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自覚を中心に悟りのヒントを書いています。

自覚とは「私」に意識を向け、一切のことは「私」の考えであることを自覚していくことです。

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2013/06/27

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  • もう一度悟りの階梯についてー自我を捉えることの意義ー

    ◇もう一度悟りの階梯についてー自我を捉えることの意義ー◇悟りの階梯には小悟、大悟、解脱と三つの階層がありますが、どの階層に至るときも、私に意識を向け、自我を捉えることが重要な要になっているのだということが、なぜかここ1、2年くらいでより明確になってきました。今日は、その周辺のことをまとめてみようと思います。まず、小悟について。小悟に至る際には、まずはその下準備として良い悪い等の二元的な囚われの手放しが済み、思考や感情が減っている必要があります。この囚われの手放しは、明け渡しや禅の頓悟のような体験によって一気に生じることがあります(私自身は、明け渡し体験に伴って手放しが生じました)。しかし、多くの場合、これだけでは小悟には至り切れないのだろうと考えています。小悟に至るには、日常的な私という自我のもう一つ深層...もう一度悟りの階梯についてー自我を捉えることの意義ー

  • 意識に関する考察(5)ー続々・自己認識と主客の問題についてー

    ◇意識に関する考察(5)ー続々・自己認識と主客の問題についてー◇前回の記事「意識に関する考察(4)ー続・自己認識と主客の問題についてー」の続きです。前回の記事では、我々が日常的に得ている主客の感覚や認識は、誤解であり幻想であろうと書きました。今回は、これまで書いた一連の記事のまとめ的なものを書こうと思います。まず、今回の考察での結論をまとめます。何かを認識するという現象には、その何かに関する認識現象(例えば、目の前のパソコン画面を目で見たときの画像に関する認識)の他に、その認識そのものを認識する現象(これをここでは自己認識と言っています)が同時かつ一体に含まれている。例えば、私(主体)がパソコン画面(客体)を認識しているというような、我々の日常的な主客の感覚や認識は、誤解あるいは幻想であり、本質的なもので...意識に関する考察(5)ー続々・自己認識と主客の問題についてー

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