はその間、所在なく庭先に目をやっている。本館の池泉回遊式庭園とは異なり、熱海地区では珍しい枯山水の庭園様式をとっている。大女将の決断で造り上げたということで、その真意については光子も知らないという。ただ、石や砂などを用いて水の流れを表現するのは「あたくしの人生そのものなのです」と、珍しく酔ったおりに繰り言が飛び出したという。「無味乾燥だったということじゃないのよ」。「光子さん、あなたなら分かってくれるわね」。正直のところは、大女将の真意は分からないという。ただ推測するに、おのれを偽りつづけたその悔悟の念...スピンオフ作品~名水館女将、光子!~(三十)(そして、いま……)
さあ、着きました。こんかいは、比較的スムーズでした。そう、あくまで「比較的」です。阪神高速四号湾岸線から降りるばしょを、やっぱり間違えました。「道なりに……」なんてナビが言うものですから、二車線の左側を走っていました。そうしたら、そのまま出口になっちゃって。早すぎたんですよ、ここでは。「南港中出口」ではなく、「南港北出入口」を出ちゃったんです。おかげで一般道を、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、「あそこに建物が見える」「あれって船じゃないか」と、右に左にへと……。でも、なんとか着きました。時間は……、15:50です。20分だけの遅れです。もっとも、順調にいけば15:00には着いているかも、というところでしたがね。乗船手つづきをすませて、現在、車にて待機中ですの16:05です。忘れていました、ETC...[ライフ!]ボク、みつけたよ!(十)さあ、着きました。
どうしたことでしよう?先月の10月25日(金)に退院してからというもの、起床時が早いのですよ。就寝時間が早ければ問題はないのですが、入院前と同じく夜更かしがとまりません。午前様がほとんどです。たまに早寝しても、といっても11時半過ぎなのですが、夜中に目覚めてしまって。そうなんです、困ったことに、2時間程度で目覚めてしまったのです。それ以来、午前様となっても、2~3時間程度で夜中に目覚めるようになってきました。高齢者特有の、夜尿というわけではありません。ついでですからトイレに行きますが、ほとんどがチョロチョロで我慢できないほどではありません。困るのは、空腹感です。こんにゃくゼリーでごまかしてきましたが、この4、5日ほど、それだけでは眠れません。とうとう昨夜は、カップラーメンを食してしまいました。けさの血糖値...どうしたことでしょう?
三本のラムネが、ポンポンポンと、音を上げます。シュワーっと、勢いよく泡が吹きでてまいります。ほのかな甘いかおりが鼻先をくすぐります。お店の仕事場にあふれている、あのあまい匂いとはまったくちがったものです。青春まっただ中の乙女たちの、あふれ出る汗のにおいでございました。さっそくにものどに味合わせてやりたいのでございますが、淑女にはそのような、店先でのラッパ飲みなどできるはずもございません。三人同時にかけだして、角をまがったさきの神社にとびこみました。拝殿のかいだんに腰をかけて、三人が一斉に、せーの!と声を上げてラムネのラッパ飲みでございます。勢いよく流しこんだがためにのどをはげしい痛みがおそい、むせてしまいました。でも、その刺激がまたうれしくて、再度ながし込みました。炭酸がのどを通るたびに、ピリリピリリと針...愛の横顔~RE:地獄変~(十四)三本のラムネが
前もって聞かされていた小夜子で、いくどか同席もした。恫喝してくる相手にたいして、五平のたいどは一貫していた。じっと目をつむって相手の話がおわるのを待ち、ひと呼吸おいてから「帰れ!女のいざこざはその場で決着をつけるもんだ。話にならん!」と一喝する。それでも食い下がる相手にたいしては、闇市を取り仕切ったシルクハットで有名な小津親分をちらつかせてだまらせた。しかし今回ばかりは勝手がちがった。相手もさるもので、女同伴としたのだ、泣き落としをはかってきた。しかも、小夜子ひとりだ。おなみだ頂戴の話をかたらせた。「お腹にややができたんですけど」と、驚きのことばがでてきた。さすがにこれには小夜子も動揺をかくせない。「それって、武蔵は知ってたの?いつだったかしら、あなたとは」嫁ぐまえの話ならば小夜子もなっとくする。しかし万...水たまりの中の青空~第三部~(四百四十八)
星の輝きが霧に閉ざされ時の流れも止まった中ぼくは君と歩いているそれだけで幸せなぼくけれど君は不満たらたら……手をつないで!抱きしめて!キスして!様々に君はせがんでくる触れ合うものは心だけでいい肌の触れ合いが永遠を約束してくれるわけじゃない君にガラスのドレスを着せたいガラスの帽子にそしてガラスの靴も弱い月明かりでもきっと七色に輝くだろうそんなのイヤ!靴ズレしちゃう!どうして君は夢に酔えないの?どうして桃源に入ってくれないの?=背景と解説=まあ、妄想の世界に入り込んだのでしょう。夢想と現実の区別がつかないーつけたくない、が正解かもー精神状態じゃないですかね。ふれあうことを求めているのは、多分男のわたしだったと思うんですよ。だけどそれを拒否されるんじゃんないか、そんな不安な気持ちって、男性諸君、男子諸君、君たち...ポエム~黄昏編~(桃源)
[軽い火傷]どうにもぐずついた天気がつづく。ことしの夏は、冷夏だそうだ。秋が早いとか。なんだか天気が、ぼくの感情に左右されるみたいに思える。ま、ぐうぜんの一致だろう。だいたい、天気のことを気にするのは、楽しいとき、若しくは悲しいとき位のものだもんナ。どうやら、先輩の話にすこし誇張はあったものの、半分は当たっていた。やっぱり、物足りないということらしい。ぼくが年下であること、そのために彼女がリードしなければならなかったこと、疲れたということだった。グイグイと引っぱる男性がこのみだということだ。「冷却期間をおきましょう」と言われたが、たぶん駄目だろう。まあしかし、かるい火傷ですみそうだ。しばらくは落ち込むだろうが、そのうち時間がたすけてくれるさ。……だけど、忘れ去るまでのあいだ、どうしたらいい。……とにかく、...小説・二十歳の日記九月八日(曇り)
「ピュルルル、ピュルルル……」玄関先に置いてある電話機の呼び出し音が、けたたましく鳴り出した。電話がかかるとは、珍しいことだ。時計を見ると、もう十時近くを指している。寝坊をしてしまったと、慌ててベッドを出た。もういい加減起きなくてはと、今度は素早くベッドを出た。しつこく鳴り響く電話に出ると、「はい、どちらさん?」と不機嫌に答えた。「あ3、やっと出てくれたね。だめだよ、田中さん。こっちも忙しいんだからさ」こんな失礼な言い方をされては、こちらも黙っていられない。「そちらこそ失礼でしょ!わたし田中じゃありませんから。番号ちがいですよ」「なに言ってるの、田中さん。きのう、女の子が電話したときには、出てくれたじゃないの」と、相手は引きさがらない。「ああ。だったら、やっぱりまちがいだ。わたし、きのうは仕事で留守でした...奇天烈~赤児と銃弾の併存する街~(七)
スピンオフ作品 ~ 名水館女将、光子! ~(二十九)(明水館女将! 光子:五)
そうそう、あの佳枝さんですが、里江さんと入れ替わるような形で巣立って行かれました。お迎えに上がられた女将さんも、精進されての立派なお姿に涙ぐんでおられました。佳枝さんもお世話になった大女将との別れがよほどに辛いらしく、おいおいと折角の化粧が台無しになるほどに大泣きされて、それは大変でございました。大女将のごしどうは、瑞祥苑の女将とは大違いでございまして、それこそ手取り足取りでございました。寝室にしましても同室にされました。そういった意味では、佳枝さんにとってはどうなのでございましょう。「ありがたいですわ、ほんとうに。母の愛情など、わたくしまったく知りません。おばあさまはご存じの気性ですので、婆やまかせといった観でしたから。家庭というものが、わたくしの場合は……」と、涙ぐまれます。それがご本心ならばよろしい...スピンオフ作品~名水館女将、光子!~(二十九)(明水館女将!光子:五)
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いやあ、参っちまいました。「6月に誕生日を迎えられたので、身体検査をしますなんて、月一回の定期検診でいわれました。「体重は……。あらあ、大台ですねえ、80.5kgです」「身長は……。あらあ、縮んじゃいましたねえ、171.3cmです」「あらあ」が、口ぐせの看護師さん。すこし、ショックが和らぎましたけど……。でもほんとに、「あらあ」でした、ものの見事に。じつは、もういっちよ!「あらあ……。お腹周り、81cmですねえ。メタボの更新ですねえ……」身体検査
彼は、心のなかを見せない。たにんの侵入を極端にきらう。それゆえか、彼の部屋をおとずれる者はいない。そのくせ彼自身は、ひとの部屋にズカズカと入ってくる。仲間と友人。彼は、区切りをつけている。それが何故なのか?いままで考えもしなかった。が、学友との口論から、それを考えるに至った。町工場での俺は、労働の代価を受け取る。しかし夜学での俺は、支払う側のわけだ。とうぜん、時間の自由があってしかるべきだ。労働中の俺に、自由のないことは理解できる。しかし何故に、授業の選択が許されない?規則だからと、諦めにも似た気持ちになっている。入学時の誓約書は、強制であり交渉事ではなかった。町工場への就職時には、形だけであっても交渉があった。奇天烈~蒼い殺意~人間性(一)
それが9時近くになって、やっと帰ってきた。その時間が麗子には長く感じられ、不安だけが募った。裏通りにあるアパートである。人通りはまるでない。街頭にしても、アパートの階段に設置してある電灯だけだ。しかもまだ修理されていない。あとは、50mほど先にある。しかも、何時になるのかわからない。麗子の心は、恐怖感におそわれていた。いつなんどき暴漢が現れるかもしれない。そのときには誰かの部屋をノックすればいい。いやこのアパートの住人すらあぶない。〝どんな人が住んでいるのか、まるで分からないんだ。素性はもちろん、男か女かもわからない。というより、こんな場所だ。おとこだろうけどね〟男にきいた話だ。といって帰る気にもなれず、途方に暮れていた。そんなときの、男の帰宅だった。ムラムラと、怒りの気持ちと嫉妬心が渦巻いた。で、悪態を...[淫(あふれる想い)]舟のない港(三十四)それが9時近くになって、
話をもどします。まいどまいど、横道にそれてすみません。校舎のうら手に車をまわしたところで、思わず「ああ!」と叫んでしまいました。見覚えのある大木と、その横に土俵が見えました。あれえ……。でも土俵はあっちではなく、こっちの角のはずじゃ……。すみません。あっちやらこっちやらでは、どこなのかわかりませんよね。東西南北の観念がないので。(ナビで調べれば一発でしたね)。車の進行方向の向こうがあっちで、敷地にそって曲がってそしてまたまがってすぐの角で、停車した場所がこっちなんです。土俵のうえに屋根があるんですが、大木の枝がおおいかぶさっています。台風の進路によっては、屋根をおしつぶしませんかねえ。すこし心配です。たしか、相撲が体育の授業にはいっていると聞いた気がします。やせぎすだったわたしは、それがいやでいやでしてね...[ライフ!]ボク、みつけたよ!(四十五)話を戻します。
「山本さん、5番におはいんなさい」当初は聞きまちがいかと思ったが、なんど思い返しても、「おはいんなさい」だった。わたしの前に数人が呼ばれていたが、たしかに「おはいんなさい」だった。なんとも、暖かさを感じさせる呼びかけで、嬉しさを感じたわたしだった。名医だ、瞬間的にそう思った。「良い先生ですよ」が頭で反すうされた。こころがある、なぜか直感的に思った。ドアを開けると背筋がピンと伸びた老医師が、にこやかに迎えてくれた。「はいはい、山本さん。きょうは気分が良さそうだね。うん、良かったよかった。さあさあ、お座んなさい」またしても、「り」ではなく「ん」だった。なんとも、人なつっこい話し方だ。やはりベテラン医師はちがう。なんというか、お医者さま、という雰囲気がある。患者に人気があるのもムリはないと感じた。「ほうほう。山...ドール [お取り扱い注意!](十六)山本さん、5番におはいんなさい
しかしふと不安になった。武蔵のいないいま、だれが「奥さま」と呼んでくれるだろう。「ミタライさん」と呼ばれるのだろうか。御手洗家の主はあるけれども、武蔵はいないけれども、それでもやはり「奥さん」と呼ばれたい。御手洗家の主は、やっぱり武蔵であってほしいと願う小夜子だった。「パッ、パッ、パアー!」。けたたましいクラクションが鳴った。「バカヤロー!」。だれ?だれへの叫び声なの?大勢が立ち止まっている交差点。なのに小夜子は足を止めなかった。赤になっていることに気づかなかった。「ごめんなさい」と、頭をさげる小夜子に「気をつけろ、この有閑マダムが!」と、捨てゼリフをのこして、商用車が行く。やめて、そのことばは。小夜子のもっとも忌み嫌う、有閑マダム。新しい女の対極ともいえる、蔑称ととらえている小夜子。夫の地位そして財力に...水たまりの中の青空~第二部~(四百八十三)
異端の天才ベートーベン「運命」その烈しさに魂が揺さぶられるああ佳きかな佳きかないにしえの旋律(背景と解説)好きなクラシック音楽家のひとりです。他にも好きな楽曲はあるのですが、まずはこの作品をえらんでみました。キモはですねえ、……ないです。強いて言えば、「畏怖」でしょうか。そうだ。初めて聞き入ったクラシックでしたよ。ジャジャジャーン!ジャジャジャーン!jajajajajaja,jajaja~n!CDで、パソコンやら車で聴いています。ポエム~五行歌~クラシック賛歌(ベートーベン)
シゲ子は、その日のうちに長男に問いただした。シゲ子のたしなめるような物言いに萎縮してしまった長男は、口をつぐんでしまった。幼いときから、人に甘えるということのできない長男で、とくに祖母であるシゲ子にたいしては身構えてしまう。シゲ子の長男にたいするぎこちなさが、そうさせてしまっていた。シゲ子のしつような追求にたえきれず「ごめんなさい」と、あやまる長男だった。孝道が「目くじらを立てるほどのことでもないだろうに」と、長男をかばうと「いいんです、食べたことは。でもね、翌日にでも『ありがとう、美味しかった』と、ひと言ぐらいあっても。ほんとに、卑しい子だよ」と、長男を叱りつけてしまった。美味しいサツマイモをほのかに食べさせてやれなかったということ、すこしだけでも残していれば…という、たしょうの罪悪感にもにた感情にとら...[青春群像]にあんちゃん((通夜の席でのことだ。))(十)
彼の頭のなかでは、数多の声がとびかっている。ひとつひとつの言葉は、断定的でしかも独善である。無道徳とはいったい何か?社会いっぱんの道徳は、常識なのか?幾多の矛盾を擁する道徳でもか?住みなれた町の地図は必要か?コンパスまでもか?俺は無道徳か?道徳はどうとく、常識はじょうしき?俺は反道徳だ!では、ニュー道徳を創るべきか?では、それに従えるか?違うぞ!単にスネているだけだ!ニュー道徳は、偽善の産物だ!ホワイトカラー族の目的は?教師とは、如何なる人種か?教える義務と、従わせる権利。学ぶ権利と、従う義務。そして反発する権利。殺す自由、生きる権利。人間を殺すことは罪であり、「家畜類の屠殺は許される」という現実。and,その是非は論外、という現実。食べる自由と権利。断食もまた然り。自然界の法則とは?地球の歴史、人間のれ...奇天烈~蒼い殺意~いち日の過ごし方(五)
「そう、あのむすめね…。あの娘のこと、好きなのね」と、小声で呟いた。いつもの男なら、そのまま聞きながしてしまう。しかし、今夜の男はちがった。このまま無言をとおせば、気性の激しい麗子のことだ。どんなしっぺ返しをくらうやもしれない。それこそ私立探偵をつかってでも、ミドリの特定をしてしまうかもしれない。そして……。考えるだけでもおそろしい。気色ばんで男は言った。「な、なにを言いだ出すんだ。あの人とは何でもない。友人の妹だ。3人での食事の約束だったんだ。友人の都合が悪くなってのことだ。だからふたりだけの食事になっただけだ」「あら、そう。お食事のできるナイトクラブがあるとは、知らなかったわ」服を着おわった麗子は、いつもの麗子に戻っていた。「時間が早かったからだ。ナイトクラブを知らないと言うから、連れて行ったんだ。だ...[淫(あふれる想い)]舟のない港(三十三)そう、あのむすめね…。
そうでした、学校です。当然ながら、まるで違います。当時は木造でしたが、いまはコンクリートの校舎です。正門まえに立ちますが、まるで思い出せません。車をうごかして、裏手にまわることにしました。運動場なんですが、意外にちいさいです。もっと広く大きかった記憶なんですが。敷地に沿ってまがると、せまい道路です。大型の車がきたらすれ違えないかもしれません。学校のフェンスをこするか、相手の車が畑に落ちてしまうか、どちらかでしょうね。いっそのこと一方通行にしてしまえばいいのに、なんて勝手なことを考えてしまいました。そういえば、こんなことがありました。いくつだったか、五十過ぎたころだったと記憶しています。両側が畑のせまい道で、ここではすれ違うことはできません。半分以上を過ぎたところで、中型の車がはいってきました。当然ながらわ...[ライフ!]ボク、みつけたよ!(四十四)そうでした、学校です。
待合の席にすわろうとしたわたしに、通りがかった看護婦が声をかけてきた。この間の入院時に世話をしてくれた看護婦だった。じつに気立ての良い娘で、いつも明るく笑う娘だった。退院するときに「ありがとうね」と声をかけたかったのだが、シフトで会えずだった。「山本さん、ラッキーでしたね」「なんで?」。笑みを返しながら、尋ねてみた。「良い先生ですよ、岩井先生って。いつもは予約だけの先生なんですよ。ね、島田さん」「きょうはね、畑中先生が休みなものだから、急きょピンチヒッターでお願いしたの」「山本さん、ついてるわ」。うんうんと頷きながら、ひとり納得して去って行った。良い先生かどうかは、診察を受けてからだと、あまり期待もせずにいた。しかしこの医師に会ったことで、わたしの人生が一変したと言っても過言ではなかった。ほどなく看護婦に...ドール [お取り扱い注意!](十五)待合の席にすわろうとしたわたしに
感傷的になるかと思っていた小夜子だったが、意外にもサバサバとした気持ちになった。空はあいにくの曇り空なのに、ウキウキとした気分でビルを出た。全員がお見送りをしたいと申し出たが、五平と竹田のふたりが通りで見送った。最敬礼をするふたりに「やめてよ、そんな大げさなことを」と言いつつも、感慨ぶかいものがあった。はじめて会社におとずれたとき、水たまりがあるからと、武蔵にお姫さま抱っこで車からおろされた。大きな歓声と冷やかしの声、また近隣ビルの窓から、なにごとかと覗かれたこともなつかしい。なにからなにまで、なつかしい想い出だ。帰りの車をことわり、ひとり日本橋界隈をねりあるくことにした。そういえば通りをあるいた記憶がない。いつも契約ハイヤーで会社前まで乗りつけた。竹田の送迎もあったわね、と思いだす。〝大層なご身分だった...水たまりの中の青空~第二部~(四百八十二)
茶目っ気モーツァルト「25番ト短調」そのミステリアスな曲調にこころがうち震えるああ佳きかな佳きかないにしえの旋律(背景と解説)好きなクラシック音楽家のひとりです。他にも好きな楽曲はあるのですが、まずはこの作品をえらんでみました。CDで、パソコンやら車で聴いています。ポエム~五行歌~クラシック賛歌(モーツァルト)
翌日のこと。「きのうのお芋さんは美味しかったろう。ばあちゃんもね、おじいさんとおいしく食べたんだよ」ほのかかキョトンとした顔つきで、「きのうはよらずにかえったよ」と、こたえた。誰かが食べたはずなのだ。「ツグオちゃんだったかね」首をふりながら、つづけてこたえた。「にあんちゃんは、ほのかといっしょだったよ」思いもよらぬ返事がかえってきた。「それじゃだれだったんだろうね。ツグオでもないんだね。近所のだれかかしらね」そうことばにしつつも、だれもいない家にはいりこんで、ましてやなにかを食べていくなどありえない。“まさかナガオが…。いやいや、あの子は寄りはしない”と、否定してしまった。「あんちゃんだよ、きっと。夕食、めずらしくすこししか食べなかったから。それに、もしにあんちゃんだったら、きっとぜんぶ食べてたよ。にあん...[青春群像]にあんちゃん((通夜の席でのことだ。))(九)
実はこの1週間、彼は悩んでいる。学友との些細な口論のためだった。さっこん耳にする”フリーセックス”についてだ。まだ青い我々は、真面目に論じあった。勉学上の口論はまるでない我らだが、ことセックスに類するものは好んで論じあう。が、残念ながらお互い言いっ放しで終わってしまう。面白いのは、”革新”そして”保守”と、イデオロギーの立場をお互いに押しつける―なすりつけて終わることだ。革新にしろ保守にしろ、じつの所あまり分かっていないのに。『70年安保』の後遺症といっては失礼か。「アンポ、ハンタイ!」が流行語になっていた頃を、多感な中学時代に我々は過ごした。彼はいま窓際でひざを抱いている。そしてときにそのひざに接吻をしたりして、体のぬくもりを感じている。生きている実感があるという。ときおり、バサバサの髪をかき上げては、...奇天烈~蒼い殺意~いち日の過ごし方(四)
「舟のない港」というタイトルが気に入って書きはじめた作品です。気乗りのしないままにストーリーを重ねて、次第しだいに二人のヒロインたちの心情にとらわれだしました。なかなか女性心理がわからず、キーボードをたたいてはDeleteを押して、またたたいて、また消しての連続です。時間の移動がはげしいためご迷惑をおかけしていますが、一気読みをご希望の方には、4月の初めには[やせっぽちの愛]にてupする予定です。よろしければ、どうぞ。------------麗子が起きるころには、母親はすでに台所にいる。父親もまた、食卓に着いていた。気むずかしい顔つきで、新聞を読みふけっている父親だった。一日のはじまりに家族そろって食卓を囲む。なによりも大切にしている父親だった。夜の食事は父親の仕事しだいではそろうことが難しい。休日にして...[淫(あふれる想い)]舟のない港(三十二)麗子が起きるころには、
吉野ヶ里遺跡公園をあとにして、福岡県柳川市の昭代第一小学校へ向かいました。小学なん年生だったか、低学年には違いありませんが新入生ではなかったはずです。幼稚園児だった頃に伊万里市をはなれて、それからどこに移り住んだか。柳川市?いや待て、もう1ヶ所、どこかの……そうだ!大分県の佐伯市に入ったような……。そこで幼稚園に入る予定だったのが、いまでいう引きこもりになったのか、通ったという記憶がありませんね。それじゃ、佐伯市の小学校に入学した?うーん……。新入学したのはどこの小学校だったのか、まるで記憶がない……。昭代第一小学校まえでお店――駄菓子屋さんだと思っていたら、じっさいは酒屋さんでした。店の横にビールびんやら酒びんが山積みされていました。失礼ながら、小学校の真ん前なんですが。でも、すこしばかりの文具もありま...[ライフ!]ボク、みつけたよ!(四十三)吉野ヶ里遺跡公園をあとにして、
“やれやれ今はやりの自己責任ですか。大丈夫、先生を訴えたりしませんよ”「はい、これで良いですか?」「ほんとにね、生命に危険があるんですよ。考え直しませんか?山本さん」「先生の言うことを聞いた方が良いですよ」なおもしつこく入院を迫ってくる。わたしのことを考えてくれているとは分かるが、イライラしてきた。「今夜ひと晩だけで良いんです。経過をね、観察したいんです」真剣な目で、せまってくる。「お気持ちだけいただいておきます。ほんとにね、もうずいぶんと楽になりましたから」意地の突っぱり合いの様相をていしてきた。しかし意地っ張りということに関しては、わたしの方にいち日の長がある。医師に書面をわたして、看護婦に会釈をして、意気軒昂にベッドをはなれた。あの老婆、わたしと目があったとたんに目をそらしてきた。聞いてはならぬこと...ドール [お取り扱い注意!](十四)やれやれ今はやりの自己責任ですか。
自宅でのこと、その毎日がなくなるのかと思うと、ここで感傷的になった。平日の朝9時、閑静な住宅街にある自宅を出る。日々の暮らしは、もうはじまっている。学童たちのげんきな声は、もう聞こえない。おはようございますと声をかけあう人々にあふれ、「あら、ごめんなさい」と、声をかけあいながら、ほこりっぽい道路に水をまいている。「小夜子おくさま、おはようございます。これからご出勤ですか?」ななめ向かいの佐藤家のよめである道子が声をかけてくる。「おはようございます」と返事をし、かるく会釈する。するととなりの家からあわてて、大西家の姑であるサトが出てくる。「もうこんな時間ですか、行ってらっしゃいませ」わざわざ外に出てこなくとも、と小夜子は思うのだが、女性たちは必ず声をかける。小夜子にあいさつをするが、じつは小夜子ではない。御...水たまりの中の青空~第二部~(四百八十一)
大きく深呼吸をし、ベッドの中から、もそもそと起き出した。カーテンの端からチラリチラリとのぞく、外の景色に目を見やった。その狭く、細長い世界には、ただ一つポプラの木がそびえ立っている。その大きな葉が風に揺れ、ときおり透ける太陽の光ーほんの一瞬だというのに惜しげもなくその光を投げる太陽の光でさえ、眩しく感じられた。「コーヒーとパン、ここに置いておきますので冷めないうちにお食べ下さい。食べ終わりましたら、ここに戻して下さい」言葉と共にドアから流れ出た空気も今では落ち着き払い、部屋は前にもまして深閑としていた。[ブルーの住人]第七章:もう一つの「じゃあず」(三)
その日の昼すぎ、あの三郎が顔を腫れ上がらせて、明水館に転がり込んできた。背広の袖口が破れ、ズボンには泥がこびりついている。泥の乾き具合から見て、まだすこしの時間しか経っていないことが分かる。騒然とした中、光子の指示の元に昨夜三郎が泊まった部屋に運び込まれた。すぐに医者を、と光子の指示かあるものと思っていたが、聞こえたのは驚くものだった。場に居合わせた二人の仲居に対して「他には漏らさぬように」と、厳命してきたのだ。「お客さまのたっての希望です」ということばも付け加えられた。一時間ほど後に、上気した表情の光子が番頭に対して「近江さまをお医者さまに診てもらうことになりましたから」と言い残して、三郎と共に出かけていった。「行ってらっしゃいませ」と声をかけつつも、何かしら違和感のようなものを感じた。旅館に転がり込ん...スピンオフ作品~名水館女将、光子!~(十五)(光子の駆け落ち:三)
その女子は真面目派より一学年下だったが、幸か不幸かふたりと同じバレーボール部だ。ゆえに、放課後にふたりに帯同すれば、ひんぱんに会える。行動派が部活動に熱心なこともあり、ヒネクレ派も必然とがんばっている。そんなふたりを待つという口実のもとに居残りをきめこんでいた。三年ほど前の夏季大会ののちに、理由は分からないが部員ゼロとなってしまった。そして今年までの三年間、廃部となっていた。そんな男子バレーボール部を、行動派が復活させたのだ。気乗りのしないヒネクレ派をムリヤり入部させ、ほかに数人の幽霊部員を仕立て上げた。大会ごとに集合して、試合前のわずかな時間だけ練習をする。そして作戦も何もなく、むろんコーチもいない。どころか、役割すらあいまいだ。皆がみなアタッカーであり、やむなくレシーバーやらセッターにもなる。正直、勝...原木【Takeitfast!】(九)初恋
とうとう、結婚式の前夜がやって参りました。式の日が近づくにつれ平静さをとりもどしつつあったわたくしは、暖かく送りだしてやろうという気持ちになっていました。が、いざ前夜になりますと、どうしてもフッ切れないのでございます。いっそのこと、あの合宿時のいまわしい事件を相手につげて、破談にもちこもうかとも考えはじめました。いえ、考えるだけでなく、受話器を手に持ちもしました。ハハハ、勇気がございません。娘の悲しむ顔が浮かんで、どうにもなりません。そのまま、受話器を下ろしてしまいました。妻は、ひとりで張り切っております。ひとりっ子の娘でございます。最初でさいごのことでございます。一世一代の晴れ舞台にと、いそがしく動きまわっております。わたくしはといえば、何をするでもなく、ただただ家の中をグルグルと歩きまわっては、妻にた...愛の横顔~地獄変~(二十一)式前夜:前
「けどもこんどは、本場で聞こうな。アメリカに行って、アナスターシアだったか?お墓参りをすませてから、ラスベガスに寄ろう。な、なあ。それで機嫌を直してくれよ」涙があふれ出した。揺り起こそうかとも思った小夜子だったが、いまはこのまま夢のなかの小夜子でいいかと思いなおした。「小夜子。俺ほど小夜子を知っているものはいないぞ。頭の髪の毛一本から足のつま先でも、俺は小夜子を当てられる。はらわたの一つひとつまで知っている。肺も心臓も、胃袋だって知っている。きれいだぞ、とっても」ふーっと大きく息を吐いて、カッと目を見開いた。起きたのかと思いきや、またすぐに目を閉じてしまった。「おおおお、ステーキを食べたな?いま胃をとおって、腸にはいった。栄養素に分化されて、肝臓やら腎臓にとどけられるんだ。そしてそのカスが便となって外に出...水たまりの中の青空~第二部~(四百三十二)
時の流れは今川となりました銀の皿は流れるのですその上に空を乗せたままその夜空は消えましたその朝には太陽が消えました(背景と解説)女友だちとの間が冷え切っていたという時期ではないのです。二股交際という言葉がありますが、わたしの場合は殆ど重なりません。不思議なのですが、ある女性との付き合いが疎遠になると、新たな出会いがあるのです。浮気ぐせ、とも違います。そりゃ、血気盛んな青年時代ですから、色んな女性に目が動くことはあったと思います。でも、この年になって色々思い直して-己を見つめ直してみると、一番の原因は、自分に自信が持てなかったのだと思います。短期間ならば薄っぺらい自分を隠せますからね。当時の連絡手段と言えば、固定電話か手紙ぐらいのものでした。手紙は、正直言ってお手のものでしたから。話を戻します。この詩は、自...ポエム焦燥編(朝、太陽が消えた)
時計の針は、二時半をさしている。貴子の希望で、南麓の岩戸公園口におりることになった。こちらの道は彼にもはじめてだった。こちら側の眼下にはビル群はすくなく、二階建ての個人宅がおおく見うけられた。国道ぞいに車のディーラーやら銀行、そして飲食店がチラホラとあるだけだった。すこし行くと、小ぢんまりとした台地があった。貴子の提案で、時間も早いし腹ごなしもかねて散歩でもということになった。彼に異はなく、真理子もまたすぐに賛成した。外にでた貴子が大きく深呼吸すると、真理子もならんで、大きく空気を吸いこんだ。とその時、強い風がふき、ふたりの体が大きく揺らいだ。とっさに真理子の背を抱くようにし、片方の手で貴子の腕をしっかりとつかんだ。悲鳴にもちかい声を出した真理子だったが、強風に驚いた声だったのか、彼の対応におどろいての声...青春群像ごめんね……えそらごと(三十)
訝しげに見る目を気にしつつ、付け足した。「目が、痛いんだ!」言葉が空を横切った途端、“嘘だ!”と、心が叫んでいた。そう、心が叫ぶまでもなく脳は刺激され、サングラスのない世界の恐ろしさが瞼の裏に醸し出された。そこによぎる全てが眩しいものだった。“信じられないんです”ある時、目に見えぬ何ものかに向かってそう叫んだ時、また心は叫んでいた。“嘘だ!”決して言葉のせいではなく、といって“信じなさい、信じることが唯一の道です”という言葉をはねつけたせいでもない。[ブルーの住人]第七章:もう一つの「じゃあず」(二)
日一日と、光子への周りの視線が変わってきた。子をうしなった母親という憐憫の視線がしだいに、子を産まぬ女という蔑視さえ感じるようになった。そもそもが清子を産んだあとに、二子、三子を産もうとする気配のないことに疑念が持たれていた。そして清子の死という事態をむかえて、導火線に火がついた。光子の年齢からしてためらう必要などなにもないはずなのだから、もうそろそろおめでたの話が出ても……と、口の端にのりはじめた。折に触れてかばってくれた珠恵からも、ことばには出さないが「もうそろそろ」という声が聞こえてくる気がしている光子だった。合原家という家系を考えたとき、光子は言わずもがなで、清二もまた妾の息子ということで他所者として扱われている。ふたりの間にまた娘が産まれたとして、女将を継ぐだろう事は想像にかたくない。しかしそれ...スピンオフ作品~名水館女将、光子!~(十四)(光子の駆け落ち:二)
行動派にもヒネクレ派にも、ガールフレンドがいる。しかし、真面目派にはいない。ふたりに比べると、ハンサムである。成績にしても、当然ながらトップグループにいる。しかし、女子からも敬遠されている。モテていいはずなのだが、作者だけの思いこみだろうか?もっとも、その原因は性格にあるのだろう。なにせ、内向的だし、おとなしい。そんな真面目派のきょうのの発言は、わたしもまた驚かされた。はじめてのことだ。もっとも、当の本人がいちばんん驚いていはいるが。そんな真面目派が、最近だれかに恋をしたらしい。いや、いままでも“いいなあ”とも思える女子生徒がいるにはいた。ただ憧れに近い気分を抱いていることが多かったし、それよりなにより、彼氏がいた。が、今回は違うようだ。“恋している”という、実感があるらしい。夜、ひとりになると、その女子...原木【Takeitfast!】(八)“キュン!”
その翌日、もちろん娘をまともに見られるわけがありません。その翌日も、そしてまたその次の日も……、わたくしは娘を避けました。しかし、そんなわたくしの気持ちも知らず、娘はなにくれと世話をやいてくれます。そしてそうこうしている内に、結納もすみ、式のひどりも一ヶ月後と近づきました。娘としては、嫁ぐまえのさいごの親孝行のつもりの、世話やきなのでございましょう。私の布団の上げ下げやら、下着の洗濯やら、そして又、服の見立て迄もしてくれました。妻は、そういった娘を微笑ましく見ていたようでございます。なにも知らぬ妻も、哀れではあります。しかしわたくしにとっては、感謝のこころどころか苦痛なのでございます。耐えられない事でございました。いちじは、本気になって自殺も考えました。が、娘の「お父さん、長生きしてね!」のことばに、鈍っ...愛の横顔~地獄変~(二十)陵辱
「小夜子。おまえは、ヴァイオリンだ」突然に己のことをふられて、なんと答えれば良いのか窮してしまった。しかし武蔵はお構いなしにことばをつづけた。「おまえは、ビッグバンドの、いやオーケストラのといっても良い、ヴァイオリンなんだよ。そこにいるだけで、あるだけで、光を放っている。華やかな、存在だ。誰もがひれ伏す存在だ。いや、ヴァイオリンがなければ成り立たない」あまりの褒めことばは、小夜子には面はゆい。「やめてよ、もう。どうしたの、今日の武蔵は。熱でもあるんじゃない?」といって、熱に浮かされている節もない。心底からのことばに聞こえる。目を見ればわかる。しっかりとした瞳がそこにあり、そしてしっかりと小夜子を見ている。まるですぐにも居なくなってしまう小夜子を見忘れないようにと、しっかりとめにやきつけようとしているかのご...水たまりの中の青空~第二部~(四百三十一)
ある冬の街角で……、そう、少し雪の散らつく寒い夜のこと。ダウンジャケットのポケットに迄、冷たさが忍び込んできた。路面がうっすらと雪の化粧をし、街灯の灯りで眩しい。ひっそりとして、明かりの消えたビルの前を、ポケットの中の小銭をちゃらつかせながら歩いていた。とその時、後ろから恐ろしく気味の悪いーかすれた、腹からしぼり出すような声がする。”だめだ!左はだめだ。右に、行くんだ!”どぎまぎしながらも後ろを振り向いた。全身が血だらけで、片腕のちぎれかけた男が、呼び止める。生々しいタイヤの跡が、顔面に刻み込まれている。その男、確かにどこかで見たような気がする。が、あまりの形相に思わず目をそむけた。そのまま逃げ出し、左へ折れた。そう。男の言う、行ってはならない左へ行った。と、ふと思い出す。血だらけの男の居た場所は、雪が白...ポエム~焦燥編~(右に、行け!)
五月日ざしは肌に悪いからという貴子のことばで、山肌の木陰で食事をとることになった。「三角おにぎりのつもりなんですけど……」と、真理子がはじめて握ったというおにぎりが出された。「形が悪くてごめんなさい」というそれは、すこしいびつな丸っこい形をしていた。「お味はどう?」と問いかけられ、「うまい!」となんども叫ぶように言いながらぱくついた。満足げに頷く彼にうながされて、ふたりも頬ばった。とたん「塩辛い!」と、目を白黒させながら声をそろえて言った。「ちょうど良いって」という彼の必死のことばに、真理子の警戒心がとれてきた。会社ではぶっきらぼうな態度をとる彼だが、それが照れ隠しによるものなのだと知り、そんな彼に親近感を覚えた。(やっぱり、九州男児なのよね)再確認する真理子だった。そして彼を、故郷にいる兄にダブらせた。...青春群像ごめんね……えそらごと(二十九)
部屋の照明は落としたまま、ベッドぎわの灯りだけを点けた。上向きの灯りは、うす暗くはあったが落ち着いた雰囲気で、気持ちも和やかになってくる。ふとんの中に入れと、小夜子を迎え入れた。しわになりにくい素地の服だということで、小夜子も久しぶりに武蔵に触れられるとウキウキしてくる。しかし武蔵の体を感じたとたん、あまりの痩身ぶりに驚かされた。たしかに腕にしろ足にしろ、細くなっていることは見ていた。が、直接に小夜子の体全体で感じる物とは異質のものだった。“こんなに痩せ細ってるの?ううん、だいじょうぶ。退院したらしっかりと栄養を摂らせるから”小夜子のそんな思いを推し量ってか、「小夜子。病院食ってのは、精進料理そのものだな。まるで脂っ気がないぞ。ああ、中華そば食いたい、ステーキもがっつりといきたいぞ」と、両手を合わせてお願...水たまりの中の青空~第三部~(四百二十九)
海はいつか日暮れてぼくの胸に恋の剣を刺したままその波間に消えた追いかけてもきみは見えない白い闇が迫りくるだけ恋はいつか消えてぼくの胸に涙の粒を残したままその波間に消えていった追いかけてもきみは見えない白い闇が迫りくるだけ昨日も今日もそして明日も夏の渚に立ってきみを探してもあの日のきみはいないあの日のきみはもういない遥かな海………どこまでもどこまでも果てしなく……が、その海もまた…………限りない空……どこまでもどこまでも広がり続く……が、その空もまた…………水平線では、空と海が一つになるなのに………きみとぼくは追いかけても追いかけても水平線はどこまでも果てしなく広がり続ける……わからないわからない追いかけるほどわからない……(背景と解説)彼女が逃げていくわけではないのです。自分の想いと彼女の思惑がずれている...ポエム~焦燥編~(太陽の詩(うた))
(不良だって、俺が?)しかしつらつらと考えてみるに、そう思われるのが当たり前のような気がしてきた。ポマードをしっかり使って、エルビス・プレスリーばりのリーゼントスタイルに髪を整えている。普段は不良っぽさを意識した言葉遣いで話しているし、口ずさむ歌と言えばロックンロール系が多かった。「日ごろの行いって大事なんだよね」そうつぶやく岩田の顔が突如浮かんだ。「年寄りみたいなこと言うなよ」と反論したものの、確かに損をしていると感じる彼だった。同じようなミスをしても、岩田なら仕方ないさとかばわれ、彼のミスには「集中心が足りない」と、小言になる。(不良だと思っているんだ、やっぱり。仕方ないか。不良まがいの日ごろの態度では)と、じくじたる思いが湧いてきた。写真で見た断崖絶壁の縁に立たされたような思いに囚われている彼に、貴...青春群像ごめんね……えそらごと(二十七)
(五)視線その他には、ぐるりと見回しても、とりたてて言うほどのものはない。強いて言うなら、紺いろにいろどられた扉があることか。小さなのぞき窓があり、ときおり神のような冷たい視線がそこから投げつけられる。しかしそれが、どうだと言うのか。冷たい視線など、どれ程のものと言うのか。忘れたころに訪れる、女よ。いくらでも泣くが良い。たとえそれで体中がびしょ濡れになってとしても、それがなんだと言うのだ。ただ無視すれば良いだけのこと。そんなことに気を取られるほどに、暇人ではない。このこころは、深遠な世界にあるのだ。知りたければ、……。はいってくるが良い。そっと足音を忍ばせて、のぞき込めば良い。ごっちんこをすればいい、ドアはいつも開けてあるのだから。窓の外にはポプラがそびえ立ち、その葉をすける太陽の光、そして遙かかなたにか...[ブルーの住人]第六章:蒼い部屋~じゃあーず~
(十一)(周囲の目:二)無事出産を終えて明水館に戻ったとき、大女将の珠恵を始め、番頭に板長そして仲居頭の豊子たちの出迎えを受けた。然も、玄関口でだ。初めてのことだった、これほどの人に笑顔で出迎えられるのは。思わず後ずさりをした。娘だけを取り上げられて、光子はそのまま叩き出されるのではないか、そんな思いにとらえられていた。「お帰りなさい、若女将!」。「お帰り。さあさあ早く入りなさい、奥の部屋で休むと良いわ」。珠恵の優しい言葉は心底のもので、温かい慈愛が感じられるものだった。そしてそのことばで、やっと光子はこの合原家の一員となったことを実感した。それは突然のことだった。珠恵がお使いから帰ったところを見た清子が「おばあちゃま、おかえりなさい!」と、通りの向かい側に飛び出した。急ブレーキ音とともに、ドン!という音...スピンオフ作品~名水館女将、光子!~
行動派が言う。「誰も反対しないようだ。委員長、やってくれ。時間が勿体ない」眼鏡をかけたやせっぽちの男が、渋々と立つ。と、あろうことか「待ってください。みんながそれでいいと言うのなら僕もそうしますが、僕としては、自習とした方がいいと思います。第一、先生も居ないことだし。それに、あと二十分足らずの時間です。討論の時間には少ないと思います。風紀については、重要なことですから、誰かが調査して、その結果を元に討論してはどうでしょうか」と、小声ながらも、はっきりと胸を張って、真面目派が言った。クラス内に、割れんばかりの拍手が起こった。真面目派は、“ドクン・ドクン”という心臓音を耳にしながら、真っ赤になっていた。さすがの行動派も、いつも連れ立っている仲間の一人に反対されては、反論のしようがなかった。「それでは、俺とあと...原木【Takeitfast!】(五)意外なこと