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2012/12/23

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  • 平安があなたがたにあるように

    「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20:19-21)---私もかつては恐れのあまり戸を閉めきりにしてしきりに不安がっていた。ここで復活のイエスは「平安があなたがたにあるように」と言う。この平安というのは、私の根っこの部分についてのことで、イエスと共にあるということが、観念的な理解ではなく、実際にそうなのである。言い換えると、私のアイデンティティ...平安があなたがたにあるように

  • マリアがイエスの「マリヤ」という声を聴くとき

    「しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言って...マリアがイエスの「マリヤ」という声を聴くとき

  • わたしは渇く

    「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」(ヨハネ19:28-30)---イエスは人々にこう呼びかけ続けた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37-38)渇ききっている人々に呼びかけ続け、枯れない水が内からわき出ることを約束した。その満ち満ちたイエスが...わたしは渇く

  • イエスご自身が十字架を背負う

    「そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。」(ヨハネ19:16-17)---かつてイエスは弟子たちに、「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10:38-39)と言っているが、今はイエスご自身がイエスの十字架を負っている。自分がそれによって極刑に処せられる道具をである。「わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします」、すなわち復活するには、このような過程が...イエスご自身が十字架を背負う

  • 『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け』

    「こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語でガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。その日は過越の備え日で、時は六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。」...『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け』

  • 神の御名を冒涜するのは誰か

    「それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です。」と言った。祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ。」と言った。ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた。」(ヨハネ19:5-8)---祭司長たちとポンテオ・ピラトとの駆け引き。祭司長たちは言う。「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります」。ここでいう律法とは、「主の御名を冒涜...神の御名を冒涜するのは誰か

  • からかわれるイエスをおいたわしやと遠目で見ているうちに

    「そこで、ピラトはイエスを捕えて、むち打ちにした。また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。彼らは、イエスに近寄っては、「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」と言い、またイエスの顔を平手で打った。」(ヨハネ19:1-3)---イエスは異邦人にからかわれ平手で打たれる。異邦人ということについては、少し前の聖書箇所に「さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。………。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸にはいらなかった。」(ヨハネ18:28)とあるとおりであり、また、この兵士たちは明らかに下級の兵士であるから、イエスは下のそのまた下から辱めを受けている。このことをお気の毒にとかおいたわしやと客観視することは簡単だ...からかわれるイエスをおいたわしやと遠目で見ているうちに

  • 天の王国、世の王国

    「そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。」(ヨハネ18:37-38)---総督ピラトのイエスへの尋問。「それでは、あなたは王なのですか」というピラトの尋問は、イエスがローマ法に照らして有罪(guilty)か無罪(notguilty)かを問うものである。つまり、イエスがカイザルに対する反逆罪に当たるかどうかを調べている。これは、これからイエス...天の王国、世の王国

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