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オーラが伝えるすべて〜akuaの沢渡和〜 https://akuakazu.hatenablog.com/

20年近いオーラ診断を通して分かったこと。人生の様々な課題を乗り越えていくヒント。

ドルフィンスイムやセドナツアーも毎年開催しています。そこでの様子や写真もアップしていきます。またボロブドゥール寺院はオーラの構造と酷似しています。そうしたこともお伝えしています。

沢渡和
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鎌倉市
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2011/12/06

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  • 贈り物のように

    私たちはふつう、自分の人格や性格を「自分自身の一部」として所有しているかのように捉えがちだ。「私は内向的」「私は怒りっぽい」「私は几帳面で完璧主義」といった語りは、あたかも「私」という器のなかに性格や人格という属性がある程度は固定的なものとして、しまわれているかのようなイメージを持つ。 人格や性格は、正負のエネルギーが織りなす関係性のなかで一時的に現れる現象にすぎない。 状況や経験によって変化し続けるものであって、固定的属性ではない。 つまり、「私の性格」という言葉は厳密には矛盾を含んでいると感じる。性格・人格は「私のもの」ではなく、その瞬間や状況においての「関係性の結び目」として立ち上がって…

  • ディスレクシア2 ー近代の枠を超える希望ー

    ディスレクシアと呼ばれる特性をもつ人々は、文字や文章の読み書きには大きな苦労がともなうことが多い一方、イメージを素早く捉える力を備えている。 頭のなかで対象としているものの「完成形」が先にくっきり浮かぶのだ。 そのため、完成形そのものへのこだわりが強く、それを実現するためのプロセスを一歩ずつ確実に意味づけしながら進む必要がある。 もし途中でステップの歩みをつづけることが出来なくなったり、途中のステップを飛ばしてしまうと、せっかくの「完成形の閃き」が宙に浮いてしまい、混乱や停滞、無価値感を招いてしまう。 また完成形が見えているがゆえにそのレベルを落とすことができず、周りの人をうまく巻き込めず孤立…

  • ディスレクシア ー近代の枠を超える希望ー

    増えるディスレクシアの人々 近代社会の行き詰まりが明白になるにつれ、カウンセリングの現場でも年々増えている印象があるのがディスレクシアの人々。 知的能力に問題がないにもかかわらず、文字を判別したり文章をスムーズに読むことが難しいのが特徴だが、あらかじめ決められた枠組みや常識に縛られない自由さを備えていると感じている。 文字情報に重点を置く思考スタイルを得意とする人々は、無意識のうちに言語や論理のルールに沿って世界を切り分けてしまいがちだ。しかしディスレクシアの人は、文字を介さず物事の全体像や本質をとらえる傾向が強い。そのため、自分でも気づかないうちに既存の視点とは異なるアプローチでアイデアを組…

  • 傷ついた自分を抱きしめ直す

    無価値観を抱えていると、本来なら最も大事にしたいはずの自分の感情や気持ちから次第に切り離されていく。思考すら他者の代弁的なものになっていく。 生きるという行為や仕事に携わることは多くの場合「お前は無能だ」という社会からの圧力が無価値感を積み重ねるようにも感じられ、本心を素直に認識することすら困難になる。 いつしか「自分は何がしたいのか」「何を求めているのか」という問いへの答えが曖昧になり、手っ取り早い答えや歪んだ方向に意識が逸れがちになる。 こうしてますます自分を観る世界を観ることがおろそかになり、代わりに自己否定や他者への批判、欲望充足に時間を費やしつかの間の相対的優位感に浸ることが習慣化し…

  • 「気づき」は答えではない

    一般的なスピリチュアル文脈で語られる「気づき」は、答えや解決策のように語られることもあるが、本来的な「気づき」は単に「新しい有効な情報を得た」というレベルのものではない。 むしろ、自分のなかに以前から存在していた思考や感情の固まりが解け、それまでとは異なる視点や感覚が広がっていくような体感が起きている状態を指す。 セドナでは気づきが生じやすい 突然「これまで自分はこういうときに恐れを感じていた」「実は人に対してこんな期待を抱いていた」などと分かるときがある。 無自覚だったものが言語化されてくることで、「ああ、こういうことだったのか」と腑に落ちる感覚ともいえる。 その固まりが解けていく過程では、…

  • 般若心経の教え

    般若心経は非常に短いお経でありながら、仏教の核心である「空」の思想を強く示すため、古くから広く読誦(どくじゅ)され尊ばれている。 以前(2011年)の記事でも紹介したが、この経典は否定のオンパレードとなっている。 わずか262文字のなかに「無」や「不」といった否定を示す文字が頻繁に使用され「無」が21回「不」が9回登場する。​これらの否定語を通じて言語での表現が不可能だと思われる「空」の思想を表現しようと試みている。 空(くう)「存在しない」という意味ではなく、「固有の自性(存在が常に同一性と固有性とを保ち続けそれ自身で存在しているという本体)」を持った不変の実体はない、ということを指す。存在…

  • 神聖(神性)さ

    神聖さは、なにか日常生活と乖離した「特別な現象や空間」のことではなく、むしろ私たちがつねに接することが可能な「自然な在り方」にある。 日常のなかに静かに息づいている根源的な尊さや、なにかが溶けて流れていく感覚のことを指しているのではないだろうか。 わたしたちが神聖(神性)さを見失う理由として「自分の外側に神秘や奇跡を求めやすい」という傾向があると思っている。 いくつかの聖地 ――たとえば伊勢神宮やボロブドゥール寺院、あるいはセドナやイギリスのストーンヘンジ、グラストンベリーなど―― を訪れた体験から、こうした神聖な場が私たちの意識を変えてくれるのは「外からの力」よりも「内面からの呼応する力、感…

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