日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
今、世の中では、職場でのセク・ハラが問題になっているが、私もあるところで遭遇したことがある。それは、私の上司で、非常に謹厳実直にみえ、およそまじめで、ほとんど休暇もとらない人がいた。ところが、ある日、1週間の休暇を取った。理由は海外に旅行にいくとのことだった。そして、休みの二日目に、自宅の奥さんから電話がかかってきた。出た、女性は答えに困ったが、適当に答えたようだ。だが、数年後その職場の女性たちに聞くと、これは愛人と旅行に行ったのだそうだ。しかも、その人は、セク・ハラ、とっいっても女性のお尻を触る程度だが、女性の間では非常に有名で、宴会では隣に座らないことにしていたとのことだった。私は、比較的仲が良く、一緒に市内の店に飲みに行ったこともある方で、そんなことはまったく知らなかったので、これを聞いて大変に驚い...セク・ハラの上司
横浜市会事務局に10年いて、多くの議員さんを見てきたが、T区のJ議員もユニークな人だった。この方は、民間労組出身だが、同時に奥さんが地元で美容院をやっていたので、その集票もあったらしく、常に上位当選だった。なかなか細かい神経の方で、ある時飲んで話をきくと、地元対策のご苦労のことだった。彼によれば、ある時、区外で飲んでいると、奥さんから電話があり、「近所で火事よ!」とのこと。「すぐに戻るから、防災服を用意していおけ・・・」と言って家に戻った。そして、防災服に着替えて火事の現場に見舞いに行ったといっていた。「ご苦労様」と見舞いに行ったのだとのこと。「議員も大変だなあ」と思ったものだ。この方には、もう一つ重大な秘密があり、関西の某市に愛人がいることだった。だから、関西の京都や大阪に行政視察に行くと、1日目は皆と...T区のJ議員について
昨日の5月29日は、1945年に横浜で米軍の大空襲が起された日である。これは、同年3月の東京大空襲とは、大きな違いがある。それは、東京大空襲は、夜中だったが、2か月後の横浜は、昼間、早朝だったことだ。このことは、日本の防空体制がまったく壊滅していたことを現わしている。東京の場合、一応防空戦闘機が飛来して攻撃される恐れがあったので、夜中にやったが、1945年5月になると、日本には空襲に対する防空体制はなくなったので、安心して昼間にやり、それも明らかに普通の国民を対象として空襲したのだ。米軍も、最初は戦略爆撃、つまり基地や飛行場、軍需工場を対象に爆撃をしていた。だが、意外にも航空機の生産能力は、さほど低下しなかった。その理由は、日本では航空機の生産においても、全部を大工場で作るのではなく、中小、零細の工場で部...5月29日は横浜大空襲の日
先週の金曜日は、ある友人と20年ぶりに会った。そして、みなとみらいのパシフィコ横浜に行ったが、大変な人出だった。帰りにタクシーの運転手に聞くと、「展示会がやってるんです」調べると予想通り、『人とくるまのテクノロジー展』だった。これは、『東京モーターショー』のように派手ではないが、結構人気のある展示会で、パシフィコ横浜の開業以来ずっと開催されているイベントである。これは、展示会と会議が複合されたイベントで、パシフィコ横浜には最適なのだ。ともかく、開業して30年が過ぎ、このように賑わっているのは、本当に喜ばしいことである。『人とくるまのテクノロジー展』だった
昨日の夜は、特に見るものがなかったが、『鬼平犯科帳』を見ると、きれいな女優が出ているので、見る。鬼平と盗賊の露口茂の間を動く女で、南條玲子だった。彼女は、言うまでもなく「東宝50」の1本の『幻の湖』のオーディションで選ばれた女優だった。だが、この作品は、実に困った筋で、お市の方から始まり、雄琴温泉のトルコ嬢、そして最後は宇宙に飛んでゆくという作品で、今はない大井武蔵野館で見たが、館内は途中で大爆笑になった。脚本・監督の橋本忍先生も、あまりの評価で大ショックを受けたそうだ。その後、彼女はテレビにもときどき出ていたが、これは1990年10月の作品だそうだ。南條玲子が出ていた『鬼平犯科帳』
『ブラタモリ』は、屋久島の「屋久杉」についてだった。花崗岩の島である屋久島のことと、屋久島で自生している屋久杉のことが詳しく説明されていた。屋久杉を山から運び出すトロッコ線路もまだあり、紹介された。だが、一つだけ紹介されていないものがあった。それは、成瀬己喜男監督の名作『浮雲』である。戦時中にベトナムで出会った森雅之と愛人の高峰秀子との腐れそのものの映画で、肺結核になった高峰が、最後に行くのが屋久島で、そこで死ぬのである。なぜ、屋久島に行くかと言えば、森雅之は、農林省に技師だったからである。『ブラタモリ』が描かなかったこと『浮雲』
ティナ・ターナーが、亡くなられた、83歳。歌もそうだが、それ以上に踊りと振付は圧倒的だった。そして、これは有名なので書いて良いと思うが、彼女は創価学会の信者だった。理由は、夫のアイクの暴力がひどく、そこから信仰の道に行ったようだ。アメリカのロックやジャズのミュージシャンで、学会員は大変に多く、特にアフリカ系の人に多い。その理由は、非西欧的、非キリスト教的宗教だからだからだろう。池田大作先生と共に、彼女のご冥福をお祈りしたい。ティナ・ターナーは・・・
早稲田大学の劇団演劇研究会も、『地獄のオルフェウス』をやったはずで、主人公のレディは、漆川由美(井上遙)で、年上の夫は藤岡さんだと知っていたが、彼らの店にやってくる流れ者のギター弾きがだれか分からなかったので、先輩のAさんに聞く。Aさんもインディアン役で出ているのだ。「あれは、Tだよ」「ああ、そう、一応二枚目だからね、でもミス・キャストだね。そもそも、あんな変な劇を学生劇団がやること自大が大間違いだね」「まあ、演出の堀内君は、結構純情だったので、二人の関係を純愛としたんだろうね」「昔、やった大竹しのぶのは、結構そういう感じだったから、そういう解釈もありうるね」「いま、巨人戦を見ているから・・・」そして、このTさんのことを思い出した。私の1年上にいて、二枚目で、卒業後は、文学座の研究生になり、少しいたようだ...「Tさんしか見えない」
テネシー・ウィリアムズは、日本の若い女性に人気が高く、大学の英文科の卒業論文では一番多いそうだ。私も英文科だったが、まじめではない落第生だったので、卒論は、ユージン・オニールで、担当の教授は「私は読んでいません」とのことで、作戦通り「優」をもらうことができた。多くの人は、テネシー・ウィリアムズを、『ガラスの動物園』に代表される、彼を詩的で、抒情的な劇作家と誤解しているようだが、彼はむしろ新派的なメロドラマ作家だというのが、私の考えである。彼の作品の多くが、日本では文学座で上演されてきたが、文学座の指導者の一人が、劇団新派の演出家久保田万太郎と共通していたことでも証明されるだろう。そして、今回の松本裕子演出の『地獄のオルフェウス』では、アメリカ南部の白人の女性たちの俗悪さが、非常に強調されていたようにみえた...テネシー・ウィリアムズの悪趣味
金曜日は、パソコンの調子が悪くて、山田朗先生の『軍人としての昭和天皇』を見られなかったが、昨日の午前中にオンラインで見ることができた。戦時中に、陸海軍は、日々戦況奏上をしていたが、陸軍の記録はなく、海軍のは少し残されているとのこと。陸軍は、1945年8月15日以降、焼却してしまったのだろうとのことで、卑怯なことだ。この陸海軍の戦況奏上は、個々別々に行われたとのことで、陸海軍は、共に相互の戦況を知らなかった。日本で、全体を知っていたのは、昭和天皇しかいなかったのだから、本当にひどい話だ。それもあって、東條英樹が、首相、陸相の他、参謀総長を兼務し、「東條幕府だ」と批判されたことがあったが、これは東條なりに正しい対応だったとも言えるだろう。その意味では、彼は統制派であり、近代的合理主義者であったとも言える。海軍...陸軍と海軍は別々に天皇に奏上していた
金曜日の夜は、野毛で「山下ふ頭に〇〇があったらいいな」に行く。ここでも、みなとみらい等で、結局はできなかった事業が議論されていた。その典型が、横浜、東京、幕張等をつなぐフェリー航路や映像スタジオの誘致である。フェリーについては、みなとみらい会社の人間がパシフィコの役員会で説明したことがあったが、結局できなかったようだ。映像スタジオも、日活がみなとみらいに造る話が流布されていたが、ナムコが左前になってだめになつた。アーチスト・イン・レジデンスも企画としては悪くはないが、これは横浜でも中心部ではなく、緑区や瀬谷区等の周辺区でこそ適当なものだと思うのだ。結局、出来たこととは大きく公言するが、出来なかったことは、誰も言わないので、知られることはないのだなあと改めて思った。出来なかったことは知らないのだ
先日の佐藤先生の講義の中で、重要なことの一つは、日本も米国外務省の暗号電報を解読していたことだった。だから、例のハル・ノートが来て、アメリカも戦争準備になるだろうことを予測していたとのこと。問題の真珠湾攻撃の通告が遅れたことも、その意味では大問題だとは思っていなかったようだ。両方ともいずれ戦争に入ると思っていたのだから、通告が多少遅れたとしても、問題ではないと思っていたのだと思うし、特に海軍は、できるならギリギリに通告してくれたらと思っていた。だが、これは日米両軍の首脳の話で、一般国民とは無関係なことだった。そこで、ルーズベルトは、「不意打ちの卑怯なだまし討ち」に会ったと議会で演説して、国民に強くアピールした。「リメンバー、パールハーバー」また、ルーズベルトは、日本が戦争を仕掛けてくるようにしたというのも...日本も米国の暗号電報を解読していた
昨日は、佐藤元英先生の『真珠湾への道』をネットで見る。配布された資料で、以下のことを知る。問題の日米開戦のことだが、その前の日本の最高決定会議であった1941年9月6日の「御前会議」に、この『帝国国策要領』が出されるが、陸海軍の統帥部が作成していた米国への戦争開始を、何と近衛文麿首相は知らなかったと言うのだから信じがたい。8月中はまったく知らず、9月2日に初めて知ったのだそうだ。本当に、大日本帝国憲法の持っていた「統帥権の独立」は、ひどい欠陥だったのである近衛は、1941年8月末まで「国策要領」を知らなかった
BSで、小林桂樹主演の『牟田刑事官』を見ていたら、その警察署の所在地は、万国橋の万国橋ビルだった。ここは、現在は横浜のアパホテルになっているところで、今はないが、小型だが3階建てのきれいなビルだった。そこには、本間船舶が入っていたので、私は仕事で行ったのだ。本間船舶は、日本郵船の子会社的企業で、横浜では日本郵船の船舶の船内作業をやっていた。前にも書いたが、横浜港のポートセールスを担当し、アメリカ東海岸のボルチモア、ニューヨーク、ニューオリンズに行ったとき、本間船舶の横浜支店の支店長も参加されたのだ。この20人ほどの団の中には、日本郵船横浜支店の支店長もいた。このお二人を見ていると、上司と部下みたいな感じだったので、「民間企業の上下関係は大変だなあ」と思ったものだ。また、郵船の支店長の方は、大変に上品な方で...万国橋ビルだった
『しあわせの一番星』は、浅田美代子の主演で、言わば演技の素人の彼女が結構様になっている。これは、松竹の演出術によるもので、それは演技をさせないと言うことなのだ。ドラマの中心部分は、周りのベテランたちにやってもらい、彼女は、掃除、雑巾がけ、盥での洗濯などの動作だけを見せて、ほとんど演技をさせていないのである。これは、戦前の島津保次郎からはじまる松竹の、日常的で自然な芝居の延長線上にあるもので、それはフランソワ・トリュフォーを驚嘆させた中平康監督、石原裕次郎主演の『狂った果実』にまで及ぶものなのだ。これに対抗するのが、日活系の、内田吐夢、溝口健二、そして黒澤明に代表される、演劇的で、人生論的「熱い演技」で、この二つの系列が、日本映画の演出術の流れだと私は思う。それにしても、完璧な素人だった浅田美代子の主演をな...松竹映画の演出術
土曜日の夜は、河北真治さんの講座に行き、「横浜の運河」について聞く。天気のためにクルーズが中止になったために、地区センターでの講座だった。私も、掘割川のヘルム・ドック遺跡に関し、ドナルド・ヘルムさんとお会いして、境界確定作業をしたこと。ドイツ系ユダヤ人のヘルム家が、ドイツからアメリカを経て日本に来て、横浜で艀会社を興す。だが、国家総動員法で、港湾から締め出されて、不動産事業に転換したことを話した。当時、日本はバブルで、世界中のヘルム家の財産の中で、日本が最大だったので、処分して合資会社を解散する時に、境界査定をしたという話をする。ユダヤ人の世界的展開のすごさを知った時だった。二次会も楽しい時間で、新しい方との知り合いになる。日曜日は、疲れて午前中は何もせず、午後にぎわい座に行く。「上方落語会」で、5人が出...週末は少し疲れた
山梨から、鎌倉の山形勲の家に、女中さんとして浅田美代子が出てくる。日本には、女中映画があり、左幸子の『女中っ子』が有名だが、若水ヤエ子のシリーズもある。女中は、今では差別語だが、元は「お女中」として、尊敬語だった。山形家では、一人娘の̪̪篠ひろ子が、妊娠していて家を出てゆくところで、山形は、まじめでケチで、相当に古臭い親父で、今にはテレビもなく、掃除、洗濯もすべて手でやるという凄さ。例によって二階を貸していて、そこには派手なジャネット・八田が住んでいる。彼女は、クラブの会計係とのことだが、異常に高価な服を沢山持っていて、その実態は・・・。鎌倉の寺でスリに金を掏られた山形は、それを取り戻そうと、平和島のボートレースに行く。そこで、警視庁スリ係の橋達也に会うが、山形は、かつてはスリ担当の刑事で、橋の上司だった...『しあわせの一番星』
以前に録画しておいたのを見る。1978年のアメリカ映画の『ピラニア』、制作は、元日活の女優の筑波久子で、話題になったが、われわれの世代では、もう昔の人だった。なにしろ、石原裕次郎以前のスターなのだから、ただこの女性も慶応出のインテリなのだ。南部の山の中に若いカップルが遊びに行って、奇妙な池を見つけ、泳ぐと死んでしまう。それは、すぐに終わって、その二人を捜索する会社の若い女性が、また森に来る。要は、探偵社みたいなものだと思うが、彼女は、森に来て、そこに一人で暮らしている変な男と知り合い、二人が消えたらしい池に行く。彼は言う、「軍隊が殺人魚を養殖していて、淡水魚のピラニアを熱帯や海でも生息できるように実験したのだ」と言う。それは、ベトナム戦争用で、ベトナムの川や海に放して武器とするためだったが、戦争が終わった...『ピラニア』
雨で、出られないので、昔の映画を見る。見たと思っていたのは、『オリエント急行殺人事件』で、これは見ていなかった。以下のような豪華な俳優陣である。言うまでもなく、これは「グランドホテル」形式で、ほとんどはスタジオで作れるという利点があり、豪華キャストが組めるのだ。ポアロは、ピーター・ユスチノフで、適役。ジェーン・バーキンやオリビア・ハッセーまで出てくる。主役は。ミア・ファーローとサイモン・マッコーキンデールだが、婚約したはずの二人が、次のシークエンスでは、ミアの親友のロイス・チャイルズとサイモンになっているので、「あれっ」と思うが、これが事件の鍵になっている。時代はよく分からないが、1930年代頃に思われ、その時代の社会の格差、イギリスとエジプトの関係などを反映していて、面白い。脚本は、イギリスや植民地支配...『ナイル殺人事件』1978年版
このすぐれたドキュメンタリーを見て、あらためて思うのは、第二次安部政権というのは、異常に変な時代だったなあということだ。異常に右翼的な政策を進めたが、それは連立の公明党ではなく、維新の力によって実施したとも言える。だが、その成果は、最後に東大の伊藤隆先生に言葉では、「不十分なもの」だそうで、安倍晋三君も、そう言われては可哀そう言うものだろう。先生は、歴史教科書問題で、ディレクターに聞かれて「歴史から学ぶものではない」と断言されていて、これでは東大の生徒は立つ瀬がないではないか。やはり、歴史をわれわれ人類は、学ぶべきもので、そうしないと社会は前進、進歩しないのでないかと思うのだ、凡人の私としては。要は、伊藤先生は、自虐史観は学ぶなと言っていて、大日本帝国の良さは、学べと言っているようだ。その点では、「美しい...『愛国と教育』
六角精児のBSの『呑み鉄旅』の最後の駅が新宮だった。私が小学校に入ったときの、1・2年は宮内さんという少々太った優しい女性の先生だった。あだ名は「みやデブさん」だった。この方は、絵は上手かったが、意外にも音楽はだめで、ピアノは弾けなかった。そのために音楽の時間は、別の組の二井先生という大柄な男の先生に代わってもらっていた。この二井先生は、一見粗暴に見えたが、ピアノは非常に上手いのに驚いた。そんなことをやっている内に、お二人は親しくなられて、ついにはご結婚されることになった。そして、宮内先生は、別の学校に移られ、3年になるとその後任で鈴木先生が来られた。鈴木先生は、和歌山県の新宮から来られた方で、小柄な女性だったが、非常に厳しい方だった。母によれば父兄会で、先生は「東京の子供は甘やかされいるので、今後はきび...新宮から来た鈴木先生
1971年3月、日活の末期で、当然にもダイニチ映配だが、さらにSMPプロと出る。監督は、井田探で、当時「日活の井田と東映の鷹森立一は見る必要はない」と言われていて、見ていなかったが、大変に粗悪な作り。信州から中央線で、郷英治が上京して来る。着いたのは新宿で、ボクシングジムで、岡崎二朗と知り合い、新宿でいろんな事件に会うの物語。やたらに、女性の服を裂くのがあり、下着姿にするシーンが多い。お笑い陣として、大泉晄、若水ヤエ子、由利徹らが出てくる。その他、お色気班として、桑原幸子、相川圭子らが出てくる。岡崎と桑原は、まだ東映なのだが、この時期は「5社協定」も緩くなっていたのだと思う。悪の親分は、深江章喜で、この頃までいたのだなあと思う。郷の肉体はすごいが、鍛えすぎにも思える。沢たまきは、クラブで歌うシーンが突然に...『東京㊙地帯』
1966年の松竹映画、脚本・監督は井上梅次で、当時、早稲田大学映研の金子裕君も、「井上梅次は、もう古い」という意見で、私も同意していたので、見ていなかったが、この頃の井上ではましな方だと思う。井上は、字書の中で「文芸作品などより、面白い娯楽作品を作る方が大変なのだ」と言っているが、それは正しいと思う。要は、主役の他、周囲に適役の俳優を配置することが最重要で、そうしたキャスティングの政治力も大きいのだと思う。ヘリコプターの操縦士の橋幸夫の家は、薬種問屋で、母親は大映の村田千枝子、方位に凝っていて、無能力な養子は立原博、彼がつきあっている芸者は山東昭子。村田の易で、至急に見合いをすることになり、その橋幸夫の相手は女医の倍賞千恵子で、もともとその気のない二人は、見合いの席で大げんかになる。そして、橋は、異人事異...『恋と涙の太陽』
絶対に憶えていないだろうが、私は1983年夏頃、藤木幸夫氏に会ったことがある。当時、私は横浜市港湾局振興課係長で、ポートセールス等を担当していた。そのなかで、セールス団の構成員から労組代表を取りのぞこういう意見があり、その根回しに、労組役員と藤木氏ら港湾協会役員と話をしたのだ。前振興課長(当時は総務課長になっていた)の言われたとおりに、各氏を回って根回ししたのである。港湾の企業と労組との関係も不思議なもので、労組幹部は、退職した後には、一隻の艀の船主になるのだ。よく分からないが、企業から労組役員への退職金のようなものだと私は思っている。さて、こ映画は、横浜の山下ふ頭に、カジノを作る計画が自民党幹部から起きた時、藤木幸夫氏は、猛然と反対したが、その経緯を描くもので、非常に面白い。ともかくノンフイクションだが...『ハマのドン』
『乱』のメイキング作品の『メイキング・オブ・乱』が二週間の限定で上映されるというので、久しぶりに東中野のポレポレに行く。1985年の黒澤明監督の『乱』の撮影時の模様を撮影したもので、御年75歳で、時代劇アクションを作るのは凄い。だが、見えてくるのは、寄せ集めのスタッフ・キャストでアクション映画を作っている黒澤の孤独さである。そこには、映画『七人の侍』から『隠し砦の三悪人』に至る東宝の献身的なスタッフ、キャストの姿は見えない。なぜなら、多くが東宝の社員なら、全身全霊をささげて活躍すれば、社の上司から評価されたのに、1本限りの契約者では、いくら成果を上げても、そこには評価は存在しないからだ。ひとり老齢の黒澤明の孤独な姿が見えて、それはそれでなかなかドラマチックである。彼も、多くのシーンで、段取り演出しているの...メイキングの方が面白かった『乱』
放送大学の『グローバル経済史』の水島司先生の「アジアと産業化革命」を見ていたら、インドの木綿製品のモデルとして薄地の生地がスタジオに吊り下げられていて、「井上貴子提供」となっていた。今は、大東文化大学の教授となられた音楽学者の井上貴子先生に間違いないだろう。井上先生とは、日本ポピュラー音楽学会総会で一度だけだが会ったことがある。このとき先生と話したのは、同学会の発足に中村とうようさんは、初めは大変熱心だったが、その内に意見が対立して辞められたとのことで、いつものことだが、とうようさんらしいなあと思ったのだ。井上先生提供の生地は、非常に美しいもので、薄地のようだ。井上貴子先生提供だった『グローバル経済史』
私は、革マル派ではなかったが、スターリンはひどいと思っていた。当時から、1930年代のドイツで、社民党やその左派の共産党を支持せず、ナチスを支持したことも大体知っていた。それは、どこから来ているのか、よく分からなかったが、これでよく分かった。要は、スターリンは、ヒトラーに自分に似ているものを感じて、政治的立場は正反対でも共感するものを感じていたのだと思う。ヒトラーが、ドイツ軍と協力するために、自分の軍隊だった親衛隊のSSを粛清して排除したとき、スターリンは共感し、賞賛したそうだが、この辺も二人の同質性をあらわすものだろう。そして、二人のやることは、常に同じであった。この二人の共通の敵は、イギリスとフランス、その裏にいるアメリカだったので、ソ連が英米仏と共に、連合軍に入ったのは不思議と言えば不思議なことであ...『ヒトラーVSスターリン』
テレビ神奈川で、ザ・よこはまパレードを中継していたので、私も歩いたことを思い出した。それは、鈴木喜一先生が議長のときで、細郷道一市長に対しては、横浜商工会議所が気を使って、人力車を用意し、それに乗ってパレードしたのだ。私は、「まずいなあ」と思いつつ鈴木喜一議長に言うと、先生はこう言った。「いいよ、俺は歩くから、そうしないと喜一は議長になって偉そうにしていると言われちゃうからなあ」地元の長年の支持者は、そうしたものだと言ったのだ。私は、これで救われて鈴木先生が好きになった。本当に庶民派の議員だったのだ。今は、市長などの偉い人は、フロートに乗っているようで、やや「横着」にみえる。「俺は歩くよ」
NHKで、女子高を出た女性の10年後が放映された。その高校は、品川女子学院で、北品川駅近くにあり、私は10年以上住んでいた北品川の女子高である。ここは、山口百恵さんが通った学校で有名だが、その他多くの芸能人も出ているようだ。この学校は、大したところではないと思っていたのは、私の小学校のK校長が、退職後に、この学校の生徒の誘致担当をやっていると聞いたからで、そんなに生徒の募集に苦労している学校なんて大したことはないと思っていたのだ。だが、ここは、与謝野晶子が校歌を作詞しているなど、女子の自立を目標としている学校だったようだ。何人かの女子が紹介されたが、一番興味深かったのは、在学中は特待生で、東大を目指していた子だった。なぜ東大を目指していたかと言えば、彼女の父親が、東大を目指したが合格できず早稲田に入ったと...東大病の親の子はたいへんだなと思う
意外にも、宗教に関する映画は多い。主人公が有名であり、また多くの集客を予想できるからだろうが、宗教には「信じること」が根底にあるので、劇に必須の信じることに通じるからだと私は思う。日本で、2本作られているのは、日蓮宗の日蓮上人で、大映の『日蓮と蒙古大襲来』は、スぺクタクル映画でもあり、非常に面白かったが、錦之助が日蓮を演じた松竹の『日蓮』もかなりよい映画で、監督は中村登だった。意外にも親鸞も3本あり、東映での中村錦之助主演の正・続の2本と、三国連太郎監督の『親鸞・白い道』がある。空海もあり、北大路欣也主演だが、初めは勝新太郎の主演が予定されていた。だが、勝は、空海は唐から、仏典だけではなく、春本や春画も持ってきたはずだとし、「それらに向かって自慰して精液をびゆんびゆん飛ばしてやる」と大演説し、関係者は参っ...宗教映画
「凡人は凡人に戻る」と言ったのは、元巨人の外野手の高林恒夫である。彼は、立教大学、熊谷組で活躍して、巨人に入った。そこそこ活躍していたが、すぐに国鉄にトレードされて数年後に引退した。その時の言葉である。当時、巨人には、長嶋、王、国鉄には金田などの大選手がいたので、到底自分は無理と思ったのだろう。実に賢明なことで、その後は実家の神保町の東陽堂の店主となった。「凡人は凡人に戻る」高林恒夫
「ブログリーダー」を活用して、大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳