『内村鑑三 所感集』より: 『我が思想は神の思想なり、しかして神の思想は遂に事実となりて世に顕わるべきのもなり。理想を語るは夢を語るにあらず、未来の事…
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『内村鑑三 所感集』より: 『我が思想は神の思想なり、しかして神の思想は遂に事実となりて世に顕わるべきのもなり。理想を語るは夢を語るにあらず、未来の事…
『内村鑑三 所感集』より: 『我は我が愛する国を今日直ちに済いえざるべし、しかれども我は百年または千年の後にこれを済うの基いを⚪️(す)えんと欲す。我…
『内村鑑三 所感集』より: 『決心また決心、決心をなすは決心を破るに等し。人は決心を決して何事もなす能わず、事をなすは神にあり。ただ神に頼らんのみ、歳…
『力と同時にまことの知恵を与えられて、その力を常に適所で適度に用いることができれば、それは実に素晴らしい事である。 これは多くの「呼び覚まされた人」にあっ…
『我々はプラトン、アリストテレス、使徒パウロ、ダンテ、ゲーテなどの思想をすっかり我がものにするところまで果たして達しうるかどうか、さらにまた、一体そうする…
「人の心霊が宇宙の神霊と一致する時、人の生命の力は驚嘆に値する強さをもつに至る。しかもこの尊厳なる宇宙の神霊と一致するのは、第一に必要なことは心の安定を失…
『内村鑑三 所感集』より: 『呱々の声は嬉々の声なり、その始めて響き渉るや全家は歓喜をもって震う。新しき人は希望をもたらして我らの中に臨みたればなり。…
『内村鑑三 所感集』より: 『このとき宇宙は完全に達せんとするその最後の武歩を取れり。このとき神に類する「第二の人」は世に出でたり、このとき造者と受造…
『内村鑑三 所感集』より: 『「主は待っていて、あなた方に恵みを施される」(イザヤ書三〇の一八)。旧約聖書は、まさにこの点、すなわち神に対する人間の関…
『信仰というものは、もとより、自分で自分に与えることはできない。一五二七年の『キリスト教域市法』に述べてあるように、信仰は「我らの分にすぎた神の恩寵の賜物…
『内村鑑三 所感集』より: 『我にもまた活動の舞台あり、教壇にあらず、文壇にあらず、劇壇あらず、演壇にあらず、わが小なる居室なり。長さ十五尺に幅十二尺…
『使徒パウルという、しかれども使徒たるはパウルの職業にあざらしなり、タルソのパウロは天幕職工たりしなり。しかして天幕職工たりしが故にキリストの善き使徒た…
『内村鑑三 所感集』より: 『初代の教会にChristemporos なる者ありしていう。「キリストを商(あがな)う者」の意なり。しかして甚(いた)く…
『内村鑑三 所感集』より: 『日本国は日本の国なりという。然り、外国人に対しては日本国は誠に日本人の国なり。然れども神に対しては日本国は日本人の国にあ…
『内村鑑三 所感集』より: 『秋到るがごとくに余は河を懐(おも)う、二個の大なる河を懷う。その第一は石狩河なり。森深く、水静かに、蔦は弓形をなして深淵…
『もはや「石の心🌟」を持つことがないということは、神の大きな賜物である。人間が神の声に対して心を開き始めると、この事もまた十分よく悟るものである。 🌟エゼ…
『大きな危機が過ぎた後、しばしば人間の考えのなかに、ある全く囚われない、ほとんど人間的なものを越えた評価をもって、自分の生活を過去と未来とにわたって見渡す…
『内村鑑三 所感集』より: 『吾人の実見するところによれば、日本人の「神の国に入るよりは、駱駝の針の孔を⚪️(とお)るはかえって易し」、その虚栄心、そ…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教は善き軍人を作らざるべし、しかれどもキリスト教は善き農民と職工を作る。キリスト教は善き宮廷を作らざるべし、しか…
『内村鑑三 所感集』より: 『われ某軍港に伝道し、巨艦の工を竣(お)うるを見たり。われこれを仰ぎ見て曰く、盛んなるかな、日本帝国と。われ某地方に伝道し…
『おのれの弱さを知るその同じ使徒パウロが、波乱の多い、しかし勝利と栄光にみちた自分の生涯の終わりに、彼の信仰上の子であるデモテにかような心の勇気を持つように…
『われわれはプラトン、アリストテレス、使徒パウロ、ダンテ、ゲーテなどのすっかりわがものにするところまで果たして達しうるかどうか、さらにまた、一体そうすること…
『けれども、疑いもなく、真の勇気は、ただ徐々に、しかも苦しい日々のうちにのみ学び得られるものである。さらにまた、およそ正しい人生観を得たり、人間の型が大きく…
『信仰というものは、もとより、自分で自分に与えることはできない。一五二七年の『キリスト子城市法』に述べらてあるように、信仰は「われわれの分にすぎた神の恩寵』…
『このような勇気は、今日われわれが最も必要とするものであり、また、それは真のキリスト教のまごうかたなき印でもある⭐️。その全てが神より高い力に支配されている…
『大きな危機が過ぎた後、しばしば人間の考えの中に、ある全く囚われない、ほとんど普通の人間的なものを超えた評価をもって、自分の生活を過去と未来にわたって見渡す…
『神が人間に「宿る」ことができるためにはまず原則的に捨て去らねばならぬものは、享楽と、名誉と、そして人間への依頼心とである。ところで、このようなものをひとた…
『もしあなたが(自ら求めないのに)あなたのキリスト教信仰のために攻撃され始めたら、大いに喜ぶがよい。なぜなら、その時あなたは、もはやこの世の奴隷から解放され…
『われわれの時代のさまざまな害悪に接しながらも、自分ではあまり痛切に苦しむ必要のないような人達は、多く、そうした害悪について暗い考察をめぐらした末に、好んで…
「われらすべてを拘束する卑俗は、 彼のはるか彼方、実体のない仮像の中に存していた。」 『ゲーテかシラーの死に捧げたこの追悼の詩は、人がおよそ教育…
『さて親愛なる諸君よ、以上のことが実現されるまでは、とにかく諸君はこれらすべての道の中から、諸君の道を選ばねばならぬーー真理に対する諸君自らの認識のため、諸…
『立派に人生を生き抜き、とくに、平凡にただ生活を維持するだけでなく、より偉大な人生の目的を見失わないためには、どうしてもある種の感激が必要である。実際、人生…
『ただこのような世界観によってのみ、さらに進んで、大規模な正義と平和とが総じて可能になる⭐️。この世界観がなければ、事実上、不断の惨憺(さんたん)たる生存競…
『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするに過ぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、すべての苦難は、…
『すなわち、ここに「道と真理と生命(いのち)⭐️と」があり、ただ頭の中の幻想ではない。歴史に根底を置く、真実の哲学がある。ついでに言うが、この道は多くの案内…
『内的生活においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、くり返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えなければならない。これ…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…