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黒田裕樹の歴史講座 http://rocky96.blog10.fc2.com/

受験対策にも万全!現役高校教師による「分かりやすくて楽しい」歴史ブログです。

黒田裕樹
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2012/08/07

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  • 縄文文化 その5

    縄文時代になって食料の獲得法が多様化したので、以前のように獲物を求めて移動する必要がなくなり、安定した生活が送れるようになった縄文時代の人々は、地面を掘り下げて作った半地下式の竪穴(たてあな)住居に定住する生活を始めました。一つの住居には一つの家族が住み、数件の竪穴住居が寄り合って形成された集落に30~50人前後の人々が住んでいたと考えられています。縄文時代の集落では基本的に自給自足の生活を送っていま...

  • 縄文文化 その4

    ところで、魚類を捕まえようと思えば、釣るか銛(もり)で突き刺したりするのが一番手っ取り早いですよね。ということは釣り針や銛の先端が必要になりますが、縄文時代の人々は、これらの素材にシカの角や骨を利用していました。これを骨角器(こっかくき)といいます。その他にも網(あみ)を用いた漁も行っていました。また、丸木舟も各地で発見されており、八丈島(はちじょうじま)や伊豆諸島に渡るなどの航海術も身に着けてい...

  • 縄文文化 その3

    縄文時代の人々は、主に狩猟(しゅりょう)や漁労(ぎょろう)を営んだり、植物資源の採集をしたりして食料を確保しました。特に漁労は縄文時代になってから幅広く行われるようになりましたが、これは完新世になって日本が列島化し、周りを海に囲まれるとともに各地で入江(いりえ)が発達したからであり、魚類が捕りやすくなったのはむしろ当然といえます。魚類のほかにも貝類の採集が活発化しました。縄文時代の遺跡には、人々が...

  • 縄文文化 その2

    大きく変わった自然環境に対応するために、様々な新技術や道具が登場しました。先述した弓矢もその一つで、はるかに遠くの獲物でも正確に捕まえることができました。弓矢の矢じりには石鏃(せきぞく)が用いられ、石斧(せきふ)などとともに当時は磨製(ませい)石器が用いられていました。また、植物の煮炊(にた)きや食物を貯蔵する目的で土器が用いられ始め、人々の食生活は格段に豊かになりました。この時代の土器は、厚手で...

  • 縄文文化 その1

    今から約1万数千年前に地質時代における完新世(かんしんせい)になると氷期(ひょうき)が終わり、気候が温暖化して海面が上昇し、日本は大陸と切り離されて日本列島が成立しました。我が国が大陸と海で隔(へだ)てられたという地理的環境は、中国大陸や朝鮮半島と近い距離にあったために文化的交流が行われ、大陸の文明の影響を受ける一方で、日本列島に独自の歴史と文化を生み出し、育てるという効果をもたらしました。なぜな...

  • 旧石器時代の社会 その3

    ところで、打製石器を使用した旧石器時代に対して、石器を磨(みが)き上げた磨製(ませい)石器あるいは土器が使用された時代を新石器時代と呼びます。これらのうち、日本の旧石器時代では打製石器を使用していたとされ、通常の学習もしくは将来の大学あるいは高校入試などに関してはそのように覚えて差し支(つか)えありません。しかし、実は岩宿遺跡で刃先(はさき)に磨きをかけた石斧である「局部磨製石斧」と呼ばれる世界最...

  • 【ハイブリッド方式】第105回黒田裕樹の歴史講座のお知らせ(令和6年11月)

    「黒田裕樹の歴史講座」は対面式のライブ講習会とWEB会議(ZOOM)システムによるオンライン式の講座の両方を同時に行う「ハイブリッド方式」で実施しております。準備の都合上、オンライン式の講座のお申し込みは事前にお願いします。対面式のライブ講習会は当日の参加も可能です。メインの主催者である「国防を考える会」のQRコードはこちらです。(クリックで拡大されます)(クリックで拡大されます)第105回黒田裕樹の歴史講座...

  • 旧石器時代の社会 その2

    ところで、我が国では長いあいだ旧石器時代は存在しないと考えられてきましたが、昭和21(1946)年に相沢忠洋(あいざわただひろ)氏が群馬県の岩宿(いわじゅく)遺跡の関東ローム層から石器に酷似(こくじ)した石片(せきへん)を発見すると、さらに昭和24(1949)年には同じ関東ローム層から打製石器が発見されました。発掘された石器が約35000年前~25000年前のものと判明したことによって、我が国にも考古学上の旧石器時代が...

  • 旧石器時代の社会 その1

    先述のとおり、更新世(こうしんせい)の頃に氷河時代となったことで、寒冷な氷期(ひょうき)と比較的温暖な間氷期(かんぴょうき)が交互に訪れるという厳しい環境となりましたが、海面が100m以上も低下した最も寒い氷期には、日本列島は北と南でユーラシア大陸と陸続きになりました。やがて、北からはマンモスやヘラジカが、南からはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物が行き来するようになり、それらの群れを追ってやっ...

  • 人類の誕生 その3

    さらに約60万年前になると、より進化した旧人(きゅうじん)が出現しました。ヨーロッパ大陸のネアンデルタール人(学名:ホモ・ネアンデルターレンシス)が代表的です。旧人は現代の人類と変わらぬ脳容積を持ち、死者を埋葬(まいそう)するなど精神文化が発達しました。なお、死者を埋葬したと考えられるのは、人骨とともに大量の花粉が発見されているからです。旧人はヨーロッパから西アジアにかけて住み、氷期に適応した生活を...

  • 人類の誕生 その2

    その後、約260万年前に地質時代が現代まで続く第四紀に入ると、更新世(こうしんせい)の頃に氷河時代となり、寒冷な氷期(ひょうき)と比較的温暖な間氷期(かんぴょうき)が交互に訪れるという厳しい環境になりました。そして、約200万年前のアフリカに原人(げんじん)が現れると、寒冷なヨーロッパやアジアに進出しました。原人としてはホモ・ハビリスやホモ・エレクトゥスが知られており、なかでもホモ・エレクトゥスは石を打...

  • 人類の誕生 その1

    ※今回より「弥生時代以前」の更新を開始します(12月7日までの予定)。日本列島に私たちの祖先がたどりつき、暮らし始めるまでには実に長い年月がかかりました。約700万年前から600万年前の、地質時代でいう新第三紀の中新世(ちゅうしんせい)後期にアフリカに現れた人類の祖先は猿人(えんじん)と呼ばれています。初めは森の中で暮らしていましたが、やがて気候の変動で森が減ってくると草原へ出て、二本足で歩くことを覚えるよ...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その15

    ※「平成時代」の更新は今回が最後となります。明日(11月20日)からは「弥生時代以前」の更新を開始します(12月7日までの予定)。安倍氏の自民党総裁復帰に際して、歓迎する声が国民を中心に見られたのに対して、マスコミの多くが批判的にとらえたばかりか、なかには「お腹が痛いと言って辞めた人間がなぜもう一度やろうというのか」という、難病である潰瘍性(かいようせい)大腸炎を抱えた人間全体を侮辱する発言も見られました...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その14

    平成21(2009)年の衆議院総選挙で大敗を喫し、政権の座からすべり落ちた自民党でしたが、谷垣禎一(たにがきさだかず)氏が新たに総裁に就任し、逆風の中で党内を懸命に支えました。その後、谷垣総裁が任期満了となった平成24(2012)年9月に退任を表明したため、新たに5名が総裁に立候補しましたが、その中に、かつて首相を務めた安倍晋三(あべしんぞう)氏の名前がありました。9月26日に行われた総裁選挙において、安倍氏は1回...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その13

    2012(平成24)年8月10日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)が、我が国固有の領土であり、韓国が不法に占拠している島根県の竹島(たけしま)に上陸しました。さらに同月14日には、大統領が天皇陛下に対して侮辱(ぶじょく)的な言葉で謝罪を要求したことによって、日韓関係が一気に悪化しました。韓国の現職大統領による一連の行動は、民主党政権である我が国が、尖閣諸島中国漁船衝突事件がそうであったように他国...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その12

    平成21(2009)年の衆議院総選挙における民主党の政権公約(=マニフェスト)には消費税率の引き上げが書かれていなかったことから、増税法案は民主党の内部からも激しい反発を呼び、平成24(2012)年6月に法案が衆議院を通過すると、増税に反対する議員が党を割って分裂する騒ぎとなりました。その後、民主党を離党した勢力が中心となって、内閣不信任決議案(=衆議院)や問責決議案(=参議院)を提出すると、野田首相は自民党...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その11

    東日本大震災の発生によって自身の在日外国人から違法献金問題の追及が沙汰(さた)やみとなり、まさに「命拾い」をした菅首相でしたが、福島第一原発事故における現地視察をはじめとする震災以後の対応のまずさを受け、内閣支持率がさらに低下しました。菅首相は、自民党に対して大連立を持ちかけるなどして自身の延命を図ったもののうまくいかず、震災から5か月後の平成23(2011)年8月に退陣を表明しました。かわって翌9月2日に...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その10

    天皇陛下(現在の上皇陛下)のお言葉全文「この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その9

    東日本大震災直後の平成23(2011)年3月16日、天皇陛下(現在の上皇陛下)はビデオを通じて日本国民に対するお言葉を発表されました。天皇陛下が全国民に直接お言葉を発表されるのは昭和20(1945)年の終戦時における昭和天皇の玉音(ぎょくおん)放送以来であり、極めて異例のことでした。ちなみに、陛下はビデオメッセージをマスコミなどが発表する際に「発表の途中で緊急の報道を必要とする場合は、中断してかまいません」との...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その8

    東日本大震災に伴い、防衛省では発生当日に災害対策本部が設置され、救助あるいは支援活動を迅速に行うために、陸海空自衛隊を統合的に運用する「災統合任務部隊」を編成するなど、自衛隊創設以来最大規模の災害派遣を行いました。自衛隊員の派遣規模は最終的に10万人にまで拡大し、各隊員が人命救助や行方不明者の捜索、遺体の収容、がれきの撤去などの活動を幅広く行いました。また、福島第一原発事故の際、自衛隊が決死の放水作...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その7

    ところで、原発事故が起きた際に、本来は司令塔として官邸を動かず、現場に向けて様々な指示を出さねばならない立場であるはずの菅首相がわざわざ福島第一原発を訪問したことによって、現地を混乱させたのみならず、復旧作業の士気を損なったことが被害の拡大につながったとの指摘がなされています。福島第一原発は平成26(2014)年に廃炉(はいろ)が決定したものの、作業の完了までには相当な年月を要する(30~40年後の廃止措置...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その6

    太平洋岸に位置した東京電力福島第一原子力発電所は東日本大震災の発生で激しい揺(ゆ)れを受け、稼働中だった一号機から三号機が緊急停止しました。地震の揺れだけでは原子炉(げんしろ)自体に被害がなかったのですが、その後に想定外の大津波を受けたことで、原子炉と使用済み核燃料が移されたプールを冷却するための電源をすべて喪失(そうしつ)してしまったのです。冷却機能の喪失によって、一号機から三号機では炉心溶融(...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その5

    平成23(2011)年3月11日午後2時46分、宮城県牡鹿(おしか)半島沖を震源とするマグニチュード9.0という我が国周辺における観測史上最大規模の東北地方太平洋沖地震が発生しました。いわゆる「東日本大震災」です。我が国で例を見ない巨大な地震は、北海道南岸から関東南部に至る広い範囲でライフラインが寸断されるなどの被害をもたらしましたが、地震に伴って高さ10mから40mに至る巨大津波が発生したことで、東北地方と関東地方...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その4

    成立直後の参議院選挙で大敗したのみならず、不祥事が相次いで起きたことによって菅内閣の支持率は急降下し、20%台にまで落ち込みました。しかし、菅首相自身は「たとえ支持率が1%になっても辞めない。引き続き政権運営に全力を挙げる」とあくまで意気軒昂(いきけんこう)でした。かつて自民党政権が続いた際、内閣支持率が低下すれば「解散して民意を問うべきだ」と常に口にしていた人物と同一とは信じがたい発言でしたが、菅...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その3

    さらに平成22(2010)年9月7日には、我が国固有の領土である沖縄県の尖閣(せんかく)諸島周辺で中華人民共和国の漁船が領海侵犯し、海上保安庁の巡視船に衝突する事件が起こりました。海上保安庁は中国の漁船側が故意に巡視船にぶつかったと判断して、船長を逮捕したうえで船を拿捕(だほ)しましたが、中国側からの強硬な抗議に屈した菅直人内閣が同月24日に船長を釈放してしまったことから、野党や国民の間からは「弱腰外交」と...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その2

    鳩山内閣にかわって平成22(2010)年6月8日に内閣を組織したのは、新たに民主党の代表に就任した菅直人(かんなおと)氏でした。しかし、菅内閣は成立当初から様々な問題をもたらしました。首相就任から1か月後に行われた参議院選挙において民主党が大敗したほか、現職の法務大臣が落選したにもかかわらず閣僚の座にとどまったことから、野党を中心に批判を呼びました。また、同年8月には、日韓併合100周年にあたって「当時の韓国...

  • 民主党政権の3年3か月と安倍政権の復活 その1

    平成21(2009)年9月16日に民主党として初めて首相となった、祖父に鳩山一郎(はちやまいちろう)元首相を持つ鳩山由紀夫氏は「脱官僚」や「政治主導」を目標として、社民党や国民新党とともに3党の連立内閣を組織しました。鳩山内閣は、高等学校授業料無償化などの社会政策や行政刷新会議(=事業仕分け)を推し進めましたが、政権公約(=マニフェスト)に掲げていた「子ども手当」の支給や、あるいは高速道路の無料化などに関し...

  • 第一次安倍内閣の挫折から政権交代まで その10

    「リーマン・ショック」に対して、麻生内閣は中川昭一(なかがわしょういち)財務大臣とともに矢継ぎ早に対処しましたが、平成21(2009)年2月に中川財務相がローマで謎の「酩酊(めいてい)会見」を行ったことに批判が殺到し、中川氏は財務相を辞職に追い込まれました。また、麻生首相は、外交面で「自由と繁栄の弧(こ)」という構想を掲げ、インドとの戦力的協調を強めるために日印安全保障協力宣言に署名するなどの成果を挙げ...

  • 第一次安倍内閣の挫折から政権交代まで その9

    2007(平成19)年、アメリカでの住宅価格の下落によってサブプライムローン(=低所得者向け住宅ローン)の弁済金が滞納(たいのう)し、抵当物件の差押えが劇的に増加しました。これによって、米国内の多くの銀行や政府系企業が資本の大幅な損害を被(こうむ)り、2008(平成20)年9月15日にアメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻(はたん)状態となったことをきっかけとして、続発的に世界的金融危機が発生したこ...

  • 第一次安倍内閣の挫折から政権交代まで その8

    安倍首相の退陣を受けて、平成19(2007)年9月26日に福田康夫(ふくだやすお)氏が新たに内閣を組織しました。福田首相の父親は元首相の福田赳夫(ふくだたけお)氏であり、我が国憲政史上初の親子での総理大臣となりました。しかし、参議院で民主党を中心とする野党が過半数の議席を得ているという「ねじれ国会」の状況において、参議院では初めてとなる問責決議案が可決されるなど、福田首相は厳しい政権運営を強(し)いられま...

  • 第一次安倍内閣の挫折から政権交代まで その7

    第一次政権において、安倍首相は「戦後レジーム(=体制)からの脱却」というとてつもなく大きな国家目標を掲げましたが、それは単なる理念の提唱に留まるものではありませんでした。教育基本法の改正に始まり、防衛庁の「防衛省」への昇格、憲法改正の布石となる国民投票法の制定、天下り規制などを定めた公務員制度改革など、過去半世紀の全ての首相が敬遠してきた「国家の土台部分の難しい宿題」を一気に前進させました。しかし...

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