岡部宿を出て東海道の難所の一つ宇津ノ谷峠に向かいます。相変わらず雨が降り続いています。川沿いの桜の花が散り始め、花びらの滝を作っています。道の駅宇津ノ谷峠で休憩。トイレや買い物をしたりして体を休めます。微笑ましい道中安全地蔵に送られ、いよいよ峠道に入ります。 ...
今回のウォークで史跡を訪ねるのはもちろん興味深いのですが、デザインマンホールやシニア川柳を灯籠に書いたものや狛犬かシーサーか分からないものが玄関先におかれていたりなど面白いオブジェなどに会えるのも楽しみの一つです。次回どのようなものに出会えるか楽しみです。 ...
荒谷林道に行く道沿いにある川の法面でヘモロカリスの花が咲いています。林道ではホタルブクロの花が咲いています。ホタルガが飛んできて葉に止まりました。カタツムリが急いで道を横断しています。自動車にひかれたらいけないので、つまんで渡してやりました。余計なお世話だったでしょうか? ...
今日も曇っていますが雨は降りません。そこで午後から荒谷林道に散歩に出掛けました。オオルリの鳴き声がするので見上げると、枯れ木のてっぺんでオオルリが鳴いていました。アケビの実が大きくなってきました。団地に帰ってくると、民家の庭で変わった形のアジサイの花やキキョウの花が咲いていまし...
今日もどんより曇っていますが、雨は降りそうにないので荒谷林道に散歩に出掛けました。ウスタケ、コガネヤマドリ、ドクツルタケと思われるキノコが梅雨に入るのを待ちかねていたように出ていました。ママコノシリヌグイの花の上でハリカメムシが交尾していたので、撮らしてもらいました。 ...
梅雨に入ってスッキリ晴れない日ですが、雨は降らないので荒谷林道散歩に出掛けました。林道脇ではネムノキの花が咲き始めています。この花は私が好きな花の一つです。この花を見ると小学生の頃の楽しかった夏休みを思い出します。オカトラノオも咲いています。雨が止んで嬉しそうにムラサキシジミも...
梅雨に入りました。時折強い雨が降っています。雨が弱まった時、庭に出てみるとガクアジサイの花が雨に濡れていました。そこでマクロレンズで撮ってみました。まわりの花びらのように見える部分は装飾花でガクだそうです。中の部分で密集して小さな両性花が咲きます。何輪か咲いていました。拡大して...
東海道伝馬館がありました。この建物は江戸時代後期の民家を移築したものです。伝馬の帳場や厩舎の様子が人形で表現してあったり、箪笥階段で2階に上がってみると、地域の方が作られた東海道53次の盆景がありました。今回の東海道歩きはここまで。次回は鈴鹿峠を越えます。 ...
土山宿に入ると陣屋跡や高札場あと、本陣跡などが並んでいます。草むらになった所もあるし、石碑だけが残った所、立派な屋敷が残っている所もあります。土山宿では地域のボランティアガイドさんが詳しく説明してくださいました。古い建物も残る土山宿を歩きます。 ...
御代参街道と東海道の分岐点に来ました。ここには二基の道標が建っていました。文化4年(1807)の「右 北国たが海道ひの八まんみち」と刻まれて日野の豪商中井氏が寄進した道標と、天明8年(1788)の「たかのよつぎかんのんみち}と刻まれた道標です。この道は東海道から多賀大社参詣の経...
2000年の歴史のある瀧樹神社の前を通り、松野の渡しとの分かれ道に来ました。明治13年に橋が出来、松野の渡しは廃止されました。しばらく東海道を離れ新しい道を歩きます。途中茶畑があります。土山はお茶の名産地だという事は初めて知りました。デザインマンホールにもお茶の花がデザインされ...
土山町に入ります。大野は間の宿で水口宿と土山宿の間で休憩をしたり、買い物をしたりするための商店があったところです。しかし後には旅籠も出来ていたようです。大野立場跡には明治天皇が休憩をされたということで、明治天皇聖蹟の碑が残っていました。街道松が残る市場松並木を歩いていくと一里塚...
水口宿の脇本陣であった町家の軒下に猫が道行く私たちをみています。やがて東見附跡に着きました。ここで水口宿は終わりです。ここから東に向かってあるきます。江戸時代の子の道は松並木が続いていたようです。大きな岩そのものを神体とした岩神がありました。今在家一里塚跡がありました。 ...
古城山が見えます。この山に水口岡山この城は天正13年(1585)に秀吉の家臣の中村一氏によって築城されました。山全体を要塞化し、石垣を築くなど、大規模な城でした。関ケ原の戦で西軍に視方志敗れた三代城主長束正家は帰城後、池田長吉らに攻められて、城は炎上、落城し、正家は日野に逃れ自...
2日目は水口宿から土山宿まで歩きます。歌川広重の浮世絵と説明で江戸時代の水口宿の様子が分かります。干瓢作りが盛んだったようです。水口宿には町毎に曳山蔵があります。曳山祭は享保年間に町民により始められた祭りで、曳山巡行と水口囃子で知られるそうです。水口岡山城が築かれた天正13年(...
一日目のウォークは水口宿の途中までです。夕食は信楽高原鉄道の信楽駅近くのレストランで食べました。信楽駅には駅前に大きなたぬきの公衆電話ボックスがあったり、信楽焼のモニュメントがあったりします。一人乗りの超小型電気自動車コムスのレンタカーが置いてありました。一度乗ってみたいと思い...
水口宿の西の見附跡がありました。ここから水口宿となります。神社の木に掛けられた勧請縄は魔除け等の意味があるそうです。北邸町には百間長屋があり下級武士たちが隣り合って住んでいました。これは敵が攻めて来た時城・藩邸を防御するためにありました。水口城は寛永10年(1633年)に3第将...
水口宿に向かって真っすぐに続く道を歩きます。泉一里塚がありました。一里塚には榎等が植えられていたようです。この一里塚はモニュメントで、実際の一里塚は現在地よりやや野洲川沿いにあったようです。水口宿の手前に造り酒屋があり、立ち寄りました。試飲販売もありましたが、酒蔵に古い酒造りの...
大沙川も天井川です。堤の上に、幹の周囲4,5m、樹高25m、樹齢750年と言われる弘法杉が聳えています。弘法大師がここを通りかかったとき、この場所で昼食を摂り、その時使った杉箸を刺したところ、生長しこのような大杉になったという言い伝えがあります。かつては2本並んで立っていたそう...
6月8日~9日の二日間、旧東海道石部宿から土山宿まで歩きました。古い酒蔵のある石部宿を東に向かって歩きます。由良谷川は天井川となっており、現在は改修されて付け替えられているものの、昔の川の下に掘られた隧道を抜けると夏見の里になります。ここは心太や銘酒桜川を売る茶店が数軒あり立場...
古い街道を歩くと、昔の旅に使われた籠や行火こたつ。ホーロー看板など昔の道具に出会ったり、思いがけず東経136度子午線に出会ったり、難読地名に出会ったりと、新たな出会いと発見があるので楽しいです。 東海道で使われた籠 ...
6月に入り団地の公園ではタチアオイの花が咲き、民家の庭では色々な種類のアジサイの花が咲いています。荒谷林道では先日咲いていた場所より別の場所でササユリが咲いています。 タチアオイ アジサイ① ...
石部宿に着きました。石部宿は江戸より51番目の宿です。かつては京都を朝出発すると、石部宿で一日の行程を終える距離だったようです。昔の人は一日で随分長く歩いたものです。東海道五十三次の石碑がありました。江戸の日本橋まではまだまだです。石部の古い町家が残る旧東海道を歩きます。再現さ...
六地蔵村の案内石碑がありました。平安時代、小野篁が1本の木から6体の地蔵尊を作って安置したことに因む名前の村で、ここは草津宿と石部宿の間に設けられた間の宿で梅ノ木とも呼ばれたようです。東海道一里塚跡を過ぎると和中散本舗大角家がありました。慶長16年(1611)和中散を広めた本舗...
目川に着きました。目川は草津宿と石部宿の間にあった立場で、旅人が酒やお茶などを入れるひょうたんの産地でした。東海道と中郡街道が別れる坊袋を過ぎ鈎の陣で休憩。ここは室町幕府第9代将軍足利義尚が、六角高頼討伐のために出陣した時に、陣を敷いた所です。そこを過ぎると一本の松がありました...
荒谷林道ではナワシロイチゴの花が咲いています。ササユリの蕾が膨らんでいます。もうすぐ咲きそうです。電線にツバメが止まってにぎやかに鳴いています。幼鳥です。親ツバメがえさを持って来るのを待っているようです。 ナワシロイチゴの花 ...
6月1日、とても良い天気になりました。荒谷林道ではイワガラミ、ウツボグサ、バイカツツジの花が咲いていました。チョウが葉に止まっています。テングチョウのようです。 枯れ木に巻き付いたイワガラミ イワガラミの花 ...
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岡部宿を出て東海道の難所の一つ宇津ノ谷峠に向かいます。相変わらず雨が降り続いています。川沿いの桜の花が散り始め、花びらの滝を作っています。道の駅宇津ノ谷峠で休憩。トイレや買い物をしたりして体を休めます。微笑ましい道中安全地蔵に送られ、いよいよ峠道に入ります。 ...
大旅籠 柏屋に入館しました。一足早く旅籠に入った弥次さん喜多さんが足を洗いながら迎えてくれました。柏屋は岡部宿を代表する旅籠でした。主屋は歴史資料館になっており、当時の旅籠の様子や人々の暮らしぶりが分か長火鉢や煙草盆、旅人の旅装等が展示してありました。 ...
東海道歩き3日目は雨となりました。岡部宿を昔の旅人も雨の中を蓑やカッパを着たりして歩いたのだろうと想像しながら歩きました。岡部宿は21番目の小さな宿場のため、大名行列の時は、隣の藤枝宿から寝具や道具を借りることもあったようです。古い町屋が残っていて、かつての岡部宿の名残がありま...
東海道とは少し離れていますが、島田市にバスで戻って特別に蓬萊橋を渡りました。蓬萊橋は開拓した牧之原の茶畑へ行く橋として明治12年(1879)に作られた全長897,4mの世界一長い木造の歩道橋でギネスブックに登録されています。長い木の橋なので「長生きの橋」、897,4mなので「厄...
暖かな気持ちの良い日になりました。荒谷林道を散歩すると、ウワミズザクラ、ヤマフジ、ムラサキケマン、シャガ等の花が一斉に咲き始めていました。 ウワミズザクラ ヤマフジ ...
藤枝宿に着きました。藤枝宿は22番目の宿であるとともに田中城の城下町として栄えました。大慶寺の久遠の松や、藤枝成田山新護寺の狛犬を見たりしました。特にボケ除の像はしっかり拝みました。 大慶寺 久遠...
東海道歩き2日目。島田宿から藤枝宿に向かいます。平坦な道が続きます。途中上青島の松並木が残っています。ここに上青島の一里塚があったようです。 田中藩領牓示石蹟があります。田中藩は領地が入り組んでいたため、田中藩を示す 牓示石を各所に立てていたということです。千貫堤脇の街道を歩き...
4月も中旬と言うのに急に真冬を思わせる寒さなったり、夏を思わせる暑さになったり目まぐるしく天気が変わります。しかし荒谷林道ではシャクナゲ、ショウジョウバカマ、ウスギヨウラク、アケビの花が咲いています。確実に春はやって来ています。 シャクナゲ...
大井神社に立ち寄りました。参道脇には丸い石が積まれています。この石は川越人足が仕事を終えたあと、大井川から1個ずつ持ち帰り積み上げた石垣だそうです。この神社は三代実録にも記載されている古社です。日本三奇祭の一つ「帯祭」の発祥の神社です。境内に入ると疫難消除祈願の三番叟像と安産祈...
島田川会所から大井川に向かうとせぎ跡があり、その先に島田博物館があるので、見学しました。旅人の服装や道具や川越の様子などが実物や映像で分かりやすく展示してありました。また島田といえば島田髷です。色々な種類の島田髷や日本髪の名称なども分かりやすく説明してありました。 ...
大井川橋を渡り、島田宿川会所に行きました。川越を管理する川会所の川庄屋が川の深さを調べ料金を定め、旅人の渡しの順序や人足の割り当てを決めていたようです。旅人は川会所で川札を買い、その川札を人足に渡して川を渡り、人足はその川札を札場に持って行って、換金するシステムでした。川会所に...
金谷宿川越し場跡に着きました。今は面影はありませんが、当時の様子を描いた絵図が掲示されていました。水神公園には、明治になって大井川に橋が架けられた為職を失い困窮する人々を救済する為に、私財をはたいて牧之原之茶畑を開墾したり、仕事に行くための蓬莱橋(長い木の橋)を架けたりした義人...
4月11日~13日東海道五十三次金谷宿から岡部宿・宇津ノ谷まで歩きました。11日には前回ゴール地点のJR金谷駅からスタートしました。近くの旧東海道に金谷宿案内図が掲示されています。金谷宿は本陣3軒、人口4241人、家1400軒で16町24間の宿場町でした。茶娘の衣装が販売され...
4月に入ると、道路脇の割れ目でカラスノエンドウやスミレが花を咲かせていたり、荒れ地でタンポポやホトケノザが花を咲かせていたりします。この春から入学したり入社したりして新しい社会に飛び込んだ人も多いと思います。最初は思っていた所と違っていたり、戸惑ったりすることも多いと思いますが...
歩くと汗ばむほどの暖かい日となりました。荒谷林道を散歩すると、ヤマザクラやクロキの花が咲いていました。足元を見るとタチツボスミレやっシュンランも咲いていました。 ヤマザクラ クロキ ...
安芸大田町津浪では見事な菜の花畑も見ることが出来ました。花の駅公園にも行ってみました。桜の花やレンギョウが満開でした。花の駅公園は元JR可部線安野駅で、一両列車が置かれています。ソメイヨシノだけではなくシダレザクラやカンヒザクラも咲いていました。 ...
安芸大田町にホソバナコバイモとカタクリの花を見に行きました。ホソバコバイモは時期が少し遅かったからか2~3本しか咲いていませんでしたが、コミヤマカタバミの花が咲いていました。カタクリが咲いている場所に行くと斜面一面に咲いていました。年々数が増えているように見えます。地域の人が手...
権現山の中腹にエドヒガンの大木があります。花が咲いたようなので見に行きました。この木は樹齢約300年と推定され、広島市の天然記念物に指定されています、樹高25m、樹周4、4m、樹冠巾30あります。帰りにウグイスに会えましたラッキーでした。 権現山の...
荒谷林道の散歩をしました。各地のソメイヨシノが満開ですが、ヤマザクラも咲いています。ヤブツバキの赤い花はこの時期貴重です。ヒガンマムシグサが咲きました。手が届く所にタラの芽が出ています。もう少ししたら食べごろになるので、きっと次に来た時には摘み取られていることでしょう。 ...
広島平和記念公園の桜が満開で、たくさんの人が訪れサクラの木の下で弁当を食べたり、原爆慰霊碑や原爆の子の像などを巡ってガイドの説明を聞いたりする人で一杯でした。 平和記念公園元安川の河岸の桜 桜の木の下から原爆ドームを見る...
今日も荒谷林道の散歩をしました。昨日まで気づかなかったヤマボウシ、フタリシズカ、スノキ、ツクバネウツギ、アオダモの花が咲いていました。 ヤマボウシ フタリシズカ スノ...
今年も団地の公園で鯉のぼりの群れが青空を泳いでいます。民家の庭ではシロバナタツナミソウが咲いています。荒谷林道ではウグイスがあちこちで盛んに鳴いています。シジュウカラもいます。ウグイスカグラの花も咲いています。 コイノボリが群れで泳ぐ ...
午後、雨が止んだので、荒谷林道散歩に出掛けました。民家の庭でモッコウバラが咲いています。林道ではカマツカの花が咲いています。途中で又雨が降り出したので傘をさしての散歩です。カキドオシやアケビの花も雨水が滴っています。途中から引き返していると又晴れました。スズメが木の実を食べてい...
曇っているものの、雨は降っていないので荒谷林道散歩に出掛けました。民家の庭でスズランが咲いています。荒谷山は霧で霞んでいます。今にも雨がふりそうです。散歩の途中で雨が降り始めました。傘をさしての散歩です。コバノガマズミの花が咲いています。シラユキゲシの葉に雨粒が落ち、水玉を作っ...
早いもので4月ももう下旬となりました。荒谷林道の散歩をしていても行きかう人と「暑いですね。」という挨拶を交しながら歩きます。ヤマフジが咲いています。ウスギヨウラクの花も咲きました。キバナオドリコソウの花も咲き始めました。あちこちにウワミズザクラのブラシのような花が咲いています。...
公民館の行事でリサイクルセンターの見学をしました。集められた資源ごみは大きな選別機にかけられ、金属インゴットやペレット、スチロールインゴット等の製品を作る素材となり、各製造工場で衣服になったり、金属製品、プラスチック製品、紙製品にリサイクルされます。私たちがきちんと分別して出すこ...
公民館の行事で広島市花みどり公園に行き、園内を巡りながらシャクナゲの種類、見分け方、育て方などの話を聞きました。プリンセスアレキサンドラという珍しいシャクナゲなどたくさんの種類があることに驚きました。 プリンセスアレキサンドラ ...
夏のような暑さになりました。荒谷林道ではフジやシロバナウンゼンツツジ、サルトリイバラの花が咲いていました。最近はウグイスもよく見える枝に止まって、声高らかに鳴いていました。 フジの花 シロバナウンゼンツツジ ...
街歩きの楽しみの一つにデザインマンホールとの出会いがあります。先日旧東海道を歩く企画で大津市で出会ったデザインマンホールです。一つ目は市の木の山桜、市の花叡山すみれ、市の鳥ゆりかもめを中心に大津絵の藤娘が左に、右に鬼の寒念仏したには琵琶湖と瀬田の唐橋が描かれています。二つ目は市...
夏を思わせるような暑さです。団地の民家の庭の隅でヒメフウロやセイヨウジュウニヒトエの花が咲いています。荒谷林道ではチゴユリやシロバナウンゼンツツジの白い花が咲いていました。カワトンボも飛んでいました。 ヒメフウロ ...
4月15日の午後、縮景園に行きました。小雨が降ったり止んだりの天気でした。八重桜が咲いていました。牡丹の花やツツジの花、ハンカチノキの花も咲いていました。見慣れない野鳥がいました。アカハラです。 八重桜 ...
和田神社から粟津の晴嵐と言われた場所を通ります。かつては湖岸に松並木が続き、八丁縄手と言われ、松の木が晴れて風が強い日はざわめくことからこう呼ばれたということです。そして瀬田の唐橋を渡ります。日本三大名橋の一つです。最後に訪れたのは建部大社です。今回の旧東海道歩きはここまで、次...
義仲寺から和田神社に向かいます。途中膳所城北総門跡を通ります。膳所城は慶長6(1601)年大津城に代わって湖岸の水城として築かれた城です。石坐神社前を通り、和田神社に着きました。この神社の境内には大イチョウの木があります。関ケ原の戦いで敗れた石田光成が京都に護送される時、この大...
義仲寺に行きました。義仲寺には木曽義仲や松尾芭蕉の墓等があります。木曽義仲は寿永3(1184)年に源範頼、義経の軍勢と宇治川・瀬田川の合戦で敗れ粟津が原で戦いで討死した。その墓所のほとりに側室巴御前が草庵を建て日々供養したのが無名庵でこの寺の始まりのようです。江戸時代には松尾芭...
大津宿本陣跡に着きました。大津宿の町並みは1里19間半(約4、3km)と長く、戸数3640軒・人口14,892人、本陣2軒・脇本陣1軒・旗小屋は71軒もあったようです。大津は大津事件があったことでも有名です。明治24(1891)年5月11日、ロシア皇太子ニコライが警備にあたって...
逢坂の関から逢坂峠を下ります。逢坂峠は江戸時代よりかなり掘り下げられて勾配が緩くなっているようです。弘法大師堂前、関蝉丸神社上社前を通り、関蝉丸神社下社に参拝しました。ここで、大津市の郷土史家の方に大津市の歴史についてのお話を聞きました。この神社は弘仁13(822)年、小野朝臣...
2日目は昨日ゴールした山科からスタートし逢坂峠を越えて大津宿に向かいます。先ず訪れたのは閑栖寺です。この寺の境内には車石が復元されています。閑栖寺から少し歩くと伏見街道追分で、道標が建っていました。自動車がぶつかったようで、補修されていました。いよいよ逢坂峠を越えます。国道1号...
日ノ岡峠を山科に向かって歩きます。この辺りは旧東海道の雰囲気を残しています。天智天皇陵の前で一休みして、山科の街を歩きます。所々に古い町家が残っています。徳林庵には小野篁が制作したという六地蔵の内一体が山科地蔵として安置されており、今回特別に拝観させていただきました。そして天智...
青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡で、元治元年(1864)8月初旬坂本龍馬とお龍は結婚式をしたという前を通り、粟田焼発祥の地を過ぎ、蹴上浄水場の近くの琵琶湖疎水記念館でトイレ休憩。その後、日の岡峠に上ります。この峠は京都から江戸に向かう旅人にとって最初の難所でした。この峠には牛...
4月6日、京都から江戸までの東海道53次ウォークに参加しました。起点は三条大橋西詰です。そこには弥次喜多像がありました。三条大橋を渡ります。三条大橋は天正18年(1590)に豊臣秀吉が大改修した時の銘入り擬宝珠が残っています。その一つに刀傷がついていました。これは幕末の池田屋騒...