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禅的哲学 https://blog.goo.ne.jp/gorian21

禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。

私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。

御坊哲
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港南区
出身
御坊市
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2013/12/07

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  • 信仰は必要か?

    結論から言うと必要だと思う。と言うか、人は必ず何らかのことを既に信じている。誰もがなにかを信じないでは生きられないのである。「私は唯物論者だから非科学的なことは信じない。」と言う人もいるが、それだって一つの信仰(注1)である。アインシュタインやニュートンのように超一流の科学者でありながら、神さまを信じている人はいくらでもいる。唯物論と科学で満足できる人はある意味幸せであるが、悩む人はたいていもっと根本的な不安を抱えているものである。この世界というものが信用できないという不安に駆られているからだ。そもそもなぜこのような世界があって私はここにいるのだろう?という問いには科学も答えることが出来ない。「ビッグ・バンで世界は生まれた。その前は無である。」なんて答えはダメである。なんで無からビッグ・バンが生じたのかを...信仰は必要か?

  • テロは絶対に許してはいけない‥‥

    安倍銃撃事件が発生した時、「民主主義への挑戦」という言葉が飛び交った。事件直後には自民党の政治家は口々にその言葉を発していたように記憶している。彼らはこの事件をテロだと見做したのだろう。しかし、これはテロとは言えない。テロとはウィキペディアによれば次のように説明されている。『日本大百科全書』によると、テロリズムとは「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」山上被告を事件に駆り立てた動機はあくまで統一教会に対する個人的な怨恨であり、政治的意図はないのは明らかで、彼の行為をテロというのは当たらないように思う。しか...テロは絶対に許してはいけない‥‥

  • 去るものは去らず

    「去るものは去らず」とは、古代インドの哲学者龍樹(ナーガルジュナ)の著書「中論」の中に出てくる文言です。龍樹は大乗仏教の祖ともいうべき人で、大乗仏教の広まった地域では第二の釈迦とも呼ばれています。龍樹の思想の特徴は、あらゆる固定的な概念規定を否定するほどに、空観を徹底していることです。親鸞は高僧和讃の中で龍樹を次のように称えています。南天竺に比丘あらん龍樹菩薩となづくべし有無の邪見を破すべしと世尊はかねてときたまふ(龍樹に関する10首中の2首目)龍樹は、あらゆるものは相依性によって成立すると説きます。相依性というのは、「善があって悪がある、また悪があって善がある。」というように、関係性によってものごとが成立しているということを指します。それはなにものもそのもの独自によって成立しているものはない、つまりあら...去るものは去らず

  • 統一教会と日本の政治の闇

    自民党の旧統一教会との関係の「自主点検リスト」が物議をかもしているが、問題となっていることのポイントがずれているような気がしてならない。茂木幹事長によれば、接点があった議員の9割近くが、相手が教団と関係しているとの認識がなかったらしい。「社会的な問題に対する我々の認識が不足していたのだろう」などと空とぼけたことを述べている。そもそも社会的な問題に対する認識が欠けているような人は政治家になるべきではない。そんなことは当たり前の話ではないか。重要なのは、旧統一教会のような組織に対して政治家としてどのような態度で臨むべきかということなのだ。1980年代から90年代にかけて霊感商法であれほど話題になった組織がなぜ今も生き残っているのかということが問題にされなければならないのではなかろうか。「旧統一教会の関連団体だ...統一教会と日本の政治の闇

  • 美について

    日本人は西洋人に比べて抽象的な思考が苦手である、というようなことが言われることがある。本当のところはどうかということはなかなか言えないような気がするが、江戸末期から明治にかけてそれまで日本語にはなかった多くの抽象概念が西洋からもたらされたことは間違いのないことのようだ。数ある外来語の中でもとりわけ意外なのが、「美」という概念である。実はこれがオランダ語の"schoonheid"の翻訳語であらしい。多和田葉子氏の「エクソフォニー」というエッセーで、そのことが柳父章氏の「翻訳語成立事情」の中で紹介されているということを知ったのである。私にとってそのことはちょっとしたショックであった。「美」という言葉はいたるところで見聞きするし、これほどポピュラーな概念もないのではないかと思っていたからである。「立てば芍薬、座...美について

  • 人は老いると小さくなる?

    就学や就職で一旦故郷を離れた後に久し振りに帰省すると生まれ育った町が小さくなったと感じる、それはほとんど誰もが経験することらしい。道幅は狭く、通い慣れた学校は「もう少し遠くにあると思っていたが、案外近かったんだな。」という感慨を抱く。ところが今回久々に信州を訪れて、私はこれとは全く逆の経験をしたのである。私は学生時代の五年間(1年落第)を松本で過ごした。その内の大部分を思誠寮というところで暮らしたのだが、そこは現在は「あがたの森公園」の一部となっている。あがたの森は松本駅から一直線の目抜き通りの終点にあり、駅を出ると正面に見えるヒマラヤスギの森がそれである。駅近くのホテルに荷物を置いて、早速私はあがたの森を目指したて歩き出した。「松本の街も昔に比べて随分小ぎれいになったなぁ」などという感慨に浸りながら歩い...人は老いると小さくなる?

    地域タグ:松本市

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