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:〔続〕ウサギの日記 https://blog.goo.ne.jp/john-1939

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開

:〔続〕ウサギの日記
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2014/10/09

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  • ★ 映画『殉教血史 日本二十六聖人』 と ヘルマン・ホイヴェルス神父

    ~~~~~~~~~~~~~~~~映画『殉教血史日本二十六聖人』ーわれ世に勝てりーとヘルマン・ホイヴェルス神父~~~~~~~~~~~~~~~~~―1930年代前半期の日本カトリック教会の文化事業―手元には、昨年7月15日に亡くなられた平山高明司教様から私に託された一枚のDVDがある。題は、映画『殉教血史日本二十六聖人』(以下、『26聖人』)で、1931年に公開されたこのサイレント(無声)映画は、満州事変前後の時期における日本のカトリック教会の微妙で困難な状況と深く関連している。時あたかも、日本は軍国主義化、ファシズム化の一途をたどっていた。日本のカトリック教会(のみならずキリスト教全体)が敵性国の宗教として迫害され、信者が非国民扱いされる危険を回避するために、キリスト教徒は日本の美徳である「主君に対する殉死...★映画『殉教血史日本二十六聖人』とヘルマン・ホイヴェルス神父

  • ★ 第47回「ホイヴェルス師を偲ぶ会」のお知らせ

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第47回「ホイヴェルス師を偲ぶ会」のお知らせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ホイヴェルス神父様の47回目の「偲ぶ会」(追悼ミサ)の日が近づいてきました。私がお世話役を引き継いでから、早いもので7回目を迎えます。コロナ禍の間は、日本全国でほとんどの催し物が中止を余儀なくされた中、不思議なことに、この「偲ぶ会」だけは休むことなく続けられ、昨年は50名を超える方々が参加され盛況を呈しました。神様の不思議なお計らいだったと思います。1977年に亡くなられたホイヴェルス師の生前を知る人は84歳の私の世代がおそらく最後ですから、直接師の薫陶を受けた人の多くはすでに帰天されています。生誕から数えれば134年になる一人の宣教師の追悼ミサが、半世紀近く毎年絶えることな...★第47回「ホイヴェルス師を偲ぶ会」のお知らせ

  • ★ 菩提樹 西野ふるさと、東のふるさと 私はなぜマカオに行ったのか(そのー3)

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~菩提樹西のふるさと、東のふるさと私はなぜマカオに行ったのか(その-3)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~まず、今までの続き具合を思いだすために、話を少し巻き戻そう。私がローマから帰国したとき、高松の神学校はまだ貸ビル住まいで、毎月家賃分ほどの赤字を垂れ流していた。それが司教や支援者たちのヘソクリで補填できる限界を超えて教区の財政を圧迫し始めるのは時間の問題だった。教区の会計主任になったばかりの私は、このままでは深堀司教が定年で引退すれば、その後に誰が司教になっても、赤字神学校の維持は無理と判断して、必ず閉鎖すると読んだ。日本中の司教たちも一様に、ドン・キホーテ司教の分不相応な「夢想」に始まったこの神学校は、放置しておいてもやがて自滅するのは必定で、全く相手にするに...★菩提樹西野ふるさと、東のふるさと私はなぜマカオに行ったのか(そのー3)

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