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大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」 https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
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2014/09/26

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  • 性差医療について

    昨日はさすがに少し疲れたので、すぐに寝る。午後も、ぼんやりとビデオを見ていたら、人間の病気の性差の特番だった。これは、20年前に脳梗塞で倒れた時、気づいたことだった。男は左麻痺、女性は右麻痺なのだ。もちろん、男で右麻痺、女で左麻痺はいるが、大体70から80%は、男は左、女は右マヒなのである。それは、食事のとき、男女一緒の部屋で取ったので、すぐに分かったことなのだ。さらに、不思議なのは、脳のくも膜下出血は、圧倒的に女性に多く、それも年齢には関係ないということだった。女性で、20代くらいの患者の方がいて、車いすに赤ん坊の写真を付けているので、なぜかなと思っていた。ある時、夫とみられる男性が見舞いに来たが、やはり非常に若い人だったのであり、くも膜下出血は、女性でも年齢に関係なく起きる病気なのだ。また、男女のホル...性差医療について

  • スーダンのミュージシャンも出た

    内戦が報じられているスーダンだが、ウォーマッド横浜にスーダンのミュージシャンも出たことを思い出した。ヌビア出身で、エジプトの奥地、スーダンともいえるあたりだろう。1994年で、アリ・ハッサーン・クバーンで、苦虫を嚙み潰したようなお爺さんで、かなり渋い声だったが、迫力はあった。苦い顔つきだったのは、胃の病気だったからだそうで、確か数年後の亡くなられたそうだ。ご冥福をお祈りしたい。スーダンのミュージシャンも出た

  • BMWのオートバイ

    以前、パシフィコ横浜にいるとき、休日だったと思うが、何かの用で、横浜市役所前にあった会社に行くと、某大企業から来ていたNさんが、さっそうと大型バイクを止めて降り立った。「これはなんですか」と聞くと、「BMWだよ」と言われる。「BMWって、バイクも作っているのですか」「もともとBMWは、4輪よりも、バイクの方が先なんだよ」と言ってどこかにツーリングへと去って行かれたのだ。やあ、カッコいいなあと思った。BMWのオートバイ

  • 品川駅港南口

    昨日は、用があって品川駅の港南口に行ったが、大変な混雑だった。ここは、昔は、本当になにもなく、東京都の食肉市場、東京新聞本社、そして本の少し、新宿西口のような飲食店街があるだけだった。なにしろ、ここに出るには、長くて細い地下道があるだけで、ここの暗い地下道は、多くの映画で使用されたくらいだ。そして、これを抜けて海岸に行くと東京水産大学がある、というだけの地域だった。それが、今や高層ビル街になっていて、そんな昔など何も知らない若者が群れ集っていた。おそらく、山手線の駅で、一番変化した駅の出入り口だと思う。品川駅港南口

  • 「最高です!」しか知らないのかっ!

    プロ野球が好きだが、テレビで見ていて、インタビューに答えると、皆「最高です!」としか言わない。巨人の阿部が言ったのが最初だと思うが、他に言うことがないのか。高校野球で、きちんと教育すべきと思うのは、私だけだろうか。「最高です!」しか知らないのかっ!

  • 横浜市議選挙でも、公明党議員が落ちたことがある

    今日の新聞に、公明党の議員が、全国で12人も落ちたと出ていて、前代未聞だとある。だが、私が記憶しているところでは、1974年の選挙の時に、旭区で山本議員が、2011年の時に、金沢区で木村議員が落選している。たしかに、公明党は、票割ができる党で、私が今いる南区では、一時だが、公明党議員が2人いたことがある。男性の3期目のE議員と1期のK議員で、次の時から定数が減となるので、K議員を下して、E議員だけにしたのだ。この時、大久保英太郎議長は、Kさんを下した経緯を説明してくれた。Kさんは、実は女性だったので、この人の方が優秀だったが、議員を辞めても主婦に戻ればよいので、このKさんを下してE議員を残したのだそうだ。逆にすると、Eさんの生活の面倒を公明党が見なくてはいけないからだとのこと。さて、二度の公明党議員が落選...横浜市議選挙でも、公明党議員が落ちたことがある

  • ハリー・べラフォンテ死去、96歳

    『バナバ・ボート』で有名な歌手のべラフォンテが亡くなったが、音楽評論家の中村とうようさんが、最初にレコードの解説を書いたのが、このべラフォンテのライブアルバムだったそうだ。「神棚に上げておかなくてはいけないんだ」とも言っていた。そして、彼が来日したとき、その司会をしたが、彼は「公演の収益を、日本で民族音楽を研究している団体に寄付したい」というので、東洋音楽学会に行き、寄付した。当時、東洋音楽学会の会長は、『茶っ切り節』の作詞者の町田嘉章さんで、昔からの民謡ではなくて、これは静岡電鉄のCMソングなのである。町田さんは、全国各地を携帯録音機を担いで歩き、民謡を録音したのだそうだ。携帯録音機とは、今の携帯電話機のように小さなものではなく、大変に大きなもので、肩から下げて担いで使ったものである。写真のは、テープレ...ハリー・べラフォンテ死去、96歳

  • 「1か月くらいかかった」そうだ 『日本の夜と霧』

    日曜日の劇研同窓会で、長谷部朝子さんに、大島渚の『日本の夜と霧』のことについてお話を聞く。この時は、準備から撮影まで、約1か月くらい、大船に通ったとのこと。そのことは、大島の本にも、「劇研の人から意見を聞いた」と書かれている。この大島らと劇研の間を結んだのは、横堀幸司さんで、彼はその後、松竹の助監督になられた。彼は、大島ではなく「木下恵介、命」なのだが、渋谷実監督の助監督もやったそうだ。いずれお話を聞きたいと思っている。「1か月くらいかかった」そうだ『日本の夜と霧』

  • 神奈川新聞に掲載

    今日の神奈川新聞に本とトークイベントのことが掲載される。また、先日、朝日新聞に出た広告についても言われる。「何百万もしたんでしょうね」そんなものではないのだが、意外にも朝日新聞は、読者が多いのだなと思う。いずれにしても、4月29日のパシフィコ横浜でのトークイベントには、多くの方にお見えいただきたい。「残すのが役目」というのは、2011年に中村とうようさん、2014年に田村光男と、ウォーマッド横浜日本委員会顧問・中村と、製作会社・田村光男の二人が亡くなられていて、生きているのは私一人だからである。神奈川新聞に掲載

  • 奈良岡朋子、死去

    民藝の女優、奈良岡朋子追悼の特別号が来た。別に大したことではなく、「民藝の仲間の会」に入っているからなのだ。かって、日本の劇団で、一番の後援会を持っていたのは、俳優座だった。ところが、市原悦子さんの夫の塩見哲の暴挙によって、それは俳優座制作センターにされてしまい、実質的に解消したようだ。実にバカバカしいことだが、長年塩見哲に大きな芝居の演出をやらせなかった千田是也への「復讐」だったようだ。だが、その千田の塩見への見方は正しかった。千田の死後、塩見は、市原悦子の主演で、2004年に石川淳原作の『狂風記』を脚本・演出したが、世にもひどい、30年遅れのアングラ劇で、私も唖然としたものだ。以後、市原悦子は、自分の音楽劇以外の演出を塩見にはさせなかったのは、彼女の愛情だろう。実に賢明な判断だったと言えるだろう。対し...奈良岡朋子、死去

  • 「われわれは、自由舞台のような共産党劇団ではないのだ」

    昨日の昼は、高田馬場に行き、「早大劇研同窓の集い」に出る。23人で、なんと私が一番下で、最高学年の羽根井明夫さんは、昭和28年入学であり、その次が、元NHKアナウンサーで、副会長にもなられた永井多恵子さん。彼女は、世田谷パブリックシアター館長も辞められて、国際演劇協会の日本代表をされているとのこと。各自の話が披露されるが、「あの公演のとき、誰かがどうして、俺はこうした」と言った話が多く、そもそもその公演を見ていない我々には想像もしようがない。日頃、懐旧談ができないのだろうなあ、皆さんにブログをすることをお勧めしたいと思った。演目は、『蟹工船』『るつぼ』『秩父困民党』『風浪』などと、やや左翼的なものが多いので、「やはり共産党的だったのですか?」とある方に聞くと、即座に「自由舞台のような共産党劇団じゃないんだ...「われわれは、自由舞台のような共産党劇団ではないのだ」

  • 村上の投球を見る

    昨日の午後は、中日・阪神で、阪神の村上投手の投球を見る。驚くほど速い球ではないが、非常にコントロールがよく、変化球もよく決まっている。やはり、投手はコントロールだと思った。これで、連敗は2で止まる。村上と才気の二人で、今年の阪神はなんとかなると思える。いよいよ岡田の言う「あれ」になるだろう。村上の投球を見る

  • 小山台高校、永見先生

    先日は、日本史の荒久保先生について書いたが、もう一人好きだったのが、物理の永見先生だった。この方は、元は戦闘機に乗っていたという人で、片肺がなくて、いつも咳き込んでいたが、話は非常に面白かった。得意の分野は、戦争の戦法で、アレキサンダー大王から、ナポレオン、さらにノモンハン戦と古代から近代に至る戦争のやり方の説明と批評なのだ。一番は、日本軍とソ連軍のノモンハンでの空中戦のことで、戦闘機は回転半径小ささと速度で決まるのだそうで、上空でぐるぐると旋回していたら、半径が小さくて速度が速い方が、いつか必ず相手の後ろに入ってしまうもので、ソ連木は、日本軍の97式戦闘機の敵ではなかった。そこで、ソ連は戦法を変え、97式とはあまり戦わず、なるべき上空で待機して、来たら戦うが、すぐに逃げるという「一撃離脱法」を編み出して...小山台高校、永見先生

  • 遺書ではありません

    私が出した「ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェスバル』を読んでくれたある人から、「これは遺書なのではないか・・・」と感じたと言われた。もちろん、まだ死ぬ気はないので、あれは遺書ではない。まあ、若い人への「遺言」の意味は少々あったのではあったが。日本の音楽業界への名刺代わりだと言えばよいだろうか。そんなものである。遺書ではありません

  • 一昨日の口論

    一昨日、国立映画アーカイブで『太陽の墓場』を見ているとき、前の席で口論が二回あった。要は、見ながら眠っていて、いびきが煩いと若い男が、隣の年上の男に言っていて、言われた方も反論していた。だが、私は、一番悪いのは、映画『太陽の墓場』だと思ったのだ。監督の大島渚は、あるBSの番組で、師匠の大庭秀雄監督の言に触れていた。それは、大島の先輩助監督が、監督に昇進するときのことで、大島は「彼は良い監督になるでしょうかね」と聞いたのだ。すると、大庭監督は、こう言った。「そんなことはない。彼は、家に来ても、玄関先の挨拶すらできない男なんだから」そして、大島は、映画作りも、玄関先の挨拶と同じで、まず全体を説明する、そして導入から展開へと導き、ドラマを盛り上げる。こうしたことは、その人間の生き方と同じなのだとのこと。その点で...一昨日の口論

  • ANAにはなっていないのだ

    映画『憎いあんちくしょう』の最後、熊本の無医村に、石原裕次郎と浅丘ルリ子が、芦川いづみが持つジープを運んで、そこにいる小池朝雄と2年ぶりに会う。芦川は、テレビ局員長門裕之の手配したヘリコプターで降りてくる。西日本空輸だった。これは、現在のANAになったのかと調べると、合併してはいず、今ではドクターヘリ等の会社として存続しているそうだ。ANAにはなっていないのだ

  • 最初に食べた麻婆豆腐など

    今日は、「四川料理の日」なのだそうで、四川料理と言えば、一番有名なのは麻婆豆腐だろう。私が、最初に食べたのは、大学2年のときで、有楽町の広告代理店に勤務していた島村さんの会社でアルバイトをしていたときだった。昼休みに、錦江飯店で食べたのが、麻婆豆腐で、一皿に麻婆と御飯が盛られたもので、800円だったと思う。当時としては、非常に高いものだったが、アルバイトの気楽さで食べていたと思う。先輩の手島さんもいたのだが、彼も、もういない。その際には、東宝ツインタワービルで、黒澤明を見かけたこともあった。映画『トラ、トラ、トラ』のシナリオを書いている時期で、まだ意気軒高とした姿で、両脇に男をまるで、家来のように従えて歩いていた。「やあ、背が高いなあ」と思ったものだ。この年の12月末に、黒澤は、20世紀フォックスから監督...最初に食べた麻婆豆腐など

  • 『太陽の墓場』

    普通、論争的に思われる大島渚だが、意外にも表現は抒情的である。この映画を映画館で見るのは、高校時代に池袋の人生座で見て以来で、20年くらい前にビデオで見て、この1960年の大阪市は、ほとんどアジアだなあと感じた。その彼の抒情性が良く出ているのが、この映画で、その延長線上に『日本春歌考』もある。ここでは、大阪西成地区釜ヶ崎の、若いヤクザたちの「青春」を描いていて、津川雅彦、川津祐介らの組に、佐々木功と友人の中原が入ってきて起こすドラマである。もう一つあるのが、釜ヶ崎の最底辺の連中で、彼らから血を取って、商売しているのが若い娘の炎加代子と元衛生兵の浜村純で、伴淳三郎の土地のバラックに住むバタヤたちで、左朴善、渡辺文雄、永井一郎、藤原釜足、田中邦衛、北林谷栄らで、そこに佐藤慶らが絡んでいるさらに、小沢栄太郎の扮...『太陽の墓場』

  • 文学青年としての石原裕次郎 『憎いあンちくしょう』

    どこかの本で読んだが、石原裕次郎は、福永武彦などが好きな文学青年だったらしい。兄・石原慎太郎が、小説家なのだから頷ける話だ。『憎いあンちくしょう』は、私は大好きな映画で、たぶん5回くらい見ている。今回、午前中は何もすることがなかったので見るが、やはり面白く、裕次郎が文学青年的であることがよく分かった。テレビやラジオの人気タレントの裕次郎の北大作と、マネージャー榊田典子の浅丘ルリ子の話である。自分たちを恋人同士と思っている典子は、ある日、大作に聞く、「今日は何の日・・・」「昨日の続きさ」これは、明らかにこの映画が、当時ラジオ関東で人気の番組だった『昨日の続き』をヒントにしていることをあらわしていて、北大作のモデルは、なんと永六輔なのだ。永六輔は、マス・コミの人気者だったが、当時日活の撮影所にもよく出入りして...文学青年としての石原裕次郎『憎いあンちくしょう』

  • やはり岡本坦さんだった

    今回出した『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』で、書けなかったことの一つが、「なぜパシフィコ横浜を株式会社として作ったのか」だった。これは、当時担当課長だった宇野さんにお聞きしようと思っていたのだが、ご都合がつかずに駄目で、その後に亡くなられてしまった。宇野さんの下にいた戸塚係長とも連絡が取れずに上手く行かなった。そこで、本の中では、会社の問題は触れずにおいた。先日、当時のみなとみらいの国際会議場担当にいた白井君に聞くことにした。彼は、1986年に唯一の横浜市職員で「国際会議場担当」に発令された人なのだ。ある日、白井さんらのところに、新たに管理職として岡本部長、宇野課長が人事異動で来た。そして、白井さんたちは、国際会議場の組織体について、報告した。公設民営など、多くのケースを報告する...やはり岡本坦さんだった

  • 岡田監督の判断は正しいと思う

    12日の対巨人戦で、阪神の投手村上が7回まで完全に巨人を押さえていたのに、8回から交代させたことが議論になっている。「村上に最後まで投げさせて、完全試合をやらせるべきだった」と。だが、私は、このような選手を思いやる「温情」が阪神をだめにしてきたと思うのだ。以前、真弓監督の2010年10月にも、にもこんなことがあった。BSで、阪神、横浜戦を見ていた。投手の久保が良い出来で横浜を1点で抑え、3-1でリードして9回を迎えた。藤川が出て来ると、解説の鈴木啓次が,「藤川が抑えて2死になれば、矢野が出てきて受けるだろう」などと言っていた。なんてつまらないことを言うのか、と思っていると、その性か、藤川がストライクが入らなくなり、連続4球になる。「これは、矢野の引退を飾ろうとする気持ちが逆になっている」と言っている。甲子...岡田監督の判断は正しいと思う

  • 東京新聞首都圏版で紹介される

    日本の音楽フェスの先駆けとして一九九一〜九六年に横浜市であった「WOMAD(ウォーマッド)横浜」を知ってもらおうと、企画立案をした元市職員の指田文夫さん(75)が、著書「WOMAD横浜歴史から消えた日本のビッグ・フェスティバル」を出版した。二十九日には市内で、当時の出演者も招いた出版記念イベントを開く。「WorldofMusic,ArtsandDance」を意味するWOMADはイギリス発祥で、世界各地で今も行われているイベント。ウォーマッド横浜は九一年、みなとみらい地区にできたパシフィコ横浜のオープン記念の一環で、隣接する野外の臨港パークなどで第一回が開かれた。海外からのアーティストのほか、先月亡くなった坂本龍一さんらも参加した。指田さんはオープン前にパシフィコ横浜の運営会社に市から出向しており、社内で企...東京新聞首都圏版で紹介される

  • 『忠臣蔵外伝四谷怪談』

    1994年の松竹映画、監督は深作欣二、主演は佐藤浩市、高岡早紀、荻野目慶子、津川雅彦など。赤穂藩の浪人の民谷伊右衛門は、湯屋で、湯女の高岡に惚れて一緒に破れ長屋に住む。高岡の巨乳がすごくて、すでにぶらぶらだが『四谷怪談』史上最高の巨乳だと思う。私は、1980年代にスパイラルホールで、内田裕也のイベントが行われたとき、出てきた高岡を見ている。当時は高校生くらいで、その体の大きさには驚いたが、レオタード姿だったので、巨乳とは分からなかった。琵琶弾きの佐藤は、まるで火野正平らと組んで「ロックミュージシャン」のように門付けで生きている。和田薫の音楽は良い。この『四谷怪談』は、実は『忠臣蔵』の外伝で、私は高校生の時から知っていたが、それは日本史の荒久保先生の教えによるものだった。「武蔵小山には、荒久保犬がいる」と言...『忠臣蔵外伝四谷怪談』

  • 加山雄三3本

    加山雄三のアクション映画が3本放映された。『狙撃』『弾痕』『ジャガーは走った』監督は堀川弘通、森谷司郎、西村潔であり、東宝のエース級の監督である。できとしては、最後の『白昼の襲撃』が一番良くて、それは単純にアクションだけにしているからだ。『狙撃』では、ニューギニアの太陽が、『弾痕』では、ペルーの石像がそれぞれ、都会で非人間的な仕事に従事している主人公へのアンチテーゼとされるが、これは非常にシラケる。注目される人物では、『狙撃』の冒頭のベッドシーンの相手は、黒テントの新井純である。『弾痕』の最後に出てくる作家のような男は、演出家の早野寿郎で、この頃もう糖尿病からくる脱疽で、両足に杖を突いて歩いている。ただ、この作品の音楽は武満徹で非常に素晴らしい。『ジャガーは走った』は、加山雄三と田宮二郎のカッコ良さ合戦で...加山雄三3本

  • 映像が少し変わっていた 関内カラオケ館

    水曜日は、横浜稲門会のカラオケクラブで、関内のカラオケ館に行く。ここは、3階までは、元はパチンコ屋で、その上は、もともとは横浜信用金庫の本店だった。以前、横浜コンベンションビューローにいた時、横信から来ていた職員に教えてもらった。「うちの本店は、パチンコ屋の上にあったんですよ」昔、銀行については規制が厳しく、各店舗は自社ビルであることが必須で、貸しビル等への入居は禁じられいたが、信用金庫は例外だったのだろうか。今では、国の規制もゆるみ、銀行も自社ビルではなくて、貸しビルへの入居もOKになっているようだ。そして、以前のシダックスからカラオケ館になり、映像が少しづつ変わっていた。というのも、シダックスには、日活の取締役が天下りしていたので、日活のスターの歌は、もとの映像がついていた。石原裕次郎や小林旭、渡哲也...映像が少し変わっていた関内カラオケ館

  • 音楽イベント振り返る吉野町・指田さん、4月 29日にトーク開催

    タウンニュース南区版:2023年4月13日号著書を手にする指田さん吉野町在住の大衆文化評論家・指田文夫さんが横浜市職員時代に企画し、1991年から96年まで行われた音楽イベント「WOMAD(ウォーマッド)横浜」を振り返るトークイベントが4月29日午後2時からパシフィコ横浜3階会議室で行われる。「WOMAD」は英国発のポピュラー音楽フェスティバル。指田さんは87年に横浜市から株式会社横浜国際平和会議場に出向し、後に「パシフィコ横浜」と名付けられる施設の開設準備に携わる。91年に施設のオープニングイベントとして「WOMAD」を開催。世界のアーティストのほか、都はるみさんや先日亡くなった坂本龍一さんらも出演した。イベントはその後、96年まで続いた。指田さんはこの記録を残そうと、昨年に12月に本を出版している。イ...音楽イベント振り返る吉野町・指田さん、4月29日にトーク開催

  • 要は、事大主義ではないか

    先週、地方の選挙が行われたが、投票率は、40%代で、国政選挙よりもさらに低いのだった。国も地方もその選挙の投票率が低いのは、結局、国民、市民が現状に満足しているからだろうか。さらに、問題だと思うのは、国よりも市町村や都道府県等の地方自治体の選挙の投票率が低いことである。これは、市よりも県、県よりも国が偉いと国民が思っているからだと思う。本当は、偉い、偉くないはなく、むしろ市民の生活等については、地方の方が関係が深いのにと思う。これは、日本人にある「事大主義」から来ているのではないか、と思う。その意味で、私はドラマの『水戸黄門』が大嫌いであり、最後に印籠を見せて、「この方をどなたと思う」として、すべてが決まってしまう劇には、私は大反対なのである。要は、事大主義ではないか

  • 稲荷山の前に、ウォーマッド横浜へ

    昨日の朝日新聞の夕刊に、埼玉の稲荷山フェステイバルが、4月29日、30日に行われると出ていた。これも、17年ぶりとのことで、いつの間にか亡くなったフェステイバルだった。私たちは、4月29日に、31年前に日本で最初に行われた野外フェステイバルである「ウォーマッド横浜」のトークイベントをします。そこで、まず4月29日は、横浜に来ていただき、当時のこと等を理解した上で、4月30日は、埼玉に行けばよいのではないかと思うのだ稲荷山も、注目されたフェステイバルだったが、いつの間にかなくなったものだった。稲荷山の前に、ウォーマッド横浜へ

  • 落選した2人の6期目の市会議員

    昨日、横浜市会議員の選挙があり、現在6期目の議員2人が落ちた。南区の荒木由美子議員と緑区の今野典人議員で、共に6期目だった。横浜市南区で、日本共産党の議員がいなくなるのは、50年ぶりくらいだと思う。1972年に私が横浜市会事務局に入った時、南区からは中島さんという共産党の議員がいて、5人の市会議員団の団長だった。この人は、かなりの理論家に見えたが、ある時酒に酔って駅でケガをして負傷した。それが理由で、議員を辞めさせられたという話だった。次は、竹田礼一という伯父さんで、党内では「タケダ・クール」とあだ名されていたそうだ。その理由は、やや童顔に見えたので、「レイボウ」からクールと呼ばれていたそうで、共産党にも駄洒落好きがいるのかと思ったものだ。クールの次は、新日本婦人の会会長の内堀八重子さんというおばさんで、...落選した2人の6期目の市会議員

  • 2試合連続「スミ一」 阪神戦

    甲子園での阪神・ヤクルト戦は、二試合連続「スミ一」になった。そして、金曜日はヤクルトに2本のホームランで逆転負けになり、昨日は完封で1-0で勝った。今日がどうなるのか分からないが、ヤクルトの投手が吉村なので、相当に厳しいと思われる。なんとは、勝ち越してほしいと思う2試合連続「スミ一」阪神戦

  • 選挙の記事ばかりで

    今週、横浜市の記者会に記者発表したのだが、まだ統一地方選挙の記事ばかりで、まだトークイベントの記事が出ない。もともと予想したことで、関係者からは、「4月11日以降にしたら、」と言われたのだが。時期的に、そうも言っていられないので、発表したのだ。ぜひ、見に来てほしい。選挙の記事ばかりで

  • 花粉病とは

    桜の開花が過ぎると、花粉症の季節になり、その方たちは大変だと思う。私も、朝起きて、エアコンをつけて外気を入れると、目が痛くなり、「ああ花粉か」と思うが、花粉症ではない。さて、1973年4月公開の松竹映画『同棲時代』の真ん中あたりで、由美かおるの田舎の友達が上京して来る。岩崎和子という女優で、あまり見たことがないが、彼女は「今度結婚することになったので、その前に東京を見たい」と来たのだと言う。だが、実はそれは嘘で、仲雅美に「私は結婚できない体です」と言う。これはなんだと一瞬驚くが、理由は、「花粉病で、春花が咲くとアレルギーがひどくなるので、結婚できないのだ」という。初め部屋に来たとき、由美かおるに「お土産」と言ってビニールの小さな造花を出す。それをコップの水に入れると花が咲いたようになる玩具である。つまり、...花粉病とは

  • 『風の視線』

    1963年、松竹大船映画、原作は松本清張で、脚本は楠田芳子、監督は川頭義郎である。新進写真家の園井啓介は、岩下志麻と結婚して、新婚旅行に全部が雪景色の青森の十三潟に来ている。ここがまず不思議で、なぜこんなところに来たのかが不明、さらにそこで偶然に死体を発見し、それを園井はカメラで撮影する。この死人の件は、実はまったく筋とは無関係で、これも驚く。そして、園井は、岩下を連れて宮城の松島に行き、ある旅館で、知り合いの女性の高級な草履に気づく。すごい感なのだ、園井は。それは、園井が慕っていた、ある富豪の妻の新珠三千代なのだが、これもまた不思議。新珠は、戦前は侯爵だった家で、現在は貿易の幹部の妻で、夫はなかなか出てこないが、山内明で、これが大変に嫌味な人間。だが、その母、つまり義母は毛利菊枝で、盲目だがすべてを見通...『風の視線』

  • 牧畜と農業が始まって戦争も始まった

    『ヒューマニエンスQ』で、人間と家畜について報じていた。山羊に始まる家畜の歴史、馬、犬、牛、豚、鶏、猫などの「家畜」の飼育は、1万年前に中東で起こった。それは、小麦、大麦、米などの農業の開始とほぼ同じ時期だった。現在のように、農業と牧畜は分離したものではなく、春から秋は農業、冬は牧畜と言ったもののようだ。こうした、農業と牧畜によって、人の食料は安定し、人口が増加していく。そして、今日の人類の繁栄を作り出したのだ。と同時に、新たに始まったのが、戦争だった。それまでも、一部の戦闘はあっただろう。だが、都市と都市、国と国と言った大規模な戦争は、それまではなかったのだ。農業と牧畜の開始によって、人間の定住によって都市が生まれ、階級ができ、富の偏在ができ、国家となる。その結果、何かの問題を原因とする戦争が生まれたの...牧畜と農業が始まって戦争も始まった

  • 畑正憲、死去

    テレビでの「ムツゴロウ王国」で知られていたが、この人の最初は、実は学習研究社の映画部門の、学研映画社なのである。それだけ学研には、当時優秀な若者が集まっていたかを示すものだろう。彼は、確か先日亡くなられた作家大江健三郎と、東大でほぼ同期で、大江は、畑の優秀さに驚いたいう話がある。本当だろうかね。畑正憲、死去

  • 無投票当選 県議会横浜市南区

    現在、横浜市でも地方選挙が行われているが、県議会の横浜市南区では、現職の自民と立憲民主党の候補以外の立候補者がなく、無投票当選が決まった。その分、南区の市会議員選挙の競争が厳しくなっているのだろうと思う。この無投票当選だが、昔秘書として仕えた大久保英太郎先生が、「一度でいいからやってみたい」とよく言っていた。それほど、選挙というのは、大変なのだろうと思う。ただ、大久保英太郎先生は、市会議長を4年も務めたほどの方だったが、選挙にはあまり強くなく、社会党の議員でも、もう一人の仙田先生に負けていたからだろうと思うのだ。無投票当選県議会横浜市南区

  • 罪状認否で、無罪を主張

    トランプ前大統領が、罪状認否で無罪を主張したと報じられている。これは、英米法に特有の手続きで、最初の検事からの起訴に対し、被告は無罪を主張する。これによって裁判が始まるのである。この手続きを日本人が最初に知ったのは、1046年の「東京裁判」の時で、被告の全員が無罪を主張した。これについては、被告の中には、多少とも自分にも罪があると言いたい者もいたようだが、それは無視された。罪状認否で、無罪を主張

  • 第二自民党は、結局つぶれる

    現在、統一地方選挙が行われていて、ここでも日本維新の会が強いようだ。だが、これは結局は大したものにはならないと私は思う。新自由クラブから、日本新党、みんなの党から希望の党に至るまで、過去自民党に対抗するような「保守新党」が出てきて、マスコミでは石原慎太郎の「石原新党」などが騒がれてきた。だが、どれもある程度まで行くが、全部だめになってきた。その理由は、簡単である。わざわざ「第二自民党よりは、もともとの自民党で良いではないか」となるからである。つまり、自民はだめ、第二自民党をというのは、候補者、出る側の論理で、国民の側の問題ではないからだ。自民党は、世襲に代表されるように、候補者は親族や秘書等からしか新しい候補者になれず、まったく無関係な人間が選挙で、候補者になれない。だから、そうした方は新党から出るしかな...第二自民党は、結局つぶれる

  • 坂本に反対したとうようさん

    坂本龍一が亡くなったが、1991年夏のウォーマッド横浜の開催の時、彼の参加に強く反対したのは、中村とうようさんだった。なぜ、とうようさんが反対したのかは、よく分からなかった。ただ、イギリス側からの強力な意見で、坂本は、ゲスト的に出ることになった。拙著『ウォーマッド横浜・歴史に消えたビッグ・フェステイバル』でも書いたことである。ただ、彼の功績と言えば、東京芸術大学出身でありながら、クラシックではなく、ポピュラー音楽に行ったことだと思う。坂本に反対したとうようさん

  • 桜の開花が早くなったのは

    今週、横浜では桜がほとんど開花して満開になったようだ。年々、日本列島では桜の開花が早くなっているようだ。それは、やはり地球温暖化の性なのだろうか。私には、桜の品種の問題のように思える。早く開花するような品種が選ばれて、植えられているのだろうか。どうも私には、若い木ほど、開花の時期が早いように思えるのだが。桜の開花が早くなったのは

  • 充電器を買う

    朝、起きると携帯電話の電気が入らないので、伊勢佐木町のAUの店に行く。「電気が切れていて、1%だ」と言われ、持って行った充電器は壊れているとのこと。最近、夜充電しても、朝起きると電気が減っていることがあった。充電器の線が切れているのではと言われる。仕方ないので、きちんとした充電器を買うことにする。5000円と少々高かったが、なんどもトラブルになるよりましなので、買うことにする。AUのビルは、元はハマ楽器で、ここをAUが借りているのだそうだ。2階には、バルコニー状のものがあり、そこには民族音楽やラテンなどがあったと思う。下は、通常のポピュラー音楽とクラシックだったか。充電器を買う

  • 「つきあっている人間をみれば、その人間がわかる」

    「つきあっている人間をみれば、その人間がわかる」と言ったのは、シュールレアリズムの開祖アンドレ・ブルトンである。安倍晋三の友人は、国内では麻生太郎の他、海外ではトランプ、そしてプーチンと普通ではない男ばかりだ。これで、安倍晋三という人間がよく分かると思うのだ。「つきあっている人間をみれば、その人間がわかる」

  • 『妖怪の孫』

    安倍晋三のことを描いたドキュメンタリーで、非常に面白かった。平日の昼間だが、ほぼ満員で、興味の高さが分かった。安倍晋三の小学校時代のことが証言されるが、非常に特異なこどもで、大学ではアルファ・ロメオで登校してきたとのこと。まあ、どうでも良いが、金持ちのバカ息子の証明だろう。要は、まったく苦労せずに、公立学校を経てきていない点では、麻生太郎と同じで、普通の人を知らない異常な人間だと思える。彼の父親の安倍晋け会ったことがある。大平内閣の時、横浜のホテルニューグランドで、自民党の総決起大会があり、鈴木喜一議長の秘書として会場に行った。列に並んでいると、順に握手をしてきて、私のところにも来たので、仕方なく手を出した。本当に軽く握手して次に行かれた。安倍晋太郎が、息子の晋三と違うところには、彼はアフリカ議員連盟の会...『妖怪の孫』

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