冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。
本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧
◎自分に向き合うことほど恐ろしいものはない近所の火事のニュースであっても、事実とマスコミ報道の内容が異なることはある。また公式発表が、事実と異なることもままある。常時天眼通を発揮していた出口王仁三郎は、周囲の者が知らない事件を誰もが知っている事件として口にして、周囲をしばしば困惑させていたが、彼らは後に新聞報道で後に知ることになることがあったという。ことほど左様に、事実あるいは現代史というのは、「実際に起こった事実の積み重ね」ではなく、「実際に起こったとされる事実の伝聞の積み重ね」である。「実際に起こったとされる事実の伝聞の積み重ね」は、個人の頭の中の想念で形成される世界であり、実際の出来事が起こった世界とは異なるもの。このメカニズム故に、現代人の頭の9割はマスコミでできており、「マスコミをとってしまうと、ほと...事実と伝聞とマスコミの作った想念
◎巨大な満月相を示す政界にかつて偽メール事件というのがあって人が死んだり、失脚したりした。平安の昔にも、道鏡の偽チャネリング事件というのがあった。称徳天皇は、今話題の女性天皇。女性であれば、男性の愛人があっても不思議はなく、称徳天皇は看病僧であった道鏡を愛人としてご寵愛されていた。761年から称徳天皇の近侍であった道鏡は、既に60台ではあったが、愛人として公私の相談相手として勝手が良かったのだろう。764年孝謙上皇は、藤原仲麻呂の乱の鎮圧後、天皇に復位し、称徳天皇となった。この国難の時期の女性天皇を支えた道鏡は、765年には僧籍のまま太政大臣となり、翌766年法王となった。769年5月、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と大宰主神(だざいのかんづかさ)の習宜阿曾麻呂が「道鏡を皇位につかせたならば天下は泰平である」という...和気清麻呂と偽チャネリング事件
◎小松林命-4常時憑依の小松林命だが、以下の2つの理由から、私は、小松林命は、出口王仁三郎の本守護神だろうと推測する。また出口王仁三郎の治安維持法裁判速記録から。『裁判長訊いて見ませうかね、どうぢや王仁三郎。答小松林命は私が鎮魂を修業した結果、体中に収つて居るのです。さうして、始終、それが耳に触はられたりして、其の霊を通じて素盞嗚尊或は国常立尊がそつと私に物をお教へになつたり、お告げになつたり、或は精霊の目を通し、耳を通して……我々はそれを霊代と言うて居るのです。裁判長今、弁護人の言ふことと違ふぞ。素盞嗚尊の如きえらい方は通常憑いて居られないのか。答始終居られませぬ。小松林命が媒介天人になつてお願ひするから、精霊を通して素盞嗚尊がお降りになると云ふのです。それは間接になります。小松林命と言へば直接内流、私は間接...出口王仁三郎の七つの身体考-4
◎小松林命-3◎小松林命は何時も居るまた出口王仁三郎の治安維持法裁判速記録から。『問それから、霊代とか、顕現と云ふことはどう云ふことを云ふのですか。答現れて来ることです、移つて来ることです。問どうなるのだ。答神様が身体に移るのです。問身体に移るとは──。答詰り私の耳を使うたり、目に移つたりして、移るのです。問移ると云ふのは、つくと云ふ意味か。答懸ることです。神憑りとも、神つきとも云ふのです。神憑とも云ひます。それを神憑りと読むのです。問普段もついて居るのか。答精霊は何時もついて居ります。小松林命は何時も居ります。』(大本史料集成3事件篇/池田昭編/三一書房P391-392)このやりとりでは、常時憑依の小松林命は別格。また『精霊』とは出口王仁三郎の用例では、輪廻の主体であり、微細身。コーザル体かメンタル体か。素直...出口王仁三郎の七つの身体考-3
◎小松林命-2◎小松林命神懸判定出口王仁三郎は、チャネラーにしてクンダリーニ・ヨーギ。チャネラーである場合は、彼自身に何が憑依しているかは、審神者で判定してもらわなければならない。そこで、彼に霊学のてほどきをしてくれた静岡県清水の稲荷講社の長沢雄楯が、審神者となって、憑依神霊の判定をした。『そのころ長沢先生はまだ四十歳の元気盛りであった。霊学上の話や本田親徳翁の来歴など立て続けにしゃべりたて、その日は自分の住所氏名を告げただけで終わってしまった。長沢先生の御母堂の豊子刀自は、本田親徳翁の予言した丹波からの修行者はお前さまのことだろう、と本田翁が遺したという鎮魂の玉、天然笛、神伝秘書の巻物を渡してくれた。翌日は喜楽は自分の神がかりに至ったいきさつを長沢先生に詳細に物語り、その結果、先生が審神者となって幽斎式を執り...出口王仁三郎の七つの身体考-2
◎小松林命出口王仁三郎の話では頻出の小松林命。出口王仁三郎の治安維持法裁判で、出口ナオの金釘流の判読しにくい神諭を出口王仁三郎自身が神がかりになって解読したと証言している。その最後のほうで、自分の神がかりについて微妙な解説をしている。『答私は、始まりは嬉しいが、落着かぬ。穴太に居つた時分には、ちよつと人から見たら、気違ひぢやないかと、随分云はれました。自分でも気違ひぢやないかと思ふ程、ぢつとして居つても飛び上り、声が喉から催す。それで長沢先生の所に行き、鎮魂をして貰うた。私の体には、小松林命の精霊が何時も入つて居ります。其の精霊を通さぬことには、間接内流も、直接内流も出来ない。其の精霊を通して見ると、霊界の消息も、幾分か判るのであります。』(大本史料集成3事件篇/池田昭編/三一書房P362から引用)出口王仁三郎...出口王仁三郎の七つの身体考
◎牝牛、蛇、猪、蔦、ワイン、ビール七つの次元を貫くもの、そしてそのエネルギーの源泉。それは、思春期から青年期にかけて激しく、おそらくほとんどの若者が感じていることではないのだろうか。多くは性欲という認識を出ることはないのかもしれないが。ディオニュソスで表象される命の炎は、牝牛、蛇、猪、蔦、ワイン、ビール、男根などというシンボルで、彫刻、絵画、文書に現れる。ディオニュソス。その燃え盛る命の躍動を、教育、法治、因習などで縛り、社会秩序を維持させていく。そうした社会人として抑制することをわきまえた常識人であっても、外国へ行くと、全く別の思考、感覚体系で社会ができあがっていることを感じるものだ。またテレビ、スマホなどの刺激のない時代には、人は集会、祭礼、儀式などで、その社会の秩序の様式ではない非日常を見せられたものだ。...七つの次元を貫く命の炎
◎信心銘でアートマンの後先信心銘の続き。『眼(まなこ)若し睡らざれば諸夢自ずから除く心若し異なざれば万法一如なり一如体玄なれば兀爾(こつじ)として縁を忘ず万法斉しく観ずれば帰復自然なり』※眼(まなこ)若し睡らざれば:熟睡中に眠らない自分。ウパニシャッドの頻出テーマ。荘子大宗師篇にも寝ても夢見ないというのがある。ケン・ウィルバーが、自分では悟ったと思っていた時期に、熟睡中に眠っている自分を発見して愕然として、修行をし直した例もある。※心若し異なざれば:臨済録に、『如何なるか是れ心心不異の処?」と弟子が問うと臨済が云く、「あなたがこれを問おうとしていることは、既に異であって、いけない。』というのがある。これに続く言葉である万法一如(ア―トマン)と心が異なってはならない。※一如体玄なれば兀爾(こつじ)として縁を忘ず:...熟睡中に眠らなければ夢も見ない
◎信心銘から禅の三祖僧璨(ソウサン。達磨の弟子の慧可の弟子)の信心銘から。三祖僧璨は、中風を病み、臨終時は立ったままだった。仏教禁令の時代を片腕のない慧可と過ごした。『智者は無為なり愚人は自縛す法に異法は無く妄(みだ)りに自ら愛著す心を将(も)って心を用う豈に大錯に非ずや迷えば寂乱を生じ悟れば好悪は無し一切の二辺は妄(みだ)りに自ら斟酌する夢幻虚華何ぞ把捉を労せん得失の是非一時に放却す』※大錯:大間違い※寂乱:寂と乱の対立、差別※夢幻虚華:夢と幻想と空虚な華大意:心をもって心を用いるのは、大間違い。心が静まったり乱れたりするのは、実体のないことで、迷うから起こるもの。男女、天地、貧富、貴賤など一切の二辺の区別は、心が起こすものであって、そうした実体のないものをことさらに追うべきではない。メリット、デメリットの判...智者は無為なり愚人は自縛す
◎日本人全体の心の穢れが結界をわやにするGoogleearthを使って日本地図上に、直線を引けば、八百万の神々のおはします日本ではその直線上にいくらでも神社仏閣が出てくる。また延喜式に由緒ある神社が載っているとか、江戸時代には、寺が役所の代わりをしていたり、また明治維新では廃仏毀釈をやったなどで、今残っている寺社を以って、直線を引いてみるのが妥当かどうかはわからない。だが、日本のレイラインがいくらでも作れるような感じなのはわかる。そうしたレイライン説の中で、北緯34度32分に東は鹿島神宮、香取神宮、西は出雲大社と美保神社(松江)のラインが、日本列島を横に輪切りにした場合、最長のラインであるという。これは、何かわかったような気分になるかもしれないが、本当のところは、大物超能力者の施した結界の位置をならべてみないと...日本のレイライン
◎聖なる空間と貧困大国コンビニの店員でもスーパーの店員でも軽食屋の店員でも、建設労働の場でも外国人を見ることの方が多い。朝の通勤電車では、中国人、朝鮮人は言うまでもなく、東南アジア系、中東系、場所によってはブラジル系などいくらでも出会うようになっている。日本の亡国の相については、過去書いているが、このような外国人の跋扈跳梁については、日本人の魂が日本に再生してくることを避けているという傾向を抜きにしては語れない。外国人の増加については、聖書の「荒らす憎むべき者が、聖なる所に立つのを見たならば云々」を思い浮かべる人も多いと思う。外国人観光客という日本の寺社信仰的に白でも黒でもない人が大勢押し寄せれば、当然に寺社なる地のパワースポットのパワーは減衰する。本来そのパワーはその地に縁ある善男善女によって維持継承されるべ...人間(じんかん)至るところ外国人あり
◎エリヤの復活サッカーのゴール後のパフォーマンスで、よく見かけるのは、キリスト教徒らしい選手は、十字を切って天に感謝、イスラム教徒らしい選手は跪いてアッラーに感謝。これが日本人選手だとてんでんばらばらである。天に視線を向ければ、物事を大きく全体、集団で考えたり感じたりしがちだが、地に視線を向ければ物事を身近なものから考えたり感じたりしがちだという説もあるが、スタートはそこであっても人生の最後にはそうでない反対説の側も感得するものなのだろうと思う。キリスト教では一般に輪廻転生はないといわれるが、預言者エリヤは、なぜか例外である。マタイ伝17章では、イエスが、既にエリヤは輪廻転生済であって、事を元どおりに改めるであろうが、しかし人々は彼を認めず、自分勝手に彼をあしらったと語ったシーンが出てくる。教義書である聖書に輪...キリスト教でも輪廻転生
◎悟っていなくても前向きに消化前世のカルマというのは、厳密にいえば、個人の前世ばかりでなく、家系のカルマ、地域のカルマ、地方のカルマ、国のカルマ、民族のカルマまで複合的に背負ったものがカルマである。こうしたカルマが個人の人生上に発現する姿がカルマの現実化であり、カルマの消化である。ところがカルマが現実化するにあたり、他人や社会のために最善を尽くして働いて、その結果に捉われないで毎日過ごすならば、悪因縁、カルマはだんだんと日がたつにつれて雲散霧消する。他方カルマが現実化するにさいし、そのカルマを他人や社会が困るように仕向けたりしたりする場合は、カルマは未消化のままで残る。利己的行動は利己のカルマ、情欲的行動は情欲のカルマ、知的行動は知のカルマ、情的行動は情のカルマとして種子として残る。誠に衆善奉行諸悪莫作(善いこ...カルマの種子
◎別次元ボディとカルマ・ヨーガ人間の呼吸、感情、想念、気力、体力と七つの身体は密接に関連しており、肉体とエーテル体、アストラル体とそれ以上はそれぞれ別次元に存在しながら、いわば相互の次元、相互のボディにおけるエネルギー交換を日夜不断に継続しているものである。それは、健全な精神は健全な肉体に宿るという格言から始まって、身体の不調が夢に出たり、集合的無意識が夢に出たりあるいは身体の不調として発現することもあることで、多かれ少なかれ万人が感じていることでもある。クンダリーニ・ヨーギ本山博によれば、死んだ人はアストラルの世界においてアストラルのボディを持っており、そのボディがアストラルの食物やエネルギーを摂取して生きているように見えると語っている。彼の説明では、施餓鬼では物理的供物から供物の持つアストラル次元のエネルギ...施餓鬼から七つの身体論
◎逃げ切れたとしてもそれは出口王仁三郎は、戦後これからは米ソが大戦いをやると予見して、1990年代前半にソ連は破産して決着はついた。以後ロシアは、経済力はさほどでもないが(GDPでは10位以下)、軍事力は結構なものを持ち続けていて、“露国”の脅威は大本神諭でも日本の千年王国へのロードマップにおける基調の一つとなっている。さて今やトランプの挑発に乗って中国が世界を相手に牙を剥こうとしている。独裁国家が外交で一歩も引かない姿勢はあまりにも前近代的だが、パックス・アメリカーナの支持基盤は本質的にそういうものであったから、アメリカに育てられてきた中国のそうした姿勢には、むべなるところがある。やがてよき支那物を世界中が奪い合い、支那は4分裂になるのだろうか。そうした流れのどこかで日本が行事役を頼まれるタイミングがあって、...世迷い言
◎ビッグデータから蓮華の花をひねってみる人は誰でも毎日ゆっくりと死んでいく。ゆえに死の恐怖が生活すべての基底にあるともいえる。釈迦は、馬には4種類あると言った。1.鞭が骨に当たると動く馬(鞭で打っても一歩も動かない馬)2.鞭が肉に当たると動く馬(鞭で打てば動くが、鞭で打たねば動かない馬)3.鞭が毛に当たると動く馬(振る音を聞いて動き出す馬)4.鞭の影を見て動き出す馬。死の恐怖におびえる馬を水辺に連れて行くことはできるが、鞭を見ようが叩こうが、水を飲むか飲まないかは馬の勝手である。こうして水辺に至る。だが正師への最高の質問は、無言であり、最上の回答は沈黙である。情報、データベースとかまびすしいこの時代。情報、データベースには、真に求める回答はない。真理は無記であって、言葉では表現できない。だが21世紀は、言葉では...人は誰でも毎日ゆっくりと死んでいく
◎死後は「私」は人々の中に現れるクリシュナムルティが複数の人物との会話の中で、自分が「私」というイメージであるとした場合の、その死について言及した部分がある。それによると、まず死とは生物学的な死がある。そこで、「私」がイメージ以外の何ものでもなければ、死んだのは「私」というイメージが死んだのだとクリシュナムルティは断定する。死は、自分の思考の死や自分というイメージの死という限定的な、世界全体からみれば小さい出来事だと、人は思っている。ところが意に反して、そんなちっぽけなものではないと彼は言う。確かに死は現実と、私というイメージの終わり、一切の記憶の終焉であり、時間が終わり、過去も現在もないという意味での時間が終わる。だが、クリシュナムルティは、私というイメージは、もともと他の人々各人のイメージと連続性を持ってい...「私」というイメージが死ぬ
◎米中の長かった蜜月中国の保有核弾頭数は、長く200発台とされていて、少なすぎる理由は、隣国日本の軍事力強化を懸念して少なく抑えているのでは、ないかと言われてきた。ところが、米ロの保有核弾頭はそれぞれ7千発だが、中国も地下核施設にそれに匹敵する核弾頭を保有しているのではないかという情報がネットで捜しあたるようになってきた。2015.03.2907:00NEWSポストセブンhttps://www.news-postseven.com/archives/20150329_312717.htmlによれば、『元米国防総省(ペンタゴン)の元高官で、ジョージタウン大教授のフィリップ・カーバー氏らの研究グループが2013年に米連邦議会の公聴会で、中国の核兵器貯蔵のための秘密の地下基地について証言。カーバー氏らは2008年5月...中国の保有核弾頭数
◎貧しい者に耳を傾け、謙遜に、おだやかに旧約聖書の外典・偽典に分類されるベン・シラの智恵から。今回は、持てる者の持たない者への態度の話。非正規労働者が四割となり、非労働者である年金生活者だってほとんどが『持てる者』とはいえないだろう。なお、ベン・シラの時代は女性が働いて稼ぐことはできず、寡婦の面倒をみてやることはそれなりに意義があった。生活困窮者を見ることは、東日本大震災の直後数か月は本当に多かった。いまはまず見ないが、潜在的な困窮者は増加しているのだろう。最近大金持ち(セレブ)がマスコミで大金持ちであることをこれみよがしに誇るシーンが多いが、それは、日本的な謙譲から言えば異端的なものである。ベン・シラの智恵を待つまでもなく、貧しい者に耳を傾け、謙遜に、おだやかに、が本来の日本的なものである。わびさびは、持たな...ベン・シラの智恵-6
◎良き支那物を奪はんと中国人は個人主義であって、国として到底一致団結などということはできないので、政治思想を含めた個人情報監視によってこれを引き締める。たとえばザクザクとした砂のようなものは、固めて一団とはできないが、強い袋に入れて縛っておけば、その力によって固まっている。これが中国人と中国統治の歴史的基本。いわば人権を迫害することでまとまるのだ。今般の米中貿易戦争で、図らずも中国は柔らかい下腹部を露呈することになるのだろう。中国は、人口が多くそこそこの経済力もあるが、石油などの天然資源は、十分とはいえず、外国から原材料を輸入して、加工して出すという加工貿易が主流であるところは日本と相似形である。国際分業というのは、税制、通貨、経済の安定性、政治の安定性を加味して、現地生産国の選定や、原材料調達国、販売先国を選...米中貿易戦争とラスト共産主義国
◎天皇から乞食まで死ぬことは同じ乞食桃水は、肥前島原の禅林寺に5年ほど居り、城主にもたいそう気に入られていたが、ある日突然行方をくらました。弟子の琛州(ちんしゅう)が、その後京都の清水寺の下のあたりで、師匠の桃水を発見した。桃水は、髪も髭もぼうぼうで、着ているぼろは、肩にかかっている程度で、菰を背負って、右手には割れた椀、左手には弊嚢で、乞食仲間と談笑していた。琛州は師匠と再会した感激で涙もせきあえずいると、桃水は、「何しに来た。今生では会わないぞ」といい、東山の方へ去っていくと、琛州「一生おそばに仕えます」と。桃水は、「そんなことは絶対無理に決まっているが、そんなに言うなら」と琛州の袈裟と持ち物を路傍の乞食の家に投げ込んで菰を背負わせ、暮れつ方、大津から坂本のあたりに進んだ。すると林の間に小さな祠があり、その...乞食桃水、行倒れの乞食を葬る
◎自ら書き損じもなく文章を起こすヤコブ・ベーメは、1600年に錫の器の凝視をきっかけに15分間の神の照明体験があって、その19年後からバンバン自動書記で著述ができるようになった。自称15分だが、本当に死と再生まで行っていれば、15分かかったのでは肉体は蘇生しないので、もっと短かった可能性もあるのではないか。日本で自動書記と言えば、出口王仁三郎の霊界物語のように口述筆記だったり、出口ナオのお筆先のように記号や金釘流だったりしてそのままでは解読できないのもあったりするのだが、ベーメの自筆原稿は、ほとんど書き損じがなく修正の跡もないという。彼の知識の源泉は、聖霊のもたらす驚くべき知識であり、それは求めれば求めるほど得られ、そうして自動書記化していったようだ。アカシック・レコード(キリストの霊をもつ私の中には聖書全体が...ヤコブ・ベーメの自動書記
◎諸縁整って自分も成熟して出口王仁三郎の歌集『霧の海』の後半は、28歳の時の高熊山での飲まず食わずでの冥想修業の様子が、相当な分量で描かれている。出口王仁三郎はきちんと表明していないが、彼の最初の大悟はこの時であったろうと思う。肉体を持ちながら天国を徘徊したり、地上を探索すると妖魔が頻繁に邪魔に入るので、その都度真言、マントラなどを唱えて祓う話が、それこそ全体の1/4くらいもあるだろうか。生身の人間の邪魔も入る。聖者、覚者といえども、あるいは聖者、覚者だからこそそういう妖魅との諍いが頻繁に発生するのだろうが、霊能力のない一般人に対しては、そういうことは枝葉のこととして扱う。不用意に霊道を開く、または神知らぬままに霊的なものとコンタクトするというものがいかに危険なものか彼は知悉しているが故に多くは語らないというと...高熊山と冥想修業の邪魔
◎時間のない世界を覗き込む言霊解とは、字義どおり読まないということで、現代人文科学の主流である、訓詁、文献実証学とは全く違った世界である。根拠は言霊なのだが、出口王仁三郎が発表している言霊解には、古事記の一部、黄泉比良坂段、禊身の段、大気津姫の段などがあるが、古事記すべてを網羅しているわけではない。またあまり重要視されていないのだが、「世界の経綸」(雑誌神霊界大正7年10月15日号(第72号))に第六章八千矛神歌というのが上がっており、これも言霊解としては、今後に向けて重要なのだが、過去ほとんど取り上げられることがなかった。出口ナオの自動書記でちゃんとした字になっているものは多くなく、それを解読したのも出口王仁三郎(大本神諭)。解読とは審神であり、常に審神者の力量に解読の真贋がかかっている。ここに現霊解は非科学...言霊解、字義どおり読まない
◎ある程度の公正さ健全さを期待自分と他人が分かれていることは不安をもたらし、過去と未来があることは懸念を感じさせ、我と彼が区別されることは物欲を惹起する。聖者たちは、死の恐怖がなくなれば、邪悪も貪欲も悲惨もなくなると主張する。中には死後も人間は霊として存在することを知れば、死の恐怖がなくなるから問題は解決するという者も結構多い。ところが死の恐怖をなくする方法は、ヘミシンクやチャネリングをやって他の霊体とコンタクトすることではない。全体なるものを知ることであり、継ぎ目のない一つながりの宇宙を洞察することである。継ぎ目のない一つながりの宇宙とは、過去も現在も未来も、あらゆる生物・無生物の生と死も、男も女も、自分もあらゆる他人も、地球上の一点もあらゆる他の恒星系も含む宇宙のことである。こうした毎瞬変化し続ける宇宙が現...人間の意識構造を変える
◎非正規と清貧スマホ・携帯で個々人が24時間情報受け入れキットを持つことになり、マスコミと個人の関係は、根本的に均一情報を大量に大衆に流す形から、ビッグデータ活用によって、個々人に合った情報を個人別に流す形に変化した。マスコミ側も、媒体自体が、テレビ・ラジオ・新聞・週刊誌のような同一情報一斉発信のマスメディアとブラウザ、電子メール、SNSのように個別情報個別発信に2分化した。人間の進化という点では、メディアの変化は、より人間を頭から来る情報にて洗脳しやすい環境ができただけで、流される情報の中身が、より天国的に行動しましょうとか、自分のことは差しおいて他人に親切にしましょうとかの無私、謙譲などのポジティブな情報に変わったわけではない。相変わらず現代人の関心事の最大公約数が、自分のメリット、自分の金の最大化である以...ライフ・スタイルとマスコミ
◎文殊菩薩の五字真言明恵は、13歳から19歳の7年間高尾の山を下りずに修行した。13歳の頃、これだけ昼夜不退で一生懸命修行しているのだが、もう13歳で年をとったが、大悟もできないので、死んだ方がましだと考えて、三昧原というところに行って横になっていた。すると狼が大勢やってきてそばにあった死人などをがつがつと食う音がするのだが、明恵を避けて食いもせず狼たちは帰っていった。これにより、明恵は定まった寿命でなければ死ぬことはないと知って、以後はそのようなことをすることはなかった。この7年間高尾の神護寺の金堂に毎日3度入ったのだが、そのさい文殊菩薩の五字真言「おんあらはしゃのう」を一日に千回唱えたという(千日で百万遍)。明恵のマントラは、連続念唱でなく、仏道成就祈願のためらしいが、そういう時期はあるものだと思う。14歳...明恵の一日千回マントラ
◎睡眠、雑念、坐相不正明恵は鎌倉時代の人物であって、鎌倉方に敵対した敗残兵を栂尾にかくまったことで知られる。私は、古寺名跡を訪れることは極めて少ないが、栂尾高山寺と、明恵が奈良を出て修行した高尾の神護寺は訪問したことがある。神護寺といえば、最澄、空海だが、神護寺の脇に和気清麻呂の墓があるとの立て札を見て、わき道を進んでみたが、夕暮れ遅い時間であったこともあり、見つからず断念して戻ったことがあった。先日テレビで神護寺の特集があり、果たして和気清麻呂の墓を守っている人達が出てきて墓は本当にあったのだと確認した。和気清麻呂の事績のディテールはよくわからないことが多いが、神託を材料に政変を行ったとだけ伝わっているが、国難といえども政治の世界なのだから血で血で洗うようなことがあったのだろうと思う。今で言えば自民党総裁を追...禅定を修するに三つの大毒あり
◎天国的生活習慣が天国を現出するパワー小人に国家を治めさせると災害が多発して、政治経済がうまくいかないというのは、経験則だが、科学的には根拠の薄い仮説の一つにすぎない。だが、現界形成のメカニズムからすれば、まんざらその説ははずれでもあるまい。現界は、言葉では何とも表現することのできない「神」から打ち出され、「有」なる一つながりのアートマンと化す。ここまでが世界全体。これ以降は個の世界となるが、いわゆる霊界とは、コーザル体からアストラル体までを言い、個々人においては霊界における個人の現実形成力の方が現界における現実形成力より、強力である(とされる)。よって世界的国家的ビッグ・イベント、例えば国家全体の経済的繁栄、大災害、戦争などは霊界において(何千年か、何百年か、何十年か前に)事前に準備され、のちに現実として形成...小人に国家を治めしめばver.2.0
◎外国勢力による日本の立替大塩平八郎の檄文「四海困窮せば天禄永く絶えん、小人に国家を治めしめば災害並び到る」の前半の出典は、論語の堯曰の『四海困窮せば、天禄永く終わらん』。後半の出典は、四書五経の書経の第六段第四節の国家の財務のトップには理財が上手いからといって小人を充てがちなものだが、いざ実際に小人を充てると菑害(しがい)並び至るという部分。君子は中庸を得た人間である。中庸とは、中を得た人間であり、四書五経の中庸では、「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という」という文に続いて、孔子が「君子は中庸す」となっており、大悟覚醒した人間を中庸と言っている。小人と言えば、現代では閑居して不善を為す人間を総称して小人と見がちであって、一億総小人みたいなものだ。四書五経の昔は万事トップダウンで、君主がしっかりしていれば世上...小人に国家を治めしめば
◎天皇は御名はない『明治天皇・・・・天皇と申し上げるのはおくり名であって時代のことである。天皇は御名はないのである。』(新月の光(下巻)/木庭次守編/八幡書店P93から引用)これは出口王仁三郎の言。OSHOバグワンが、よく「人間は中空の竹である」と言う。これは、古事記の上筒男、中筒男、底筒男と同じ。日本を一つの人間と見立てれば、天皇陛下というのは、そういう類のものなのではないだろうか。万世一系というのは、それでもって初めて成立するのだと思う。先月大火災となったパリのノートルダム大聖堂には、フルカネリもダヴンチ・コード・ファンも注目する彫刻がいくつもあった。西正面の「知恵の座につくマリア」、「最後の審判で天の玉座につくイエス」など。これらは焼け残ったのかもしれないが、いつかは浸食などで朽ちる。彫刻も絵画も建築も永...令和天皇
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