◯『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』の原文です。 「たとひ仏というは、我がもとより知りたりつるようは、相光光明具足し説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知りたりとも、知識(師匠のこと)若し仏というは蝦蟇蚯蚓(がまみみず)といはば、蝦蟇蚯蚓を是ぞ仏と信じて日此(ひごろ)の知解を捨つべきなり、この蚯蚓の上に仏の相光光明、種々の仏の所具の徳を求むるも猶(なお)情見あらたまざるなり。只当時の見ゆる処を仏と知るなり。」 ◯次は現代語に超訳です。 「私たちは仏といわれたら、光り輝く徳のあるお釈迦様や阿弥陀様のようにすばらしくすごい方だと知っていますが、しかし、師匠が『仏とはカエルやミミズのことである。』と教えるならば、カエルやミミズこそが仏であるということを信じて、今までの仏に対する認識を捨てることです。しかし、そうは言われても、まだ自らの思いに引きずられてミミズの上に、従来の..