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  • 5月下旬の荒谷林道(5)

    荒谷林道ではカキノキ、コアジサイ、ユキノシタの花が咲いていました。クサイチゴの実が美味しそうに真っ赤に熟していました。 カキノキの花 コアジサイの花 ユキノシタの花   ...

  • 5月下旬の縮景園(2)

    この時期の縮景園では被爆イチョウが沢山実を付けていました。ハナショウブの花も咲いていました。最初は白かったヤマボウシの花はミンク色にそまっていました。濯纓池の中の島ではたくさんのミシシッピアカミミガメが甲羅干しをしていました。 被爆イチョウの実...

  • 5月下旬の縮景園

    今日の縮景園の明月亭ではさつき展が開催されていました。丹精込めて育てられている素晴らしい盆栽のサツキがずらりと並べられていました。園内のサツキも満開でした。 明月亭でさつき展開催中 見事なサツキが並ぶ ...

  • 5月下旬の荒谷林道(4)

    民家の庭ではカシワバアジサイの花が咲いています。荒谷林道の中にはテイカカズラの花も咲いています。先日紹介した時には一本だけだったササユリの花が2本咲いています。昨日降った雨で小川の水量が増えて滝が出来ています。 カシワバアジサイ   ...

  • 5月下旬の荒谷林道(3)

    荒谷林道は団地が近いからか、民家の庭に植えられている花が所々に生えています。セイヨウジュウニヒトエはどういう経緯でこの地に根を下ろしたのでしょう。ホオノキも次々花を咲かせます。赤い雌しべがしっかり開いています。雌性期です。ユキノシタも花も咲き始めました。久しぶりにコゲラを撮るこ...

  • 5月下旬の荒谷林道(2)

    今日も荒谷林道の散歩。バイカツツジが一輪だけ咲いていました。昨年交通の邪魔になるからと切り払われてしまったので、無くなってしまったかと心配していたのですが、わずかに残っていたようです。イワガラミの花も咲き始めました。散歩仲間が今か今かと待っていたササユリの花が咲きました。もう一...

  • 5月下旬の荒谷林道(1)

    荒谷林道ではスイカズラの花がさきました。スイカズラは解熱解毒の薬になるそうです。ウツギの白い花も咲きました。タンナサワフタギの花にキンモンガがやって来て蜜を吸っていました。そして私の好きなコアジサイの花が咲いていました。 スイカズラ ...

  • 初夏の荒谷林道の草花

    まだ5月というのに真夏のような暑さの荒谷林道を歩くと、ニガナ、マツバウンラン、トウバナのような小さな草花も咲いていることに気付かされます。 ニガナ マツバウンラン トウバナ  

  • 5月中旬の荒谷林道(7)

      荒谷林道では、今年のヤマボウシは見事に咲いています。フタリシズカの花も今年は増えました。クワの実はまだ青いですが沢山実っています。野鳥たちが熟すのを待っていることでしょう。ギンリョウソウも伸びて来ました。オオハンゲの花が咲いています。                    ...

  • 5月中旬の荒谷林道(6)

    日中は荒谷林道を歩くと暑い位です。ヒルザキツキミソウ、ノアザミ、タンナサワフタギ、コアヤメの花が咲いています。 ヒルザキツキミソウ   ノアザミ タンナサワフタギ ...

  • 5月中旬の荒谷林道(5)

    今日も、いつもの荒谷林道散歩。コバンソウ、サルナシ、スダジイ、ナワシロイチゴの花が咲いていました。 コバンソウ サルナシの花 スダジイ① ...

  • 5月中旬の荒谷林道(4)

    荒谷林道ではコツクバネウツギの花、ササユリの蕾、サルトリイバラの実が見られました。ササユリの花が咲くのが楽しみです。ホオノキの花が沢山咲いていました。 コツクバネウツギ ササユリの蕾 ...

  • 5月中旬の荒谷林道’(3)

    今日の荒谷林道では、ヒメウラジャノメなど色々なチョウが飛んでいました。タツナミソウ、マユミ、ミズタラビコ等の花が咲いていました。 ヒメウラジャノメ タツナミソウ マユミの花 ...

  • 5月中旬の荒谷林道(2)

    キセキレイが走り回って虫を捕らえていました。荒谷林道ではマタタビの葉が斑入りになって来ました。もうすぐ花が咲きます。ガクアジサイやエゴノキの白い花も咲いています。 キセキレイ マタタビの葉が白くなって来た ...

  • 5月中旬の荒谷林道(1)

    暖かい日となりました。荒谷林道ではエゴノキの花が咲き始めました。オオハンゲの花やギンリョウソウの花も咲いています。サンヨウアオイの葉をめくってみると、ひそかにラッパのような花がさいています。 エゴノキの花が咲き始めた ...

  • 鞆の浦を訪ねて(6)

    福禅寺の本堂には三猿や香盤時計、陸軍の大砲用の望遠鏡も置いてありました。望遠鏡を覗いて見ると目の前の弁天島之弁天堂が大きく見えました。 三猿神   香盤時計 陸軍の大...

  • 鞆の浦を訪ねて(5)

    福禅師対潮楼に行きました。石垣を見ると刻印が見られます。そのことから、この石垣は江戸時代初期に積まれたものと考えられます。対潮楼からの眺めは、朝鮮通信使の一行として1711年にやってきた従事官の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛しています。 福禅師対...

  • 鞆の浦を訪ねて(4)

    路地を歩いていると、保命酒の酒蔵の腰壁が古い船板のリサイクルだという事に気付きました。腐った所には上手く木片をはめ込み補修をしています。かなり年月が経っている感じの腰壁の蔵も見られます。年月の重みも感じられ趣があって美しいです。 保命酒蔵の腰...

  • 鞆の浦を訪ねて(3)

    朝鮮通信使復元船を待つ間、ゆっくり鞆の浦の町並みを歩いていると、指を突っ込み頭をなでながら願い事をすると叶うという 小小坊主やぶんぶく茶釜の鉢、珍しいドアベル、舟釘と浮玉の飾りなど心を惹かれるものがありました。 小小坊主   ...

  • 温井ダムの放流を見る

    温井ダムの放水を見に行きました。温井ダムは昭和52(1977)年に建設工事に着手し平成14(2002)年に建設事業を完了した多目的ダムです。アーチ式のダムとしては、全国で2番目に高い(156m)のダムです。管理事務所でダムについての展示やビデオを観て、放水開始時刻が来るのを待ち...

  • 鞆の浦を訪ねて(2)

    鞆の浦を歩くと、色々面白い建物の装飾に出会いました。玄関の上の壁で瓦の鯛が泳いでいたり、連子窓の柵が鉄で出来ていた里する家や、 虫籠窓が美しい町屋や 海鼠壁の釘隠しの漆喰も美しい土蔵がかつての繁栄を物語っています。 瓦の鯛が泳ぐ壁 ...

  • 鞆の浦を訪ねて(1)朝鮮通信使復元船

    福山市の鞆の浦を訪ねました。夕方鞆の浦に朝鮮通信使復元船が入港するというので迎えに行きました。それまで鞆の浦の町の中を散策しながら待ちました。午後4時鞆の浦港に入港しました。明日歓迎セレモニーが行われるようです。 鞆の浦港   ...

  • 5月上旬の荒谷林道(4)

    午前中の雨が止んだので、午後荒谷林道散歩に出掛けました。民家と民家の隙間にヒメフウロが咲いています。川の土手にはシロハナムラサキツユクサとムラサキツユクサが並んで咲いています。荒谷林道ではミズキやツツジ、タニウツギなどが咲いています。 ヒメフ...

  • 5月上旬の荒谷林道(3)

    我が家の庭のスズランの花が咲きました。荒谷林道の散歩をすると、キバナツクバネウツギが咲いています。ヤマボウシも咲いています。まだ黄緑色ですが、やがて白くなるでしょう。見上げるとホウノキの花が咲いています。この花は最初赤い雌しべは開いていて、おしべは閉じていて(雌性期)、一旦花を...

  • 安芸大田町三段峡に行く

    三段峡に行きました。何度行っても新緑の美しさと水の色には圧倒されます。気持ち良く遊歩道を歩き、黒渕では渡舟に乗りました。見慣れない花が咲いていたので、調べてみるとラショウモンカズラのようです。 新緑と水が美しい 赤滝 黒渕渡舟 ...

  • 健康ウォークに参加

    連休で各地で催しが行われていますが、団地の体協と公衛協の共催で行われた健康ウォークに参加しました。荒谷林道をゴミを拾って歩き花みどり公園に行きます。花みどり公園に着くと外れの無いくじでお土産がもらえます。袋の中に何が入っているか楽しみです。弁当を食べ、シャクナゲを見て帰りました...

  • 5月上旬の荒谷林道(2)

    民家の庭ではヒラドツツジがきれいに咲いています。荒谷林道ではガマズミ、ツクバネウツギ、イングリッシュブルーベルの花が咲いています。 ヒラドツツジ   ガマズミ ツクバネウツギ イングリッシュブルーベル ...

  • 5月上旬の荒谷林道(1)

    早いもので、もう5月です。荒谷林道ではカマツカ、トウグミ、フタリシズカ、ヤブデマリの花が咲き始めていました。暖かくなってどんどん色々な花が咲き始めています。 カマツカ トウグミ ...

  • 4月下旬の荒谷林道(2)

    今年は例年より遅く春が来たような気がしますが、流石に4月下旬になると荒谷林道にアオダモ、ヤマブキ、ヒメコウゾ、キバナオドリコソウ等、色々な花が咲き始めました。 アオダモ   ヤマブキ ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(14)宇津ノ谷集落

    峠を下りて宇津ノ谷集落に着きました。豊臣秀吉が小田原攻めの際、馬の草鞋を取り替える為に立ち寄った茶屋の主が縁起が悪い「4」の数字を避け草鞋を3本分だけ渡し、勝利を祈願した。その結果勝利した為秀吉は主人の忠誠をほめて羽織を与えたという御羽織屋がありました。十団子を玄関に吊るした家...

  • 4月28日の縮景園

    午前中は小雨がぱらつく天気でしたが、午後は日差しも差して来ました。縮景園ではヤマボウシやツツジの花等が咲いていました。梅の標本木は実を付けていました。新緑も美しい季節となりました。明日は茶摘茶会と共に香菜圃では茶摘み実演が行われる予定で、道具の準備がされていました。 ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(13)宇津ノ谷峠 ②

    静岡側に下りて来ました。ムラサキケマンが咲いています。静岡側の登り口には案内地図模型もあり、現地ガイドの方が説明してくださいました。その後明治9(1876)に開通した明治のトンネルを通ってみました。 ムラサキケマン   ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(12)宇津ノ谷峠 ①

    宇津ノ谷峠に入ります。宇津ノ谷峠には古代から現代まで、それぞれの時代の道が残っています。私たちは豊臣秀吉が小田原攻めの時に開いた道で、江戸時代は東海道であった道を歩きます。細く急な道を登ります。ヘヤピンカーブになっている個所もあります。峠の頂上から少し下った所に地蔵堂跡がありま...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(11)宇津ノ谷峠へ

    岡部宿を出て東海道の難所の一つ宇津ノ谷峠に向かいます。相変わらず雨が降り続いています。川沿いの桜の花が散り始め、花びらの滝を作っています。道の駅宇津ノ谷峠で休憩。トイレや買い物をしたりして体を休めます。微笑ましい道中安全地蔵に送られ、いよいよ峠道に入ります。 ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(10)岡部宿② 大旅籠 柏屋

    大旅籠 柏屋に入館しました。一足早く旅籠に入った弥次さん喜多さんが足を洗いながら迎えてくれました。柏屋は岡部宿を代表する旅籠でした。主屋は歴史資料館になっており、当時の旅籠の様子や人々の暮らしぶりが分か長火鉢や煙草盆、旅人の旅装等が展示してありました。 ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(9)岡部宿①

    東海道歩き3日目は雨となりました。岡部宿を昔の旅人も雨の中を蓑やカッパを着たりして歩いたのだろうと想像しながら歩きました。岡部宿は21番目の小さな宿場のため、大名行列の時は、隣の藤枝宿から寝具や道具を借りることもあったようです。古い町屋が残っていて、かつての岡部宿の名残がありま...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(8)蓬萊橋を渡る

    東海道とは少し離れていますが、島田市にバスで戻って特別に蓬萊橋を渡りました。蓬萊橋は開拓した牧之原の茶畑へ行く橋として明治12年(1879)に作られた全長897,4mの世界一長い木造の歩道橋でギネスブックに登録されています。長い木の橋なので「長生きの橋」、897,4mなので「厄...

  • 4月下旬の荒谷林道(1)

    暖かな気持ちの良い日になりました。荒谷林道を散歩すると、ウワミズザクラ、ヤマフジ、ムラサキケマン、シャガ等の花が一斉に咲き始めていました。 ウワミズザクラ ヤマフジ   ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(7)藤枝宿

    藤枝宿に着きました。藤枝宿は22番目の宿であるとともに田中城の城下町として栄えました。大慶寺の久遠の松や、藤枝成田山新護寺の狛犬を見たりしました。特にボケ除の像はしっかり拝みました。 大慶寺   久遠...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(6)島田宿から藤枝宿へ①

    東海道歩き2日目。島田宿から藤枝宿に向かいます。平坦な道が続きます。途中上青島の松並木が残っています。ここに上青島の一里塚があったようです。 田中藩領牓示石蹟があります。田中藩は領地が入り組んでいたため、田中藩を示す 牓示石を各所に立てていたということです。千貫堤脇の街道を歩き...

  • 4月中旬の荒谷林道(1)

    4月も中旬と言うのに急に真冬を思わせる寒さなったり、夏を思わせる暑さになったり目まぐるしく天気が変わります。しかし荒谷林道ではシャクナゲ、ショウジョウバカマ、ウスギヨウラク、アケビの花が咲いています。確実に春はやって来ています。 シャクナゲ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(5)大井神社

    大井神社に立ち寄りました。参道脇には丸い石が積まれています。この石は川越人足が仕事を終えたあと、大井川から1個ずつ持ち帰り積み上げた石垣だそうです。この神社は三代実録にも記載されている古社です。日本三奇祭の一つ「帯祭」の発祥の神社です。境内に入ると疫難消除祈願の三番叟像と安産祈...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(4)島田市博物館

    島田川会所から大井川に向かうとせぎ跡があり、その先に島田博物館があるので、見学しました。旅人の服装や道具や川越の様子などが実物や映像で分かりやすく展示してありました。また島田といえば島田髷です。色々な種類の島田髷や日本髪の名称なども分かりやすく説明してありました。 ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(3)島田宿川会所

    大井川橋を渡り、島田宿川会所に行きました。川越を管理する川会所の川庄屋が川の深さを調べ料金を定め、旅人の渡しの順序や人足の割り当てを決めていたようです。旅人は川会所で川札を買い、その川札を人足に渡して川を渡り、人足はその川札を札場に持って行って、換金するシステムでした。川会所に...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(2)大井川を渡る

    金谷宿川越し場跡に着きました。今は面影はありませんが、当時の様子を描いた絵図が掲示されていました。水神公園には、明治になって大井川に橋が架けられた為職を失い困窮する人々を救済する為に、私財をはたいて牧之原之茶畑を開墾したり、仕事に行くための蓬莱橋(長い木の橋)を架けたりした義人...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(1)

    4月11日~13日東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩きました。11日には前回ゴール地点のJR金谷駅からスタートしました。近くの旧東海道に金谷宿案内図が掲示されています。金谷宿は本陣3軒、人口4241人、家1400軒で16町24間の宿場町でした。茶娘の衣装が販売され...

  • 野の花を見て思うこと

    4月に入ると、道路脇の割れ目でカラスノエンドウやスミレが花を咲かせていたり、荒れ地でタンポポやホトケノザが花を咲かせていたりします。この春から入学したり入社したりして新しい社会に飛び込んだ人も多いと思います。最初は思っていた所と違っていたり、戸惑ったりすることも多いと思いますが...

  • 4月初旬の荒谷林道(4)

    歩くと汗ばむほどの暖かい日となりました。荒谷林道を散歩すると、ヤマザクラやクロキの花が咲いていました。足元を見るとタチツボスミレやっシュンランも咲いていました。 ヤマザクラ   クロキ ...

  • 安芸大田町の花々(2)花の駅公園

    安芸大田町津浪では見事な菜の花畑も見ることが出来ました。花の駅公園にも行ってみました。桜の花やレンギョウが満開でした。花の駅公園は元JR可部線安野駅で、一両列車が置かれています。ソメイヨシノだけではなくシダレザクラやカンヒザクラも咲いていました。 ...

  • 安芸大田町の花々(1)ホソバナモバイモ・カタクリ

    安芸大田町にホソバナコバイモとカタクリの花を見に行きました。ホソバコバイモは時期が少し遅かったからか2~3本しか咲いていませんでしたが、コミヤマカタバミの花が咲いていました。カタクリが咲いている場所に行くと斜面一面に咲いていました。年々数が増えているように見えます。地域の人が手...

  • 後山のエドヒガン

    権現山の中腹にエドヒガンの大木があります。花が咲いたようなので見に行きました。この木は樹齢約300年と推定され、広島市の天然記念物に指定されています、樹高25m、樹周4、4m、樹冠巾30あります。帰りにウグイスに会えましたラッキーでした。 権現山の...

  • 4月初旬の荒谷林道(3)

    荒谷林道の散歩をしました。各地のソメイヨシノが満開ですが、ヤマザクラも咲いています。ヤブツバキの赤い花はこの時期貴重です。ヒガンマムシグサが咲きました。手が届く所にタラの芽が出ています。もう少ししたら食べごろになるので、きっと次に来た時には摘み取られていることでしょう。 ...

  • 広島平和記念公園の桜

    広島平和記念公園の桜が満開で、たくさんの人が訪れサクラの木の下で弁当を食べたり、原爆慰霊碑や原爆の子の像などを巡ってガイドの説明を聞いたりする人で一杯でした。 平和記念公園元安川の河岸の桜 桜の木の下から原爆ドームを見る...

  • 4月初旬の荒谷林道(2)

    荒谷林道を散歩しようと、我が家の庭を見るとシバザクラが咲いていました。荒谷林道ではヒサカキ、シキミ、コバノミツバツツジの花が咲いていました。4月に入ったというのに、まだ寒いのですが、植物は春の訪れを伝えています。 シバザクラ   ...

  • 4月初旬の荒谷林道(1)

    4月に入ったのに、肌寒さを感じます。しかし荒谷林道を散歩すると、ホトケノザ、ムスカリ、クロモジ、コバノミツバツツジの花が咲いています。モズも春の訪れを喜んでいるようです。 ホトケノザ ムスカリ クロモジ コバノミツバツツジ モズ ...

  • 広島駅ビル 市内電車発着場

    広島駅ビルのミナモアが3月24日にオープンしたので行ってみました、市内電車が新駅ビルの2階に乗り入れる工事の様子を見ることが出来ました。ミナモアの売り場は賑わっていました。 西から 工事が進む市内電車の架設 ...

  • 3月31日の縮景園

    縮景園ではソメイヨシノやシダレザクラ、源平桃、ミモザ等の花が一斉に咲き誇って見頃を迎えていました。亀は島を埋め尽くして甲羅干しをしていました。春爛漫です。 花盛り 灯籠から ...

  • 三原市佐木島を歩く

    団地の山登りの会のメンバーで三原市の佐木島のウォークをしました。団地の桜より少し早く花が咲いていました。特に塔の峰の桜は見事に咲いていました。向田港の近くの海に満潮になると半分上半身が海に沈む地蔵がありました。案内板によるとこの摩崖仏は正安2年(1300)仏師念心によって彫られ...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(19)金谷坂

    金谷坂の石畳を下ります。この石畳は江戸時代に幕府の命により助郷により旅人が歩きやすいよう山石を敷き並べたものといわれています。近年は30m程しか残されずコンクリート等で舗装されていましたが、平成3年、町民約600人の協力を得て延長430mが復元されたようです。滑らないよう気を付...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(18)諏訪原城跡

    菊川坂の峠付近にある諏訪原城跡を見学しました。諏訪原城は天正元年(1573)に武田勝頼が臣下馬場美濃守氏勝に作らせた山城です。自然を巧みに利用した堀切や、 復元された二の曲輪北馬出の門などを見ることができました。又ビジターセンターでは諏訪原城の当時の様子を証言した模型も見ること...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(17)菊川坂

    昼食後、いよいよ菊川坂を登ります。急な石畳を転ばないよう気を付けて上ります。菊川坂は平成12年の発掘調査により、西側上り口から161mは、江戸時代後期の石畳と確認され、平成13ねんに「石畳菊坂助郷伝説」として市民の手により、611mが復元されたようです。石畳復元に助力似た人々の...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(16)間の宿菊川

    小夜の中山の峠付近に久延寺があります。この寺は真言宗の寺で、本尊は子育て観音と称され「むかし住職が、山賊に殺された妊婦の子を育て、成長した子は親の敵を討つことができた。これはひとえに本尊の加護によるものであるということで、子育て観音と言われるようになった」といういわれがあるよう...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(15)小夜の中山③ 峠の茶屋の子育て飴

    小夜の中山は和歌集」以来、歌枕として数多くの歌に詠みこまれて来ました。江戸時代になると旅人を相手に「飴の餅」を売る茶店が多くあったようです。「飴の餅」はつきたての餅に水飴をかけて、椀に入れて箸で食べたようです。昔の旅人もきっと疲れが取れたことでしょう。水飴はもち米と麦芽を原料に...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(14)小夜の中山②

    歌川広重の版画の「日坂」石碑があります。日坂は小夜の中山を登る人々の姿を描いています。小夜の中山はかつては物騒な場所であったようで、妊婦がこの地で賊に襲われ命を落としたが、お腹の子は助かった。しかしその後大きな石にこの妊婦の霊が移り、夜ごと泣いたという「夜泣き石」があった場所で...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(13)日坂峠①

      弘法大師が杖を突くと、清水がわき出したという伝説の井戸を通り、いよいよ坂道の続く日坂峠を登ります。歌川広重も日坂峠を登る人々の版画を残しています。小滝の中の急坂を登ると、少し勾配が緩やかになり、道脇に茶畑が広がる中の道を登ります。 弘法井...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(12)日坂宿②

    日坂宿の旅籠川坂屋は身分の高い武士などが宿泊した脇本陣格で明治3年まで営業していたようです。萬屋は庶民が宿泊した旅籠です。藤文は万延元年(1860)から慶應3年(1867)にかけて江戸時代最後の問屋役を務めた伊藤文七邸跡です。内部に入ると広い板の間と畳の間がありました。日坂宿駕...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(11)日坂宿①

    東海道ウォーク3日目。昨日のゴール地点の事任八幡宮から日坂宿に向かいます。坂道になり、日坂宿の看板があります。続いて日坂宿高札場跡があります。高札の内容は、日坂宿が幕府領であった為、公儀御法度が中心で、掲げられている8枚は「東海道宿村大概帳」の記録に基づき天保年間の物が復元され...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(10)事任八幡宮

    内陸部にもかかわらず、この辺りの川に潮泉が湧き出る塩井があり、その塩水で事任八幡宮のお清めをしたという塩井神社を過ぎ、2日目のゴール地点の事任八幡宮に着き宮司さんの神社の由緒等の話を聞きました。事任神社は社伝によると大同2年(807)に桓武天皇の勅命により坂上田村麻呂が遷座した...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(9)掛川宿から日坂宿に向かう

    大手門は平成7(1995)に復元された掛川城の楼門です。逆川沿いに桜の花が咲いていました。河津桜とは違うので、聞いてみると掛川桜だそうです。東海道の東から掛川宿に入るには、新町の木戸跡から木町番所跡を経由し七曲がり道を通らなければなりません。有事の際の敵の進入を遅らせる効果を狙...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(8)掛川城御殿

    掛川城の天守閣に続いて掛川城御殿を見学しました。御殿は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿は、京都二条城等全国に4カ所しかないそうです。書院造りで、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なって、各部屋は襖によって仕切られています。内部には武具など、いろいろな物が展示し...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(7)掛川城天守閣

    掛川城の天守閣に登りました。豊臣秀吉の天下統一により、山内一豊が入城し、城の改修に併せ、天守閣を築きました。現在の天守閣は平成6(1994)年に日本初の本格木造天守閣として復元されたものです。復元に当たっては同じく山内一豊によって築かれた高知城を参考にしたそうです。天守閣は外観...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(6)袋井宿から掛川宿へ

    袋井宿から掛川宿に向かって歩きます。 富士浅間神社赤鳥居があります。800mほど先に富士浅間神社があるそうですが、今回は立ち寄りません。松並木を過ぎ、どんどん歩くと、掛川に入り秋葉道道標があります。東海道を旅する人は、ここから秋葉道を通って秋葉総本山を参拝し御油宿で東海道に戻り...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(5)袋井宿

    木原畷古戦場から東に進むと木原一里塚跡があります。袋井宿に着きました。袋井宿は江戸から数えても京から数えても27番目で東海道の中間点になるので、小学校も「どまん中西小学校」と名づけています。袋井宿には本陣3軒、脇本陣無し、旅籠50軒ありましたが、現存せず、中本陣跡は今は鮮魚店の...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(4)木原畷・許禰神社

      松並木が所々に残っている旧東海道をひたすら歩いて袋井宿に向かいます。袋井市に入って木原畷まで来ました。ここは徳川家康軍と武田信玄軍が戦った木原畷の戦いがあった所です。許禰神社に立ち寄りました。鳥居前には関ケ原の戦いに向かう徳川家康が戦勝祈願に立ち寄った時腰掛けたという腰掛石が...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(3)大日堂・三ヶ野七つ道

    見付宿から袋井宿に向かいます。途中二子塚古墳公園で休憩し、東に向かうと三ヶ野七つ道の案内板があります。この辺りは武田軍と家康軍が戦った場所です。家康の唯一の負け戦、元亀3年(1573)三方ヶ原の戦いの前哨戦と言われています。大日堂からは袋井方面が一望できる交通の要所です。鎌倉街...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(2)見付宿

    見付学校の隣に 遠江の国総社・淡海国玉神社があります。何とそこには狛犬ではなく子連れ・玉取の狛兎がいました。この神社は15柱の神様を祀っていますが、中でも中心的な神様は大国主命です。その大国主命と八上姫の縁を結んだのが因幡の白兎なので狛兎になったようです。しばらく東に向かって歩...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(1)見付宿

    3月7日から3月9日まで3日間で、東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩きました。スタートは前回のゴール地点の府八幡宮です。見付宿を歩きましたが、江戸時代の建物などはほとんど残っていません。わずかに徳川家康が築かせたという中泉御殿の門を移築したと言われる西光寺の表門や旧見付宿脇本...

  • 3月7日の広島駅ビル新築工事

    3月7日朝、広島駅南口から、広島駅ビル新築工事の様子を見ました。2階へ電車を引き込む工事が進んでいます。現在の市内電車の乗り場はもうすぐ見納めです。タクシー乗り場はほぼ出来ています。 広島駅2階へ電車入口 駅前の電車...

  • 3月上旬の荒谷林道

    時折小雨が降ったり、晴れたりする天気でしたが、荒谷林道に散歩に出掛けました。途中の民家の花壇ではフクジュソウのつぼみが膨らんでいました。今年は野鳥の姿が見えないことが多かったのですが、今日はヤマガラ、ミヤマホオジロ♀、ホオジロ、ジョウビタキ♀を見ることが出来ました。 ...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(12)

    天竜川を越え、わずかに松並木が残る旧東海道を東に向かいます。宮之一色秋葉山常夜灯があります。この辺りの常夜灯は建物の中に入っています。それでは暗いのではないかと思いましたが、この辺りはとても風が強いので、風よけの為に覆いをしているのかとも思いました。宮之一里塚跡を通り、府八幡宮...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(11)天竜川を渡る

    天竜川沿いに六所神社があり、その近くに中野町元標が立っていました。中野町は東海道の丁度真ん中であることから「中野町」の名がついたと伝えられています。江戸時代に東海道を行き交う旅人は「池田の渡し」で天竜川を越え、東海道の往還に出ていました。現在は新天竜川橋を渡ります。長い橋を渡っ...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(10)金原明善生家

    3日目、浜松宿から見附宿に向かう途中に金原明善の生家があり、立ち寄りました。部屋で金原明善の業績をまとめたビデオを観たり、ガイドさんの話を聞いたりした後、室内の見学をしました。2階は氾濫の時の住民の避難場所になっていたようです。部屋には生家で使っていた道具や、明善が亡くなる直前...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(9)

    家康ト鍵盤がデザインされたマンホールに送られて、浜松城から東に向かいます、馬込橋を渡ると外木戸東門があります。ここで浜松宿は終わりです。更に進むと馬込一里塚跡があります。 家康ト鍵盤がデザインされたマンホール   ...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(8)浜松宿

    浜松宿に着きました。浜松宿は、1843年の資料によると本陣6軒、旅籠94軒、家数1622軒、人口5964人で、城下町、宿場町として遠江の中心となっていました。きっかけは元亀元年(1570)に家康が引間城を大改築して浜松と改名し、居城を岡﨑から浜松に移したことによります。しかし明...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(7)舞坂宿~浜松宿へ② 軽便蒸気機関車

    浜松宿へ向かって歩く途中に掘留ポッポ道がありました。東海道線の浜松工場への引き込み線の跡を緑の散歩道として昭和60年(1985)に整備したものです。ここには大正7年(1918)に製造された初期の国産蒸気軽便機関車ケ91タンク機関車が展示されていました。この機関車は東農鉄道(岐阜...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(6)舞阪宿~浜松宿へ①

    舞坂宿~浜松宿に向かいます。見附石垣は舞坂宿の東見附には石垣が築かれ、番人が立って人馬の出入りを見張っていました。その石垣が今も残っています。しばらく東に進むと松並木がありました。約700m続いています。堀江領境界石という案内板が立っています。堀江はんは明治元年に旗本大沢氏が一...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(4)舞坂宿へ

    2日目は 弁天島海浜公園からスタートです。この地点はかつては浜名湖の中で今切渡船で渡った所ですが、今は橋でつながれています。弁天橋を渡って舞坂渡船場へ、今も灯籠や石垣、雁木が残っています。北雁木は主に大名や幕府役人が使った渡船場です。ここから舞坂宿に入ります。 ...

  • 雪の日の縮景園

    広島市中区にも雪が降りました。縮景園に行ってみると茅葺や杮葺の建物の屋根に雪が積もっていました。いつもとは違う縮景園の姿を見ることが出来ました。梅の花はまだ一部が咲いているだけでした。 悠々亭 明月亭...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(3)新居宿

    新居宿に着いたのが遅かったので、新居関所を見たら、新居の本陣は閉館になっていました。大正から昭和20年代前半頃まで芸者置屋及び小料理屋であった小松楼まちづくり交流館が開館していたので入館しました。小松楼が栄えていた頃の物が陳列されていたり、中にガラスがはめ込まれた障子等懐かしい...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(2)新居関所

    白須賀宿から、建久元年(1190)源頼朝が上洛の折、橋本宿に宿泊した時にこの井戸水を茶の湯に使ったとされる風炉の井等を通って新居宿に着きました。先ず見学したのは新居関所です。新居関所は100年間、幕府直轄として警備が敷かれ、通行の際には各種手形が必要で、特に江戸へ下る女性は「入...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(1)潮見坂~元宿

    少し日にちを遡りますが2月7日から9日まで、東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩きました。スタートは前回1月のゴール地点のおんやど白須賀です。潮見坂を下ると、目の前に遠州灘が現れました。歌川広重の版画そっくりです。広重はこの辺りから見た景色を描いたのかも知れないと思いながら歩...

  • 八重山4島を巡る(10)八重山島蔵元跡・八重山博物館

    八重山諸島旅行4日目。朝10時過ぎにはホテルから空港に向かい、帰りますが、少し時間があるので、ホテルの近くを散歩しました。八重山島蔵元がありました。案内板によれば、これは首里王府が八重山支配のために創設した政庁だそうです。その塀沿いに道路元標が建っていました。これは1951年に...

  • 山口県光市峨嵋山に登る(2)

      峨嵋山頂上から少し下った所に日和山跡があります。日当たりが良いのでここで弁当を広げました。そこから更に下ると明治維新以来の光市の戦没者を祀った峨嵋山神社がありました。そこから少し下ると岩があり見晴らしが良い場所があったので、そこから景色を眺めました。天気が良いので遠くの島まで...

  • 山口県光市峨眉山に登る(1)

    2月16日、地域の山登りの仲間と光市の峨眉山(117m)に登りました。杵崎神社の鳥居を潜って登山開始。かなり急な参道石段を上り、杵崎神社に着きました。鉄筋コンクリート作りの立派な社殿です。この神社の由来は562年の新羅征伐の時の故事に遡ります。そこから気持ちの良い木立を登ってい...

  • 広島城を通って縮景園に

    2月17日、広島城の堀端を通って縮景園に行きました。堀ではキンクロハジロが沢山浮かんでいました。縮景園の梅の花はまだ一部咲き始めというところです。ジョウビタキのメスが一羽チョコチョコ歩いて採餌していました。 冬空に聳える広島城天守閣   ...

  • 山口県光市冠山総合公園の梅

    山口県光市の冠山総合公園で梅まつりが開催されているということなので、地域の山登りの会のメンバーで行ってみました。しかし今年は開花が遅れていて、一部しか咲いていませんでした。 冠山総合公園では梅まつり開催中   ...

  • 八重山4島を巡る(9)石垣島鍾乳洞

    3日目最後の観光地は石垣島鍾乳洞です。20万年の年月が作った鍾乳洞は思った以上の規模でした。鍾乳石が垂れ下がったり、石筍が長く伸びていたり、鍾乳石と石筍がくっつき石柱になった所もありました。一部イルミネーションもありきれいでした。シャコ貝の化石も見られ、ここが海の底だったことを...

  • 八重山4島を巡る(8)石垣やいま村

    石垣やいま村に行きました。ここには石垣島の古い家が移築されています。比較的裕福な一般民家や農民の家、海人の家などを見て回りました。他にもリスザルがいたりマングローブなど見どころはあったのですが、雨でぬかるんで風も強く傘もさせない状態になったので、早々にバスに帰りました。八重山諸...

  • 八重山4島を巡る(7)石垣島川平湾

    八重山旅行3日目午後は川平湾でグラスボートに乗る予定でしたが、強風のため運航中止。湾を展望台からと、砂浜まで下りて見ました。空は曇っていますが青い海の色は印象的でした。近くの泡盛の酒造所にも行き、内部を見て泡盛の試飲もさせていただきました。公園のトイレの屋根の上のシーサーは舌を...

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