やさしい聖書入門『箴言12:2-3』84. このところ箴言(しんげん)というところから聖書をまなんでいるわけですが、この箴言では多くのかしょで、あることばとその反対のことばをならべていうということがおこなわれています。 今回のかしょでも、2せつでは「善人(ぜんにん
やさしい聖書入門『箴言10:23-25』66. このところ学んでいる聖書の箴言は「知恵(ちえ)のことば」です。知恵はなにかを人にすすめます。時にはほかの人からの教えや注意として、また時には自分自身(じぶんじしん)からのメッセージとして。 そして私たちはそれらの知恵の
やさしい聖書入門『箴言10:23-25』66. 今回のかしょのまんなかのところには、「悪い人がおそれていることはその人にふりかかり、正しい人がねがうことはかなえられる」、と書かれています。これはちょっと見ただけだと、「悪い人にはかならずバチがあたってしあわせにはなれ
やさしい聖書入門『箴言10:22』65. 今回のかしょには、私たちをゆたかにするのは神さまからの祝福(しゅくふく)であって、人間の努力(どりょく)は関係(かんけい)ないって書かれています。ほんとうでしょうか?もしほんとうなら、努力なんてしても、しなくてもおなじだ
やさしい聖書入門『箴言10:21』64. 私たちには、「ものを言う自由(じゆう)」というものがあります。もちろん、自由にものを言えないことはあります。こわい人やえらい人の前では自由にものを言えないなどです。 でも考えてみればそんなときだって、「ものを言わないでお
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やさしい聖書入門『箴言12:2-3』84. このところ箴言(しんげん)というところから聖書をまなんでいるわけですが、この箴言では多くのかしょで、あることばとその反対のことばをならべていうということがおこなわれています。 今回のかしょでも、2せつでは「善人(ぜんにん
やさしい聖書入門『箴言12:1』83. 多くの人にとって、自分がやりたいとおもうことや、何かをするときに自分なりの「やり方」というものがあります。それにたいして他(ほか)の人から「そうじゃなくてこっちをやりなさい」とか、「こういうふうにやりなさい」と言われること
やさしい聖書入門『箴言11:30-31』82. 今回のかしょには、「正しい人はよい結果(けっか)にめぐまれ、わるい人にはわるい結果がやってくる」という意味(いみ)のことがかかれています。 「そのとおりだ」とおもいたいところですが、そうもいえません。というのは、正しい人
やさしい聖書入門『箴言11:29』81. やってはいけないようなことをしても、その人じしんはとくになにもこまらない、ということは世(よ)の中によくあります。すると人はその「やってはいけないようなこと」をつづけるようになります。 でもそれはけっきょく、いまのことし
やさしい聖書入門『箴言11:24-28』80. 世の中のことは算数のたしざん・ひきざんににています。たとえば、がんばりすぎると元気(げんき)がなくなってしまいにゼロになってしまいますし、からといってがんばらなければ結果(けっか)のほうはゼロのままです。結果というのは
やさしい聖書入門『箴言11:23』79. 今回のかしょのことばは、「正しい人のねがいは、ただよいこと」ということばではじまります。正しい人のねがうことは、「よいこと」の範囲(はんい)の中だけだという意味(いみ)です。 人間ですからいろいろなことを考えます。でもど
やさしい聖書入門『箴言11:22』78. 聖書は神さまのことば、もしくは、神さまのことを知る一番いい手がかりです。 「一番いい」というのは、だれが読んでも同じかしょに書かれていることは同じだからです。「あの人はこう言ってる」とか、「この人はこんなことを『聖霊にし
やさしい聖書入門『箴言11:20-21』77. 私たちは、良いことをしようと思えばできるし、わるいことをしようと思えばそれもできるというばあいに、良いことのほうをえらぶということが、なかなかむずかしいことがあります。 それがなぜむずかしいかの原因(げんいん)の1つは
やさしい聖書入門『箴言11:16-19』76. 今回のかしょは、対比(たいひ)というものがおこなわれています。たとえば、やさしい人はほかの人との関係(かんけい)でうまくいくようになり、乱暴(らんぼう)な人は一時的(いちじてき)にうまくいくと。 その一時的な成功(せい
やさしい聖書入門『箴言11:15』75. こんかいのかしょに、「保証人(ほしょうにん)」ということばがでてきます。このことばは、関西(かんさい)に住んでいる人は、吉本新喜劇でおなじみかもしれません。 劇(げき)の中でならず者がやってきて、「かしたお金をかえせ」と
やさしい聖書入門『箴言11:14』74. 今回のさいしょのことばは、「指導(しどう)されるということがなければ、人々はたおれてしまう」ということばです。「こうしたほうがいいよ」とか、「それはやめたほうがいいよ」ということを言ってもらえることと、そのように言われる
やさしい聖書入門『箴言11:9-11』72. これまでこのコーナーで、知恵(ちえ)によって生きることのたいせつさについて勉強(べんきょう)してきました。でもそれは、知恵によって生きることが「その人自身(じしん)にとってよいことなのだ」ということを勉強してきたのでし
やさしい聖書入門『箴言11:2-8』71. これまでこのコーナーで、知恵(ちえ)というものはだれに対してもかたりかけ、ただしい道をおしえてくれるのだということをなんどもまなびました。 そして今回のかしょにも、知恵が教えてくれることに私たちが従(したが)った結果(け
やさしい聖書入門『箴言11:1』70. 聖書には、たびたび出てくることがあります。その1つが、今回出てきた、「はかりをごまかすな」ということです。 たとえば何か食べ物を売る時に、むかしは「はかり売り」ということをよくやっていました。今のようにパッケージに入って食
やさしい聖書入門『箴言10:31-32』69. 今回のかしょも知恵(ちえ)のお話、それも知恵とただしい人との関係(かんけい)についてのお話ですが、これまでのお話とはガラリと変わっています。これまでは「正しい人は知恵のことばを聞く」というお話でしたが、今回のお話はぎゃ
やさしい聖書入門『箴言10:27-30』68. 何かの文章(ぶんしょう)をよんだり、人のことばを聞いたりするときに、どうしても考えないといけないことがあります。それは、その文章をかいた人やそのことばをはなした人が、「なにについてかたっているのか」をかんがえることです
やさしい聖書入門『箴言10:26』67. 今回のことばは、「なまけ者」は、つかわす人にとって、やっかいな人だといういみのことばです。なまけ者は、歯(は)にとってお酢(す)が、目にとってけむりがしみて痛(いた)むように、やくにもたたず、やっかいだと言っています。
やさしい聖書入門『箴言10:23-25』66. このところ学んでいる聖書の箴言は「知恵(ちえ)のことば」です。知恵はなにかを人にすすめます。時にはほかの人からの教えや注意として、また時には自分自身(じぶんじしん)からのメッセージとして。 そして私たちはそれらの知恵の
やさしい聖書入門『箴言10:23-25』66. 今回のかしょのまんなかのところには、「悪い人がおそれていることはその人にふりかかり、正しい人がねがうことはかなえられる」、と書かれています。これはちょっと見ただけだと、「悪い人にはかならずバチがあたってしあわせにはなれ
やさしい聖書入門『箴言6:16-17』33. 今回のかしょは前回からのつづきです。前回は、神さまがきらうものが6つあって、そのうちの1つは「たかぶる」ことだと言いました。 そして今回は、そのもう1つのものとして、うそをつくことだとかかれています。 するとまじめな人
安堵ーすべての終わりもう片付けが始まったんだねすべてがまるでうたかたの夢だったようだよあんなにも青い空の下で胸おどらせてたそんなひと時もおひらきなんだねでも僕は楽しかったよたとえあのひと時のためだけに生きたとしてもさあ片付けようか日がこんなにもかげってき
やさしい聖書入門『箴言6:16-19』32. 今回のかしょは、おもしろいことばで始まります。神さまごじしんが「いみきらう」ものがあるというのです。「いみきらう」というのは、「まじムリ」という感じのことばです。 そして神さまが「ムリ」とおもわれることが、体の部分(ぶぶ
やさしい聖書入門『箴言6:12-15』31. 今回のかしょのさいしょのところには、「よこしまな者(もの)」や「不法(ふほう)の者」ということばが出てきます。わかりやすくいうとこれは、悪者(わるもの)と言いかえてもいいでしょう。 でも、どんな人でも、ひとりひとりと人
やさしい聖書入門『箴言6:1-11』30. 聖書のことばは、時には神さまを信じていない人にむけてかたられ、また時にはすでに神さまを信(しん)じている人にむけてかたられています。そして今回のかしょは、神さまを信じている人にむけてかたられていることばです。 ここではほ
やさしい聖書入門『箴言5:3-23』29. 今回のかしょには「よその女」とよばれている人が出てきます。この人とかかわると、さいしょのうちは私たちをうれしい気持ちにさせてくれまずが、その人は私たちを死(し)の世界(せかい)へとひっぱってゆき、そのうえせっかくこれまで
やさしい聖書入門『箴言5:1-2』28. 今回のかしょに、知恵(ちえ)のある言葉(ことば)を聞いたり、読(よ)んだりするときに、なにがひつようだとかかれていますか?そうです。「注意(ちゅうい)して」聞いたり、読んだりすることがひつようなのです。 そうすればあなた
やさしい聖書入門『箴言4:25-27』27. 今回のかしょのはじめのことばは、「前方(ぜんぽう)を見つめなさい」、「まっすぐ前を見て生きなさい」という意味(いみ)のことばですが、これは「前むきに生きなさい」という意味ではありません。そのすぐあとのことばからこれは、
無垢な動物のように生き、諦めたように死んでいくねえ気づいてるかい?夜のしじまの中であんたが見ている夢がたとえ千の色を持っていようと今のことや未来を装っていようとあんたが見ているのはいつだって過去のことどこまで夢を旅しても過去から逃れられないとそれでも必死
やさしい聖書入門『箴言4:24』26. 私たちが人になにかを言うときに、もしも言おうとしていることがだいじなことなら、同じことをくりかえし言うばあいがあります。今回のかしょもそうです。「まがったことを言う口をあなたから取りのぞき、ゆがんだことを言うくちびるをあな
やさしい聖書入門『箴言4:23』25. ものごとには、ていねいに説明(せつめい)する必要(ひつよう)があるばあいと、説明をしないほうがよいばあいとがあります。ていねいに説明することで、かえって、「そんなのいらない」と思われてしまうこともあるでしょうから。 それに
本物とにせ物世の中の物事にはおおよそ二種類あるおおよそ二種類あって1つは「本当」のこと本当に正しいとか本当に必要なこととか本当にいけないとか本当は不必要とかそしてもう1つはただ「もっともらしく聞こえること」「この仕事をするのならこの本は必読だ」とか「クリ
やさしい聖書入門『箴言4:18-22』24. 個人的(こじんてき)なことですが、今回のかしょのさいしょの言葉―「正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよかがやきを増(ま)して真昼となる」という言葉には悲しい思い出があります。 この言葉は、むかし一人の青年
やさしい聖書入門『箴言4:14-17』23. 私たち人間は、一人の例外(れいがい)なく、自分の経験(けいけん)をもとに生きています。たとえば大声でおびやかされてきた人は、大きな声を聞くと「こわい」と感じるでしょうし、春や夏に楽しい思い出をたくさん持っている人は、そ
やさしい聖書入門『箴言4:7‐13』22. ほんとうにだいじなことというものは、「さいしょだけだいじ」とか、「さいごだけだいじ」というものではありません。さいしょからさいごまで、ずっとだいじです。知恵(ちえ)はまさにそれです。 しかし、それがなかなかわからないの
やさしい聖書入門『箴言4:1-6』21. 私たちには、だれかからなにかを教えてもらう機会(きかい)というものがあります。そして教えてもらうといってもいろいろです。 勉強(べんきょう)や料理(りょうり)のしかたもあれば、自転車ののりかたのようなものもあります。そし
表出(ひょうしゅつ) このところ、ある県の知事が「職業差別だととられかねない発言」をしたといって、ニュースで取り上げられている。 そもそもいったいマスコミはなぜ「職業差別だととられかねない」というような、奥歯にもののはさまった言い方をしているのか。あれは
やさしい聖書入門『箴言3:35』20. 私たちは自分で物事(ものごと)を考え、自分がどうするのかや、なにをいうのかを決めます。それらはぜんぶ、自分のこころの中でやるわけです。 自分のこころの中のことを自分でぜんぶわかっているわけではありませんが、でも「考えた」と
やさしい聖書入門『箴言3:34』19. 今回のかしょには、いい気になって、ほかの人のことを「たいしたことない」って思う人のことを、神さまの方がそう思うと書かれています。そしてその反対に、自分はそんなにえらくない、それどころかいろんな人たちにたすけてもらいながら生
やさしい聖書入門『箴言3:31-33』18. 今回のかしょには、まず暴虐(ぼうぎゃく)、つまり乱暴(らんぼう)で人をくるしめるようなことをへいきでやるような人のことを、「うらやましい」と思ってはいけないと書かれています。 もしかしたら、そんな人のことを「うらやまし