『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『2000年前のパレスチナの文化よりもさらに高度の文化に対しても、キリスト教は適合しうるものだということ、われわれは正にこの…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『この世で真のよく人を助ける者は、「とこしえに燃える火⭐️の中におることのできる」者である。その他の者は、われわれが自ら助け…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『良い結婚は、おそらくこの世のあらゆる宝の中で最上のものであり、しかしなんといっても一番独特なものである。というのは、経験は…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『朝、目覚めると同時に真っ先に意識にのぼる考えが何であるかは、非常に大切である。その時あなたは普段さまざまな偶然の原因から起…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人はみなそれぞれに持っている十字架を、われわれもまた受け取り、背負うべきである。それを振り捨てようとしてもなんの益もない。…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神との交わりのは、特別の時刻(いわゆる時禱)や時期(朝夕など)や姿勢や身振りなどを全然必要としない。反対に、最も簡単な言葉…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『真のキリスト教は雄大で荘厳なものを持っている。ところが、多くのキリスト者、わけてもプロテスタント教会の多くの牧師や宣教師た…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『しかしあなたはおそらくこう言うであろうーー私は神とキリストを信じることができない、私の悟性がそのような形而上的直感に反対す…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『正しい、誠実な、かつ率直な親愛は、兄弟姉妹や親戚の間では、およそこの上なくよいものである。けれどもそれは義務ではなく、自由…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『自然的素質や生の目的の点で、人間は動物と同様だとい考え方を、あなたの確信としてはならない。むしろ、このような近代的見解に対…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『長く生きていればいるほど、また大衆の影響力、大衆意識、あらゆる種類の社会的および結社的組織ということが世論にのぼればのぼる…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『悪い習慣は、よくない交際よりも危険である。なぜなら、現実の人間は、空想の産物にあるように、純粋な全くの悪や誤りの塊でありな…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『キリスト教が少しも信用されず、その真理が真理として縁広く認められないとすれば、それはわれわれに、われわれの一人ひとりに、欠…
スイスの哲人、カール・ヒルティー著『真の内的生活に達する場合、個々の魂が自らの内に経験する成長の過程は、普通、次の通りである。 まず第一に、不満足な世俗的努…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれの教育者や伝道師はやるように人をはじめから信仰へ導こうとするのは、たいてい全く無益である。だから、彼はほとんど成長…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『神の恩寵にあずかっている事実は、普通、次の二つのことではっきり認められる。まず第一に、往々全く突然、何らの外的原因もなく…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『見えない世界を「信じる」ことによって歩くか、それとも日常の世界を「見ること」によって歩くかに従って(コリント人への第二の手…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『われわれが目の当たりに見ている現在の世界秩序には、多くの欠陥があると思わずにはいられない。このことは、とりわけ、無数の人…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『もしあなたが完全に正しい者になりたいと思うなら、いわゆる「新聞に評判よく書かれること」を断念しなければなるまい。毎日の新…
カール・ヒルティ著『後を見ないで、つねに前方を見なさい。最後には、この世の命を超えて彼方を見なさい。後を振り返るのはなんの益にもならない。ただし、まだ改め…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間の生活は、神の恵みによって、また恵みの中にあって、堅固になっていないかぎり、えてして傲慢になりやすく、また容易に意気沮…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『地上における天国は、人間がたえず神の御心と合一することより他に、もはや何ものをも熱望しなくなった時から始まる。来るべき天国…
スイスの哲人、カール・ヒルテイ著『人生は、老年にいたって、ますます美しく、立派になることができ、またなるべきものである。しかし、より安楽になるわけではない。…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間は、エゴイズムがつねに自分自身を悪い結果をもたらすものだということを、理性をもって十分に納得しないかぎり、たとえ信仰が…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『菜食主義的な生活法は、原則的にいえば、たしかに最良のものである。けれども、なによりも先ず、文明化した人類をもう一度そういう…
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『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
『もし貴方が、今ちょうど、生涯の荒涼とした暗い時期の一つに臨んでいるのなら、将来のいろんな計画に手をつけたり、または、今更どこかを改めようもないのに、過去…
『人間の共同生活を非常に楽にする気持ちのよい性質は、出来る限り他人の願いに喜んですぐ応じるような、ある種の親切と気軽さである。ところが人に人によると、眼に…
『内村鑑三 所感集』より: 『歓べよ、感謝せよ、しかしてさらに大いなる恩恵を仰げよ。感謝は有効なる祈祷の要素なり。神は感謝なき祈祷に耳を傾け給わず。感…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛情なしと言うかなれ。人に愛情なきにあらず、我に愛情なきが故に人に愛情なきが如くに感ずるなり。我に愛情ありて世に愛情…
『内村鑑三 所感集』より: 『善なるキリスト、弱きキリスト、しかり、彼は善なりし故に弱かりしなり。彼のは善を愛するの心ありたり、しかれども善…
『内村鑑三 所感集』より: 『集会の勢力によざれば神と人とに尽す能わざる者は禍なるかな。ひとり真理の燈台となりて世の暗黒を照らす能わざる者は禍なるかな…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自信に満ちた指導…
『人間同士交わりにおいては、内的確信が非常に大きな意味を持っている。何故なら、大抵の人は、彼らを指導してくれるような他人を求め、そういう自身に満ちて指導者…
『内村鑑三 所感集』より: 『余輩を隠遁者と見做す者あり、しからず余輩は隠遁者あらず、罪の世と交わらざるのみ。余輩の頭上に穹蒼(おおぞら)の天幕のごと…
『内村鑑三 所感集』より: 『聖書智識のみは人を救わず、聖書智識に加うるに聖霊の能力(ちから)をもってして人の霊魂は救わるるなり。聖書そのものは死せる…
『内村鑑三 所感集』より: 『マタイ伝はマタイ伝として研究せよ、マルコ伝はマルコ伝として研究せよ、ルカ伝はルカ伝として研究せよ、ヨハネ伝はヨハネ伝と…
『内村鑑三 所感集』より: 『春陽の来福はキリストの復活について思わしむ。キリストは甦り給えり、しかして万世の救い主となり給えり。復活後の彼は言い給え…
『社会主義の最も厭うべき点は、そのためだけでも私がこの主義に賛同しかねるのは、社会主義が嫉妬を人間の行動の主な発条(ばね)としており、また実践活動において…
『出エジプト記二〜四、詩篇一一〇の一〜二。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つ事…
『内村鑑三 所感集』より: 『救済(すくい)は事実なり、意識にあらず。また信仰にあらず。我らは救われて救われるるなり、識りて救わるるにあらず、信ずると…
『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…