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2012/12/23

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  • きょう、わたしがあなたを生んだ

    「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」(詩2:7)---御父は言われる。私に言われる。「きょう、わたしがあなたを生んだ」と。「きょう」とはいつであろう。御父がはじめの人アダムを生んだとき。イエスが肉を持つ者として生まれたとき。アダムの子孫である私たちが上の聖句にはじめて接したとき。そののち、キリストの十字架と復活と同じように、私たちが死んで新たに生まれたとき。私たちは、父である神とあまりに遠く離れてしまっていた。だが、この新たに生まれたときに御父との和解が叶う。ほんとうの生みの親と共にあることの、なんという安らぎ、なんという心強さよ。---[一版]2020年4月4日[二版]2023年8月27日健やかな一日をお祈りします!にほんブロ...きょう、わたしがあなたを生んだ

  • 植わった木

    「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。」(詩1:3-4)---東に騒ぎあればすぐさま東に飛び行き、南の群れを見いだすや乗り遅れまいと群れに混じる。あるいは世渡り上手というのかもしれないが、根がない、というか、まさに「もみがら」だ。彼らは自らのことを「みんな」と言う。一方で、「水路のそば」というのは土が軟らかいと思うのだが、そういうところにしっかり根を張る「植わった木」。一本、芯があり、彼は自らのことを「私」と言う。根は水路の土手が崩れることを防ぐ。木の実を喜んでもぎ取る人がいる。そして葉でできた木陰で人は一息つく。こういうのをこそ「栄え」というのだろう。---[一版]20...植わった木

  • 聖書の目的

    「イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」(ヨハネ20:30-31口語訳)---ヨハネ伝の結び。聖書というものが書かれて編まれた目的について。それはもっぱら、「イエスは神の子キリストであると信じるため」である。それ以外の目的はない。イエスが救世主キリストである、ということは、聖書を通してのみ分かることだ。だが、ただ聖書を何回も繰り返して読めば、例えば百回読めば分かるようになるというものではない。百回読むとはわざなのであり、それでは肉の努力によって肉を救うということになってしまう。暗唱聖句なども同様で、救いのためには意...聖書の目的

  • トマスの思考と信心

    「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」(ヨハネ20:24...トマスの思考と信心

  • トマスはイエスを信じた

    「八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20:26-20:29)---懐疑的な弟子トマスと復活のイエスとの出会い。自分の不在時に復活のイエスが現れたと聞いたトマスは、自分はそんなことは信じないと言い張った(20:19-25)。そのような者にも、ただ恵みによってイエスは出...トマスはイエスを信じた

  • 私たちは全権委任されるほど御父に認められる

    「そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」(ヨハネ20:22-23)---罪の甚だ多く神の怒りの下にあった私たちは、この復活のイエスを通して神から罪赦され、その神との和平の中にある。ここで罪とは、神の律法に違反することである。この律法を守り通そうとすることにトライしようとしても、アダムの肉ある身としてどうしても違反を犯してしまう。何度やってもだめなのだ。私たちは、神の律法を守り得ないゆえに、神の怒りの下に置かれたばかりか、この御父と対立し続けてきた。それでも神は御子を受肉させて世に送り、律法を守ることのできないこの肉そのものに十字架という処罰を与える。...私たちは全権委任されるほど御父に認められる

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