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  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(10)岡部宿② 大旅籠 柏屋

    大旅籠 柏屋に入館しました。一足早く旅籠に入った弥次さん喜多さんが足を洗いながら迎えてくれました。柏屋は岡部宿を代表する旅籠でした。主屋は歴史資料館になっており、当時の旅籠の様子や人々の暮らしぶりが分か長火鉢や煙草盆、旅人の旅装等が展示してありました。 ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(9)岡部宿①

    東海道歩き3日目は雨となりました。岡部宿を昔の旅人も雨の中を蓑やカッパを着たりして歩いたのだろうと想像しながら歩きました。岡部宿は21番目の小さな宿場のため、大名行列の時は、隣の藤枝宿から寝具や道具を借りることもあったようです。古い町屋が残っていて、かつての岡部宿の名残がありま...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(8)蓬萊橋を渡る

    東海道とは少し離れていますが、島田市にバスで戻って特別に蓬萊橋を渡りました。蓬萊橋は開拓した牧之原の茶畑へ行く橋として明治12年(1879)に作られた全長897,4mの世界一長い木造の歩道橋でギネスブックに登録されています。長い木の橋なので「長生きの橋」、897,4mなので「厄...

  • 4月下旬の荒谷林道(1)

    暖かな気持ちの良い日になりました。荒谷林道を散歩すると、ウワミズザクラ、ヤマフジ、ムラサキケマン、シャガ等の花が一斉に咲き始めていました。 ウワミズザクラ ヤマフジ   ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(7)藤枝宿

    藤枝宿に着きました。藤枝宿は22番目の宿であるとともに田中城の城下町として栄えました。大慶寺の久遠の松や、藤枝成田山新護寺の狛犬を見たりしました。特にボケ除の像はしっかり拝みました。 大慶寺   久遠...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(6)島田宿から藤枝宿へ①

    東海道歩き2日目。島田宿から藤枝宿に向かいます。平坦な道が続きます。途中上青島の松並木が残っています。ここに上青島の一里塚があったようです。 田中藩領牓示石蹟があります。田中藩は領地が入り組んでいたため、田中藩を示す 牓示石を各所に立てていたということです。千貫堤脇の街道を歩き...

  • 4月中旬の荒谷林道(1)

    4月も中旬と言うのに急に真冬を思わせる寒さなったり、夏を思わせる暑さになったり目まぐるしく天気が変わります。しかし荒谷林道ではシャクナゲ、ショウジョウバカマ、ウスギヨウラク、アケビの花が咲いています。確実に春はやって来ています。 シャクナゲ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(5)大井神社

    大井神社に立ち寄りました。参道脇には丸い石が積まれています。この石は川越人足が仕事を終えたあと、大井川から1個ずつ持ち帰り積み上げた石垣だそうです。この神社は三代実録にも記載されている古社です。日本三奇祭の一つ「帯祭」の発祥の神社です。境内に入ると疫難消除祈願の三番叟像と安産祈...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(4)島田市博物館

    島田川会所から大井川に向かうとせぎ跡があり、その先に島田博物館があるので、見学しました。旅人の服装や道具や川越の様子などが実物や映像で分かりやすく展示してありました。また島田といえば島田髷です。色々な種類の島田髷や日本髪の名称なども分かりやすく説明してありました。 ...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(3)島田宿川会所

    大井川橋を渡り、島田宿川会所に行きました。川越を管理する川会所の川庄屋が川の深さを調べ料金を定め、旅人の渡しの順序や人足の割り当てを決めていたようです。旅人は川会所で川札を買い、その川札を人足に渡して川を渡り、人足はその川札を札場に持って行って、換金するシステムでした。川会所に...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(2)大井川を渡る

    金谷宿川越し場跡に着きました。今は面影はありませんが、当時の様子を描いた絵図が掲示されていました。水神公園には、明治になって大井川に橋が架けられた為職を失い困窮する人々を救済する為に、私財をはたいて牧之原之茶畑を開墾したり、仕事に行くための蓬莱橋(長い木の橋)を架けたりした義人...

  • 東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩く(1)

    4月11日~13日東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩きました。11日には前回ゴール地点のJR金谷駅からスタートしました。近くの旧東海道に金谷宿案内図が掲示されています。金谷宿は本陣3軒、人口4241人、家1400軒で16町24間の宿場町でした。茶娘の衣装が販売され...

  • 野の花を見て思うこと

    4月に入ると、道路脇の割れ目でカラスノエンドウやスミレが花を咲かせていたり、荒れ地でタンポポやホトケノザが花を咲かせていたりします。この春から入学したり入社したりして新しい社会に飛び込んだ人も多いと思います。最初は思っていた所と違っていたり、戸惑ったりすることも多いと思いますが...

  • 4月初旬の荒谷林道(4)

    歩くと汗ばむほどの暖かい日となりました。荒谷林道を散歩すると、ヤマザクラやクロキの花が咲いていました。足元を見るとタチツボスミレやっシュンランも咲いていました。 ヤマザクラ   クロキ ...

  • 安芸大田町の花々(2)花の駅公園

    安芸大田町津浪では見事な菜の花畑も見ることが出来ました。花の駅公園にも行ってみました。桜の花やレンギョウが満開でした。花の駅公園は元JR可部線安野駅で、一両列車が置かれています。ソメイヨシノだけではなくシダレザクラやカンヒザクラも咲いていました。 ...

  • 安芸大田町の花々(1)ホソバナモバイモ・カタクリ

    安芸大田町にホソバナコバイモとカタクリの花を見に行きました。ホソバコバイモは時期が少し遅かったからか2~3本しか咲いていませんでしたが、コミヤマカタバミの花が咲いていました。カタクリが咲いている場所に行くと斜面一面に咲いていました。年々数が増えているように見えます。地域の人が手...

  • 後山のエドヒガン

    権現山の中腹にエドヒガンの大木があります。花が咲いたようなので見に行きました。この木は樹齢約300年と推定され、広島市の天然記念物に指定されています、樹高25m、樹周4、4m、樹冠巾30あります。帰りにウグイスに会えましたラッキーでした。 権現山の...

  • 4月初旬の荒谷林道(3)

    荒谷林道の散歩をしました。各地のソメイヨシノが満開ですが、ヤマザクラも咲いています。ヤブツバキの赤い花はこの時期貴重です。ヒガンマムシグサが咲きました。手が届く所にタラの芽が出ています。もう少ししたら食べごろになるので、きっと次に来た時には摘み取られていることでしょう。 ...

  • 広島平和記念公園の桜

    広島平和記念公園の桜が満開で、たくさんの人が訪れサクラの木の下で弁当を食べたり、原爆慰霊碑や原爆の子の像などを巡ってガイドの説明を聞いたりする人で一杯でした。 平和記念公園元安川の河岸の桜 桜の木の下から原爆ドームを見る...

  • 4月初旬の荒谷林道(2)

    荒谷林道を散歩しようと、我が家の庭を見るとシバザクラが咲いていました。荒谷林道ではヒサカキ、シキミ、コバノミツバツツジの花が咲いていました。4月に入ったというのに、まだ寒いのですが、植物は春の訪れを伝えています。 シバザクラ   ...

  • 4月初旬の荒谷林道(1)

    4月に入ったのに、肌寒さを感じます。しかし荒谷林道を散歩すると、ホトケノザ、ムスカリ、クロモジ、コバノミツバツツジの花が咲いています。モズも春の訪れを喜んでいるようです。 ホトケノザ ムスカリ クロモジ コバノミツバツツジ モズ ...

  • 広島駅ビル 市内電車発着場

    広島駅ビルのミナモアが3月24日にオープンしたので行ってみました、市内電車が新駅ビルの2階に乗り入れる工事の様子を見ることが出来ました。ミナモアの売り場は賑わっていました。 西から 工事が進む市内電車の架設 ...

  • 3月31日の縮景園

    縮景園ではソメイヨシノやシダレザクラ、源平桃、ミモザ等の花が一斉に咲き誇って見頃を迎えていました。亀は島を埋め尽くして甲羅干しをしていました。春爛漫です。 花盛り 灯籠から ...

  • 三原市佐木島を歩く

    団地の山登りの会のメンバーで三原市の佐木島のウォークをしました。団地の桜より少し早く花が咲いていました。特に塔の峰の桜は見事に咲いていました。向田港の近くの海に満潮になると半分上半身が海に沈む地蔵がありました。案内板によるとこの摩崖仏は正安2年(1300)仏師念心によって彫られ...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(19)金谷坂

    金谷坂の石畳を下ります。この石畳は江戸時代に幕府の命により助郷により旅人が歩きやすいよう山石を敷き並べたものといわれています。近年は30m程しか残されずコンクリート等で舗装されていましたが、平成3年、町民約600人の協力を得て延長430mが復元されたようです。滑らないよう気を付...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(18)諏訪原城跡

    菊川坂の峠付近にある諏訪原城跡を見学しました。諏訪原城は天正元年(1573)に武田勝頼が臣下馬場美濃守氏勝に作らせた山城です。自然を巧みに利用した堀切や、 復元された二の曲輪北馬出の門などを見ることができました。又ビジターセンターでは諏訪原城の当時の様子を証言した模型も見ること...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(17)菊川坂

    昼食後、いよいよ菊川坂を登ります。急な石畳を転ばないよう気を付けて上ります。菊川坂は平成12年の発掘調査により、西側上り口から161mは、江戸時代後期の石畳と確認され、平成13ねんに「石畳菊坂助郷伝説」として市民の手により、611mが復元されたようです。石畳復元に助力似た人々の...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(16)間の宿菊川

    小夜の中山の峠付近に久延寺があります。この寺は真言宗の寺で、本尊は子育て観音と称され「むかし住職が、山賊に殺された妊婦の子を育て、成長した子は親の敵を討つことができた。これはひとえに本尊の加護によるものであるということで、子育て観音と言われるようになった」といういわれがあるよう...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(15)小夜の中山③ 峠の茶屋の子育て飴

    小夜の中山は和歌集」以来、歌枕として数多くの歌に詠みこまれて来ました。江戸時代になると旅人を相手に「飴の餅」を売る茶店が多くあったようです。「飴の餅」はつきたての餅に水飴をかけて、椀に入れて箸で食べたようです。昔の旅人もきっと疲れが取れたことでしょう。水飴はもち米と麦芽を原料に...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(14)小夜の中山②

    歌川広重の版画の「日坂」石碑があります。日坂は小夜の中山を登る人々の姿を描いています。小夜の中山はかつては物騒な場所であったようで、妊婦がこの地で賊に襲われ命を落としたが、お腹の子は助かった。しかしその後大きな石にこの妊婦の霊が移り、夜ごと泣いたという「夜泣き石」があった場所で...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(13)日坂峠①

      弘法大師が杖を突くと、清水がわき出したという伝説の井戸を通り、いよいよ坂道の続く日坂峠を登ります。歌川広重も日坂峠を登る人々の版画を残しています。小滝の中の急坂を登ると、少し勾配が緩やかになり、道脇に茶畑が広がる中の道を登ります。 弘法井...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(12)日坂宿②

    日坂宿の旅籠川坂屋は身分の高い武士などが宿泊した脇本陣格で明治3年まで営業していたようです。萬屋は庶民が宿泊した旅籠です。藤文は万延元年(1860)から慶應3年(1867)にかけて江戸時代最後の問屋役を務めた伊藤文七邸跡です。内部に入ると広い板の間と畳の間がありました。日坂宿駕...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(11)日坂宿①

    東海道ウォーク3日目。昨日のゴール地点の事任八幡宮から日坂宿に向かいます。坂道になり、日坂宿の看板があります。続いて日坂宿高札場跡があります。高札の内容は、日坂宿が幕府領であった為、公儀御法度が中心で、掲げられている8枚は「東海道宿村大概帳」の記録に基づき天保年間の物が復元され...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(10)事任八幡宮

    内陸部にもかかわらず、この辺りの川に潮泉が湧き出る塩井があり、その塩水で事任八幡宮のお清めをしたという塩井神社を過ぎ、2日目のゴール地点の事任八幡宮に着き宮司さんの神社の由緒等の話を聞きました。事任神社は社伝によると大同2年(807)に桓武天皇の勅命により坂上田村麻呂が遷座した...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(9)掛川宿から日坂宿に向かう

    大手門は平成7(1995)に復元された掛川城の楼門です。逆川沿いに桜の花が咲いていました。河津桜とは違うので、聞いてみると掛川桜だそうです。東海道の東から掛川宿に入るには、新町の木戸跡から木町番所跡を経由し七曲がり道を通らなければなりません。有事の際の敵の進入を遅らせる効果を狙...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(8)掛川城御殿

    掛川城の天守閣に続いて掛川城御殿を見学しました。御殿は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿は、京都二条城等全国に4カ所しかないそうです。書院造りで、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なって、各部屋は襖によって仕切られています。内部には武具など、いろいろな物が展示し...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(7)掛川城天守閣

    掛川城の天守閣に登りました。豊臣秀吉の天下統一により、山内一豊が入城し、城の改修に併せ、天守閣を築きました。現在の天守閣は平成6(1994)年に日本初の本格木造天守閣として復元されたものです。復元に当たっては同じく山内一豊によって築かれた高知城を参考にしたそうです。天守閣は外観...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(6)袋井宿から掛川宿へ

    袋井宿から掛川宿に向かって歩きます。 富士浅間神社赤鳥居があります。800mほど先に富士浅間神社があるそうですが、今回は立ち寄りません。松並木を過ぎ、どんどん歩くと、掛川に入り秋葉道道標があります。東海道を旅する人は、ここから秋葉道を通って秋葉総本山を参拝し御油宿で東海道に戻り...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(5)袋井宿

    木原畷古戦場から東に進むと木原一里塚跡があります。袋井宿に着きました。袋井宿は江戸から数えても京から数えても27番目で東海道の中間点になるので、小学校も「どまん中西小学校」と名づけています。袋井宿には本陣3軒、脇本陣無し、旅籠50軒ありましたが、現存せず、中本陣跡は今は鮮魚店の...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(4)木原畷・許禰神社

      松並木が所々に残っている旧東海道をひたすら歩いて袋井宿に向かいます。袋井市に入って木原畷まで来ました。ここは徳川家康軍と武田信玄軍が戦った木原畷の戦いがあった所です。許禰神社に立ち寄りました。鳥居前には関ケ原の戦いに向かう徳川家康が戦勝祈願に立ち寄った時腰掛けたという腰掛石が...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(3)大日堂・三ヶ野七つ道

    見付宿から袋井宿に向かいます。途中二子塚古墳公園で休憩し、東に向かうと三ヶ野七つ道の案内板があります。この辺りは武田軍と家康軍が戦った場所です。家康の唯一の負け戦、元亀3年(1573)三方ヶ原の戦いの前哨戦と言われています。大日堂からは袋井方面が一望できる交通の要所です。鎌倉街...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(2)見付宿

    見付学校の隣に 遠江の国総社・淡海国玉神社があります。何とそこには狛犬ではなく子連れ・玉取の狛兎がいました。この神社は15柱の神様を祀っていますが、中でも中心的な神様は大国主命です。その大国主命と八上姫の縁を結んだのが因幡の白兎なので狛兎になったようです。しばらく東に向かって歩...

  • 東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(1)見付宿

    3月7日から3月9日まで3日間で、東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩きました。スタートは前回のゴール地点の府八幡宮です。見付宿を歩きましたが、江戸時代の建物などはほとんど残っていません。わずかに徳川家康が築かせたという中泉御殿の門を移築したと言われる西光寺の表門や旧見付宿脇本...

  • 3月7日の広島駅ビル新築工事

    3月7日朝、広島駅南口から、広島駅ビル新築工事の様子を見ました。2階へ電車を引き込む工事が進んでいます。現在の市内電車の乗り場はもうすぐ見納めです。タクシー乗り場はほぼ出来ています。 広島駅2階へ電車入口 駅前の電車...

  • 3月上旬の荒谷林道

    時折小雨が降ったり、晴れたりする天気でしたが、荒谷林道に散歩に出掛けました。途中の民家の花壇ではフクジュソウのつぼみが膨らんでいました。今年は野鳥の姿が見えないことが多かったのですが、今日はヤマガラ、ミヤマホオジロ♀、ホオジロ、ジョウビタキ♀を見ることが出来ました。 ...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(12)

    天竜川を越え、わずかに松並木が残る旧東海道を東に向かいます。宮之一色秋葉山常夜灯があります。この辺りの常夜灯は建物の中に入っています。それでは暗いのではないかと思いましたが、この辺りはとても風が強いので、風よけの為に覆いをしているのかとも思いました。宮之一里塚跡を通り、府八幡宮...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(11)天竜川を渡る

    天竜川沿いに六所神社があり、その近くに中野町元標が立っていました。中野町は東海道の丁度真ん中であることから「中野町」の名がついたと伝えられています。江戸時代に東海道を行き交う旅人は「池田の渡し」で天竜川を越え、東海道の往還に出ていました。現在は新天竜川橋を渡ります。長い橋を渡っ...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(10)金原明善生家

    3日目、浜松宿から見附宿に向かう途中に金原明善の生家があり、立ち寄りました。部屋で金原明善の業績をまとめたビデオを観たり、ガイドさんの話を聞いたりした後、室内の見学をしました。2階は氾濫の時の住民の避難場所になっていたようです。部屋には生家で使っていた道具や、明善が亡くなる直前...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(9)

    家康ト鍵盤がデザインされたマンホールに送られて、浜松城から東に向かいます、馬込橋を渡ると外木戸東門があります。ここで浜松宿は終わりです。更に進むと馬込一里塚跡があります。 家康ト鍵盤がデザインされたマンホール   ...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(8)浜松宿

    浜松宿に着きました。浜松宿は、1843年の資料によると本陣6軒、旅籠94軒、家数1622軒、人口5964人で、城下町、宿場町として遠江の中心となっていました。きっかけは元亀元年(1570)に家康が引間城を大改築して浜松と改名し、居城を岡﨑から浜松に移したことによります。しかし明...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(7)舞坂宿~浜松宿へ② 軽便蒸気機関車

    浜松宿へ向かって歩く途中に掘留ポッポ道がありました。東海道線の浜松工場への引き込み線の跡を緑の散歩道として昭和60年(1985)に整備したものです。ここには大正7年(1918)に製造された初期の国産蒸気軽便機関車ケ91タンク機関車が展示されていました。この機関車は東農鉄道(岐阜...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(6)舞阪宿~浜松宿へ①

    舞坂宿~浜松宿に向かいます。見附石垣は舞坂宿の東見附には石垣が築かれ、番人が立って人馬の出入りを見張っていました。その石垣が今も残っています。しばらく東に進むと松並木がありました。約700m続いています。堀江領境界石という案内板が立っています。堀江はんは明治元年に旗本大沢氏が一...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(4)舞坂宿へ

    2日目は 弁天島海浜公園からスタートです。この地点はかつては浜名湖の中で今切渡船で渡った所ですが、今は橋でつながれています。弁天橋を渡って舞坂渡船場へ、今も灯籠や石垣、雁木が残っています。北雁木は主に大名や幕府役人が使った渡船場です。ここから舞坂宿に入ります。 ...

  • 雪の日の縮景園

    広島市中区にも雪が降りました。縮景園に行ってみると茅葺や杮葺の建物の屋根に雪が積もっていました。いつもとは違う縮景園の姿を見ることが出来ました。梅の花はまだ一部が咲いているだけでした。 悠々亭 明月亭...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(3)新居宿

    新居宿に着いたのが遅かったので、新居関所を見たら、新居の本陣は閉館になっていました。大正から昭和20年代前半頃まで芸者置屋及び小料理屋であった小松楼まちづくり交流館が開館していたので入館しました。小松楼が栄えていた頃の物が陳列されていたり、中にガラスがはめ込まれた障子等懐かしい...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(2)新居関所

    白須賀宿から、建久元年(1190)源頼朝が上洛の折、橋本宿に宿泊した時にこの井戸水を茶の湯に使ったとされる風炉の井等を通って新居宿に着きました。先ず見学したのは新居関所です。新居関所は100年間、幕府直轄として警備が敷かれ、通行の際には各種手形が必要で、特に江戸へ下る女性は「入...

  • 東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(1)潮見坂~元宿

    少し日にちを遡りますが2月7日から9日まで、東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩きました。スタートは前回1月のゴール地点のおんやど白須賀です。潮見坂を下ると、目の前に遠州灘が現れました。歌川広重の版画そっくりです。広重はこの辺りから見た景色を描いたのかも知れないと思いながら歩...

  • 八重山4島を巡る(10)八重山島蔵元跡・八重山博物館

    八重山諸島旅行4日目。朝10時過ぎにはホテルから空港に向かい、帰りますが、少し時間があるので、ホテルの近くを散歩しました。八重山島蔵元がありました。案内板によれば、これは首里王府が八重山支配のために創設した政庁だそうです。その塀沿いに道路元標が建っていました。これは1951年に...

  • 山口県光市峨嵋山に登る(2)

      峨嵋山頂上から少し下った所に日和山跡があります。日当たりが良いのでここで弁当を広げました。そこから更に下ると明治維新以来の光市の戦没者を祀った峨嵋山神社がありました。そこから少し下ると岩があり見晴らしが良い場所があったので、そこから景色を眺めました。天気が良いので遠くの島まで...

  • 山口県光市峨眉山に登る(1)

    2月16日、地域の山登りの仲間と光市の峨眉山(117m)に登りました。杵崎神社の鳥居を潜って登山開始。かなり急な参道石段を上り、杵崎神社に着きました。鉄筋コンクリート作りの立派な社殿です。この神社の由来は562年の新羅征伐の時の故事に遡ります。そこから気持ちの良い木立を登ってい...

  • 広島城を通って縮景園に

    2月17日、広島城の堀端を通って縮景園に行きました。堀ではキンクロハジロが沢山浮かんでいました。縮景園の梅の花はまだ一部咲き始めというところです。ジョウビタキのメスが一羽チョコチョコ歩いて採餌していました。 冬空に聳える広島城天守閣   ...

  • 山口県光市冠山総合公園の梅

    山口県光市の冠山総合公園で梅まつりが開催されているということなので、地域の山登りの会のメンバーで行ってみました。しかし今年は開花が遅れていて、一部しか咲いていませんでした。 冠山総合公園では梅まつり開催中   ...

  • 八重山4島を巡る(9)石垣島鍾乳洞

    3日目最後の観光地は石垣島鍾乳洞です。20万年の年月が作った鍾乳洞は思った以上の規模でした。鍾乳石が垂れ下がったり、石筍が長く伸びていたり、鍾乳石と石筍がくっつき石柱になった所もありました。一部イルミネーションもありきれいでした。シャコ貝の化石も見られ、ここが海の底だったことを...

  • 八重山4島を巡る(8)石垣やいま村

    石垣やいま村に行きました。ここには石垣島の古い家が移築されています。比較的裕福な一般民家や農民の家、海人の家などを見て回りました。他にもリスザルがいたりマングローブなど見どころはあったのですが、雨でぬかるんで風も強く傘もさせない状態になったので、早々にバスに帰りました。八重山諸...

  • 八重山4島を巡る(7)石垣島川平湾

    八重山旅行3日目午後は川平湾でグラスボートに乗る予定でしたが、強風のため運航中止。湾を展望台からと、砂浜まで下りて見ました。空は曇っていますが青い海の色は印象的でした。近くの泡盛の酒造所にも行き、内部を見て泡盛の試飲もさせていただきました。公園のトイレの屋根の上のシーサーは舌を...

  • 八重山4島を巡る(6) 竹富島③

    ゆがふ館から歩いてアイヤル浜に行ってみることにしました。途中道脇にはバナナやマンゴーがなっています。牛ものんびりくつろいでいます。未舗装の細い道に入るとミーナ井戸や久間原御嶽がありました。アイヤル浜はとても静かでした。今にも雨が降りそうな天気だったので、海の色は今一でしたが水平...

  • 八重山4島を巡る(5) 竹富島②

    3日目の午前中はフリータイムだったので、再び竹富島を訪れました。昨日行かなかった竹富島ビジターセンターの「ゆがふ館」に行き、機や農具などの民具の展示を見たり、竹富島の歴史や民俗二ついてのビデオを見たりしました。特に心に残ったのは「うつぐみ」という言葉です。「親や生産人、老人にも...

  • 八重山4島を巡る(4)竹富島①

    竹富島に渡りました。カイジ浜で星の砂を探しましたが、私は見つけられませんでした。星の砂は海中に生息する有孔虫の殻が星の形をしていることから名付けられました。振り返ると一艘の廃船が海に浮かんでいました。その後八重山地方独特の家が建ち並んでいる集落を訪ねました。そこで出会った手押し...

  • 八重山4島を巡る(3)由布島

    西表島から由布島には海の上を水牛車に乗って行きました。由布島は亜熱帯植物楽園となっており、ブーゲンビレアガーデンで色々なブーゲンビレアを見たり蝶々園でスジグロカバマダラ、やオオゴマダラが飛び交うのを見たりしました。バナナの花と実を見ることも出来ました。

  • 雪の日の荒谷林道

    寒波がやって来て雪が積もりました。スキーウェアで完全防寒して荒谷林道の散歩をしました、雪の中、ルリビタキ、メジロ、ソウシチョウ等の野鳥が懸命に餌を探し回っていました。 雪が積もった荒谷林道 ルリビタキ♀ メジロ ソウシチョウ  

  • 八重山諸島4島を巡る(2)西表島

    八重山旅行2日目。石垣島出身の具志堅用高像に見送られて石垣港から西表島に向かいました。西表島では遊覧船に乗って仲間川を遡りマングローブと、この川の流域に棲む生き物を観察するというクルーズです。マングローブとは、熱帯や亜熱帯の沿岸部で海水と淡水が混ざり合う汽水域に生育する木の総称...

  • 八重山諸島4島を巡る(1)

    3泊4日で八重山諸島をめぐるツアーに参加しました。広島空港から那覇空港で乗り継いで石垣空港に行きます。空は曇っていますが、雲の上は青いです。この青い色が私は好きです。昼食は機内で広島空港で買った空弁いなりを美味しく食べました。石垣空港に着きましたが雨が降っています。ホテルに向か...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(11) おんやど白須賀

    今回の東海道歩きのゴール地点。「おんやど白須賀」に着きました。「おんやど白須賀」の展示室には 汐見坂を往来する庶民の旅模様が和紙人形で生き生きと表現されていたり、安藤(歌川)廣重が描いた汐(潮)見坂あたりの版画、旅籠の帳場の様子や甲冑なども展示されていました。次回はここから出発...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(10)二川宿~白須賀宿

    二川宿には古い町屋が残っています。スイセンや菜の花が咲き、キャベツ畑が広がる地域を歩いて白須賀宿に向かいます。境川橋を渡ります。その中間が愛知県と静岡県の境です。静岡県に入りしばらく歩くと白須賀宿です。本陣跡などを見ながら更に進むと潮見坂公園跡に着きました。そこの展望台から太平...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(9)二川宿

    東海道ウォーク、3日目は二川宿に入りました。二川宿本陣資料館に入館しました。二川宿高札場が復元されていました。資料館には旅に関する資料が沢山展示されており、参考になりました。隣の旅籠屋も公開されており、入店の様子が人形であらわされていたり、旅籠屋内が再現されていて、当時の旅籠屋...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(8)豊川稲荷

    東海道とは少し離れていますが折角豊川市に来たので豊川稲荷にお参りしました。日本3大稲荷という事で参拝者が多いらしく、参道には露店がずらりと並んでいましたが、時間が遅かったので閉店していました。大本殿にお参りして境内の三重の塔や奥の院などを見て大急ぎで回りました。そして安政5年(...

  • 1月27日の縮景園

    今日はそろそろ梅の花が咲いているかと思って縮景園に行ってみました。例年なら終わっている冬咲牡丹はまだきれいに咲いていますが、梅の花は例年1月初旬には咲き始める梅の木の花もまだ咲いていなくて、つぼみが膨らんでいました。梅林の梅の花が見頃を迎えるのはもう少し後のようです。 ...

  • 蓮華寺山に登る

    広島市安芸区の蓮華寺山(353、7m)に団地の山登りの仲間と登りました。麓の田んぼの隅にもう土筆が出ていました。登山道の途中の蓮華寺にお参りし、88体の石仏が並ぶ登山道を登りました。頂上は広場になっています。中世の山城の枕城跡です。良く晴れているのですが風は冷たかったのですが、...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(7)

    吉田城の天守閣を見ながら東海道三大大橋の一つとされた旧吉田大橋(現在は豊橋)を渡ると湊町公園があり、神明社が鎮座しています。この辺りは舟運の拠点であった場所です。吉田宿に入る場所には西惣門が復元されていました。江戸時代の吉田宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒、東海道に面した「...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(6)菟足神社

    伊奈から吉田宿に向かう途中、小坂井の菟足神社に立ち寄りました。この神社は手筒花火の発祥の地と言われています。境内も花火の火の粉により赤茶けています。この神社の祭神は菟上足尼命であることから、境内の狛犬の基壇二小さい兎が置かれていたり、拝殿の屋根の鬼瓦も兎だったりします。 ...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(5)伊奈の速須佐之男神社

    東海道五十三次2日目、伊奈から吉田宿を通り飯村まで歩きます。伊奈の速須佐之男神社では、力強い狛犬と屋根の上の躍動感あふれる狛犬が印象的でした。ヒマワリのような花の屋根の飾り瓦は初めて見ました。 速須佐之男神社入口   ...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(4)

    御油の松並木資料館には手筒花火の筒が展示されていました。三河地方は手筒花火の発祥の地だそうで、豊川市の大社神社の拝殿前の狛犬は赤茶けています。かつてはこの境内で行われていた手筒花火の鉄分を含んだ火の粉が狛犬に掛かったために、このように変色したようです。 ...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(3)御油の松並木と御油の松並木資料館

    御油の松並木を歩きました。この松並木は慶長9年(1604)徳川幕府の道路政策として、奉行の大久保長安によって植樹されました。昭和19年に国の天然記念物に指定されました。かつての東海道の名残を残しています。御油の松並木資料館には御油宿の復元模型や御油宿で使われた道具などが展示され...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(2)赤坂宿

    赤坂宿では旧旅籠鯉屋を営んでいた大橋屋を訪ねました。現地ガイドさんの説明を聞きました。大橋屋の建物は、文化6年(1809)の赤坂宿大火以降に建てられたと考えられています。裏庭には歌川広重の浮世絵を模した灯籠とソテツがありました。実物のソテツは近くの浄泉寺の境内に移植されていまし...

  • 東海道五十三次法蔵寺から白須賀宿まで歩く(1)法蔵寺

    1月17日~19日2泊3日で東海道五十三次の岡崎市の法蔵寺から白須賀宿まで歩きました。スタート地点の法蔵寺は幼少時代の徳川家康(竹千代)が手習いに通ったといういわれがある寺です。境内には東照宮や近藤勇の首塚がありました。また岡崎市指定文化財のイヌマキもありました。 ...

  • 往来物入手

    知人に江戸時代の往来物を2冊頂きました。「東海道往来」と「年中往来」です。興味深い内容の本です。年中往来は印刷ですが東海往来は手書きしたものです。達筆です。古文書解読の練習にもなるので、早速読んでみようと思います。  

  • 1月15日の荒谷林道で出会った野鳥たち

    時々みぞれが降って、寒い日となりましたが、荒谷林道を散歩しました、キジバトも羽を膨らませてふっくらしています。スズメの場合はふくら雀と言うそうですので、鳩の場合はふくら鳩と言うのでしょうか。久しぶりにツグミを見ました。ツグミは以前は冬になると家の周りに沢山いた野鳥ですが、この冬...

  • 1月14日の荒谷林道で出会った野鳥たち

    今朝も荒谷林道を散歩しました。カケスが姿を見せましたが真上なのでお腹しか見えません。ヒヨドリは今日も元気です。ソウシチョウは群れで行動しています。最近良く姿を見せます。残った雪の上を歩いた動物の足跡があります。何でしょうか? カケス ...

  • 1月13日の荒谷林道で出会った野鳥たち

    冬になっても暖かい日が続いていたのですが、最近雪が降ったりして寒さが増して来ました。今日荒谷林道を散歩するとヤマガラ、モズに会いました。 ヤマガラ ...

  • 団地のとんど祭り

    恒例のとんど祭りが団地で行われました。早朝からとんどを組み立てます。昼前には完成。午後2時に今年の年男年女により点火しました。火は勢いよく燃え上がりました。炎が弱まると、竹の先に付けた餅を焼きます。とんどで焼いた餅を食べると一年無病息災で過ごせると言われています。 ...

  • 1月中旬の荒谷林道(1)

    早いもので1月ももう中旬になりました。今日は雪は降らないものの、とても寒い日となりました。荒谷林道も日陰は雪が残って滑るので転ばないよう用心して歩きました。遠くの高い山はまだ雪を被っています。道脇のササの葉には霜が降りています。ギャーという鳴き声が頭の上でするので見上げるとカケ...

  • 雪の日の荒谷林道

    1月10日の朝も雪が積もっていますが、青空も見えて来たので、荒谷林道を散歩しました。いつもはダンプトラックが通る道も雪に覆われています。今日は休みでしょうか。山も雪に覆われています。アオジがいました。 荒谷林道に向かう道   ...

  • スマホで雪を撮る

    雪が降っています。そこでスマホで雪の写真を撮りました。バラの花に雪が積もっています。スマホに100均のマクロレンズを取り付けて、降ったばかりの雪を撮ると雪の結晶が撮れました。氷柱の出来始めも撮れました。 バラの花に積もった雪 ...

  • 1月8日の荒谷林道

    今日は雪が積もりました。駐車場に止めてある自動車にも雪が積もっています。雪が積もった荒谷林道を転ばないよう気を付けて歩きます。枯れ木に生えたキノコの上にも雪が積もっています。小枝に止まったモズが大きな声で鳴いています。 自動車にも雪が積もる  ...

  • 1月7日の荒谷林道

    1月7日、小雪が舞う寒い日となりました。上着を一枚多く着て荒谷林道の散歩をしました。遠くの山は雪に覆われています。ソウシチョウが道に落ちている木の実を食べていました。この冬はソウシチョウをよく見ます。 小雪が舞う   ...

  • 1月6日の縮景園 ①冬咲牡丹展示

    1月6日の縮景園です。冠木門前には立派な門松が置かれています。現在縮景園では冬咲牡丹展示中です。1月中旬ころまで展示されるようです。今が見頃です。 縮景園門前   縮景園正面 ...

  • 1月上旬の荒谷林道の野鳥たち

      霜で黒い車も白くなっています。寒さに負けず荒谷林道を散歩しました。この時期は花は咲いていませんが、野鳥を見ることが多くなるので楽しみです。今日はルリビタキやミヤマホオジロを見ることができました。 黒い車も霜で白くなる ...

  • 火の見櫓を撮る

      広島県安芸高田市の道を車で走っていると、火の見櫓がたっているのに気が付きました。早速車を止めて写真を撮りました。まだ半鐘も吊られています。子どもの頃、近所で火事があった時打ち鳴らされた半鐘の音が今でも耳の底に残っています。 火の見櫓横から ...

  • 1月3日の荒谷林道の野鳥たち

    新しい年になって、荒谷林道では野鳥が良く姿を見せるようになりました。今日1月3日はメジロ、ヒヨドリ、ホオジロ、ソウシチョウを見ることが出来ました。                                               メジロ   ...

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